第17話 VS摩天楼 前編その3
※※※※
警視庁獣人捜査局第一班の捜査員たちは、東京都、大通りに面しているアフガニスタン民族料理店の前でワゴン車を停めた。
櫻木マヒト、八宮カイテン、風乃ヤヤ。ワゴン車の後部座席に載せているのは、第一班専属猟獣のゾーロ=ゾーロ=ドララム――そいつを格納しているシルバーボックスだ。
第一班班長の渡船コウタロウが獣人捜査局を追われ、その下についていた捜査員たちは、別々の班に再配置されることになった。猟獣のゾーロ=ゾーロ=ドララムも例外ではない。武闘特化の第二班のものになる、という通達があった。
そんなゾーロを第二班班長のもとに届けるのが彼らの最後の任務だった。
「ハラ減った。なんか食おう」
運転手のマヒトはそう言うと、ワゴン車を目立たないところに入れて、ドアを開けて夜風に触れると、違法駐車を咎められないように隠しのパトランプをボンネットに置く。
覇気のない、そして警戒心のない振る舞いだった。
「コウタロウさんがなんで辞めなくちゃならねえ?」
マヒトは舌打ちをしてからタバコに火をつけ、路上で景気よく毒を吸い込んだ。カイテンはそんな姿を見て、ため息をつく。
彼らの姿を見た通りすがりの老年の男性が、
「そこ、禁煙エリアでえ――!」
と声をかけてきたが、
「うるせえ!! 仕事中だこっちは!!」
とマヒトは怒鳴り散らして追い返した。
ピリピリとした空気が続く。
渡船コウタロウが捜査局を去ったのは、極秘裏にオオカミを始末しようとしたからだ。その件について下の捜査員に相談はなかった。それが彼らにとっては不甲斐なかったし、規約違反とはいえ、コウタロウを単に斬り捨てるだけの獣人捜査局そのものにも彼らは苛立っていた。
――オオカミ女のラッカ=ローゼキが善悪問わず危険な存在だという意見を無視して、人間様に役立たせようとゴリ押ししてきた祁答院アキラ一派に問題があるんじゃないのか?
「甘いんだよ、どいつもこいつもあのオオカミのメスガキによお!」
マヒトは、ペッ、とタバコを地面に吐き捨てると靴の裏で潰す。
それから三人はアフガニスタン料理店に入った。ヤヤがマヒトの肩を叩いて「なんか飲みな? あとの運転は私がやってやるよ」と慰める。カイテンは周囲を警戒したままドアを開け、店員に案内されるまま三人でテーブルについた。
そしてマヒトとカイテンは酒を飲み、各々が頼んだ羊肉の蒸し餃子や、鉄串の炭火焼き、ヨーグルトソースつきのナンと、包み焼きパン、そして羊肉・トマト・シシトウの鉄鍋焼きを胃に入れていった。
「うめえな、ここ」
とマヒトは言った。「――コウタロウさんも連れてきたかったなあ」
「コウタロウさん、そういえば今はなにしてるの?」
とヤヤが訊くと、
「分からねえ」
とマヒトは答えた。「もう連絡を取るのは禁止だとよ。向こうからもなんもねえ」
「――そっかあ」
そこでカイテンが「今ごろパチンコでも楽しく打ってるんじゃないか?」と軽口を叩くと、マヒトも「――そうだな。それがいちばんいいな?」と言いながら鉄串の肉を全て嚙みちぎって胃のなかに収めた。
と。
アフガニスタン料理店のドアが、ゆっくりと開いた。三人の客が入っている。今の第一班には名前など知るよしもないが、それは、
ノコリ=マヨナカ。サンゴチュウの獣人。女。
リトウ=ワン。トラの獣人。男。
そしてアノ=バリアテ。イソギンチャクの獣人。女。
彼らもまた店員に案内されて、少し離れたテーブル席に着いた。
――あ?
とカイテンは感じた。妙だ。足音が不自然なまでに普通すぎる。まるで、「私たちは一般人で、足音の消しかたなんて知りませんよ」とでも言いたげな感じでトコトコと靴音を鳴らしていやがる――そういう印象を受けた。
だがな、一般の人間はこんな風に、歩幅とペースが一定すぎることもないし、足音が均質すぎることもねえんだよ。
――殺し屋の演技だな。恐らく、だいぶ訓練された殺人専門の獣人だ。
カイテンは腰にあるシルバーバレット入りの拳銃を改めて確認した。一方のマヒトは小声で「ハロウィンが近いからか? 派手なカッコしてんな」と呟いていた。
たしかに。
ノコリ=マヨナカは姫カットに軍服風ファッション。リトウ=ワンは迷彩のパーカーに坊主頭。そしてアノ=バリアテは黒のボブカットにヘッドホン、そしてメイド風の私服を身に纏っていた。
派手――というより悪目立ちにすぎる。まるで、わざわざ「こんな格好の人たちが悪事なんてするわけないでしょ。やるならもっと隠れますよ?」とでも言いたげだった。
カイテンは鉄串を握る。
――あの軍服女がいちばん足音の誤魔化しが上手い。おそらく他の二匹に比べて頭ひとつ抜けてる。どんな型かは分からないが、おそらくドンパチになるだろうな。殺気を隠しすぎだ。
そこまで彼は考えてから、
「なあ」
と軽めに声をかけて、ヤヤとマヒトに向けて鉄串をひらひらと振りながら適当な話をした。「次もまたどこかで飲もうや」
その鉄串の動きは、指揮棒、獣人敵襲の合図だ。
マヒトの顔とヤヤの顔が同時に臨戦態勢になる。ヤヤが「いつにする?」と訊いてくるので、「明後日かなあ。お前らの都合で。また三人でな?」とカイテンは答えた。
それは、
間にひとつ挟んだ向かいのテーブル、お前らの後ろ、三人組だ、の意である。
「了解」
とマヒトはゆっくり立ち上がる。「そんじゃあまあ、ここはオレに払わせてくれや。なんかピリピリして悪かったな。財布出すから待っててくれよ」
そう言ってスーツの内側から財布――ではなく自動拳銃グロック17を取り出すと、振り向きざまに発砲した。
「は?」
その弾丸が、リトウ=ワンの左肩に命中する。シルバーバレットだ。細胞をガン化させ、獣人核による無限の再生能力を抑制する人類最後の武器。
店に店員と客たちの悲鳴が上がった。マヒトはそこには一切構わないまま、今度は正確に狙いを定めてリトウ=ワンの眉間を狙う。
発砲。薬莢が吹き飛ぶ。命中。
リトウ=ワンがそのまま仰向けに倒れた。
刹那、ヤヤが怒鳴った。
「獣人捜査局だ!! 死にたくねえヤツは全員伏せろコラァッ!!」
それに対してノコリ=マヨナカが、
「『工作』、オン」
と呟きながら迫ってくる。
彼女の手には、今までなかったはずの自動拳銃、FNブローニングハイパワーが握られていた。
カイテンは、
――武器の即時再現!? それがコイツの能力か!!
そう思いながら、グロック17を差し向ける。こちらのほうがコンマ数秒レベルで早い。勝てる。
と、思っていると、手のひらに拳銃がない。
同時に、アノ=バリアテが型を使っていた。
「『延長』、顕現――!」
彼女はイソギンチャクの獣人、延長型。「相手を物理的に傷つけない」という制約のもとで、自身の手足の感覚を半径20メートル半まで広げることができる。たとえば、遠すぎて奪えない拳銃を奪うことも。
「あっ」
カイテンがなにか言おうとする前に、ノコリ=マヨナカはFNブローニングハイパワーを発砲した。
櫻木マヒトと、八宮カイテンの胸に風穴が空く。
それを見ていた風乃ヤヤは、「てめええええッ!」と怒鳴りながら、シルバーバレットを乱発した。結果、アノ=バリアテの左耳が吹き飛び、右肩にも命中。
しかし、それだけであった。
そんなヤヤの脳天に向けて、ノコリ=マヨナカがさらに生成した日本式南部十四年式拳銃を撃つほうが、遥かにスピードが速かった。
全てが終わったあと、狩人側は櫻木マヒト死亡、風乃ヤヤ死亡、八宮カイテン死亡。獣人側は、リトウ=ワン死亡だった。
ノコリ=マヨナカはスマートフォンの電源をつけ、クロネコに連絡を入れる。
「第一班の捜査員を始末しました」
『お疲れ。そちらの犠牲はどう?』
「リトウ=ワンが死にました。型を使う余裕もなく」
『そうか、それは大変だったねえ』
「今から停車中のワゴンにあるゾーロ=ゾーロ=ドララムも破壊します。クレイモア式地雷がいいでしょうか?」
『いや、対象に接近するのは危険かな? なんなら向こうはビームライフルだし』
「では、念には念を入れ、対戦車バズーカで対応しようかと」
『オッケー』
そこで通話は終わった。マヨナカはバリアテに肩を回すと、「退散するよ?」とだけ伝えてゆっくりとアフガニスタン料理店を去った。
そして、工作型により、89mmロケット発射筒M20改4型を作成。
遠くのワゴン車に向けて、シルバーボックス内のゾーロ=ゾーロ=ドララムごと破壊するよう砲弾を撃ち込んだ。
爆発炎上。
ゾーロ=ゾーロ=ドララム、死亡。
※※※※
日岡トーリとその部下たちは、駒込にある神柱ホシゾラの豪邸前に辿り着いた。庭門の前で少し待つと、扉がゆっくり開く。少しずつ車を進めて、駐車スペースらしき砂利のところに停めた。
玄関前では、サングラスをかけた二人の男が突っ立っている。立ち振る舞いからして、どちらも拳銃所持。
大金持ちのクソ野郎どもが私腹を肥やす空間。ここから先では日本の法律は通用しないだろう。
トーリは仲間を連れて男たちに近づく。
「ホシゾラお嬢様からお話は伺っております」
と右側のサングラスは喋った。「どうぞ、こちらです」
そして、壁の掌紋センサーを合わせて重たい玄関ドアを開けた。
トーリは彼のあとをついていく。長い廊下だった。壁にはスノビッシュな高級油絵がいくつもかけられている。どれもこれも美しい花々のもとで、醜い動物が血と臓物を垂れ流しながら死んでいる絵だ。
「俺たちは狩人だ。当然、シルバーバレット入りの拳銃を携帯してる。ここで没収しなくてもいいのか?」
トーリがそう訊くと、
「いいえ、構いません」
とサングラスは答えた。「本邸宅にいる脅威度B級以上の獣人は全部で数十体。全てホシゾラ様に忠誠を誓う奴隷です。狩人の皆様が銃を振り回したところで、大した問題にはならないかと」
その答えに、仲原ミサキはフンと鼻を鳴らした。
――こいつらは、警察組織の前で獣人の違法秘匿を赤裸々に話しても、なんの失点もないと思っている。それだけのバックボーンがあるということだ。
ナメやがって、と、ミサキは表情を強張らせていた。
廊下の突き当りにある大扉をサングラス男が開くと、その向こうがホールになっている。そこで、大量の人間が酒を飲み、くつろいでいた。いや、人間だけではない。なかには首に精巧なリングをはめられた者たちもいる。シルバーリングで拘束されている獣人奴隷たちなのだ。
そんなホールのいちばん奥で、真紅のオートクチュールなドレスに身を包んだ金髪碧眼の女が、気取った手つきで細身のグラスを口もとに運んでいた。
神柱ホシゾラ・29歳である。
彼女は微笑み、
「ここは『注文の多い料理店』ね」
と言った。生まれてこのかた苦労などしたことがないのであろう、美しくも幼い声色だった。「自然を荒らす罪深い狩人さんが迷い込んでしまったレストラン。でも、そこで食べられてしまうのはケモノではなくニンゲン。そういう設定ってどうかしら――?」
「俺たちは食われに来たわけじゃないし、宮沢賢治の良い読者でもない」
とトーリは答えた。「神柱ホシゾラ、君と取り引きをしにきた」
「まあ!」
とホシゾラはわざとらしく驚いてみせる。「お綺麗な顔に似合わず、野蛮な話しかたをなさるのね、狩人さん。緊張? それともそういう振る舞いのほうが、私と楽しくお喋りできるということ?」
彼女は、今の日本人は誰も使わないような女言葉(「そうね」「そうよ」「そうだわ」)を、ずっとキザったらしく使う話しかたで喋っていた。
明治・大正文学の読みすぎだな。
そんな彼女の性格が、ホールの趣味に現れている。西洋の華を壁際の花瓶に満遍なく活けて、写実的な油絵を壁にかけている。
テーブルもソファも、全て近世風のアンティーク。まるでわざとかと思うほど俗悪だった。愚かな女がファッションに固執するのと同じように、自分が醜い存在だからこそ美しさに拘っている――そんな感じだ。
そういうホールで、シルバーリングをつけた獣人たちが客人らしき人間にシャンパンを注いでいる。
「敬語を使ったほうがいいなら」
とトーリは言った。「そうしますよ、神柱ホシゾラ令嬢」
「やめて、いやだわ意地悪な人」
とホシゾラは言った。「あなたの好きなお話のしかたでいいの。こちらはずっと退屈なんだもの。そう、暇と退屈。バラで飾られることのない私の人生。心のままにお喋りして頂戴?」
「では、本題に入りたい」
「ダメよ! ダメダメ!」
ホシゾラはキッと眉を吊り上げた。「本題なんて、私、大っ嫌いよ。そんなことばかり聞かされる私の気持ちが分かって? お金と出世と結婚とお世継ぎ。殿方って女に話せるトピックが他にないのかしら?
どうしてそんなに本題ばかり気になさるの? 会話は、そう、いいえ、小説も音楽も映画もそうだわ、大切なのは本題じゃなくて――誰も気にしたことがないような枝葉末節、ほんのちょっとした言葉、音律、演出。そうでしょ?」
トーリの目の前で、彼女はそんな風に、ほとんどずっと煙に巻くようなことしか言っていない。
やがて、ホシゾラの隣に座っている夫らしき男が、おずおずと怯えるように口を挟んできた。
「ホシゾラさん――まあ、そう言わずにさあ。このかたの話を聞いてあげてもね、いいじゃないの?」
「ダメよ。ダメダメ」
それがホシゾラの口癖らしい。「せっかく面白い人が来てくれたのよ? どうして簡単にビジネスのお話になる必要があるの。まったくなにも分かってないわね?」
ぴしゃりとホシゾラが言うと、夫らしき男はショボンと下を向いた。
トーリはテーブルの上で両手を合わせ、前に乗り出す。
「神柱ホシゾラさん。クロネコを捕まえる手がかりが、貴女の飼っている獣人にある。それを我々に貸して頂きたい。そうすれば貴女も安全なはずだ」
そう言うと、神柱ホシゾラが片方の眉だけピクリと持ち上げた。
それから夫らしき隣の男に、
「ねえお前」
と告げた。「1時間前からホールで飲んでいる鈴木さんのジャケットを取って、2階のお部屋に案内差し上げなさい」
「えっ――」
夫らしき男はそこで動きを止めてしまう。だがホシゾラは構わず、
「早くしなさい。それとも、今日も折檻をオアズケされたいのかしら? この愚図」
と凄んだ。
それに対して、夫らしき男はただ、ほとんど曖昧な笑顔を浮かべながらオドオドとするだけである。
「そ、そんなあ――ホシゾラさん」
と彼は言った。「ぼ、僕は君の旦那さんだよ? 愛してるんだよ? ど、同席すら認めないなんて――そ、そのくらいはいいじゃないの?」
「ダメよ。ダメダメ」
ホシゾラは断固拒絶すると、「ツインズ=カリン! ツインズ=ボタン! 私の夫をホールの中央に運んで頂戴!」と怒鳴った。
カリン、ボタンと呼ばれた双子らしき獣人が、シルバーリングを首に光らせながら立ち上がると、ホシゾラの夫を両側から拘束した。「や、やめて――それだけはやめて――!」と彼が懇願するのを無視して、ツインズたちはホールの中央にホシゾラの夫を運んだ。
テーブルで飲んでいた鈴木らしき男が、面白おかしそうにグラスを置く。
ホシゾラは大声を張り上げた。
「そこで鈴木に挨拶なさいな! ここにいる皆の前で! 『情けない僕の代わりに、愛する妻を満足させてくれてありがとうございます~!』って言うのよ! それと、靴も舐めなさい!
言わないと今日のご褒美はナシよ! いいの!?」
彼女がそう言うと、周囲にいた人間と獣人とが全員ゲラゲラと笑い転げた。
ホシゾラの夫は涙をこらえながら、結局は、言うとおりにした――。
全てが悪辣、何もかも醜悪。それが神柱ホシゾラというワガママお嬢様の姿だった。
そんな夫の一部始終を眺めながら、ホシゾラは、
「本当に退屈だわ。なにもかも」
と呟いた。「愛もない。夫がほしいのは自分のプライドと私の立場だけ。大っぴらに浮気していじめてみたところで、なんの充実もないわ。あるのはこの広くて狭いお家で味わえる娯楽だけね。――ねえ?」
それに対して、ミサキは「ないものねだりもここに極まれりだね」と小声で呟く。ホシゾラには聞こえない。
ホシゾラのほうは、トーリの眼を見つめた。
「私が獣人を渡したら、あなたがクロネコを始末してくれるの?」
「正確には、俺たちのオオカミが勝利に貢献する」
「テレビで見たことがあるわ。貴方が飼い主なのね?」
「俺はラッカ=ローゼキの飼い主じゃない。相棒で、仲間だ」
そう彼が答えると、
「欺瞞しか口にしない男とは会話したくないのよ?」
とホシゾラは指を立てた。「今度はきちんと答えて。私は目を見れば人が感じていることくらいなんとなく分かるんだから。正直に、ね?
貴方とオオカミさんはどんな関係なの?」
トーリは、じっと神柱ホシゾラの瞳を見つめた。彼女の頬が紅潮している。久しぶりの面白い話に食いついているのが分かった。
彼は、正直に答えることにした。
「どうすればいいか分からない。だけど俺は、彼女を守りたいと思ってる。
クロネコがラッカの脅威なら、あらゆる手段で排除したい。これは正義感じゃない。俺の意志だ。彼女を大切に感じてる」
ホシゾラは、目を見開いた。
「貴方たちはセックスをしたことがあるの?」
「いいや」
「なぜ?」
「獣人と人間の恋愛は法で禁止されてる。でも、それだけじゃない。彼女はまだ子供だ。その弱みを突くように愛し合っても、それは本当の愛じゃない」
「身体を交わさなくても、愛だと分かって?」
「君には分からないのか? 神柱ホシゾラ」
トーリがそう答えると、ホシゾラのほうは頬を赤らめたまま、ハァ――と満足げに吐息を漏らした。
「すごい」
と彼女は呟く。「とっても面白い男。生意気。これ、これよ、この感じがほしかったの」
そうして、しばらく黙ってから、ホシゾラは答えた。
「お断りよ。ダメダメ。
貴方のほしい獣人は渡さない。だって、こんなこと、もっともっと面白くしたいもの!」
※※※※
同時刻。
獣人研究所、一級研究員である住吉キキの眼前では、おおよそ信じがたい光景が広がっていた。
ラッカ=ローゼキが手のひらを広げている。その1メートルほど離れた位置で、あらゆる銃弾が動きを止めていた。空中にぽつりと、薬莢から乖離した弾丸がそのままの形で止まっている。
ラッカはゆっくり近づくと、ひとつの銃弾をつまんで地面に落とした。その瞬間、残りの全ての銃弾が地面にパラパラと崩れるように落ちていく。
住吉キキは、その場で腰を抜かす。こめかみから汗が流れてくるのを感じながら、もう立ち上がれそうになかった。
実のところ、ラッカに対する射撃実験はこれが五度目である。その全てで、彼女は全ての銃弾を止めることができた。最初は鈍い金属音を発しながら弾き飛ばし、次第に、ゆっくりと優しく銃撃を受け止めるようになった。
「なぜ――?」
キキはそう呟きながら、不意に、日岡トーリの言葉を思い出していた。
《ラッカは『盾と矛』という言葉を夢のなかで聞いていた。それが超加速型の応用かもしれない。あれは、ただの時間停止能力じゃないぞ》
そんな言葉だった。
キキの脳裏に、様々なアイデアが浮かんだ。時間停止能力の説得的な説明。
――ただ時間を止めているだけではない、それでは説明がつかない。自分の周囲と世界全体の間で時間の流れそのものを変えている? なぜそんなことが可能だ? 時空そのものに断絶を生み出す能力?
それが盾にもなり、矛にもなる――いや、むしろ超加速型の本領はそちらなのだ。
キキの頭脳に火花が散った。
――物理法則に叛逆する空間を条件付きで即時展開する能力! それが超加速型! そしてその能力は、他の全ての型に説明をつけることができる!
超加速型こそ、獣人の型のオリジンなんだ!
彼女は汗を拭いながら立ち上がった。
――なんてこった。もしもラッカ=ローゼキのことを調べ続ければ、他のあらゆる獣人に対する型対策が可能、そんな時代が来るかもしれない。
そう思って口を開こうとすると、
獣人研究所地下室の訓練場、彼女たちがいるところに、大量の黒服黒眼鏡が入ってきた。
「なんだい?」
とキキが訊くと、黒服のほうは、
「住吉キキ一級研究員ですね?」
と訊いてきた。「なぜラッカ=ローゼキの猟獣訓練を続けているのですか?」
「別にいいだろう、私の勝手だよ」
「いいえ、勝手ではありませんよ」
黒服はサングラスの位置を直した。「貴女は内閣府から通達を受けたはずです。もうオオカミの猟獣訓練は終わった、これ以上の開発は必要ない。――なぜ逆らうのですか?」
「ハッ!」
とキキは笑った。「偉い人にペコペコして科学者としての正義を守らないなら、私がここにいる意味はないよ。それに、同期との約束と借りがあってねえ。間違ったことはしていないつもりだ」
黒服たちの顔が引きつる。
――住吉キキは、ラッカがここに来るまでに祁答院内閣幹部に忠告を受けていた。もうオオカミを訓練するのはやめろ、と。要は、キキはそれを無視していたのだ。
黒服は、
「なるほど」と言った。「ではあなたは自分の身勝手なエゴゆえに獣人研究員の立場を悪用して、ラッカ=ローゼキの強大な力を増長させようと――そういう意図があるわけでしょうか?」
「エゴイストはどっちだい?」
とキキは挑発する。「祁答院アキラちゃんの狙いはなんだ? ヘタレの欧米諸国にペコペコしながら、旧共産圏の独裁国家に対する危機感を煽って腐った民意を得ることか? 虐げられ続ける中東諸国を犠牲にして?」
「その暴言は、もはや許せません」
黒服はこめかみを震わせながらキキの腕を捕まえ、背中に回した。「連行しますよ、住吉キキ。科学バカの天才らしく政府に屈していればいいものを」
「離せ! おいコラ!」
「あなたはこの時点で獣人研究員の資格を失ったものと見なします。まあ、せいぜい再就職先を探すとよいでしょう。
――どうせ女です。家庭に入る道もあるのでは?」
そんな黒服の挑発に、キキが「貴様!」と叫んだ。
そのとき。
ラッカ=ローゼキが手を挙げた。「ねえ、黒い服のお兄さんたち」
「――む?」
「そこの住吉キキって科学者は悪くないよ。私が暴力で脅してさあ、無理やり自分の力を訓練させたんだよ。キキがさっき言ってたのは、私に殺されないための演技なんだよ」
大嘘である。大嘘を、ラッカは真顔で言っていた。
「連行するなら、だから私を連行しろ」
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