第15話 VS遊園狂 前編その1


  ※※※※


 2023年8月23日。

 Youtuberの男たちはスマートフォンを持って豊島区をうろついていた。彼らは、めぼしい不審者を見つけては晒し上げて脅し、叩きのめす、そういう正義の味方を気取って再生数を稼ぐカスどもである。

「お、アイツいいんじゃねえ?」

「いいねえ!」

 と連中は語り合った。

 彼らが見つけたのは、折り目正しくスーツを着た、黒縁眼鏡の髭面男である。彼らが見る限り、三時間以上は駅のホームに立っていてボンヤリとしている(それが分かるということは彼らも三時間以上は駅をうろついていたということなのだが)。おそらくは乗降者の女を視姦するためだろうと男たちは思った。

 ――こういうオッサンを捕まえて、ネットに晒し上げれば、俺たちは女どもの味方ってわけ。そういうチンピラ武勇伝にDM寄越してくるバカ女どもとオフパコしまくり放題! 

 くぅ~! 今から興奮してきたわ!

 彼らは黒縁眼鏡に近寄った。

「オッサン! なんでずっとここにいんの? ん?」

「え――」

「オッサンさあ、自分が不審者って分かってる? 何時間ここにいんだよ今よお?」

「え」

 黒縁眼鏡は彼ら三人を交互に見つめたあと、「迷惑でしたら、出ていきます。すみませんでした」と頭を下げて去ろうとした。

「いやいやいや!」

 とYoutuberは黒縁眼鏡は押しとどめた。「まずスマホ見せてよ! スマホ! どうせオッサンさあ、盗撮してんだろ女のことを!」

「していませんが――」

「口答えしてんじゃねえぞ! 弱オスがよ!!」

 Youtuberは黒縁眼鏡の頭を殴りつけた。「さっさとスマホ寄越せって! 寄越せねえんなら盗撮認めるってことだよなあ! なあ!?」

「盗撮はしていません。でもスマホは許してください」

「スマホ渡せない!? はい盗撮決定~! クソ野郎がよお、さっさとそのアイフォン寄越せって! 女の味方なのオレたちは! 分かるかあ? どっちが正義なのかさあ!」


 次の瞬間。

 男のスマホに手を伸ばしていたYoutuberの指が全て弾け飛んだ。ころころと第一関節から先が床に転がり、血が飛び散る。

「ああ――!?」

「だから、やめてくださいって言ったのに」

 黒縁眼鏡の男は、ワックスで整えた髪をくしゃくしゃと乱しながら顔を上げた。

 ――トーボエ=ピル。クロネコ派の一味である。ひくひくと、こめかみに青筋を立てていた。

「私が? ファックとファッションにしか関心のない下らないメスのヒトザルに性的興味? てめえマジでそれ言ってんのか? あ?」

「ひ――」

 Youtuberが悲鳴を上げる前に、トーボエの暴力が振るわれた。まず、人差し指と中指で両目を潰す。次に、逃げようとする二人の両足を蹴り崩すと顔面を踏み砕いた。最後に、三人の睾丸を握りつぶす。

「ニンゲンの女に? 私が? 興味がある? なんて侮辱だ。死を以て償え、ヒトザル――!」

「キャアアアアア!!!!」

 トーボエの凶行を見つけた女が、悲鳴を上げた。トーボエはそれを聞くと、すぐにその場を離れた。元々の待機場所も、避難ルートも、監視カメラには巧妙に顔が映らない角度を選んだ。

 トーボエは街に出ながら、ゆっくりと歩き出す。スマートフォンにあるのは、クロネコとの連絡網、そして、ハバ=カイマンといっしょに映っているクイーン=ボウの画像集だった。

 クイーン=ボウはオオカミに殺されて死んだ。そのことを知って、トーボエはようやく自分の感情に気づく想いであった。

 ――クイーンさん、安心してください。貴女と、貴女の愛するハバさんが夢見た獣の国は、必ずや私が仕えるクロネコ様のもとで実現します。

 そう思いながら大塚駅周辺を歩いていると、スマートフォンから連絡が届いた。そのクロネコからである。

『なにかトラブルはあったかい?』

「いえ、なにも」

『それは良かった。じゃあ聞かせてもらおうか? キミの傍聴型が捉えた祁答院アキラの声、それは今後どういうプランを組んでいるのか、ね?』

 クロネコがそう言うと、トーボエは少しだけ黙った。

 祁答院アキラは首相になってから、2004年に発生したA級獣人事件に対する追悼を必ず行なっている。トーボエはそこに通行人として紛れ込むと彼女を傍聴。型を発動して情報を得続けてきた。

 だが、そのとき分かったことといえば――祁答院アキラというこの国の長が、クロネコに匹敵するほど厄介ということだった。


  ※※※※


 港区赤坂にある沖縄懐石の料亭の門前で、渡久地ワカナはタクシーを降りると息を吐いた。出迎えたのは黒服たちである。

「警視庁獣人捜査局局長、渡久地ワカナだ。なかにいる祁答院アキラに呼ばれた、通せ」

「大変恐れ入りますが、簡単なボディチェックのみお願いいたします」

 そう黒服は言い、ワカナは仕方なく腰のグロック17を差し出したあと、両手を上げる。ブラウス、パンツの上から簡単に調べを受け、店内に入った。

 ――ボディチェック、か。あいつもずいぶん臆病になったものだ。

 個室では、既に祁答院アキラが若いコンパニオンの女に酒を注がれながら待っていた。

「やあ、ワカナ」

「あの程度の護衛でテロリストの襲撃に備えられると思ってるのか? もし私がギボ=ジンゼズを連れてたら7秒以内には全員殺れるぞ」

「そこは心配ないさ」

 とアキラは微笑んだ。「獣人なら私にもついている。内閣総理大臣専属猟獣、ドルサトゥム=トリシダ。ヤマアラシの獣人、拒絶型、脅威度B級」

 彼女がそう言うと、部屋の片隅で正座しているポニーテールの男が頭を下げた。利き手側の畳に、長い紫色の袋を置いている。

 おそらく、なかに入っているのはシルバーブレードだ。

「ほう」

 ワカナは少しだけ感心した。この猟獣、相当やれる。なるほど店内のガードを手薄にしても問題ないというわけだ。

 それから席につくと、アキラの傍にいたコンパニオンの女が酒を注ぎにきた。

「いい、自分でやれる」

 そう断り、手酌で飲む。「アキラ、いったい今日はなんの用だ?」

「いやあ、獣人捜査局への日ごろの労いもあるし――それに、オオカミの娘について近況報告も聞きたいと思ってね」

 とアキラは答えた。

 ワカナは日本酒を呑みながら、少し考え込んだ。

 ――日岡夫妻を喪ってから十年以上も経つのか。


 かつて日岡トーリが会議室へオオカミの少女を連れてきたとき、かつてA級獣人サイロ=トーロ捕縛に関わった捜査員たちは、全員が愕然とした。

 その娘は、ラッカ=ローゼキは、明らかにサイロ=トーロの娘だった。

 銀の少し交じった白い髪、蒼灰色の瞳、太い眉。鼻筋の通った顔立ちは、異国情緒も混ざって、どこか中性的な空気を少女に与えていた。

 彼女を見たとき、ワカナもコウタロウもレヰナもダイスケも、旧世代の皆が、

 ――ついに復讐に来たのか?

 と思った。そうするのが流れとして当然だったからだ。

 だから、余計に驚いたのだ。

 両親をオオカミに殺されたトーリのほうは「このオオカミを猟獣にしたい」などと言い、

 父親を日岡夫妻に殺されたラッカのほうは「トーリの言うことを聞いてニンゲンの味方をやりたい」などと言い出したことに。

 ワカナはただ、『運命』に試されている、と感じただけだった。


 そして、現在。

 アキラは前菜をつまみながら、

「あのときワカナから報告を受けたときは驚いた」

 と静かに言った。「だが、理に適ってることではあった。A級獣人の事件は機密事項になる。遺族にすらサイロの名前や顔は伏せられた。もちろん、死に際の不可解な現象もね。獣人捜査局捜査員ですら、オオカミであること以上の情報にはアクセス困難だ。つまり――日岡トーリくんは、ラッカ=ローゼキが自分の両親の仇であることを知らない。そしてラッカのほうも、トーリが自分の父親の仇だとは自覚してない」

「そうだな」

 とワカナは頷いた。

 ――なにも知らないトーリを黙らせ、ラッカを始末するのがベストだと、あのときは思った。だが、なぜかそうできなかった。全会一致の班長会議にかけ、ラッカが賛成票を獲得していくに任せた。レヰナもダイスケも、最終的には賛成票に投じていた。

 なぜだろうか、と我ながら思う。

 そんなワカナを見て、アキラは笑顔になった。

「私は英断だったと思う! あのときのオオカミの最強な能力は、やはり惜しい! ぜひとも国内の治安維持力や対敵国の抑止力として活用するべきだよ! つまり、猟獣軍事転用を早める鍵は今あの娘にかかってる!!

 ――もしオオカミの娘ラッカ=ローゼキが、父親の仇をすっかり忘れて人間様の味方をしてくれるっていうのなら、思う存分にやらせてやればいいさ!!」

「そういうものかな」

 ワカナが運ばれてきたお造りを箸でつついていると、不意に、


「ワタシ――は、心配――です」


 と言う声があった。個室の隅で正座をしていた、ドルサトゥムだった。彼は目をつぶったままこう言った。

「オオカミの力――は、強すぎ――ます。ニンゲンに制御できない力など、ニンゲン――は、道具としては――なりません」

 その声に、アキラもワカナも振り返る。ドルサトゥムは反抗をしているわけではなく、あくまで、アキラの許す範囲で自分の意見を述べることが許されていた。

「オオカミを、地獄の番犬にするとして――今度は誰が、そのオオカミの――番犬になるのですか、アキラ首相」

「良い意見だ、ドルサトゥム」

 とアキラは笑った。「だけど、心配はない。オオカミの娘ラッカ=ローゼキはもう訓練が終わっている。正確に言えば、そう思い込んでいるんだ。つまり、これ以上は強くなることもない」

「――え」

「超加速型はA級だからね、その応用さえできれば、国家存亡を揺るがす最悪の力になる。でも今のまま、ただ『時間を止める』力のままにしておけば、人類はそれをギリギリで制御できるだろう」

 それからアキラは、ワカナに振り返った。「ラッカは獣人化・部分獣化・型の使用を全て覚えた、そうだよね?」

「ああ」

「だが型の応用はできないままだ。絶対防御の盾も、絶対貫通の矛も使えない。そして、かつてオオカミがシルバーリングを無効化したような、さらなる単世代進化の道も拓けていない――だよね?」

「そのとおりだ」

「ならいいんだ」

 アキラはワカナの回答に満足して、日本酒を飲んだ。

「オオカミはその強さのままでいい。真実はこれ以上は知らなくて構わない。飼い主のトーリくんも、だ。私がオオカミの猟獣に求めているのは、政府にコントロールできない『正義のヒーロー』なんかじゃない。いざというときに価値判断を捨てて命を賭してくれる『護国のソルジャー』なんだよ。この国が欲しているのはそれだ――違うかな?」

 アキラがそう問いかけると、ワカナとしてはなにも言い返せなかった。その顔を、アキラは真剣な面持ちで覗き込む。

「ワカナ? 君だって、愛した日岡ヨーコの一人息子にこれ以上つらい現実は味合わせたくないだろう?」


  ※※※※


 そんな会話を「傍聴」していたトーボエ=ピルの報告を聞きながら、クロネコはホテルのベランダで缶ビールを飲んでいた。

「ふうん――」

 とクロネコは呟いた。「そっか。つまり、僕が強くしてあげてたオオカミのお姉ちゃんの能力は、ヒトザルの総理大臣がBキャンセル押してたってわけかあ」

 じゃあ、邪魔だな、その首相――と、クロネコは改めて思った。


  ※※※※


 その頃のラッカ=ローゼキといえば、日岡トーリのマンションに寝床を移して、ただただのんびりと過ごしていた。

 女子寮に荷物を受け取りに来たとき、同僚の田島アヤノは、少しだけバツが悪そうな顔をしていた。

「ごめんね、ラッカちゃん」

 とアヤノは言った。「本当は、私たちがちゃんと、ラッカちゃんがなにに悩んでるのか、聞いてあげられたらよかったのにね。私たち、ラッカちゃんが頼りになるってことばっかりで――」

「そんなの気にしないでよ!」

 とラッカは笑った。「アヤノたちといっしょに暮らせてよかった。また、仕事のときはよろしくね!」

 それに対して仲原ミサキが口を開く。

「猟獣とその飼い主とはいえ、ひとつ屋根の下で男と女が生活するんだから、ちゃんと自重してね。特に、ラッカはまだ子供なんだから――」

「ハタチだよ!」

「――とにかく、あくまで警察組織の上司と部下だってことを忘れないようにね」

 そんなミサキに対しても、ラッカは微笑んだ。

「分かってるよ」

 そんな風にして、ラッカ=ローゼキは女子寮を去った。どうやら住吉キキという獣人研究員が、ラッカはトーリといっしょにいたほうがいいだろうと配慮してのことだったらしい。仕事以外の場でも、きちんと耳を傾けてくれる男がそばにいたほうがいいだろうという意味だ。

 ――まいったなあ。

 とラッカは思った。ニンゲンの連続殺人鬼・間宮イッショウの言葉をなんとなく思い出してしまったからだ。

《自分で自分を支えられない信念は、本当に信念と言えるのかな?》


 だが、それでもラッカは渋谷にある日岡トーリのマンションで充実した日々を過ごしていた。特に、トーリに和洋中の料理を教わるのが楽しかった。少しでもラッカが手順を間違うと、うしろからトーリが両腕を回してきてアシストする。

「タマゴは、そんなに強い力で割らなくていい。慣れれば複数片手に持って、簡単にできるようになる」

「あ、う、うん――」

「包丁を握って。刃物の切れ味に任せて、指一本の力だけで切り落とす。薄切りのときは向こう側が見えるくらいに」

「うん、うん――!」

 ラッカは料理のコツを頭に叩き込みながら、背中に当たるトーリの体温と、自分の手を掴むトーリの腕を感じていた。

 それから、ラッカは余暇で情報処理技術の本を読んだり、絵を描いてみたり、ギターを買って練習したりするようになった。

「でも、なんでギターなんだ?」

 とトーリが訊いてきたので、

「友達にバンドマンがいてさあ」

 とラッカは答えた。「ケンっていうヤツなんだけど。だから、私もちょっとは音楽わかりたいなあって」

「そっか。いいと思う」

 トーリはそう微笑むと、ギターショップでそれらしいアコースティックギターを選んだ。

 マーティン000-28のエリック・クラプトンモデルだった。

「それと、教本も買っておくか」

 こうしてラッカは、獣人訓練校で特別講師の仕事をする以外は、もっぱらギターの練習をして、夕飯を食べるトーリの前でそれを披露する日々を送っていた。


 最初に弾き語れるようになったのは、エリック・クラプトンの『レイラ』だった。それはラッカの拙い英語力で訳す限りでは、こんな歌詞であった。



 What’ll you do when you get lonely

 And nobody’s waiting by your side

 You’ve been running and hiding much too long

 You know it’s just your foolish pride

 ひとりぼっちで、誰もそばにいないとき、

 アンタはどうすんだよ?

 ずっと逃げ隠れてきたんだろ。

 なあ、ただのバカなプライドだよ。


 Layla, you’ve got me on my knees

 Layla, I’m begging, darling please

 Layla, darling won’t you ease my worried mind

 レイラ、オレの負けだ。

 レイラ、だから頼むよ。

 レイラ、オレの痛んだ心をどうにかしてくれ。


 I tried to give you consolation

 When your old man had let you down

 Like a fool, I fell in love with you

 Turned my whole world upside down

 アンタが古巣のせいで落ち込んでいるから、

 なんとかしてやりたかったんだ。

 オレの世界をひっくり返すアンタに、

 バカみたいに、惚れちまったんだ。


 Layla, you’ve got me on my knees

 Layla, I’m begging, darling please

 Layla, darling won’t you ease my worried mind

 レイラ、オレの負けだ。

 レイラ、だから頼むよ。

 レイラ、オレの痛んだ心をどうにかしてくれ。


 Let’s make the best of the situation

 Before I finally go insane

 Please don’t say we’ll never find a way

 And tell me all my love’s in vain

 オレがイカれちまう前に、

 ふたりで最高になろうぜ。

 オレらに明日はないとか、オレの気持ちは無意味だとか、

 そんなの言わないでくれ。



 それからラッカはトーリの手料理を食べ、女子寮にいたときはリモコンの主導権を握れなかったテレビ番組を心ゆくまで視聴。お酒も飲み、そうしてシャワーを浴びて着替えたあとは用意された寝室のベッドでゆっくりと横になってみた。

「なんか、めっちゃ楽しいな~!! こんなに楽しくていいのかな~!!」

 そう思いながら、ラッカは、いつも首にかけているドッグタグを外すと、枕元のライトスタンド近くに置いた。

 ――そういえば、このドッグタグってば、なんで大事にしてるのかよく思い出せないんだよなあ。

 むにゃむにゃと睡魔に襲われながら彼女は布団を顔の近くまでたぐり寄せる。そんなとき部屋のドアがノックされた。

「――なに? トーリ」

「寝る前に言おうと思ってな」

 と、トーリはゆっくりドアを開けた。「獣人訓練校の仕事とか、ちょっと空いてるだろ? 今度、遊園地にでも行かないか。新しいアトラクションがオープンしたらしくて気になってるんだ」

「――えっ、実地訓練?」

 ラッカが体を起こすと、トーリは微笑みながら首を振った。

「訓練じゃない。俺がラッカといっしょに出かけたいんだ」


  ※※※※


 遊園地。実地訓練じゃないのに、遊園地に出かける? 

 よく分からなくて、ラッカは女子寮に電話をかけることにした。するとアヤノは、

「それってェ!!!! デーーートじゃ~~~~~~~~ん!!!!」

 と大声を出した。「えっ、なに? いま私って夢とか見てる? さっき、ラッカちゃんとトーリさんが非番を利用してデートに出かけるって聞こえたんだけど! なんかの聞き間違いかな!?」

「デート?」

 ラッカは首を傾げた。「よく分からないけど、今度は任務と関係ないって。ただ二人で出かけるらしいよ」

「いやいや、それをデートって言うんだよ――!?」

「そうなの?」

 ラッカは戸惑いながら、不意に、疑問に思っていることをそのまま口に出した。

「ていうか、デートってなに?」

「え?」

「なにをしたらデートになって、なにをしなかったら、デートにならないの? ニンゲンって、なんのためにデートするの?」

「え? うーん」

 アヤノは受話器の向こう側で、少し頭を抱えている様子だった。「私も別に経験豊富ってわけじゃないから、間違った答えを言っちゃうかもしんないけど――」

「うん」

「男の人と女の人って、いつか結婚して子供をつくるでしょ? たしかオオカミもそうだよね?」

「そうだね。オスとメスがツガイになって、子供をつくって次の代を残すよ」

「ニンゲンもそういうことをするんだよ。でも、ニンゲンって動物と違って、色々面倒くさくてさ、結婚するまでに何度もいっしょに過ごして、相手が自分のツガイにふさわしいか見定めるんだ。――要するに、それをデートって言うんだよ」

「へ、え、へえ~~」

 ラッカはスマホを握りながら、ボンヤリと頷いた。が、その直後に、

「待って」

 と声を上げた。「つ、つまりデートって、相手が自分の交尾のツガイにふさわしいかどうか決める、ニンゲン用の儀式ってことっ!?」

「――え、うん、そうだね」

「じゃあヤバいじゃん!!」

 ラッカは思わずマンションのなか、自分の部屋をウロウロと歩き始めた。

「つまり、今度の遊園地でちゃんとトーリに、自分がツガイにふさわしいメスって思われなくちゃいけないってこと!?」


  ※※


 ラッカは、それから気が気でなくなっていた。獣人訓練校の仕事に就いているときも、ほんの少し休み時間が来るたびに、当の遊園地のパンフレットを熟読してしまっていた。

「ラッカ先生、どうしたんだ?」

「うひゃあ!」

 男子生徒に、首筋に冷えたポカリスエットを当てられてラッカは悲鳴を上げた。

「びっくりしたあ――なんだ、細野かよ」

「『なんだ』ってことはないだろ? 休憩が明けたらオレとスパーリングだぜ?」

 細野はそう言ってから、ラッカの手にあるパンフレットに気づいた。

「ふうん――豊島区の東京ガイナシティワールドか」

「えっ、知ってるの?」

「そりゃまあ、色々な」

 と細野は腕を組んだ。「ここに来る前、よく女とのデートに使ってたよ。先生は知らないかもだけど、ニンゲンの女ってこういうのが好きなんだ。アトラクションも豊富だし、レストランも全部美味い。ショップは充実してるし、パレードもすげえ豪華だぜ。つまり、文句なしってことだよ」

「へえ――」

「で、ラッカ先生は誰と行くんだよ」

 細野が微笑むと、ラッカとしては、上手く誤魔化すしかない。

「いやあ、ちょっと気になっただけでさ。ニンゲンってどんなのが好きなんだろうって!」

「――ふうん?」

 細野はそれ以上は追及しなかった、が、ラッカはさらに思いつめていた。

 ――なるほどなあ、ニンゲンの女はこういうのが好きなのか!

 つまり、トーリは私を喜ばせたくてここに連れていこうとしてるんじゃないのか? 私が最近の仕事で疲れてるから、そのねぎらいに?

 どうしよう。どうしよう。遊園地ってのがどういうものなのかよく知らないけど、だったらちゃんと喜ばなくちゃいけないぞ――!

 ラッカはボソボソと呟いてから、パンフレットを閉じて細野とのスパーリングに向かっていった。


 ラッカは約束の日が近づくにつれ、自分の部屋に籠もってパンフレットを眺めることが増えていった。

「えっとぉ――?」


 パンフレットによると、東京ガイナシティワールドには、中心のヒロインキャッスルから放射線状に、五つのエリアが広がっているという。

 南西にある『冒険の街』、北西にある『開拓の街』、北部にある『幻想の街』、北東にある『玩具の街』、そして東南にある『未来の街』。

 その五つに代表的なジェットコースター式のアトラクションがあり、中央にあるヒロインキャッスルでは、物語の主人公になって剣を振るって悪を断つ体験式イベントが味わえるという。抽選式だが、ヒロインキャッスルで剣を握ることができた者には東京ガイナシティワールド公式メダルが与えられるらしい。

「楽しそ~~!」

 ラッカは思わずパンフレットを抱きしめた。「なんだ、こんな面白いもんがニンゲンの世の中にあるなら早く言ってくれればいいのに~~!」

 さらにパンフレットをぺらぺらとめくると、ラッカの気持ちをくすぐるキャッチフレーズがあった。


《愛と戦い、夢と冒険、そして絆と正義の気持ち――

 いつのころだったか、忘れていませんか?

 東京ガイナシティワールドは、いつでも、あの頃のあなたの思いが甦るセカイを用意してお待ちしております》


「おお~~!!」

 ラッカは思わずベッドから起き上がった。

 ――そうだ、そうだよ、ニンゲンの味方をするって今まで頑張ってきてたけど、辛いならこうやって誰かに励ましてもらえばいいだけのことじゃんか! 

 なんで悩んでたんだろ、バカだな。

 こういう場所を紹介してくれたトーリは、やっぱり、最高の相棒だぜ!

 ラッカはベッドから降りると、まだリビングで深夜番組を見ていたトーリに駆け寄った。

「トーリ!」

「どうした、ラッカ」

「遊園地のこと、ありがとな!」

 そう言うと、ラッカはトーリに背中から抱きついた。「私、すぐ元気になるからさ! 心配しないでよ!」

「ん? ああ――」

「トーリといっしょに暮らしてさ、マジですぐ元気になるから私、マジで!」

「――そうだな?」

 トーリはラッカのほうに向き直ると、自分の体を抱きしめている彼女、その頭を、優しく撫でた。

「ラッカは今まで頑張ってきたんだ。少しくらい、羽根を伸ばしたっていいさ」

「――うん!」

 と、ラッカは笑って、トーリの体に両腕を回してギュッとした。


 ――その遊園地が、殺戮の舞台になるとも知らず。

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