第7話 VS夜牝馬 前編その1


  ※※※※


 2023年2月7日、午前。

 警視庁獣人捜査局内の道場で、ラッカ=ローゼキとイズナ=セトが向かい合っていた。

 ラッカのほうは白の道着に水色の帯、イズナのほうは黒の道着に橙色の帯を合わせている。立会人は第二班猟獣のクダン=ソノダ。

「これより、猟獣同士のスパーリングプログラムを行う」

 とクダンは言った。胸もとが大きくはだけた薔薇模様のシャツを着て、腕まくりをしている30代前半の雄だ。

 彫りの深い顔立ち。伸ばした髪を後ろでくくり、髭はたっぷりとたくわえている。

「第七班正規猟獣ラッカ、および、第六班正規猟獣イズナ、両者前へ」

 彼は両手を広げた。「武器の使用は禁止。獣人化、および部分獣化も禁止。ただし『型』の使用は許可する――先に有効打を十発当てた時点で終了とする。以上だ」

 その呼びかけに、イズナだけが「はい」と答えた。ラッカのほうは、

「クダン、ちょっといい?」

 と手を上げる。「私、自分の『型』とか分かんないんだけど、大丈夫?」

「ああ、問題ないよ」

 クダンは微笑んで、片目をつぶった。「これは、ラッカちゃんが自分の『型』を知るための最終訓練だ。人間の格闘術は、特殊な『型』を持たない人類の身体能力を底上げするためのもの。オレたち獣人は、自分の型に合った新しいバトルスタイルも身につけなくちゃいけない――己の器を知り、その型にハマるのさ」

「ふーん、なるほどなあ」

 とラッカは頷いた。「じゃあ私にも、あるってこと? 飛行型とか、変化型とか、分散型とか、あと――群体型とかそういうのが?」

「型なしの獣はいないよ。知らないだけだ」

 クダンは指を立てた。「せっかく正規猟獣になれたんだ。もっと強くなってみよう、ラッカちゃん!」

 そんな二人を見ながら、イズナは目つきを鋭くしていった。

 ――ラッカの資質がどんなものかは知らないが、私の隠密型より応用の効く力なんてありえない。

 そう彼女は思っていた。


「はじめ!」とクダンが叫ぶ。

 ラッカはすぐにキックボクシングのファイティングポーズを取り、イズナに近づいた。右拳を放つ。

「ラァ!!」

 と叫びながら――が、次の瞬間、イズナはその場から消えていた。

「あれっ?」

 ラッカは首をひねる。

 そのうなじを、いつの間にか背後に回っていたイズナが、容赦なく右の飛び蹴りで突き上げた。ビシビシ――と神経のはじける音がする。すぐにラッカは膝をついた。

「い――ったぁ~~!!」

 首をさするラッカに、イズナは後ろから声をかけた。

「いつから私があなたの正面にいるなんて錯覚してたんですか? ずっとこっちにいましたよ」

 その声は険しかった。「これでラッカさんが一回死亡です」

 その表情を見上げながら、ラッカはゆっくり立ち上がった。

「うん、なんか面白くなってきた」

「は、あ――?」

「イズナの型は便利で強いけど、きっと万能じゃない。でなきゃ毎回の作戦で、あんな回りくどい暗殺はしないだろ。――だったら攻略してやる」

 ラッカはファイティングポーズに戻った。「あと九回やられる前に、自分の型も掴んでやるぜ」


 イズナとラッカは、さらに拳と蹴りを交わした。

 イズナがバックステップで距離を置こうとすると、ラッカはすぐに追い込んでインファイトに持ち込む。――このやりかたは吸血鬼のチトセを参考にしたものだ。

「くそ!」

 と、イズナの顔に焦りが浮かんだ。

 ――やっぱり!

 そうラッカは思った。イズナの隠密型は居場所を誤認させることしかできないんだ。だから、直に殴り合って触れ合っているときだけは、イズナの正しい座標を見失わない!

「ッシィ!」

 イズナがローキックを繰り出す、それをラッカは足を上げて冷静に受け止め、ジャブを出す。パン! と音を立ててイズナの顔に当たった。

 ――相手をブッ飛ばさないように、距離をつくらないように、軽めの打撃を繰り返す。そして相手の体勢が崩れた瞬間、

「ここだ!」

 とラッカは叫んで、イズナの左頬にストレートを当てた。派手な音を立てながら、彼女は尻もちをついた。

「おーし、これで1対1だ!」

 ラッカはトントンとその場でジャンプする。「隠密型の攻略方法、見破ったり!」

 それに対して、イズナはゆっくりと起き上がると、ぺっ、と口の中の血を吐いた。

「残念ながら――」

 そう彼女は言った。「私は警視庁獣人捜査局のなかで、いちばん強い猟獣でなければならないんです。

 本気を出せって言うなら、出してやりますよ」

 直後。

 イズナの姿が消えた。

 ――くそ~、またこれだよ! とラッカは思った。

 そして、

 なにもない空間から足払いを食らう。

「え――?」と、ラッカは驚く間もなく鼻っ柱に拳を食らい、その場にゴロゴロと転がった。

「あー、もうクソ!」

 そう言いながらラッカは起き上がった。「なら、また接近戦に持ち込んでやる!」

 が、もう、道場のどこにもイズナはいなかった。

「どこだ?」

 目をこらして360度、四方を見回すが、イズナはどこにも見つからない。鼻をひくつかせても、匂いさえ分からない。

《私の居場所は、ショーゴさんだけです》

 そう聞こえたかと思うと、今度はなにもない場所から腕を掴まれて空に投げ飛ばされる。

「うおおお!?」

 その脇腹に、さらに蹴りを食らった。これで三回死亡。

 ――あー、もうすげえ痛いし。これズルじゃん、ズル。

 ラッカは起き上がった。

「落ち着けよ――私」と彼女は目をつぶった。「イズナの型を整理しろ。相手の場所は分からなくって、相手と触れたときだけ分かる。んで接近戦に持ち込んだけど、向こうがヒット&アウェイしてきたらこの作戦はダメなんだ」

 ラッカは目を開けた。

「――じゃあ、やることはひとつだ」


 そんな彼女を背後から見つめながら、イズナはカンフーの構えをつくり、じわりと近づく。

 ――これで終わりだ! そう思って、さらにラッカのうなじに蹴りを当てた、いや、正確にはイズナの足の甲が彼女に触れた瞬間、

 そのときのことだった。

 イズナの主観では、それは本当に次の刹那、と言ってもいいのだが。

 

 彼女はみぞおちを殴られて畳に転がっていた。


「が――はぁ!!」

 うずくまる。吐き気がこみあげてくる。

 ――なにが起きた? さっきまで、私の攻撃が当たってたはずだ!

 イズナは脂汗をかきながら顔を上げた。目の前のラッカ=ローゼキが拳を戻しているところだった。

 ――殴ったのか!? 私を? いつ!? 私がラッカを蹴ろうとした――いや、蹴って触れた瞬間に!?

 ありえない――そんなの、無理だ!


 そんなイズナを見ながら、ラッカは不思議な感覚だった。

 ――あれ? さっき、私以外のぜんぶ止まってなかった?

 ラッカの作戦はこうだ。攻撃されるまでイズナの居場所は分からない。ならば、攻撃されてから反撃すればいい。

 うなじに蹴りの痛みを覚えた、その0.1秒でラッカは振り返り、イズナのみぞおちに拳を当てた。それだけである。

 上手くいったが、なにか、自分が普通じゃないことをしたような気がする。

 そうだ。こういう感覚、初めてじゃない。

 前にチトセを殺ったときもこう思ったんだ――


 そのとき。

「スパーリングプログラム、終了!」

 とクダンが叫んだ。「回数は満たないが、もう十分だ。猟獣訓練の当初の目的は果たされたよ」

「抗議します!」

 とイズナは怒鳴った。「まだ私は負けてない――まだ負けてない! まだ、一発のはずです!」

「イズナちゃん。君の役割は仲間の猟獣の力を引き出すことだよ? オレたちは競い合う仲じゃないだろ?」

 クダンは両肩をすくめた。「ラッカちゃんの型はオレが見ていた――それで今回は充分」

 そのとき、道場内に召集のベルが鳴った。

「ほーら」

 とクダンは笑った。「今度の会議に呼ばれちまったよ。ふたりとも早く着替えて。可愛いお姫様たちの可愛いボクシングはおしまいさ」

 そう言いながら彼が去ろうとすると、

「ねえ」

 と、ラッカが汗だくで呼び止めた。「私、さっき、なにしてたの?」

「――それは自分で言語化してごらん? ラッカちゃん。自分の言葉で解釈するのも型にハマるには大事だよ?」

 クダンはウインクをしてから、道場を出た。

 ――参ったね、あのオオカミちゃん。文句なしにA級だ。自覚はないみたいだけどな。

 彼は笑った。

 ――あれは『超加速型』だ。前例は1つしかないウルトラレア。あの娘は、あらゆる物理法則を無視して、時の流れの外で動ける。平たく言えば、時間を止められる。あの感じなら10秒くらいか?

 ふふ、と、クダンは廊下の天井を見上げた。「一匹狼」なんて日本語はよく言ったもんだね。本当の孤独は、誰とも時間を共有できないことだからな――。


  ※※※※


 ラッカとイズナはシャワーを浴びたあと、警視庁獣人捜査局の臨時会議に参加した。クダン=ソノダは、もう背中を壁に預けて待っている。

 局長の渡久地ワカナは静かに、

「大きな案件が来た」

 と言った。

 先月、あるトラックが獣人に襲われた。誰が襲ったのかは分かっていない。しかし、そのトラックがなにを運んでいたのかはようやく分かった。

 後天性、まだ10代の獣人。エビ、タコ、ハエの三匹。

 そいつらは消えていたが、トラックに残った運転手とチンピラの死体を手がかりとして、我々も分かったことがある。

 獣人の人身売買だ。ろくでなしの金持ち間のオークション。その運搬トラックだったらしい――。

 そこまで語ると、渡久地ワカナはため息をついた。

「獣人に人権はない。動物保護法の対象でもない。ゆえに、観賞用や愛玩用や虐待用に飼いたがる腐った連中も出てくる。迷惑な話だが、その尻尾を期せずして掴めたわけだ――第五班、諸君らの担当案件だったな?」

「せやなあ」

 と第五班班長、笹山カズヒコは答えた。「トラックと死体はボクらが責任もって処理しました。痕跡はないです。だから、次のオークションは商品不足んまま普通に開かれます。そこを獣人捜査局で叩く」

「うむ」

 とワカナは言った。「我々狩人は、その売買の現場に乗り込んで一網打尽にする」

 その声を聞くと、班長たちの顔が引き締まった。

 ワカナは続ける。

「第五班調査の結果、オークションの舞台は、豪華客船カンバセイションピース号。第四班から第七班はここに偽名で乗り込む。最善では、売買人を検挙して、商品の獣人を駆除。次善でも、獣人駆除は必須。最悪の場合は――船ごと燃やせ。

 第一班から第三班は、運搬役のチンピラが属してたヤクザを追ってくれ。これは微罪逮捕で因縁つけて詰めていい。獣狩りをナメてる連中がどういう目に遭うのか思い知らせろ」

 彼女の声を聞き、第一班から第七班の班長たちは全員、

「了解!!」

 と大声で答えた。

 そのあと、第六班班長、橋本ショーゴが手を上げた。

「なあおい――中村タカユキの第四班と第七班のラッカ=ローゼキを同じに任務につけんのかあ?」

 そう彼は言った。「タカユキ、お前はラッカの猟獣正規運用に反対だったよな。いいのか?」

「大丈夫ですよ」

 第四班班長、中村タカユキは丸眼鏡の位置を直した。「意見は意見。任務は任務。そこは割り切っていますから」

 そうして、タカユキはラッカを見つめた。「前はいろいろとあったけど、今回からはよろしく、ラッカさん」

「え――うん」

 とラッカは答えた。


 会議が終わったあと、タカユキは専属猟獣のサビィ=ギタを連れて屋上に出た。

「極秘の任務がある」

「はい、タカユキ殿」

「俺の考えでは」

 とタカユキは言った。「今回の捜査は、死人が出てもおかしくないと思ってる。オークションのリストを見たが――商品のなかには《夜牝馬》がいるんだ」

「ヤヒンバぁ?」

 とサビィは眉をひそめた。鮮やかな金髪をツンツンに立てている10代の男だ。「そいつが、なんか問題なんですか?」

「ああ」

 と、タカユキはKENTに火をつけた。「ちょっと昔にどっかの共産主義国が逃したA級獣人だ。なんで奴隷商に捕まってるのかは分からん、が、誰が不慮の事故で命を落としてもおかしくない。そういうヤツを狩る案件になるんだ」

「なるほど」

 とサビィは頷いた。「――誰が死んでもおかしくない」

「そういうことだ」

 と中村タカユキは――警視庁獣人捜査局、第四班班長の男は頷いた。「たとえば、そこでオオカミが下手を打って死んでも仕方ないってことだな」

 俺の意見は知ってるだろ? サビィ。生まれつき善良な獣人なんてものは、社会の秩序を余計に乱すだけだ。これは、どんな獣より危険だ。

 タカユキはサビィの肩に手を置いた。

「隙を見て、お前の手でラッカ=ローゼキを殺せ。夜牝馬を始末するのは、そのあとでもいい」


  ※※※※


 豪華客船、カンバセイションピース号。全長は約400メートル、幅は70メートル、高さは80メートル。

 およそ三つの階層に分かれており、第二層以上のフロアには客室だけではなく複数のバーレストランカフェと各種リラクゼーション施設がある。第一層にはカジノ施設も。

 ここが現場だ。

 獣人捜査局の第四班から第七班は、架空のスタートアップ企業『インディヴィジュアル・プロダクション』のCEOと部下共、という設定で東京港から潜入した。

 今は第二層の客室に集合している。

 第七班捜査員、田島アヤノが真紅のドレスに身を包んだ姿でボールペンを回した。「はい、それでは各々の偽名と仮の役職を確認お願いします」

 日岡トーリは肩をすくめた。「代表取締役社長、松坂シューイチ」

 橋本ショーゴは銀縁眼鏡の位置を直した。「取締役副社長、大神コウジだ」

 笹山カズヒコは糸目をさらに細めて笑う。「取締役副社長CTO、雨宮トヲルやな」

 中村タカユキは顔色ひとつ変えなかった。「取締役CPO、西島ノブナガ」

 全員の答えを聞き、田島アヤノはうんうんと頷く。「大丈夫ですね。各猟獣はそれぞれの秘書・補佐官ということで別の名前を与えています。各班の捜査員も同様です。もともと獣人捜査局と繋がりのある企業が、今回の捜査にあたって街頭の架空子会社を既に立ててくれてます。バレることはないです」

 アヤノはボールペンをカチカチとしまった。

「ちょっとええかあ?」

 と笹山カズヒコが言った。「ボクらはともかく、ラッカちゃんは顔が割れてるやろ? どうやって豪華客船で他人のフリできんの?」

「ふふふ」

 とアヤノは微笑む。「そんなの、変装すればいいことじゃないですか!」

 彼女が振り返ると、ラッカが部屋に入ってきた。髪は暗い黒色に染められた、艶のあるストレートロングになっていた。バイオレットカラーを基調とした化粧で、人相も変わっている。白のタキシード、そして、ウェリントンタイプのサングラス。

「う、うえーい」

 と、ラッカは緊張していそうな声で言った。「ラッカ=ローゼキ。今回の名前は――和久井マドカ。社長の愛人です」

 こうして、豪華客船への潜入捜査が始まった。


  ※※※※


 乗船後の日岡トーリとラッカ=ローゼキは第一層に着くと、すぐに、その広さに圧倒された。

「すげえ――!」

 とラッカは天井を見上げた。高い。そして目の前にあるのはセレブリティを楽しませるカジノだ。ポーカー、ルーレット、ダーツ、ビリヤード、そしてスロットマシーン。

「こんなの映画でも見たことない!」

「喜んでくれてよかったよ」

 とトーリは微笑むと、彼女の細い腰を硬い腕で捕まえてエスコートする。ラッカが着ているラグジュリーな白のタキシード越しに、その手のひらの感覚が伝わった。

「えっ、えっ!?」

「慌てなくていい」

 とトーリは耳もとで言った。「今の俺たちは、鼻持ちならない若造の社長と、その愛人だろ? いくつかテーブルを回ってみようか」

 ――鼻をきかせてくれ。この客船の極秘裏で獣人のオークションが行われているなら、必ずその関係者にはケモノの臭いが染みついてるはずだ。そいつを探る。

「頼りにしてるからな、相棒」

 とトーリが言うと、ラッカは久しぶりにやる気になった。

「オッケー、私に任せときな」

 社長とその愛人を演じ続ける命がけのスパイ作戦である。


 そんな二人に、まず一人の老人が近づいてきた。岩崎グループの長、岩崎マサトモである。

「これはこれは」と岩崎は手を差しのべた。「若くて才能のある人に出会えましたな。人生、長生きするものです」

「こちらこそ、光栄です」

 とトーリは握手を返した。岩崎はどうやら、トーリがただの獣人捜査局員であることに気づいていない。

 ――人間を金額と数字でしか見ていないから、人のなかにある獣としての本能を忘れているのだろう。

「こちらのお嬢さんは?」と岩崎は微笑んだ。「こんな豪華な旅ですからな。連れ歩く気持ちは分かります」

「ええ、まあ」

 そうトーリは笑う。

「彼女は僕の大切な人です。それに今日は、僕たちが出会った特別な日でもありまして。この素敵な船に招待してあげたかったんです」

「そうですか、そうですか」

「それに――」

 トーリは目を細めた。「最近は獣人事件も多くて恐ろしい世の中ですから。海のほうが安全かと」

 彼は岩崎の顔色を伺った。いきなり「獣人」という言葉を出されたコイツは、どんな風に反応する?

 トーリが演技で微笑んだままでいると、岩崎は、フフ、と鼻息を漏らした。

「松坂社長――でしたかな? それについてはどうかご安心ください」

 そう岩崎は答えながら、距離を縮め、トーリの首に顔を近づけた。

「この船に積まれている獣人商品は、みなシルバーリングで拘束されているそうですよ? 私たち健全な人間を脅かすことはありえません」

 トーリは岩崎の言葉を聞いた直後、顔の向きを変えないまま、ラッカの顔に瞳を向けた。

 ラッカは返事をしない。ただ、二人が繋いでいる手のひらのなかで、人差し指を二回叩くだけだ。

 それは《匂いがしない》という意味だ。

 ――こいつはオークションの客だが、深いところまで知っているわけではなさそうだ。

 なら、話していても商品の場所は分からない。もちろんA級獣人――夜牝馬の居所も。

「あなたと会えて光栄です」

 とトーリは言いながら、偽物の名刺を岩崎と交換した。「今度ぜひ、僕たちのプライベートビーチにも来てください。もっと暖かい季節に」

「ええ、もちろん」

 そう岩崎は微笑んだ。


 こんな風にトーリとラッカは金持ち連中に話しかけながら第一層のカジノホールを回ってみたが、めぼしい手がかりはなにひとつなかった。

 ただ、ひとつだけ分かったことがある――この船に乗っている金持ち連中は、全員、獣人オークションの存在を知っている下衆野郎だということだ。

「第二層以下を回っているミサキたちの報告を聞こう」

 トーリはラッカを連れてプールサイドの個室に行くと、骨伝導のインカムをつけた。

 まず、第二層にいるミサキとカオルの報告。

「獣人って言葉を出しても引っかかる人はいなかった。たぶん社員レベルの連中にはオークションは知らされてない。隠し場所がどこなのか見当もつかないな。引き続き調査する」

 次に、第三層にいるタツヒロとアヤノの報告。

「ここには背伸びして大金払ったパンピーしかいませんよ。獣人事件についても素人みたいな回答だけだし、つまり手がかりは皆無です」

「分かった」

 とトーリは言った。「念のため、さらに調査を頼む。商品は必ずどこかにあるはずだ。そこに夜牝馬もいる」

 

 こうして第七班は、なんの手がかりも得られないまま一日目を終えて、それぞれの客室に戻った。カンバセイションピース号が陸に着くまであと六日しかない。

 トーリはネクタイをゆるめ、第六班~第四班の各班長と通話。

「そっちはどうだ」とトーリが訊くと、

『収穫はあったよ』

 とショーゴが答えた。

『第三層のホールにいる奴らのほぼ全員にGPSをつけた。イズナが気配を消せるおかげだがな。結果、使われていない客室が大量に見つかった――妙じゃないか? 予約サイトじゃパンピー用の寝室は満席だったはずだ』

「なるほどな」

『そこに商品の獣がある可能性は高い。明日はそこを念入りに叩くつもりだ』

「了解。ドアを開ける段になったら俺たち七班も呼んでくれ」

 次に、トーリは笹山カズヒコの報告を聞く。

『あかんわ。こっちはなんの手がかりもなし。ただ、一個だけ朗報。「クロネコ」って名前を出したとき、第二層のバイキングにいる奴らの何人かが過剰に振り返った。もしかしたらなんかあるかもな』

「なにか――か」

 トーリは顎に手を当てる。

 クロネコ。吸血鬼のチトセが仄めかした謎の存在。獣人事件の裏で糸を引いている可能性がある――カラスの津島マナオ、キツネの戸塚トシキ、ミミズの五味ユキオ、全員に関わっているかもしれないのだ。

「今回も――クロネコとやらは、なにかすると思いますか」

『蓋然性はあるわな』

 とカズヒコは答えた。『トーリくんよ、ここ最近の獣人事件のこと思い出してみ。全部オオカミ絡みや。オオカミの女子寮に忍び込んだキツネ、オオカミを尾行してたコウモリ、オオカミをネットで名指ししたミミズ。今回もボクたち狙いでなんかあるかもしらんのや、なあ?』

「なるほど――それは要注意ですね。ありがとうございます」

『安心しい。ボクのメロウ=バスはもう結界を張っとる。この船から逃げられる奴はどこにもおらんわ』

 最後に、中村タカユキの報告。

『ごめんね、トーリくん。俺たちのほうは本当に手がかりナシだよ。第一層の金持ちどもの自慢話に付き合っていたら、日が暮れちまった』

「そこは俺も同じですね。調査は、引き続き頼みます」

 とトーリは言った。


  ※※※※


 中村タカユキは通話を終えたあと、となりにいるサビィ=ギタの顔を見た。

「これから第七班は睡眠に入る。オオカミの獣、ラッカ=ローゼキもそうだ」

 そうして、彼は部屋に立った自分のメンバーを見つめる。桑山、黒木、そして前川。

「日岡トーリとラッカの寝室は分かってる。日付が変わったら侵入しろ。サビィの型を発動する。抵抗されたら、そのときは――シルバーバレットの使用はこの俺が許可する」

「了解!!」

 と、三人の捜査員は、瞳に殺気を浮かべながら合図した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る