第22話 VS黒獅子 中編その2


  ※※※※


 間宮イッショウはボロアパートにあるコーヒーメーカーに豆と水を入れてボタンを押し、できあがるまでの間、スマートフォンで音楽を聴いた。向かいのソファに座るのは歌姫のスウィーテ(岡部クリス)とそのマネージャである。

「あの――」

 とクリスは訊いた。「なにを聴いてるんですか?」

「君の音楽さ、スウィーテ。せっかくお近づきになれたんだからね?」

 と間宮イッショウは微笑む。「平時だったら僕はすぐにでも警察に突き出されるべき脱獄囚だけど、残念ながら今は人間と獣人が戦争中だ。妙な義侠心を発揮しなくていいぶん気楽だと思ってほしいね」

 それから、できあがったコーヒーを3つのマグカップに入れてテーブルに置く。

「毒なんて入ってないよ。どれでも好きなものを取って飲むといい」

「――はい」

 クリスはいちばん小さなカップを口に運んだ。マネージャの男のほうは震えたままその場を動かない。イッショウはそんな二人を見てから、いちばん大きなカップを手に取った。

「君の音楽には人柄がよく出ている」

 とイッショウは言った。「自分の才能を支えてくれた人たちへの感謝を述べる、美しい歌だった。しかし、優しすぎるのも考えものかもしれないな」

「あなたは私を殺さないんですか?」

 クリスが思わずそう訊くと、イッショウは虚を突かれた表情で振り返った。

「ああ、殺さない」

「なぜ」

「理由は二つある。まず、僕はよほどの事情がない限りだけど、価値ある命は奪わないことにしてるんだ」

 イッショウはソファに座った。


 ――間宮イッショウが最初に奪った命は同級生の女の子だったと言われている。彼女は養父から性的ないたずらを含む虐待を受けており、クラスメイトからはイジメを受けていたことも知られている。

 当時、成績優秀な学級委員長だったイッショウはできる限りのことをして彼女を守ろうとした。担任教師、学年主任、教頭、校長そして市の教育委員会にも話を通して自前の書類を出した。それでも大人たちが動かなかったのを確認した彼は、仕方がないからと、イジメっ子たちの所業をひとつひとつ警察に売り渡すことにした。

 そうして、ようやく騒動は収まった――裁判にも残されている彼の記録である。

 彼女に対して特別な思い入れがあったという話はない。おそらく純粋な正義感、あるいは自分が生徒会長として管理をしている学校に陰湿なイジメがあるのがイヤだった、そういう潔癖な性質によるものだろうと結論づけられている。

「ゴミが偉そうにしているのを見てて虫唾が走ったんだ」

 警察の調べに対してイッショウはそう語っていた。

 ――だが、ここから間宮イッショウの運命は狂い出す。イジメられていた同級生の女は間宮イッショウに対して過剰になつくようになり、しきりに話しかけては身体を寄せるようになった。もちろん、イッショウがそんなことを望んだ覚えは全くなかったのである。

 そうして最後には勢い余る愛の告白を受けた。

「女のなかでいちばん卑俗な習性は、男に体をこすりつけるところだよ。感触もイヤだったし、臭いも好きじゃなかった」

 彼は交際を断ると、ウンザリしたのだろう、彼女の連絡先をブロックした。逆上した彼女が間宮イッショウのストーカーに成り果てるまでに一ヶ月もかからなかった。そうしてイッショウの周りにいる女性の知人や友人に陰湿な嫌がらせをするようになった。

 被害者が加害者にならない保証はない。いや、むしろ、普通の人間が加害者になるよりもその可能性は高いと言われている。

 決定打は、彼女のノートだった。そこには間宮イッショウを拉致監禁し拷問する計画が書かれていた。最後のページにはイッショウの住む家を燃やして家族ごと皆殺しにするプランも素描されていた。

 彼はすぐに警察へと駆け込んだ。だが女のイジメを告発したときとは違い、今度は笑い飛ばされて終わった。当時は――今もだろう――男性がストーカーや性犯罪の被害者になっても権力は動いてくれなかったのだ。「ちょっと前まで庇っていた女を、今度は告発? なに言ってんだ?」という困惑もそこには混じっていた。

 そうしているうちに計画の日が近づいてきたため、イッショウは、自分の手で自分を守らざるを得なくなった。つまり、彼女を山に誘い込んで殺害したのだ。

「彼女の僕に対する執着心は、おそらく幼少期以来、養父から受けた性的虐待が転移したものだろう。こういう精神状態の更生はほぼ不可能だ。なら方法はひとつしかない――彼女を生まれる前の状態に戻すことで、僕は、世界を正常な状態に戻した」

 彼女を解体すると、肉を刻んで焼き、骨を砕いて粉にしたあとそのあたりに撒いた。

「重労働だったよ。二度とやりたくないと思ったね。殺戮は体力の勝負で、もともと人の割に合わないんだ」

 イッショウはそこまで話し終えると、クリスのほうをじっと見つめた。彼女は視線をそらさなかったが、マネージャのほうはウッウッ、と口もと押さえて吐き気をこらえている。

「その1件目が――」

 とクリスが言った。「あなたの殺人鬼としての出発点だったの?」

「うん、裁判でも言ってる。彼女は公式には行方不明のままだったから、死んだことを公表してあげたかったし、それによって判決も引き延ばしてみたかった」

 ただし、その殺人には問題があった。間宮イッショウは彼女を殺害するその前に、様々な機関に相談している。それゆえ彼女が失踪したあと、イッショウはしばらくの間は警察に容疑者としてマークされる危険があった。

 ――なんとか彼女と僕の間にある線を断ち切らないといけない。長期的に考えて、いずれは彼女の怨霊は僕を呪いに来るだろう。

 そう思った間宮イッショウは、しかし、比較的シンプルな作戦でこれを解決した。

 木を森のなかに隠すように、彼女の失踪を、そのあと起きる大量の無差別な死と失踪のひとつにすぎないと思わせればいい。

 こうして間宮イッショウは、たったひとつの死体を隠すために10個の死体を転がすことになった。そうすれば彼は無味無臭のワンオブゼムになる。もちろん一貫性を持った連続殺人鬼を演出するために、いくつかの犠牲者は彼女と似たような存在を広範囲から選ぶことになった。

「自分自身で状況を打開する能力を持たない、誰かがいつか助けてくれると思って、それでいてチーズを与えてくれた慈悲深い他人に次はミルクを要求する、どこまでも自分を被害者だと考えて周囲を責めることしか頭にないような腐った劣等生物っていうのは世の中にたくさんいたから、その点は苦労しなかった。

 あいつらは追い詰められると自分の家族さえ平気で手にかけるんだよ。ちょっとした会計不正に手を染めた家族を見つけて実験してみた。洗脳なんかじゃないよ、――誰かに命令されて支配されて、自分の自由と責任を手放す喜びに嬉ションしてんのさ」

 どこで歯車が狂ったか誰も分からない。間宮イッショウは、気づけば50人以上を殺戮する冷戦後最悪の連続殺人鬼になっていた。


 そのとき、バン! と、テーブルを殴る音がした。マネージャの男がキレて立ち上がっている。

「もういい! お前の話を聞いてるとアタマがおかしくなりそうだ!!」

 男は怒鳴ると、コーヒーをぐいっと飲み干す。「スウィーテちゃん、もう行こう!」

 クリスは彼を見て、それから、もういちどイッショウを見つめた。

「私は、あなたが殺めてきた人とは違うんですか?」

「君は違う。自分の人生を生きようとして、自分の歌を歌おうとしている。だから殺す理由がない。――君はケモノじゃないからね?」

 ほんの少しだけ沈黙が流れた。

「私は」

 とクリスは言葉を繋いだ。「自分の足だけでは立ち上がれない人のためにも、歌を歌いたい。だからあなたの言葉には頷けません」

「――そうかい」

 イッショウはフッと笑うと、部屋のドアを開けた。「オオカミの女も君と同じことを言うかもしれないな」

「オオカミが?」

「彼女と会ったことがある。面白い精神構造をしている女だった。彼女とクロネコ、どっちが勝つのかはとても興味がある――」

「私も会いました、けど、あの子は普通の女の子です」

 クリスの言葉に、イッショウは首を傾げた。

「――普通の女?」

「あの子は、誰かに傷つけられて、誰かを傷つけてしまって、そうして傷つけてしまったことに傷つくこともある、私たち人間と同じです」

 彼女がそこまで言うと、イッショウは眼鏡の位置をゆっくりと直した。

「そりゃあマズいな。だとしたらオオカミ女に――ラッカ=ローゼキに勝ち目はないぞ」


「え?」

 とクリスが聞き返す間もなく、アパートの窓が全て割られた。マネージャの男は思わず床に伏せる。そうして部屋に侵入してきたのは、迷彩服にフル装備の自衛官たちだった。

『本部報告。逃げ遅れていた市民を発見、これより保護に移行する』

『了解。プリースト隊は同区画内全建造物を調査して保護活動を継続せよ。トレボー隊は人命救助後の通路確保のため、非戦闘地域0083区画内の獣人に対してシルバーバレットの使用を引き続き許可する。見つけ次第射殺せよ』

『了解。見つけ次第射殺する』

 ハトの獣人にフォローバックされた無線の連絡が飛び交うなか、自衛官たちは岡部クリスとマネージャの身柄を強引に拘束し、『シェルターまで案内します。トラックに乗ってください、急いで』と大声でがなる。

 クリスは思わず部屋のドア方面を見る――が、既に間宮イッショウは廊下のほうに姿を消すと、もうどこにいるのか分からなかった。


 自衛官に腕を引かれて外に出たクリスが見たのは、戦車と戦闘ヘリと輸送トラックが立ち並ぶ河、そして、半袖半ズボンの獣人の男の子に容赦なくシルバーバレットが撃ち込まれる殺戮の現場だった。

『まだウロついてんのか獣人は』

『向こうから襲ってくるから世話ないぜ、さっさと掃除しちまおう』

 自衛官たちはそう言うと、89式自動小銃に銀の弾丸を次々と装填する。

『シルバーバレット、オーソライズド』

『シルバーバレット、オーソライズド』

『シルバーバレット、オーソライズド』

『シルバーバレット、オーソライズド』


  ※※※※


 ラッカ=ローゼキは――オオカミは全てを屍鬼を始末したあと、ただその場に立ち尽くしていた。自分の呼吸が浅くなっていくのを感じる。そうして鼻をつくのは、獣の肉から飛び散る血と臓物の臭いだった。

《ウウ――ウウウ――――》

 彼女はふと、ビルのガラスに映る自分の姿を見た。べったりとした赤色が自分の全身にかかっている。そこにいるのはただのケダモノだった――どれだけ人間の心を気取っても、やろうと思えばいつでも命を狩り尽くせる――そんなオオカミが自分なのだと彼女は思う。

《ウウウウ――ウ――――》

 ラッカはほんの一瞬だけ、動きを止めた。ほんの一瞬だけ――それが致命的な隙になることに気づかないほど、彼女の精神は自覚しないまま疲弊していた。

《やっとお前に攻撃できるよ、ラッカ=ローゼキ》

 そんなクロネコの言葉が聞こえてきた。慌てて声がするほうに振り向こうとしたしたときには、だが、オオカミの胴体は漆黒の爪に勢いよく貫かれていた。

《ガッ――アア――アアアア!?》

 鮮血が噴き出る。即座にラッカは後ろ向きに蹴り技を繰り出し、自分自身は前に歩を進めると、体を貫くクロネコの腕を引き抜いた。

 ズブブブブ――と、腕が自分の身体から抜ける音が頭のなかに響く。血がバタバタと、彼女の心臓の動きに合わせてコンクリートの地面に垂れていった。

《ちぇ》

 とクロネコは言った。《獣人核は外しちゃったかあ。でもまあ、なかなかのダメージなんじゃない?》

 ラッカは傷口を手で抑えながら、彼に向き直る。そこに立っていたのは漆黒のライオンである。クロネコもまたフルパワーの獣人体に戻り、決着をつけようということらしい。

《ラッカ、お前の型の性能が僕よりも良いのは分かってた。獣人核の再生力は僕のほうが強いみたいだけど、ステゴロで殴り合ったらギリギリそっちが強い。つまり、フィジカルのステータスでは、僕はお前より優位に立てない》

 ライオンはそこでニヤニヤと笑った。爪についているオオカミの血をペロペロと舐める。

《なら妥当な戦略はひとつ。お前の甘っちょろい心を突いて、ほんの少し、ほんの少しだけ弱みを見せた瞬間に僕は理想的な型の組み合わせを叩き込む》

 そこまで話し終えると、とうとう笑うのを我慢できないという体で、ライオンは口を開けた。

《ザマぁねぇなぁ~~!!!!

 なんだよオオカミィ、こんなもんかぁ~~!!!?》

《グウウ――!!》

 白銀のオオカミはすぐにライオンに向き直ると、バッと左手(左前脚)を差し出した。漆黒のライオンのほうは目を見開き、防御姿勢を取る。


 ――傷の治癒を後回しにして《矛》を展開!? 激痛のはずだろ、ラッカねーちゃん!?

《ガアア!!(超加速!!)》

《ウウウア!!(逆行!!)》

 次の瞬間。

 鈍い金属音にも似た、ギイイイイィィィィンンンン――という残響が響くと、ライオンの左肩から先が吹き飛んだ。べしゃり、と、血を撒き散らして彼の腕はビルの広告にぶつかってそのまま落ちていく。

《ウウ!?》

 ライオンの全身に、生まれて初めての激痛が走った。彼は今までの戦いでは、生きてきて四肢を欠損するほどのダメージを負ったことなどない。A級獣人としての強さがそれだけの無敗を可能にしていた。

 現在、それが仇になっていた。痛みに慣れていないというのは、ルール無用の殺し合いにあって明確なディスアドバンテージなのである。

《ぐ――痛っああああアアアア!!!!》

 ライオンは後ずさり、残った手で自分の顔を掻きむしりながら狼狽えていた。

 一方のオオカミは、矛を展開した反動でその場に崩れ落ち膝を突きながら、もういちど左手を差し出す。

《アアア――!?》

 ライオンは叫んだ。《なんで、なんでもう一発撃てるんだよ!? さっさと腹のキズ治せよバカァッ!!》

《ああ――治すよ》

 オオカミは――ラッカ=ローゼキは笑った。その笑顔からはもう人間性は消えている。彼女は今、完全に獣になっていた。《傷は治す――テメエをゆっくりブチ殺してからな!!》

 絶対貫通の矛、圧縮。時空の断絶と歪曲を利用した防御不能の攻撃が、今度はライオンの右胸を貫通した。

《あ》

 と、悲鳴を上げる間もなくライオンは吹き飛ばされる。

 それを見てから、ようやくオオカミは獣人核を傷口の再生に使い始めた。


  ※※※※


 ライオンは――クロネコは、吹き飛ばされた先の店舗内で涙を流しながら這いつくばっていた。

「い、痛い――痛いいい――うううう!!」

 それから、少しずつ笑みをこぼしていく。「左腕! 僕の左腕、いま吹き飛んじゃったよなあ!? ククックク――よくもやったなあ、絶対に仕返ししてやるぞ~!!」

 まず獣人核の再生力で腕を生やし、右胸の傷口を治癒する――あと数センチずれていたらオオカミの《矛》は容赦なく彼の獣人核を壊していた、ということだけが分かった。

「オオカミは《矛》の連射で回復が間に合ってない。ここで畳みかけてやる――!」

 左目が、カシャン・カシャン・カシャン、と音を立てて瞳孔の形を変えていく。

《逆行》《狙撃》そして最後に《免疫》である。

 免疫型の元々の持ち主はヒツジの獣人、脅威度はB級。敵の型を1回~複数回食らうことで攻撃を無効化する。

 ――盾と矛を逆行型で阻止しながら、遠くから狙撃型を連続発動で狙い撃ち。厄介な時間停止には免疫型で対応する。

「ラッカねーちゃん、楽しいよ――楽しいけど、勝つのは僕だ。勝つつもりじゃなきゃ、楽しくない!」

 そうしてクロネコが店を出て大通りに出たところを、遠くからスナイパーライフルで狙う目があった。


  ※※


 戦闘ヘリから身を乗り出した自衛官は、スナイパーライフルM24 SWSの照準をクロネコに合わせた。

『あれが話のクロネコかよ? ガキじゃねえか!?』

『年齢は17歳。獣人同士の交配で生まれた先天性。両親は獣人研究所で実験動物扱いにより死亡。今の今までなにをして生きてきたか分からん、それがあのライオン小僧だ』

『ラッカ=ローゼキとかいうオオカミの小娘に駆除は任せるんだろう?』

『獣人に獣人の始末なんか頼んでられるか! 撃てるもんならついでに撃っちまえ!』

 そんな言葉を聞き、自衛官の狙撃手は黙って頷くとトリガーに指をかけた。『俺の家族だって獣人に殺られてんだ――シルバーバレット、オーソライズド』


  ※※


《バカ!!!!》

 とオオカミは怒鳴った。《なんで手出ししてしてんだ!!!? やめろ!!!!》


  ※※


 クロネコは「んあ?」と声を上げた。自分のほうに向かってくるシルバーバレット、それを目視で認識したからである。

 カシャン・と瞳孔が《透過》に形を変えた。銀の弾丸は彼の体を通りすぎ、アスファルトの地面に弾痕を残して終わる。

「なんだよもお――」

 彼の表情に、はっきりと苛立ちが浮かんだ。「せっかくオオカミと楽しく戦ってたのによお――うろちょろするヒトザル風情が」

 カシャン・と左の瞳孔が《工作》に形を変えると、右の瞳孔は《遠隔》に形を変えた。


  ※※


 次の瞬間、その場を飛んでいた戦闘ヘリの内部に無数の日本刀が出現すると、まずは操縦士、次に狙撃手、そして残りの隊員にも鋭利な刃物が突き刺さっていく。

 人間の反射神経では、およそ回避は不可能。クロネコは全ての日本刀を『敵に接触を開始した時点』で実体化して突き刺していった。刺される直前までこの世に存在していない攻撃――それを無傷で止める方法は人間の側にはない。

 戦闘ヘリは、コントロールを失って急降下。ビルに直撃すると爆発を起こした。

 ライオンは空のほうを睨んで、くんくんと鼻を鳴らす。

《あっちのほうに、まだ二、三台なんかいるか――?》

 それから歯を食いしばった。《せっかくラッカねーちゃんと楽しく遊んでたのに! 僕だけがオオカミと遊んでたのに!! あいつら邪魔しやがってええ――!!》

 カシャン・と左の瞳孔が《疾走》に変わる。と、クロネコはその場から消えた。

 オオカミのほうは、やっと体の傷を治してから緊急事態に気づく。――ライオンが癇癪を起こして攻撃対象を広げやがった。もう1対1じゃない――相手は自衛隊のヤツらのことも平気で狩りながら暴れ回るわけだ。

《畜生――!》

 オオカミの目が血走っていった。


  ※※


 戦車から身を乗り出して双眼鏡を覗き込んでいた隊員は、ただ、戦闘ヘリが呆気なく大破する様子を見つめるしかなかった。

『小林――ウソだろ――?』

 彼はそう呟いてから、すぐに車内の隊員に命令を出した。『撤退だ。小林機の管理空域内にクロネコがいる! あいつら、独断専行で攻撃しやがったんだ――当初の作戦どおり、ぜんぶラッカ=ローゼキに任せろ!! 今すぐ撤退だ!!』


 そこまで隊員が怒鳴ったとき、戦車、砲台の真正面に漆黒のライオンが立ちはだかった。

《なぁに逃げようとしてんだよ、ヒトザル――!?》

『あ――』

 隊員は一瞬だけ声を失った、が、すぐに我に返って『砲撃用意! すぐ撃て!!』と叫んだ。戦車の主砲からシルバーバレット入りの砲弾が射出され、ライオンの身体に命中。

《がっ、痛っ、アアアア――!!》

 激痛に呻き声を上げる、

 が、

 ライオンはすぐに『逆行』型を発動。自分に命中した砲弾を逆再生し、そのまま戦車のなかに戻していった。

《ザコのくせに出しゃばりやがってええ――!!》

 クロネコは低い声で呻くように言う。カシャン・と音を立てて瞳孔の形が《群体》に変化した。

 ひゅん、と手を振ると、そこから体長5ミリ以下の黒猫たちが無数に『にゃあ~』『にゃあ~』『にゃあ~』と声を上げながら砲台のなかに入っていった。

 全ては群体型によってつくられたクロネコの分身。それが戦車内のなかで増殖して、空間全体を圧迫していく。やがて一分も経たないうちに「ぶちん」と音がすると、――無数のミニチュアキャットが、自衛官たちの肉体を破裂させた音である――戦車はその動きを完全に止めてしまった。

 ライオンは砲台を右手で掴み、戦車ごと、オオカミがいる方向に向かってブン投げた。

《自衛隊? ――戦争の道具に過ぎないゴミがよお。人を殺したがってるだけのお前らが、お偉いさんに騙されて自分のことを「正義の味方」とでも感じてんのか。うぬぼれてんじゃねえよ。お前らの命に1グラムでも価値があるとでも思ったか!》

 クロネコはキレていた。

《オオカミ!!》

 と彼は叫ぶ。《ラストスパートだ!! 傷もロクに治せないまま死ね!!》


 ライオンは自分の投げた戦車がビルに突っ込むのを見てから、そこに向かって駆け出していく。

《念入りに八つ裂きにするぞ~! オオカミ! 降参するなら今だからな!》

 そうして入った先は、ただの音楽ショップだった。

《ああ――?》

 ライオンは――クロネコは人間体に戻り、壁にかかっていたバンドTシャツと年季の入ったジーンズに体を通す(クロネコはよく知らないが、それは toolという名前のロックバンドらしかった)。戦車のミサイルが思いのほか身体に響き、獣人体を維持できない。なにしろ獣人体のままだと体が部屋に対して大きすぎて移動がままならなかった。

「なあ~、どこにいるんだよラッカね~ちゃ~ん?」

 とクロネコは言った。「傷が治ってんなら出てこいよ。まだ治ってないよなあ~? それともビビってんのかあ~?」

 そうやって彼が店舗の奥に歩を進めたときだった。どこかのレコードに針が落ち、ロックミュージックが爆音で流された。獣人としての鋭い聴覚に、ほとんど痛みのようにそれは響く。

 彼は知らないが、それはSex Pistolsの『Anarchy In The UK』である。

「な――!?」

 とクロネコは顔をしかめた。「なんだよこれえ――!」

 そんな物陰から、騒音に紛れるように、

 ラッカ=ローゼキはテレキャスターを振りかぶってクロネコに迫っていた(彼女のほうはRadioheadのバンドTシャツと、ダメージジーンズに足を通していた)。ギターの機種は、 fujigen neo classic NTL10MAH。

「――え?」

 クロネコは振り向く間もなく、テレキャスターで思いきり脳髄をブン殴られた。ミシミシと頭蓋骨にヒビが入っていくのを感じる。

「があああ――!?」

 クロネコはすぐに数歩下がって、頭を押さえながら真正面を睨みつける。「ラッカ=ローゼキ――!! このうるさい音楽を、今すぐ止めろ!!」

「止めねえよ、バーカ!!」

 テレキャスターが、今度はクロネコの顎を下から砕いていく。そうして、すぐに持ち手を変えると再び上から振り下ろされた。

 ゴキン、と音がする。頭蓋骨に完全に亀裂が走り、脳漿が垂れていくのがクロネコ自身にも分かった。血と混じったオレンジ色の液体が額から垂れて、彼の視界を汚していく。

「がはっ――ああもう!」

 クロネコはすぐに体を起こした。が、吐き気と目まいが止まらない。「ちょっ、ちょっと待てよ、いろいろ作戦があんだからさあ――こっちには! 型を発動しなきゃ、披露できないだろ!?」

 そう言い終わる前に、クロネコの目の前に、鋭い棒が迫っていた。それはラッカの握るドラムスティック――彼の目を潰すための道具だった。

 ぶしゅう。

 眼球が破裂して、中身の水分が漏れ出ていく音。クロネコはただ悲鳴を上げながら、壁に背を預け、それから少しずつ彼女から逃げていく。


「どうしたんだよクロネコォ!?」


 と、血まみれのラッカは怒鳴る。これまで積み上げてきた人間性も、甘さも優しさも、全てかなぐり捨てて彼女は完全な獣人になっていた。

「こういう私と狩り合いたかったんだろぉ!? 来いよオラァッ!!」

 獣人核の再生がまだ追いついていないラッカと、痛みにうめき続けるクロネコ。そういう二匹の、泥沼のような傷つけ合いが始まった。

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