第13話 VS南瓜頭 前編その3


  ※※※※


 布瀬カナンはフカミ=アイとともに、新宿歌舞伎町の高級ホテルを訪れた。

 不思議な感覚だった。クロネコ派のアジトは1708号室だと何度も聞いたはずなのに、フカミの背中から少しでも目を離すと、簡単に部屋番号を忘れてしまう。

 ――これが彷徨型、ただ「道に迷わせる」だけの力か。

「ホテルマンが掃除に入ることもありません。もちろん朝のモーニングコールも」

 とフカミは言った。「私の許可なく迷路を抜けることはできません。彼らはなんの疑問もなく、ひと部屋を私たちに明け渡し続けています。――そういう場所は東京にいくつか用意してあります」

 そうして、彼女はドアを開けた。

 部屋の中央にある円卓で、簡単な酒席を開いているのがクロネコだった。肩まで伸ばした真っ黒な髪、女かと見間違えるような色白の女顔。そしてエメラルドグリーンの瞳。

「やあ、フカミ。そして布瀬カナン――いや、今は獣人名で呼んだほうがいいかな。ヴァンデッタ=ヴァイジュラ」

「はい、光栄です」

 カナンは自分の緊張をほぐすように、スーツのネクタイをゆるめた。

 それを見ているのが、クロネコとともに酒を飲んでいるクイーン=ボウ、ノコリ=マヨナカ、トーボエ=ピル、そしてアダム=アダム=アダムである。

「ちょっと待っててね」

 とクロネコが言った。「隣の部屋で仕事をしてるヤツがいるからちょっと呼んでくるよ?」

 そして、ドアをノックした。「おーい、シュドー。開けるよー?」

「おうよ」

 ドアが開いた。瞬間、血の臭いが空気に混ざる。

 部屋のなかで、パンプキンヘッドの一味である梅田ジュンイチが鉄製の椅子に手足を縛りつけられ、頭に布を被せられていた。その上から何度も鈍器で殴りつけられたのだろう、口、目、鼻があるらしき部位を中心に血が滲んでいた。それから腹部と、股間と、指先から流血。

 不自然だ、とカナンは思った。拷問している相手も獣人なら、なぜ獣人核によって傷が再生していない?

「どうだった? シュドー」

「見た目よりは骨があるぜ、こいつ。ちょっと時間がかかっちまった」

 シュドー=バックはそう答えた。「だが、カボチャ連中の名前と居所は全員ぶん吐かせたよ。こいつが仲間に裏切られてないならホントだな」

「お、上出来だね~」

 クロネコは微笑みながら、梅田ジュンイチのスーツポケットを漁った。なかから一世代前のスマートフォンが出てくる。

 履歴をチェックした。梅田が消えてから、何度も音声通話をかけてきているヤツがいる。小口フーマという名前だ。

 クロネコはそこに電話をかけた。すぐに繋がる。

『梅田か? いま、どこにいる? お前のお気に入りの店が襲撃されたらしいが、無事なのか?』

 低い声の男だった。

 クロネコは少しだけ笑った。

「カボチャくん。――僕はクロネコだ、名前はない」

『――クロネコ!?』

 受話器の向こうから、焦燥が伝わる。

『梅田は拉致されたのか!?

 だが、なんでクロネコ派がオレたちに弓ひいてやがる! 同じ獣人同士だろうがよ、イカれてんのか!?』

「イカれてるんだよ、僕たちは」

 クロネコはビールを飲んだ。「お前らはニンゲンと取引を交わして、自分たち可愛さに他の獣人を売った。つまり、獣の国の裏切り者だ」

『待てよ』

 と、小口フーマは話を遮ってきた。

『分かった。分かった。お前らみたいなマジモンとやり合う気はないんだよこっちは。獣人売買とはもう関わらない。商品をやり取りするルートは知っている限り全て話す。梅田の態度に失礼があったらそれなりの金を払ったっていい。

 ここは手打ちにさせてくれ。頼む。――東京の獣人売買に加担したヤクザを余さずリスト化して、なんなら何人かブチ殺して死体を土産に持ってってやる。それを梅田の安全と交換だ。どうだ!?』

 早口でまくしたててくる小口フーマに対して、クロネコはほとほとウンザリした表情で自分の仲間に振り返る。

 そして、クチパクで「どー、す、る?」と全員に訊いてきた。

 クイーン=ボウが首を親指で切るジェスチャーをする。

 トーボエ=ピルが黙って首を横に振る。

 ノコリ=マヨナカは舌を出す。

 フカミ=アイは「や~れやれ」の仕草を返した。

 そしてアダム=アダム=アダムは、ただ鋭い瞳で見つめるだけだった。

 答えは決まった。

 ――カボチャ頭どもは、黒獅子のタトゥのもとに、皆殺し決定である。

 それを見たクロネコはにっかりと笑った。そして、電話に戻る。

「分かったよ。梅田さんはこれから連絡する場所に必ず渡すね。代わりに君たちは七人全員、絶対にその場所に来てよ。――矛を収めるからさ、仲良くしようよ、パンプキンヘッド」

 そんな彼の言葉に、少しだけ小口フーマは警戒心を解いたのか、

『ありがたい』

 と言った。『そう言ってくれると助かる。正直、間宮イッショウとつるんだのだって、当時としちゃ、苦肉の策だったんだ。本当はニンゲンどもに頭なんか下げたくねえよ。そりゃそうだろが』

「うん、そうだね」

 クロネコは頷きながら、爽やかに微笑んでいた。

 それを見た布瀬カナンは震え上がる。

 ――今、目の前にいる中性的な美少年は相手の事情などほとんどなにも聞いていない。ただアタマのなかで、どうすれば相手のことを効率的に苦しめながら殺せるのかをシミュレートしているだけだ。

 獣の王の前では、自分の群れでなければ、人の命も獣の命もみな等しく無価値なのだろうか。


 クロネコは通話を終えた。

「居場所は念のためトレースしておこう。だけど、基本的には取り引きの日時と場所があいつらの墓場になる。そういうつもりでみんな動いてね」

「ああ」

 とシュドーは答えた。「で、メンバーはどうするんだ? 梅田ジュンイチの強さを見る限りじゃ、こっちがカボチャ相手に総動員する必要もあんまりなさそうだがな」

「うん」

 とクロネコは歯を見せた。「マヨナカ、シュドー、それからアダムで行こうかな。――あと、僕が出るよ」

「マジか?」

「いやあ、そろそろ身体を動かさないとナマっちゃうからさあ! ――それに、知りたいもん。腐ったニンゲンに媚びへつらう獣人連中がどんな顔なのか」

 クロネコの笑い声に、シュドーは少し身構えた。その気配をカナンは感じる。

 ――なに? クロネコ様って、そんなに強い獣なの?

 今の彼女には、クロネコとその配下である獣人の間に、どの程度の力量差があるのかも推し量れていなかった。

 ――それに、取り引きの場所と時間を指定したら当然、向こうが謀ってトラップを仕掛けてくる可能性もある。その対策がシュドーとマヨナカとアダムだけで充分、ってこと?

 カナンは少しだけ歯噛みした。クロネコ派という集団のなかでは、自分はおそらく、遥か格下なのである。

 そのとき、クイーン=ボウが焼酎のお茶割りを飲み干しながら立ち上がった。

「なあ、クロネコ殿。ひとつだけ頼みがあるんだが」

「なに?」

「――東京拘置所に行って、カボチャの頭領・間宮イッショウを狩るのはアタシにやらせてくれ」

「どうして?」

「パンプキンヘッドの連中が動き出したのは、過去の犯罪を模倣することによって間宮イッショウへの捜査面会を増やすため。そしてアイツの狙いはオオカミだ。間宮イッショウはオオカミに会うために部下に騒ぎを起こさせてるって話だろ」

「そうだね?」

「なら、梅田ジュンイチをアタシたちが攫った時点で、捜査一課と獣人捜査局には新しい動きがあるだろ。十中八九、オオカミ女は面会役で拘置所に呼ばれる。

 そこを叩く。間宮イッショウごとな」

 そう言うクイーン=ボウの目は、完全に獣のそれになっていた。

「オオカミはアタシのハバ=カイマンの仇だ。アイツの型も掴んだ。対策もできてる。アタシの『廻天』でアイツの脳ミソをカチ割る。ニンゲンの味方なんかやってる、腐った獣人核をこのアタシの牙で喰い千切ってやるよ」

 クイーンが凄むと、クロネコは優しく笑った。

「東京拘置所の今の警備体制は分からない。狩人も来るかもしれないし、僕は間宮イッショウのことは後回しにする気なんだけどなあ」

「――だったらアタシ一匹でもいいんだぜ」


 そこで会話が少しだけ止まった。そして、クロネコはソファにごろんと横になった。

「――分かった。ならクイーンの自由に任せる。

 トーボエ、傍聴型はまだ捜査一課の女刑事にチャンネルを合わせてる? なにか動きが見えたら、彼女に伝えておいて」

「承知しました」

 トーボエは頷き、少しだけクイーンを熱のある視線で横目に見つめた。


  ※※※※


 同時刻。

 ラッカとメロウは最初の特別講師業務を終えて、食堂に向かった。


 細野は最後まで食らいついてきた。汗を垂らし、息を切らしながら駆け寄ってくる。そのたびにラッカは教室の長机の上を跳ね回り、壁を蹴って回避してから「いいぞ~細野!」と言った。

「最初よりも動きがよくなってる!」

「クソ!」

 細野はほどよく筋肉のついた腕で汗を拭い、さらに試合を開始した。

「オレの――オレの親父だって狩人なんだ! 負けてたまるかよ!」

「お前に関係あんのか」

「ある!!」

 と彼は怒鳴った。「自分の親父が狩人で、横浜騒乱で活躍した英雄なんだ! オレは――オレはなあ、普通の訓練生でいるわけにゃいかねえんだ!!」

 それから拳を繰り出してくる。ラッカはバク宙して避けたあと、不意に、自分のオオカミの母ちゃんのことを思い出した。

 ――そういえば私も、憧れたよな。今でも、母ちゃんが教えてくれたことはちゃんと大事にしてる。

「へえ、いいじゃん」

 と、ラッカは言った。「自分の親のこと目標にしてんの、立派だな」

「――うるせえ。お前になにが分かる」

 と細野は睨んできた。「だいたい、狩人は猟獣を従える側だろうが。そんな狩人が猟獣のスピードに追いつけないままヘタバってられるわけねえ」

「――ま、そうだな」

「だからオレは諦めねえぞ! オオカミ!! 試験再開だ!!」

 こうして、細野が完全にダウンして酸欠で保健室に連れていかれるまで、ラッカは付き合うことにした。

 細野が特別弱いわけではない。そもそも獣人は人間体の時点で、充分に鍛えた成人男性と比べ約2倍の身体能力を持つ。もし獣人がオリンピックに出られれば、全てのメダルは獣人たちが独占するだろう。

 ただし、そんな体力差を分かった上で従えるのが狩人には必要な行程なのだ。


 そして、現在。

「あいつ、結構いいやつだったな」

 とラッカは言いながら唐揚げ定食を食べた。「目標もハッキリしてるし、今後も強くなりそうだ」

「え、そうすか?」

 メロウは眉をしかめた。「俺、第一印象で相手のこと決めちゃうんで。初手で生意気言ってたヤツは好きになれないっすねぇ」

「え~、そうかなあ?」

 そんな風に二人が喋っていると、トレーを抱えた花江が近寄ってきた。実戦試験では、三人のうち最初に白旗を上げた男だ。

「ごめん」と彼は言った。「他に空いてる席がないから邪魔してもいい? 座るよ?」

「お~、いいよ?」

 とラッカは椅子を引いた。「もう食べものは胃に入るんだ?」

「うん」

 と花江は言った。「完全にダウンするのも馬鹿馬鹿しいから、途中で諦めたしね。とっくに元気だよ。だいたい午後の講義も演習もあるんだから」

「冷めてるっすねえ」とメロウは言った。「細野ってほうはガッツがあったのに」

「そもそも」

 と花江はフォークを持つ。「細野くんだって何時間やってもラッカ=ローゼキには追いつけなかった。獣人の体力ってだけじゃなくてね。

 教室の追いかけっこで飛んだり跳ねたりするとき、ラッカ=ローゼキ、君は左足と右手しか着地に使ってなかったでしょ?」

 彼の分析を聞いて、メロウは「おお」と驚いた。気づいていたのは自分だけだと思っていたからだ。

 花江はカルボナーラを巻いてゆっくりと食べる。「ただの肉体の差じゃないと分かって、今の自分たちでは絶対に捕まえられないなと思ったよ。だから棄権した」

「なるほど」

 とラッカは言った。「いやあ、バレないように上手く隠してたんだけどなあ」

「ちなみに」

 と花江は言葉を繋いだ。「そういう動作の縛りが、獣人の『型』発動と関係してるってことはある?」

 鋭い。

 ――真面目に座学を受けている証拠だろう、とメロウは思った。たしかに獣人には、型を使う際、なんらかの前提条件を満たすか、予備動作を行なう必要がある個体もいる。知る限り最も極端なのは、《自分自身も眠る必要がある》夜牝馬の安眠型だ。そうでなくても、指を鳴らす、目をつぶる、手刀を切って型の名前を叫ぶなどの動作を必要とする獣人もいる。

 ただ、

「いいや?」とラッカは答えた。「それは型の発動とは関係なかったよ」

「――そう」

 花江は少し拍子抜けしたような表情だった。

 メロウは少し気になって、「どうして狩人に志願してるんすか?」と訊いてみた。

「家が貧乏なんだよ」

 と花江は答えた。「五人兄弟の長男だから、蒸発した父親の代わりにお金を稼がないといけない。真ん中の弟がけっこうアタマが良くてさ、良い大学に行かせてやりたいんだ。

 ――ほら、狩人なら、腕が良くて獣殺しにさえ躊躇わなければすぐに稼げるんだろ?」


 昼食を終えたあと、メロウとラッカは午後の校舎を歩いていた。

「みんな色々あるんだな」

 とラッカが言うと、メロウは「そうっすねえ」と答えた。

「ラッカはどう思ったんすか」

「なんか、嬉しかった」

 とラッカは言った。

「嬉しい? なんで?」

「最近、いろいろ悩んでたんだけど――こんな風に頑張ってる人がいるから、やっぱり、私はニンゲンの味方をやっててよかったって思う」

 そんなラッカの顔を見て、メロウは、「そっすか。まあ、いいんじゃないっすか」とだけ言った。

 そうして最上階の廊下に辿り着いた。

「この向こうに図書室があるみたいなんで、自分はそこで時間を潰すっすけど――ラッカはどうするんすか?」

「ちょっとグラウンドも見てみようかなあ。皆がどういうトレーニングやってんのか、気になるし」

「はは、なるほど」

 メロウが笑う横で、ラッカは廊下の壁に各年度の卒業生の集合写真が掛けられているのを見つけた。

「――これ、その年に狩人になった人たちだ」

「え? ああ、そうっすね」

「これって」

 とラッカは呟いた。「もしかして、トーリの学年のときのもあるんじゃないの?」

 気がつくと彼女は駆け出していた。ひとつひとつの写真の卒業年度を見る。

 そして、ラッカは、Aクラス卒業生の集合写真のなかに日岡トーリが写っているのを見つけた。

 ――A、B、Cはそれぞれ意味がある。

 Cクラスの生徒は、細野や花江や古川がそうだが、義務教育を終えてすぐに訓練学校に編入した者たちだ。そこで高校と同等の授業と、狩人としての訓練を積んでいくわけだ。

 Bクラスの生徒は高校卒業後に編入した者。

 Aクラスの生徒は大学卒業後に編入したか、中途採用、もしくは特別な事情で優遇された者が飛び入りで入った者たちである。

 各クラスの課程を終えれば、次のクラスに昇格するか、現場で働くかを選択できる。いずれの課程でもシルバーバレットの訓練はあるため、狩人としては即戦力になりうる。

 ――だがAクラスだけは、その厳しさは筋金入りと言われていた。

 その年度の卒業写真に写っているのは、日岡トーリと、仲原ミサキと、月野ナナセ、そして、少し離れた場所に仏頂面で立っている住吉キキの四人だけ。警視庁獣人捜査局行きを決めたのは彼らだけで、他は、課程修了を諦めてBクラスでの卒業を決めたらしい。

「あれっ?」

 とラッカは声を出した。月野ナナセを指差し、「このひと、誰だろう。警視庁で見たことない。――卒業したあとなんかあったのかな」

 と首を傾げた。

 そこに通りがかったのが、福島アライト教諭だった。

「やあ、ラッカくん。先ほどの実戦試験ではどうもありがとうね」

 そう福島は微笑むと、ラッカが注目している写真に目を傾けた。

「あー、この年度か。よく覚えてるよ。

 何年かにいちど、こういう風に、男よりも優秀な女子訓練生が集中して現れるんだ。

 住吉キキくんは今では僕より上の存在だし、仲原ミサキくんも非常に優秀だったよ。座学もだけど、特に射撃の成績が素晴らしかった。日岡トーリくんのほうはBクラスからの繰り上がりで、いろいろ苦労したみたいだけどね」

「あの、福島先生?」

 とラッカは振り返った。

「もう一人の女の人は、誰ですか」


「――ああ、その子ね」

 福島は少し目をそらす。「月野ナナセくんね。良い生徒だったよ。ミサキくんほどではないけど、獣人犯罪心理学の方面で才能はあると僕個人は思っていた。ちょっぴり優しすぎるところがあって、そこは不安だったかな」

「彼女は今どんな仕事をしてるんです?」

 それに対して、福島は答えた。

「何年も前に自決したよ」

「え?」

「プライベートで油断していたところを脅威度B級の獣人に襲撃された。顔と手足を酷く傷つけられてね、ほとんど這って進むように窓から飛び降りたそうだ。

 トーリくんとは結婚する予定だったよ。二人は付き合っていたから」

 福島は眼鏡の位置を直す。

「トーリくんの目の奥が笑わなくなったのは、あの日からだよ。

 ――そういえば、彼は元気なのかい?」


  ※※※※


 それからラッカは、福島に頼んで卒業写真の複製を一枚だけ譲り受け、それをボンヤリと眺めながら、グラウンド前の土手の階段に座っていた。

 ――月野ナナセって人、美人だ。単純に顔のつくりが良いんじゃない、生きかたの明るさが、表情と姿勢に真っすぐ現れてるみたいだ。そう思った。

 そして、その隣に立つトーリは卒業証書入りの型本を持ちながら、照れくさそうに笑っていた。

 ――トーリも、昔だったら、こんな顔をすることがあったんだ。

 なんだろうな。

 寂しいだとか、切ないとかじゃなくて、胸が柔らかいところがギュッとなってそのままなにも思いつかない、言葉にしたくない、そんな感じだ。

「今度トーリに会ったとき、聞いてみようかな――」

 そう声に出して呟いたあと、すぐに、

 ――なに言えばいいか分かんないな。

 と思って、それからラッカは写真をカバンにしまう。


 気づくと、近くに古川という生徒が立っていた。グラウンドでの訓練の終わりらしい。

「あれから先生に色々言われてしまったよ」と彼は笑った。「『お前は優秀なんだから、予断を差し挟んだ推測はするな、今度提出する論文もきちんと見直しておけ』、ってね?」

「論文?」

 ラッカが訊くと、彼は頷いた。

「僕は現場よりも研究所に志願していてね。Cクラスのこの年齢のうちに学会に出たら箔がつくだろうと、まあ今から動いてるんだよ」

 そして、彼はにっこりと笑った。

「改めて実戦試験での無礼を許してほしい、ラッカ=ローゼキ。あなたはたしかに、警視庁獣人捜査局で働く優秀な猟獣だった」

「いいよ、あんまり気にしてないし」

 とラッカは立ち上がった。「いろいろ事情があって頑張ってるときに、見ない顔が自分のナワバリに入ってきたら威嚇するのは野生の獣も同じだよ」

 それに対して、古川のほうは頭をかくだけだった。

 ラッカは訊く。

「なんで研究所志望なの?」

「そちらのほうが、僕の生まれ故郷に恩を返せる」

「え?」

「獣人事件のせいで孤児院は増える一方だ。でも、全国各所の孤児院が政府から公的な資金を受け取るには、一定の教育成果が要るんだ。――僕は、僕の両親の死後、僕を育ててくれた先生と院の仲間たちに恩返しをするために、最高クラスの職に就きたい。それだけ。現場だと教育成果は第一級だけど、研究所なら特級になるから」

「――なるほどな」

 ラッカは頷いた。

 生意気に見えた細野も、花江も、古川も、それぞれの事情があって頑張ってるんだなと思えた。


 ――じゃあ、私はなんなんだろう?


 そう思ったとき、ポケットのスマートフォンが揺れた。

 通話ボタンを押して耳に当てると、

『ラッカ警部補ですか?』

 と、警視庁刑事部捜査一課、黒井サワコの声が聞こえてきた。『勤務中にすみません。こちらが扱っている事件で、ラッカ警部補の力が緊急必要になりました』

「なにがあったの?」

『間宮イッショウ、覚えていますね? 彼が事件の実行犯として仄めかした梅田ジュンイチが昨夜から行方不明になっております。――彼の行きつけだったクィア・バーも獣人の襲撃によって半壊。死傷者は10名以上です』

「――なんだって?」

『我々は獣人捜査局第五班・第七班と合同で捜査を進めています。が、まず問い質すべきは間宮イッショウです。彼が梅田ジュンイチの名前を出した途端に、彼が襲われた。――どうお考えですか?』

 サワコの問いに、ラッカは少しだけ頭を働かせた。

 そして、

「こっちの捜査を盗み聞きできる別の獣人グループがいて、そいつが間宮イッショウとその仲間を嫌ってるとか?」

 と言った。

『流石はバディですね。日岡トーリ警部も同じ意見を仰っていました』

 黒井サワコはそこまで喋ると、声を低くした。

『事件のカギを握るのは間宮イッショウです。改めて、彼と面会できますか? ――移動手段は既に輸送しています』

 彼女の宣言直後に、訓練学校の校門前に一台のバイクが運ばれる。単眼ライトの大きくゴツゴツしたボディがブラックカラーに塗られている。マシン名は、Wolfish Darkness。ラッカのための猟獣用二輪車である。

「分かった、任せてよ。必要な情報はすぐに吐かせてやる」

 そう言うと、すぐに駆け出した。後ろから古川の「どうしたの!?」という戸惑いが聞こえた。


  ※※※※


 同時刻。

 トーボエ=ピルの傍聴結果を聞いたクイーン=ボウは、ゆっくりとスマートフォンの通話を切った。

「――やっと拘置所に行くみたいだなあ? クソオオカミ女――!」

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