第21話 VS黒獅子 前編その3


  ※※※※


 獣人たちがクロネコに煽られて暴れ出してから、もう何十時間が経過したか分からない。そういう寒空の晴天下だった。

 誰の吐く息も白い。ヒトも、ケモノも。

 イモリの獣人である男と、ヒキガエルの獣人である女は適当に狩った人間の肉をそこらの火で焼き、百貨店から盗んだ調味料を振りかけて口に運んだ。

「あ、これ美味いわ!」

「マジでえ? アタシにも一切れちょーだい!」

 そんな会話をしながら、二匹はこれまでの道中で始末してきた人間を積み重ね、服を脱がせると毛を剃り、皮を剥ぎ、大刀で骨からこそげ落とした肉を鉄の大串でつついて、キャンプの焚火で炙りながら口に運んだ。

「しかし、東京のヒトザルどもも随分減っちまったな」

「アタシらが食いすぎた? ハハッ」

「いや、避難に成功したヤツらも相当数いるんだろ。よしんば逃げられなかったとしても、都か国が用意したシェルターなりなんなりがあるのか」

「なーんだ、つまんねーでやんのー」

 ヒキガエルの女はモソモソと成人男性の太股をウェルダンで喰いながら、そこらのコンビニにあった缶ビールを軽く飲み干した。

 そんな彼女を見ながら、イモリの男は俯いた。

「――クロネコは本当にこれがやりたいのか」

「あ? どういう意味だよ?」

「クロネコはオレたち獣人を煽って蜂起を促した。ヤツは獣の国の獣の王になる予定と言ってた。

 オレたちも最初は浮かれ騒ぎで祭りに乗じたが――これで良かったのか?

 こんな風にヒトザルどもを追い詰めて食い散らかし続けたあとに持続可能な社会なんて来そうにないぜ。アイツらは勝手に増えるわけじゃねえからな。どこかで限界が来て他国の干渉を受ける。

 だとすれば――クロネコは見境なしのバカなのか――それとももっと他に目的があるのかだ」

 イモリの男がそう言うのを、ヒキガエルの女は舌を出して拒んだ。

「いいだろ別に! そんなのどっちだって! アタシはせいせいしてんだからさ! ずーっとこうやってヒトザルを自由に殺れる生活が理想だった! アンタにも会えた!」

 ヒキガエルの女は、それからフッと笑った。

「退屈でもしてんならよ、その避難民とやらを狩り尽くす遊びでもしようぜ。どっちが多くキル数稼いだかで勝負だ!」

 そんな風に女が指を立てると、男のほうも、疑念を捨てて苦笑するしかなかった。

「ああ、そうだな――オレも、あんたに会えてよかったよ」

 そんな二人の間を、冬の東京に特有の、刺々しいだけの乾いた風が吹いた。髪が揺れ、焚き火が消えそうになった。まだ街路樹にしがみついていた茶色の枯れ葉が一枚だけ道の向こうに消えていくのを、二人はなんとなく目で追った。

 その視線の先に――単眼スタイルのバイクが見えた。

 こちらに向かって、猛スピードで近づいてくる。

 やがて、爆音が二人の耳に届いてきた。

 HONDAのSB1300SF SPを、さらに猟獣用にカスタマイズした完全なる殺傷用二輪車である。マシン名は《Wolfish Darkness》。非売品。

 そこに乗っているのはオオカミの獣人、警視庁獣人捜査局第七班専属猟獣、ラッカ=ローゼキだった。

「なんだ、ありゃ――?」

「こっち来んじゃねえ?」

 こちらが戸惑うのも無視して、ラッカは、そのままイモリの男とヒキガエルの女の前にバイクを滑らせると停止した。

 フルフェイスヘルメットを脱ぎ、二輪から降りる。

 イモリが「誰だ!?」と叫ぶと、ラッカのほうは、ほとんど無表情のままで首を向けた。

「このあたりが六本木で合ってる? なんか適当に走らせちゃったや」

 とラッカは言う。イモリ男のほうは、目の前の少女がなにを喋っているのか分からない。

「はあ?」

「私、クロネコに呼ばれたから来たんだよ。――お前らはアイツの仲間か?」

「なんだテメエは、テメエも獣人か? なんの用だよ」

 イモリの男は凄む――が、そのとなりで、ヒキガエルの女のほうは顔面を真っ青にしながら彼の腕にしがみついた。

「? どうした?」

「こ、こいつ!! オオカミ!! オオカミだよコイツは!! 獣人のくせにニンゲンの味方をしてるっていう女!! ひ、ヒトザルどものほうに寝返っているクソカス!!」

「ああ?」

「てっ、テレビで見たから知ってるっ!! こいつには勝てないっ!! 勝ち目ないっ!! 逃げなくちゃ――早く逃げなくちゃねえっ!!」

 ヒキガエルの女は彼の腕をぐいぐいと引っ張る。おそらく反応としては彼女のほうが正しい。が、イモリの男のほうは長いあいだ人間を狩り続けてきた

 豪遊生活のせいで、自分が危機に陥っていることに気づいていない。正常化バイアス。

「そのオオカミとやらがなんの用だァ!?」

 と、イモリは声を張り上げた。「今からクロネコに土下座してニンゲンを保護してもらうように頼むつもりか!?」

 それに対して、ラッカは返事をしない。ただ、二匹の獣がその場に積み上げてきた人間の死体の山を眺めてから、ふっと、目線を戻しただけのことである。

「いや、いい」

 とラッカは言った。「お前らがクロネコの味方かどうかは、もう訊かない。――どっちにしろだから」

 それから彼女はゆっくりと左手をピストルの形にして、イモリの男の脳天に照準を合わせた。

「『超加速』」


「ハァ?」


 と、イモリの男は呆れ声を出しながら、自分の視界が宙を舞っていることに気づいた。ヒキガエルの女の悲鳴が聞こえる。彼の首が、静止した時間のなかで切断されて東京の空をくるくると回転しながら自由落下しているからであった。

 同時に、二匹の獣人核が爪により破壊。

 ラッカ=ローゼキは必要最低限の動きで、目の前にいる獣人たちの戦闘能力と行動選択の余地を殺いだ。

 獣の死体が道に転がる。

 ラッカは「超加速」の能力をゆっくりと解いてから、その場でくすぶっていたキャンプの火を消して、うずたかく積もっている人間の死体の山にただ手を合わせた。

 数十秒後、彼女は顔を上げ、


「クロネコォォォォオオオオ!!!!!!!!」

 と怒鳴った。

「テメエ今どこいんだコラァァァァ!!!! さっさとブチ殺してやっからその薄汚ェツラ見せてオモテ出やがれクソがアアアア!!!!」

 

 彼女の咆哮が木霊する、と、その声に引き寄せられて六本木近辺に身を寄せる獣人たちがワラワラと姿を見せてきた。

「こいつ、さっきクロネコの名前呼んだ!?」

「敵じゃん! 敵じゃん!」

「オオカミ! この女ァ、あのオオカミだ!」

「裏切り者! くっせえくっせえ裏切り者!」

「強いんでしょ!? ねえ強いんでしょ!?」

「俺らと同じケモノなのに――ニンゲンの味方してるイカレ女!!」

 獣人たちが――およそ人間時代からそこまで知能も高くないだろう――ヘラヘラ笑って、ニンゲンの骨つき肉をムシャムシャ喰いながらながら出てくるのを、ラッカはただ眺めた。

「クロネコ――お前がつくりたいのはこういう国かよ」

 と彼女は呟いた。ただ、ハラワタが煮えくり返るという気持ちであった。

「だったら全部、私がブッ壊してやる」

 そうラッカは言いながら、再び左手をピストルの形にした。


  ※※※※


 同時刻。

 六本木ヒルズレジデンス。11億円するマンションの部屋で、クロネコはアイスティーを飲んでいた。キッチンのほうでは、神柱ホシゾラが料理をつくっている。

 テレビはもうなにも放送していない。そこで、昔から好きな映画のDVDをセットしてそれを流していた。

「誰も気にしてないと思うけど」

 とクロネコは言った。「『ファニーゲーム』の犯人たちは、作中では、ウソの動機と悲しい過去を語る。それは観客を茶化すための意地悪なんだけど――でも、じゃあ本当の動機はなんなんだろう?」

「へっ?」

 神柱ホシゾラは、卵を割ってフライパンのなかに落としながら素っ頓狂な声を上げた。「えっと、監督もそういうのは決めてないんじゃないですかね――えへへ」

「いや、僕は監督とか脚本とかのことを言ってるんじゃないよ。このフィルムのなかでだけ生きてる、この登場人物の話をしてるんだ」

 クロネコはそこまで言ってから、少しして振り返る。

「ごはんできたー?」

「はっ、はいクロネコ様~!

 トースト2枚にブルーベリージャム、それからスクランブルエッグと肉厚ベーコンいっぱいの朝ごはんです!」

 神柱ホシゾラが引きつった顔を浮かべてそう言うと、クロネコは微笑んで「いいね、おいしそう」と応えた。

「ホシゾラ、今日は手のひら灰皿はやめてやるよ?」

「ほっ、ほんとですか!? えへ、ホシゾラ嬉しいです~~!」

 彼女は涙をこらえながら、クロネコのそばで、いつ首を切られるかもしれない恐怖に震えながら、彼の身の回りの世話をさせられていた。

「あっ、あの、朝ごはんを食べたらクロネコ様はどうするんですか?」

「んー?」

 クロネコはトーストをかじりながら、不意に、窓の外を見た。一瞬で、瞳の険しさがケモノのそれになる。まるでそれは、あらゆるものを蹂躙する獅子のような。


「やっと来たか、ラッカ=ローゼキ。待ってたよ」


 クロネコはそう言うと、スクランブルエッグをいそいそをかき込んでから「カシャン」と音を立てて、瞳の瞳孔の形を「切断」にした。

 次の瞬間、

 六本木ヒルズレジデンス、その窓ガラスが全て枠から切り離されて空中に飛んだ。

 強い風が室内に入り込んでくる。

「ひ、あ、ああああ!!」

 と神柱ホシゾラは悲鳴を上げてその場にうずくまった。クロネコはそれを見て、

「ははは!」

 と無邪気に笑うだけだ。

「おいしい朝ごはん、ありがと。ホシゾラ」

「ひ、え、えあ、ええええ?」

「ホシゾラ、お前さあ、あんな無意味な豪邸で退屈な人生を送るよりも、今日みたいに誰かに尽くしてごはんをつくったり、お洋服を洗濯したり部屋を掃除したりする人生のほうが楽しそうだよ?」

 クロネコは、ほとんど無邪気にそう言った。「みんなそうなんだよ。能力もないくせに不分相応な立場に憧れたり、見合わない夢に執着したりするから雑魚は苦しむんだ。お前ら弱者は真の強者に前に首を垂れて、それを喜びにすればいい。どうせゴミなんだから屈服を生きがいにすればいいんだ。

 それが要するにヒトザルどもの幸せなんだから――そして、そのときが来たら強者に狩られて死ぬんだ」

 それからクロネコは、ガラスのない窓に近づき、窓枠にエナメル質のシューズをかけて階下を見下ろす。全43階の35階。

 彼はそこから身を乗り出した。「ワクワクするなあ――自分より強いケモノに挑むのは何年ぶりかな? いや、初めてかも」

 そうしてクロネコは、地面に向けて自由落下した。全てはラッカ=ローゼキに、すぐに会うため。長い黒髪が全て逆立ってオデコがあらわになる、そんな空気のなか美少年は微笑んでいた。

「うはは! 楽しみ~!! ぜってえ勝ってやる!!」


  ※※※※


 やがて地面が近づいてくると、カシャン、とクロネコの左目に漢字の「浮遊」が浮かび上がった。ふわりと体が重力に逆らって、一瞬だけ空中で止まる。

 再び左目の漢字を「切断」に戻し、彼は着地した。

 ――ふう。

 クロネコは殺気がするほうに向かって歩いていく。

 数分後、遠くに少女の人影が見えた。

「やあ、ラッカ=ローゼキ」

 とクロネコは手を振った。それに気づいたのか、ラッカのほうも歩みを止める。

「ここが集合場所で合ってた?」

「合ってるよ? ――どうせ不意打ちとかするタイプじゃないと思ってたからねえ、気配がするほうにこっちから出向くつもりだったんだ」

 そうクロネコは答えた。これは本当だ。

 記録されている限りではあるが、ラッカはこれまでの全ての戦いで敵と対話を試みようとしている。おそらくその時間を今回もつくるだろうと彼は思った。

 それともうひとつ――クロネコが保有する能力のなかにカウンタータイプの型があるかもしれないことを彼女は警戒して、いきなり《矛》を展開することはないだろう、というクロネコ側の予想もあった。

「まあ、そうだね」

 とラッカは言った。「クロネコ、そもそもお前に不意打ちは効かないだろ。そういう強さだと思った」

「ふうん、そう?」

 それから二人は、互いに互いを見た。

 ラッカ=ローゼキは白い髪を後ろでまとめ、まるで美少年のように整った表情のなか、蒼灰色の瞳をまっすぐ相手に向けていた。

 真冬だが、戦いを見越して装いは身軽である。白いTシャツの上にライダースジャケットを羽織って、ジーンズにミリタリーブーツ。

 いっぽうのクロネコは黒く艶のある髪をそのまま伸ばして、まるで美少女のように愛らしい顔立ちに、エメラルドグリーンの双眸でニコニコと微笑んでいた。

 グレーのYシャツと漆黒のスーツを合わせて、足下はエナメル質のシューズ(仕込み刀つき)。

 身長は互いに同じ程度――171~2センチメートル。女としては高く、男としては低いほう。

「じゃあ、本題に入るけど」

 とクロネコは手を差し出した。「手を組むっていう選択肢はないの?」

 そんな彼の言葉に、ラッカは返事をしなかった。代わりに、

「ここに来るまでに他の獣人たちを見たよ」

 と話し始めた。

「へえ」

「ニンゲンを狩って殺して回ってた。生きてる人間はどこにもいなかったんだ。どの建物もカラッポで――お店は荒れ放題、オフィスで仕事をしている人たちもいない。こんなのまるで――」

「文明の死骸だ」

 とクロネコが言葉を繋いだ。「ヒトザルどもがせっせと頑張って建ててきたこの街がアイツら自身の歴史にピリオドを打つ巨大な墓石で、卒塔婆の山だ」

「楽しいのか?」

「ん?」

「そんなガレキの山に囲まれながらケモノの大将やるのが楽しいのかって訊いたんだよ、クロネコ」

「楽しいよお?」

 クロネコは真っ白な歯を見せて笑った。

「見ろよ、いい景色だろ。うざったいニンゲンがいなくなったら、こんなに東京も見晴らしがいいんだ。それに音楽もね――あの音楽ってヤツが大嫌いでさあ。キンキンわめくヒトザルの声が聞こえなくなった街って最高。

 ラッカはそう思わないのか?」

 ラッカは彼の問いに対して、表情を変えなかった。

「だったら」

 と彼女は言った。「明日からまたこの街に、ロックンロールが爆音で流れるようにしてやるよ、クロネコ」

 クロネコは、さらに笑顔になる。

「――心配しなくても、新しい部下を用意したりはしてないよ、ラッカ=ローゼキ。僕ひとりと、僕の意のままに操れる屍鬼だけで相手してやる。いま僕たちを遠くからコソコソ観察してる残りの獣人たちだって手出しはしないよ。

 なんでだと思う?

 ――僕の強さを見たヤツらなら、勝つのは僕のほうだとみんな分かってるからさ」

 そう言って、クロネコは拳を握る。

 同時にラッカも手のひらを閉じた。

 そして二人は――あるいは二匹は、ほとんど同時に相手に向かって駆け出した。

 不思議な感覚。

 クロネコはすぐに「超再生」型を発動せず、ラッカもまたすぐには「超加速」型を発動しなかった。

 一方の力は、あらゆる獣人の能力のコピー。

 他方の力は、全ての獣人の能力のオリジン。

 なぜそうしなかったのか、二人とも簡単に言語化できるわけではない。小手調べ? そうかもしれないが、ただ、こんな風に思っただけだ。

 ――すぐに決着はつけない。完膚なきまでに負かせて膝を突かせたら、その魂ごと狩り尽くしてやる!


 互いの攻撃が届く射程距離内に入る、と、先に姿勢を低くして拳を繰り出したのはラッカだった。軽めの左ジャブ。クロネコはそれを手刀の要領で外に払い、もう片方の拳で当て身を狙う。

 キュッ、キュ――と、ラッカのステップは迅速にその攻撃を躱しつつ、牽制の右ローキック。クロネコは膝を上げてガードすると、その左膝を下ろす――のではなく、そのまま膝関節の柔らかさを利用して、軽めの蹴りに転じた。

 ラッカは彼の爪先をモロに胴に喰らう――と思いきや、彼の足を自身の膝と肘で挟んで止める。

「ひゅう!」

 クロネコは嬉しそうに口笛を吹く。

 ラッカのほうは、防御に使わなかったほうの左腕でまずクロネコに拳を当てる。

 パン!

 と小気味いい音を立てて、クロネコの頭部に攻撃が命中した。

「チッ」

 だが、大したダメージには至っていない。彼女自身の姿勢が万全な状態ではなかったこともある、が、クロネコのほうが顔面を前に差し出し、急所をずらし、パンチが伸びきる前の地点で故意に技を受け止めてしまったからだ。

 まずは体勢を立て直す――戦いにおけるごく自然なラッカの動きを、クロネコのほうは見逃さなかった。

 間合いをグイッと詰め、引き締めた脇からの真っすぐな正拳突き。ラッカはそれを両腕でガードするが、それは同時に横からの攻撃に脆くなってしまうことを意味する。

 彼はさらに回し蹴り。

 エナメル質のシューズが、彼女に命中した。

 かと思った。

 ――はは、すげえ。とクロネコは喜ぶ。

 ラッカは彼の蹴りを、キックボクシングの要領で屈んで回避。そしてコンマ数秒で身を起こすと、パン、パン、と、クロネコの顔面に再度パンチを当てていく。

 ――痛い、とクロネコは思った。誰かに殴られて痛いなんて、いつぶりの感覚だろう。

 彼は楽しくなってきて、少しだけガードも回避もゆるめた。ただ無防備に、ラッカの拳を受け続ける。

「――――!!」

 ラッカは歯を食いしばりながら、今度は少し《タメ》を入れてストレートパンチを繰り出してきた。今がチャンスだ、と、力んでしまったのだろうか。

 クロネコは、ふふっ、と微笑んだ。

 ――ダメだな、ラッカねーちゃん。勝とう勝とうと思いすぎるとそこが隙になるよ、勝負は楽しまなくちゃ。命の狩り合いなんだからさあ。

 クロネコは、ラッカのストレートに合わせて自分も拳を繰り出した。獣人核による驚異的な再生力で、彼にはもともとダメージなどないに等しい。


 結果、ラッカとクロネコの頬には、同時に互いの拳が当たった。


 二人とも、後ろに吹き飛ばされる。ラッカは蹴られた流れに身を任せるままバックステップし、さらに距離を置く。クロネコのほうは、両脚に力を入れるとなるべくその場に留まった。

「ウォーミングアップはこのくらい?」

 とクロネコは言うと、両手をゆっくりと転法輪の相に結ぶ。

 ラッカのほうは、それに合わせ左手をピストルの形にした。


「『超再生』」

「『超加速』」

 二人がしびれを切らしてようやく型を発動するのも、奇しくも同時のことであった。


 ラッカは薄気味悪さを覚えながら、停止した時間のなかを動き回る。

 先ほどまでいたはずのクロネコが見当たらない――ヤツはどこへ消えた!?

 停止時間10秒台の最後、彼女は跳躍した。どこか見晴らしのいい場所に移動し、敵を動きを掴むため。

 しかし、タイムアウトの直後に、クロネコはすぐ背後に姿を現した。

「なに!?」

 ラッカは空中で身をよじり、振り返る。クロネコの左目には漢字の「追跡」が刻まれていた。

「10秒ぴったり」

 とクロネコは微笑んだ。「スピードと移動距離から逆算したラッカの時間停止範囲はそのくらいか。だったら僕は同時に超再生を発動、姿を消して、こうやって隙が出来た瞬間に近づけばいいんだね――!」

「――!」

 ラッカはすぐに左手を再びピストルの形にする、が、クロネコの高速の手刀がそれを許さない。

 バシ!

 と、鈍い痛みとともにラッカの左腕が弾かれた。

「!」

 次にクロネコは両手でラッカの両手で襟首を掴むと、勢いよく頭突き。それを立て続けに三回ほど繰り返す。

「油断した?

 強い型の獣人って、即席の対策を立てられた瞬間がいちばん脆いんだよな」

 彼は舌をペロリと舐めてから、近場のビルにラッカを思いきり放り投げた。

「まだ気絶だって許さないぞ~ラッカ!! もっともっと遊ばせろよ!!」


  ※※※※


 ビルの窓が割れ、ラッカは建物内のオフィスをゴロゴロと転がった。

 観葉植物の鉢が吹き飛ばされ、モニターがガラスの破片によって壊されると、スケジュールを描き込まれていたホワイトボードがバタリと倒れる。

 ――そこには、おそらくその会社が予定していたのだろう新年のソフトウェア開発計画が素描されていた。

 赤字でこう書いてある。《〆日ギリギリ! いいもんつくろう!》

 ラッカは起き上がりながら、それを見た。

 

 クロネコが、同じオフィスに入ってくる。

「ラッカは弱いニンゲンを守るために戦うの?」

 と彼は訊いてきた。「だとしたら、いまラッカを苦しめてるのはそのニンゲンの弱さなんじゃないかな?」

「あ?」

「自分で自分の身を守れない。誰かに助けてもらうしか能がない。そうしてピーピー泣いて喚いて文句ばっかり言ってる、そんなニンゲンの弱さがなければ、ラッカだって戦わなくて済むのにね?」

 クロネコはそう言ってから、一瞬だけ、本気で悲しそうな表情を浮かべた。彼の視線の先には、デスクに置かれた家族写真立てがある。

 彼はそれを掴むと、床に投げ打った。

 ばりばりと、写真を守っていたガラスが割れる。

「こいつらに、なんの義理立てがある? 弱さはこの世で最も醜い悪だ。その罪は強者からの捕食によってのみ償われるべきだ――違うか? ラッカ=ローゼキ」

 ラッカは、ゆっくりと立ち上がる。

 口のなかに溜まっていた血を、ぺっ、と床に吐き捨てた。

「なあクロネコ――この会社、なにつくってたんだろうな?」

「? さ~あ。知ってるの?」

「私も知らないよ。私ひとりが知っててもつくれないようなものを、きっと皆でつくってたんだろうな?」

 とラッカは言った。

「お前の話、面白かったよ。弱いヤツは強いヤツにやっつけられるのが償いになんのか?」

「そうだよ。それこそが罰、正当な自然の裁きだ」

「――は、そうか」

 ラッカは再びファイティングポーズを取る。

 超加速型のベーシックな時間停止では、クロネコの超再生型が有している応用可能性に適応しきれない。ならば、ここからは《矛》と《盾》を使う――そういう表情であった。


「クロネコ――だったら弱いお前は、強い私にブッ飛ばされて、あの世で自分の正しさを噛みしめてろよ」


 彼女がそう言うと、クロネコは、さらに紅潮しながら笑顔を浮かべた。

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