第19話 VS摩天楼 後編その2
※※※※
クロネコが見つめるなか、ワカナは自動拳銃グロック17を取り出すと、安全装置を外してギボ=ジンゼズの右手に投げ渡した。
「使え!」
「アティサミラカウ」
ギボは片手のままでトリガーを引いた。ぱんぱん、と乾いた音が繁華街に響き渡る。クロネコはしなやかな身のこなしで回避。
――銃口の向きを目視してから、バレットラインを正確に想定した上で避けている? たしかに物理的には可能だが、こいつ、体術も他の獣人の比ではないな。
ワカナとギボが追いかけるままに、クロネコは路地裏に入っていく。回避動作の範囲を自ら狭めることでこちらの攻撃を誘い、隙を見て反撃する気か。
「ギボ、撃て!」
「アティサミラカウ」
ギボが連射するのを、クロネコは難なく躱していく。装弾数17発はすぐに底を尽きていった。
「あはは! 遅い遅い~! 大量生産の弾丸じゃ野生のケモノに追いつけないよ!?」
「――そうかな?」
ワカナはニヤリと笑うと、「ギボ、持ち替えろ」と合図した。
「イアフ」
ギボは、全弾発砲を終えてホールドオープンになった自動拳銃グロック17を左手に持ち替えた。
逆行型、発動。彼が左手で触れた物体の運動は逆再生する――つまり、弾丸は「同じ速度と威力」で自動拳銃のほうに戻ってくる。
《ンアッグ》と、発砲音の逆再生が聞こえた、と同時に逆流銃弾がクロネコのわき腹をかすめた。
「うおお!? これが狙いか、すげ~!」
「アダマダム(まだまだ、の逆再生だ)」
ギボはさらに、自分自身の自動拳銃を右手で構えた。そちらでも発砲しながら、左手では、引き続き逆行する銃弾を受け止めていった。
――逆再生銃弾と順再生銃弾の変則二丁拳銃である。
目の前の銃口を見て回避しながら、背後から「戻ってくる」銃弾を意識してそちらを躱すことは至難。
しかも、ギボの側が弾切れになることはない。左手と右手の拳銃を持ち替えれば、すぐに「射出する拳銃」「逆行する拳銃」が入れ替わってマガジンに9ミリパラ弾が戻っていく。
「どうだクロネコ」
ワカナは、さらに自分自身の短機関銃を構えた。「これで銃口は三つだ。いつまで避けきれるかな?」
「うひ~、これしんどいな!」
クロネコは、フッ、と跳躍してさらに奥に逃げた。そこは彼が爆破したビルである。瓦礫に身を潜めて新しい型を試してくる気か?
――バカが! そのときを待ってたんだ!
「ギボ、今だ!!!!」
「アティサミラカウ!」
ギボは、クロネコが逃げようとしたビルの側面に左手で触れた。
逆行型、発動。爆破されたビルの瓦礫が元の場所に戻っていく――ただし、爆破時と同じ速度と威力で。
「今度は逆再生する無限の瓦礫のショットガンだ。どう避ける、クロネコ?」
「うああああああああ!?」
クロネコの悲鳴が聞こえてくる。どうやら瓦礫を避けきれず、体のどこかに命中し、そのまま再生するビルの内側に吹き飛ばされたらしい。
内側、そう、内側だ。本来の爆発は物体を外へ外へと吹き飛ばしていくが、ギボの起こす逆行爆発は、むしろ対象を内へ内へ閉じ込める。
ワカナは、ひとつの雑居ビルが綺麗に元通りになっていくのを見届けてから、
「まだだ、クロネコ。貴様のことは念入りに殺す」
と言った。「ギボ、順再生に戻せ!」
「イアフ」
ギボは、今度は同じビルを右手で触れた。順再生に戻る――つまり、ビル爆発がもういちど同じ威力で起きるということだ。
大爆発。
繁華街の雑居ビルが、もういちど廃墟と化す。
ギボはすぐにワカナを庇い、彼女が爆風に当たらないように避難する。ワカナはその間も爆炎を見つめていた。逆行爆発でビルの内側に閉じ込められたクロネコが、今度は、順行爆発を食らったわけだ。
そうそう耐えられるダメージではあるまい。
煙が広がるなか、ワカナはクロネコが外に出てこないことを確認すると、口元を簡易酸素マスクで守りながら歩き始めた。
「ギボ、クロネコにとどめを刺す。ビルに入るぞ」
「イアコイル(了解、の逆再生)」
ワカナはゆっくりと階段を上がると、ワンフロアずつ、クロネコの死体の有無を確認していった。頭のなかにふと、日岡ヨーコの笑顔が浮かぶ。
――安心しろ、ヨーコ。お前が守りたかった東京は、日本は、私が守るから。
そう思いながら、ワカナは爆心地である四階に辿り着いた。
※※※※
ワカナは久しぶりの戦闘で荒れきった呼吸をなだめながら歩を進めた。
――現場第一線を退き管理職になって50代を超えたあたりから、体が言うことを聞かなくなってきたな。未だに最強のレヰナが羨ましい、が、あんまりワガママも言ってられないか。
彼女は自室の時限式メッセージアプリを思い出した。もしも彼女が定期的に自宅に戻らなかった場合、緊急事態と判断して遺言のメッセージを送信するシステムだ。
――念のため、セットしておいた内容がある。
伝えるべきだろう内容は少ない。
1.ラッカ=ローゼキの真の能力と正体。
2.私たちがオオカミの男、サイロ=トーロをどのように始末したのか。
日岡夫妻の一人息子であるトーリとラッカ=ローゼキは互いに互いが親の仇であるということ。そして、それをずっと黙っていたということ。
二人には、それでも、互いを信じ合うバディであってほしいということ。
ワカナは、ただ、それだけを念じて言葉を録音したことがあった。
「ギボ、警戒を怠るなよ」
とワカナは告げてから、部屋を探索した。クロネコは爆死したはずだが、獣人核の再生能力は侮れない。場合によっては追撃が必要だ。
そう思いながら歩いていると、ふと、廊下のつきあたりに女が立っていた。
――日岡ヨーコだった。
「ヨーコ!?」
《頑張ってるね、ワカナ》
ヨーコは笑った。《少し働きすぎじゃないのか、まあ私が言えた義理でもないが。こんど皆で旅行にでも行こうレヰナも誘って。夫のレンジも喜ぶさ》
そう彼女は言う。相変わらずの、自分の言いたいことだけをベラベラと並べ立てる喋りかただ。
――そうだ、私はこいつの、この口調が好きだったんだ。
「夫のレンジさんが同行するなら、私は遠慮しよう」
《なぜ?》
「分かってるくせに」
とワカナはため息をついた。「好きな女が男とイチャイチャしてるのを見るのは胸が苦しくてイヤなんだよ」
それを聞いて、日岡ヨーコは――いや、その幻影はふっと黙ってから、《君の想いに応えられない私でごめん。でも、君は今でも大事な親友だ。――私が守ろうとしたこの街を、この国を、守ろうとしてくれてありがとう》
と言った。
「いいさ。こんな幻を見ている以上、結局は失敗したらしいからな」
《大丈夫》
とヨーコは言った。《私の息子が、バディのオオカミといっしょにやってくれるよ。あの子は強い子だからね》
「ははっ、そうかい?」
現実では、渡久地ワカナは全身を切り刻まれて死んでいた。ギボ=ジンゼズは頭部を横一文字に切断され、下顎と舌がベロリと剥き出しになったまま、獣人核を抜き取られた状態で絶命している。
そんな二人をクロネコは見つめていた。
もはや人間体ではない。漆黒の毛皮、エメラルドグリーンの瞳をした、体長2メートル超のライオンが二足歩行の形で立っていた。
百獣の王、ライオン。それがクロネコの正体である。部下たちに黒獅子のタトゥを強いていたのも、それが理由であった。
《いやあ、ほんと強かったよワカナとギボ》
とクロネコは言った。《完全獣化してスピードを速めなかったら避けきれなかったね、たぶん。さすがだよ、警視庁獣人捜査局局長――ヒトザルにしてはよくやったほうじゃないかな?》
それから、穏やかに笑った。《お前が守ろうとしたクソみたいな日本、クソみたいな東京はこれから僕が滅ぼしてやる。だから安心して死んでるといいよ?》
クロネコはすぐに人間体に戻る。そして地上に降りると一人のホストを殺し、そのスーツパンツと黒ジャケットを肌に纏った。エナメル質のシューズも奪う。
ワカナが持っていた短機関銃MP5を手に持つと、残りの人質たちのほうを向いた。
「あ、お前らもういいよ?
てか、まだ生きてたんだ?」
と言って、全員を射殺した。血反吐と内臓の破片がコンクリートの道路と雑居ビルの壁に飛び散って、ただの模様になった。
「ふいー、けっこう疲れちゃったや!」
クロネコは、死体の山の上でストレッチをする。「あとは僕の部下が第三班の藤田を始末して、いったんはゲームセットかなあ」
と。
クロネコのケータイに連絡が入った。ノコリ=マヨナカからである。
「マヨナカちゃん? どったの?」
『緊急事態です、クロネコ様』
とマヨナカは言った。『神柱ホシゾラ邸に幽閉されていたA級獣奴隷人を警視庁獣人捜査局が奪取し、現在、高速道路でドンパチです』
※※※※
昔話だ。
双子獣人奴隷、ツインズ=ボタンとツインズ=カリンはもともとは珍しい三つ子だった。IT関連に欲を出し始めた大企業の子供たちで、幼い頃は裕福な暮らしをしていたという。
千葉ヒューマ、千葉ミツル、そして千葉ホウサクの三兄弟。三人はいつでもいっしょにいた。どこでも仲良しだった。
悲劇が起きたのは、彼らが小学五年生だったか六年生だったかの頃である。三男のホウサクが何者かに誘拐されて、数週間後、二子玉川に腐乱死体で発見された。
犯人グループは身代金を要求していたが、両親が警察に通報したことが知られてしまったらしい。逆上したグループはホウサクを性的に凌辱した上で殺害。彼は、サカナの餌になった。
――のちに犯人グループが逮捕されたあとで、判明したことがある。
まず、彼らは本来は長男ヒューマを跡取りと睨んで誘拐するつもりであったということ。
しかし、誘拐事件当日の長男ヒューマと三男ホウサクは私服をあべこべに着て下校していたのだ。ちょっとしたイタズラのつもりだったが、結果として犯人グループは長男ヒューマではなく三男ホウサクを捕まえてしまった。
次に、そもそも跡取りは長男ヒューマではなく、次男ミツルだと決められていたことが分かった。ヒューマには生まれつき脳に障害があり、知能に問題はないものの、一般的な経営力はないだろうと見放されていたのだ。
――とんでもない悲喜劇だった。犯人たちは長男を捕まえるつもりで三男を捕まえ、殺害した。しかし、もともと捕まえるべき対象は次男だったのだというのだから。
長男ヒューマと次男ミツルは、自分たちの命がたまたま生き残っているだけだという事実に愕然とした。そして、愛する三男ホウサクを助けてくれなかった警察にも、そんな警察に通報した両親にも失望した。
二人が後天性の、カメレオンの獣人になった瞬間がそのときである。
――彼らはその足で獣人を何体か屠り、人間を殺し、やがて噂で聞いていた神柱ホシゾラのもとに辿り着いた。
「俺たちをボディガードで雇いませんか?」
彼らはそう笑った。
※※
そして、現在。
イズナのバイクがハイウェイに向かって走るなか、ツインズ=カリンとツインズ=ボタンは邪魔になるニンゲンも軽自動車も轢き倒して車を進めていく。
「どうしたどうしたイタチちゃ~ん!?」
長男のカリンはさらに自動小銃ブッシュマスターACRを構えた。「撃ち抜いちゃうぞコラア~!」
そして引き金を引く。弾丸が連射される。
イズナはそれを、猟獣特化式バイク「LAST KICK」の俊敏なステアリングだけで回避。そしてインターチェンジに入ると、料金所にかかる開閉バーを無視してアクセルをさらに回した。
「下を向いてください!」
とイズナが怒鳴ると、
「ひゃいいいいいいい!」
とリノセロは悲鳴を上げ、彼女の背中に頭を預ける。
直後。
開閉バーをブチ破ってイズナのバイクは高速道路に侵入した。
こうしてイズナ=セトと双子獣人奴隷ツインズのチェイスはさらに続くことになった。これを途中から合流してリノセロを保護し、敵を追い払うのが第七班・第六班の目下の仕事である。
そして、それを遠くから眺める一台のバイクがあった。
クロネコの部下、ヴァンデ=ブラの乗るKAWASAKIのNINJA 1000SXである。
『聞こえてる?』
と、イヤホン越しにノコリ=マヨナカが声をかけてきた。『獣人捜査局の第六班と第七班が獣人奴隷売買で有名な神柱家からA級獣人を奪取した。正直なにを企んでるのか』
「わかってるってー!」
とヴァンデは笑った。「おおかたその獣人の型を利用してオレらのアジトを割り出そうってハラだろうよ!」
『そうと分かってるなら――』
「大丈夫! 捕まえてボコせばいいんだろ?」
ヴァンデはそう答えてから、ハンドルを握った。さらにマヨナカからの言葉が聞こえてくる。
『追加情報。神柱邸の奴隷も同じ高速道路にいる。双子獣人ツインズって言って、こいつらも同じように獣人捜査局を追ってる』
「ほーう」
ヴァンデは少し考えてから、サングラスの奥の瞳を輝かせる。金髪を撫でつけ、ライダースジャケットを羽織り直した。「なんだあ、ニンゲンのクソボケに媚びてる奴隷どもも同じロードにいんのかよ。一石二鳥だなこりゃ」
『そういうこと』
「任せろ! オレは――仮面ライダーだ!!」
そう叫ぶと、ヴァンデは鼻歌を歌いながらバイクを走らせた。
「ゴー、ゴー、レッツゴー! 輝くマシン! セカイの平和を壊すため~ってなあ!!」
そうしてスピードを極限まで上げると、イズナのバイクと、それを追いかけるツインズの車を発見。
「出たな~迫る獣人捜査局(読み:ショッカー)、オレら獣人を狙う地獄の軍団め!!」
カチリ、と、ハンドルの第一改造ボタンを押し、ヴァンデ=ブラはバイクをギアチェンジする。さらに速度を上げていった。さらに車体の側面にある第二改造ボタンを押すと、バイクがそのまま数秒間だけ低空飛行する。
「うお~! 何回やっても慣れねえ、キンタマひゅんってする~!」
『ブラ! ふざけないで! 私が《工作》したバイクなんだから壊れる心配はないよ!』
「ふざけてねえよマヨナカ、オレを誰だと思ってんだ」
ヴァンデは笑った。「トキサメもシュドーも獣人捜査局に殺られちまったなあ!! あいつら良いヤツだったのに!!
許さん!!(仮面ライダーブラックのキメ台詞の真似)
こうなりゃ目の前のイタチを狩るのが弔い合戦ってもんだぜえ~!!」
そんな風に叫びながら、ヴァンデ=ブラのバイクはイズナのバイクの隣に着地した。
「!?」
と、イズナはヴァンデを見る。「誰ですかあなた!?」
「!?」
と、双子獣人ツインズもヴァンデを見る。「なんだテメエは!?」
「ハーッハッハッハ!」
とヴァンデは笑った。「敵に名乗るバカがどこにいるこの野郎! オレの名前はヴァンデ=ブラ、バッタの獣人。仮面ライダーだ!!!!」
「いや、名乗ってるじゃないですか!」
とイズナは言いながら、アクセルを吹かして先に行こうとする。
「おいおい、つれねえなあ!!」
とヴァンデもスピードを上げる。「お嬢さん、ひとっ走り付き合え!(仮面ライダードライブのキメ台詞の真似)」
「なんだこいつ――!?」
ヴァンデはバッタの獣人、風神型。体に風を受ければ受けるほどそれを自身の暴力に変換できる。つまり、バイクに乗っている今が本領発揮。
「へ~イ!!!!」
とヴァンデは声を上げた。「おい、お嬢さん、あんたの後部座席に乗ってるお姉さんは何者だい!? こいつがA級獣人ちゃんかあ!?」
「え――?」
イズナはウンザリした様子で、振り向きもせず答えた。
「そうですよ。後ろの双子にも、貴方にも渡しません」
他方、ヴァンデはただ後部座席のビーコルニ=リノセロに対して――
ときめきを感じていた。
癖ッ毛の長い緑髪。牛乳瓶の底みてえなメガネ。その向こうに透けて見える麗しの表情。地味な服。その下の体は低身長ながら骨格は頑丈と見える。特に、腰回りが良い。
「いいね~決めたぞ!
獣人捜査局の猟獣! お前に勝つことができたらそのお姉さんはオレんもんだ!」
ヴァンデの暴走に対して、
イズナは「は?」と呆れ、
リノセロは「ひいいい!」と怯えていた。
――なんだい? シャイなところもあるってのか。そういうのもグッとくるぜ!
ヴァンデはジャケットの内側から拳銃を取り出し、ポーズを決める。「大人しくA級を渡しな! 彼女のことは傷つけたくない!」
直後。
「あとからやってきたチンピラが――ゴチャゴチャやってんじゃねえよお!」
と、怒声が響いたかと思うと、双子獣人奴隷ツインズがアサルトライフルを連射した。イズナはすぐに最強マシンの性能で回避。ヴァンデのほうも「うおっ、やっべ!」と避けていく。
リノセロは悲鳴も上げられなかった。
「くっひひひ――!」
双子獣人奴隷ツインズは、アサルトライフルを撃ちまくりながら笑みを浮かべる。
「獣人捜査局のクソ女と、クロネコ派のクソ野郎かよ。こいつは一石二鳥だな。両方ブチ抜くぞ、双子の弟!!」
「もちろん分かってるよ、双子の兄!!」
そんな風に双子が意気投合しながら、さらに小銃を構えた――そのときだった。
「見つけた。これより追突する」
そんな宣言とともに、警視庁獣人捜査局第七班班長・日岡トーリは双子の乗る車に勢いよく自分の車BMW3シリーズをぶつけた。発砲のために身を乗り出していた双子獣人ツインズ=カリンは思わずバランスを崩し、スピードを大きく落とす。そしてその隙を、トーリは見逃さない。
「敵は透過型の可能性あり。ミサキ、車ごと止めよう」
「了解」
助手席に乗っていた仲原ミサキ副班長が、自動拳銃グロック17を取り出しながら車窓の外に出ると、双子の車のタイヤに向かって発砲した。
※※※※
同時刻。
警視庁獣人捜査局第三班班長、藤田ダイスケは自動車のレクサスLBXを走らせながら、大通りの渋滞に捕まっていた。
「クソッ、なんでこんなときに限って――!」と彼は声を漏らす。
運転していた理由はひとつである。クロネコ派による獣人捜査局襲撃を受けて、少しでも遠くに逃げるよう指示を受けたからだ。
スマートフォン端末から受け取った、警視庁獣人捜査局局長渡久地ワカナの言葉。
《クロネコとやらは実在していたらしい。いま動き出したようだ。渡船コウタロウと第一班は全滅した。第二班も全滅して志賀レヰナは生死不明の行方不明だ。おそらく次に狙われるのは私かお前だな。今のうちに逃げろ》
「なんで――!」
とダイスケは歯ぎしりした。「俺は戦わなくていいのかよワカナさん!」
だが、そういう彼の抗弁をあらかじめ察していたかのように、録音のワカナは微笑んだ。
《誰か一人くらいは生き残らないと、戦争の結果は分からないからな。ダイスケ、お前は可愛いヤツだよ。こんなところで命を落とすな》
「くそお――!」
そうして、ハンドルを回し、さらに渋滞に捕まってブレーキを踏んだ。
そんなタイミングのことであった。
歩道のほうからゆっくりとダイスケの車に歩み寄ってくる刺客があった。
鼻を削がれた平面顔の男、アダム=アダム=アダム。
ボブカットにヘッドホンの女、アノ=バリアテ。
そして眉ナシのロン毛にバッテンマークのマスクをつけた、ランデ=カナリア。
「確認した写真のとおりだ」
とアダムが言った。「こいつが警視庁獣人捜査局第三班班長、藤田ダイスケだな?」
「そうみたいだね」
バリアテはそう答えてから、「おいオッサン、さっさと降りろよ」と顎をクイクイと動かした。
藤田ダイスケは、ただ汗を流していた。
――俺は決して弱い狩人じゃない。たとえ50を超えて老けちまっても、日岡トーリみたいな若造と比べたらまだまだやれると思ってた。
だが、その経験値が俺に教えてくれることがある。
――今ここにいるのはB級獣人のなかでも上澄み中の上澄みだ。死ぬしかない。
ダイスケは、観念してシートベルトを外していた。
と同時に、偶然、私用のスマートフォンのほうに電話が入った。液晶画面に映っているの は、娘の名前だ。
彼は携帯端末を見てから、外の獣人たちに「最後の連絡は取らせてくれ。家族なんだよ」とアイコンタクトを送る。それに対してアダム=アダム=アダムが「さっさと済ませろ」と指を動かした。
ダイスケはスマートフォンの通話ボタンを押してから端末を耳に当てる。
娘の声がした。
『お父さん!? もお、今どこにいんの!?』
「ああ、ごめんな。仕事だよ。なにかあったか」
『なにかあったかじゃないでしょ!? 今日はお母さんとの結婚記念日なのに!! どうしてそういうことすぐに忘れちゃうの!?』
「ああ、そうか、そうだっけか――ごめんな」
『謝っても許さないからね! 刑事の仕事ってそんなに大切なの!? 日本の平和がそんなに大事なの!? お母さんのことを大事にできるのはお父さんだけなんですけどお~!?』
「ああ――」
藤田ダイスケは、返事をしながら涙がこぼれそうになるのを必死でこらえていた。これから俺は殺される。そんなときに大事な家族の声を聞いている。
「ごめんな、俺はずっと悪い父ちゃんだったよ」
『は? だからさあ謝っても遅いんだってば!』
「そうだな。謝っても遅いな」
とダイスケは呟いてから、次に大声を張り上げた。
「今すぐその家から逃げろ!!!! 獣人の襲撃だ!!!!」
それから、椅子の下に隠してある自動拳銃グロック17を取り出しながら車のドアを開けて転がるように外に出るとその回転のまま敵に向かってニ、三発ほど発砲してみせた。
まず、カナリアの胸に命中。
「が、――ああ?!」
と呻き声を上げながら彼は倒れていく。ダイスケはそれを見ながら、次にアダム=アダム=アダムのほうに拳銃を向けた。
が、手のひらにはなにもない。アノ=バリアテが延長型で拳銃を奪ってしまったからである。
「な――!?」
「優しくしてりゃあつけ上がりやがって。
死ねよォ、ジジイ――!!」
バリアテはニヤリと笑い、すぐに拳銃をダイスケの顔面に向けた。
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