第22話 VS黒獅子 中編その1


  ※※※※


 クロネコが迫って拳を放ってくる、のを、今度はラッカが手刀で捌いていく。その手刀を戻す際に肘を伸ばして彼のこめかみを強打。

 緩んだクロネコの胸板を、ラッカは蹴り上げた。

 彼は思わず後ずさる、が、ラッカの追撃は終わらない。その場でジャンプし、彼の喉仏に突き蹴りを食らわせた。

「があ――ははっ痛ってえ!」

 クロネコは口から血を吐き出しながら喜ぶ。そこにラッカは再びジャンプし、二回連続の回し蹴り。彼のほうは背をそらしてかわし、すぐに体勢を立て直す。

 いや、立て直そうとした。

 先に着地したラッカが牽制するように足技を三連撃で飛ばす。クロネコは無理に右拳を出すものの、再びそれを手刀で弾かれ、さらに胸板にキックを喰らった。

 ――ラッカ=ローゼキは、獣人本来の肉体能力が高いせいで目立たないが、本来は筋肉の力を活かした拳主体の戦いよりも、しなやかな股関節の動きでムチのようにしなる足技を得意としている。

 彼女に格闘技を仕込んだ者が人間だからこそ、その特質は花開いていた。

 力弱き者が、わずかでも存在する逆転の目を掴もうとするところに、武術の神髄があるからである。

 が。

 クロネコのほうもまた、既に適応を始めていた。

 ラッカの上限蹴りを避け、下段蹴りを最小限の跳躍でかわすと、彼女の拳をその両手で受け止めた。

「――へし折ってやる」

 クロネコはそのまま力任せに腕を逆の方向へと捻じり回していく。他方、ラッカは抵抗せず、彼の動きに合わせて体ごと後方転回することで関節技を無効化した。腕がそのまますっぽ抜ける。

「ええっ!?」

 驚くクロネコの顔面を、今度こそラッカのハイキックが捉えた。血が飛び散り、歯が抜ける。さらに足を力強く戻しながら、彼の顎を強打。べりべり――と、上顎と下顎を繋ぐ筋繊維に亀裂が走った。そして、この蹴りの往復ビンタは止まらない。

「痛い! 痛い! アハハハ!」

 クロネコはラッカのほうを向く。「最高かよ! もっともっと――ずっとこうやって遊ぼう! ラッカねーちゃん!」

「くたばれ、ボケが!」

 次の瞬間。

 ラッカの後ろ回し蹴りがクロネコの体を吹き飛ばし、窓ガラスが割れ、彼は別のオフィスビルに突っ込んでいった。


  ※※※※


「んひー、やっぱラッカつえ~」

 クロネコはゆっくりと体を起こした。そこはオフィス内のカフェらしく、食品と清涼飲料水をそれぞれ扱う自動販売機と、いくつかの丸テーブルが並んでいた。

 彼は獣人核による再生を確認しつつ、小銭を入れてリラクゼーションドリンクを飲む。

 ――さてと、後半の体術向上をどう考えるべきかな。

 問題は超加速型だ。彼女は発動時にポーズを決めて声に出すことで、最長10秒の時間停止を可能にしている。でもこれはそこまで怖くない。合図があるならその前に回避して、時間切れ直後に強襲すればいいからだ。

 問題は、そういうポーズや発声を必要としないパターンの超加速型。

「ありうると思ったほうがいいんだろうなあ」

 たとえば格闘時に、なんの合図も前触れもなく、0.01秒程度の時間停止を起こして相手を無防備にできるとしたら? 詠唱破棄でクオリティを落とす代わりに不意打ちが可能ならば?

 そして、その発動が先ほどの体術向上に繋がっているとしたら?

 ――答えはひとつ。僕はもうラッカ=ローゼキに不用意に近づけない。

 さて、作戦はふたつ。

 ①ヒット&アウェイで相手の体力切れを待つ。この場合は《盾》も《矛》も使わせまくって、とにかくラッカ=ローゼキの消耗を期待する。

 ②こちらの超再生型のなかから、超加速型を攻略する能力パターンを算出してぶつける。

 どちらかだ。

「うーむ」

 クロネコは首を振った。まず①はメインの戦略としては頂けない。相手の獣人核の性能が分からないのに消耗待ちは弱い。

 だいいち、面白くない。性に合わない。

「だとすると――やることはひとつか」

 彼は再び両手を密教式に合わせた。「『超再生』、発動――」

 くくく、と美少年は笑う。

 自分よりも強い相手と戦うのって、こんなにも楽しくてゾクゾクすることだったか。ラッカが強くなるのをここまで待ってて良かった。

 それは、生まれて初めての感覚だった。

「攻略容易に見えて実は不可能なゲームと。攻略困難に見えて実は可能なゲーム。どちらが意義あるものなのかは言うまでもない」

 そう彼は言った。

「無敵の超加速型を攻め落として、お前の『こんなはずじゃ』ってツラを見てやるよ、ラッカねーちゃん」


  ※※※※


 一方、ラッカはクロネコが吹き飛ばされた方向をじっと見ていた。

 ――あいつは強い。でも、遠くからバカスカ《矛》を撃ちまくるのは適切じゃないだろうな。

 自分が疲れちゃうだけじゃなくって、能力発動による周囲への被害が大きすぎる。

 なら、やっぱり間合いを詰めながら、ドンピシャのタイミングでこちらの最大出力をブチ込む。そのとき超再生型の能力でなにが来るかは――もうこうなったら行き当たりばったりだ!

 そう思い、ラッカはビルの屋上まで階段で上がった。とりあえずは広い視界を確保する、そのためであった。

 が。

 そのとき、ラッカを中心にして空中にいくつもの棺桶が発生した。

「なんだ――これ?」

 ラッカが戸惑うなか、全ての棺桶の蓋がゆっくりと開いていく。なかから出てきたのは、これまで彼女が戦ってきた獣人たちだった。


 最初の1匹目は、堕天使、津島マナオ。「なんだ、またあのクソオオカミじゃん――こいつと戦わなくちゃいけないのお?」

 2匹目は化け狐、戸塚トシキ。「あのときは余計な茶々が入ったけどよお――今度は狩人はいねえ! この女だけでいいんだろお!?」

 3匹目は吸血鬼、紀美野イチロウ。「おめーらァあんまり浮かれんなよ? 弱点を探ってクロネコ様に献上しろってお達しだぜ」

 4匹目は劇場霊、五味ユキオ。彼はなにも言わないままホッケーマスクを被り、電動ドリルを装備した。

 5匹目は偽武人、ハバ=カイマン。「やっとオオカミの嬢ちゃんと再戦できんだ。指示は指示だが――別に倒しちまってもいいんだろ?」

 6匹目は復讐女、クイーン=ボウ。「ハバ、あんたの錠前型でどこかに閉じ込めろ。あとはアタシが廻天型でコイツを潰す」

 7匹目は腐乱姫、浅田ユーリカ(獣人名、ゴシシ=ディオダディ)。

「ユーリカ!?」

 とラッカは声を上げた。「なんで――なんでお前が生き返ってんだ!?」

 その問いに、ユーリカはゆっくりと首をかしげた。

「しらなあい。あなた、だあれ――?」

 と彼女は言った。

 その左目は、エメラルドグリーンに染まっていた。

 ユーリカだけではなく、全ての者がそうなのだが――彼らは文字どおりの意味では蘇生した屍者ではない。クロネコの型で《再生したかのように見える》ただの現象なのである。


  ※※※※


 ラッカは、ただ七体の屍鬼たちを見ていた。

 ――死者を蘇らせることはできない。それは当たり前のことだ。もしそんなことができたら、浅田ユーリカのお父さんはなにも苦しむ必要はなかったんだ。

 つまりクロネコの能力は。

 単純に、今ある有限の物質の組み合わせから《そう見えるように》かつての死者の事象を再現し、自分の意のままに操ることができるだけの力。

「楽しいのかよ?」

 とラッカは呟いた。「こんな風に命を弄ぶのが、楽しいのか?」

『楽しいよ』

 と、遠くからクロネコの声が聞こえた。『自分が殺めた命に囲まれる気分はどうだ。いいだろ。過去に呪われて死ね――ラッカ=ローゼキ』


「呪われてんのはテメエだけだろ!! クロネコ!!」


 ラッカがそう怒鳴ると同時に、七匹全員が彼女に襲いかかってきた。

 ラッカはすぐに跳躍してビルの屋上から離れる――が、その背後に津島マナオが回り込んでいた。飛行型。物理法則を無視した高速の飛翔能力。

 マナオの翼が、ラッカを弾き飛ばした。

「ヒャッハァ!! まずは1ポイントォ!!」

 ラッカはそのまま地面に落ちて、ショッピングモールの床の転げ回る。それに対する追撃は、ハバ=カイマンだった。

「よう嬢ちゃん! リベンジマッチだ!」

「!」

 彼の重い拳を両腕のガードで受け止めて、ズザザザザ――と、足を滑らせるように美術館内に入る。どうやら、人気漫画家の個展が開かれていたらしい。

「『閉じろ』」

 とハバは言った。次の瞬間、全てのドア、窓が閉じ、シャッターが降りてラッカを美術館内に閉じ込める。

「クソ――錠前型か!」

 ラッカが周囲を見渡し、なんとか出口を探ろうとしていると、その視線の先にクイーン=ボウがいた。

「ようオオカミ。ここでゲームオーバーだ」

 彼女はそう笑い、両手を合わせてから手刀を切った。

「『廻天』!!」

 そうして、重力の方向が変わる。ラッカはすぐになにかにしがみつこうとするが、モダンなデザインでつくられた美術館にはツルツルと滑るような壁面しかない。すぐ重力変化のままに、高度50メートルの北方面に向かって落ちていった。


  ※※※※


 紀美野イチロウは、ビルの屋上からその戦いをじっと眺めていた。

「あっけねえなあ、もう終わりかあ?」

 そう言うと、隣に立っている五味ユキオに笑いかけた。「なあおい、オレたちの出番はなさそうだぜ?」

「――そうかな」

 と五味ユキオは答えた。「なにか、イヤな――イヤな予感がする」

 と。

 ラッカ=ローゼキが閉じ込められているはずの建物、その天井に――ギン! と――鈍い金属音が響きながら白銀の光が空に伸びた。

「あ――?」

 紀美野イチロウも、五味ユキオも、その意味は分からない。ただ、横にいる浅田ユーリカだけが、放たれている光の危険性をいち早く察知した。

「あれ、だめ」

 と彼女は言った。「しんじゃう――しんじゃう! みんなよけてえ!!」

 そんな悲鳴も虚しく、白銀の光はキンキンと耳障りな音を立てながら、弧を描くように建物の天井と壁に切れ目を入れていった。

 ビーム。

 いや、ビームですらない。それは時空の断絶を専門分野とする超加速型の応用系のひとつである。

 時空ごと穴を穿つ《絶対貫通の矛》。いまラッカはそれを刃として半径1キロメートルに展開していた。

 紀美野イチロウは、

「おいおいマジかよ、本気出すとあんなこともできんのかあのオオカミ」

 そう思いながら、ひとまずは距離を置くために走り出そうとし、直後、ぼとり――と地面に落ちている自分の右腕に気づく。

「え――あ?」

 白銀の光は、とっくにこちら側にまで届いて紀美野イチロウの体を切断していたのだ。

「あ、あ――ああああ!!!!」

 彼はその場にうずくまり、バタバタと血が溢れ出していく自分の足下をただ見つめるしかない。「嘘だろ――こんなのどう勝てっていうんだよ!! クロネコのボケ野郎!!」

 五味ユキオも浅田ユーリカも、既に退避を終えている。取り残されているのは、紀美野イチロウだけであった。

「イヤだ――!」

 うめきながら振り向く、と、既に美術館の建物は破壊し尽くされており、なかからラッカ=ローゼキがガレキを蹴って出てくる。

 その瞳は、紀美野イチロウのほうを見ていた。

「やめろおおおおああああ!!!!」

 イチロウが叫ぶ、よりも前に、ラッカ=ローゼキは人差し指に中指を添えた新しいピストルの形を彼に差し向けていた。

「《矛》、圧縮」


  ※※※※


 ハバ=カイマンとクイーン=ボウは、ただその光景に冷や汗をかいていた。ラッカの左手から白銀の光が伸びていった、と思うと、それが遥か遠くにいる紀美野イチロウの獣人核を貫いて再殺完了に追いやっていた。

「なんでだ?」

 とクイーンは声を挙げた。「なんでテメエは『廻天』の影響を受けてねえ!?」

 彼女の問いに、ラッカはゆっくりと振り返る。

「重力の向きを変える――それが廻天型の能力だ。それは知ってるよ」

 でもさ。

 重力ってつまるところ、物体の質量が生み出す時空の「歪み」のことだろ? 一般相対性理論。座学で習ったよ、そういうのは。

 廻天型はその歪みに操作を加える。

 だったらそこに超加速型で時空の歪曲を重ね書きしてしまえば、私には物理的な影響がない。

 ラッカはそう言った。

「ハバ=カイマン、お前が『閉じ』たりできるのも物体に対する操作だろ。物体がそこに置かれている時空そのものに穴を開けて切り刻んじまえば、強引に打開できるんだよ」

 勝負アリ。

 ラッカの顔を見て、ハバとクイーンはそれを悟った。

 ならば残された戦略はひとつだけ。できるだけ矛も盾も有効打にならないような接近戦において、ヤツの弱点をひとつを少しでも探ること。

「行くぞ、クイーン!」とハバは怒鳴り、「応ッ!」とクイーンが声を張り上げた。二人とも同時に部分獣化を展開する。

 ラッカのほうも部分獣化を始め、さらに直後、ハバ=カイマンとクイーン=ボウの陰に隠れながら急降下してくる津島マナオの存在を目で追った。

「3対1か――それでもいいよ」

 とラッカは言った。「なるべく型を温存しながら――お前らのことももういちど狩り尽くす!」

 そうして、跳躍。ハバの爪を避け、最初に切り刻んだのはクイーン=ボウの胸だった。

「ガッ、あ、アアアア――!!!!」

 口から血が噴き出る。そんなクイーンは、しかし、最後の力でラッカの腕を握った。「独りじゃ死なねえ! テメエはアタシごとハバに斬られろ!」

「なに言ってんだよ」

 ラッカの表情に、苛立ちが浮かぶ。「お前――とっくに死んでんだろ!!」

 次の瞬間。

 ラッカの爪がクイーン=ボウの獣人核を抉り取り、再殺を完了した。


  ※※※※


「あ――あ――!」

 クイーンが白目を剥きながら、呼吸を止めて仰向けに落ちていく。その姿をハバは見ていた。

 ――クイーンの死を無駄にはしねえ。アイツがつくってくれたオオカミの嬢ちゃんの隙、たとえそれがコンマ1秒だとしてもそこを突いてやる。

「うおおああ!!」

 ハバは後ろから爪を立てて斬りかかる。ラッカはそれを、振り向くモーションもなしにジャンプ→後ろ回し蹴りで牽制しながら回避していった。

「なぜ!?」

 ハバは戸惑う、が、そのカラクリはすぐに分かった――ラッカは自分の目線の遥か遠く先に《盾》を展開し、それを鏡のように、光を反射するギミックとして利用している。

 時空は光の絶対性に従う。光が歪曲するときは時空も歪曲しているということだ――ラッカはその歪みを人工的につくっていた。

「ハバァ! いったん退避だァ!」

 と津島マナオが怒鳴りながら空を旋回する。「こいつただのビームバリア馬鹿じゃねえ! このままだと勝ち目ないってェッ!」

 そうして彼女はハバの左肩を両足で絡めとると、両腕――両翼の運動に任せて彼を避難させる。「誰か足止めしろ! こっちの戦力でいちばん頼りになんのはハバだ!」

 マナオの声に合わせて、上空から二体の獣人が降下してきた。劇場霊・五味ユキオと、腐乱姫・浅田ユーリカである。

「おおかみさん――!」

 とユーリカは言った。「おおかみさんを、ぶっこわす――! おおかみさんをぶちこわせばいい――そしたらくろねこさんがほめてくれる!!」

 ラッカは、そんな彼女の姿を見た。

「ユーリカ」

 脳裏にユーリカとの疑似結婚生活がよぎった。そして、自分の命を守ってくれた彼女のことも。

 そのときのユーリカと、目の前の腐乱姫は違うのだ。前者は不完全に蘇らされた死体にすぎないが、後者はそれですらない。ただクロネコが都合よく再現した「現象」だ。

 頭で分かっていても、心が追いつかなかった。ただラッカ=ローゼキは、全ての迷いを振り切るためにどうすればいいのか、知ってはいた。

 ――オオカミになれ。肉を食い、骨を砕き、心の蔵を呑み込んで脳を噛み千切れ。

 ――ニンゲンの心を持ちながら、ニンゲンであることを諦めろ、ラッカ。彼女は自分にそう言い聞かせた。

「うああああああああ!!!!」


  ※※※※


 次の瞬間。

 ユーリカは「えっ」と声を上げた。腰から下の感触がなくなっていたからだ。代わりに腹のあたりが、熱い、とても熱い――。

 彼女はゆっくりと下を向く。自分の身体が、体長2メートルのオオカミに喰い千切られているのを知ったのはそのときだった。

「あ、ああ、あああ」

 ユーリカは悲鳴を上げた。声を出してから、ようやく激痛が追いついてきた。

「いっ、痛い!? 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!」

《ウオオオ――オオオオ――――!!》

 オオカミは――ラッカは口もとをベットリと血で汚しながら遠吠えを繰り返す。そして、ユーリカの頭部を右腕で掴むと力ずくで、

 ベリベリベリベリベリベリベリベリ――――と、頭蓋骨ごと背骨を胴体から引き抜き、その生命活動を強制的に停止させた。

《ウアアアア――アオオオオ――!!》

 そして、オオカミはその頭蓋骨を津島マナオのほうに投げつける。認識可能、回避不可能のスピードで、ユーリカの真っ白な頭蓋骨はマナオの胸に命中。獣人核を破裂させながら景色の向こうに吹き飛んでいった。

「ウソ、でしょ――」

 マナオは血を吐き出す。そしてラッカを――オオカミを見た。白銀の体毛は返り血にまみれて真っ赤になっている――そして唸り声を上げながら、そのオオカミはゆっくりとひとつの単語を喋っていた。

《ガアアア、アアッ――(超、加速)》

 型の発動である。獣の声を発する牙と舌は、唾液と血が混ざってピンク色の体液を周囲に撒き散らしていた。

「この、バケモンめ――」

 マナオは思わず、そう呟いた。最後の力を振り絞ってハバを蹴り飛ばし、どこか遠い場所に逃がそうとする。彼の方はマナオの意を汲み取って、近場のビルの陰へと移動しようとする。そして、自らもまたワニの獣人体に戻ろうとしていた。

《たった一撃でいい!》

 とハバは思った。《たった一撃だけでも、ラッカ=ローゼキの弱点を見つける攻撃さえできりゃあこっちの勝ちなんだ!!》


 数秒後。

 体長6メートルのワニの体は、細切れにされて六本木の道路にバラバラに撒き散らされていた。その獣人核をオオカミは右後ろ脚で踏みつけ、残りの敵を睨みつける。

《ウウウウ――! ウウアア――!》


  ※※※※


 残りの敵――五味ユキオと戸塚トシキは、既にどこかに姿を隠している。ラッカ=ローゼキは耳を澄ませ、定期的に鼻をひくつかせて匂いを辿った。

 ――どこだ?

 そう思っていると、やがて足元の地面がズズズ――と音を立てて揺れ始めた。分かりやすい地震ではない。巨大ななにかが地下を蠢いて、少しずつ地盤を柔らかく沈めているような感触。

《――下か!?》

 ラッカが気づいたと同時に、半径1メートル・全長20メートルのミミズが地面を割って飛び出る。そのまま彼女の体に巻きつくと、しなやかなムチのように空高く伸びていった。

《ギ――ギギ、ギギギ――!!》

 ミミズの体が徐々にオオカミの体を絞め上げていく。《オオカミィ――まだだ!! まだボクたちは負けてない!!》


 五味ユキオには、まだ戦う手段が残されていた。

 ――オオカミの武器は主に時空断絶を利用したタイムストップと、その応用による《矛》と《盾》だ。だが、その矛は今のところ穿通と切断という形でしかこちらに振るわれていない。それしかイメージできないのか、あるいは無意識に好むスタイルがそれなのか――いずれにしろ彼にとっては好都合だった。

 五味ユキオは群体型の獣人。己の肉体を極小のミミズに分割させることもできるし、元に戻すこともできる。だから、穴を空けられても切り刻まれても問題はない。そのたびごとに獣人核は移動する。

 ――以前は焼かれることで負けた、それさえ避ければボクはまだ戦える。オオカミの弱点を探り当てるまでは死ぬことはできない!

 五味ユキオはそこまで考えてから、ミミズとしての全身をしならせてオオカミを遠くに投げつけた。

 近くのビルに衝突し、貫通、さらに次のビルに衝突し、貫通――と、ラッカ=ローゼキは東京の上空を放り出されていく。そのたびにガレキが舞って地面に降り注いでいった。

 そんな軌道の最後に待ち構えていたのが、体長2メートルあるキツネの獣人、戸塚トシキだった。

《オオカミ死ねコラァッ!!》

 トシキの回し蹴りがオオカミに命中。

《ガ、ア、アア――ッ!》

 と呻き声を上げながら、オオカミは血反吐を吐いて大通りを転げ回った。

《ヘヘッ、ざまぁ~~!》

 トシキはそう嘲笑ってから、不意に、自分の足を見た。

 人差し指と中指の間に切れ目が入っていて、そこからスッと切断線が脛、膝、腿、腹、胸そして首筋にまで走っていた。

《ああ?》

 思わず声を出す、が、そうしている間にも彼の肉体は切断線に従ってズレていった。血がバタバタと溢れていく。

 ――オオカミはキツネに蹴られたその瞬間、反撃の矛を既に出していたのだ。

《クソッ》

 トシキはそれだけ言うと、切断線が脳まで走った時点でその思考と生命活動を止めた。

 再殺完了。


 ミミズは――五味ユキオは、弱っているオオカミを追い詰めるべく地べたを這って疾走していた。

《まだだ、もっとダメージを! もっとダメージを!》

 そうして、ラッカ=ローゼキの前に姿を現す。《勝負はこれからだ! オオカミ女! ボクを切るか? 穴を空けるか!? 全ては無意味だ!》

 五味ユキオは、高揚していた。いちどは敗北を喫した相手とまだ戦えている、それが楽しかった。

 ところが。

 不意に、ラッカの背後にある大型百貨店のビルが目に入った。いや、実際に彼の視界を捉えていたのは、その壁面に貼られている派手な宣伝ポスターだった。

 ――歌姫スウィーテのメジャー復帰シングル、そのタイトルと発売日を示す文字に囲まれて、彼女の美しい顔がプリントされていた。


『ありがとうを言うには、遅すぎたから』(2024、2、14リリース予定)


《スウィーテ――? ボクのクリスティーヌ――?》

 と五味ユキオは呟く。

 その瞬間、彼の関心は彼女だけになった。《そうか、そうなのか、また歌えるようになったのか。――ハハ、良かった!》

 ミミズは身をよじらせる。

 その姿をオオカミは、黙って見ていた。

《なあオオカミ女!》

 とミミズは――五味ユキオは、オペラ座の怪人は歌うように言った。《ボクのスウィーテがまた歌えるようになったよ! よかった! 本当によかった! だって、それだけが望みだったんだ!!》

《ああ――そうだな》

 オオカミのほうは、ただ、全身に力を入れるだけだった。


《超加速展開、絶対防御の盾》


 次の瞬間。

 二枚の時空の《盾》に挟まれて、ミミズはその全てを押し潰されるようにして死んだ。笑顔だったかどうかは分からない。

 再殺完了。

 オオカミは――、なにも言いたくない、なにも考えたくない苦しみのなかで彼の死体をただ眺めていた。

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