第8話 VS夜牝馬 後編その1
ハバ=カイマンがその名前を使い始めたのは、今から五年前のことだった。
それ以前は有馬ユウゴという後天性の獣人であり、そして、21歳頃ヤクザに捕らえられてから10年間、とある建築家の一族に奴隷として飼われ続けた獣人商品だった。
建築家の娘は、熱心なケダモノのコレクターだった。
「よろしく、ワニさん!」
と一人娘は髪をなびかせた。「あたし神柱ヨゾラ! 今日からあなたの飼い主だからね!」
「よろしくお願いします、ヨゾラお嬢様」
ワニの獣人は頭を下げる。「有馬ユウゴです」
「ダメよ!」
ヨゾラは眉をつりあげた。「それじゃあまるで、あなたが人間みたいじゃない!」
「は、はあ――」
「ワニさんはワニさんなの! 人間じゃないの! 分かった!?」
「――分かりました、お嬢様」
「よかった!」
ヨゾラは大はしゃぎしていた。
「あたしね、すぐに獣人を壊して死なせちゃうからパパに怒られてばっかりだったんだ! ワニさんは頑丈そうだから、とっても嬉しいの!」
そこからの10年間は地獄だった。
獣人の再生能力を試されるように、極寒と灼熱を味合わされ、鞭でしつけられ、槍で貫かれ、刀で斬られると、拳銃の的にされた。
あるときは、本物の大型肉食獣と殺し合わされた。
「がんばれー、ワニさん! ただのケモノよりも強くてカッコいいところ見せてー!!」
あるときは、お嬢様のご学友が連れてきた別の獣人商品と「モンスターバトル」をさせられた。
相手の獣人は「許してくれ」と泣いていた。「お、おれだって好きでアンタを殺りたいわけじゃないんだ」
「謝らなくていいさ」
とワニは言った。「勝って生き残るのはオレだからな」
手にかけた同胞が何人か、途中からは数えなくなった。
ワニはただ生き延びるために肉体を鍛え続けた。生きる、生きる、今は、ただ生きる。
ヨゾラお嬢様は、そんな彼をなぜか贔屓するようになった。彼を人間と同じ食卓につかせて、寝室で彼に読み聞かせをさせ、そしてわざと風呂上がりはそのままの姿でうろつくようになった。
「結婚なんて絶対つまんないもん」
とヨゾラは言った。「だって人間の男なんて雑魚じゃん。あたしには強くてカッコいいワニさんがいるのにね」
それを聞いたワニは、笑った。
――お嬢様は、自分がどれだけオレに惨いことをしたのか、考えたこともないんだ。酷いとも思ってない。だから急に、こんな嫁入り前の甘ったれた駄々をオレに言ってるんだろう。
そこに彼は、決定的な意識の断絶を感じた。「憎い獣人を痛めつけてやる」と思っているニンゲンのほうが、遥かにマシなのだと学習した。
「お嬢様、もう眠りましょう」
とワニは憎しみのなかで作り笑いを浮かべた。「明日もお相手の殿方と会うのでしょう?」
その夜中のことだった。
奇妙な予感を覚えたワニは、耳を澄ませ鼻をひくつかせると、血の匂いと暴力の音がお嬢様の寝室から響いていることに気づいた。
「お嬢様?」
慌てて起き上がる、が、己の首輪は鉄のワイヤーで壁にくくりつけられ、簡単には外せそうもない。
「くそ、開け、開け――」
ワニは、この10年間、何度試しても外れなかったワイヤーに力を込めていた。彼女を助けたいわけではなかった。彼は、ただ高揚していた。
「『開け』!!」
錠前型が、初めて発動した。
がちゃり、と金属音がした。それが首輪そのものの外れた音だとは気づかないまま、ワニは、死に物狂いで廊下を走る。その動機がどこにあるのか、彼自身も自覚していない。
「お嬢様ァ!!」
そして寝室のドアを開ける――鍵のかかったはずの、寝室のドアを。
そこには。
両足を斬られ、うめきながら床を這いずっているお嬢様と――ベランダの窓枠に腰かける、男が女かも分からないような美しい人影を見つけた。
「賊か!? なんだあテメエ!」
ワニが怒鳴ると、人影は「ん?」と、これも、男か女か分からないような美しい声で答えた。
人影は年齢不詳の――10代の少年にも20代の美女にも見える――容姿に長く艶のある黒髪を流した、ほっそりとしたシルエットでそこに立った。
エメラルドグリーンの瞳は、まるで不吉を連れて歩く猫みたいだ、そうワニは思った。
そういえば、その夜は三日月だった。
「なにって、君を助けにきたのさ。誇り高きワニの獣よ」
「なに――!?」
「手土産はこんなものでいいかい?」
そう言って人影は――クロネコは、スクラップブックを投げてよこした。
「キミを捕まえた当時のヤクザと、彼の三等親の家族・歴代の恋人全員・知人友人関係みんなの死亡記事だよ」
とクロネコは笑った。「喜んでくれた?」
それから、もう片方の手に持っている細い足を――ヨゾラお嬢様の脚だ――八重歯の目立つ口で頬張った。
「ワニの獣よ。キミにはたしかに、もう人間時代の名は似合わない。
獣には獣の名前が相応しいのさ。
ハバ=カイマン。今日からはそう名乗るといいよ。そして僕といっしょに獣の国を目指そう、ね?」
その名前は、喰い千切り犯し尽くす水面の牙、という意味だ。クロネコはそう言う。
ワニが――ハバ=カイマンが呆然としていると、
「たすけて――」
と声が聞こえた。「助けて、ワニ、さん。助けて――」
「――お嬢様?」
「痛いよ、痛い。助けて――いやだ、ねえ、死にたくないよお、ワニさん――」
お嬢様――。
ハバ=カイマンはゆっくりとヨゾラお嬢様のもとに歩いていった。彼女はそんな彼の顔を見て、ほっとした表情を浮かべた、
そうして、
ハバは彼女の頭蓋骨を、生きたまま足の裏で踏み潰した。怒りのままに、快楽のままに、彼は何度も右足をその頭部に振り下ろした。
最初から、この女に対しては殺意以外のなにもなかったのだ。
「こんなゴミみてえな!
こんなゴミみてえなクソガキのお守りに!
オレの人生は十年も無駄になったのか!! ヒトザルのメスごときに!!
十年だぞ!!
十年もこの痛み!! この屈辱!! この辛酸をよオ!!」
彼に身体の司令塔を潰された彼女の肉体が反射でバタバタと跳ねる、と、ハバはさらに頭に血がのぼった。
死んだあとも五月蝿えメスザルが!!
オレの許可なく、べちゃくちゃぺちゃくちゃ――その口を『閉じろ』!!
ハバが彼女の頭部だけではなく肉体全てを潰し終えたあと、クロネコは優しく、
「気は済んだかい?」
と訊いてきた。
ハバは返り血にまみれた顔で、にっかりと笑う。
「いいや――ヒトザルどもは、まだまだ狩り足りねえなあ!!」
「そうこなくっちゃ」
クロネコは、年齢不詳、男女不明の美しい顔立ちのまま、ヨゾラお嬢様の両足をペロリと食い終え、三日月を空に顔を向ける。
「明日から忙しくなるよ、ハバ。まずは、キミの手の甲に刻みつけられている『それ』、早めに上書きしておかないとだね?」
クロネコが指さしたそこには、獣人商品であることを意味する、忌々しいバーコードのイレズミがさされていた。
「僕たちの尊い価値を、腐ったニンゲンどもの尺度に測らせるのはもうやめにしよう。代わりにそこに、黒獅子のタトゥを入れるといい。
獣の王になる僕の、獣の国に選ばれし民を意味する印だ」
「いいねえ――おもしれえ!!」
こうして、ハバ=カイマンは自分自身の名前と、肩書きと、後戻りできない虐殺の人生を手に入れたのだ。
※※※※
そして、現在。
ワニの獣人ハバ=カイマンと、オオカミの獣人ラッカ=ローゼキは、豪華客船第三層の廊下で互いの暴力を交わしていた。
「ウラァ!」
ハバが間合いを詰め、簡単なジャブで牽制したあと右ストレートを放つ。そういう一連の動作を、ラッカは間一髪の距離で回避し続けていた。
ラッカのほうは、隙を見つけるたびに足技を繰り出し、なんとかハバの猛攻を牽制しようとする。
だが、彼にはほとんどダメージはなかった。
「ヌルいぜ――ヌルすぎる!! おい嬢ちゃんよ!!
なんだその弱っちいパワーは!」
ラッカが蹴りのあとに足を戻す、そのタイミングを狙ってハバは掌底で突き上げる。
今度こそラッカのガードに攻撃が当たる。大男の怪力が、彼女の両腕にダイレクトに伝わった。
「いっ――てぇ!」
ラッカは痛みに顔をしかめた。
が。
ハバの攻撃はまだ終わらない。
「『開け』」
彼がそう呟きながら掌底を貫きとおすと、ぱっと、まるで強引にこじ開けられたかのようにラッカのガードが崩れてガラ空きになる。
力で押し負けただけに見えるが――そうではない。
これが錠前型の力である。彼に開けられないものはない。そして、彼が閉じたものは彼にしか開けられない。
「オラァ!!」
ハバ=カイマンの大振りな拳が顔面にクリーンヒットし、ラッカの肉体は何十メートルもうしろに吹き飛んだ。
ラッカは適切に受け身を取りながら、真紅のカーペットが敷かれた床を転がり続ける。
ごろごろごろごろ――と、そのスピードが落ちてきた頃合いを図り、彼女は身体を起こした。
「なんだ、さっきの力――!?」
とラッカは鼻血を垂らしながら呟く。「あいつの怪力のせいだけじゃない。強引に無理やりこじ開けられたんだ」
まさか、あの野郎の「型」となにか関係あんのか?
ペッ、と口内の血を吐く。
腰を落とし、再び構えた。
――いま私がやらなくちゃいけないことはみっつ。
1.ヤツの型を見破って駆除する
2.仲間と合流する
3.夜牝馬を止める
猶予はない。もしサビィが推測したとおりならば、制限時間は約1時間。
実際は既に10分経過しているので、残り50分である。
――やれるのか!?
やるしかないだろ! そうしなくちゃトーリも、みんなもここで死んじまうんだ!!
ラッカは歯を食いしばる。それに対して奥のほうから、
「力の差はもう見せたはずだぜ、嬢ちゃん――死に急ぐのはよせや?」
と聞こえた。
ハバ=カイマンの声だ。
ラッカはそれをシカト。構えを崩さない。
「そうか――いい覚悟だな」
と彼は言った。「だったら、くだらねえニンゲンの狩人どもを守りながら消え失せろ!!」
突進の足音が聞こえた、かと思うと、ハバは数秒後にはラッカの目の前に迫っていた。
――こいつ、スピードもある!
ハバのタックルにラッカは成す術もなくさらに吹き飛ばされ、そのまま船のデッキに転がった。
「どうしたどうした、そのザマは!!」
ハバは笑いながら屋外に出る。デッキの中央で、ラッカは四つん這いになりながら、肘を使って体を起こそうとしていた。
「くっそ~~」
とラッカはうめく。「こいつ、なんか今まで戦ったなかでいちばん強くねえ?」
「クク――当たり前だろ」
ハバは歯を見せる。
「狩人に飼い慣らされてる獣人どもとは、場数が違うんだ。同族と戦ったのも、ヒトザルを食い漁ったのもな」
「――そうかよ」
ラッカは吐き捨てると、「単純な格闘で勝ち目がないなら、部分獣化だ!」と叫んだ。
両手の甲から、サムライの刀のように刃が三本ずつ伸びる。
「ほう」
ハバは目を見開いた。
「驚いたなあ、嬢ちゃん。――奇しくも同じ構えだ」
そう呟くと、彼も部分獣化を展開した。――ラッカと全く同じように、両手の甲から複数枚の刃が伸びる。
彼女のブレードに比べると短く、色も鈍い。しかし、その爪は太くがっしりとしていた。
「こりゃ案外、気が合うかもしれんぞ? ハッハッハァ!!」
「べーだ」
とラッカは応じる。「トーリを殺そうとしてるヤツと気なんか合ったりするか!」
と。
次の瞬間。
二人は――いや、二匹は夜の大海原と満点の星空を背に、刃を交わした。金属音が鳴り響き、火花が散ると、彼と彼女の獰猛な表情を照らす。
今度はリーチ面でラッカが少しだけ優位に立った。
キン、キン、キン――と、幕末の大立ち回りのように、ラッカの猛攻が続いた。しなやかな膝と腰の動きで、空に浮かびながら体を回転させ、四方八方から斬撃を飛ばす。
それをハバ=カイマンは、長年培った経験値で防ぎ続けた。
「いいねえ」
と彼は言う。「ちょっとは面白くなってきたぞ、嬢ちゃん」
だがな――と、その瞳は鋭くなる。
「こんなに長く生きてきて、まだ出会ったことがねえ。オレの錠前型を攻略できた奴はよ」
「――!?」
ラッカは着地した瞬間、足に激痛が走るのを感じた。
うっ――と、その場にうずくまる。右のふくらはぎから血が流れていた。
ハバの刃が当たったわけではなかった。
それは、電動ドリルの穴だった。かつて、ミミズの五味ユキオ――オペラ座の怪人につけられた傷である。
「な――なんで!? なんであんときの傷が今さら――!」
「ん? どうした? 嬢ちゃん」
とハバは嘲笑った。「もしかして古傷が『開いた』のか?」
それから、彼女の胴体に回し蹴りを食らわせる。
――オレに開けられないものはねえ。この力がオレを自由にしたという自負がある限り、オレはこの世のものを全てこじ開けられる――!
一方のラッカは蹴られた衝撃で、
「うっ――!」
と、胃のなかが逆流するのを感じながら、船のデッキ、その鉄の柵のところまでさらに吹き飛ばされた。背中を強く打つと、その場に倒れ込んだ。
強い再生能力を持つ獣人に対して比較的有効な攻撃は、脳を揺らすか内臓を痛めつけるか、あるいは、痛みで動きを鈍らせるかである。
ハバは「だらしねえなあ!!」と叫びながらラッカに近づいた。彼女のほうはまだ起き上がれない。
「獣人捜査局のカスどもなんぞに飼い殺されてるから、テメエは雑魚なんだ!! 相手がどういう型なのか見極めてから最善の戦略を選び続ける、それが獣人同士の狩り合いの醍醐味だろうがよ!?」
ハバはラッカの胸倉を掴み、強引に立ち上がらせた。
「もう終わりか? 狩人どもを――ニンゲンどもを守るって意気込みはどこにいったんだ!?」
「がはっ!」
ラッカは血を吐きながら、それでも彼を睨みつけた。瞳は完全に獣のものになっている。
「いいぞいいぞ――その意気だぜえ、嬢ちゃん!!」
そうハバは笑おうとして、直後、違和感に気づいた。
――目の前の嬢ちゃんの両眼は、蒼灰色をしている。
それは。
あのオオカミ――ラッカ=ローゼキの瞳の色ではなかったか?
ハバ=カイマンは、このときようやく、彼女の変装を悟った。
オオカミだと!?
クロネコ様が拘っているあの女がここにいる!?
A級獣人の? 勝ち目はあるか!? オレに!?
答えは、否。圧倒的に、否!
――しかしならなぜ今こいつはこんなに弱い!? 作戦? いったいなんの!?
ハバの顔に脂汗がにじみ出る。
それを眺めながら、ラッカは、気絶寸前の状態で、息を切らしながらこう言った。
「よお――なにビビってんだ?」
本来であれば、その場で彼女の鼻孔と口を指で『閉じ』、息を止めてしまえばハバの勝利だった。合理的に考えて明らかにそうする場面だ。
だが、獣としての本能が、ハバの行動を誤らせた。
今すぐこの女と――オオカミと距離を置くべきだ!
「うおおおおおおお!!」
ハバは方向もロクに決めないまま、ラッカ=ローゼキを空中にブン投げた。
彼女は第三層のデッキから、そのまま第一層の窓を突き破って船の中に戻った。
そこは、彼女が昼間トーリとともに捜査をしていたカジノホールである。
「がっ、あっ、あ」
ラッカは床に打ちつけられた痛みで、少しだけ意識がはっきりとしてくる。部屋は明るい。
「いてて――ちょっと死ぬかと思ったや。
あんにゃろ~、遠慮なしにブン殴ってきやがって。絶対に勝ってやるからな」
それから立ち上がり、周囲を見渡す。
人が倒れている。おそらく夜遅くまでカジノホールで豪奢なギャンブルに興じていただろう連中だ。
「おい、大丈夫か?」
とラッカは駆け寄る。
そして、彼女は、倒れている老人が岩崎グループの長、岩崎マサトモであることに気づいた。
――昼間にトーリと喋ってたヒトだ。
同時に、彼女は彼の言葉を思い出す。
《この船に積まれている獣人商品は、みなシルバーリングで拘束されているそうですよ? 私たち健全な人間を脅かすことはありえません》
そうだ、この人は獣人オークションの客としてここに来てたんだっけ。獣人にバーコードをつけて――ただの商品として買うために。
次に彼女は、ハバの言葉を思い出した。
《ヒトザルは手前の敵である獣人さえオークションにして私腹を肥やしてる! こいつらになあ、生きる値打ちなんかありゃしねえ!》
ラッカの手が、止まった。
――私は、トーリの味方になりたいと思ってここまで来た。みんなと仲良くなりたくて、人間のことをもっと知りたいと思ってここまで来たんだけど。
本当に。本当に人間のことをもっと知っていいのか?
もしもそのせいでニンゲンのことがイヤになったら、私はどうすればいい――?
ホームレス狩りの若者、アスリートに嫉妬した少女たち、自分の息子を見捨てる母親、弱った人の心を喰らう新興宗教、売人のヤクザ、火のないところに煙を立てるジャーナリスト、他人の不幸を漁るインフルエンサー。
これまで出会ってきた「良くない」人間の姿が、ラッカの脳をぐるぐるとさせていた。
そのとき。
ラッカが割った窓から、ハバ=カイマンが入ってきた。第二ラウンドの主戦場は、だから、このカジノホールになる。
「悩みごとか? オオカミの女、ラッカ=ローゼキよ」
「要らねえ心配すんな」
「――ハハハ。
お前とここで会うとは思ってなかったぜ。今から本気でやらせてもらおう。もう知ってるが、改めてな、名を名乗れや!」
ハバに促され、ラッカは拳を構えた。
「オオカミの獣人、ラッカ=ローゼキ。大切な仲間を助けるために、お前を狩ってみせる。夜牝馬のクソは止めてやっぞ」
「ハッハッハ、やっぱり気が合うぜ」
そうしてハバも構えた。
「ワニの獣人、ハバ=カイマン。オレも仲間を助けるために、テメエをブチのめす。夜牝馬のことは死守するぜ?」
激突が再開した。
※※※※
第三層の大食堂。
イズナ=セトは、カーナロア=ニウドを追いつめていた。
――いずれにせよ隠密型を発動すればいい。その時点でこいつは私の位置を把握できなくなる。そうすれば私の勝ちだ。
彼女はそう思いながら標的に接近した、が、そのカーナロアのほうはニヤリと笑った。
「『吸収』!」
カーナロアが叫んだ瞬間、ぐっと、イズナの体は彼のほうに引き寄せられる。
「なに――!? いったいなんですか、これ?」
「ははは、そんな戸惑うのも無理ねえよなぁ!」
カーナロアは歯を剝き出しにした。「俺はタコの獣人、吸収型。いまテメエの手のひらは俺の手のひらに吸いついたぜ」
「――!」
イズナの表情に焦りが浮かんだ。まずい。彼女の隠密型は、自分の居場所を相手に誤認させる。しかし、敵と肌同士で接触している間はそれを発動できない。
「捕まえたぜえ、猟獣!」
とカーナロアは叫んだ。彼の右手の平に吸い寄せられ、彼女の左手はしっかりと捕まっていた。
「くそ!」
イズナは咄嗟に右手のコンバットナイフを振ろうとする、が、そこでさらなる異変に気づいた。
「!?」
彼女の右手に、なにもなかった。
代わりに、カーナロアの左手に、その刃物が握られている。
「だから言ったろうがよ!」
と彼は言った。「ぜんぶ俺ん手のひらのなかだってなあ!」
「貴様――!」
イズナの頭に血がのぼった。返せ。それは、ショーゴさんが私にくれたものだ。
猟獣訓練のあとショーゴさんと出会い、彼と彼の第六班の眼前でひととおりの力を見せた日のことだ。
「道具はなにがほしい?」とショーゴさんは言った。「好きなもんを申請してやる。言え」
「――では、刃渡り15センチのコンバットナイフを」
彼女がそう言うと、ショーゴさんは不思議そうな、少しだけ悲しそうな顔をした。
「お前くらいの年齢の人間なら」
と彼は言った。「ゲーム機とか、洋服とか、背伸びしてブランドものの鞄や財布を欲しがるもんなのにな」
「私は人間ではありませんから」
と彼女は答えたあとで、
「でも、そうですね――クマのぬいぐるみもください。前に映画で見かけて、触り心地がよさそうだと思って」
そう頼んだ。
10代の女の子に、生き物を殺すための刃物と、抱きしめて眠るためのぬいぐるみをいっしょに渡すのが獣人捜査局なのだ。
「返せ!」
イズナが叫ぶと、カーナロアはニヤリと笑う。
「ああ、返してやるよ――こうやってなあ!」
彼は刃を順手で持つと、それをイズナの肩に振り下ろした。
「っ!」
即座に彼女は対応して、右手で敵の手首を掴む。そうして、驚く彼の額に頭突きを食らわせた。
「が――ああ!」
カーナロアのうめき声。「このクソ――ニンゲンの味方をする裏切りもんが!」
今度はカーナロアからの頭突き。
ごん、と。
イズナの頭蓋骨に衝撃が走って、脳が揺れる。少し額の皮を切ってしまったらしい、血が流れて彼女の眉間を伝い、唇にまで届く。
「私は」と彼女は言った。「最初からショーゴさんの、ショーゴさんだけの味方ですよ。たまたま彼が人間だった――それだけだ!」
そして、さらに頭突きを食らわせる。二人の身長はだいたい同じくらいだ。互いにクリーンヒットを狙える。
今回は打ちどころがよかったらしい。カーナロアの鼻っ柱が折れて血が鼻孔から噴き出した。
「いいですね――」
とイズナは微笑む。彼女としては久しぶりに、獰猛な野獣の表情を浮かべていた。ぺろり、と、イズナは額から流れる血を舐め取る。
「互いの型を型で相殺し合っているなら――ここからは純粋な根比べです。どちらが先に頭蓋骨をブチ壊されて脳ミソを撒き散らすのか、我慢の勝負をしましょうか」
そして、さらに頭突き。カーナロアの「ぐ――あああ!」という悲鳴。
イズナは止まらない。
「私がショーゴさんを守るために、お前の命は邪魔だ――野良の獣が、図々しく呼吸をするな!」
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