第12話 VS腐乱姫 後編その2
※※※※
夕方。
クロネコは郊外のデパートにある屋上遊園地で、動物の型をした乗り物に何度も百円玉を入れ、その背中に乗っていた。ノスタルジックなメロディが流れると、パンダやキリンやゾウを模したスロースピードのカートが移動を開始。そこに跨って、黄昏どきを迎えるのが好きだと思った。
あたりには誰もいない。――世界が終わるような心地よさは、きっと郊外デパートの屋上にある。
そのとき電話が鳴った。スマホを耳に当てると、カナンの声がした。
『クロネコ様。ご報告があります』
「どしたの?」
『紀美野イチロウ様が死亡しました。腐乱姫様――ゴシシ=ディオダディ様の暴走によるものです。
遺体は旅館の裏庭に埋葬。分散型の本体は私が引き継ぎました』
「オッケー、予想より上手く物事が運んでるね」
クロネコは微笑んだ。
今回の目論見その1。分散型の力を、チトセでもイチロウでもなく、クロネコの命令を正しく守る個体に継承させておくことである。
かつてチトセは少数精鋭で部下を固め、イチロウは趣味で眷属を集めた。
どちらも力の使いかたとしては間違いだ――血は誰かに受け継がせるものではなく、世界に撒き散らすものなのだ。その気になれば街ひとつを焼却対象にできる最悪の力、それを有効活用しないのはあまりにも惜しい。
「ちなみに、オオカミは?」
『問題なく生きております』
「ならいいよ、カナン。君だけは隙を見てその旅館から抜け出そう。狩人たちは浅田ユーリカの自宅を改めて漁っているらしい。あの連中なら、そのうち君たちに辿り着くね」
『承知しました』
「上手く逃げられたら、黒獅子のタトゥと、獣の名前は君のものだよ」
『――は、はい』
そこで通話は終わった。
今回の目論見その2。全力を出さなければ勝てない獣人をぶつけて、オオカミから甘い迷いを捨てさせる。
「ラッカ=ローゼキ――君が最初から腐乱姫を始末しないからこんなことになったんだ。いくら強くても、本体に生ぬるい優しさが残っていたら宝の持ち腐れもいいところだよ? ちょっとは反省しよう」
これからは超加速型の、最凶の力を常にフルスロットルで使うんだぞ。ラッカ。
――だってオオカミは、腐ったニンゲンどもの世界では悪魔の化身なんだよ? なにしろ、お前は聖書の悪役なんだぜ?
※※※※
カナンが「周囲の見回りに行ってきます」と言い残して紀美野イチロウの車に乗り、旅館を去ったあと、浅田ユーリカ――腐乱姫(ゴシシ=ディオダディ)は、冷たい目で眷属たちを眺めていた。
「くろねこくんからのしごとは、あたしがひきつぐ」
と彼女は言った。「ルチフェロ、ヨル、シュカは、イチロウさんのかわり。うんてんしゅ」
それから――と、ユーリカは言葉を繋いだ。
「クニキダとマリは、ここのごえい。アリサはいつもどおり、みんなのごはん。チカちゃんは、これまでどおり『ちょうぼ』のさいく。このにしかんには、だれもいないってことにしといて」
それぞれの指示に対して、眷属たちは短く頷くだけだった。
「ほうこくとかそうだんは――うん、そうだね、まずカナンにつたえて?」
「はい」
クニキダは震えながら頷いた。「あの、オオカミについてはどのように処理しますか――?」
「えっ? あたしとけっこんするから、ずっとここでいっしょにくらすけど? きいてた?」
「いえ、しかし――」
クニキダは食い下がる。「昼に、彼女は他に好きな人がいるから結婚できないと言っていました。つまり、腐乱姫様に明確に反抗の意志を示しています。――このままで奴は本当にいいのでしょうか。必要とあらばシルバーリングを作動してでも、生命活動を停止させてしまったほうが――」
「だいじょぶだよ?」
とユーリカは言った。それから、獣の目で眷属たちを見つめた。
「トーリってひとがいるから、オオカミさんはけっこんしてくれないってことだよね。じゃあ、もんだいないよ!」
ユーリカは笑う。「トーリさんは、けものじゃない。あたしのちからだったら、すぐにこわせちゃうもん!」
「いえ、あの、それは――!」
クニキダの額から冷や汗が流れた。「トーリという男は私も存じません、が、オオカミ女はそいつに好意を抱いてます。そんな男を殺したら腐乱姫様がどのように思われるか、私は――」
「え?」
ユーリカはきょとんとした。「クニキダは、あたしがまちがってるっていいたいの?」
「いいえ、そういうわけでは――」
直後。
クニキダの首がねじられると、頭部と胴体が切り離された。腐乱姫の怪力の前では、吸血鬼の眷属はひとたまりもない。
――ユーリカの理性は、少しずつ、だが確実に崩壊しつつあった。
※※※※
静岡県警獣人捜査局第三班、城ヶ崎ケンゴの車が旅館から50mほど離れた作戦区域に到着した。後部座席のイズナ=セトはドアを開けて降りる。ケンゴも助手席の猟獣であるクヱルを連れて外に出た。
「んじゃまあ」
とケンゴは言った。「今回の作戦、オレらは送迎までなんで。あとはよろしくお願いします」
その言葉の裏側には、凶悪な獣人同士の狩り合いに巻き込まれてたまるかよ、という本音がありありと透けて見えた。
「ああ」
と橋本ショーゴは言う。「おれのイズナのエスコートご苦労だった。今回の敵は強い。半端な戦力は足手まといだから、さっさと帰れ」
「へいへい」
ケンゴは肩をすくめると、
「帰るぞ、クヱル。――あ、ウチ着いたらまたマリカやっか?」
と言いながら車に戻った。クヱルと呼ばれた少女は、こくこくと頷きながら助手席に座るだけだ。
車が去ったあとで、イズナはショーゴに目を戻した。
「ただいま修行を終え復帰しました。ショーゴさん」
「おう」
ショーゴは答えてから、うしろを振り返る。
第七班。日岡トーリ。仲原ミサキ。田島アヤノ。山崎タツヒロ。佐藤カオル。
第六班。西城カズマ。白石ルミネ。河野タイヨウ。我孫子リンタロウ。
第二班。志賀レヰナ。黛ナツオ。芹澤タソガレ。和泉サツキ。そして猟獣、クダン=ソノダ。
これが今回の獣人駆除メンバーだった。
「月光亭は」
とショーゴは言った。「東館、西館、南館、北館。それぞれあってどれも同じ程度の規模だ。第七班は西館を、第六班のおれたちは東館を叩く。第二班のうち、班員は南館を、レヰナさんとクダンのコンビは北館を叩いてくれ。逃げる獣は各班の狙撃手に頼む。一匹残らず撃ち殺せ、以上だ」
「なあ」
とトーリが手を挙げた。「獣人ではない宿泊客がいたとしたら、どう見分ける。――ここは前回みたいにはいかないぞ」
「脅せ。まずは全員駆除するテイで挑むぞ」
ショーゴが手短に答えると、レヰナがため息をついた。
「まあ、それしかないだろうな」
そんな二人に、トーリはしぶしぶ頷いた。
「それじゃあ、突入だ」
とショーゴが言った。各班のうち、仲原ミサキ、我孫子リンタロウ、和泉サツキの3名がスナイパーライフルと砲台を携えて旅館を囲むように動き出す。
残りのメンバーは、堂々と正面突破である。
※※
作戦開始。
西館に入った日岡トーリたちは、すぐに廊下でルチフェロと宿泊客数人に出くわす。山崎タツヒロが容赦なく短機関銃のMP5を天井に撃った。
「おいコラ!」と彼は怒鳴った。「ここの奴ら全員コウモリってこたぁ分かってんだぞ! 手を頭のうしろに回してうつぶせになれ! 死ぬかァ!?」
彼のシンプルな怒号を耳にしながら、トーリは館内の様子を観察する。
――ルチフェロだけが瞳を獣にして、口腔の牙を覗かせ羽を生やすと臨戦態勢に入っていた。
「見つけた」
と彼は言いながら、グロック17を取り出す。弾倉にあるのは銀の弾丸だ。「獣人を目視。シルバーバレット、発砲許可申請する」
※※
一方、志賀レヰナはクダン=ソノダとともに北館に上がった。彼女は懐からリボルバーのコルト・アナコンダを取り出す。銃弾は既に全てシルバーバレットだ。
「なあクダン、アタシは誰に襲われる?」
彼女の問いに、クダンはアゴの髭を撫でながら答えた。「このままだと姐さんは、廊下の角を曲がった先でコウモリに襲われる。名前はアリサとヨル。二匹もいるけど大丈夫?」
「B級が二匹なら問題ない」
そうして彼女は堂々と廊下を土足で踏みしめ、景気づけに一発、天井にシルバーバレットを発砲する。悲鳴。それから奥の廊下に入ると、なるほどたしかに、二匹のコウモリがそこで羽根を広げていた。
「ハハハッ!」
レヰナは哄笑を上げた。「何匹撃ち殺しても構わないクソ相手の仕事ってのは、なあ、楽しいなあ! 難しいことはなんも考えなくていい! クダン、サポートしろ!」
そうして、彼女はリボルバーを向ける。「シルバーバレット、使わせてもらうぜ――日岡ヨーコ先輩!!」
※※
一方、橋本ショーゴとイズナ=セトは堅実に西館を回っていた。白石ルミネと河野タイヨウが各部屋を開けて拳銃を向け、「獣人捜査局です。部屋から動かないでください」と告げていく。そのときの微細な反応を、西城カズマが確認していた。
そして、各館の連絡通路がある西ホールに辿り着く。そこにいるのは、腐乱姫だった。彼女は、睡眠薬を飲まされて横たわるラッカ=ローゼキを抱きかかえ、吹き抜けの2階に堂々と立っている。
「だあれ」
ユーリカがそう訊くと、取り巻きのリコとシュカとマリ、そしてチカが牙を剥いて現れた。イズナは日本刀の入った布袋を取り出す。
「私は獣人の敵。そして人類の味方。――警視庁獣人捜査局第六班専属猟獣、イズナ=セトです」
彼女の名乗りに、ユーリカは首を傾げる。
「そのふくろは、なあに。あなた、なんなの?」
「気になりますか?」
とイズナは目を鋭くした。
「では、お見せしましょう。――シルバーブレード、抜刀許可申請」
そして、彼女は袋を剥ぐと刀を抜いた。
直後、眷属のシュカが斬り殺された。
「え――?」
戸惑うユーリカに、イズナは平然と答えるだけだ。
「最初から私は二階にいたんですよ――間抜けが」
※※※※
日岡トーリはルチフェロに狙いを定め、グロック17のトリガーを引く。発射と同時に銃身がスライドし、薬莢が弾き出された。
――が、ルチフェロはそれを難なく回避した。顔にホクロの散らばった、癖ッ毛に色白の女だ。
「バーカ下手クソ! そんなもん当たるかよ!!」
彼女は廊下に走り出す。
トーリの後ろにいた田島アヤノが数少ない宿泊客に対して、
「全員部屋に籠もって! 巻き添えになる!」
と怒鳴った。それから、先ほどMP5を乱射したタツヒロに対して「どうしたの? 焦ってる?」と訊いた。
「別に焦ってないよ」
とタツヒロは答えた。ウソだ。「前は吸血鬼相手に油断して、同情して、死ぬかもしれない目に遭ったんだ。アヤノにも迷惑かけた。あんな思いは二度とごめんだ」
それから、アヤノ、タツヒロ、カオルはトーリのあとに従って土足で廊下を走った。
トーリのほうは再び拳銃を構えて、ルチフェロに標準を定める。相手はそれを見て、彼に向き直った。
「狩人。不意打ちのために、宿泊客への避難勧告は出せなかったみたいだね? それが敗因だよ。こっちにはいくらでも人質がいる。――こんな風にさ」
彼女は背中に隠していた小学生ほどの女の子を引きずり出した。
「ほらぁ! ニンゲンどもはニンゲンの命だけは大事なんだろ!? さっさと拳銃を床に置いて両手を挙げろ、カス!!」
トーリはしばらくグロック17を構えていたが、やがて安全装置を入れて床に落とした。
わずかに後ろを向いて指示を促すと、アヤノもタツヒロもカオルも武器を捨てざるを得ない。
「アハッ!」
ルチフェロは笑った。「あたしの勝ちじゃねえの、これぇ? ――先頭の色っぽいイケメンさん、なにか言いたいことは?」
「今夜は月が綺麗だな」
とトーリは言った。
「は? なにそれ? ナツメソーセキ?」
「おまけに満月だ。月が綺麗だと、そう思わないか」
「――?」
ルチフェロは廊下の窓のほうを見る。たしかに、そこから満点の空で月を見ることができた。
次の瞬間。
彼女の額に銀のライフル弾が撃ち込まれていた。
シルバーバレットである。トーリは両手を下ろし。窓の向こう、1キロメートルほど先にいるだろう仲原ミサキを見つめた。
「ナイスショットだ、狙撃手」
※※
ミサキは崖上でうつぶせになったまま、ライフルスコープ越しに吸血鬼の死を確認した。
トリガーから指を離し、ボルトアクションで薬莢を排出する。
そうして、再びL96A1を構えた。
「夜牝馬の豪華客船では、不甲斐ないところを見せちゃったからね――改めてトーリくんには、誰が銃の師匠なのか示しておかないとかな」
※※
そんな狙撃銃の音を遠くで聞いていた第二班、和泉サツキは、
「お、やってるやってる~!」
と立ち上がって、背負っていた銀の箱を地べたに下ろした。なかに入っているのは、第一班から借り受けた専属猟獣ゾーロ=ゾーロ=ドララム。猟獣訓練の果てに自我崩壊した、生ける屍である。
「うっし。いっちょブッ放ちますか!」
と、サツキは双眼鏡を構えた。「猟獣制度史上『最強の失敗作』、その力とくと見せてもらおう!」
そして、銀の箱を拳で殴りつけた。
「覚醒しろ、ゾーロ=ゾーロ=ドララム!
シルバーボックス、開帳許可申請ッ!!」
蓋が開く。
なかに入っているのは、四肢をもがれたまま銀の鎖で何重にも縛られ生気を失い、ただ呼吸するだけの獣人だった。
「狙撃型、エネルギー装填を開始! 窓際にコウモリの気配を感じたら発射しろ!」
《ア――アアア――アア――!!》
うめき声。
やがてゾーロ=ゾーロ=ドララムが捕捉したのは、不用意に窓際に立つコウモリ女のひとり。ヨルである。
《アアアア――!!》
彼の口が大きく開かれる、と、喉奥に光源が発生。やがて、シィン、と、静かな音とともに紫色の光が館の窓に向けて射出された。
イッカクの獣人、狙撃型、脅威度B級。
射程距離2キロメートル以内に光線を発射する。そのレーザー、最大二回まで自動屈折可能。
「うひー、なるほど強いなあ!」
とサツキは声を上げた。
光線は窓を割り、ヨルの体に命中すると、着弾と同時に彼女の上半身すべてを完全に破壊した。わずかに残った二本足が、血しぶきとともに床に転がる。
「でも、次弾装填に時間がかかる感じかあ。なるほど、これはピーキーだなあ。だいたい、懐に入られたらおしまいだ」
サツキは双眼鏡を顔から離した。「やっぱ猟獣は、第六のイズナくらい使い勝手がいいのがいいよねえ?」
※※
志賀レヰナのほうは、ヨルの体が破壊されるのを至近距離で見つめていた。
「ほう――第一のコウタロウのヤツ、ちゃんと猟獣のメンテはしてたみたいだな」
そんな彼女の言葉を訊くと、目の前にいるアリサは歯牙を剥き出しにした。
「よくも――よくも、私のヨルを!」
「ああん?」
「お前らニンゲンに、獣を狩る資格があるのか!? 私たちの事情も、関係も、なんにも知らずに――!」
「お前らケモノどもに悲しい思い出だの暖かい絆だのがあったとして、それは殺しの言い訳になるか?」
とレヰナは言った。「甘ったれんなよ。戦争だろうが」
そして、リボルバーをアリサに向けた。彼女が回避しようとする、その動きを、まるで最初から見越していたかのようにレヰナは銃先を動かした。小娘の動きを読むのに、未来予知も必要ねえよバカが。
「――なっ!?」
レヰナはトリガーを引いた。44マグナムリボルバー式のシルバーバレットが、アリサの胸を貫いた。彼女は口から血を吐くと、やがてその場に倒れる。
レヰナはガラガラとシリンダーを回すと、未使用のシルバーバレットを回収した。
「クダン、他班の援護に行くぞ」
「オッケー、了解」
※※※※
イズナは日本刀を――シルバーブレードを振り払った。血が壁と床に飛び散り、そのうしろで、胴体を真っぷたつに斬られたシュカが崩れ落ちる。
「が――ああ――あああ――!!」
「シュカ、どうした!」
と眷属のリコが叫んだ。「さっさと再生しろ! カタナで斬られたからってなんだってんだ!」
「残念ですが」
とイズナは割り込んで答えた。「シルバーブレードはシルバーバレットのプロトタイプです。この刃は、銀の弾丸と同じ効果を持ちます」
そして、残った眷属――リコとマリ、そしてチカを睨む。「お前らはもう終わりです。さっさと始末して、オオカミの救出に向かわせてもらいます」
イズナの殺戮宣言。
それに対して、敵の三匹はすぐに全力を出した。取り出したエモノは、それぞれ鉄の槍と西洋剣とメイス。
「うあああ――!!」
そう、リコは叫んだ。
――頭のなかはクールだった。さっきシュカが斬られたのをヒントに、こいつの型はもう分かった。
隠密型。自分の居場所を誤認させる、それがこの猟獣の能力だ。
対処法もハッキリしている。とにかく接近戦に持ち込んで、相手と接触し続ければ、こいつは居場所そのものを誤認させるヒマがない。
「死ねェ! 狩人の奴隷がァ!!」
リコは槍を振るう、と、イズナはすぐに跳躍して、宙返りしながら1階に戻っていこうとする。
――やはりヒット&アウェイを狙う気か!
リコはすぐに手すりに飛び乗り、さらにジャンプしてイズナを追いかけた。空中にいる間だったら、誤認させようにも移動の手段がないだろう?
「シィッ!」
リコは槍を振り下ろす。コンマ1秒前に着地していたイズナは、それを前転でかわした。 ――そこへさらに、マリが西洋剣を構えて降りかかる。
「!」
イズナは立ち上がり直後、横跳びして剣戟をかわした。
――いけるぞ!
リコは笑った。2対1で追い詰め続ければ、こいつに距離を置く余裕はない。いつかは疲労が来る。そのときがコイツの最後だ――!
マリは容赦なく、何度も西洋剣を振り下ろす。キン、キン、キン――という鈍い金属音とともに、イズナはそれを適切な日本流剣道の構えで弾き返し続けていた。その隙を、リコのほうが見逃さない。刹那、イズナの右側頭部がガラ空きになった。
――そこだ! 消えろ!
リコは槍を突き出した。
が。
イズナは即座に、カクン、と両膝を曲げ、その場で映画『マトリックス』みたいに仰向けにのけぞって槍の一閃を避けた。
「なに!?」
リコが驚愕の声を上げる――その間もなく、イズナは起き上がりながら槍の胴金(刃に近い柄の部分である)を回し蹴りで弾き飛ばした。
「クソッ!」
「終わりだ」
イズナが上段の構えから斜め横に刀を振り下ろす、それをリコはすんでのところで後ずさり回避した――つもりだったのだが、
鮮血。
気がつくと彼女は、首の付け根から腰の入り口まで一刀両断されていた。
「な――なんで――!? よけられた、はず――!!」
マリも、チカも目を見開いている。
それに対して、イズナは冷静そのものだった。
「私の刀の軌道は、あなたが認識したとおりのものではありません。――シルバーブレードは、さらに10センチほど、あなたのほうに踏み込んでいたんです」
そう言うと、彼女は改めて八相の構えで向き直った。
「今の私は、居場所だけではなく、攻撃の座標と軌道も誤認させる。
――隠密型・改。その練習台になって頂きます」
※※※※
そして。
浅田ユーリカは――腐乱姫(ゴシシ=ディオダディ)は、眠り続けるラッカ=ローゼキを抱えながら逃げ走っていた。
「ひぃ、ひぃ、ひぃ――!」
彼女はそんな短い悲鳴を上げて、あてもない連絡通路を駆け続ける。「かりゅうど! かりゅうどだ! かりゅうどがきちゃった――!!」
ちょっと前に紀美野イチロウを殺したことも、クニキダを殺したことも、彼女は忘れている。もう、脳ミソが健全な記憶の保持に向いていないのだ。
今の彼女は、ただの、幸せな結婚を夢見る乙女に戻っていた。
「やああ――! なんで!? こわいよお! なんで、かりゅうどさんにねらわれちゃうのおっ!?」
そのとき。
ラッカは彼女に抱えられながら目を覚ました。
――狩人? いま狩人って言ったよなコイツ。
獣人捜査局がここに来てるのか?
まさか、じゃあ、トーリも?
ラッカはユーリカに拘束されながら、体をゆっくり起こした。
「トーリィ!!!!」
その場で振り絞れる、最大音量で彼女は叫んだ。
「迂闊に近づいたらダメだ!! トーリ!! コイツの型は電気だ!! トーリ!! コイツは私がなんとかするから近づくな!!」
そんなラッカの大声に、ユーリカはハッキリと苛立つ。
「オオカミさん、うるさい! てきにきづかれちゃうよお! だんなさまなんだから、ユーリカのいうこときいてよお!!」
そうして、二人は「月光亭」の離れにある、ブライダルビジネス用の簡素な教会になだれ込んだ。
ユーリカはその場に蹴躓いて転び、背負っていたラッカを放り出してしまう。
同時に、シルバーリングのリモコンスイッチも。
「あ!?」「うおっ!?」
そのリモコンに、ラッカとユーリカの両方が同時に気づいた。
「だめぇ――!」
ユーリカは急いで手を伸ばした。「くびわ! くびわがないと! オオカミさんにげちゃう! あたしのだんなさまなのに! けっこんしたいのに!」
ラッカも駆け出した。「首輪! 首輪さえ外せれば! こいつのことは私がなんとかできる! 私が皆のことを守りたいから、この首輪は邪魔だ!!」
――トーリ。
ごめん、私が結婚するなら、相手はトーリだよ。10年前から、トーリの名前を知る前から、ずっとそう思ってたんだ。
そして。
ラッカは腐乱姫よりも1秒だけ早く、シルバーリングのリモコンを回収した。ボタンを押す。ピピッ、という電子音とともに、銀のチョーカーが外れて床に落ちた。
「あ、あ、あああ――!!」
ユーリカが叫び声を上げた。「なんでえ!? ひどいよお! なんでえ――!!」
一方のラッカは、手の平を閉じ、そして開く。
ここは結婚式に使う簡易な聖堂。ステンドグラス。大判の聖書。長椅子の列。オルガン。差し込んでくる月光。そういえば、今夜は月の綺麗な晴天だった。
オオカミにうってつけの夜である。
「リベンジマッチだ、浅田ユーリカ」
とラッカは言った。「同じ相手に二度も負けるようなヤツは、どこの世界でもクソだってことくらい知ってるぜ。――母ちゃんが教えてくれたからな」
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