第20話 VS摩天楼 後編その5


  ※※※※


「が、ああッ――!!」

 イズナ=セトは蹴り飛ばされた勢いのまま壁に打ちつけられると、そのまま血を吐いてうつぶせに倒れた。

 ――誤算だった。まさか風神型によるパワーの蓄積がここまで大きいとは――!

 刃を突きつけられた瞬間に即時対応できるスピード。そんなもの、もう敵うはずがない。

「ああ、ぐ」

 イズナが地面に伏せると、

「イズナさあん!!」

 と絶叫する声が聞こえた。

 サイの獣人、脅威度A級、ビーコルニ=リノセロの悲鳴である。彼女はただ泣き喚きながらその場にへたり込むと、なにもできない、ただの子供のように震えていた。

 ――26歳、戦闘経験などなにもない小娘なのだ。

「勝負アリ。――えーと、隠密型だっけか?」

 とヴァンデ=ブラは笑う。「流石は獣人捜査局最優と言われる獣人だ。良い能力してやがる。だがまあ、条件が悪かったなあ。今のオレは何キロメートルもバイクを走らせて風を受けたフルスペック。これならA級、それこそクロネコ殿にさえ引けは取らねえってもんよ」

「なにを――」

 イズナは、肘を地面につけ、膝を立てて、息も切れぎれながら強引に自分の身体を起こした。

「ノックダウンを、一発入れたくらいで、調子に乗らないでください――勝負はこれからです!」

 そう言った。

 が。

 次の瞬間、唐突なめまいに襲われると、イズナは鼻と口の両方から大量の血液を吐き出した。

「げ、ええええ、えッ――!」

 うずくまり、血が出るままに任せてえずくと、イズナは再び地面に転げ倒れた。

「な?」

 とヴァンデは言う。「さっきのオレのライダーキックでお前の内臓は一個か二個、確実に破壊されちまってる。獣人核による再生はまだ間に合ってねえだろ。決着はついてんだ――諦めるんだな」


 そこへ、ノコリ=マヨナカも合流してきた。黒髪の姫カットに軍服姿の女。

「なにアブラ売ってんの? ブラ」

「おお、悪いなマヨナカちゃん!」

 ヴァンデは頭をかいた。「コソコソ倒すのは性に合わねえからな、時間かかってご覧の有り様だよ! でもちゃんと始末はしたぜ?」

 それから彼は、獣人本来の残酷な笑顔を浮かべた。

「んで、そっちはどうよ?」

「――終わったよ。獣人捜査局第六班は全滅させた」

 マヨナカはそう答えてから、右腕で引きずっていた男を地面に転がした。オールバックに銀縁眼鏡――獣人捜査局第六班の班長、橋本ショーゴである。腕と足をあべこべの方向に折られていた。

「班長はこのとおり」

 とマヨナカは呟いた。「ただのニンゲンにしてはなかなか良かった。他班の数と配置を聞きたいから、いちおう生かしておいたけど、用が済んだら始末する」

「ほーお、そうかい」

 そんな風に二人が談笑しているのを聞きながら、イズナは、ただ目を見開いていた。橋本ショーゴが、ショーゴさんがこんなにもアッサリとやられる? それが信じられなかった。

 橋本ショーゴは、ただ、うめきながら這いつくばっている。

「イズナ――!」

 と彼は言った。「悪い、計算外だった――そこにいる女――クロネコ派んなかでもいちばん強い!」

「ガタガタ喋ってんじゃねえよヒトザルがァ!!!!」

 マヨナカはショーゴの脇腹を勢いよく蹴り上げる。ショーゴはただ、「がっ」と息を漏らすように声を出しながら転げ回った。

「クソ獣人捜査局がよォ! クロネコ様の邪魔ばっかりしやがって! あとで残りの仲間も無事にあの世に送ってやるから安心しやがれ、カスが!」

 そう言うと彼女は軍服のボタンを外し、内ポケットに忍ばせていた戦利品をバラバラと地面に落とした。

 警察手帳と、人肉の耳である。

「え――?」

イズナが戸惑う前で、マヨナカはニヤニヤと笑った。

「耳塚って言うんでしょ? こういうの。豊臣秀吉が始めたんだっけ? まったくヒトザルは残酷なことばっかり思いつくよねえ、はは」

 耳は四個。それは、橋本ショーゴとイズナ=セトを除いた第六班捜査員の数だった。警察手帳もちょうど四冊。

 西城カズマ。享年26歳。

 白石ルミネ。享年24歳。

 河野タイヨウ。享年28歳。

 我孫子リンタロウ。享年32歳。

「じゃーん。全員ご臨終でーす」

 とマヨナカは薄ら笑いを浮かべていた。「安心しなって、お前らもすぐあとを追わせてやるからさあ。――第一班、第二班、第三班が全滅したのと同じようにね?」


  ※※※※


 思い出すことがある。

 イズナ=セトが獣人研究所を出て、橋本ショーゴのもとに配属されたのは15歳のときである。それまでの間、彼女は暗闇のなかで繰り返し思想教育用のビデオを見せられ、そしてサブリミナルのように橋本ショーゴの画像を網膜に焼き付けられていた。

「お前は猟獣だ」

「ただの獣人ではない。人間のために生き、人間のために戦って死ぬ生物兵器。それがお前だ」

「そしてお前は、橋本ショーゴという男を愛している。復唱しろ。『私は橋本ショーゴを愛している』『私は橋本ショーゴを愛している』『私は橋本ショーゴを愛している』『私は橋本ショーゴを愛している』」

 そんなカリキュラムを受けながら、イズナ=セトは獣人研究所での半生を終え、スーツに腕を通して髪をバッサリ切ったあと、生身の橋本ショーゴと出会ったのだ。

「よろしくお願いいたします。本日より獣人捜査局第六班専属猟獣になりました、イズナ=セトです」

 そう彼女が言うと、ショーゴのほうは、

「ああ」

 と生返事をして、車に乗り込んだ。

「?」

 イズナは首を傾げる。「事件の現場ですか? それとも実地訓練かなにかでしょうか?」

「ああ、いや、うん」

 とショーゴは曖昧に答えた。「ちょっとプライベートの用事があってな。イズナ、お前もついてこい」

「承知しました」

 そして連れられたのが、病院だった。そこでは、ショーゴの妹である橋本アイコが眠っていた。

 ショーゴはオールバックの髪を下ろし、花瓶のなかの華を入れ替えると、優しげな表情で妹の頬を撫でた。

「先週よりも、顔色がいいな。――お兄ちゃんだぞ。今日は、ほら、仕事の部下も連れてきたからな」

 そう言って、眠り続けている妹に、ショーゴはただ一方的に近況報告を続けていた。

「これは、意味があることなのでしょうか?」

 とイズナが訊くと、

「医者がな。なにに反応して意識を取り戻すから分からないからとにかく話しかけたほうがいいとよ」

 とショーゴは答えた。「イズナ。おれがもし死んだら妹は独りだ。そのときはお前が定期的に見舞いに行ってやれ。そのために今日は案内したんだ」

 そんな彼の、寂しそうな顔をイズナは見つめた。

 ――私の彼に対する愛情は、獣人研究所が植え付けた偽りの感情だ。

 そう理解していても、ただ、イズナは、今のこの気持ちだけは自分のものだと思った。

「安心してください、ショーゴさん。

 ショーゴさんは死にません、私が守りますから」

 そうだ。

 ショーゴさんは死なない。死んではいけない。いつか植物状態の妹が目覚めたとき、彼女をひとりぼっちにしないために、生きなくてはいけないのだ。

 そのために私がいる――イズナはその日そのとき、自分が戦う意味を知った。


  ※※


 そして、現在。

 イズナは血反吐を吐きながらうつぶせに倒れ、ショーゴは両手足を折られた状態で突っ伏していた。

「ニンゲンの長所は」

 とマヨナカは言った。「私たち獣人と違って、個々の我を抑えて、全体のために統率を取れるところ。協調性と同調圧力。多数のために少数を切り捨てる冷静さ」

 でもそれが短所でもある。

「合理的な作戦は、言い換えれば、合理的に推測可能だからね。お前らがA級獣人の奪取を目的としていることが分かった時点で、お仲間との集合場所も、装備もだいたい察しはついた。

 ――あとは、あたしは有利なポイントから『工作』型を発動すればいいだけなんだよ」

 だから、お前ら獣人捜査局第六班は全滅したんだ。

 彼女はそう言ってから、ショーゴの肩を踏んだ。「他の仲間はどこにいるの? 第七班は? 他の班はどこでなにをしてる」

「が、あああ、ぐ――」

 ショーゴが苦痛に顔を歪める――そんな姿を見て、イズナは再び立ち上がった。

「やめろ!!」

「あ?」

「ショーゴさんに手を出すな!! 私はまだ負けてない、私はまだ――」

 そこまで叫んでから、再び吐き気が襲いかかり、イズナはまた大量の血液を鼻と口から漏らす。「う、ぼ、ええええ」

 それを手のひらで受け止めながら、無理やりに呑み込んだ。彼女を眺めていたヴァンデが顔をしかめ、

「おいよせよ。息してんのもやっとだろうが。あんまり見苦しいサマ見せんなら、オレがとどめを刺すぜ?」

 と言った。

「やっでみろよ――! 三下ァ!」

 イズナは彼を睨みつける。「ショーゴさんに、手を出すな。ショーゴさんは、これからも生きなくちゃいけないんだ――ショーゴさんは、私が守るんだ――」

 よたよたと、彼女は歩き始める。もちろん、戦闘能力など残っているわけがない。

 マヨナカは、ひく、と頬を引きつらせた。そしてイズナに近づくと、ただ黙ってストレートパンチを顔面にお見舞いする。

「が、ああッ――!」

 イズナは地面を転げ回る。

「ほんと猟獣って哀れだよね。脳ミソいじくられて、好きでもないニンゲンの男なんか好きになって、そのために命を投げ出すんだから」

 マヨナカが嘲笑まじりにそう言うのを、イズナは鋭い眼光に殺意をにじませながら、ただ見つめた。

「黙れ」

 そう言って、また立ち上がる。もはや、脳にも臓器にもマトモに酸素は回っていない。意識は切れる寸前であった。

「私の気持ちは、ウソなんかじゃない。ショーゴさんのことは、私が守る。ショーゴさんには、妹がいて――彼女がいつか目を覚ましたときに、彼女をひとりぼっちにしちゃいけないから――だから私は、戦う!」

「ピーピーうるせえんだよ色ボケがよ!!」

 マヨナカはさらにイズナを殴った。

 今度は彼女は倒れない。足を踏ん張って、ギリギリで耐えている。

「だからなんだよ、お前はもう負けてんだよォ!! あはっ、惨め~!! ほら、今度は右の拳で思いっきり殴りま~す!! 次は左の拳で顔面パーンチ!! あとは、おなかキッ~ク!!」

「あ、ああ、――あ」

 イズナは血を撒き散らしながらあとずさる――あとずさるのだが、それでも倒れようとしなかった。ハァハァと息を切らしながら、なんとか、膝をつかないようにしていた。

「マヨナカちゃん、やめろ」

 とヴァンデは言った。「こいつはもともとオレの獲物だろうがよ。それに、大した根性だぜ。いたぶるのはやめにしようや?」

 彼は微笑むと、イズナの前に立った。「今度は獣人核に風穴を開けてブチ殺してやる。良い勝負だったぜ。最後に言いたいことはあるか? オレが、お前の他のお仲間に直々に伝えといてやる」

 そう拳を握りしめると、

「ない」

 とイズナは言った。


「私は――負けないから、最後の言葉を言う必要が――ありません」


「おお~! 最後までイカす女だな、惚れたぜ!」

 とヴァンデは笑った。「分かったよ、きっちり終わらせてやる!」

 そんな彼と、イズナと、マヨナカを、A級獣人ビーコルニ=リノセロは泣きながら眺めていた。

「だめえ」

 と彼女は言った。「い、イズナさんがっ、イズナさんが死んじゃう! やだあ!」

 そんなリノセロに、ヴァンデがふっと向き直った。

「悪く思うな。これが獣の狩り合いなんだ。生きるってことは、別の誰かをブチ殺すってこと。それが世界の掟ってわけ。

 頼むから、オレを嫌いにならないでくれよ――この勝負が終わったら、まあ、美味いメシでもいっしょに食おうや?」

「やだあ!!」

 リノセロは叫んだ。イズナのほうは、もうなんの反応もしない。

 血反吐を出しすぎて、立っているのがやっとというところだ。

「誰か助けて!!」

 リノセロは手を組んで、わけもわからず叫んだ。「いっ、イズナさんが死んじゃうのはヤだよお!! あ、あたしを助けてくれたひとが死んじゃうのはヤだあ!!

 誰か助けて!!

 誰でもいいから!!

 誰かここに来て――なんとかしてえ!!!!」


  ※※※※


 そのとき。

「ごめん、遅くなった」

 という少女の声が聞こえた。


  ※※※※


「え?」

 ヴァンデの片腕が、バッサリと切断されて吹き飛んでいた。そして、彼の顔面に拳が入ると、そのまま壁に向かって転がっていく。

「は?」

 マヨナカはすぐに警戒態勢を取ろうとした――が、遅かった、胴体に重い回し蹴りが入ると、血を吐きながら駐車場方面にゴロゴロと倒れていった。

「あ、え、へ?」

 リノセロは、呆然と見つめていた。

 唐突に表れた少女を。

 彼女は白色の髪をうしろでまとめ、黒のジャケットにダメージジーンズ、ミリタリーブーツの簡素なファッション。太い眉と、蒼灰色の鋭い瞳。目鼻立ちの整った顔が男勝りな印象を与えるその表情、それは、まるでヒトではなく血に飢えたオオカミのよう――。

 風にドッグタグが揺れて、光る。その光が、彼女のための明かりになった。


「お待たせ。――で、とりあえず誰をブッ飛ばせばいいの?」


 警視庁獣人捜査局第七班専属猟獣、ラッカ=ローゼキがそこに立っていた。


  ※※※※


 オオカミ?

 クロネコ様よりも強い――あのオオカミが!?

 倒れて転げ回りながら、マヨナカは慌てて顔を上げた。

「なんで――なんであのオオカミがここにいる!?」

「さあ」

 とラッカは答えた。「トーリに連絡したら、このあたりで戦ってるって聞いたんだ。だから『超加速』を繰り返して、バイクに乗って、やっと辿り着いた」

 ラッカはそう言ってから、イズナと、ショーゴが倒れているのを見た。そして、地面に散らばっている人肉の耳と警察手帳を。

「お前らがやったのか、クロネコ派」

「あ、ああ――!?」

「――イズナたちをいじめたのも、人殺しも、お前らがやったのかって訊いてんだよ」

 質問する彼女の眼は、とっくにケモノのそれになっていた。

「だったら――」

 とマヨナカは歯ぎしりする。「――だったらなんだってんだよ! クソオオカミ!」

 工作、オン!

 マヨナカは自身の能力、工作型を発動する。サンゴチュウの獣人、脅威度B級。自分の眼で見て手で触れて機構を理解した武器であれば、耐久性九割落ちの状態で即時再生できる。

 ラッカの周囲、その空中に、無限の刀剣と銃火器が生成された。

 ――耐久性九割落ち。剣は振るえば折れ、銃は弾切れすればリロード不可能。だがそれを制約とすることで、マヨナカの工作型は射程距離30メートルを実現した。

「360度、逃げられるもんなら逃げてみろよ! ラッカ=ローゼキィ!!」

 マヨナカは手をクイッと曲げると、それを合図にして刀剣20本超が即時に射出され、銃はトリガーを引かれ、全てがラッカ=ローゼキを狙った。

「あ、わ、あ」

 リノセロは頭を抱えて、それを眺めるしかない。


 が。

 ラッカには、傷ひとつつかなかった。

 全ての銃弾と刀剣が、ラッカの皮膚に触れる寸前のところで動きを止め、その場に留まっていたからである。

 ――絶対防御の盾。

 時空の断絶。まるでそこが世界の果てであるかのようにあらゆる物体は運動を止める。ゆえに、盾の展開中は、ラッカにはあらゆる物理攻撃が通用しない。

 マヨナカは、それを知らなかった。

「なんで――?」

「もちろん、弱点がないわけじゃないよ。すぐ疲れちゃうって分かったし」

 とラッカは言った。「だけど、今すぐお前を狩れば関係ないことだよな」

 そう呟いてから、拳を握りしめた。


 と。

 ヴァンデ=ブラが意識を取り戻して戦線復帰。

「まずはオレと戦えよ! オオカミガール!!」

「あ?」

 振り向くラッカに、ヴァンデはシャツを見せる。蹴られた部分が破れ、プリントされた風車は見る影もなくなっていた。

「強いヤツは好きだ! だがな、オレのほうはまだ風神型の蓄積でパワー充分! 手合わせ願おうか!」

「別にどっちが先でもいいよ」

「ほう、じゃあヤる気にさせてやるぜ」

 ヴァンデはニヤリと笑うと、イズナを指差した。「あのイタチ女の内臓をブチ壊したのはオレのライダーキックだ!」

「――あ?」

「お前が来なけりゃ、さっさとトドメを刺せたのになあ!! ヒハハハハ!」


「てめえ!!!!」


 ラッカがヴァンデに狙いを定める、と同時に、ヴァンデはサービスエリアを出て高く跳び上がった。

「ライダー、ジャンプ!!」

 彼は叫んだ。バッタの脚力。空に上がって優位に立ち、しかも、どこからでも得意のライダーキックをぶちかませる。おまけに風を受けることで風神型がさらに発動。一石三鳥の最強作戦だ――ヴァンデはそう思った。

「どんだけオオカミが強くてもよお――高度60メートルには届かねえだろ!!」


 しかし。

 ヴァンデの目の前に、その、跳躍したラッカがいた。

「あ?」

「届いたぜ、クソバッタ野郎!」

 それから、ラッカの拳がヴァンデの顔面にクリーンヒットする。

「が、ああ、なんで――!?」

 疑問を頭に浮かべながら、ヴァンデはラッカの足元を観察した。

 まるでレンズがそこにあるかのように、彼女の両足の下だけ景色が歪んでいる。

「そうか!」

 ヴァンデは吠えた。

 さっきの絶対防御の盾! マヨナカの猛攻を止めるほどの、時空断絶による超バリア! こいつ、それを自分の足元に展開して階段だかエレベーターみてえにここまで昇ってきたってわけか!!

 マジかよ、この女、ただ型の強さに頼ってるわけじゃねえ――そこからの解釈拡大と応用がハンパねえ!!

 公式をただ暗記するだけではなく、裏側の原理を理解しているからこそ、いくらでも展開できるように。

 ラッカの強みは「超加速」そのものというより、その意味を咀嚼して矛と盾を使いこなす発想にあった。

「オラァ!!」

 空中で、ラッカの拳がヴァンデの顎を砕く。殴る瞬間だけ0.01秒の時間停止。それが相手を無防備にしてパンチの破壊力を向上する。

「あ、がああ、あ――クソ!」

 ヴァンデが再びラッカを睨むころには、二発目の拳が鼻っ柱に入っていた。

「バッタ――くたばって地面に落ちろ!!!!」

 三発目、四発目、五発目、六発目――全てヴァンデの急所に命中する。

「があっ、ナメんなオオカミ!! 勝負はここから――オレは負けねえ――オレはもうイジメられっ子なんかじゃねえ――仮面ライダーなんだよ!!」

「ワケわかんねえこと言ってんな!」

 仮面ライダーなんか、この世にいるわけねえだろバカ!!

 そこからは、落ちていくヴァンデへの猛ラッシュ。七発八発九発十発二十発三十発――彼の顔面がブドウのように青く膨れ上がり、ラッカの拳にも血がにじんだ。

 そうして最後に、彼女は部分獣化を展開。手の甲から伸びるオオカミの爪で、彼の獣人核を正確に貫通した。

「あ、ああああ、アアアア!!!!」

 地面に激突する頃には、既に彼は瀕死の状態だった。


 ラッカも着地する。

「はぁ、はぁ――」

 ラッカが息を整えている間、ヴァンデは、死に際の笑顔を浮かべていた。

「悔しいが、ナイスゲームだ。強えな、オオカミ女」

「――あのさ」

「あ?」

「仮面ライダーの、なにがそんなに好きなの? オススメはあるの?」

「かはっ!」

 ヴァンデは血を吐きながら、最後のひと言をこの世に残すために、最後の力を使った。

「オススメ――そんなもん聞かれたのは初めてだな。そういうオタ友、いなかったからなあ」

 分かりやすいのでいいなら、オーズとか見ろよ。それがヴァンデの最期の言葉だった。


 ラッカは彼の死を見届けてから、

 イズナたちとリノセロがうずくまっている建物のなかに戻っていく。

 マヨナカは既に戦意喪失。目の前にいるオオカミに敵わないという事実に、脳の処理が追いついていないようだった。

「イヤ――イヤだ」

 マヨナカは震えていた。「こ、こんなところで死? ありえない――私は狩人を皆殺しにできるくらいに強いのに、ま、まだ、クロネコ様の役に立てるのに――」

 そう呟いてから、彼女はラッカを見る。ラッカの瞳はケモノのままだった。

 それは《事情はどうあれ、私はお前を殺す》というラッカの決意を物語っていた。

「ああ、うあ、ああ、いや」

 マヨナカは四つん這いで逃げ出す。もう足腰に力が入らないらしい。「来るな! 来るなよクソオオカミ! 来るなあ!!」

 再び。

 ラッカの周囲に、無限の刀剣と銃火器が配置される。

 一斉掃射。

 だが、全てラッカには当たらない――絶対防御の盾。

「ズルいだろそれぇ!!」

 とマヨナカは泣き喚いた。「な、なんでお前だけそんなに強いんだよお!! 不公平だろマジでそんなんさあ!!」

 マヨナカは、ただ、人間時代の性格を取り戻したように泣いていた。


 ――大学生のころ、ホストに狂わされて死んだ友達がいた。彼女の仇を討つためにそのホストを刺そうとしたら逆に殴り返されて、ボコボコに蹴られ、歌舞伎町の地面に転がりながら彼女は思った。

 もっと強い武器がほしい。もっと、男たちを皆殺しにできる兵器がほしい。

 それが彼女が獣人になった理由である。


「助けてクロネコ様――助けて――!」

 マヨナカが泣きじゃくっていると、ラッカは、「助けを呼んだら、クロネコは来てくれるの?」と訊いてきた。

「え?」

「呼べよ。もっと助けを呼べ」

 ラッカは、ただ、仲間を傷つけられてキレていた。「そのクロネコってヤツを私は今すぐブッ殺したいから、さっさと助けを呼んで連れて来いって言ってんだよ」

 そのラッカの形相に、マヨナカは怯える。


「ああああ!! 助けてクロネコ様ああ!! あはっあははっ!! あたしじゃオオカミには勝てませえん!! なんとかしてえ!! 無敵のクロネコ様だけが頼りなんでえす!!」


 彼女は、ただ叫び、喚き、頭を抱えてうずくまりながら――ボスの助けを求めていた。

 そして、何分経っても、クロネコは来なかった。


 ラッカは歯を食いしばりながら、マヨナカに少しずつ近づいた。

「見捨てられたな、お前」

 そう言って、彼女はその場にあったシルバーバレット入りの拳銃を拾う。

「クロネコ――!」

 とラッカは怒鳴った。「お前、自分の仲間をなんだと思ってんだ!!」


 三秒後。

 銃身がスライドし、薬莢が飛ぶ。シルバーバレットは、マヨナカの獣人核を正確に破壊した。

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