第8話 VS夜牝馬 後編その3


  ※※※※


 夜の海は静かだった。部屋の窓から見える波は、星空の明かりを受けてチラチラと輝いている。

 そんな部屋で瞼を開けた夜牝馬――ジュリア=ナイトメア=ウィティッグは、長い赤毛を垂らしながら、ゆっくり上半身を起こした。顔色はずいぶんと良くなっている。肌と髪質の老化も既に再生していた。

「くそ――」

 仲原ミサキは汗を垂らしながら笑う。「不眠状態で何年も閉じ込められてたはずでしょ? たった30分程度の仮眠で完全回復とか、反則すぎ――」

「Qui es-tu ?(貴女は誰?)」

 ジュリアはそう訊いてきた。「Un chasseur?(狩人なの?)」

 ミサキは「Oui, madame.(そうですよ、ご婦人)」と答えた。

「Alors, je vais vous tirer dessus.(だから、今からあなたを撃ちます)」

 再びアサルトライフルを構えたミサキに対して、ジュリアは微笑んだ。

「Je déteste tous les humains. Donc, je vais les tuer à partir de maintenant.(全ての人間が憎い。だから――今から皆殺しにするわ)」

 そしてジュリアは、瞬時に体長4メートルのウマに姿を変えた。その際の衝撃でいくつかのパイプベッドが吹き飛ぶと、うちひとつがミサキに向かってくる。

「チッ――!」

 ミサキは咄嗟に回避しようとする――が、眠気覚ましのためにフォークで傷つけ続けてきた脚が、とうとう悲鳴を上げた。

「あああッ!」

 思わずうずくまると、その隙を突くかのようにパイプベッドが彼女の左半身に突撃。そのまま廊下の壁に突き飛ばされ、ミサキは意識を失った。


 ウマは、まるで嘲笑うかのように《ヒ――ヒヒヒ――ヒヒ!!》と声を上げると、敢えてミサキを無視するようにその場で高く跳躍した。

 ヒヅメが床を砕き散らす。

 そして天井を突き破ると、ウマは――ジュリア=ナイトメア=ウィティッグは豪華客船のデッキに立った。

 ――夜牝馬の二段構えである。

 自らの型で、半径1キロ以内の人間を全て眠らせて死に至らしめる。仮に悪夢から目覚める例外的な個体がいたとしても、夜牝馬の強力な獣人体がそれを蹂躙するのだ。

《ああ、ああ――あたしが閉じ込められてる間に、こんなに立派な船が海に浮かぶようになったのね》

 ジュリアは暗黒の水平線を眺めた。

 無理もない感想だった。彼女の生まれは1983年、人間に捕らえられたのは10歳の頃。獣人騒動のなかでなし崩しに冷戦が終わったばかりだ。

《みんなしてズルいわ。あたし抜きで、こんなに楽しい思いをして――あたしに意地悪するのがそんなに気持ちいい?

 あたしは、あたしはただ――ただ皆といっしょに、ぐっすり眠っていたかっただけなのに!!》

 ウマが首を揺らす。それは鉄の壁に当たり、簡単に風穴を開けた。このまま夜牝馬が暴れ続ければ、船は沈むだろう。

 ――戦争の恐怖も、権力の支配も、兵器の増長も、眠り続けている間は全てを忘れられた。生まれつき神経過敏だったジュリアは、なによりも眠ることが好きだった。目を覚まして、テレビから戦争が消えていないのを見るのが怖かった。

 冷戦が終わったあとの湾岸戦争のニュースを見た――言ってしまえば、それだけが彼女が夜牝馬になった理由である。

 だが、モニターの向こう側にある銃弾が視聴者を傷つけない保証などどこにもないのだ。

《みんな――みんな眠ってしまえばいい!!》

 そうジュリアが叫んだとき、上空から、

「やめろ!! ウマ女!!」

 と声がした。

 ジュリアはそちらを向く。第一層、カジノホールの割れた窓の近く、そこに一人の少女が立っていた。

 オオカミの獣人、ラッカ=ローゼキであった。

「船壊すな!! バカ!!」

《オオカミ――!? そうか、今の世の中はオオカミがニンゲンの味方をしてるのね。面白い――!》

「お前が獣人化してるんなら――こっちもオオカミに変身してやるぞ!!」

 そして、ラッカは口元の周りにある血をぬぐうと、

 バッ、

 と、窓から飛び降りてデッキに落ちて行った。空中落下の途中で獣人化を終え、即座に戦いに転じる。そんな作戦で来ることが分かった、

 が、

 ラッカは特にオオカミに姿を変えることなく、人間体のままデッキに転がり落ちた。

《――――え?》

 ジュリアは首を傾げ、ラッカを見つめる。ラッカのほうは、「いてて――あれ?」と右肩をさすりながら立ち上がった。

 オオカミに、なっていない?

「なんでだあ――? おっかしいな~~」

 とラッカは愚痴ったあと。

 すとん。

 と――膝から崩れ落ちた。

 ジュリアはその姿を見て、すぐに彼女の状況を察することができた。

 もうこのオオカミはガソリン切れなのだ。再生して傷を治すことはできているが、血を流しすぎているのだろう。力を入れられない。

 ――おそらく、あたしと出会う前に別の強い獣人と戦ってたみたいね。連戦できる体調じゃない。

 勝負は最初からついているも同然だった。


 ラッカのほうは自分の手を見る。もう部分獣化すらできない。型も発動できない。

 傷は治ってるのに。

「マジか――?」

 ラッカは呆然としていた。焦ったり、作戦を立て直す余力もない。そもそも脳にロクにマトモな栄養が回っていないのだ。

 ハバ=カイマンほどの相手と戦ったのが初めてだった。だから、自分の窮状に想像が及んでいない。

「どうしよ――?」

 そう言った直後に、彼女はジュリアの蹄に軽く蹴り飛ばされた。もちろん、獣人核による再生は続く。だが、それがさらに体力の消耗になる。

《可哀想に――》

 ジュリアはラッカを見下ろした。《あなたは、本当は強いんでしょうね。でも、いちどに色んな経験はできないわ。次のチャンスも来ない――》

「くそ――」

 ラッカは起き上がる。

 それから視界の隅で、人影が動くのを認める。

 イズナ=セトが、額から血を流しながらデッキに辿り着く姿だった。

「イズナ!」

 と叫んだ。

 ジュリアもそちらに振り向く。


 イズナと呼ばれた女のほうも満身創痍だ、とジュリアは察した。しかも彼女は、オオカミほどには強くない。

「ラッカ」とイズナは言った。「なにしてるんです」

「ごめん、私もう体動かない」

「――は、世話が焼けますね」

 イズナはスーツのジャケットから拳銃を取り出した。

 息も絶え絶え、という様子である。

「獣人体を――目視で確認。シルバーバレット、使用許可を、申請――」

《しつこい!》

 ジュリアが船のデッキに蹄を立てた。床の木板が剥がれると、一枚一枚がショットガンの勢いで飛ぶ。それらがイズナの体を圧倒した。

「ぐ――あああ!!」

 彼女も船の柵に体をぶつけ、倒れ、動けなくなる。

 ラッカのほうは、その様子をボンヤリ眺めていた。

《この船を陸に着けて人間の街を滅ぼします。そのためにオオカミ、まずあなたを排除しましょう》

「――くそ」

《なにか言い残したいことはありますか?》

 ジュリアが訊くとラッカは首を横に振り、

「辞世の句なんか詠まない」

 と答えた。

《なぜ?》

「最後まで生きるつもりで生きないと、死に対して失礼だって――母ちゃんが言ってたからな」

《――そうですか》

 ジュリアは、目の間にいるオオカミが、おそらくは最強のA級獣人に属することも、そして、自分が運よくそれを無傷で斃せることもよく分かった。

 その上で、ゆっくり足を上げた。

《では、なにも残さず消えてください。オオカミ》

 そう言ったあと、ジュリアは足を振り下ろそうとした。


 その刹那のことだった。

「――シルバーバレット、使用許可を申請する」

 そんな、低い男の声がした。


 ――また新手の敵なの!? 次から次へとキリがない――!

 ジュリアが苛立ちながら声のほうに首を向ける。

 と。

 狙撃銃L96A1の7.62mm弾が彼女の左眼球を貫いた。

《ア――アア!! アアア!!》

 痛みにうめく。

 もしこのとき、ジュリアがシルバーバレットの存在を知っていたら、もっと的確に警戒できただろう。

 それは着弾箇所の細胞を急速にガン化させて、獣人の再生能力を無効化する、人類最後の武器である。

 彼女が生きた時代には、存在しないものだった。

 結局のところ、その知識の有無が勝敗を分けたのだ。

 発砲した男はさらに近づき、狙撃銃L96A1を発砲。右眼球も破壊した。

《グ――ウウウウ――ウウウ》

「やっぱり、俺は下手クソだな。眼球の向こうにある脳ミソも、いっしょに消し飛ばすつもりだったんだが」

 それから男は狙撃銃を置くと、背負っていた散弾銃を構えて接近。

「シルバーバレット、再度使用許可を申請する」

 そして、ポンプアクションを繰り返し、ウマの体中の至るところに銀の弾丸を命中させていく。

 球切れになると、さらにシルバーバレットを装填。その動作ひとつひとつが、純粋な、生きるための殺意に満ちていた。

 射撃訓練の成績の悪さからは想像できない、狩人としての先天的な才能。


 ――男の名前は日岡トーリ。シルバーバレットを開発した天才科学者・日岡ヨーコ&レンジ夫妻の一人息子で、今は、オオカミの獣人の相棒である。

 少なくとも、今の彼は自分をそう思っていた。

「俺の相棒に――ラッカに手を出すな!!」

 さらに散弾銃を発砲。ウマは――ジュリアは鮮血を吐き、内臓を損傷、歯も何本か砕かれると、苦悶に満ちた表情を浮かべながらその場に崩れ落ちていった。

 彼女に事情があることを、トーリは資料上は知っている。

 しかしそれは、自分の仲間を助けない理由にはならない。


 彼は息を切らしながら、ショットガンを床に落とした。

 そして、周囲を見渡す。

 ラッカ=ローゼキは、船のデッキの柵近くに倒れたまま、トーリをボンヤリと見つめていた。

「大丈夫か? ラッカ」

「――バカトーリめ~」

 ラッカはそう呟いたあと、少し鼻をすすり、わずかに動く右腕で涙をぬぐった。


「起きたんなら、さっさと助けに来いよ――本当は、本当はもう目を覚まさないんじゃないかって、こっちがどんだけ怖くて、心配して、我慢しながら戦ってたと思ってんだよお――ふざけんなよお、もう」


 それを聞いたあと、トーリは膝をつき、静かにラッカの体を抱き起した。

「そうだな、ごめん。ありがとう」

 それからトーリは、ラッカを見つめた。

「夢のなかでラッカで起こされた気がしたんだ。でも、ラッカのほうはどうだった?」

「はは――」

 ラッカはその言葉を聞いたあと、トーリの顔をしっかり見た。

「それは夢だよ、トーリ。都合がいいだけの、ただの夢だろ?」


  ※※※※


 こうして、夜牝馬は倒され、その他の全ての獣人商品は獣人研究所送りとなった。

 ハバ=カイマン、フゥラ=クローネン、カーナロア=ニウド、デカポッタ=マキュラの四人は、死体のまま警視庁獣人捜査局の追加調査を受けることになる。

 だが、獣人オークションの客である大企業の人間は、物証がないのを良いことに、知らぬ存ぜぬを貫き通すことができた。

 それを見るトーリの双眸は、険しかった。

「岩崎さん、いずれあなたの悪事も暴きます。あまり警察を甘く見ないことです」

「たしかに」

 と、岩崎グループの長は微笑んだ。「まさか獣狩りがこんなやりかたをするなんて、驚きでしたよ。ははは」

 

 こんな風に、カンバセイションピース号の事件は終わった。


  ※※※※


 夜のあいだ随分と流されてしまった船は航路を変え、最寄りの港に向かって舵を切った。

 イズナ=セトは第三層、橋本ショーゴの客室に戻る。彼は目を覚まし、長い間ぼんやりと壁を見つめていた。

「大丈夫ですか、ショーゴさん」

「頭痛がするだけだ」

 と彼は答えた。「今回は悪かったな。なんの役にも立たなかった。現場を仕切り、夜牝馬討伐の場に居合わせたのもお前だと聞いてるぞ。――よくやったな」

「私ではありません。敵勢力のうち最も強力な獣人を駆除したのも、夜牝馬を真っ先に止めようとしたのもラッカ=ローゼキです」

「――そうだったか」

「彼女は、型に目覚めたようです。超加速型。文句なしのA級猟獣として近いうち再登録されるかと」

 イズナの報告を、ショーゴは黙って聞いていた。そうして最後に、

「悪夢のなかにいたおれは、うわ言かなにか言ってたか?」

 と訊いてきた。

 イズナは黙る。

 夜、ショーゴが眠りながら泣いていたこと、微笑んでいたこと、その姿を、言わないほうがいいだろうと思った。

「いえ、変わった様子はとくになにも」

「――寝たきりの妹が起きたと聞いて、青いバラの花束を抱えて見舞いに行く夢だったんだが」

 ショーゴは眼鏡を外した。「花言葉の時点で、自分で気づいておくべきだったな」


 青いバラの最初の花言葉は《不可能》である。


 それから彼は、大きな、骨ばった右手で自分のこめかみを押さえるように顔を覆った。

「悪いが、イズナ。しばらく独りにしろ」

「――はい、承知しました」

 言われるがままイズナは部屋を出て、ドアを閉めるとしばらく廊下を歩き、充分に距離を取ってから――壁を拳で思いきり殴りつけた。

「――ッ!」

 今回も、なにもできなかった――!

 ――できたことといえば、せいぜい夜牝馬を起こした集団の下っ端ひとりを苦戦しながら駆除したこと。

 ショーゴさんの心を汚した夜牝馬には、傷ひとつ与えることができなかった――。

 悔しい。

 私は弱い。

 どうしてこんなに弱いくせに、ショーゴさんの道具であることを誇っていた!?

「私は弱い、弱い、こんなに弱い――!」

 涙は流れない。流す資格がないと思っているからだ。今は、じんじんと痛む拳を感じながら唇を嚙みしめた。

「強くなりたい――!」


  ※※※※


 第二層の外廊下で、田島アヤノは柵に両腕を預けながらホットコーヒーを飲んでいた。渡り鳥が空の遠くで鳴いているのが分かる。

 惨劇に遭った人間たちの気持ちなど知らないような晴天である。

 ――死者は雇い主不明の私設兵を含めて大量にいる。怪我人も数え切れないほどだ。それは文字通りの大事件だった。

 ――仲原ミサキ副長は、左腕、肋骨、左脚の骨が折れて完全にダウン。右脚のほうは眠気覚ましに自分で傷つけていたらしく、後遺症はなさそうだが治療には時間がかかるとのことだった。

 他にも第四班から第六班まで、何人か似たような負傷者がいるらしい。不幸中の幸いは、捜査局に殉職者が出なかったことだろう。

「はあ――」

 アヤノがため息をついていると、「となり、いい?」と声がした。

 ラッカ=ローゼキである。もう変装は解いていて、タキシードからいつもの服装に戻っている。ミリタリーコートの下には白のトレーナーとジーンズを合わせて、黒いブーツ。

 メイクを落として、サングラスも外していた。

「うおお、ラッカちゃん」

 アヤノは言った。「もう変装は大丈夫なんだっけ?」

「捜査局が動いてたことは船の人たちにもバレちゃったらしいし、あの服ちょっと動きにくかったから」

 ラッカはそう答えると、アヤノのわきで缶コーヒーのプルタブを開けた。味はブラック。

「苦いの平気なんだ? そういえば」

「実地訓練でトーリがよく飲んでるから。気づくと同じの飲み始めちゃった感じ」

「へえ~」

 アヤノは自分のぶんを飲み干すと、青島コートのポケットから携帯灰皿を出す。ラッカはハイライトを出して火をつける。アヤノも自分のアメリカンスピリットを吸った。

「ミサキさんは無事みたいだったよ」

 とアヤノは言った。「すごいよね。自分で悪夢から目覚めることができたんだって」

 すごいなあ、すごい、とアヤノは繰り返した。ラッカは煙を吐きながら黙っていた。

「私ってさ」とアヤノは言った。「初めて撃ち殺した獣人が幼馴染の親友だったんだ」

「――えっ」

「すごく仲良しのつもりだった、のに、あの子が獣になるまで気づいてあげられなかったんだ。で、みんなを守るためにピストルのトリガーを引いた」

「アヤノ」

 ラッカの呼びかけに応じるように、アヤノは煙を吐くと、タバコを携帯灰皿へと捨てる。

「毎年、だから地元には帰ってる。

 お墓参りとかじゃないよ。

 あの子の実家も行けない。

 でも、あのとき撃った銃弾の意味を確認するために、私は毎年、田舎に帰ってる。あの子のことを忘れないために、獣人捜査局にいるんだって思ってる」

 そう言ってから、アヤノは鉄の柵の上で両拳を握った。

「――なのに、なのにさ。

 夢のなかであの子に会ったら、そういうのぜんぶ忘れちゃってさ――。

 夢なのは、狩人になった今のほうなんだって。現実は、あの子がまだ生きてるほうなんだよって、簡単に騙されちゃったんだよ」

 ラッカはアヤノを見つめた。彼女の拳に、ぽたぽたと涙が落ちていた。

 アヤノは泣いていた。

「――自分がこんなにズルくて、情けなくて、卑怯者なんだって、知りたくなかった。

 ミサキ先輩は、あんなにカッコいいのに。私、偉そうなこと考えといて全然ダメじゃんって――」

「アヤノ!」

 ラッカは彼女の肩を掴んで、自分に振り向かせた。

「私、東京に来た日、アヤノが親切にしてくれたこと忘れてないよ。アヤノがいたから今の寝床にも馴染めたんだよ」

「ラッカちゃん――」

「ニンゲンが良い奴だなって思えたの、最初はトーリだけど二番目はアヤノだよ」

 ラッカはそう言うと、吸いかけのタバコを彼女の携帯灰皿に落とした。

 そして、肩を抱いた。

「夢を使って意地悪するヤツのことなんか忘れていいよ。アヤノは強い。それでも自分を弱いと思ったら、今度は、私を頼ってよ。

 だって、私はトーリの相棒で――第七班みんなの猟獣だからさ」

 そうラッカは言った。


 そこへ、目を覚ました佐藤カオルと山崎タツヒロが歩いてきた。

「ラッカちゃん」とタツヒロは言った。「もう体はいいの? スタミナ切れで最後へろへろだったって聞いたけど」

「うん! バイキングでいっぱいお肉食べた!」

 ラッカがにっかりと笑うと、カオルとタツヒロが砕けた様子で笑った。ふたりとも、アヤノの涙には気づかないフリをしてくれている。

「また食べに行きませんか」とカオルは言った。「なにしろ二週間の航行分の食料が余ってるそうです。ミサキ先輩にもテイクアウトしてあげましょう!」

 アヤノは、そんな三人を見て笑った。きっとタツヒロもカオルもそれぞれの悪夢を見ていて、それでも今は仲間のことを考え、涙を殺してくれているのだろう。

 そしてそれが、警視庁獣人捜査局第七班なのだ。

「うん! もうちょっと甘いの食べよっかな!」

 とアヤノは笑った。

 そうして三人と一匹は――あるいは四人で歩き出す。


  ※※※※


 第四班班長の中村タカユキは目を覚ましたあと、第二班班長、志賀レヰナと通話をしていた。

「そちらのほうはどうです? レヰナさん」

「ああ、ヤクザどもの本拠地は襲撃したよ。大企業のいくつかとは繋がりが確認できた。まあ手繰るだけ手繰っとくさ」

「――ドンパチはしてませんよね?」

「アハッ」

 とレヰナは笑った。「発砲したのはアイツらだ。アタシのリボルバーを奪って内輪揉めなんてバカな奴らだ――指紋もばっちり残ってる」

「それって」

 とタカユキは言った。「レヰナさんが撃ちまくったあとで、そこいらのチンピラに拳銃を握らせたってことじゃないですよね?」

「そうだとしても、知ってどうする?」

 レヰナの回答を聞いたあとで、タカユキは追及をやめることにした。

「それより」とレヰナは言った。「そっちの獣人商品押収はどうなんだ?」

「まあ、ぼちぼち」とタカユキは答える。「夜牝馬と援助者による暴動がありましたが、猟獣たちのチームワークで解決しました」

「そうか――そりゃあまた、『占い』どおりだったわけだな」

 レヰナの言葉に、タカユキは少し黙った。

 ――そうか、第二班猟獣のクダン=ソノダか。

 闘牛の獣人。あのナルシスト男の型は占星型。未来を見ることができる。確実な未来なら5秒先まで、漠然とした将来なら1週間ほど先まで見渡せる。

 今回もなにもかもお見通しだったってことか。

 それに対して、レヰナは言葉を繋げる。

「ラッカ=ローゼキは今回の戦いで『超加速型』に目覚めたんだろう? そして飼い主のトーリ坊やの力を借り、最小の被害で夜牝馬を討伐することに成功した――違うか?」

「違いません」

「そしてお前がラッカを討伐する作戦も失敗に終わったんだ。そうだな?」

「――え」

「ククク――分かりやすいな、タカユキ。そんなんで極秘裏に動こうとしたつもりか」

「――――」

「まあ、嫌いじゃないよ。お前みたいに一本槍の信念がある男はな。だから、周りのヤツらには黙っておいてやるつもりだ」

「――そうですか」

 タカユキがそれだけの言葉を絞り出すと、レヰナはゆっくり言った。

「だがな――ワカナの決定に反旗を翻すならそれなりのスジを通せよ。でないと、今度アタシが事故に見せかけて撃ち抜くのは――お前の脳天になっちまうぜ?」

「ええ――」

 タカユキはスマートフォンを握りしめ、レヰナが通話を切るのを待った。それから、隣にいたサビィ=ギタを見つめる。

 彼がなにかを言いたそうにしていることに、タカユキは気づいた。

「どうした、サビィ?」

「ああ、いえその――」

「なんでも言っていい。お前は俺の猟獣だろ。意見は聞くんだ、話せ」

 そう促すと、サビィはしばらく俯いたあとで、

「たぶん、俺はもうラッカには爆弾を仕込めません――絶対に」

 と言った。

「そうか――」

 タカユキは苦い顔のままで、丸眼鏡の位置を直しながら歩き始めた。


  ※※


 ラッカはなるべく早く体力を戻すために、とにかくバイキングで肉を食べ続けた。その様子にアヤノは笑って、

「なんかラッカちゃんって、こうやって見てると少年漫画の主人公みたいだよね?」

と言った。

「ショーネンマンガ?」とラッカは訊いた。「そんなのあるの?」

「じゃあ今度貸すね!」

「うん!」

 とラッカは答えた。


 ちなみに。

 船から降りたラッカは色々考えた末に、まず尾木ケンサクが住んでいるアパートのベランダ手すりの弁償代を払い、次に、最初に東京に来た日の無賃乗車分を清算して頭を下げた。

「そんなの別にいいのに」

 とアヤノは笑ったが、ラッカは微笑んで首を振ることにした。

「これでいいんだ」

 と彼女は言った。


「これからはトーリといっしょに、ニンゲンの味方をちゃんとやるんだから」

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