第12話 VS腐乱姫 後編その3
※※※※
静岡県から東京都に避難するための東名高速道路、そのサービスエリアで布瀬カナンは車を停めた。クロネコから電話で指定されていたためである。それにちょうど腹も減ってきていた。
ドアを開けて建物に入り、薄明かりのついた寂しい広場で食券を購入する。キッチンのおばちゃんの前に券を出し
「ソバでお願い。コロッケ」
と言ってから少し待ち、トレーと割り箸がついた丼を貰って食堂に歩いていく。プラスチックでできた粗末な椅子に座り、丼を置いて、
「いただきます」
と手を合わせてから、そばをすすった。コロッケはツユにひたして、染みわたらせてから口のなかに運ぶ。美味しいと思った。
そんな布瀬カナンは、近場にいたトラック運転手の雑談を聞いていた。
「――おう、おう、分かってるよ。獣人警戒度はレベル5のままだってんだろ? 不要不急の外出は厳に慎んでくださいってさあ。――バカ野郎オメエこの野郎! 外に出なくてどうやって稼げってんだ! オレらが!
怖えのは獣人じゃねえ、明日の食い扶持じゃねえかよ! お上のヤツらはオレたちブルーカラーがどうやって稼いでるかなんて分かってねえんだ!」
運転手は明らかに酒に酔っていた。あるいは、このサービスエリアで夜を過ごすつもりだ。彼は赤い顔でカナンのほうを振り返った。
「なあ! 姉ちゃんもそう思うよなあ!」
「ええ。まあ。――でも、悪いのは獣人ですよ」
彼女が愛想笑いを浮かべると、運転手の男はカハハと笑った。
「そりゃそうだ! ぜんぶ獣人が悪い! あんなバケモンが生まれてこなけりゃなあ、政治家だってなんも困ってねえやわ!
――姉ちゃん、インテリか? いや悪い、身なりが綺麗でついそう思ったんだわ!」
「すみません、専門卒です」
「へ~え! とすると、きっと地頭がいいんだなあ!! ご両親に感謝だな! オレも姉ちゃんみてえな娘がほしいわ、これ、ホント!」
「あはは――」
カナンが笑っていると、その目の前に、ひとりの女が腰を下ろした。トレーに持っているのは、一杯の素のかけそばである。
その女は、テーブルの上にあった七味唐辛子を手に取って、ソバのなかにトントントントン――と、やりすぎというくらいに塗していった。よほどの辛党である。
「貴女は?」
とカナンが訊くと、
「フカミ=アイ」
と女は答えた。「クロネコ様の部下の一人です。あなたをお迎えにあがりましたよ、吸血鬼。
私は蝸牛の獣人、彷徨型。――この世に迷路をつくるのが私の仕事です。私に案内されるか、私の決めた道順に従わない限りは、決してクロネコ様には辿り着けない、そういう型です」
「――なるほど」
とカナンは蕎麦をすする。「あなたがクロネコ派の門番ってことなのね?」
「正確には」
とフカミは言った。「昔はハバ=カイマンという男も門番の一人でした。彼が最後の扉を『開ける』までは、誰もクロネコ様の部屋に辿り着けない」
そこまで説明すると、彼女はため息をついた。
「布瀬カナン様、あなたはハバ=カイマンの抜け番なのです。これからは幹部としての職務をきちんと果たして頂けますように」
「分かってます」
カナンはそう答えた。いつのまにか自分の口角が上がっていることには、気づけなかった。
「私は紀美野イチロウ様とは違って、バカではありませんから?」
その返答を聞き、フカミ=アイは立ち上がる。
「では、私のクーペについてきてください」
長い髪を団子頭にして目尻を朱で染めたチャイニーズゴシック・スタイルの女は――フカミは、すぐに食べ終わるとサービスエリアから去っていった。
カナンはあとをついていく。
そんな二人に、トラックの運転手が笑いかけた。
「おい姉ちゃんたち、なあにそんなに急いでんだあ!? 良い旅をよ!!」
そんな声を後ろで聴きながら、フカミは、
「彷徨型、発動」
と小さく呟いた。「――あの運転手は、もう、どの分岐でも東名高速道路から降りられません。私が許可しない限りは、彼は永遠に道に迷い続けます」
※※※※
同時刻。
教会聖堂のステンドグラスに照らされて、浅田ユーリカの髪が美しくたなびいていた。腐乱姫、獣人名ゴシシ=ディオダディ。
「おおかみさん――!」
彼女は歯ぎしりをする。「おおかみさんはつよいけど、なんかいやったって、あたしにはかてない――!」
それに対して、ラッカは指を立てた。
「さっさと来いよ? お嫁さん」
「!! ガ、アアアッ――!!」
咆哮、そして、突進。
ユーリカはラッカの目の前までダッシュで近づくと、力任せに拳を繰り出した。ラッカはそれを、体をひねって回避。そして、ミリタリーブーツの右脚で相手の腕を弾く。
「う――!?」
「絶縁体越しの蹴りだったら、電気は通らないみたいだな!!」
さらにラッカは足技を繰り出し、ユーリカのアゴを蹴り飛ばす。「ぐっ、うっ」と声を上げながらユーリカが顔を戻す前に、みぞおちと両肩に連続でトーキックを突き出した。
もちろん、この程度でユーリカの動きは止まらない。
彼女はさらに力を入れて、ラッカの顔面を狙って拳を振り下ろしてくる。その拳が空気中にバチバチと放電を繰り返していた。単にガードしても感電する、フランケンシュタインの拳である。
が。
「『超加速』!」
とラッカは叫んだ。
ピタリ、と、ユーリカの動きが止まる。
その時間、約10秒。
「どんなに怪力でも、電気が走っていても、速度がゼロなら意味ないだろ、ユーリカ」
そしてラッカは彼女の急所と、顔面と、関節に、適切に打撃を当てていった。
10秒後のタイムアウトとともに、全ての衝撃が腐乱姫を襲う。
「――くたばれ!!」
ラッカがそう叫ぶと同時に、ユーリカは聖壇に向かって吹き飛んだ。
「うし」
とラッカは呼吸を整える。「雷鳴型、だっけ。所詮は初見殺しのピーキー能力だ。来ると分かってりゃなんも怖くない。もう攻略できた」
それに対して、ユーリカは血まみれのまま上半身を起こした。どうやら聖壇に飛ばされたとき、額を切ったらしい。
「う、ううう、うう――!!」
彼女は呻くと、その場にあった2メートルある鉄製の十字架を床から引き抜いた。イエス=キリストを磔にしたオブジェクトである。
「いじわるばっかり、いじわるばっかりするんだね、おおかみさん――!
きらい!!
あたしのものにならないなら――!! おおかみさんなんか、しんじゃええ――!!」
ブン、と、風を切る音とともに、ユーリカは勢いよく十字架を投げつけた。ラッカは咄嗟に回避する。
ガン!
と、十字架が聖堂のドアを破壊する、木片の砕け散る破壊音が響いた。同時に、教会にある全ての電灯が消える。頼れるものは、月明かりだけになった。
ユーリカの猛攻は止まらない。近くにあったパイプオルガンを掴むと、ぐいっと持ち上げて、
「あたしに潰されちゃえよおお!! ラッカ=ローゼキぃいい!!」
と、さらに投擲してきた。
――やべ、避けきれねえ。
ラッカはそう判断すると、さらに、
「『超加速』!」
と怒鳴った。
ユーリカの目には、なにが起きたか分からない。オルガンに潰されるはずだったオオカミが、まばたきする間もなく消えていた。
そして気がつくと、ラッカは、天井のシャンデリアに掴まっていたのだ。
「なんでえ!?」
と、ユーリカが戸惑っていると、
「浅田ユーリカァ!!」
とラッカは叫ぶ。
「私は時間を止められる! 分かったろ!? お前に勝ち目はないんだ!」
「そんな――!?」
「お前は、なんか、さあ、そんなに悪くないんだろ! 吸血鬼に言われて人を殺して、今はワケわかんなくなって暴れ回ってるだけだ! だったらまだ研究所送りにしてやれる! 諦めて投降しろ!!」
そうラッカは伝えたのだが、ユーリカは止まらなかった。
「うるさい――!!
うるさいうるさいうるさい!! きらいきらい!! あたしとけっこんしてくれないオオカミさんなんか、だいっきらい!!」
そして、ユーリカは聖堂の長椅子を天井に向かって投げつけた。ラッカがそれを避けると、さらにもうひとつ長椅子を。それもラッカが避けると、また長椅子を。
「しねしね!!
しんじゃええ――!! さっさとしねえ!!」
そのたびに屋根が割れて、木片と埃が床に崩れ落ちていく。
「バカッ!」
と、ラッカは回避を続けながら言った。「教会がブッ壊れるぞ!? やめろ!!」
それでも、ユーリカの暴走は収まらない。
ラッカは仕方なく着地し、
「分かったよ」
と答えた。
「降参する気はないんだな?
――だったら、殺すぞ!! お前が生きてたらまた誰かに利用されて、ニンゲンのことも、お前の仲間の獣のことも平気で壊し続ける。それはダメだ!!」
「うううう! おっ、おおかみぃ――!!」
「さっさと来いよ! 蹴散らしてやる!!」
ラッカに発破をかけられると、ユーリカはゆらゆらと近づいてきた。
「ぶちこわす。おおかみさんを、ぶちこわす――!」
が。
次の瞬間。
ユーリカの口と鼻の穴から、大量の血が溢れ出た。
「え――?」
ユーリカは手のひらで血をぬぐう。「なに、これぇ?」
ラッカにも、彼女の体に起きている事態は分からない。
「まさか――」
と、ラッカは呟いた。「拒絶反応? 獣人核が、もう死体の動きを維持できなくなってるのか――!?」
紀美野イチロウから聞いた情報。浅田ユーリカの人造獣人計画は、公から否定された紛い物である。
ユーリカは、ゲホゲホと咳き込んだ。そのたびに血がこぼれて床をビチャビチャに汚していった。ラッカはそんな姿を見ると、その場から動けない。
――フランケンシュタインの怪物、彼女は、無謀な手術の反動によって、今、壊れようとしていた。
初めから分かっていたことだった。人造獣人などつくれない。
いちど死んだ魂を、この世に呼び戻すことなどできないのだ。
※※※※
「そんな――」
ラッカが呟くと、ユーリカは、呆然とした表情で彼女のほうを見てきた。
「おおかみさん、どうしよう?」
とユーリカは言った。「ち、ちが、とまんない」
ドクドク、と。口と、鼻の穴と、やがて耳孔からも血が溢れ出していく。
「あたし、また、びょうきになっちゃったの――?」
と。
そう問いかけるや否や、ユーリカは再び獣の、腐乱姫の瞳に戻った。
「おおかみさんのせいだ――! おおかみさんがあたしにつめたくするから、あたし、またびょうきになっちゃったんだ!」
「――よせ、もう動くな」
「めいれいしないでえ!」
彼女は叫んだ。「あたしのゆめ、かなえてくれないくせに! あたしをしあわせにしてくれないくせにい!!」
そして、突進してくる。
――そう、ユーリカは突進しているつもりなのだろう。
だが実際には、床に血を零しながら、彼女はよろよろと歩いていた。ラッカに、少しずつ近づくことしかできなかった。
そうして拳を握りしめると、ラッカの頬を殴った。
もはや、なんの威力もない。
ただ、喀血にまみれた彼女の拳が、ラッカの顔をベットリと汚すだけだ。
「うう、う――」
そんな風にうめく彼女の手首を、ラッカは掴んだ。
「――もういい。お前は戦えない。一瞬で楽にしてやる」
部分獣化を展開。手の甲から三本ずつ、オオカミの爪を生やした。「これでお前の獣人核を切り落とす」
「おおかみさん――」
ユーリカは、ラッカを見上げた。「――あたし、いきかえらないほうがよかった?」
そのとき。
教会の外、1キロメートル以上離れた場所で、高エネルギー反応が生じた。そして、先に気づいたのは混乱中のラッカではなく、今まさに息絶えようとしているユーリカのほうだった。
「あぶない!」
彼女は叫ぶと、
ほとんど最後の力を振り絞ったかのように、ラッカを突き飛ばした。
「おおかみさん! よけてえ!!」
直後。
教会のステンドグラスが砕け散り、1本の光線がユーリカの上半身を貫通した。ゾーロ=ゾーロ=ドララムの狙撃である。
やがてその傷口が広がると、爆発そのものの勢いで、彼女の上半身は一瞬で膨れ上がって破裂した。
血と肉と臓器が、唖然とするだけのラッカに全て降り注いだ。
「――え」
※※
1キロメートル先の崖の上で、ゾーロ=ゾーロ=ドララムはゆっくりと口腔を閉じた。
「バカヤロー!!」
と和泉サツキは怒鳴った。「誘拐犯のフランケンシュタインだけ狙えって言ったろ!! 第七班のオオカミに当たったらどうすんだボケ!!」
サツキは頭をボサボサとかいた。
「クソ、威力が高くて使いにくすぎる――敵と味方の区別もつかない自動砲台なんか産廃もいいとこだっつの」
そこまで愚痴ってから、「待てよ」、とサツキは立ち止まった。
「ゾーロ、お前まさか、わざとか? 第一班のコウタロウ爺は最後までオオカミ反対派だった――お前、作戦前になんか吹き込まれたんじゃないよなあ?」
そう問いかける、が、ゾーロ=ゾーロ=ドララムはなにも答えない。
《アアア――アア――アアアア》
と、呻き続けるだけだった。
サツキは舌打ちをして、半壊しつつある教会を見下ろした。それから、シルバーボックスの蓋を閉じる。
「変な策謀に巻き込むなよな――こっちはお巡りさんの職務を全うしたいだけだっての」
※※
ラッカは返り血で汚れたままその場に膝から崩れ落ちて、ただ、ユーリカの残骸を眺めていた。
教会のドアが開く。
真っ先に駆け付けた日岡トーリが、うしろに立っていた。
「ラッカ、無事か」
「――トーリ――」
トーリは拳銃をその場に落とし、ラッカに全速で駆け寄った。
「その血はどうした?」
「――大丈夫、私の血じゃないよ」
「大丈夫には見えない」
とトーリは言うと、タオルを取り出した。「ここにいる間いったいなにがあったか、あとでちゃんと聞く。今は、暖かい場所に行こう――ここにある遺体は他の班員たちでなんとかするから」
「ユーリカが、私を庇ったんだ」
ラッカはそう言うと、自然に涙が出てきた。それが頬の血糊を溶かして、ぼたぼたズボンに落ちた。
「なんで、なんで最後に――そんなことするんだ――。
あいつ、命令どおりに人を殺して、暴走して、仲間割れもして、なのに、最後に私を助けたんだ――。
私はあいつのこと、なにも知らないのに!!」
そんなラッカの肩を、トーリは優しく抱いた。
「帰ろう。みんな心配してる」
※※※※
同時刻。
イズナ=セトはマリの胸に突き刺したシルバーブレードをゆっくりと引き抜いた。血は飛び散ったりしない。獣人核とともに心臓が止まっているからだ。チカのほうは先に殺してある。
――私は、少しは強くなれたでしょうか。
そう思いながら刀を眺める。
ただひとつ、分かったことがある。
もう今の私はオオカミに嫉妬していない。
私は私なりのやりかたでしか、強くなれないのだから。他者と比べても仕方ないものはあるのだから。
そのとき、イヤホンから他班の報告が流れてきた。
『こちら第二班、志賀レヰナ。吸血鬼二匹の死亡確認。宿泊客は一名だけ。保護済み』
『こちら第七班、日岡トーリ。吸血鬼一匹と腐乱姫の死亡確認。宿泊客は五名ほど。保護済み。それから第七班専属猟獣、ラッカ=ローゼキの身柄を保護した。軽度のストックホルム症候群の疑いあり。作戦終了後、カウンセリング必要』
それらの報告が終わると、次はショーゴの報告だった。
『第六班、橋本ショーゴ。吸血鬼四匹の死亡確認。宿泊客は七名。狙撃部隊はどうだ?』
彼の問いに対して、三人が答える。
『第七班狙撃手、仲原ミサキ。逃亡した獣はなし。こちらは一匹を駆除』
『第六班狙撃手、我孫子リンタロウです。逃亡した獣はありません。オレの方角には誰も来ませんでした』
『第二班狙撃手、和泉サツキ。ゾーロ=ゾーロが吸血鬼一匹と誘拐犯を駆除しました。ただし、この猟獣の挙動に疑問ありです。
こいつ、オオカミの女をわざと撃とうとしたのかもしれません。次回定例の議題に上げましょうか?』
それに対してショーゴは眼鏡の位置を直し、
『要らん』
と答えた。『物証がない。どうせのらりくらりとかわされるのがオチだ。――レヰナさんもそう思うだろ?』
『まあな』
レヰナの声が割り込んだ。
『サツキ、その違和感は大事にしとけ。業務時間外なら好きに調べていい。
だがな、なんだその報告は?』
そこで空気が変わった。レヰナは言葉を繋いだ。
『それは、こういう場で言うことじゃ絶対ねえよな? 今このメンツに第一班のスパイがいたらどうする? キナ臭え話は、あとでアタシに隠れて言うんだよ。研修でちゃんと言ったろうが、バカが』
『すっ、すみません――!』
『今週と来週で、射撃訓練を平時の三倍は積んどけ。借りモンの猟獣に文句言うヒマあったら、ミサキ見習ってテメエで当てろ』
『は、はいい――!』
こうして、狩人たちは裏庭に集合した。ラッカは顔の返り血を拭かれた姿で、トーリに抱かれてよろよろと歩いてきた。イズナと目が合う。
「ラッカ。大丈夫ですか――?」
「大丈夫じゃないかもしれない。
――私、本当は、めちゃくちゃ弱いのかもしれない」
「はあ?」
「敵は自分を誘拐したヤツなのに、死んだのが悲しい。相手は人殺しなのに。私、人間の味方をするって決めてたはずなのに――本当は、行き当たりばったりに、自分が優しくしたいと思った人に優しくしてるだけなのかもしれないんだ」
ラッカの弱気な顔を見て、イズナは、よく分からなくなった。
――彼女は私よりも強いはずなのに、そんな彼女にも悩みがある。猟獣訓練の思想教育を受けた私にはない、迷いめいたもの。
イズナは少し目をそらすと、ラッカを再び見つめた。
「ラッカ=ローゼキ。あなたは、あなたなりの戦いかたで戦えばいいと思います」
「えっ――」
「それで至らないところがあれば、猟獣の先輩である私がサポートします。――私たちは同じ職務に就く仲間です。それを、忘れないでください」
その言葉は、ほとんど、かつての自分に言い聞かせるみたいに言っていた。
イズナは刀の鞘を腰からゆっくり外すと、ショーゴのもとに歩いていった。
ショーゴは静岡県警獣人捜査局に連絡を取っていた。裏庭の埋まった吸血鬼の遺体回収を任せていたのだが、視界の向こうから、自分の猟獣が来ていることに気づいた。
「――イズナか」
とショーゴは言った。「よくやった。たしかにお前は強くなった」
「はい――」
彼女はじっとショーゴを見つめてくる。
「ショーゴさん、これからも私は強くなります。どうか、おそばに置いてください」
その瞳が、ショーゴには鬱陶しかった。
油断すると、不意に、妹のアイコの顔つきを思い出してしまいそうになるからだ。獣人に襲われて植物状態になり、長いあいだ眠り続けている唯一の肉親。
容姿が似ているわけでもないのに、どうしてだろうか。
ショーゴは首を振り、
「もう言っただろ。もともとお前に不満はない」
と答え、帰りの車のドアを開けた。
※※※※
そして、全ての人々は帰路につく。志賀レヰナは部下たちに解散を言い渡すと、自宅の夫に電話をかけた。
「ホテルに泊まってから朝に帰る。待たなくていいよ。――おやすみ」
そうして電源を切って、後部座席の背もたれに体を預けた。運転手のクダン=ソノダが「いいの?」と訊いてきた。
「頑張れば今日のうちに都内に辿り着けそうだけど?」
「いいんだ。――夫と息子には、アタシが浴びた獣の血の臭いは嗅がせたくない」
と、レヰナは自分の顔に残る傷跡を撫でた。
それは大昔のこと、今の夫を守るために自分についた傷だった。
――痛むのはアタシだけでいいのさ。愛する旦那とガキを守るためならな。
※※
ラッカはもう少しだけ顔と体を拭いてから、トーリが運転する車の助手席に乗った。後部座席には誰もいない。
第七班の他のメンバーはもうひとつの車に乗っている。運転手は田島アヤノ。助手席には山崎タツヒロ。後部座席に座るのは仲原ミサキと佐藤カオル。
「トーリ」とラッカは声をかけた。
「風邪って、もう平気なの?」
そう聞くと、トーリは東名高速道路に乗り上げながら苦笑いを浮かべた。
「そういや、ラッカがいなくなった日は、俺が変な熱で寝込んでたんだったんだな」
「うん」
「もう問題はないよ。でも、そんなことよりも、今は俺にラッカを心配させてくれると嬉しい」
「――うん」
それから、無言。サイドウィンドウの向こうで街の明かりが消えていくのを眺めながら、ラッカは、ただボーッとしていた。
トーリが口を開いた。
「ラッカが誘拐される前に書いてくれたメモがあったよな? 俺の家族のこととか、もっと知りたいって」
「えっ――うん」
「シルバーバレットを開発したのは俺の両親、日岡ヨーコと日岡レンジだ」
そう答えたときのトーリには、なんの表情もなかった。
「幼稚園の行事にも、小学校の参観にも、二人は来なかった。家事は無愛想な代行業者がしてた。だから、あんまり肉親の実感はないんだが――立派な仕事をしてるってことだけ知ってた」
「そうなんだ」
「だから死んだときは、ちゃんと悲しかった」
そこまで話すと、トーリはラッカをバックミラー越しに見た。「ハラ減ってないか? どこかのサービスエリアが見えたら、なにか買ってこようか」
「うん、お願い」
「なにか注文はあるか?」
「――あんまり高級じゃないやつがいい、かな」
ラッカの要望の意味をトーリは上手く呑み込めなかったのか、「そうか。じゃあ、適当なパンとかおにぎりとかにするよ。ホットドッグとか、フランクフルトとか、フライドポテトもいいよな」
と言った。
ラッカは不意に思い出して、
「あのさ、トーリ」
と呼びかけた。「トーリの部屋は、どうしてあんなに広いの? 本当は、あそこに誰かが住む予定だったの?」
そのとき、
ウゥン――という低く呻るような音とともに、大型トラックがラッカたちの車の横を通りすぎていった。トーリは最初のうちなにも答えなかったが、やがて、
「死んだ恋人と同棲する予定だったから、無駄に広いんだ」
と自嘲するように言った。「引っ越すのも面倒くさいからな、色々と」
「――そうなんだ」
ラッカはそこまで返事してから、追加でなにも言えなくなってしまった。トーリも、それ以上、ラッカに踏み込めないままハンドルを回し続けた。
ラッカの心は人間に近づいている。いや、近づきすぎているのかもしれない。
やがて、気休めの救いのような明かりをつけて、サービスエリアが待ち構えていた。
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