第14話 VS南瓜頭 後編その1
※※※※
クイーン=ボウ、本名、大野アヅサの半生は、男たちからの性的暴力に彩られている。
実父から殴る・蹴るの虐待を受け続けていた彼女は、小学校を卒業後しばらくして、彼の視線が少しずつ下卑た色に変わっていくのを感じた。そして、そんな彼が自分の布団に潜り込んでくるようになるまで半月もかからなかった。
実の父親が何度も彼女にのしかかる。抵抗すると再び殴られるか、首を絞められるかのどちらかだった。
母親はいない。アヅサが物心ついたときにはもう、暴力に耐えかねて娘を捨て、他に男をつくって家を出ていた。
「アヅサ、お前は、お前はどこにも逃げるなよ」
と、父親は言った。視線が、生臭い吐息が、上から降り注いできた。
「お前にどこまでものしかかってやるからなあ。どこまでもお前のことを押さえつけてやるからなあ!」
そんな彼の唾液が頬に落ちてきたとき、彼女はふと思った。
――どうして、モノはいつでも上から下に落ちなくちゃいけないんだろう。
ああ、天井と床が逆だったらいいのに。そしたら、この人が下に落ちていって、アタシが上になるのにな――。
彼女は苦痛を紛らわせるために、そんな空想にボンヤリと耽りながら目を閉じ、祈るように両手を合わせた。
だが、それはただの空想では終わらなかった。
アヅサが目を開けると、彼女の父親は、天井に頭をぶつけて打ちどころが悪かったのか、後頭部から血液と脳液を流してそのまま死んでいた。
そしてアヅサは、そんな彼の腹を上から踏みつけるようにその場に立っていた。
――彼女が後天性の獣人、廻天型のシャチになった瞬間である。
「すげえ」とアヅサは笑った。「願いが叶っちまったよ」
アヅサが最初にしたことは、冷蔵庫の食料を全て胃に詰めることだった。父親に似て背丈が大きく伸びていた彼女は、しかしいつも空腹だったのだ。
それはおそらく、単に栄養的な問題だけではない。
――ハラが減った! ハラが減った!! ぜんぶ食いてえ! ぜんぶだ!! ぜんぶ喰い千切りてえ!!
惣菜パン、おにぎり、冷凍食品、コンビニ弁当、生肉、生野菜、清涼飲料水、酒、あらゆるものを全て胃に収めてもまだ嘔吐しない。
そのうち日が昇って、普段は行くことを許されていない学校の時間になった。
アヅサは「給食だ」と思い、お昼になるまで包丁で実父の死体を弄んで――少し口に入れて――待ち、その後、スクールバッグに凶器一式を入れ、久しぶりのブレザーに着替えてから校舎に入った。
「どうした? 大野」
男性教師が訊いてきた。かつて、彼女が傷と痣を気にして夏でもジャージを着用していたとき、皆の前で強引にそれをまくってきた奴だ。
クラスメイトたち男女の顔も見た。かつて、アヅサの傷と痣を見て、一斉に陰口を叩いてきた奴らだ。
『ほら、大野ん家って母親いないんだろ?』『なんか臭いとは思ったんだよ。服を洗ってねえニオイだよ、あれ』『虐待されてんでしょ? あのデカ女』
ああ。
「――喰いモンがいっぱいだなぁ、この教室は」
アヅサはいつの間にか、自分の口調が実の父親そっくりになっていることに気づいていなかった。
だって、もう上下は逆転したんだ。今度はアタシが怒鳴って、殴って蹴散らして、喰いモンにする番なんだ。
「『廻天』」
彼女がそう言いながら手を合わせ、手刀を切ると、教室の重力はメチャクチャになった。
アヅサはその後、無事だった給食(開封前のクリームシチュー)と死体の群れの一部を食べ、行方を消した。
――アヅサはその後、数年間は平和を満喫していた。都内各所にある未成年の溜まり場で暮らし、売春婦とその客を見つけては尾行して襲撃し、生活の足しにした。
ただ、父娘ほど歳の離れている二人組を見るとイライラして暴力の歯止めが効かずに、何度も何度も『廻天』を繰り返した。
幸い、事件の大部分は元締めのヤクザが揉み消していたため露見しなかったのだが――あるとき彼女は、宮本組というそのヤクザの末端構成員に寝床を襲われ、獣人奴隷として売られることになった。
「自分よりも力の強い獣人のメスを屈服させて、たっぷりと味わってみたい」
そんな金持ちのクソ野郎に買われた。
彼女が解放されるまでに、十年の歳月が流れた。
シルバーリングと大量の武器に命を握られていたとはいえ、なぜ自ら死を選ばなかったのだろう?
ひとつだけ、支えになった記憶がある。
とある豪華客船で奴隷同士を見せびらかす会合があり、そこにアヅサも連れられた。目の前に、ガタイの良い男の獣人を連れた、いかにも世間知らずのお嬢様がいた。
「はじめましてシャチさん! あたし神柱ヨゾラ! こっちのワニさんが、ワニさんね!」
そんな風に紹介された、その男がのちに再会する有馬ユーゴ、獣人名ハバ=カイマンだった。
――不思議な野郎だな、とアヅサは思った。ハバの目は生気に満ちていた。なぜこんな身になってまで、無理に必死に生きようと思うのだろう。
だが、ハバ=カイマンは、逆にアヅサの瞳を見つめてきた。
――生きろ、シャチの女。
そう聞こえた。もちろん、ハバが声に出して言ったわけではない。眼光が、そう言っているように聞こえただけのことだ。
《どんな痛みが、屈辱が、辛酸があっても、ただ生き続けろ。全ての腐ったヒトザルどもに復讐するそのときまでな――》
それだけの記憶だ。それだけが、十年にもおよぶアヅサの奴隷生活を支えてきた。その間に、どれだけ「ご主人様」に体を汚されてきたか、頭を踏まれて、頬を床に潰されながら性欲をぶつけられてきたか、もう数えるのもやめた。
そして、奇跡が起きた。
屋敷の窓が開き、クソったれのご主人様と、そのボディガードが全員死んでいた。窓辺に立っていたのは、ハバ=カイマンとクロネコである。
そういえば、その夜は三日月だった。
「ようシャチ女、迎えに来たぜ――ずっとお前さんを探してたんだ」
ハバはそう言うと、次に指を鳴らし、
「『開け』」
と囁いた。
ピー、という電子音を立てて、アヅサのシルバーリングが外れる。
「なんで、アタシを探してくれたんだ――? 会ったのは何年も前だろうが」
そうアヅサが訊くと、ハバは微笑んだ。
「オレぁ嘘はつけねぇ。無礼かもしれんが、正直に言っていいかい?
――アンタが綺麗で、惚れちまった。助けるには良い月夜じゃねえかよ?」
そしてクロネコという美少年が、ハバ=カイマンの隣に立つ。
「これから君の商品用バーコードを削って、僕たちの刺青を彫る。獣に相応しい名前を与えよう。
――クイーン=ボウ。全てを覆す盤外の矢、という意味だよ」
大野アヅサは――いや、クイーン=ボウは二人の言葉を聞き、初めて世界が開けたような気がした。
「いいなあ――覆す、かあ。ハハ、そりゃ最高だ!!」
こうしてクイーンは、当時既に勢力を拡大しつつあったクロネコ派の幹部になった。
楽しい日々がまた数年ほど続いた。クロネコ派の誰かが、あるいはクロネコ自身が見つけた獣人の敵を見つけ、それを襲い、殺し、最後には喰い千切る。
敵ではなくてもニンゲンは老若男女問わず気ままに始末する。
獣人になった者、なる素質がある者を積極的に迎え入れて、煽って、ニンゲンどもの街を脅かす。
どれもこれも楽しかった。
でも、本当に楽しいのは、となりにハバがいたからだ。
「ありがとな、ハバ」
とクイーンは言った。「アタシがここにいられるのは、あんたのおかげだ」
「そうかい?」
「だから、自分がイヤになる」
あるとき、湘南の海辺を二人で歩いていたとき、不意にそんな風にクイーンは言った。
「たぶん、アタシもあんたが好きだ。でも、もうアタシの身体は、あんたに抱かれていいほどキレイじゃないんだよ――悪いな」
彼女は下唇を噛んだ。「こうなる前にハバと会えたらなあ――」
「オレが女の過去を気にするような、つまらない男に見えるのか? クイーンよ」
ハバはクイーンの手を優しく取った。「バカだな。なんてこと気にしてやがる」
「ハバ――」
そこに、両手にソフトクリームを持ったクロネコが駆けてきた。「二人とも~! これめっちゃ美味しくて安かったよ~!」
ハバとクイーンは手を繋いだままそんなクロネコを見ると、思わず吹き出して、夕暮れのなかで笑った。
楽しかった。
初めて、心を全て預けていい男と出会えたと思った。
なのに。
なんでそんなハバが、アタシの知らないところで殺されなくちゃならないんだ?
誰が、なんの権利でアタシの人生からハバを奪ったんだ?
――オオカミだ。犯人はハッキリしてる。
クロネコ殿が妙に気に入ってるようだが、そんなことは関係ない。
オオカミ女のラッカ=ローゼキのせいだ。あいつがハバの敵で、アタシの敵だ。この世に邪悪な獣人がいるとしたら、それはオオカミのラッカただ一匹だけだ! アイツが諸悪の根源だ!
喰い千切ってブッ潰してやる!! どこまでも追い詰めて殺してやるぞ、ラッカ=ローゼキ!!
――少なくともクイーン=ボウの主観では、それが真実であり、正義だった。
※※※※
東京拘置所、地下。
連続殺人鬼の死刑囚、間宮イッショウは独房のなかで本を読んでいた。強化ガラスを挟んだこちら側で、ラッカは廊下のパイプ椅子に座り彼の様子を見つめる。
固そうなベッドに寝転がって、イッショウは鼻歌を歌いながらページをめくっていた。
「随分と今日は上機嫌だな」
ラッカがそう話しかけると、イッショウは、きょろりと彼女に目を向けた。
「それは君もだろう? ラッカ=ローゼキ」
「そう?」
「先日のピリピリした雰囲気が全くしない。寝不足は完全には解消されていないし、根本の葛藤はなにも解決していないけどね。いや、部分的には悪化しているところもある。
でも――なにか気晴らしになるような出来事でもあったのか? いや、気晴らしとも違うか――君の精神構造はどうなってる?」
「さあね」
とラッカは答えてから、メモ帳を手に取った。「梅田ジュンイチが店で襲われて行方を消した。パンプキンヘッドの連中を襲いそうなグループに心当たりはあるか?」
だが、その質問に間宮イッショウは答えなかった。
「ラッカ=ローゼキ。他人のことで思い悩めば、自分のことで思い悩まなくていいから気が休まるのか? 正義の味方はいつもそうだな?」
と彼は言った。「たとえば、ボーイフレンドの元カノとでも偶然遭遇したとか?」
憶測と挑発だ。
そして、ラッカの目をまっすぐ舐めるように見つめてくる。それに対して、もうラッカは瞳をそらさない。
互いが互いに言いたいことを言うだけの押し問答が始まった。
「間宮――なんでお前が上機嫌なのか。そこに梅田ジュンイチ襲撃の謎があるんだ」
「ラッカ。ちょっとだけマシな人間と出会っても、人間が平均的に善良な、生きるに値する存在ということにはならない。君の人命救助には大義がない」
「間宮イッショウ。お前は梅田ジュンイチが襲撃されることを知っていたか、あるいは、自分自身で指示したんだよ。この拘置所から」
「ラッカ。君はときどき良い人間と出会って安心し、自分の正義に自信を持つが、悪い人間と出会うたびに悩み、苦しみ、痛んでいる。いつも誰に慰めてもらってる? 自分で自分を支えられない信念は、本当に信念と言えるのかな?」
「間宮イッショウ。お前が外界の一般市民と関われるルートは1本だけだ。それは死刑囚へのファンレターとその返信を装った暗号。
――ここまで来れば誰でも分かる。お前が梅田ジュンイチを動かし、梅田ジュンイチが誰かに襲撃されるように仕向けたんだ」
「だがラッカ、人間基準の善悪とはなんだ? 獣人基準の善悪はどう考える? 彼らは人間が動物を捕食し、駆除するのと同じように殺戮しているだけだ。彼らのなかにも仲間を想って愛を抱き、慈悲に満ちた連中はいるんだ」
「間宮イッショウ。お前は――」
そこまでラッカは呟くと、思わず立ち上がった。
「クソッ!」
と自分の頭を小突く。「そういうことか――。ああもう、寝不足のせいでアタマ回んなくなってたや」
「どうしたの?」
彼が楽しそうに訊いてくる。ラッカは向き直った。
「間宮イッショウ。お前は、梅田ジュンイチにわざと模倣犯を起こさせた。そして、刑事部が自分のことを頼りにするように仕向けた上でエサをこの場に呼んだんだ。
――そのエサは、オオカミの私だ」
彼女がそう言うと、イッショウは微笑んで顎だけ動かしながら続きを促してきた。
ラッカは強化ガラス越しに彼に詰め寄ると、さらに言葉を繋ぐ。
「お前が私を呼んだあとでやったことは二つ。
まず、自分の指示どおりに動いた梅田を切り捨てて、警察にヤツを特定させる。
次に、パンプキンヘッドを嫌っていたグループに梅田ジュンイチを襲撃させて、オオカミの私がこの拘置所に呼ばれてくることを伝えさせる。
そうすれば、そのグループは自然にここに来る。お前と私の両方を一石二鳥で狩るためにな――」
「グループ? なんのこと?」
「とぼけんなよ、クロネコの連中だろ」
ラッカの読みどおりだった。
クロネコ派は現時点で、二つの活動を警察に把握されている。ひとつは、獣人奴隷の売買会場に乗り込んで彼らを解放すると同時に人間を虐殺する、報復集団としての一面。これは獣人売買のルーツをよく知る者が夜牝馬の件を知ればすぐに察せられることである。
もうひとつは、素人獣人を焚きつけオオカミを狙わせる一面。
間宮イッショウがどこからその情報を得たのか、それとも僅かなニュースからその推測に至ったのか、定かではない。ともかくも彼は、自分の部下を釣り餌にして、さらに大きなオオカミを餌として手繰り寄せた。
「その目的はひとつだ」
とラッカは言った。「こんな狭い空間でドンパチの大騒動を起こして、どさくさに紛れて脱獄するためだ」
全てを聞き終えた間宮イッショウは、ふう、と息をつくと、気のない拍手を送ってきた。そして、
「辿り着くのが遅すぎるよ、オオカミの獣人。いや、君の飼い主もか。獣も狩人も、頭はそんなに良くないんだな――」
そう言った。
ラッカがなにか言い返そうとする前に、唐突に、廊下の天井からブザーが鳴り響いた。
――侵入者の合図である。
間宮イッショウはまるで、ニコライ・メトネルのピアノソナタを聴くように、耳を傾けてうっとりと目をつぶった。彼はこう囁く。
「ほーら、来ちゃったよ。ラッカ=ローゼキ」
「クソ!」
ラッカは慌ててスマートフォンを取り出した。捜査一課の黒井サワコに連絡し、誰もこの場所へ入らないようにするためである。
だが、その前に端末が振動した。日岡トーリからの着信だ。
「トーリ!?」
『ラッカか! 今どこだ? もう拘置所に着いたのか!?』
「――うん」
『今すぐそこから逃げろ。間宮イッショウの狙いはラッカとクロネコ派を戦わせて混乱に乗じることだ』
「――すごいな。やっぱ、トーリは私のバディだな。真相に辿り着くタイミングもいっしょじゃんかよ」
そうして、ラッカはぎゅっと唇を噛んだ。「ここで私が逃げたらきっと、アイツらは拘置所にいる看守も、囚人も、八つ当たりでみんな殺そうとしてくる。それはダメだ。
――私がここで奴らを迎え撃つしかない。トーリは獣人捜査局の仲間を呼んで」
そう言って、スマートフォンの電源を切った。
やがて、廊下の突き当りの角から、一人の女がブザー音とともに歩いてきた。
現れたのは、身長185の筋骨隆々な体。おそらく20代後半らしい女だった。カジュアルに和服を着崩し、長髪は紫色に染めている。
美形だが、殺気の込められた瞳と太い眉が女性性を感じさせない。
――クイーン=ボウ、シャチの獣人だった。
「よう、ラッカ=ローゼキ」
とクイーンは遠くから言った。
ラッカは彼女が放つ殺気には覚えがあった。
――この雰囲気、前にも浴びたことがある。そうだ、鋏道化事件のとき、ただの人間を脅して徒党を組ませて襲わせてきたヤツの殺気と同じだ。
「お前、あんときのクソ卑怯モンか――!!」
「――安心しろよオオカミ。今回は人質は用意してねえ」
そう答えると、クイーンは和服をさらに崩して上半身を露わにした。胸のサラシが白い。
「戦う前にひとつだけ確認させろ、オオカミ」
「なんだ?」
「ハバ=カイマンって獣の名前は知ってるな?」
ズキリ。
と、ラッカの頭が痛んだ。ハバ=カイマン。覚えている。豪華客船で戦った獣人の名前だ。
「知ってるよ」
とラッカは答えた。「そいつとお前と、なんの関係があんだ?」
「アイツはアタシの恋人だった。アタシにとっちゃあ組織の目的も理想も今はどうでもいい。アイツといっしょにいられるのが全てだった」
クイーンはそう答えると、少し目を伏せ、そしてさらに強い殺気でラッカを睨む。
「ラッカ=ローゼキ、答えろ! テメエがアタシのハバを殺ったのか!?」
ズキズキと、さらにラッカの頭痛が激しくなった。頭のなかで、ハバ=カイマンの姿が蘇る。
――私が殺した獣人にも、そいつを大切にしていた恋人がいる。
ラッカはうつむき、少しだけ頭を片手でボサボサやってから顔を上げた。
「うん、そうだよ。私が殺った。お前の恋人をこの世から消したのは私だ」
その答えに、クイーン=ボウは歯を見せ、青筋を立てながら戦闘態勢に入った。
「ずっと――ずっと待ってたぜ。テメエを狩れるこのときをなあ」
クイーンは、
バッ、
と音を立てて東京拘置所の廊下、その空中を舞うと、静かに、素早く、両手を合わせてから手刀を切った。
「『廻天』!!」
それに対してラッカは数ミリ秒遅れ、左手をピストルの形にした。
「『超加速』!!」
※※※※
新宿歌舞伎町にあるマンション、その一室にパンプキン・ヘッドの七人は集まっていた。小口、服部、中川、城戸、徳永、山田、尾崎。
服部は貧乏ゆすりをしながら、もう何本もタバコを吸ってはすぐに灰皿に捨てていた。中川はトカレフTT-33のチャンバーチェックを繰り返す。城戸は部屋の隅から隅をウロウロ歩き回っていた。尾崎はそんな城戸を眺めながら、ダンビラをチャキチャキと鳴らす。
徳永が口を開く。
「クロネコの奴らは本当に来るんですか?」
「こっちは待つしかねえよ。梅田を拉致られて不利なのはオレらなんだ」
と小口は答えた。「山田、型の準備しとけ。すぐ発動すんじゃねえぞ」
「うす」
と山田が答えると同時に、
スマートフォンが鳴った。小口の携帯である。
「――もしもし?」
『あ、小口さん?』
透き通った少年の声が聞こえた。クロネコだ。『いまマンションの入り口。何号室に入ればいいの?』
「待っててくれ。一階に案内役を送る」
それから小口は、城戸と服部に目線を送った。二人は黒服の裏にあるトランシーバーの紐を伸ばし、隠れるように耳に巻く。
服部が右目の粘膜に指を入れ、わざと涙を流すと、それをテーブル上のティーポットに垂らした。そして、室内組の五人分のカップにレモンティーを注ぐ。
「共有型、発動しました」
そう言われ、小口、中川、徳永、山田、尾崎はそれを飲む。
――服部の右目の視界が、五人の右目に共有された。
「よし、行ってこい」
そうして小口は左目を瞑り、服部の視界に集中した。
服部と城戸はエレベータを使って一階に降り、長い内廊下を歩いてエントランスに向かった。そこには、四人の男女が立っている。
クロネコたちだった。
長い黒髪にエメラルドグリーンの瞳をした、色白で女顔の美少年。クロネコ。
姫カットで軍服風ファッションに身を包んだ女。ノコリ=マヨナカ。
顔と体中に刺青を入れた薄着の男。シュドー=バック。
鼻を全て削がれた平面的な顔の男。アダム=アダム=アダム。
軽いボディチェック。誰も武器は持っていないように見える。
「梅田はどうした?」
と服部が訊くと、
「具合が悪そうだったから」
とクロネコが答えた。「近くのスペースで寝かせてあるよ。部屋の場所は、そちらが先に土産を見せてから交換だ」
小口は舌打ちした。クロネコは既に、この取引を約束どおりに進めるつもりがない。だが従わないわけにはいかなかった。
「それでいい、通せ」
と小口は指示した。トランシーバーでそれを聞いた城戸と服部は、しぶしぶ頷き、クロネコ派四人を連れて部屋に戻ってきた。
玄関のドアが開く。クロネコたちが入ってきた。
「ふうん」
とクロネコは言った。「ダンビラに旧式の拳銃か――警戒心が強いのは良いことだよ、カボチャ」
「そりゃどうも」
と小口は言った。「売人ヤクザの死体は2個、顔が分かるよう首だけ冷蔵庫んなかだ。リストと一緒に確認してくれ――」
「そっか、OK」
クロネコはそう言うと、自分の横にいる服部、城戸を含めた全ての男たちを見渡した。
「――パンプキン・ヘッド。君たちはずいぶん素直だね?」
「勘弁してくれ」
と小口は苦笑いを浮かべた。「なんでオレらが間宮なんていうカスと組んでまで、集団で行動して、証拠隠滅に売人と取引するのかは分かるだろ。――クロネコさん、あんたらみたいな本気の武闘派とやり合えるほどこっちは強くないんだよ。狩人からもコソコソ隠れなくちゃならねえ」
「なるほどな」
と、クロネコは微笑んだ。
そして、
「そうやってハラを差し出して降伏したら、許して撫でてもらえると思ったのか? ――ニンゲンと慣れ合いすぎた獣はみんなそうだ」
と言った。
次の瞬間、
ぱんぱん、
と乾いた火薬音がすると、城戸と服部の頭が銃弾に吹き飛ばされていた。
「――は?」
小口は呆気に取られる。
ノコリ=マヨナカの右手に、SIG SAUER P226が握られていた。
「なんだ!?」
と小口は立ち上がる。「拳銃!? どこに隠してやがった!?」
「別に?」
とマヨナカは答えた。「いま『作った』んだけど?」
――ノコリ=マヨナカ。サンゴチュウの獣人、工作型。実物を見て触れて、その機構を理解した武器ならば、耐久性九割落ちの状態で即時作成できる。
「撃ち返せェ!」
と小口が絶叫すると、中川がトカレフTT-33を構えながら立ち上がった。
――が、トリガーを引く前に、彼の人差し指がプッシュナイフで切断された。マヨナカが新たに『作成』し、投げつけた刃物である。
「がああああ!!!!」
中川が痛みにうずくまるなか、尾崎がダンビラを抜いて飛び上がり、
「クロネコおおおお!! テメエええええ!!!!」
と叫ぶ。
そして刀を振り上げ、真正面から振り下ろそうとした、
が、
手首、肘、肩口、首の頸動脈、太腿の付け根、膝が一瞬で切断されると、バラバラと、組み立て前のマネキンのように中川の身体は床へと崩れてしまった。
「ああ、あっ――?」
小口が唇をぱくぱくとさせていると、クロネコは妖艶に笑った。
「――なあんだ。速すぎて見えなかったの?」
そうクロネコは囁いた。「次はもっとゆっくりやってあげるからね」
小口は震えながら立ち上がり、
「山田ァ!!」
と叫んだ。「型だ、型! 発動しろ早くッ!!!!」
山田が体勢を整えようとすると同時に、クロネコは手指を密教式に絡めて、犬歯を剥き出しにした。
「――――、発動」
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