第18話 VS摩天楼 前編その6


  ※※※※


 志賀レヰナは、ゆっくりと目を開けた。どうやらパイプ椅子に後ろ手を回され、拘束されたまま気絶していたらしい。

 あたりを見渡すと、シティホテルの寝室らしき空間。獣人に襲撃を受けたときのままのパンツスーツに、純白のスニーカーで縛りつけられているということが分かった。

「なにが起きた――?」

 レヰナは少しずつ記憶を甦らせていく。襲撃獣人三匹のうち二匹は駆除できた。だが、そのあと現れた「クロネコ」なる人物が声を出してからの記憶が存在しない。おそらくは敵対組織の頭領らしき少年だ。抵抗する間もないまま敗北して、ここに連れてこられたということだろう。

「待て――じゃあ部下とクダンはどうした?」

 レヰナは顔を上げた、が、その瞬間にビキビキと背骨のきしむ痛みを感じて、「あああ――!」と呻き声を上げながらうずくまった。

 身体は酷く損傷している。ついでに言うと、腹の減り具合からしてゲーセンの戦闘から6時間くらいは経ってるはずだ。

 そのとき、寝室のドアが開いた。

 長い黒髪にエメラルドグリーンの瞳、クロネコ。

 チャイニーズゴシックのファッションに身を包む団子頭の女、フカミ=アイ。

 鼻の肉を全て削がれた平らな顔面の男、アダム=アダム=アダム。

 そんな三人が志賀レヰナの拘束室に入ってきた。

「やあ、よく眠れた?」

 クロネコは爽やかに笑った。「ニンゲン最強の女と戦うのはちょっと楽しかったよ、志賀レヰナ。僕が来なかったらちょっとヤバかったね」

「――――」

 志賀レヰナは彼の言葉には返事を返さず、ただ部屋を見回した。それから、「ここはどこなんだ? アタシの仲間は今どうなってる?」と質問を投げてみる。

「みんな死んじゃったよ? あのクダン=ソノダとかいうウシの猟獣さんも、さっき拷問を続けてたら獣人核のほうが力尽きちゃった」

 クロネコは事もなげに答えた。「未来が見える獣人は厄介だから、早めに削除したかったんだ。僕の強さを知ったら色々対策してきそうだからね?」

「そうかよ――」

 レヰナは唇を噛みしめた。部下が全員死亡したという知らせもショックだったが、クダン=ソノダが退場したという事実も同じくらい重大だ。

 これはちょっと、いや、かなりまずい。彼が予知したおかげで避けられた人死にが今までどれだけあるだろう。今後は、そのような防御が効かないということなのだ。

「ねえ」

 とクロネコはレヰナに声をかけ、もうひとつのパイプ椅子を引き寄せると、そこに座る。レヰナと真正面から顔面を合わせてきた。

「レヰナに順を追って説明するよ。僕がレヰナたちを襲撃したのは、オオカミの女への手土産だ。君たちは10年前に彼女の父親を卑劣な手段で殺した。その償いをするときだ」

「ああ――」

 ボンヤリとした頭でレヰナは答える。

 オオカミの女、ラッカ=ローゼキ。

 その父親、サイロ=トーロ。

 アタシたちはサイロを始末するためになにをした?

 決まってる。

 祁答院アキラのもとで、サイロの愛する女を侮辱して罠を張ったんだ。胸糞悪い作戦だったな、あれは。

 その復讐ってことか?

 レヰナは拘束のなかボンヤリしている頭で、少しずつ思い出していく。もしこれが復讐劇なら、他に狙われるのは第三班班長の藤田ダイスケ。局長の渡久地ワカナ。そして現内閣総理大臣、祁答院アキラだ。

「なんでお前がオオカミ女の父親の仇をとるんだ? なんか関係あんのか?」

 レヰナがそう訊くと、

「まあね!」

 とクロネコはにっかり笑った。「でも、お前を捕まえたのはそれだけじゃないんだよ」

「?」

「A級獣人の、サイロ=トーロ事件のデータファイルに対する閲覧権限を寄越せ。僕はそれを拡散する。真実を知らないまま人間の味方をしているラッカ=ローゼキに残酷な現実を伝えよう」

 それからねえ、とクロネコは言葉を繋いだ。

「《原初の獣人》に対するアクセスコードを貰う」


 原初の獣人。

 人類史において最初に獣人が出現したのは、1971年だと言われている。東アジアに横たわる独裁的な共産主義国家、その生物科学研究所で偶発的に発生したのが僕たち獣人の最初の祖先だ。体長40メートル超の怪物。

 湖北省の研究所で生まれたことから、最初についた名前は湖北奇形。しかし地名由来の差別を避けるため、国際的にはヒューマン・ビーストの名前が与えられた。

 それが獣人。

 原初の獣人が生まれてから、どうして世界中に獣人の発生が拡散したのかは分かっていない。ウイルス性の病気として獣人化が広まったのか、あるいは原初の獣人は、人類種の新たなる進化ステージ、その前兆だったのか、真相は不明だ。

 ただひとつだけ判明しているのは、原初の獣人は当時の国際社会6か国によって地下深くに封印されているということだよ。

 アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、そしてなぜか日本。この6か国で原初の獣人をバラバラに解体し、獣人核をアメリカに安置して、頭部をイギリスに、左腕をフランスに、右腕をドイツに、左脚をイタリアに、右脚を日本に、それぞれの地下深くに封印した。

 脅威度X級。ヒトの獣人、それが原初の獣人だよ。型は不明。ただし世界を滅ぼせることだけは知ってる。

 クロネコはそこまで言うと、志賀レヰナに顔を近づけた。

「A級獣人事件、さらにその上位にあるX級獣人事件のデータが欲しい。それを使って、僕はこの国を、獣の王が支配する獣の国にしたいんだ。

 原初の獣人の肉体パーツひとつだけでも核爆弾級の威力があるらしいね。それを使ってこの国の腐った人間を制圧する」

 人間が憎いんだよ、とクロネコは囁いた。

 それから、レヰナにさらに顔を近づける。彼はゆっくりと目をつぶって、彼女にキスをした。

「ん、んん――っ!!?」

「ん、ちゅ、ちゅ、れろ」

 思わずレヰナは首を振り、クロネコを拒絶した。

「テメエッ! なんの真似だ!?」

「? なにって言われてもなあ――?」

 クロネコは髪をかきあげる。「人間でいちばん強い人にキスをしたら、変わるかもって思ったんだ」

「なにが!?」

「人を憎む気持ち」

 クロネコは天井を見上げる。「僕は人が憎い。街中で出会う老夫婦、学生カップル、社会人の男女、ベビーカーを押す両親、ギターをかきならすストリートミュージシャン。ぜんぶ虫唾が走る。お前らニンゲンどもは、弱者のくせに弱者を虐げる腐った劣等種族だ。弱さは悪で、弱者であることは罪だ。そんな奴らは本当の強者に淘汰されるべきだ。つまり、僕たち獣人に」

 クロネコはレヰナを見つめた。「だから強い人間にキスしたら気持ちが変わるかも、って思ったんだけど――ダメだった。ごめんね?

 僕の頭のかゆみを消すには、人間を間引いて残りを奴隷にするしかないみたいだよ」

 クロネコは、心底哀れむような眼でレヰナを見つめた。

「でも褒めてあげるよ、レヰナ。自分の大事な夫と息子のことは、定期連絡が途切れた時点で逃げるように伝えていたらしいね。こいつらはすぐには追跡できない。少なくとも僕がオオカミの彼女を手に入れるまでは、君の愛する家族は死なないで済むらしいよ。あはは」

「テメエ――!」

 レヰナは睨みつける、が、クロネコはそれに構わずアダムのほうに振り返った。

「散漫型の効果発動、徹底よろしくね? アダム=アダム=アダム」

「もちろんです、クロネコ様」

 アダム=アダム=アダム。ヘビの獣人。散漫型、脅威度B級。病原菌のように効果を散布して、人間たちに「先延ばし」「後回し」のクセをつけるだけの能力。

 実のところ、志賀レヰナの班に獣人襲撃の報告が届かなかったのはこれが理由である。今すぐ連絡しなければ、報告しなければ、相談しなければ――そんなニンゲンの決断を遅らせ続けるのが散漫型だ。

「次のターゲットは警視庁獣人捜査局第三班、藤田ダイスケのところです。まあ、専属猟獣もいませんしすぐに済むでしょう」

 アダム=アダム=アダムはそう言うと、高笑いしながら部屋を出ていった。

 クロネコは「うーん」と伸びをしたあとで、

「ごめんフカミ! レヰナのこと見守ってて?」

 と言って同じように出ていく。

「はい、委細承知いたしました」

 と、フカミ=アイは深々と頭を下げた。

「適度に痛めつけて、アクセスコードは必ずや彼女から取得いたしますゆえ」


  ※※※※


 イズナ=セトはビーコルニ=リノセロを連れて牢屋を出ると、首のシルバーリングを自動拳銃で破壊し(「ひぎゃああああ!」という悲鳴が上がった)、摩天楼を見上げる。

 今まで降りてきたぶん、これから登らなければならない。

 警告ブザーは、いつの間にか止まっていた。

「あっ、あええ――?」

 と、ビーコルニは声を漏らした。「ブザー止まってます。もう大丈夫ってことですか?」

「おそらく違います」

 とイズナは答えた。「警報音が鳴ったままでは、向こうは私たちの足音を感知できませんから。間もなく襲撃されるでしょう」

「じゃ、じゃあヤバいじゃないですかあ!!」

「静かに」

 イズナは人差し指をビーコルニの唇に当てた。「条件はこちらも同じです。気配を察知して、反撃するかやり過ごすかを決めましょう」

 そう言う彼女に、ビーコルニは、たじろぎながらウンウンと頷いた。

 そして。

 五秒後。

 身体にワイヤーをくくりつけた20体以上の獣人が、天井からゆっくりと降下してきた。

《脱走奴隷とその仲間を発見ンン!! 射殺しまアアす!! 疑似シルバーバレット発砲用意イイ!!》

 イズナは彼らの装備を見た。強化ガラスつきのヘルメット。防弾チョッキ。膝当てにミリタリーブーツ。グローブ越しに握っているのは最新式のアサルトライフル。太ももには何丁かの自動拳銃、短機関銃、それからコンバットナイフ。

 ニンゲンの警察特殊部隊並の装備だ、とイズナは判断した。

 ――ふむ。これは真正面から殺り合ったら死にますね。

 イズナはすぐにスーツのベルト、そこにくくりつけていた小型の折り畳み傘状の防具を手に取った。

「シルバーシールド、展開許可申請」

 バサッ――と、本当に傘を広げるように銀色の防御機構を開く。彼女はビーコルニの肩を抱き寄せ、そんな傘のなかに入った。

「耐えてください。撃たれますよ」

「ええええええええ?!?!?!」

 直後。

 天井から降りてくる獣人たち全員が、アサルトライフルを乱射した。ギャギギギギギギギギ、という金属音とともに、銀の傘がライフル弾を跳ね返していく。

 ――数あるシルバープロダクトのなかでも、夫である日岡レンジが主体となって開発した防御機構。命のやりとりを嫌う彼らしい発明。

 イズナはビーコルニの肩をしっかりと抱いたまま、銃弾が途切れるのを待った。あいつらは考えなしの一斉掃射をやっている。つまり、いちど弾切れになったら全員が同じタイミングで弾倉を変える――攻撃を一旦止めるということである。

 そのタイミングは、すぐに訪れた。銃撃が止み、天井の獣人の一人が《リロードしろオオイ!》と叫ぶ。

 その隙をイズナは見逃さなかった。なぜなら彼女は警視庁獣人捜査局第六班専属猟獣、最優のB級獣人。

「今です、走りましょう」

 そう告げるとイズナはビーコルニの手を引き、銀の傘を置いたまま、登り調子になっている摩天楼のスパイラルステアーを駆け上がり始めた。

「手を離さないでください」

 イズナがそう忠告している間に、天井からの獣人のリロードは終了する。

《疑似シルバーバレット、再度発射アア!》

 そうして彼らは――イズナたちがいる場所ではなく、既に置き去りにされている銀の傘、そこに向かって再び一斉掃射を始めた。

「なんでえ!?」

 とビーコルニは声を上げる。「も、もうあそこに誰もいないのに! あたしたちはいないのに!」

「いえ、相手の連中は錯覚してるんです」

 イズナはそう説明した。「私は隠密型の獣人です。ひと言で言えば心理的視線誘導、ミスディレクション、それが私の能力です。――周囲が認識できる自分の位置と、実際の自分の位置を別々にできる」

 そこまで言ってから、イズナはビーコルニに「私の腰に掴まっててください」と告げた。「私から離れると隠密型の効果が切れます」

「は、はいい――!」

「大丈夫です、すぐに終わります」

 イズナは軽く微笑むと、スーツパンツのサスペンダーに固定している自動拳銃、グロック17を取り出した。「何体か無力化しておいたほうがいいでしょう――シルバーバレット、発砲許可申請」

 そして、トリガーを引く。天井からの獣人が何体も胴体を撃ち抜かれ、ワイヤーに吊るされたまま血を吐いて死んでいった。

《なんだ!? なんで横から撃たれたアア!? 敵は最下層から動けてねえはずだろうがアア!!》

 リーダーらしき獣人が怒鳴っている。イズナはそこにも自動拳銃の狙いを定め、トリガーを引いた。

《が、ああ――ッ!?》

 そんな敵の獣人たちに、イズナはため息をつく。

「自分の脆弱な『型』と想定の甘さを恨んでください」


  ※※※※


《なんでだ、なんで脱走獣人が捕まらねえ!?》

 地下牢の監視を、同じく地下牢で任されている六人の獣人たちは、手元の三面モニタを睨みつけながらとにかくキーボードを叩き続けていた。

 足元には、スーパーコンピュータ。

《もうダメだ、逃げられちまったらオレら全員、ホシゾラお嬢様から処刑対象になっちまうぞ!》

《防災エラーを疑似的に起こそう。今までこじ開けられてきた壁をもういちど閉じる。開閉用のパスワードを書き換えろ》

《ちょっと待ってくれ。摩天楼に放り込んだ武装獣人20体のうちもう13体が撃ち殺されてやがる。これはどういうことだ!?》

《警視庁獣人捜査局の猟獣風情がそこまで強いのかよ? 納得できるか!》

《いざとなったら他の牢屋も全てオープンだな。脱走獣人を殺した奴隷には1年以上のVIP待遇、それで協力してもらう。どうだ!?》

《ダメだな。それより暴動を起こされるリスクのほうが大きすぎる》

《ツインズはなにやってんだよ早く来いよ!》


  ※※※※


 イズナは階層を上がるたびに自動拳銃グロック17を発砲し、天井からの襲撃獣人を射殺する。そのあいだは自分の腰にビーコルニ=リノセロを抱き着かせて、発砲が終わると手を繋いでさらに螺旋階段を上がった。そして、ほどよいタイミングで再び発砲。その繰り返しだけで摩天楼を上り続けた。

「そろそろ大丈夫そうですね」

 イズナはそう言うと、ビーコルニの両腕を手に取り、自分の首と腰にしがみつかせた。

「ふ、ふええっ!?」

「しっかり掴まっててください。今から急上昇します」

 次にイズナは、パンツスーツのベルトに潜ませていたもうひとつの道具を出す。鉤爪つきのワイヤーを射出し、手元のボタン操作でワイヤーを巻き取ることで移動する特殊装備である。

「シルバーフック、伸縮許可申請」

 トリガーを引き、ワイヤー付きのフックを摩天楼の上まで飛ばしていく。鉤爪が最上階の橋、その手すりにひっかかった。「成功しました。今からあそこまで上昇しますよ、ビーコルニ=リノセロさん」

 しっかりと抱き寄せられる。ビーコルニにとっては、自分の呼吸も、イズナの心拍もしっかりと聞こえる距離になっていた。

「わわ――!」

 緊張するビーコルニは、しかし、イズナの心臓が跳ねているのを確かに感じた。

 ――そっか。このひとも怖いんだ。とっても怖いけど、任務のために頑張ってるんだ。

「行きますよ?」

 そして、イズナはフックショットのトリガーを引く。

 ぐいっ、と引っ張られる感覚の直後、ふたりは最上層の橋に向かって上がり始めた。

「すっ、す、すごいっ――!」

 ビーコルニは最下層を見下ろした。「あっ、あたしがいた部屋が、あんなに遠くにあるよお――!! これって夢かな!?」

「あらゆるものは現実であると同時に幻想です」

 やがて。

 イズナとビーコルニは、最上層に着地した。

「さて、と」とイズナは言った。目の前には固く閉ざされた入り口専用のドアがある。「またパネルを撃って破壊するのは容易いのですが、これはそろそろ残弾数が気になるところですね――」

 と。

 そこでビーコルニ=リノセロは手を挙げた。

「あ、あたし大丈夫です。やれます」

「?」

 イズナが訝しんでいる目の前で、ビーコルニはパネルの前に行き、本来は知らないはずである暗証番号を入力。OK音とともにドアが開く。

「これは――!?」

「あ、あたしの型、これです」

 とビーコルニは言う。

 サイの獣人、脅威度A級、突破型。あらゆる情報工学上のセキュリティを貫通できる能力である。単純な合い言葉。自転車に使うダイヤル錠。WEBのログインIDとパスワード関連。ハッシュ値にAPIの隠しパラメータにユーザオーソリティ。金融系の暗証番号。それら全てが彼女にとっては意味のないものだった。

 極言すれば、もしもビーコルニ=リノセロにノートパソコンを1台与えたら、そこからペンタゴンにアクセスして核ミサイルを発射できるのだ。


 イズナは改めて驚愕した。これがA級獣人。一騎当千。単体で国家レベルの対応を必要とする災害そのもの。スペシャルな存在。

 そんなイズナを見ながら、ビーコルニは「えへへ」と笑った。

「いっ、い、行きましょうイズナさん!」


  ※※※※


 ラッカ=ローゼキの見張り番をしていたサングラスの黒服は――佐々木という名前なのだが、うとうとしていたところで交代の連絡を受けた。相手は自分といっしょに獣人研究所に来た男、永沢である。

『ラッカ=ローゼキの様子はどうだ?』

「あー、えー、まあ普通ですかねえ?」

『ふむ、そうか』

 永沢のほうに、特に疑ってくる感じはない。『祁答院アキラ首相は到着が遅れているらしい。ラッカ=ローゼキにはもう少し地下牢で大人しくしてもらう必要がありそうだ』

「そうですかあ、大変ですね」

『――シルバーリングの拘束に問題は起きてないな?』

 永沢にそう言われ、佐々木はラッカのほうを見た。

 問題は、当然起きている。

 ラッカ=ローゼキの首にはもうシルバーリングはかけられていない。《絶対防御の盾》発動により、首輪は故障して床に転がっている。

 そして、地下牢の壁には無限にいくつもの穴が空いていた。ラッカが左手をピストルの形にして、なにか声を上げるたびに、気がつくと孔が穿たれている。

 ――絶対貫通の矛。

 時空の流れに断絶を生む力、超加速型。それが時間停止の能力になることもあれば、盾として拡張することも、矛として圧縮することもできる。

 ラッカはついに、その両方を身に着けていた。コロンブスの卵と同じことである。時間停止の能力だと思い込まされている段階では、誰もそんなことができるとは思わない。「できる」という情報があれば、目の前にある能力の解釈を組み換えて実践できる。

 誰もが数学のテストで出会ったことがあるだろう。《Yを左辺に移行して積分することに気がつけば、5分で答えに辿り着くでしょう》というやつだ。

 そこで気づける者はもちろん多くはない。そして、ラッカ=ローゼキは気づいた。自分の能力の本質に。

「ふいー」

 と佐々木は声を漏らしながら電話を切った。「これから見張り番の交代になるらしいよ、ラッカさん」

「うん」

「他にオレにできることってなんかありそう?」

「檻の前からどいてほしい。今から吹き飛ばす」

 そう言うと、ラッカは鉄格子の前に立って左手をピストルの形にした。佐々木のほうは、慌てて両手を上げながら廊下を走った。


「《絶対貫通の矛》、圧縮」


 彼女がそう言うと同時に、バキリ、と、金属が根元から断ち切られるような音が響いた。佐々木は慌ててラッカの地下牢のほうへ戻っていく。

 地下牢の檻に、完全な円形の穴が空いていた。

 ラッカはそこをくぐりぬける。

「え、へ、ええええ?」

 佐々木は声を上げた。「なにやったの、ラッカさん」

「鉄格子を、時空ごと吹き飛ばした。もう、あの鉄の棒はこの世のどこにもないよ。そういう『型』だから」

 ラッカはそう答えてから、手をグーパーした。

 ――サイロ=トーロの死亡からわずか10年。最強のA級獣人が再びこの世に生まれた瞬間であった。


 ふと、地下のエレベータが開く。

 佐々木の上司である永沢が、この階に降りてきたのだ。

「ッ~~~~!! ――ラッカ=ローゼキィ!!」

 永沢は脱獄しているラッカを見て、すぐに自動拳銃を構えた。

「なにやってんだァ! さっさと牢屋に戻ってろコラァ!」

「ごめん、できない」

「あ、ああァッ!?」

「トーリのところに行くよ。私は警視庁獣人捜査局第七班専属猟獣、オオカミビト、ラッカ=ローゼキだから」

 ラッカはそこまで言うと、エレベータのほうへ――つまり永沢のほうへ歩いていった。

「くっ!」

 永沢が拳銃のトリガーに指をかける、と同時に、

「やめろよ。意味ないから」

 とラッカは言った。

 直後、発砲。薬莢が飛び、弾丸が進んでいく。

 が。

 ――ギイイイイィィィィンンンン――

 そんな鈍い金属音とともに、銃弾は動きを止めてしまった。ラッカは弾丸を指でつまんで床に捨てる。

 これが《絶対防御の盾》である。

 永沢は、拳銃を構えたまま腰から崩れ落ちた。ラッカはその隣を通りすぎていく。

「オオカミ女――!」

 と彼は言った。「分かってるのか、そんな力があるお前はどこに行っても人間社会の厄介者だ。お前の意志の善悪なんて関係ない。お前の存在そのものが脅威なんだ!」

「そっか」

「人類はお前の存在を決して許さない! 絶対お前は死ぬまで幸せになんかなれない! 自分が助けてきた人間に駆除されるだけだ! それが分かってるのか! アア!?」


 そんな黒服の言葉を背中に受けながら、ラッカはエレベータの上昇ボタンを押した。

「――私はトーリに会いに行くんだ」

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