第15話 VS遊園狂 前編その2
※※※※
クロネコ派の一人、布瀬カナンは、朝の熱いシャワーを浴びてからゆっくりと服を着た。ブラウスのボタンを全てとめてパンツスーツを履くと、歯磨き粉を垂らしたブラシを口腔内の歯列に丁寧に当てていく。
最後にコップの水でゆすぎ、吐き出した。
――ふう。
そう思って顔を起こすと、洗面台の鏡に、自分ではない女が正面から映っていた。
コウモリの羽毛を思わせる漆黒のロングストレートヘアと、真っ赤な瞳。そして、おそらくは人間時代の病弱を引きずったものだろう、透き通るような白い肌。大きな胸と長い手足は、深紅のドレスと、ケープに覆われている。
「――誰ですか」
と布瀬カナンは訊いた。
『ああ、そっか。貴女とこうやって会うのは初めてだったっけ』
と鏡の向こうは答えた。『――あたしの名前は熊谷チトセ。コウモリの獣人で、吸血鬼。あなたに力を与えた分散型の、初代ヴァンデッタ=ヴァイジュラだよ?』
「初代吸血鬼?」
カナンは震えた、が、すぐに合点がいく。かつて自分たちが従っていた紀美野イチロウは、いつも誰かの言動に惑わされているようだった。そしてときどき虚空に向かって「黙れ、チトセ!」と叫んでいた。
あのときは、せいぜい、イチロウに力を与えた女の名前がチトセで、その幻覚でも見ているのだろう、と思っただけだった。
実際には違う。私も、熊谷チトセの姿を見ている。
『これが分散型の、本来の力だよ? カナン』
とチトセは言った。『だって、不思議には思わなかったのかな。全ての獣人は、人間どもに憎しみを覚えて獣人になる。じゃあ、分散型の力で獣人になってしまう人たちの憎しみはどこからくるの?』
「え、えっ――」
『元の吸血鬼の殺人衝動が、つまりは魂が、血とともに受け継がれていく――それがコウモリの力なんだよ、カナンちゃん』
「――!」
カナンは思わず後ずさり、歯ブラシを床に落とした。
『もお、そんなに怯えないで?』
とチトセは笑った。『あなたの気持ちは知ってるよ。クロネコを出し抜いてケモノの社会で上位に立ちたい、そうなんでしょ?』
「――はい」
カナンは頷く。本能で悟った。これは幻覚や妄想の類ではない。チトセが言うとおり、分散型の能力でチトセの精神が私に混ざっているのだ。
「勢力図を整理させてください」
とカナンは言った。「クロネコ派はオオカミをさらに強くして、自分たちの陣営に引き込みたいと思っている。逆に、ニンゲンは、オオカミを今の強さのままでコントロールして体よく利用したいと思っている。そういう風に把握しています」
『ま、そうだね』
チトセは腕を組んで微笑んだ。『つまり、クロネコの切り札はオオカミにあるってことじゃないのかな?』
「!」
『そうでしょ? クロネコはたしかにA級獣人で、強い。でも自衛隊の攻撃を全て防げるほどの力の持ち主じゃないのは想像つく。もしそうなら、そもそも仲間を集めないはずだからね。
――オオカミには将来、それができる。だから自分たちの味方にしたいんだよ』
チトセはニッタリとした。カナンとしては、ただ頷くしかない。
「では――どうすればいいのですか?」
そんなカナンの質問に、チトセは妖艶な表情を浮かべた。
『簡単でしょ? オオカミを捕縛して、取引材料にすればいいんだよ』
「捕縛――?」
『そうだよ? オオカミは最強のA級獣人だけど、あたしたちは最悪のB級獣人。だから条件さえ整えれば勝機はある』
「どうやってですか――」
カナンが訊くと、チトセは、クックックッと肩を震わせた。
『質より量で行こうよ? 今度、オオカミの女は遊園地で羽根を伸ばすらしい。だったら彼女が遊園地入りをする前にコウモリたちを増やして待ち構えてから、襲い掛かればいいんだよ。
――場所は遊園地だよ? 戦えば戦うほど、向こうにとっては守らなくちゃいけないニンゲンが増えていく。そして不利になっていく。
ここは、さあ、なりふり構わずね』
「――はい」
そうカナンは頷いた。
チトセのほうも頷く。
『キミは良い子だね。なら、あたしの復讐にもちゃんと協力しようね?
もう、かつてのあたしを苦しめていたカルト宗教は半壊した。あたしには生き甲斐がなくなった。でもあるんだよ、たったひとつだけ! あたしたちを殺ったオオカミに、復讐するんだよ!』
チトセは、カナンが見つめる鏡の前で、殺気に満ちた表情であった。
「狼人間のライバルはさ、いつだって吸血鬼でしょ!?」
※※※※
2023年9月7日。
ラッカ=ローゼキは日岡トーリのBMW、その助手席に乗って、豊島区にある東京ガイナシティワールドに向かった。
「本日は非番のため、連絡が遅れます。すみません」
とトーリはスマホに向かって喋っていた。おそらく、警視庁獣人捜査局局長の渡久地ワカナに言っているのだろう。
「遊園地って私、初めてだなあ~!」
とラッカがはしゃいでいると、トーリは少しだけ、悲しそうな顔をした。
「そうだな」
と彼は言った。「本当は、人間の女の子なら、こういうところで遊んで、勉強もサボって、それが普通で当たり前なんだ。――ラッカには頑張らせすぎたと思ってな」
だから、色々考えたけど――普通の人間としての遊びも楽しんでほしいって思ったんだ――とトーリは言った。
「大丈夫だよ!」
とラッカは笑った。「だいたい、私はニンゲンじゃなくてオオカミだよ!」
そうして駐車場に着いた、が、平日にもかかわらず遊園地は大繁盛のようで、車を停められる場所を見つけるのにはだいぶ時間がかかった。
「すごい人気じゃん、ここ」
「まあな――」
トーリは苦笑した。最終的には、「お、あそこ停められるんじゃね?」「よし、そうしよう!」みたいな感じで盛り上がりながら車を動かしていた。
東京ガイナシティワールドは、もともとアメリカのコミックアーティスト、ロバート=ガイナ・ウェリントンの人気にあやかったテーマパークである。彼の手がけた作品を模したアトラクション、ショップ、レストランが所狭しと並んでいる。
ラッカは「うわー」と、本当に声に出しながら歩いていた。20世紀初頭の、ヴィクトリア朝様式の建物が立ち並ぶ商店街をくぐり抜けると、
まず最初の『冒険の街』が待っていた。アジア、アフリカ、南国の島、ニューオーリンズの街、いくつもの文化が混在したまま統一された景色を形づくっている。
「なんだここ、すげえ!」
ラッカはそわそわと周囲を見渡す、と、なにか行列をつくっているアトラクションを見つけた。タイトルは『海賊の旅』というらしい。
「トーリ! あれ並んでみたいあれ!」
「そうだな、そうしよう」
そうして二人は20分ほど列に並んだ(その間は、最近いっしょに見た刑事ドラマの感想を言い合っていた。実際の刑事からすればフィクション感は強いが、それでも楽しかった。「イブキの気持ちって私わかるなあ」「そういうもんか。俺はイブキの相棒のシマって奴いただろ? あいつはなんか好きになれたよ」「ええっ、じゃあ私たちもそういうバディじゃね!?」「ははは、そうかもな」)。
で、実際にアトラクション用のボートに乗る。実際は水底に立てられたレーンに従っているだけだが、建築物、登場人物の人形、全てがリアルで、本当にその場を進む舟に乗っているような気分になる。
『ヒャッハッハ! よくぞ海賊の冒険に臨んでくれたもんだなあ!』
とナレーションが流れた。『テメエらの望みはなんだあ? 金銀財宝かあ? 絶世の美女かあ? それとも国を盗れるような圧倒的権力かあ?』
そんな言葉に、ラッカは思わず考え込む。
――私の望みってなんだ?
そんな場違いの葛藤も知らず、ナレーションは言葉を繋いだ。
『俺たちボンクラ海賊が欲しいのはただひとつ! 自由だぜ! 自由以外なにも要りゃしねえ! そんじゃあ、両方のお手々でセーフティバーにしっかり捕まってな! 大冒険が始まるぜえ!』
次の瞬間、アトラクションの舟は滝の流れのように落ち始めた(そういうアトラクションである)
「うわああああ――!!」
ラッカはセーフティバーを掴みながら、ただ、自分の乗っている舟が急降下、さらに急旋回、そして急上昇、以降その繰り返しをするに身を任せ続けた。
――なんだこれ、楽しい!!
舟がゴール地点に着いたあとも、ラッカはボーっとしていたので、トーリが手を握って連れていかなくてはならなかった。
「ちょっとは、楽しかったか?」
「――うん!」
ラッカは頷いた。「ニンゲンってこういうのもつくれるんだな! すごい!」
「楽しんでくれたならよかったよ」
トーリは笑うと、
「今度は『開拓の街』に行こう。美味いレストランもあるし――」
と歩き始めた。「射撃ゲームの店がある。勝負しよう」
※※※※
神奈川県警獣人捜査局第二班班長、横光サンハイは、テーマパーク・東京ガイナシティワールドの『開拓の街』でぶらついていた。
理由はひとつ。オオカミの女とその相棒を監視し、場合によっては始末するためである。
そのために、専属猟獣ロパロセラ=ディルニも連れてきている。チョウの獣人、脅威度B級。誘因型。――射程距離内に、任意の効果を付与した鱗粉を撒く。
「ここ、楽しいですね~?」
と、ロパロセラはポップコーンを食べながら言った。サイドアップテールの長い黒髪と、街並みに紛れるための紺セーラー服を着た女だ。「あたしたちも楽しみましょうよお?」
「んあー」
とサンハイは答えた。「ごめんなあロパ。今の仕事、ちょっと大事なんよ。警視庁獣人捜査局第一班からの極秘任務でな。下手すると死ぬかもしれねえ」
「え~? 死んじゃうのはイヤ~ですね~」
「だろ? だから今日は真面目に行こうや」
サンハイがそう言うのと同時に、スマートフォンが鳴り響いた。警視庁獣人捜査局第一班班長、渡船コウタロウからの着信である。
「お疲れ様です、コウタロウさん」
『オオカミはどうだ?』
「めちゃくちゃ遊園地を楽しんでますねえ。相棒の日岡トーリって奴もいっしょだ。今は『開拓の街』で射的場にいますよ」
『――そうか。引き続き監視を頼んだぞ? 場合によっては、だが、シルバーバレットの使用を許可する』
「いやそれ、実際に撃ったとき神奈川のオレらに責任なすりつける気マンマンじゃないです?」
サンハイは少しだけ怒気を発した。となりのロパロセラが、ほんの少しだけ緊張を露わにする。
「これ管轄外の極秘任務ですよね? つまり、公的なドキュメントには活動の記録が残らない。だからオレたちがオオカミ女を始末して問題になったとき、東京のアンタらには『神奈川のバカが勝手に暴走しただけ』って言い訳できる余地があるってことじゃないですか。
――コウタロウさんは命の恩人だ。オレが狩人を目指した理由でもある。でも、あんまり仁義の通らねえことを言うならコッチは戦争するぞ? 神奈川が警視庁の言いなりと思ってんならなあ」
サンハイがそう言う間、ロパロセラは冷や汗を流しながらポップコーンを食べ続けた。
電話の向こうでは、コウタロウがゆっくりと息を吐く。
『そこは問題ない。心配するな。
既に証拠は作成して時限式で提出予定だ。つまり、罰を受ける気でいる』
「――あん?」
『オレは間近でオオカミの娘の父親を、その力を、引き起こした惨劇を見ている。サイロ=トーロ。超加速型のA級獣人だ。時間を止める――だけではない、その力を応用した《絶対貫通の矛》と《絶対防御の盾》が真の脅威だ。
ラッカ=ローゼキが同じ力に目覚めて人類に反旗を翻したとして、それを止めるかつての手立ては現状ない。
今の首相・祁答院アキラは自衛隊の武力行使大歓迎・米軍との連携大歓迎のタカ派だからな。最悪、オオカミが暴走した場合は核を借りて、それを街に落とすだろう』
「え――?」
『そういう最悪の状況を想定しておくべきだということだ。オレはオオカミの、あんな出過ぎた武力をコントロールできるとは全く思えない。
ここに論理的な根拠はない。ただの感覚、ただの恐怖だよ。――だが、オレたち警官の経験に裏打ちされた直感は浅薄な理屈よりも正しい。違うか?』
「――!」
サンハイは、ここにきてようやく、ラッカ=ローゼキの脅威を理解した。
『なあサンハイ。そんな最悪を防ぐために必要なのは、ラッカ=ローゼキの善性を信じることか? 今は人間様の味方を気まぐれでしてくれているから見逃そうと、そう楽観視することか?
違う。
可能性を生み出しただけでアウトなんだ。人ごみに紛れて、なにかあれば暗殺を決行しろ。その責任はオレが全て取る。どうせ老いぼれだ、極刑も覚悟している。だがオレはこの社会を守りたい』
そうコウタロウは言うと、サンハイに念を押すようにこう言った。
『オレたち人類の悪意が取り逃がした、最悪の置き土産がラッカ=ローゼキだ。最初から分かっていた、が、あの娘は強くなるのが早すぎる。
表向きは彼女を正規の猟獣にするしかなかった以上、もはや、正当な処刑はできない。ならば隙を見て始末すべきだろうが』
「――はい」
『分かってはくれたか?』
とコウタロウは言った。『オレはオオカミに顔が割れているからな。まあ、頼んだぞ。ゾーロ=ゾーロ=ドララムは切り札に取っておいてある』
※※※※
『開拓の街』に辿り着くと、ラッカは、まずスタッフたちの姿が変わっていることに気づいた。テンガロンハットを被り、チョッキにジーンズ姿で、開拓時代のアメリカ西部の服を着込んでいる。
「なんか、変わったの?」
「テーマパークだからな。それぞれのエリアで、スタッフはその世界観に合った適切な衣装を着てる。今の俺たちは、ウェスタンのカウボーイとか、カウガールってわけだ」
「へえ~!」
ラッカは感心しながら、トーリに連れられて射的場を訪れた。ジェットコースターを除くと主なアトラクションはふたつ。オモチャのライフルを使って遠くの的を当てるゲームと、逆に、赤外線センサーの銃を持った人形たちの射撃を避けてゴールを目指すランニングゲームだ。
「んじゃ、勝負だな。トーリ」
「おう」
そうして二人は、まずは的当ての店を訪れた。最初にラッカがオモチャの銃を握って、ランダムに起き上がる人型の的を目指してトリガーを引いた。成績としては、1分以内に当たったのは30体中の5体である。
「うえええ~!? これムズくねえ!?」
「ははは」
次にトーリはオモチャの銃を受け取り、ゲーム開始と同時にトリガーを引いた。こちらの成績は、1分以内に当たったのは30体中の12体である。
「――たしかに難しいな、これ」
トーリは苦笑しながら、スタッフにオモチャの銃をゆっくりと返した。
「本物の鉄砲とは重さも使い勝手も違う――っていうのは、言い訳だな」
そんなトーリのとなりで歩きながら、ラッカは、ふと疑問に思っていることを言った。
「トーリって、もっと銃が上手いと思ってたよ」
「そうなのか」
「私が敵の獣人に負けそうなとき、いつもシルバーバレットで助けてくれてた。だから、強いのかなって――」
とラッカは言った。思えば化け狐に負けそうになったときも、夜牝馬に負けそうになったときも、助けてくれたのはトーリだったから、それが不思議だった。
「俺は獣人捜査局の射撃訓練では乙級二組。言ってしまうと中の中だよ」
とトーリは答えた。「警視庁獣人捜査局第七班で、いちばん射撃訓練の成績が良いのは甲級一組、副班長の仲原ミサキだしな。いつも頼りにしてる」
「そうなの――?」
ラッカは少しだけ混乱した。トーリがピンチを救ってくれたことと、訓練上の成績が、頭のなかで結びつかない。
「んー、なんかピンとこないなあ」
「もしかしたら、俺が本番にだけ強いタイプだからかもな」
トーリは微笑んだ。「そういうときは、ラッカを助けたくて必死だったから――実力以上の結果が出たんじゃないか?」
「ああ~!」
ラッカは納得してから、少しだけ嬉しかった。――自分を守るためにトーリが実力以上になってくれたのが、なんだかこそばゆくて、変な気持ちだった。
次に訪れたのがランニングコースだった。人形のガンマンたちが赤外線の拳銃を持っている。体に当たったらアウト。そのなかを100メートル走ってゴールにタッチしたらクリアである。
「なんかここ、人が並んでないな?」
ラッカがそう気づくと、トーリも頷いた。
「昔から、このアトラクションは難易度が高すぎることで有名なんだ。そのせいで、初見でなければ挑戦もしない。
俺もクリアした人は見たことがない。
景品が豪華なわりにいわゆる不人気コンテンツだが――なぜかずっと続いている感じだ」
「へーえ!」
ラッカは頷いた。「ていうか、トーリ、この遊園地についてメチャクチャ詳しくない? 前になんか調べてたの?」
そう振り返ると、トーリは少しだけ遠い目をした。
「いや。小さいころ母親に一度だけ連れて行ってもらったことがある。
正月にも、お盆にも、誕生日にも、クリスマスにも、両親はアメリカの研究会か仕事場にいて家に帰ってこなかったからな。なぜだか印象に残ってるんだ。それで昔はよくここに来てた――」
トーリの頭のなかで、当時の記憶が蘇った。
母親のヨーコは、射的場のゲームでいちども的にオモチャの銃弾を当てられなかった。
『やっぱり、ワカナやレヰナみたいにはいかないな。狩人の才能は、私にはないらしい』
そしてその次に挑戦したトーリも、そのときはひとつも的に当てられなかった。
「母さん、俺も狩人の才能はないの?」
トーリがそう訊くと、ヨーコはふっと笑って彼の頭を撫でた。
『問題はなにに向いているかじゃない。なにをすべきだと思っているか、だ。私も、自分が獣人科学をやるべきだと思ったのは大学生になってからだよ。――トーリも、ゆっくり悩んで決めるといいんだ』
「なんで今日は、連れてきてくれたの? 仕事はいつも忙しいんだろ?」
『そうだな――』
とヨーコは顎に手を当てて、しばらくすると、こう言った。
『私はいつもトーリのことを一人にしている。人間的な感情が薄いとよく言われるんだよ。でも、私も、母親らしいことを、一度はしてみたかったんだ』
のちに彼女がサイロに殺される何年も前の話である。
トーリがもの思いに耽っていると、ラッカのほうは、ランニングゲームの前で準備運動をしているところだった。
「ふーん。トーリがいっぱいこの遊園地に来ていて、これ攻略できた人を見たことはないんだ?」
「――ああ、まあ、そうだよ」
「オッケー!」
とラッカは笑った。
「初勝利を見せてやるぜ」
ゲームスタート。門が開き、人形が動き始める。センサーつきの赤外線リボルバーが一斉にコース内のラッカを視認、方向を変え始めた。
「――全部で人形は10体。おそらく段数制限はなし。初射撃から次弾発射までの間隔も不明。なるほどなあ、
こりゃ無理ゲーっぽいや。
――ニンゲン相手だったらな!」
ラッカは走りながら、左手をピストルの形にした。
「『超加速』!」
その瞬間に、全ての時間が止まる。ラッカは人形たちの銃口を気にしながら、10秒間のなかでコースを走り続けた。ジャンプし、かがみ、赤外線の向いていそうな場所を念のため避けながら、ラッカはゴールまで辿り着いた。
タイム・アウト。
コングラチュレーションのファンファーレが鳴り響くなか、ラッカは自動景品機から限定の保安官バッヂを受け取った。
「んへへー! ゲット!」
トーリは呆気に取られる。もちろん、もともと不人気のコンテンツなので、彼女がしたことを見ている者はほとんど誰もいない。もっとも、二、三人は「あれっ?」と訝しんでいる人もいた、が、少し首を傾げながらみな立ち去ってしまった。
トーリは慌ててラッカに近づいた。
「もしかして、型を使ったか?」
「え? うん!」
ラッカは笑いながら「ほい!」と、そのバッヂをトーリに手渡した。
「トーリ、この遊園地には何度も来たことあるんだろ? トーリが見たことないもの見せたかったんだ」
そんな笑顔を見ると、トーリとしてはなにも言えない。
ただ、「そうか、ありがとな」とバッヂを受け取ると、「型の使用は今回限りな? 非常事態のときに温存しとこう」と、それだけをなるべく穏やかに伝えた。
ラッカは、
「あ、そうだった! やべっ!」
と慌てている様子だった。「ごめん、トーリ」
「大丈夫、怒ってないよ。俺のためにしてくれたんだよな?」
トーリとしては、ラッカが普段の任務を忘れて能力を行使してしまったことを、むしろ良い兆候だと感じていた。
今の彼女は、猟獣としての職務だとか、人間の味方をやるという使命だとかを、娯楽のなかで忘れてくれている。
――それが、だけど、普通だろ? ラッカがヒーローになりたいとして、24時間それを意識なんてしなくていい。俺といるときなら、せめて、ただの女の子として楽しく過ごしていてくれればいいだろう。
彼はそう思った。
「バッヂ、どこかに飾っておくか」
「いいね! テレビの隣とかに!」
「――はは。じゃあ、そうするよ」
そんな会話をしながら、トーリは、
「そろそろ昼だ。メシでも食おう」
と言って彼女を『カウボーイの酒場』に案内した。西部開拓時代の料理を部分的に再現しながら、それを現代風にアレンジしている、『開拓の街』のなかで最も人を集めているレストランだ。
「それ並んで行けるかなあ?」
「予約システムがあるからな、大丈夫だよ」
こうして、ラッカとトーリはリザーブ席に着くと、豆料理とイモ、牛肉のシチューを、パンといっしょに食べながらカウボーイ流のコーヒーを飲んだ。
――そんな二人は、このあと泊まるテーマパーク内のホテルの話をしながら、自分たちに迫っている危機をなにも知らなかった。
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