第12話 VS腐乱姫 後編その1


  ※※※※


 2023年5月3日に行方不明となったラッカ=ローゼキは、5月24日になっても、依然として姿をくらましたままであった。

 可能性はみっつ。

 1.敵の獣人の襲撃に紛れて失踪した。

 2.敵の獣人に未だに捕縛されている。

 3.既に死んでいる。

 このうち日岡トーリは2を疑っていた。

 1の確率は低い。もしラッカが失踪を目論むなら、夜牝馬の時点でそうすればいい。いずれにせよ、監視社会化の進んだ東京都で影さえ映らないのはありえない。

 3の確率も低い。クロネコ派は事あるごとにオオカミに執着し、それをアピールしてきた。戦果を挙げたのにトロフィーを掲げないのはおかしい。

 では、2は? クロネコ派は人造獣人の浅田ユーリカとラッカを戦わせて勝利し、彼女を拉致したが、警視庁に対してなんの要求もない。

 ――ここが鍵だ。連れ去ったのに次のアクションがないのは、連れ去ること自体が目的か、あるいは、それが単なる事故だから。

 トーリは埼玉県鴻巣市にある浅田ユキヒトの自宅を訪れ、事件当時のまま保存されたままの書斎を捜索した。机の二重底から見つかったのは大量のDVDである。それぞれディスクに「ユーリカ」の名前と日付が記してあった。

 レコーダーに入れて再生すると、映るのは、病室のベッドで大人しくライトノベルを読みながら、撮影者の父親と談笑するユーリカだった。

 12歳のユーリカ「お母さんがいなくなっても、寂しくないよ。だって、お父さんがいるんだもん」

 13歳のユーリカ「この本の主人公が羨ましい。あたしも結婚したかったなあ。お父さんに花嫁姿を見てほしかったの」

 14歳のユーリカ「――本当は、死ぬのが怖い。すごく怖くて、真っ暗闇、いつも泣いています」

 15歳のユーリカ「人ってどうせ死んじゃうのにどうして生きるのが辛くないのか、考えてみたんだ。あたしみたいに病気じゃなくっても、いつかみんなそうなるでしょ? 思ったのは、子供が生まれて、命がその子に継がれるから怖くないんじゃないかって。――あたしは体が弱いから無理だったけどね」

 16歳のユーリカ「もういい。なにも考えたくない。本もぜんぶ捨ててよ」


 そして17歳のユーリカを撮影した映像では、彼女はなにも言わなかった。ただ画面の外側からユキヒトの声が響いた。

《大丈夫だよ、ユーリカ。父さんがそばにいる》

「――――」

《父さんは、なあ、父さんは絶対に諦めないぞ。

 たとえこの世の運命がお前を見放しても、父さんがお前を甦らせてやるんだ。なあユーリカ、生き返ったらなにをしたい? なんでも叶えてやるぞ。お前のためなら父さんはなんでもできるんだからな!》

「――――け、っこ、ん」

《結婚?》

「――――お、とう、さ、んに、――あ、――あい、がとう、って――――いう――」

《ユーリカ? どうした、ユーリカ? おい、ユーリカ!》

 暗転。


 最後のディスクには、日付もユーリカの名前もなかった。ただ、サインペンで荒々しく《人造獣人計画》と書かれているだけだ。

 再生すると、暗い部屋で浅田ユキヒトがパイプ椅子に座りながらカメラを睨みつけていた。

「俺はこれから、娘の夢を叶えようと思う。

 ――散々な人生だったよ。日岡夫妻のせいで学会からは追放された。妻は、キャリアの望めない俺と、難病の娘に失望して、男をつくって出ていった。俺に残されているのは娘だけだ。なのに、その娘ももうじき死ぬ。

 ――死なせるものか。なにがなんでも、ユーリカは蘇生させるぞ。

 たとえその結果、なにが起きたとしても――》

 そこまでがDVDの全てだった。

 トーリは立ち上がると、煙草を咥えた。

 ――人造獣人のユーリカは蘇生直後に父親を殺しているという。生前に父親に恨みを抱いている証拠はないのだから、つまり、マトモな記憶か人格の片方、もしくは両方を破損した結果そうしたとしか言えない。では、そんな彼女を突き動かす衝動はなんだ?

 結婚生活?

 トーリは埼玉県鴻巣市の浅田宅を捜索し、二階にあるユーリカの部屋を見つけた。幼い頃から病院にいたせいだろう、ベッドに使用の形跡はなく、机にはなんの乱れもないまま埃だけが積もっていた。そして、本棚にあるのは父親のユキヒトが買って病室に送り続けていたライトノベルの数々である。

 女の子向けのレーベルで、題材はほとんど全て、女性の非現実的な結婚願望を満たすファンタジーだった。自分よりも強い空想上の「王子様」に見染められて、幸せな生活を送るという幻想。


 ラッカを捕まえたあと連中に動きがないのは、捕まえること自体が目的だからだ。

 ――ラッカは人造獣人のユーリカにとって「自分より強い獣」だから花婿として相応しかった。そこだけ切り取れば、女の子らしい、乙女ちっくな行動方針である。

 ここまで考えたあと、トーリは原作『フランケンシュタイン』のページを開いた。

 ――怪物が最後に望んだもの、それは、自分のそばにいてくれる配偶者だ。


 息を吐いて浅田宅を出ると、トーリは水田の広がる田舎町を前にピースを吸った。

 警視庁公安部、鮫島カスミから連絡が来たのはそのときのことだった。


『統和教会を覚えているか?

 警視庁公安部でも監視の対象になっていたカルト宗教団体だ。教祖が死んで、娘婿派と右腕派の権力争いが続いていたが、右腕派が獣人を利用して娘婿派の幹部を暗殺していたことが発覚し、急速に衰退している団体だ。日岡トーリ班長、その獣人は――熊谷チトセはお前が捜査していたはずだったな?』

「正確には、その案件は第六班の橋本ショーゴのものですけど」

 とトーリは答えた。「なにかあったんですか?」

『カルト宗教組織は公安の監視対象でもある。そこでここ最近、獣人事件後に失踪した幹部候補が見つかったという報告があった。

 名前は紀美野イチロウ。41歳、男。バカなことに、ちょっと前にSM風俗を一度だけ利用した。ボーイの一人が公安警察だったことを見抜けなかったようだ。

 ヤツは教祖の右腕だった吾妻ナミヘイの従弟にあたる、が、実の父親が重度のアルコール依存症で軽犯罪を繰り返していたせいだろう、彼自身の組織内での立場はあまり高くなかったらしい。肩書きとしてはチンケな私設兵というか、司祭様のボディガード程度に収まっている。

 ――だが、東京都の吸血鬼である熊谷チトセが連続殺人事件を起こしてからは、奇妙に発言権を増していた。そして、チトセが駆除されたあとは教会から姿を消して今に至っている人物だ』

 カスミはそこまで言うと、トーリの反応を待った。『どう思う?』

 トーリは少し考えてから、こう言った。

「――熊谷チトセは、吸血鬼は分散型の獣人でした。特定条件下で、他人を自分と同じ獣人にできます。

 紀美野イチロウは熊谷チトセの眷属の一人だった。そして、彼女を使って娘婿派を始末することで裏の権力を高めていた。そういうことでしょう」

 トーリはそう答えながら、こめかみをトントンと叩く。

 ――最悪の分散型獣人に、生き残りがいたってことか?

 それに対して、カスミは言葉を繋いだ。

『公安はイチロウを監視対象に入れ、ここ半月ほど、動向を探っていた。既にヤツの周りには何人も付き人の女がいる。おそらくはその眷属とやらだろう。

 ――これから送る写真を見てくれ』


 そうして送られてきた写真は、紀美野イチロウが腐乱姫(ゴシシ=ディオダディ)とともに車を降りて、静岡県伊東市の「月光亭」に入る瞬間だった。――監視カメラに少しだけ捉えられていた、ラッカ=ローゼキを襲った人造獣人。そんな女と紀美野イチロウは行動をともにしている。


『どうだ? 俺はお役に立てたかな?』

「ええ」

 トーリは頷いてから、しかし、ふと気になって尋ねた。「どうしてこんな情報を俺に送ったんですか。公安部の秘密主義らしくないですね」

 彼の問いに、カスミの答えはシンプルであった。

『――オレもオオカミの女史には、ラッカ=ローゼキには助かってほしい。殺人ピエロの件で関わったからな。それだけだよ』


  ※※※※


 警視庁獣人捜査局、第二班デスク。

 志賀レヰナはバッグからランチクロスを取り出し、なかの弁当箱を開けた。タコさんウインナー、タマゴやき、ミニトマト、ブロッコリー。ごはんは形を整えてシロクマさんに見えるよう海苔が置かれている。

「いただきます」

 ゆっくり手を合わせて箸を掴む。

 隣に座るクダン=ソノダは、簡単なゼリー飲料を飲むだけだ。

「クダン、もっと食ってドンパチの準備しとけ」

 とレヰナは言った。「トーリの坊やが意外な裏口から足取りを掴んだそうだ。公安が吸血鬼の生き残りを捉えた。ラッカ=ローゼキを拉致した人造獣人とやらと、いっしょにいるんだとよ」

「へえ、そうなんだ?」

「だが、せっかく眷属を増やせるような力を持つ獣人が、何度も外に出て狩人に見つかる理由はいったいなんだ?」

「――臆病で小心者だけど、視野が狭くて思慮が浅い。そんなところかな。

 部下に全てを任せることはできないが、そのせいで自分の首を絞めていることにも気づけないんだ。その様子だと、眷属の女たちもクオリティは高くない。おそらくは趣味でコレクションした寄せ集めだね」

「ん、同意見だ」

 レヰナはミニトマトを噛んだ。「クダン、お前の占星型は今はなにを見てる?」

「漠然とした未来だけ。――今回の戦いでは、イズナちゃんが頼りになるってことくらいかな?」

「突入は第二班、第六班、第七班の合同作戦にする。ショーゴとトーリのガキどもにも伝えとけ。イズナも呼び戻せ」

 彼女の指示に対して、クダンは肩をすくめた。

「ねえレヰナちゃん、お昼ごはんのときくらい仕事の話はやめたら? 旦那さんの愛情弁当は味わいなよ?」

「愛は噛みしめるもんじゃない」

 レヰナはそう答えてから、スマホを取り出す。

 クダンはそれとなく、彼女の画面を覗き見た。それは夫へのメッセージだった。


『悪いな、今日は帰りが遅くなるよ。夕飯は要らないから、坊と二人で外食かピザでも楽しんでてくれ。

 愛してる。お弁当、ごちそうさま。おいしかった』


  ※※※※


 東京都の外れにある龍王寺、その道場で、イズナ=セトは座禅を組んで目を閉じていた。遠くで鳥の鳴き声と、虫の羽音が聞こえる。

 ――この三週間で、掴んだ。あと少しだけ強くなる方法を。

 彼女は目を開けると、ゆっくりと息を吐いて立ち上がった。袴のすそを直す。そこに師範が入ってきた。

「イズナ、仕事の連絡だ」

「仕事?」

「獣人売買に関わっていたヤクザの事務所を、獣人グループが報復目的で破壊して回っている。実行犯の一匹が警視庁獣人捜査局第七班専属猟獣のラッカ=ローゼキを拉致して逃亡。籠城している旅館が判明した。今夜突入するそうだ」

 と師範は言った。「どうやら、東京吸血鬼の生き残りが徒党を組んで実行犯を保護しているらしい。第二班、第六班、第七班で今度こそ根絶やしにするとのことだ」

「――承知しました」

 イズナはすぐ獣の目になった。「修行の成果を見せてきます、師範」

 それを聞いて師範は頷くと、

「餞別だ」

 と言って長い布袋を投げて寄越してきた。

 彼女はそれを受け取り、即座に中身を察する。

 日本刀である。

「これは――」

「『シルバーブレード』だ。ブルックス研究会が開発したプロトタイプで、斬撃のひとつひとつがシルバーバレットと同じ効果を発揮する。使用時は柄のスイッチを押し、毒を刃中に浸透させる。――お前の型と相性が良いはずだ」

「ありがとうございます」

 彼女が頭を下げると、師範は目をそらした。

「獣人の武は残酷だろう。戦での強弱はほぼ『型』で決まり、努力では覆らない。お前がどれだけ体を痛めつけても、今から時間を止められるようにはならないし、長距離射程で人間を昏倒させる力など手には入らない」

 だがな、と、彼は言葉を繋いだ。

「己の弱さと向き合うことなしに、得られるものはなにもない。いいな?」

「心得ました」

 それからイズナは袴を脱ぎ、おろしたての戦闘服、漆黒のセーラー服へと着替えた。革の手袋に指を通し、スパッツに足を通すと、テクニカルスニーカーを履く。真紅のスカーフが風に舞った。

「行ってきます」

 そして彼女は龍王寺を出ると、駐車場に向かった。静岡県警獣人捜査局第三班の班長、城ヶ崎ケンゴが車の横に立っていた。その隣には、猟獣らしき少女。

「うひー」と彼は笑った。「さすが警視庁、猟獣のほうも殺気が違いますねえ?」

「送迎、感謝いたします。現場に急いでください」

 無駄口を叩いている暇はないだろう。

 イズナは車の後部座席に座った。城ヶ崎ケンゴは猟獣の少女に、

「周囲の警戒、怠んなよクヱル?」

 と言いながらハンドルを回す。クヱルと呼ばれた少女は、こくこくと頷くだけだった。

 道路に出る。

 イズナは腕を組む。

 ――あのラッカ=ローゼキが敵の獣人に拉致された?

「本当に世話が焼けますね、あの後輩は。――嫉妬している自分がバカバカしくなります」

 とイズナは呟いた。

 信号待ちのとき、スマートフォンが鳴った。外に預けていたイズナ=セトの端末である。

「おっと」

 と城ヶ崎ケンゴが呟き、鞄のなかからイズナのスマートフォンを出した。「警視庁からの預かりものですよ~、エリート猟獣さん」

「どうも」

 とイズナは言うと、画面のボタンをタップして端末を耳に当てた。

 着信の相手は橋本ショーゴだった。

『イズナか? 体の調子はどうだ』

「はい、ショーゴさん。問題ありません。ラッカ=ローゼキは私が救出します」

『――無理はするなよ』

 と彼は言った。『もともとお前の働きぶりに対して、おれは不満はないんだよ。いつもどおりにやれ。自分の役割と職務を全うすればそれでいい』

 そんな言葉に対して、これまでのイズナなら「はい、分かりました」だけと答えていただろう。

 しかし今は、もっと別の言葉も話してみたいような、そんな気分だった。

「ショーゴさん。私は、っ――」

『――どうした? 手短に言え』

「――いえ、その、なんでもありません。全て承知しました」

『――そうか』

 通話が終わった。


  ※※※※


 静岡県伊東市「月光亭」の大食堂で、ラッカは昼ごはんを食べていた。アリサの用意したオムレツをスプーンで削り、口のなかに運ぶ。

「おいしいねえ!」

 とユーリカは笑う。それに対して、ラッカも「うん」と微笑んだ。

 ――三週間もの間ここに閉じ込められて分かってきたことがある。

 浅田ユーリカ、別名腐乱姫(ゴシシ=ディオダディ)には、なんの悪意もない。この子はただ、無邪気な赤ん坊が積み木を崩すようにニンゲンを壊しているだけだ。その破壊行為を命じているのは吸血鬼の生き残りである紀美野イチロウ。

 おそらく、ユーリカが呼びたがっている父親は、もう生きてはいない。

 結婚うんぬんの話も、自分の意志で私を見つけたというより、ヤツの口車に乗せられたってところなんだろうな。

 十中八九、「捕獲はしたいが生きたままにしておきたい」という目的のためだ。

 ――その目的の意味は分かんないけど。

 ラッカはお茶を飲むと、ユーリカを見つめた。

「食べ終わったら、旅館のなかを散歩するかな」

 と伝える。

 ――もちろん意図はある。トーリたちが助けにきたときのために、建物の見取り図は頭に叩き込んでおきたい。

「あたしも、いっしょにさんぽする!」

 とユーリカが微笑んだとき、

 ドアが乱暴に開かれ、紀美野イチロウが苛立たしげに食堂に入ってきた。ここ数日間、こいつの様子はヘンだった。今だってウイスキーのボトルを片手に酩酊状態で歩いている。

「なんでだ――クソ、なんでクロネコはいつまでもオオカミを回収に来ねえ?」

 そして、どかっと椅子に座ると、シェフのアリサと給仕係のヨルを睨んだ。「俺のぶんもくれるか? 早くしろ」

 眷属の二人が慌ててキッチンに走ると、イチロウは貧乏ゆすりをしながらため息をつく。酒の匂いがここまで届いてきそうだった。

「――おい、腐乱姫」

「なあに?」

「また仕事だ。今度は獣人売買の運搬役だったヤクザだけじゃない。

 買い手だった岩崎グループ、鮎川ホールディングス、浅野グローバル、その末端私設兵にも報復を与えろって命令だ。リストも届いた」

「おそとにでるの?」

 ユーリカが純粋に首をかしげると、イチロウはいよいよ苛立たしげにテーブルを殴った。

「外に出ないでどうやって人殺しができんだ!! ああ!?

 お前、俺が有効活用してやってるから生かされてるってのを忘れんなよ!! 花婿だって用意してやっただろうがよ、こっちは!!」

 彼が怒鳴ると、ユーリカは、まるで幼児のように身をかがめて怯えた。

「いや、やだあ、おおごえださないでえ――!」

「なんだそりゃ? バケモンが可愛い子ぶりやがって」

 それからイチロウは、彼女に近づくとその椅子を蹴り上げた。

「てめえはなあ!! 俺の言うことだけ聞いてろ!!」

「う、うう――いたい、いたいい――」

 そんな様子を見て、ラッカは思わず立ち上がっていた。

「やめろ!!」

 彼女が叫ぶと、イチロウは冷や汗まみれの焦燥しきった顔で振り返った。

 明らかにキャパシティ・オーバーの表情だった。

 こいつの受け皿には、オオカミを――頭領であるクロネコの宝物を何週間も匿うような精神的余裕はない。しかもそのオオカミ女は、因縁浅からぬチトセの仇だ。そのことにじわじわ追い詰められ、イチロウはもともと不安定だった心のバランスを余計に崩していた。

「あ?

 なんだオオカミ。吸血鬼の次はフランケンシュタインに同情か? どこまでも腐った偽善者だな、テメエは。どうせ獣人捜査局がここに辿り着いたら俺たちもろとも殺すつもりだろうが!!」

「今はそんな話はしてない。ユーリカをいじめるな」

 とラッカは言った。「お前の――お前の仲間じゃないのかよ? なんで群れの仲間同士で酷いことするんだよ。私は、たしかにお前らの敵だけど、お前らは仲間なんだろ!」

「俺のチトセを斬り殺したクソ女が、偉そうに説教してんじゃねえ!! クソッタレのボケが!!」

 イチロウは腐乱姫を足蹴にすると、そのポケットからシルバーリングのリモコンを取り上げた。

「おらぁ、俺に逆らってみろよ、オオカミ――! 命を粗末にしたいんならなあ!」

「――クソ野郎」

 にちゃにちゃと笑みを浮かべるイチロウは、ラッカに近づくと、そのみぞおちを殴りつけた。

「ぐっ――!!」

 彼女はその場に崩れ落ちる。イチロウはさらにそこへ蹴りを続けた。

「チトセ、チトセ――あの生意気な女を、なあ、いつか分からせてやるのが夢だった――この俺を顎で使いやがった報いを受けさせるために、ず~っとペコペコしてきたんだよ。

 ――なのに、オオカミさんよお! テメエのクソみてえなヒーロー活動のせいで全部台無しだ!!」

 はぁ、はぁ、と彼は息を荒げる。それからゆっくりと紺色のジャケットを脱いだ。

「もしかして」

 と彼は言った。「クロネコの野郎――俺をハメやがったのか? そうか! そういうことか! 俺が目障りだから――この俺の型がこんなにも厄介だから――オオカミをこんなクソ長いあいだ預けて、警察に俺を始末させるつもりか!?」

 イチロウはラッカの上にまたがった。「ふざけやがって。バカにしやがって、バカにしやがって、バカにしやがってよお!!」


 彼がラッカを見下ろす、と、彼女のほうはようやく痛みから回復したのか、静かにイチロウの顔を見つめた。

 その瞳は蒼灰色の、獣の目になっていた。

「なんでそんなに必死なんだ? 紀美野イチロウ」

「ああ?」

「見下されるとかバカにされるとか――。

 子供の頃から言われてきたのか? 誰かと比べられてきたのか?」

「――なに言ってんだ? オオカミ」

「むかし、捜査資料をちゃんと見たんだ。お前の従兄は教会の右腕。その地位を利用してチトセに取り入ったんだろ。でも、お前個人はどこまで行ってもただの私設兵だったんだ」

 そこまで言うと、ラッカはふっと笑った。

「劣等感の怪物だ、お前は。比較されて、見下され続けたから、今度は誰かのことを見下して埋め合わせたいだけだ」

「うるせえよ!!!」

 イチロウはカッとなり、ラッカの首に手をかけた。そこでシルバーリングのスイッチを押さなかったのは、自分自身の手で痛めつけたいからだ。

「ぐっ」

 ラッカはうめき声を上げる。

 イチロウは腕の力を強める。

「そうだなあ? オオカミ。

 俺のおふくろは、俺の親父とヤるより、隠れて伯父とヤることのほうが多かった。

 チビスケのころから覗き見してたんだ。

 俺だってどうせ、本当のところは伯父のガキなんだ。

 あんなクソ従兄と差がついていい身分じゃねえんだ! 俺はァ!! なァッ!!」

 そうして彼の力がいよいよ強くなり、ラッカが気を失いかけたころ、


 ――ぱん。


 と、まるでスイカが破裂するような音が聞こえた。

 彼女は少しずつ目を開ける。

 イチロウの頭部が、中身の脳ミソごと完全に圧し潰されて破壊されていた。そのうしろに、浅田ユーリカが返り血を浴びた姿で静かに立っていた。

「いちろうさん、うるさあい」

 とユーリカは言った。「おひるごはんだよ? もお。しずかにしましょうね。あたしのだんなさまにも、いじわるしちゃだめだよ?」

 騒音を聞きつけた眷属たちが食堂に集まる。そこは既に地獄絵図になっていた。

 粉々になった頭蓋骨が散らばって、鮮血と脳漿が飛び散っている。

 ユーリカはさらに、まるで紙粘土をこねるような気軽な手つきでイチロウの胴体に手を差し込んだあと、獣人核を抜き取って握り潰していた。

 ぐしゃり。

「腐乱姫様!」

 と眷属のヨルが叫んだ。「い――イチロウ様が、死、死んで――!?」

「うるさいからねえ、こわしちゃった」

 とユーリカは振り返る。その目は既に、獣の瞳になっていた。「おにわに、かたづけておいて」

 それから――と、彼女は眷属のカナンを指差した。

「あたらしい『ぶんさん』がたの、ほんたい、あなたがおねがいね?」

「――は、はい」

 カナンは直立不動のまま動けない。ユーリカは意に介さずラッカを抱き上げようとした。「だいじょうぶ? あたしのだんなさま?」

「――やめろ」

 ラッカはその手を振り払う。「私はお前の花婿なんかじゃない。もうこんなことはやめよう」

「なんでえ?」

 ユーリカは、本当に分からないという表情だった。「ねえ、ねえ、どうしてあたしじゃだめなの? けっこんしたいよお。おとうさんにみてもらいたいのお」


「仲間を殺したあとで言うのがそんなことか!?」


 ラッカは腐乱姫を睨む。

「いま、やっと分かった。お前はココロもメモリもグチャグチャだ。死体が生きたフリをしてるだけなんだ」

 死んだ命は生き返らない。それは当たり前のことだ。

「どうしてえ?」

 とユーリカは首を振った。「わかんないよお。なんでだめなのお?」

 そんな姿を見て、ラッカはどうしようもない気持ちになる。

 彼女が悪いわけじゃない。なのに、敵になるしかないんだ。

「じゃ、正直に言うよ」

 そうラッカは言った。「私には、もう好きな人が他にいる。だから、ユーリカとは結婚できない」

「え?」

 ユーリカの表情が固まる。

 ラッカは彼女の目を見て言った。


「私が好きなのは、トーリなんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る