第9話 VS鋏道化 前編その2


  ※※※※


 日岡トーリは第七班の部下である田島アヤノ、山崎タツヒロ、佐藤カオルを連れて現場を訪れた。

 死体は白金台の広場に捨てられている。そしてその死体は、10歳に満たない男の子だった。

「最低――」

 とアヤノは言った。「子供を殺すなんて、ありえないですよ」

「そうだな」

 とトーリも答える。

 目の前にある死体は、腹部をハサミで切り裂かれている。引きずり出された内臓はヘリウムガスの風船に結びつけられ、宙に浮いていた。胸糞の悪い光景だった。

 風船の色はカラフルだった。まるで、遊園地のピエロが子供たちに渡すものがそうであるかのように。

「しかし」

 とトーリは言った。「なぜこの案件が獣人捜査局のものになっている?」

「それなんですが」

 と山崎タツヒロが答えた。「理由はふたつ。まず死体の切り傷に唾液がついていました。内臓の一部も欠損しています。歯型を残して人肉を喰らっている、それは獣人案件になりえます」

「なるほど」

 とトーリは頷いた。「もうひとつの理由は?」

「犯行声明が残されたディスクが現場に残っています」

 とタツヒロは言った。「画質は最悪で犯人の素顔は分かりません。しかしそのなかで、オオカミの獣人に言及しています」

「なに――?」

「テントのなかに入りますか? すぐに再生できます」

 そんなタツヒロの言葉に誘われるがまま、トーリは、テントに入って再生機器のボタンを押し、モニターの映像を見た。

 真っ先に映ったのは、真紅のカーテンで覆われた窓のない部屋だった。

 そしてそこに、女のピエロが顔を覗かせる。顔を真っ白に塗りたくって、唇に不自然な笑顔の朱色。両眼からは、涙を流しているかのような青の化粧。

 服装は遊園地の間抜けなお道化役のそれだった。

《良い子のみんな~!?》

 とピエロは言った。

 それは、たしかに若い女性の声だった。

《みんなの大好きな、ピエロお姉さんが来てあげましたよお? キャハハハハ!!》

 ピエロは笑いながら録画機器を掴み、犠牲者の子供にカメラを回した。

《ボクちゃん? どうして怖がってるんでちゅかあ? ピエロお姉ちゃんは悲しいでちゅよお?》

 ピエロはカメラを構えて男児に近づけていく。つまり、自分も近づいていっているということだ。

「怖いよお――!」

 と子供は泣きだす。「ママ、ママ、助けて――!」

《あはっ! ママちゃんは助けになんて来てくれないでちゅよお? 哀れなニンゲンは、獣人がやることに逆らえないんでちゅねえ? クククッ。

 ――ねえ、ボクちゃんが抱えてるそのぬいぐるみは、なにかな?》

 ピエロ女が一転して優しい声を出すと、子供は少しだけ警戒を解いた。

「お、オオカミ――おおかみのぬいぐるみ」

《オオカミのぬいぐるみなのお? どうちてオオカミが好きなのかなあ?》

「て、テレビで見たの――オオカミは、ケモノだけど、ニンゲンのみかたをしてくれる良いオオカミなんだって!」

《――へえ?》

「オオカミは、せいぎのヒーローだよ! おねえさんみたいなワルいケモノに、ぜったい負けないもん! ぼくだって、ぼくだっていつか、オオカミみたいに――! オオカミみたいにワルいやつとたたかうんだ!!」


《――ハハハハハハハハ!!!!》


 突然の笑い声。

 映像が揺れる。男児の悲鳴。鋭利なハサミの、シャキシャキと鳴る鋭い金属音。

 次にカメラが安定したときには、オオカミのぬいぐるみは、首を切断され、胴体のワタを抜かれて床に転がっていた。

 そしてピエロはカメラのアングルを変える。つまり、自分の化粧まみれの顔面が至近距離で映るようにした。

《みなさん見ましたか~!?

 ケモノのくせにニンゲンの味方なんかやってるアタマのイカれたオオカミ女が、子供たちに悪影響を与えちゃってますね~!? どうせニンゲンはなにをやってもケモノに勝てないくせに、正義のヒーロー気取りぃ!? 

 この子が殺されるのは、オオカミを持て囃したテレビと警察のせいですよお!!

 規制規制、規制しないとお!

 ねえ、この子のママさ~ん! 自分の子供がこんなに怖がってるのにどうして助けにこないんですかあ!? 分かってますよお、ニンゲンは自分の子供を平気で見捨てるクソ種族なんですよねえ!? お前らには、なんにもできないんだあ――》

 ――ヒヒ、ヒ、イッヒヒヒ!

 ピエロは引きつった声で笑ったあと、再び大型の鋏を取り出した。


《大好きなママに見捨てられた可哀想なボクちゃんは、この世からバイバイしま~す!

 ――アタシと同じ苦しみを思い知れよお? 腐ったニンゲンの母親ども!!

 ヒャハハハハハハハハ!!!!》


 それから、ピエロは大型の鋏をシャキシャキと開閉しながら、犠牲者の子供ににじりよっていく。

「やめ――や、――やだ!」

《オオカミ! おい、オオカミ、助けに来いよ!! おい、オオカミ女ァ!! 洗脳も受けていないくせにニンゲンの味方をする、卑劣な裏切り者ォ!! ――オマエが助けに来ないなら、ニンゲンのガキがこれから何人も死ぬぞ!? ぷ、くひ、ヒヒヒヒ!!》

 そのあとは直視できない映像が続いた。

 まだ10歳にもなっていない男の子が、生きたまま腹を裂かれ、眼球を突かれ、失血死するまで延々と苦しみ続けたからである。


  ※※※※


 ビデオを見たあと、白金台近くに拠点を置く高輪警察署のベテラン刑事、および、警視庁捜査一課の準キャリが声をかけてきた。

「鑑識の判断もありますが、犯人が残したビデオテープの証拠からして獣人案件の可能性は極めて濃厚です。ここは獣人捜査局諸君が仕切るのがよいかと」

「そうですね――」

 トーリが考え込んでいると、少し離れた場所から、一人の男が寄ってきた。ツーブロックの黒髪。頬についた深く長い切り傷の跡。身長は180前後といったところ。

「その判断は少しばかり軽率ではないかね?」

 と彼は言った。「失礼、私は警視庁公安部の鮫島カスミだ。『可』能性の可に、『澄』み渡った青空の澄でカスミ」

 男が――鮫島がそう名乗ると、捜査一課と所轄、2名の刑事に苛立ちと緊張が浮かぶ。

 刑事部と公安部のしがらみは古く深い。市民の安全を守るべく犯人個人を各個撃破する刑事と、国家の秩序を保つために組織全体を一網打尽にしたい公安とでは、優先順位も信念も異なっているのだ。

 トーリは振り向く。

「鮫島カスミさん、でしたか。この事件が単なる獣人案件ではないとする材料があると?」

「そういうことだ」

 とカスミは言った。「そこで死体になって転がっている男児の名前は東谷ユーマ。野党ながら是々非々の立場で与党側についている、BI党の女性議員、東谷ヒロコの一人息子だ」

「それで?」

「結論から言えば、これは獣人による快楽殺人を装った政治的テロの可能性がある」

 カスミは頬の傷跡をかいた。

「――東谷ヒロコ議員はここ最近、某一般社団法人の不正疑惑に口を出していた。

 当該団体は、表向きは貧困若年層の支援を建前にしたボランティア気取りのまあ下らん連中だそうだが、実際には家出した少年少女をタコ部屋に軟禁して自由を奪い、その生活保護費と都の助成金で私腹を肥やしていた疑惑がある。

 それだけではない。

 こいつらのバックには権力に盾つく極左組織がいる、という噂だ。つまり、国税をテロ予備軍に横流しして、居場所のない年少者を政治的な工作員に仕立てた疑いさえあるということだ」

 カスミが説明する間、アヤノの顔はずっと険しかった。

 トーリは彼の眼を見つめる。

「つまり――東谷ヒロコ議員はテロ組織の資金調達に気づいてしまった、その報復として、組織は彼の一人息子を見せしめに殺したと、そういうことですか? 獣人案件を装って?」

「――その可能性があるということだ。死体の装飾は、議員にしか分からない暗号メッセージというわけだな」

 カスミはラークに火をつけた。

「刑事部と組織犯罪対策部、警備部と公安部をまたぐ獣人捜査局の特権的な立場は知っているつもりだ。だが我々としては、今回の犯人と、極左のクズどもの関係性が確定するまでは直接的な行動を留保してほしい。

 ――できれば組織ごと潰してしまいたいんだ」

「なるほど」

 トーリは頷く。が、わきにいたアヤノは黙っていなかった。

「なに勝手なことばっかり言ってるんですか?」

 と彼女は凄んだ。「そうやって犯人を泳がせて、その間に次の犠牲者が出たらどうするんですか! あるかも分からない組織の繋がりなんかより、目の前にいる被害者の痛みを少しでも考えたらどうなんですか!?」

 その声色は、冷静さを失っていた。

 対して、鮫島カスミは落ち着き払っている。

「たしか田島アヤノさん――でしたね。獣人捜査局での活躍はかねがね伺っています。

 しかし大局的な見方をして頂きたい。日本がテロ組織や外国の工作員に弱い姿勢を見せれば最終的にはより大きな犠牲が出ます。

 ――目の前の子供よりも国家の秩序ですよ」

「なぁっ!?」

 とアヤノが激昂する前に、トーリは手で遮った。

 沈黙。

「鮫島カスミさん、あなたの意見は分かりました」

 とトーリは言った。「それではこちらも、獣人案件である確たる証拠が出るまでは、その間は中立を保っておきましょう」

「どうも」

「ただし、獣の犯行だと確定した時点で、捜査の主導権は我々獣人捜査局に移ります。そのことは忘れないでください」

「もちろん」

 とカスミは頷いた。「その獣人とやらもテロ組織に懐柔されている可能性はある。が、そこまでこちらも食い下がりはしない。獣を狩るのは、狩人の諸君に任せる。現時点はその方針に異論はないということにしよう」

 鮫島カスミはそこまで言ってから、トーリたちのもとを離れようとした――が、その前に振り返った。

「公安も狩人も、警察組織の嫌われ者は辛いな? 私は少しだけ君に興味を持ったよ、日岡トーリ班長」


 公安の鮫島カスミが去ったあと、そばにいた刑事たちがトーリに寄ってきた。

「さすが狩人ですな。公安の連中、いい気味ですわ。――あいつら横から事件をかっさらってばっかで、そのくせ組織ィ組織ィでマトモに検挙もしねえや、気に食わねえ」

 そんな声にトーリは微笑んだ。

「俺たちは自分ができることをやりましょう。彼も自分の役割に徹していただけです。――まずは殺人ピエロの確定を頼む」

 彼がそう言うと、捜査一課と所轄、両方の刑事たちに活気が満ちていくのを感じた。

 共通の敵を見つけると人間は連帯感を高める。皮肉な習性だな、とトーリは思った。

 その間、感情的になっていたアヤノを同班の山崎タツヒロがなだめていた。

「ごめんなさい、タツヒロさん」

 とアヤノは言った。「私――どうも子供が被害者の事件って、なんか地雷で」

「分かってるよ。短くない付き合いだし。――キツネのときもそうだったろ?」

 とタツヒロは言いながら、缶コーヒーを差し出していた。「ラッカちゃんは研究所で修行中って聞いたよ。彼女に余計な心配はかけないように、こんな事件は俺たちで片づけちゃおう?」

 彼がそう言うと、アヤノは苦笑いしながらその缶を受け取った。


  ※※※※


 ラッカは未だに病院で再検査の日々を送っていた。

 体をなまらせないように、当てがわれた病室で腹筋・背筋・スクワット・窓の冊子を使った懸垂、そして逆立ちしながら片手ずつの腕立て伏せ。持ち込んだ縄跳びを5セット。

 そして研究所兼病院の広大な周囲をランニングで10周してから、食堂のごはんを米肉野菜バランスよくかきこんだ。

 その目の前には、いつも、あのおばあちゃんがいた。

「よく食べるね、カナタ。そんなに食べたっけ?」

「おなかすいちゃって」

 ラッカは笑った。

 おばあちゃんは、自分のことを孫娘のカナタだと勘違いしている。でも、そのおかげで元気そうなら、勘違いされたままでも別にいいや、と思うようになっていた。

 そんな日のことだった。

 ラッカがバイキング形式の食堂からおかわりを持ってきていると、座席のほうから、

「お母さん! も~お、連絡は返してっていつも言ってるでしょ!?」

 という声がした。

 ――ん?

 と思ってラッカが近づいていくと、おばあちゃんのとなりに、顔立ちのよく似た中年の女性が立っていた。

 おばあちゃんは中年の女に対して、

「なに言ってんの、カナタからはなんにも聞いてないのかい!

 この子ったらねえ、春休みだからって、いつもアタシのそばにいてくれるんだよ?

 え?

 ソノミったらもう、自分の娘のことくらい把握しなくちゃ駄目じゃないか!」

 そう言われて、ソノミと呼ばれた女性はラッカのほうを向いた。

「カナタ?」

「え、え、あの」

 ラッカは戸惑いながら、なんとなく察していた。

 ――このソノミっていう女の人、おばあちゃんの娘なんだな。つまり、おばあちゃんの孫娘の、カナタの、その母親なんだ。

「どうも」

 ラッカは頭を下げた。


  ※※


 ちょっと話があるから、と前置きして、戸田ソノミとラッカ=ローゼキは食堂から離れ、廊下に来ていた。

「あの、私」

 とラッカが声を上げようとすると、ソノミは首を横に振った。

「――たしかに、カナタに顔がよく似てる。ちょっとボケちゃってるうちの母さんが間違うのも分かる気がするよ」

「え――」

「実はね、テレビのワイドショウで見たときから、なんとな~くカナタに似てるなあ、とは思ってたの。

 ――オオカミの、ラッカ=ローゼキさん?」

 ソノミは寂しそうに笑った。「でもまさか、こんなところで会うなんてね――しかも母さんの前で孫のフリをしてるなんてね」

「なりゆきで――その」

「いいの、怒ってないから」

 ソノミはそう言うと、ふっと、遠い目をした。「うちの母さんったらね、カナタが死んでから気が抜けたみたいになっちゃって。強い薬なんてもう全然飲んでくれなくなっちゃってね。『アタシはもう別にいいんだ』『孫のカナタのところに行くんだ』って言うこと聞かなくって」

「そうなんですか――」

「でも、親子としては、生きててほしいじゃない?」

 ソノミは、ラッカの目を見つめた。「だってあたし娘も死んじゃって、このあと母さんも簡単に死んじゃったら、それは、あんまりじゃない?」

「――はい」

 ラッカはズボンをぎゅっと握った。「私にできることはありますか」

 ラッカの言葉に、ソノミは少しだけ喉を詰まらせた。

「ああ、もうなんか、ほんとやだ――」

 と彼女は言った。「声まで似てるのね、オオカミさん。まるでカナタが生き返ったみたい――」

「――――」

 病院の廊下を人々が通り過ぎていった。その間、ソノミは、涙をこぼさないように震えながら耐えていた。

 そして、言った。

「――カナタはね、獣人に殺されたの」

「え」

「だから、獣人のことなんて許せないって、どんな獣人も我慢できないって、警察が獣人を使ってるのだってありえないって思ってたんだけどね」

 ソノミは顔を上げた。


「母さんの前で、あと少しだけ、孫のカナタのふりをしてあげて?」


「私――」

「だって、あんなに生き生きしてる母さん久しぶりに見たの! ラッカさんのおかげ! ラッカさんがカナタのフリをしてくれてるおかげなんだよ!」

「わ、私――」

「お願い、オオカミさん! テレビで見たよ? オオカミさんは獣人なのに人間の味方なんでしょ? 退院するまでの間だけでいい、それまでは、母さんの前ではカナタになってあげて!」

 ソノミはラッカの肩を掴み、小さな悲鳴のように、そう懇願していた。

 ラッカは目を泳がせていた。辛いと思った。

 でも、

 ――私はこれから、人間の味方をちゃんとやる。ちゃんと人間の大人になるんだ。

 そういう自分の決心は裏切れなかった。


「分かったよ。任せて――私、おばあちゃんの前では、これからもちゃんとカナタになってみせる」


  ※※※※


 その日の午後のことだった。

「おい、ラッカくん!」

 住吉キキにそう呼びかけられて、彼女は我に返った。どうやら獣人研究所地下1Fの猟獣訓練場で、ぼーっとしていたらしい。

「あ、ごめんキキさん――」

 ラッカがそう言うと、キキは腕を組みながらフンと鼻を鳴らした。

「今日の訓練は終わりだ。超加速型の再現ができないことに苛立っているわけではないことは理解してくれたまえよ。こっちは、いつまでも付き合うつもりさ。

 問題は集中力のなさだ――なにがあったんだい?」

 そう訊かれると、ラッカも俯いてしまう。

「ねえキキさん――獣人って、いったいなんなの?」

「ん?」

「少し前までは、私は、人間のことをもっと知りたいと思ってたんだ。人間のことが分かれば人間の世界で生きていけるって。そのためなら、人間の良いところも悪いところも知りたい。

 でも、よく考えたら私ってば、私以外の獣人のことも別に詳しく知らないんだ。

 ――獣人ってなんなの? なんで人間は獣人とずっと対立してるの?」

 ラッカがキキを見つめると、彼女のほうはしばらく考えたように目を伏せてから、ハァ、とため息をついた。

「分かった。キミが病棟でどんな経験をしたのかはあとで聞くとしよう。

 そんなに知りたいなら教えようか。座学では知っているだろうけど、実際に獣人研究所を見て分かることもあるだろう」

 そうしてキキはラッカを連れて、さらに獣人研究所の地下に潜っていった。エレベータのボタンを押し、B53階まで降りていく。

「獣人と人間」とキキは言った。「それを区別するのは獣人核の有無だけなんだ。強靭な肉体能力、無際限の再生力、そして物理法則を無視した『型』の存在。獣への変身。その神秘の全ては獣人核にある」

 通常は心臓、あるいは脳の近くにあり、人間という種族を凶悪な殺戮種――つまり獣人に仕立て上げる、それが獣人核だ。

「逆に言えば、その他の遺伝子や肉体構造は人間と大して変わらない。人間と獣人を区別する方法が常に困難を極める理由はここにある」

 キキがそこまで言ったあと、エレベータが開いた。真っ暗な廊下が広がる。ラッカはきょろきょろと周囲を見渡した。

 キキは言葉を繋ぎながら歩いた。

「獣人は例外なく人間への加害衝動を持っている。人間を平気で殺し、犯し、食うんだ。後天性の獣人だけじゃない。彼らが繁殖して生んだ先天性の獣人も同じ衝動を持っている。要はその衝動も獣人核に刻まれているということさ。今まで数多の獣人と戦ってきたキミなら分かっているはずだよ?」

「なんで獣人はそんな衝動を持つの?」

 ラッカがそう訊くと、キキは振り返った。

「それは分かっていない。だから今から言うことは私の仮説だ。

 ――獣人になったから人類への加害衝動を持つわけではない。人類への加害衝動を一定のレベルまで高めた個体が、獣人へと単世代進化するんだ。そして憎き旧世代を駆逐する。そう考えれば辻褄は合うよ」

 暗黒の廊下を途中まで歩きながら、キキは振り返った。

「ラッカ=ローゼキくん。キミは少なくとも日本国家権力が登録した獣のなかで、ただ一匹だけ人類への加害衝動を持たないイレギュラーだ。自分が例外だという自覚をもっと持ちたまえ。

 あるいは、こう言い換えようか?

 己を一般的だと思い込んでる特異点がどれだけ周囲にとって迷惑な存在なのか、ちょっとは想像を働かせるべきだ」

 キキはそこまで言うと顔を前方に戻した。

 ラッカはあとをついていきながら、

「でも、猟獣は?」

 と言った。「猟獣は私以外にもいる。あいつらはみんな、私みたいに人間の味方をやれてるよ。イズナだって――」

「イズナ=セトねえ?

 ――実験ナンバー127の、彼女のことかい?」

 キキは歩みを止めたあと、小さな声で「明かりをつけるよ?」と言った。

 そして、廊下が光で真っ白になる。ラッカは思わず目をつぶった。そして明かりに慣れたころ、顔を上げて思わず声を失った。

 そこに広がっていたのは、巨大な監獄だった。

 何匹もの獣人が首輪をつけられて――シルバーリングだ――、強化ガラス張りの個室に閉じ込められている。

「え――?」

 ラッカが立ちすくんでいると、キキが近寄ってきた。

「これが日本政府の猟獣制度だ。分かったかな? ここで行われているのは、知ってのとおり幼少期の獣人を捕獲して強制的に人間側の奴隷にする効率的なシステムだ。場合によっては猟獣同士を雌雄で交配させて、0歳から英才教育を施すこともあるんだよ」

「そんな――」

「キミの知り合いであるイズナ=セトも、メロウ=バスも、サビィ=ギタも、ここの出身なんだ」

 そうキキは言った。

「価値観が定着する前に、思想教育として人間中心の歴史観と生命観を植え込む。悪しき獣人は善なる人間の脅威だという見方。本来的に、獣は人の使い走りであるべきだという倫理観。それを長年かけ叩き込む。

 だから彼らは自身に人権がない事実に疑いを持たず、ただの道具として獣人捜査局の猟獣になれる。

 そうして幼少期までに地ならしを終えたあと、特定個人に対する執着心を『パブロフ』させる。

 多くの場合は、配属先の捜査局班長に対する友情や恋愛感情を疑似的に梱包するんだ。要するに、マインドコントロールだよ。まあダメ押しだけれどね。

 ――ここまでやって、初めて、獣人という生き物は人間の道具になれるんだ」

 キキは廊下を暗転させる前に、廊下に貼られている顔写真の一覧を指差した。

 その一覧のいちばん右下には、イズナ=セトの顔写真が貼られている。

「イズナ=セトは現時点での日本猟獣制度史上の最新作であり、最高傑作だ。攻守バランスの取れた型。肉体能力も再生力も申し分なし。

 しかもその忠誠心は筋金入り。

 なにしろ彼女は、自分が警視庁獣人捜査局第六班の班長である橋本ショーゴに恋をしている――少なくとも、そう錯覚している。もちろんそれは研究所が植え付けた感情だ」

「そんな――!」

「これが獣人だ」とキキは言った。「これが人間と獣人の関係なんだよラッカくん。頭では分かっていても、実感はできていなかったんじゃないのか。自分自身をデフォルトだと思っていたんだろう。実際には、人間と獣人はどこまでいっても相互理解など不可能だ。互いに互いを食い物にし合う戦争関係でしかないんだよ」

「キキさん――」

 ラッカは思わず頭を抱えた。

 それを見て、キキは悲しげに目を細めた。

「すまないね。

 私としても、真実を伝えるには早すぎたとは思っている。だいいち、こちらには教えるメリットもない。キミが能天気に猟獣をやってくれてるのが、本当はいちばんだよ」

 キキは白衣のポケットに両手を突っ込みながら、ラッカに近寄った。

「しかし――キミには全てを伝えるべきだと思う」

 と彼女は言った。「結果どうなるか、いや、どうなったとしても、知るべきことを知った上で自分の頭で考えて判断してほしい。そうトーリくんからは言われているのでね」

「トーリが?」

 ラッカの問いに、キキは頷いた。

「――キミが人類の味方をやるとしても、彼はキミには隠しごとをしないつもりだ。

 とんでもない要求だが、アイツが無鉄砲なのは昔からだ――付き合うさ。私のタツヒロを拾ってくれた借りは、これでチャラだな」


  ※※※※


 捜査本部の会議を部屋の端で聞きながら、トーリはメモを走らせていた。

・なぜピエロ? ピエロの化粧にはどういう意味が?

・凶器がハサミであることに犯人の意図はあるのか?

・腹を裂いて内臓を風船で浮かせたのはどうしてだ?

・獣人だとして、なんの獣人だ?

・本当に獣人なのか?

・政府関係者の子供をわざわざ狙った理由?

・公安部が言うように、報復のテロなのか?

・違う、そうじゃない、発想を切り替えろ。

・「もしも政治的な意図がないとして、それでも政府関係者の子供を殺害するとしたらどういう理由で殺害したのか?」を問うべきだ。

・そこにハサミもピエロも関係する?

そこまでメモをしてから、トーリは手帳のページに大きい字で書き殴った。つまり、


・全てを繋ぐ一本の線は必ずある


 である。

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