第8話 VS夜牝馬 後編その2


  ※※※※


 同時刻。夜牝馬の型が終了するまで、残り40分。

 メロウ=バスは気がつくと、第三層の客室にいた。目の前にいるのは敵の獣人、デカポッタ=マキュラ。

「へへ、へ――」

 デカポッタは髪をかき上げ、眼鏡の位置を直した。「もうお前はこの部屋から出れねえぞ!」

「? どういう意味っすか?」

「分かんねえか!?」

 デカポッタはドアを指差す。「この部屋は俺らとハバさんが合流した場所だ! そして部屋のドアはハバさんが『閉じ』ちまってる! ――あの人が『閉じ』たもんはあの人にしか開けらんねえ!

 つまり、俺らのハバさんが死なない限り、お前はこの部屋から出られねえってわけよ」

 デカポッタが説明を終えると、メロウ=バスは「はあ」とため息をついた。

「別に構わねえっすよ」

「ああ?」

「俺はサビィやイズナと違って戦闘向きの型じゃない。重要なのは生き続けて型を発動し続けること。――ここでお前を拳銃で仕留めたら、あとは仲間に任せるだけのことっすよ」

 と彼は言った。

「おいおいおいおい」

 デカポッタはこめかみに青筋を立てる。「聞いてねえのか。ここは俺らがハバさんを待ってた部屋だ」

「――だから?」

「置いてきた武器ならいっぱいあるってことだよ! このボンクラがァ!!」

 デカポッタは手近なテーブルを蹴り上げて盾にすると、その間に、ベッドの下から中機関銃――M240を取り出した。銃弾はパンパンである。

 それに対して、咄嗟にメロウは拳銃グロック17を発砲。シルバーバレットがデカポッタの肩に着弾。しかし、彼は怯む様子を見せない。

「死ねオラァ!」

 デカポッタは目を輝かせながらトリガーに指をかけ、引いた。

「まずいっすねえ――」

 メロウは、拳銃を持たないほうの左手をかざす。「部分獣化」

「ああ!?」

 M240から7.62x51mm NATO弾が連続して射出される――が、それはメロウの体には命中しなかった。

 彼の手から放たれたクモの糸が即座に網を張り巡らせ、柔軟なシールドになり、弾丸を受け止めたからだ。

「なっ」

 デカポッタの顔に焦燥が走る。「そんなん、ありかよ」

「俺は」

 と、メロウは言った。「自分の型が戦闘向きじゃないとは言ったけど、別に俺自身が戦いに向いてないと言った覚えはないっすよ?」

 ギュルギュルギュル――と回転する銃弾が、全て、粘着質の糸に絡め取られていた。そして勢いを止めて、ぽろぽろと床に落ちる。

「俺はイズナとラッカとサビィを信じてる。あいつらなら、お前の大好きなハバさんとやらも駆除できる。

 俺はそれを待つだけだ。

 悪いけど――俺はこれからも、カズヒコさんとバッテリー組むんで。お前にはここで死んでもらうっすよ」

「ふざけんなあ!!」

 デカポッタのほうは、機関銃を構えたまま近づいていく。

 メロウは再び「部分獣化」と呟き、手を差し出した。飛び出したクモの網がデカポッタを捕らえ、壁に打ちつける。

「これ疲れるから、あんまりやりたくないんすけど」

 メロウはそう言いながら、磔にされたデカポッタに近づいた。グロック17をチャンバーチェック。

 そして構える。

「待て! おい!」

 とデカポッタは叫ぶ。「せめて――せめてフゥラは殺さないでくれ! 頼む! フゥラは俺の――俺の大事な――」

「? 知るか」

 と答えてから、メロウはトリガーを引いた。

 脳漿が飛び散る。


「――奪われたくないもんがあるなら、最初から人なんか殺さなきゃいいんすよ」


  ※※※※


 シネマホールで、サビィ=ギタとフゥラ=クローネンは戦いを続けていた。

 映画はまだ上映している。ちょっと昔の、手垢のついた正義論を語るアメコミヒーローものだった。声が響く。

 それは悪役の台詞だった。

《マフィアのバカは、お前が消えりゃ街が元通りになると思ってる。

 だが実際は違う。決して戻りゃしない。

 お前が変えちまった。永遠に》

 サビィには、まるでそれが彼女のことを言っているように聞こえた。彼女、つまり、ラッカ=ローゼキである。

《自分じゃどう思ってても、連中にとっちゃお前はイカれてる。

 俺と同じ。

 今はお前が必要だが、要らなくなりゃ嫌われて、除け者さ》

 そうだ。ラッカ=ローゼキはイカれてる。本当は、その認識が正しい。

 なんで、あいつは猟獣訓練の思想教育を受けていないのに人間の味方ができる? 野良の獣人だったくせに?

 問題は、彼女の存在が人間と獣人の区別を揺るがすことだ。獣人のままでも人間側の正義に立てる奴がいる――その認識は、人類にとって脅威である。

 たとえラッカ=ローゼキがここで死んでも、もう彼女の存在は知れ渡っている。善悪の基準は元には戻らないんだ。永遠に。

 サビィはフゥラのサバイバルナイフをかわしながら、あちこちを手のひらで触り、地雷を仕掛けていった。

 映画の悪役は嘲笑う。

《お前にはルールがあるがただの気休めだ!》

 うるせえ。

 そんなサビィに、フゥラはナイフ1本で突進してきた。

「ハバさんの邪魔をするな!」

「くそっ!」

 こいつ、速い。コンマ0秒の遅れを見抜かれ、サビィは、フゥラに押し倒され組み敷かれていた。

「勝負ありましたね、猟獣さん?」

 フゥラは笑う。「これでハバさんの障害をひとつだけ排除できます」

「畜生が!」

 サビィはがなる。「あんなデカ男のどこがいいんだよ!」

 彼がそう訊くと、フゥラは眉間にしわを寄せながら、自分の左手の甲を見せた。

「――これです」

 そこには、黒獅子のタトゥーが入れられていた。「私たちのハバさんは、私たちにこれをくれたんです。前は同じ場所に、忌まわしいバーコードの刺青がありました。オークションで取り引きされる商品としての証です。腐ったニンゲンどもの下らない値札。

 彼はそれを上書きしてくれました。だから、彼は私たちにとって恩人で、居場所です。

 ――彼がクロネコ様のために戦うなら、私たちもそうします」

「ハッ!」

 サビィは歯を見せた。

「そうかよ。恩人のために頑張るってのは、なかなか分かりやすいな。共感できるぜ?」

「――へえ」

「俺もタカユキ殿のためなら、なんでもできるからな――」

 たとえば――映画館の椅子を時限式の爆弾に変えて、目くらましにするとかな。

 最初に地雷を仕掛けてから、1分経過。

 入り口近くのソファが爆発。

「なにっ!?」

 フゥラが爆風に向かって振り返る、その隙に、サビィは彼女の腹を蹴り上げた。

「がっ――!!」

 そして自分も立ち上がると、相手の体を掌底で何度も打ちのめす。顔面、左肩、右胸、みぞおち――そして右の突き蹴りを食らわせる。

 フゥラの体が吹き飛んだ、直後、その体の上に紋が浮かんだ。

「なんだ――なんだ、これは!」

 彼女の焦る声を聞きながら、サビィは構え直す。

「今お前の体に4ヶ所ほど地雷を仕込んだぜ?」

「じ――!?」

「次に俺が触れたら爆発する。殺傷力は最新式の対人地雷からちょっと落ちるが――獣人でも再生に時間がかかる。これが俺の破裂型だ」

サビィは、トントンとステップを踏みながら、フゥラに迫った。

 ――そうだよ、ラッカをどう考えるかは、まずはコイツを始末してタカユキ殿を助けてからだ!


  ※※※※ ――日岡トーリの場合


 トーリは夢のなかで、真っ暗な空間にいた。目の前には、パイプ椅子が置いてある。

「?」

 彼は首をかしげた。――俺は豪華客船で事件の捜査をしていたはずだ。なんでこんな空間にいる?

 しかし、その疑問はすぐに消えた。椅子に腰かけると、不思議な心地よさを覚え、彼は目を閉じた。

 ――落ち着く。

 この世界には、俺以外なにもない。事件も、捜査も、戦争もない。俺は、そういう仕事のなかで自分を忙しくして、痛々しいなにかを忘れようとしていたはずなんだけどな――。

 でも今は、それすら思い出せない。――自分がなにを喪って、なにに苦しんでいたのか分からない。

 それが彼にはひどく穏やかな閾だった。

 ――もういいよ。疲れたんだ。なにかを愛して、愛したその人を喪って、その繰り返しに俺は疲れた。生きることは地獄だ。最初から分かってたことじゃないのか?

 なんでミサキさんは班長の座を俺に譲ったんだろう。実力的には、彼女がリーダーになるべきだった。

 そうすれば鉄砲玉の役割に甘んじて、どこかで、予定調和の無茶を働いて死ぬことだってできたのに。

 ――なぜ。なんで皆して、俺のことをズルズルと生かそうとするんだよ?

 トーリは、パイプ椅子の背もたれに体を預けた。今の彼は、失った両親も、祖父も、恋人も、なにも思い出さずに済んだ。

 このまま消えたら――きっと、もうなにも考えなくていい。眠れない夜は、ウンザリなんだ。早く連れて行ってくれ――。生きることがこんなに辛いのに、なんで俺はこの世界に生まれてきたんだ?

 そうしてトーリはしばらく目をつぶった。


 そのときだった。

《起きろ!》

 と、ひどく勇ましい少女の声がした。トーリは目を開く。なんだ?

 いったい誰が、俺のことを呼んでる?

《起きろ! トーリ!》

 と、また聞こえた。

 ――ミサキさんの声? いや、違う。じゃあ誰の声だ。母親の音じゃない。ナナセの言葉でもない。誰が俺のことを夢から起こそうとしてるんだ?

 トーリはゆっくりと立ち上がり、顔を上げると暗闇のなかを見つめていた。

《起きろ!!》

「――誰だ?」

 声に対してトーリは呼びかける。すると、

《相棒って言ってくれたのはトーリだろ!! こっちがピンチなんだから、助けにきてくれよ!! 人間をみんな助けるんだろ!?》

 そんな風に相手は怒鳴った。相棒?

 トーリは目を見開く。

「もしかして――ラッカなのか!?」

《他に誰がいるんだよ!!》

 ラッカ。

 そうだ、この声はラッカ=ローゼキの声。トーリは簡単に思い出せる。どうして今まで忘れていたのか、それを逆に思い出せないくらいだ。

「ラッカ、敵は何人いる?」

《夜牝馬の他に4匹いる! メロウとサビィとイズナが頑張ってて、私は大将のヤツが相手だ!》

「分かった。俺は他の捜査員と合流して本命の夜牝馬を叩く。そうすれば戦える奴も増えるだろ。それまでラッカは大将を一人で相手できるか?」

《ムズい! こいつの型、マジでズルすぎる!》

「ラッカも型を使え。もうそれができるステージだって報告は聞いてる。

 ――自分の器を知って型にハマるんだ」

 彼がそう言うと、一拍置いて、

《オッケー! やってみる!》

 とラッカの声が聞こえた。


 次の瞬間、トーリは豪華客船の第一層、自分の寝室で目を覚ましていた。

 汗が酷い。

「クソ――これが夜牝馬の力ってわけか?」

 彼は頭を振りながら、ベッドテーブルの上に置いた拳銃とマガジンをチェックする。

 どうして夢のなかでラッカが呼びかけてくれたのかは、正直、分からない。

 無意識の願望?

 ――俺はラッカになにを期待してる?

 分からない。


 分かっていることは、ただひとつだけだった。

「相棒がピンチなら――助けに行くしかない!」


  ※※※※


 同時刻。――夜牝馬の型が終了するまで、残り30分。

 第一層のカジノホールで、ハバ=カイマンは脂汗をかきながら立っていた。正確には、ビリヤードテーブルに右腕を突き、左脚で体を支えていた。

 左腕と右脚は、肘・膝の先が切断されている。ラッカ=ローゼキの爪に切り裂かれたからだ。

 再生にはまだ時間がかかる。それまで、心臓の動きに合わせて血が失われていくのを耐えるしかない。

「なかなかやるなァ、オオカミの女よ」

 ハバは苦痛のなかで微笑む。視線の先には、椅子・机・シャンデリア・スロットマシーンなど、彼らが戦いのなかで破壊し尽くした残骸の山と、そのなかに埋もれて気絶しているオオカミの獣人、ラッカがいた。

 ――この嬢ちゃん、最初にオレと戦り合ったときはまだ本調子じゃなかったってのか。あれからどんどんスピードと力を上げていきやがった。参ったぜ。

 床に倒れるニンゲンを庇いながら、このオレと互角の勝負ができるとはな。

 だが、最後に勝つのはオレだ。

 脚の再生が終わりかけてきたころ、残骸の山が少し揺れて、次にルーレット盤が吹き飛んだ。

 瓦礫のなかから、目を覚ましたラッカが出てくる。

 彼女の消耗もなかなか激しいらしい。視線が定まっていない。鼻と口の両方から血を垂れ流している。ハバが内臓を重点的に攻撃したからだ。

「お目覚めかい、嬢ちゃん」

「――私、気絶してた?」

「ああ、たっぷり10分くらいはな」

「なんでその間、私のことを攻撃しなかったの?」

 ラッカの質問に、ハバは構える。

「もし仮に、嬢ちゃんの型の発動条件が意識の喪失にあったらどうする? 手負いのまま格上の標的に近づくほど蛮勇でもねえのさ。慎重に、確実に行く」

「――そっか」

 ラッカは残骸の山から出て、フラフラとした足取りで歩いてくる。ハバのほうは、もう少しで左腕の再生も終わりそうだ。だが、失われた血の量は大きい。

 油断すると互いに貧血と吐き気でぶっ倒れそうになる、そんな最終ラウンドだった。

「なんか、気絶してるとき夢を見たよ」

「ほう?」

「相棒のトーリを起こしにいく夢だった。トーリにお前の相手を任された。だから、絶対に倒すぞ」

「ニンゲンと獣人は相棒になれねえよ。永遠にな!」

「――私はなるんだ!」

 刹那――ラッカが自分のすぐそばに接近していた。

「ヌゥ!!」

 ハバは拳を横なぎに振るう、が、ラッカはそれをかがんで回避。

 そしてそのまま、左脚でローキックを回してきた。ハバは膝を上げてガードする――つもりだった、

 が、

 次の瞬間。

 彼は、うなじに突き蹴りを喰らって床を転がっていた。

「なに!?」

 起き上がりながら振り向くと、ラッカはいつの間にか彼のうしろに立っていた。

 ――このオオカミの嬢ちゃん、さらにスピードが上がってやがる! もう目で追いきれねえ。どういう回復力だ!?

 ハバはそこまで考えてから、

 ――いや、待てよ?

 と、自分の思考にブレーキをかける。

 ――嬢ちゃんのスピードが上がっている? その表現は本当に正しいのか? だったらなぜ速度の向上に応じて蹴りの衝撃が強まってねえんだ?

 見落とし。

 そうだ――オレはなにかを見落としている。嬢ちゃんの蹴りは超スピードで説明つくもんじゃねえ。では、瞬間移動? いや、それも違和感があるな――。

 ハバがジリジリと脳を使っていると、

「がはっ!」

 と、ラッカが血を吐いてうずくまった。まだ内臓のダメージが残っているらしい。

 自分の蹴りの衝撃にさえ、自分の体が耐えられない状態なのだ。

 ――やはり、体が回復しているわけじゃねえ。オレの違和感は正しい。

 ハバは結論を出すために、言葉を使ってラッカを牽制することにした。

「なあ、嬢ちゃんはどうしてニンゲンを守る? こんなゴミどもの命に価値があると思ってんのか?」

「う――るせえ」

「嬢ちゃんの相棒、トーリだったっけか? まあ、百歩譲ってそいつは良いヤツだったとしようや。でもそれ以外のニンゲンを守る義理がお前にあんのか」

「黙れ」

「言ってみろよ、オオカミ。ヒトザルのクズどもにも生きる値打ちがあるってのか!? ならさっきまでお前が庇ってたカジノホールの連中はどうだ!?

 そんなカスどもを守るためにお前が傷ついて苦しむ必要がどこにある!?

 教えろ!!

 ニンゲンどもに苦しめられたオレが知らねえ答えをテメエが知ってるなら、オレに教えてみろ!!」

「――うう、う!」

 次の瞬間。

 ハバの顔面はいつの間にかラッカの拳に吹き飛ばされていた。

 ――まただ! またこの違和感!

 なんだ!? こいつの型は――いったいなにをしてるんだ!?

「くっ」

 ハバはラッカの拳に折られた鼻っ柱を指で戻しながら立ち上がる。一方、ラッカのほうは自分のパンチの反動に耐えられず、

「あ、ああ、あああ」

 そんな呻き声を上げ、膝から崩れ落ちた。

 ――もうコイツの肉体は限界みてえだな。ここらへんで引導を渡すべきか?

 ハバは近づく。ラッカは、彼を見上げた。

 回復を完全に終えた彼の体は、部分獣化で再び爪を生やすことができる。

 そのとき。

 スマートフォンの振動音が鳴った。

 ラッカの胸のホルスターに入っているアンドロイド端末。

「出ろよ、ラッカ=ローゼキ」

「――とどめは刺さないのか」

「お前は敵だが、同じ獣人だろ。ヒトザルを喰い漁るのとはワケが違うさ。そこに仁義はあるべきだろうが」

「――お前の価値観も分かんないよ」


 そうして、ラッカはスマホの画面を見た。

 意外だが、仲間からの連絡ではなかった。それは街で出会った友人――バンドマンの尾木ケンサク(ケンサクという名前を嫌がってケンと呼ばれたがっている)からの、メールの返信だった。


『返事、遅れてごめんな。

 色々ビックリしたし、ラッカもニュースで取り上げられまくってて、きっと忙しいんじゃないかと思ってた。

 ――いや、これはオレの言い訳だな。

 思ったことだけ言うわ。

 ラッカは今でもオレの友達だと思ってる。獣人とか、人間とか、小難しいことは、どんだけ勉強しても分かんなかった。

 オレはただ、オレのギターと歌を好きだって言ってくれた、そういうヤツが人間と違うなんて思えない、それだけだ。

 ライブ、また来てくれよ。んで、またいっしょにラーメン食おうぜ』


 そんな内容だった。

 ラッカはスマホをしばらく見つめたあと、「はは」と、少しだけ笑えた。

 なんで忘れてたんだろうな、こういうの。

 ハバが不思議そうに自分を見つめている。

 それが分かる。

 ラッカは立ち上がった。

「ニンゲンには生きる値打ちがある」

「?」

「――街のなかで夢のためにギターを弾く男がいる。綺麗な声で歌う。森のなかの鳥が仲間とツガイを探して鳴くみたいに」

 それだけじゃない。いっぱい知ってる。

 無償の善意を記憶に抱きながら、皆のために歌い続けようとする歌姫がいる。美味いラーメン屋の店主も、美味しいイタリアンのシェフもいる。

 私を最初から迎えてくれた女刑事がいる。私の言葉に少しだけ耳を傾けてくれた、偉い人もいる。

 映画がある。

 タバコの味。ビールの苦さ。カップラーメンの匂い。

「だから私は、ニンゲンを守るんだ。トーリの相棒としてニンゲンを助けてみせる」

「悪いニンゲンもか?」

「良い悪いは難しいからトーリに任せるよ」

 ラッカは歯を見せた。

「――だから、だから私はお前と違ってニンゲンを呪わない。ニンゲンを見限らない。お前らのせいで夜牝馬を乗せた船が街に辿り着いて、そのせいで駅前のギターの音がひとつでも消えちまうなら――それだけで私が戦う理由はたくさんだ!」

「そうかよ!!」

 ハバは豪快に笑った。

「なにひとつ納得できねえな!! だがその信念は尊重してやるぜ!! 正々堂々、この爪でハラワタを裂いてブチ殺してやるよ――オオカミ女!!」

「来い、ワニ野郎!!」

 二人は、

 ギンッ、

 と鈍い金属音を立てながらぶつかった。

 ハバとラッカは互いに背を向けながら着地する。

 そして――体を切られたのはハバのほうだった。腹部をやられて腸が外に飛び出る。

「なに――い!?」

 それに対して、ラッカはゆっくりと立ち上がる。

「ワニ野郎――お前があんまり強いから、追いついたんだ」

「なんだと――!?」

「やっと分かったんだ。私の型ってのが」

 そう。

 己の器を知って、型にハマる。ラッカはこの戦いで、ようやくそれを捕まえた。

「なんでみんな、私がキレたとき『止まってる』んだって思ってた。でも違う。私が、私以外の全部を止めてたんだ。つまり、時を。

 私は『超加速』型。

 平たく言えば、私の力って――時間を止めるんだろ?」

 そうしてラッカは、少しずつハバに近づく。


 ハバのほうは、やっと自分の違和感の正体に気づいた。

 ――そうか! 時間を止める! それがこのオオカミの型か!

 マズいな、こんなのたしかにA級だ。

 クロネコ様に報告しねえと、全員やられちまう――!

「うおああああ!!」

 ハバは、即座にワニの獣人体に変わろうとした。夜牝馬を目覚めさせないよう人間体を維持したかった、が、もう悠長なことは言ってられねえ!


 だが、ラッカは冷静に――指を拳銃の形にして、ハバに狙いを定めながらこう言った。

「超加速!」

 意識して使えた最初の時間停止。

 ラッカ以外の、全てが止まった。


 1秒。ラッカはハバに近づく。

 2秒。部分獣化で、右手の甲から再び爪を伸ばす。

 3秒。その爪をハバの胸に突き立て、

 4秒。爪がハバの獣人核を捕らえる。

 5秒。ラッカの腕がハバの体を貫通。

 6秒。その爪に獣人核がしっかりと刺さっている。

 7秒。最後の力でその核を握り潰す。

 8秒。腕を引き抜く。

 9秒。ハバの体に背を向ける。


 10秒経過。

 ――タイム・アウト。


「――があッ、あああ、ああああッッ!!!!」

 獣人核を喪ったハバが、体から血を噴き出してその場から崩れ落ちた。もう傷は再生しない。やがて彼は死ぬだろう。

 ラッカのほうは、ただ、満身創痍で立ち続けているだけだった。


 戦闘終了。

 それは同時に、ラッカ=ローゼキがA級獣人として完全に覚醒した瞬間でもあった。


  ※※※※


 同時刻。

 仲原ミサキは、やっと第三層まで辿り着いた。右太ももからは、まだ自分で傷つけた傷で血が流れる。眠気に襲われそうになるたび、その部位を殴りつけた。

 そうやって彼女は夜牝馬の眠る客室まで来た。

 ――誰が夜牝馬? ジュリア=ナイトメア=ウィティッグなの?

 それは分からない。

 しかし、一匹ずつ獣人であることを確かめて駆除している暇はない。それは確実だった。

 ならば、いちばん楽な方法を選ぶ。

 仲原ミサキは、自動小銃であるH&KのHK53を構え直した。

 ――イヤでもこの発砲音で目覚めてもらうからね。ジュリア=ナイトメア=ウィティッグ。恨みはないけど叩き起こす!

 トリガーを引き、銃弾を天井に向かって乱射。


 直後。

 夜牝馬が――ゆっくりと瞼を開けた。

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