第20話 VS摩天楼 後編その6


  ※※※※


 クロネコはハイライトを咥えて、ゆっくりと煙を吸った。そして、灰がこぼれそうになる前に神柱ホシゾラのほうを向く。彼女は四つん這いになって、クロネコのための肉の椅子になっていた。そんな彼女の背中に、クロネコはジリジリとタバコを押しつけた。

「ああああッ、あッ痛ッああ!!」

「痛いか? ヒトザル」

 クロネコは微笑んだ。「奴隷商人の神柱ホシゾラ。なんでお前が人生に退屈してたのか教えてやるよ。――痛みが足りないからだ。痛んで、傷ついてる間は、退屈しないだろ――充実するだろう――幸せだろう?」

「あ、う、熱ッああ――あああ!」

「くっくくく」

 クロネコは立ち上がると、ホシゾラの髪を掴んで起き上がらせ、目線を合わせた。「おいメスザル、目を合わせろ――目を合わせろ!!」

「ひぃっ、ひ、あは、ひいん――」

「ん?」

 彼女が死への恐怖に狂いながらヘラヘラ笑っているのを見ながら、クロネコは微笑んだ。「お。よく言うこと聞けたね~。へーいGood Girl, Good Girl――イイ子でちゅよ? あはははは。ヒトザルはみんなそうやってりゃいいんだ」

 それからクロネコは、摩天楼にある獣人奴隷の監獄を訪れた。ボタンを押す、と、全ての牢獄のドアが開く。

「お前らは自由だ!」

 全個室直通のスピーカー越しにクロネコは怒鳴った。「これから外に出てやりたいことをやれ! 全てはこれから獣の国を統べる獣の王、クロネコの名のもとに!!」

 彼が言うと、獣人奴隷たちはおずおずと牢屋の外へ出てくる。

「『超再生』、発動」

 とクロネコは言った。左目がカシャンと音を立てて揺れると、瞳孔が漢字の「昇天」という文字になる。

 ――フラミンゴの獣人、昇天型、脅威度C級。任意の自他を、天井の存在を無視して下から上へと上昇させるだけの力(ただし、上から下へと降下させることはできない)。

 クロネコの能力発動に合わせて、獣人奴隷は宙へ浮かぶと、ゆっくり、クロネコとホシゾラのいる地面に辿り着く。

「よう」

 そう言うと、クロネコの左目がさらに、カシャン、と揺れて漢字の「切断」になった。

 そして次の瞬間、獣人奴隷たちの首についていたシルバーリングが、バッサリと斬られて床に落ちていった。

「これが解放だよ?」

 とクロネコは笑う。「お前らは今から殺したい相手を好きなだけ殺し、犯したいメスもオスも好きなだけ犯し、食いたい肉を好きなだけ食う――その、権利がある。これが獣人の真の権利だ。暴れろ!」

 彼の言葉にワンテンポ遅れながら、獣人奴隷たちは、ああ、あああ、と、拍手と歓声を上げながら神柱邸を出ていった。

 東京を全て血祭りにするために、である。

「じゃ、ホシゾラ。僕たちも外に出よう」

 そう言うと、クロネコはまたタバコを吸った。ホシゾラは泣きながら、あとをついて両手の平を灰皿の形にしながらついていく。クロネコは煙を根元まで吸わないタチなので、すぐにホシゾラの手のひらに火を押しつけた。

「あ、熱ッ、ああ、痛いッ、イタいいい!」

「どうだ? ヒトザル、退屈しないだろ?」

 クロネコは笑った。「お前とその一族の口座から全部カネを出すまでは生かしてやる。それまでは灰皿芸くらいできるようになっとけよ?」

 そして、

 クロネコとホシゾラが神柱邸を出ると、門の前に一台のベンツが停まっていた。待っていたのはワニの獣人ハバ=カイマン、ボノボの獣人ハツシ=トゥーカ=トキサメと、ミミズの獣人である五味ユキオだった。

「おー、お出迎えありがとね」

 クロネコが笑うと、ハバ=カイマンが頭を下げた。ハツシ=トゥーカ=トキサメをうやうやしくお辞儀をする。五味ユキオは、ただ、バツが悪そうに横を向くだけだった。

 ――そんな五味ユキオの右目もエメラルドグリーンの色に染まって、「再」の字が瞳孔に刻み込まれているのだが。

「なあハツシ?」

 とクロネコは声をかけた。「いつまで両目を糸で塞いでるんだよ? 早く外せば?」

「ああ、これは失礼しました」

 ハツシは両方のまぶたを糸で縫って塞いでいる。今、それをスルスルと外していった。両方の眼に、「再」「生」の字が刻まれている。それを隠すための紐だったのである。

「申し訳ございません、ワタクシ、もう既に2回死亡しており、あとがありません――!」

 ハツシが笑うのを聞きながら、クロネコはベンツの後部座席に乗り込んだ。ホシゾラも連れていく。

「おーし、今から打ち上げいくぞ~!」


  ※※※※


 西日暮里。

 その日、初めて大通りの前に大衆居酒屋のノレンをかけた店長がいた。「よーし、今日は開店初日! どんなお客さんでもどんと来いだぜ!!」


 同時刻、クロネコたちはゆっくりとそこに近づいていた。

「あ、ハツシ」とクロネコは言った。「通行人をみんな『啓蒙』させちゃおう」

「かしこまりました」

 ハツシは、ゆっくりと両手を広げると歩きゆく人々にフェザータッチで触れていく。「『啓蒙』、発動。今からこの場で、ニンゲンたちには殺し合って頂きたく存じます」

 次の瞬間。

 通行人が思い思いの武器を持って――あるいは素手で互いに殺し合う。

 

 そんな血みどろの景色をうしろに、クロネコは大衆居酒屋の前で足を止めた。「ここ美味しそうじゃね?」

「おう」

 ハバが扉を開く、と、既に外の乱闘騒ぎを聞いて怯え上げている店長が、出刃包丁を握りながらクロネコたちを迎えてくれた。客は誰もいない。

「な、な、なんだお前ら」

「よう大将っ!」

 とクロネコは微笑んだ。穏やかな笑顔になるとき、彼は本来の中性的な美しさを存分に発揮する。「ビール5本と、あと、オススメなにかある?」

「え、えあ――」

 店長はクロネコと、ハバと、ハツシと、五味ユキオと、そしてすすり泣いている神柱ホシゾラを見ながら、

「あー、あのいちおう、明太だし巻きとかオススメなんですけどお――」

「じゃ、それで!」

 店長が冷や汗を流しながら準備する間、クロネコたちは運ばれてきたビールを互いに注ぎ合っていた。「それじゃあ、かんぱーい!」

「クロネコさん、美味しいですねここの店」

「ね? よかったよねえ!」

 クロネコは朗らかに笑い、ぐびぐびとサッポロ黒ラベルを飲み干した。

「くーっ! この一杯のためにヒトザルをブチ殺してるみたいなもんだよなあ!!」


 ――打ち上げ!? と店長は思った。

 え、こいつら獣人で、外で騒ぎ起こして、その打ち上げをここの店でやってんの!?


 店長は歯をガタガタを震わせながら、少しでも自分の恐怖心を和らげようと、USENの放送をオンにした。

「おお、音楽も流れんのか!」

 とハバは言った。「良い店だなぁ、クロネコ殿。こんど他の仲間も呼んでこようや?」

「いいねえ!」

 クロネコは白い歯を見せてから、「あ、ユキオさんも食べなよ。ほら。おいしいよ?」と箸を彼の口もとまで運ぼうとした。

 が、

 五味ユキオのほうは、ただ、店内に流れるJPOPに心を奪われているかのようだった。

 それは、スウィーテ(本名:岡部クリス)の《ウルトラマリン》という曲だった。

「なんだろう」

 と五味ユキオは呟く。「な、なにか大事なことを――大事なことを忘れてるような気がして――」

「ユキオ?」

「な、なにか――な、なんでこんなに心が揺れるんでしょうか?」

「ユキオ!」

 クロネコは五味ユキオの顔を掴むと、自分と向き合わせて頬を優しく撫でた。

「オペラ座の怪人よ。君はもう辛いことや苦しいことは思い出さなくていいんだよ? 僕が蘇らせるときに脳を削って忘れさせてあげたんだからさ」

「あ、ああ、あ――」

「ユキオおじさん? 僕のことが好きだろ? 僕の綺麗な顔で見つめられると嬉しいだろ? あはは、ほっぺにチューしてやろっか?

 ――それでいいんだよ」

 ぜんぶ忘れて? 辛いことなんか。

 クロネコがそんな風に見つめると、ユキオの視線はすぐに濁って、スウィーテの曲で思い出せそうになっていた記憶を遠くに取り逃がす。

「あ、ボク――ボクはいったい――」

「まあまあミミズの旦那!」

 ハバ=カイマンは五味ユキオの肩を抱いた。「今は飲もうや。なあ」

「あ、うん――そ、そうですね」

 ユキオは苦笑いをしながら、さらに運ばれてきた冷奴とキュウリの漬物とフライドポテトと焼き鳥をテーブルのちょうどいいところに置く。神柱ホシゾラだけが、ただ、震えながらひとつも箸をつけられないでいた。

「死んじゃう、死んじゃう――あたし死んじゃうの? こ、こんなに簡単に――?」

「怖くてゾクゾクするだろ?」

 クロネコはホシゾラの眼を覗き込んだ。「ドキドキするだろ? 他人に自分の命を握られてるのって――早く食べな?」

 それからクロネコは、豪快にジョッキを飲み干して、「大将! ビールおかわり!」と言った。

「さーて、そろそろ獣人捜査局が反撃に来るぞ~!!」


  ※※※※


 同時刻。

 ラッカ=ローゼキは、警視庁獣人捜査局のロビーでタバコを吸っていた。となりに、病院着を着たイズナ=セトが歩いてくる。

「体はもういいの?」

「獣人核による再生はまだ充分ではありません。獣化、部分獣化、型の使用――今は全て不可能です。ですが、休んでいるわけにもいかないので」

「――そっか」

 イズナはラッカの横に座ると、自分も赤マルボロを取り出して咥えた。

「メロウ=バスから聞きましたが、組織はひどい損壊状態です。

 獣人捜査局局長、猟獣のギボ=ジンゼズを含めて死亡。

 第一班、全員死亡。

 第二班、班長を除いて全員死亡。その班長の志賀レヰナさんも行方不明です。

 第三班、全員死亡。

 第六班、班長のショーゴさんを除いて全員死亡。そのショーゴさんは全身の骨を折られて病院搬送。

 第七班にも負傷者が出たと聞いています――佐藤カオルさんが戦闘不能とか」

「ああ、うん」

 ラッカは頷いた。

 ――つまり、警視庁獣人捜査局で完全に無事なのは第四班と第五班だけになってしまったというわけだ。

「私がもっと早く強くなってれば、こんなことにはならなかった?」

「――は?」

「もっと早く『超加速』を使いこなせてれば皆を守れたのかな。――いや、そうじゃなくても、もっと早く現場に辿り着いていれば――」

 そんな風に声を沈めていくラッカの頭を、イズナは、

 軽くゲンコツで殴った。

「痛っ!?」

「思い上がらないでください」

 イズナは煙を吐くと、灰皿に灰を落とす。「なんのために私たちがチームを組んでいるんですか。誰が欠けてもパフォーマンスを失わないためです。

 ラッカ、あなたは自分ひとりで全てを背負って戦ってるつもりですか?」

「――――!」

「生き物はしょせん、自分の爪と牙が届く範囲でしか命を守れません。あなたはそれが私たちより大きいだけの、ただの一匹です。

 ――大いなる力には、大いなる無責任で付き合っておかないとパンクしますよ。抱え込みすぎないでください」

 そうイズナが言うと、

「――ごめん」

 とラッカも素直に謝れた。


 と、そこで第四班と第五班の各班長、中村タカユキと笹山カズヒコが歩いてきた。

「おう、イズナちゃんにラッカちゃん」

 とカズヒコが手を挙げた。――目が赤い。おそらく誰かの死に動揺してしまったということだろう。

「各班の動きが決まった。まず、ボクらは第七班の日岡トーリくんを仮局長として動く。クロネコのドアホのアジトが判明次第、第四班と第五班で強襲をかけて全員駆除する予定」

「えっ」

 とラッカは声を上げた。

「私は?」

「オオカミの嬢ちゃんは第七班といっしょに警視庁の死守。イズナちゃんも体が治り次第そこに合流。そっちのほうが大事になってきててな?」

 カズヒコがそこまで言うと、中村タカユキが丸眼鏡の位置を直し、言葉を繋いだ。

「残念ながら、今の警視庁獣人捜査局はクロネコ派の襲撃を受けて致命的な人員不足だ。そこで各都道府県の獣人捜査局に応援を要請している。

 だが、いつ到着して再組織化が終わるかは分からない。いずれにせよ、もともと優秀な猟獣は東京が独占してたんだ。――大した戦力増強は見込めないだろうな」

「そうですか」

 イズナは二本目のタバコに手を伸ばした。

「問題は」

 と中村タカユキは言った。「この危機に関して、防衛省が祁答院内閣総理大臣の承認を経て状況介入を考えてるらしいってことだ」

「は?」

「いま、都内では獣人たちが暴動を起こしてる。獣人に操られてるらしい人間たちも。これについて完全対応できる手段が、今の警察組織には存在しない。

 獣人捜査局以外の警官にシルバーバレットを渡しても上手くいくかどうか。――そこで祁答院アキラは対獣人特別事態宣言を出し、自衛隊に俺たちの装備を明け渡すように言っている。

 それから、米軍との連携も仄めかしてるそうだ」

 祁答院アキラがもともと公約に掲げていたのは、猟獣の軍事転用――獣人の完全な生物兵器化だ。それをもって旧共産主義圏の脅威を抑え、テロリストとアナキストを牽制することによって国際秩序での存在感を示す。

 クロネコ派のつくりあげた混沌が、皮肉にも、その決定を後押しする状況を生み出してしまったんだ。

「いや――あるいは」

 と中村タカユキは口もとを手で抑えた。「もしかしたらクロネコは、そういう国内情勢の混迷を見越して今回の騒動を起こしてるのか――?」

「なんですか、それ」

 イズナはゆっくりと立ち上がった。「そんなことをしたら、この国は米国の思惑に取り込まれて余計に取り返しのつかないことになりますよ」


 ラッカは、皆がなんの話をしているのかよく分からなかった。だから、最初に目が合った笹山カズヒコに向かって手を挙げる。

「それって、なんかマズいの?」

「ん? ああ、そうか、オオカミちゃんはまだ日本の事情がよう分かってへんかったな」

 カズヒコは頭をボサボサとかいた。「もしもアキラ首相の方針が通ったら――全部の猟獣はまず自衛隊に送られるようになる。そんとき率先してサンプルになるのは、オオカミちゃんや」

「――え?」

「これも最近分かったことやけど、祁答院内閣はオオカミちゃんの能力を、あくまで国家のコントロール下に置ける程度に留めていたかった。それで猟獣訓練も必要最低限にするよう要請出してたらしいわ。

 ――全てはラッカちゃん、キミを戦場でも使える武力にしておくためやってん。

 でも――そんな風に積極的平和主義を推し進めれば、旧共産圏の独裁的国家と、中東のテロリストを刺激するだけ。今まで軍隊があったところがやるのとはワケが違うわ、いきなり猟獣を引き連れた新規モンがおでましやからなァ――。

 そうなったらますます日本は欧米列強との共依存をやめられんくようになる――下手したらエエように取り込まれるわ。

 したら最悪、この国は戦後からやり直すことになる」

 そこまで言ってから、カズヒコはラッカ=ローゼキの目を見つめた。

「ラッカちゃんはどうしたい? 軍隊に入ることになってもええか?」


「わからない」


 とラッカは答えた。

「私は、トーリといっしょに、ニンゲンの味方をするって決めたから。それ以外のことはよく分からないよ。

 ニンゲン同士が狩り合いをするのは知ってるし、ダメだなんて言いたくない。そういうものだと思うから。でも今の自分がそこに入ったら、どっちの味方をすればいいのか分からなくなっちゃう気がして、怖い」

 ラッカがそう言うと、カズヒコは、

「そうかい」

 と肩をすくめた。

「んじゃ、祁答院アキラが寄越す防衛省のお役人さんに対しては、いったん全ツで対応でいこかあ?」


 そんな会話が終わった直後のことだった。

 会議室から、第七班班長・日岡トーリとビーコルニ=リノセロが出てきた。

「あの」

 とリノセロは小声で言う。「クロネコ派のアジトに行く方法が分かりました。すごい難しかったですけど――あたしに破れないセキュリティはありません――」


  ※※※※


 ビーコルニ=リノセロとホワイトボードの前に、残り少ない捜査員たちが集められた。

「とんでもなく堅牢な門でした。――でも獣人の諜報系能力は人間の情報処理能力の延長ですから、特徴を聞けばアクセスできます」

 とリノセロは言った。「門は3つ。最寄り駅は、必ず8番出口から出ること。ホテルのエレベーターは、必ず決められた順序で昇降ボタンを押すこと。そして指定の階に着いたら、いちど部屋を間違えて本当の部屋番号を教えてもらうこと――です」

 リノセロによれば、全ての門には罠がある。最寄り駅の8番出口を出るためには、あらゆる異変を察知したらすぐに引き返し、それ以外の場合は、決して引き返してはならない――ルールを守らない場合、別の出口から駅を出ることになり、自分の目的地が8番出口だったことすら忘れるという。

 エレベーターのほうは、4階、2階、6階、2階、10階、5階の順番でボタンを押し、5階で乗ってきた人間には話しかけず、1階を押す――この時点でエレベーターは10階へと上昇していく。

 そして1029号室のチャイムを鳴らし、「夏目さんのお部屋ですか?」と訊くと、男性の声で、「正岡さんの部屋はXXXXだよ」と回答が聞こえる。

 その部屋番号がクロネコのアジトである。

「都市伝説とホラーゲームと少年漫画の悪趣味な合わせ技ってところだな」

 そうトーリは呟いた。

 それに対して、イズナはボソッと「まあ、いわゆる『ステーキ定食を弱火でじっくり』ってやつですね」と言った。

 ラッカには元ネタが分からない。

 トーリはリノセロのほうを向く。「ありがとう。これでクロネコたちの残党には対応できると思う」

「――お礼は、イズナさんに言ってください」

 と彼女はうつむいた。「あたしだって獣人だから、人間は嫌いです――でも、あたしを助けてくれたイズナさんの役には立ちたいと思ったんです」


  ※※


 話を聞きながら、田島アヤノが小声で「ねえねえ」と山崎タツヒロに耳打ちした。「獣人の諜報系能力が人間の情報処理能力を越えないって、どういうことだっけ?」

「アヤノ、講習忘れたの?」

 タツヒロは眼鏡の位置を直した。「獣人の型は人間の能力を越えることはできないんだ。あくまで、人間が時間と技術をかければ実現できる結果を短縮するだけ」

 そしてその《短縮》に一点突破した能力が超加速型――ということは、タツヒロは言わなかった。

「あー、そうだった」

 とアヤノは手を合わせた。「つまり、型月で言うところの魔法はできなくて、魔術しかできないってことだね」

「あ、あーえ? じゃあ、その理解でいいけど」

 タツヒロは、少し汗をかいた。


  ※※


 クロネコは大衆居酒屋でたっぷり酒を飲んだあと勘定を済ませて、

「んじゃ、どっかホテルで二次会キメますかあ!」

 と朗らかに笑った。外の街は既に半殺しの死体と、放火された建物と、逃げ惑う人々で溢れている。

「ん?」

 とハバ=カイマンが首を傾げる。「クロネコ殿、いつもの宿にはいかねえのかい?」

「ああ――それは」


 と。

 そこまで喋ったあと、クロネコは頭を抱えてうずくまった。

「が、ああ、ああああ――!!」

 左目から血が涙のように流れ出して、止まらない。そして、カシャン、カシャン、カシャンと、何度も音を立てながら瞳孔の形が変わる。

 超再生型の弱点。

 条件を満たした獣人の型を自らに取り込むことはできるが、それは、そいつの殺戮衝動を脳内へと無理やり格納していることを意味した――それが毎回のように、耐えがたい苦痛と自我の崩壊を伴う。

 瞳孔の形が次々に、『工作』『風神』『諜報』『散漫』『延長』『彷徨』と形を変えていく。

 やがて鼻血もとめどなく垂れていく。「がああっ、ああっ、痛い、いっいいたいっ、がああ――!!!!」

「クロネコ様?」

 ハツシ=トゥーカ=トキサメが寄り添い、背中をさすった、が――クロネコの苦痛はまだ止まらない。瞳孔の形がさらに混乱していくと、一時停止しなければ分からないような速度で、『不安』『孤独』『死』『寂寥』『口唇期』『辛苦』『誰か』『誰か僕を見て』『誰か僕に構って』『遊んで』『実存』『反復強迫』『母親』『恋人』――と、ほとんどノイズのように形を変えていった。

 その間、クロネコの左目からはずっと血の涙が溢れ続けていた。

「ひい」

 とホシゾラは声を上げ、あとずさる。

 そこからクロネコが落ち着くまでに、32秒かかった。彼は頬の血涙を手の甲で拭ったあと、

「――ああ、もう大丈夫。マヨナカたちの魂は僕のものになったよ」

 と答えた。

 クロネコはこんな風に、他者の殺戮衝動を受け入れるたびに自身の人格と記憶を失っていく。それが最凶のA級獣人であることの代償だった。

「どうも獣人捜査局が、ビーコルニ=リノセロを奪取してアジトを襲ったんだ。――こんなにも大量の魂が流れ込んできたってことは、全滅だね。僕たちは逃げて、そこから立て直そうか?」

 そうして、クロネコはよろよろと歩き始めた。


 ――別にいいんだよ。

 と彼は思った。

 ――必要なのはアイツらの型なんだ。だったら、僕が持っていたほうが都合がいい。

 いつ裏切るか分からない部下よりも、僕が甦らせた屍鬼でいてくれたほうが操りやすいんだ。それでいいよ、なにも問題はない!

 ――僕は、僕はただ、僕よりも強いオオカミのねーちゃんと楽しく遊べれば――それだけでいいんだから!!


  ※※※※


 ほぼ同時刻。

 ビーコルニ=リノセロの攻略ルートにしたがい、第四班と第五班はアジトを強襲。なにひとつ警戒していなかった獣人に、冷酷にシルバーバレットを撃ち込んでいた。

 逃げ出そうとする者もいたが、メロウの結界型により出口は封鎖。

 そして近距離戦を挑んでくる獣人に対しては、サビィの破裂型が猛威を振るう。ただ手のひらで触れるだけで地雷を埋め込む能力。そんな単純な能力の前で、もはや抵抗できる武闘派勢力は、クロネコの後方支援サイドには残っていなかったのだ。

 アダム=アダム=アダム死亡。

 アノ=バリアテ死亡。

 トーボエ=ピル死亡。

 フカミ=アイ死亡。

 全員即死である。


 こうして、獣人捜査局とクロネコ派はほとんど痛み分けのように、互いの命を削り合った。

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