第16話 VS遊園狂 後編その3
※※※※
布瀬カナン(正確には、カナンのなかにいるチトセ)はゆっくりとグロック17の安全装置を元に戻した。
「うーん、拳銃って思ったより面倒だなあ」
そして、地面に投げ捨てる。正確には、地面で脳天を吹き飛ばされて倒れているセンチャの顔面に打ちつける形だった。
それから、日岡トーリを見つめる。
――この刑事さん、もう右腕が使いものにならないっぽい感じだね。肋骨も痛めてるみたいだし。
「あたしと連戦するのは無理そうかな?」
「ぐっ――!」
トーリは、先ほど自分が射殺したケムリの体から離れ、少しずつ立ち上がろうとしてくる――が、激痛で体が上手く動かないのだろう。
「う、ああああ――!」
と、またその場にうずくまってしまった。
だが、闘志はその瞳から失われていない。
「俺を始末して逃げるのに、拳銃は持っていかないんだな?」
「慣れていない銃なんて、一長一短だよ。余計な選択肢を殺しのなかに入れて混乱したくない。――殺るなら使い慣れてる自分の牙や爪じゃないと」
「それもそうか――」
力なく苦笑するトーリに、チトセは近づいた。
――ラッカを抑え込んでいるはずの眷属どもから連絡がない。どうなってるの? 場合によっては早期の撤退を決めなければ――。
そのとき。
「あのっ!」
と、小さな女の子の甲高い声が遠くから聞こえてきた。
――逃げ遅れた客がまだいたの?
舌打ちしながら振り向くと、そこに、東京ガイナシティワールドのキャラクターグッズのぬいぐるみを抱えた、5歳くらいの女の子が、泣きそうな顔で立っている。
涙をこらえているのが分かった。
「お、おか、お母さんを知りませんか――!?」
「――お母さんといっしょに来たの?」
チトセは、思わず素直に訊いてしまった。
女の子は慣れない敬語を使って、知らない大人に頑張って話しかけているのだ、と分かったからだ。
「あたし、お母さんとはぐれちゃって――お母さん、あたしが楽しみにしてたから、毎日しごとだけど、チケットとってくれてぇ――なのに、あたしドジだからはぐれちゃってえ――ぜっ、ぜんぜん、見つかんなくてえ――!!」
ボロボロと、ついに我慢しきれずに泣きだす女の子に、チトセはどうすればいいか分からない。
ふと、思い出してしまったからだ。
自分がまだニンゲンだった頃の記憶を。まだ母親が狂ってカルト教会の信者になる前の、自分の病気が重くなる前の思い出を。
そうだ。
チトセは幼いころ、東京ガイナシティワールドに連れてこられたことがあるのだ。
『チトセ、今度はあの遊覧船に乗ってみよっか!』
『ほらチトセ、怖くない怖くないよ』
『ヒロインキャッスルのメダル、かっこいいね! おうちに飾ろうね!』
『本当に楽しかったねえ、チトセ――またいっしょに来ようねえ。今度は、お父さんもいっしょにね!』
そんな記憶だ。
「お母さんがいなくなるのは、寂しいよね」
と、チトセは呟いた。「どうして、お母さんって簡単にいなくなっちゃうんだろうね――あたしは、お母さんを好きでいたかっただけなのにね?」
「えっ――?」
戸惑う女の子にチトセはしゃがんで目線を合わせると、なるべく優しそうに笑った。
「入り口のところに、みんな避難してるって放送があったよ? そこに行けばお母さんに会えると思う――ひとりで行ける?」
「――うん!」
「これ、地図。あげるね?」
「ありがとう、ございます! おねえちゃんたちも早く逃げてください! ジュージンっていうのが、すごく怖いみたいなんです――!」
「そうなんだ? 教えてくれてありがと」
チトセは女の子に予備のまっさらな地図を渡すと、手を振って見送った。
トーリが、その隣で、信じられないものを見るような目でチトセを見つめていた。
「今、まさか、人間の子供を逃がしたのか?」
「――別に? 刑事さんには関係ないでしょ」
チトセはため息をついた。なんで、なんの意味もない大昔のことなんか思い出したんだろうか。
――遊園地の空間には幸福な家族の記憶も、不幸な家族の未練もミルフィーユのように折り重なっていて、いるだけで辛い気持ちになる、と彼女は感じた。
「なんか冷めちゃった。帰る」
と言って、チトセはその場から立ち去ろうとした。
「待て!」
とトーリは呼び止めてくる。もちろんただ叫ぶだけで、追いかけてくる力は体に残っていないらしい。だからチトセは無視して歩いた。
「熊谷チトセ! 待て、待ってくれ――! そんな風に人間を助けることができるなら、なあ、なんで他の人間は平気で襲えるんだ!!」
うるさいなあ、ただの気まぐれだよとチトセは思った。
※※※※
チトセはトーリから離れ、スマートフォンのアプリを起動する。眷属ども全員のアプリが音信不通(=死亡)したことを確認してから、
「はあ、作戦は失敗かな」
と呟いた。「まあ、仕方ないね。イレギュラーな事態が多すぎた。また立て直そうか?」
それに対して、
『いや、なに言ってるんですかチトセ』
と、カナンの声が頭の奥から聞こえてきた。
『少なくともあの狩人は始末できました。今からでも遅くはありません、引き返してください!』
「ヤだ、なんか疲れちゃったし。それに目的のオオカミ捕獲がダメになったんだもん、意味ないって」
『そんな――』
「体、返すよ? そんなに殺りたかったら勝手にして?」
それだけ言うと、チトセは眠るように肉体を去った。
代わりに、カナンが身体の元々の主導権を取り戻す。
「く、ううう――!」
歯ぎしりをする。
誤算に次ぐ誤算。チトセは私なんかよりずっとずっと強い――なのに、小さな女の子を見かけただけで殺意を失う、そんなにも情に脆いヤツだとは思わなかった!
――落ち着け。作戦は失敗、ならば、あとは安全に退避するしかない。
カナンは深呼吸をしてから、東京ガイナシティワールド備え付けホテルのひとつ『グメーオール』の寝室、そこにいるであろうホル=ハワタリに電話をかける。
――チトセも、私にとっては結局は女だった。肝心なときに役に立たない。その点、ハワタリはマシだ。こちらの体をエサにすれば、男はいくらでも言うことを聞いてくれる。
――男女はそういう風にできあがっている! 少なくとも私のなかでは!
通話が繋がる、その電子音が鳴る。カナンは、
「ハワタリ?」
と呼びかけた。「こちらの負けです、撤退します。『円陣型』を発動してください」
だが。
受話器の向こう側は無音だった。
「ハワタリ? ふざけないで返事をしてください。
――ああ、そうですね、あなた好みのセックスなら何日でも付き合ってあげますよ。約束したとおりです。
だから早く、早く! 私をベイルアウトさせて!」
そんな風に、カナンが無音のスマートフォンに怒鳴り散らすと、
『へーえ! ふたりってそういう関係になってたんだあ!』
と。
声変わりをすませたばかりのような、透き通った美少年の声が聞こえてきた。
――クロネコの声だ。
『あはは! 水くさいなあ! リーダーの僕に教えてくれればよかったのに! それともカナンは新入りだから遠慮しちゃったのかな?』
同時刻。
クロネコのほうは、獣人核を破壊したホル=ハワタリの死体を椅子がわりにして腰を下ろしながら、左手でその生首を弄びつつ、右手でカナンと通話していた。
うしろに立っているのは、ボノボの獣人、ハツシ=トゥーカ=トキサメ。そして、サンゴチュウの獣人、ノコリ=マヨナカである。
部屋は血まみれだった。
「あ、う、ああ――!」
カナンは、ただ震えた。
全て、バレてしまった。
勝ち目は、ない。この美少年の逆鱗に無意味に触れたら、あらゆる生きものは死を免れないのだと直感した。
「クロネコ様、あのその、これは」
『あはは! 大丈夫だよカナン! オオカミのラッカ=ローゼキを強くしようとしてくれたんだろ? 怒ってないよ!
ああ、僕が送り込んだヤツらはどうだった? あいつら面白いよねえ! 超~弱いけどさあ!』
と、クロネコは笑った。
「へ――?」
『うん、僕は怒ってないよ』
そういえば、と彼は声を低くする。
――間宮イッショウって死刑囚を攫って役に立てようとしたのもカナンなのかな。アタマいいね。あいつには逃げられちった。
まあ、関係ないんだけどね、分不相応の野心を抱く、まだ腐ったニンゲンの心が残ってるお前みたいなヤツには、さあ。
『ニンゲンが特にそうだけど』
とクロネコは言った。
『なんでお前ら弱者は、みんな浅ましい生きかたしかできないんだろうね。
見るに堪えない。
怒ってないよ? 僕は怒ってないけど――死ね』
クロネコの、エメラルドグリーンの両瞳が、受話器越しにネットリと睨んでくるかのような感覚。
カナンはその瞬間に、スマートフォンを地面に放り捨てて無様に逃げ出した。
「あ、ひゃ、あ、ひ、ああああ!!!!」
殺気。クロネコの殺気に初めて当てられて、カナンは理性をまるごと失ったかのようにドタドタと逃げた。
甘かった。甘かったんだ。オオカミを取引材料にすればアイツと交渉できる――?
クロネコの立場に取って代われるチャンスがある?
そんなわけがない!
あいつは最凶のA級獣人だ! 気配で分かった! 勝てるはずがない! 戦おうと思うほうが道徳的に間違ってたんだ!
「ああああ、ああああ――!!」
カナンは自分の頬をかきむしりながら、ただ、東京ガイナシティワールドの逃げ口を探して走った。
※※※※
その頃。
ロパロセラ=ディルニの眼には、なにが起きているか全く分からなかった。
ラッカが左手をピストルの形にして、
「『超加速!』」
と叫ぶ。すると、瞬きする間もなく2~4体の眷属たちが胸から鮮血を噴き出しながら倒れて、ラッカのほうは全く別の場所に移動している。
さらに彼女は同じピストルポーズを残りの眷属に向ける。
「『超加速』!」
「えっ、えっ、え――」
ロパロセラが感想を差し挟む間もなく、さらに眷属たちの胸が切り裂かれ、首が断ち切られ、手足を吹き飛ばされながら、眼球と舌を潰され鼻を削がれ脳ミソを撒き散らして死んでいく。
戦いが少しずつ雑になっていく。
「すごい――」
「まだだ!!」
ラッカはさらに、左手をピストルの形にした。
「『超加速』!!」
そうして。
全ての眷属が血肉の塊になってバラバラに地面に散らばっている、そこに、ラッカ=ローゼキは1人で立っていた。
「はぁ――はぁ、はぁ」
ラッカは部分獣化の爪を仕舞う。ズチュズチュと音が鳴り、手の甲の傷はすぐに癒えた。
「いや、ウソでしょ――」
とロパロセラは言った。
「超加速型って、回数制限も発動間隔もなんにもないの!?」
そんなの――本当に無敵じゃん。敵いっこない。これがA級獣人ってこと?
ロパロセラの疑問に、ラッカは息を切らしながら振り返る。
「えっと、たしかキキって人には1日3回までって言われたんだけど」
そう答えながら、あれっ、と彼女は思った。
――無我夢中でやってたから分かんなかったけど、私、今日は6回も超加速を発動して平気でいられてる。いや、デートのときに遊びで1回やっちゃったから合計7回、か。
もしかして、もう私、何回超加速しても平気になってんじゃないの――?
ラッカは訝しみながら、不意に、自分の足元にある眷属たちのバラバラ死体の山に気がついた。
――私が殺したのか。私が、こいつら獣人になる前になにもできないから。こいつらが悪モンになる前に助けられないから。
そう思うとラッカは、自然にバラバラ死体の前で手を合わせていた。神仏習合の観念も知らない彼女は、ただ、トーリの家で見たテレビドラマや、課題図書のなかで得た知識で見様見真似に冥福を祈っただけだった。
そんな彼女を、
「おいコラ!!」
と激昂したロパロセラ=ディルニが怒鳴り、胸倉を掴んだ。
「なんでクズどもに手なんか合わせてんだ!? オオカミおいコラ!!」
「だ、だって――こいつらにだって、その、事情とかあるんだろうと思って――」
「ジジョウもサンジョウもあるかカスが!! そんなもんみんな誰だって抱えながら生きてんだよ!! アァ!?
お前、まさか人殺しのクズを可哀想と思ってんじゃないだろうな!?
可哀想なのは殺された被害者だろうが!! あたしの班長を死なせたのは、なあ、こいつら吸血鬼なんだぞ!!」
ラッカは呆然としながら、ただ、自分の胸倉を掴んでいるロパロセラの手を握った。
「――ごめん」
と彼女は言った。「そうだった。お前の気持ち、なんにも考えてなかった。ごめん」
「チッ」
ロパロセラは舌打ちをした。「お前さあ、なんでそんなに強いくせに、そんなに甘ちゃんなんだよ――?」
他人に優しいのは善でも悪でもないっしょ? 同情すべき相手を間違えてたら、いつか最悪に道を踏み外しちゃうんじゃないのお? と、ロパは吐き捨てた。
ラッカはしゅんとする。
そのときだった。
東京ガイナシティワールドの外――備え付けホテルのひとつ『ヘルメス』の窓が、花火の明かりに紛れながら開き、そして――高火力の光線を射出してきた。キンキンと直角に曲がり近づいてくる。
ラッカはすぐに気づいた。
「避けろ!」
と、ロパロセラ=ディルニを突き飛ばす。
それから左手をピストルの形すべきか、回避すべきか、
脳が迷っている刹那に、
ビームはラッカの胸部に命中していた。
「――えっ?」
胸のTシャツが焼き切れる、その熱をラッカは感じた。
「オオカミ――!?」
ロパロセラ=ディルニの鋭い悲鳴が遠くから聞こえてくる、そう感じながら、ラッカの身体は吹き飛ばされて『幻想の街』にあるヒロインキャッスルの2階、体験型アトラクションの室内会場まで勢いよく放り込まれていた。
※※
渡船コウタロウは、ライフル用のスコープで園内を観察しながら、ひとり頷いていた。
「――よし、ゾーロの光線がオオカミに命中。
あの呪われた娘ももう終わりだ」
※※※※
ラッカ=ローゼキは、ヒロインキャッスルの2階に突っ込んだまま、その床で完全に意識を失い、ただ横になっていた。
『起きて、お願い起きて!』
という声が聞こえた。『お願いプリンセス! 暗黒竜に光の剣をかざして!』
それは、アトラクション用の人工音声である。
「――う、うーん?」
ラッカは頭をかきながら、ゆっくりと上体を起こす。どうやらゾーロ=ゾーロ=ドララムの光線に撃たれた、その衝撃でこんな場所まで吹き飛ばされてしまったらしい。
――撃たれた。
そうだ、撃たれたんだよ! あのビームに! 傷とかどうなってんだ!?
ラッカは慌てて穴の空いたTシャツをめくり、念のためスポーツブラもずらして上半身の全てボディチェックした。
だが、なんの傷もない。
獣人核による再生能力のおかげじゃないということは、すぐに分かった。まず、撃たれたばかりなのに傷跡すら存在しない。だいいち、ゾーロ=ゾーロ=ドララムの光線は撃たれたら核ごと容赦なく破壊する即死級。
だから浅田ユーリカは――腐乱姫は肉体全てを破裂させるように死んだんじゃないか。
ラッカは、ユーリカの死の間際の言葉を思い出した。
《おおかみさん! よけてえ!!》
そう言って彼女を突き飛ばし、ユーリカは死亡した。
「ユーリカ――」
ラッカは不意に、自分が撃たれる前にやろうとしていたことを思い出す。眷属を倒す前に出会った、猟獣の女の子。その子を助けるために、突き飛ばして私が撃たれたんだ。
「あのときのユーリカと、同じになれたかな――?」
と彼女は思った。
瞬間。
《だらしねえな、オレの娘はよ》
そんな声が聞こえてきた。
「誰だっ!?」
ラッカは思わず立ち上がり、周囲を見渡す。もちろん、客もスタッフもみんな避難したあとで、誰もいないはずである。
《そろそろ18歳になるってのに、時間を止められるだけか? オオカミの力はなあ、そんなもんじゃねえぞ、オレの娘》
と声の主は言う。
《盾も矛も使えねえんじゃ、話にならねえ。もっと強くなれ――お前の母親を悲しませたくないなら、な――》
そこまで話し終えると、声の主らしき男はふっと気配を消した。
「待て! お前――誰だ!? 私のなにを知ってるってんだ!?」
そうやって叫びながら辺りを走り回るラッカの首に、いつものドッグタグがぶら下がっていた。
※※※※
一方で、東京ガイナシティワールドの備え付けホテルである『ヘルメス』の寝室にいた渡船コウタロウは、ライフル用のスコープで状況を監視しながら息を呑む。
「オオカミが生きてる!? バカな――たしかにゾーロの光線が命中したはずだ!」
なぜだ。そう自問しながら、コウタロウの視界ではラッカがヒロインキャッスル1階正門から出てきて、ロパロセラ=ディルニと落ち合っているところだった。
「ゾーロの型が効かない? なぜ――!?」
そう思うと同時に、コウタロウの脳裏に10年前のオオカミ男の姿がよぎった。
サイロ=トーロ。
絶対防御の盾と絶対貫通の矛を持ち、時間を無際限に停止できる、有史最悪のA級獣人。 存在自体が厄災となる、ニンゲンの宿敵の面影である。
「――この土壇場で、父親と同じ力を手に入れたっていうのか? あの小娘」
コウタロウが髪をかきむしりながら、再びゾーロに狙撃を命令しようとした、
と、
「動かないでください」
そんな同僚の声が後ろから聞こえた。
警視庁獣人捜査局第四班班長、中村タカユキ。そしてその専属猟獣、ハチの獣人、サビィ=ギタである。脅威度B級、破裂型。――手に触れたものを爆弾に変える、つまり近接戦闘ではゾーロを使っても勝ち目はない。
コウタロウは静かに振り返る。
「なぜここが分かった?」
「あなたが反旗を翻すことは第二班の『占い』で分かっていました。第一撃のビームが失敗することも。あとは光線の射出後に部屋を特定して、ここに来ればいいだけです――」
タカユキは拳銃を構えたまま、そう言った。
コウタロウは目を見開く。
――第二班の未来予知能力! 志賀レヰナの専属猟獣クダン=ソノダか!
なるほど、最初から読まれていたということか――天気予報レベルの未来視、とはよく言ったものだな。肝心なときに嫌に的中する。
コウタロウは、少しだけ笑った。
「中村タカユキ、ひとつ教えろ」
「なんでしょう」
「お前もオオカミの存在は脅威に思っていたはずだ。夜牝馬討伐の際に、騒動に紛れてラッカ=ローゼキを始末しようとしていたことはこちらも調べがついている。
――なぜ今さら志賀レヰナと渡久地ワカナの側に、祁答院アキラの側に立つ?」
その問いに対して、中村タカユキはただ、丸眼鏡の位置を直すだけだった。
「俺の猟獣のサビィが、あの夜牝馬の件を境にラッカを信じてしまった。もう彼女を闇討ちできないと言いました。――飼い主の俺にとっては、それが全てです」
※※※※
チトセに取り残されたトーリは、なんとか再び立ち上がりながらスマートフォンの電波を確認する。東京ガイナシティワールドには、もう獣とその狩人以外には誰もいないようだった。
向こうから歩いてくる足音がする。それは、ロパロセラ=ディルニを連れた自分の相棒、ラッカ=ローゼキだった。
「ラッカ!」
「トーリ――」
ラッカは返事をしながら、とぼとぼと歩いてきた。「襲ってきた眷属は、ぜんぶ始末したよ。そっちはどうだったの?」
「途中でクロネコ派の獣人も二匹ほど来た。両方駆除できた――が、大元の布瀬カナンには逃げられた。俺のほうはしばらく戦えない」
「――そっか」
ラッカが頷くと、話を聞いていたロパロセラ=ディルニがトーリに近づいた。
「警視庁獣人捜査局第七班班長、日岡トーリさんですよね? 神奈川県警獣人捜査局第二班専属猟獣、ロパロセラ=ディルニです。――こちらの班長は死亡しました」
「なに?」
トーリは訊き返してから、さらに疑問が湧いてきた。
「なぜ神奈川の猟獣がここにいる?」
すると、ロパロセラは拳をぐっと握りしめた。
「――正直に言います。あたしたちの仕事は、ラッカ=ローゼキの監視とその殺害です。成り行きで緊急事態に参加しましたが、もともとの目的は管轄外の極秘任務、でした」
「――――」
トーリが絶句していると、スマートフォンの通話アプリが起動する。イヤホンの位置を確かめてから、トーリはボタンを押した。
「第七班、日岡トーリです」
『局長、渡久地ワカナだが』
と声が聞こえてきた。
『逃亡した残りの吸血鬼の追跡は第二班と第三班に引き継ぐ。お前は自分のところの第七班捜査員たちと合流しろ。第四班は仕事を終えて本庁に戻るところだ』
「第四班の仕事は?」
トーリが訊くと、一拍置いて、彼女はこんな風に答えた。
『ラッカ=ローゼキの暗殺を企てた第一班班長、渡船コウタロウの作戦阻止と身柄確保。第二班、クダン=ソノダの未来予知が役に立った。
渡船は本日付けで警視庁獣人捜査局を去るよ。残りの捜査員は第二班と合併。ゾーロ=ゾーロ=ドララムの所有権は他班に移る』
その話を耳にして、トーリは思わずラッカの体を見る。
なんの傷もないが、Tシャツの胸のあたりに焼け焦げたような穴が開いていた。
それは、ゾーロ=ゾーロ=ドララムの光線の跡である。
――トーリはすぐに腐乱姫の事件のことを思い出した。あのときもラッカはゾーロに撃たれそうになり、それを浅田ユーリカに助けられたと言っていた。
あれはやはり、誤射じゃなかったのか?
ずっと裏で狙われていたっていうのか?
トーリの絶句は、そのまま、怒りに転じていく。
「局長、未来予知が役に立ったってなんの冗談ですか?」
とトーリは言った。「俺のラッカが一発撃たれてるじゃないですか!!」
『日岡トーリ、落ち着いてくれ』
「第一班の渡船コウタロウに今すぐ繋げ!! 辞める前に言うべきことがあるはずだ!!」
彼は、自分の感情をコントロールできないと感じた。そんな風に心臓が動いたのは、久しぶりのことだった。
『各班長の動向を把握していなかった、局長である私の責任だ。頼むから矛を収めろ』
そんな彼女の言葉も、今のトーリには火に油である。
「俺の母さんは、日岡ヨーコという科学者は生前、渡久地ワカナという人間を信頼に値する刑事だと言ってました。その警察のやることがこれか!?」
怒鳴るたびに、痛めた右腕と肋骨が痛む。
「トーリ」
と、ラッカがその体を支えようとした。「べつにいいよ――私は気にしてない。なんか理由があるんだろ」
「ラッカが許しても俺は許さない」
彼がそう言うと、通話アプリの向き先が第四班班長の中村タカユキに変わった。その場にいる渡船コウタロウが対話を許可したためである。
『オレに言いたいことがあるのか? ちっぽけな小僧が』
「あります」
とトーリは言った。自分の声が、驚くほど低い。
「ラッカ=ローゼキは、これまで警視庁獣人捜査局第七班専属猟獣として、多くの獣人案件解決に貢献してきました。そのなかにはA級案件もあった。人命救助にも尽力してきたはずです。
――これ以上なにをやったら彼女を信じるんだ!! オオカミのことがそんなに信じられないか!! だったらラッカを連れてきた俺を先に撃ち殺してみろ!!」
そこまで彼が怒鳴り終えると、コウタロウはただ静かに、
『お前はなにも知らないだけだ。オオカミの娘が善か悪かは問題じゃない。彼女の存在自体が罪なんだ』
とだけ答え、そこで通話を打ち切った。
いや、打ち切ったのではない。渡久地ワカナが割り込んできたのだ。
『日岡トーリ、落ち着け。それ以上の暴言は、お前が処罰対象になる。いいな』
ワカナは、まるで親戚の幼子をなだめるような口調でそう言った。
トーリはスマートフォンを握りしめる。
「――局長、俺が知らないこととはなんですか?」
とトーリは静かに訊いた。
「ラッカに、どんな秘密があるっていうんですか」
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