第6話 VS劇場霊 後編その3


  ※※※※


 夜闇に爆炎が渦巻いていた。

 岡部クリスは、ゆっくりとラッカ=ローゼキに近づく。

「あなたが――オオカミの獣人なの?」

「そうだよ」

 ラッカは頷き、じっとクリスの目を見つめた。「ここに来たってことは、歌姫のスウィーテさん?」

「そ、んな」

 クリスは口もとに手を当てる。映像越しで見るよりも、実際に観察したほうがショックが大きかった。

 ――どこからどう見ても、普通の、人間の女の子にしか見えない。政府はこんな子どもを生物兵器として運用してるの?

 戸惑う彼女の肩に、トーリが手を置いた。

「ラッカ、コートはカオルのを借りたのか?」

「うん。もこもこ」

 と彼女は言った。「今回はオオカミにならないと、ちょっと厳しかったから――また洋服ぜんぶ破けちゃったや」

「経費で落とそう」

 トーリは微笑むと、カオルとタイヨウのほうを向く。「大怪獣の後始末はどのくらいかかる?」

「そろそろですね」

 とタイヨウが言った。「体から剥がれて小ミミズになって逃げようとする個体、ペースが落ちてきてます。獣人核を焼かれてるから、もう再生は終わりです」

「最後の一匹になったら消火を呼ぼう」

 一匹、という言葉に、クリスの体は反射的にびくんと震えた。

 ユキオさん。

 じゃあ、いま爆炎に包まれて、火と煙とガソリンの匂いに交じって鼻をつく――この肉の臭いがユキオさんなの?

「ユキオさあん!!」とクリスは炎に向かって叫んだ。「ユキオさん!! なんで――なんでこんなこと!!」

 そんな彼女の体を、アヤノが押さえる。

「落ち着いてください。もう駆除は終わりましたから」

「駆除!?」

 とクリスは首を振る。「そんな――いきなり知り合いが獣人だなんて言われて! こんな酷い殺されかたをして、こんな気持ち、刑事さん分かるんですか!?」

 それに対して、アヤノはなにか言い返そうという表情を見せた、が、結局は黙ってクリスを車へと戻した。


 トーリは鞄からスニーカーを取り出した。

「カオルのコートを借りるとは思ってたが、流石に靴の用意はないと思ってな」

「うん、サンキュー」

 ラッカは冷めたコンクリートの上、白いスニーカーにいそいそと足を通した。

 その間に、今度はショーゴとイズナの車が到着する。

「ラッカ」

「うん?」

「――今回は本当にすまなかった。ちゃんと謝らせてほしい」

「えっ? なにが?」

「護衛対象の彼女の要求を鵜吞みにして、ラッカを任務から遠ざけてた。そのほうがラッカも余計なストレスがなくていいと勝手に思ってたんだ。戦闘時に頼りになるだろうからってな」

「うん――」

「実際には、ラッカと話をしていたらすぐに容疑者に辿り着けたよ。『オペラ座の怪人』を読んだのはいつ頃なんだ?」

「タツヒロの宿題で、たしか一ヶ月前に!」

 とラッカは笑った。「トーリ、もしかして読んだことないの? 本じゃなくても劇場版がいっぱいあるぜ?」

「ごめんな、実は映画は苦手なんだ。前に実地訓練で連れていったけどな。いろいろ考え込んじまうし――上映前に暗転するのも好きじゃないんだ」

「へ~え?」

 ラッカが不思議そうな顔で見てくる。

 トーリは、そこへ素直に頭を下げた。

「ラッカの頭脳と知識が捜査の時点で必要なことを想定できなかった。俺の落ち度だ。これじゃあ、ラッカの相棒として失格だな」

「えっえ――えっ!?」

 ラッカはアワアワとしている。

「い、いいよ別にそんな――もう終わったことだって! これからはちゃんと捜査に入れてくれりゃいいよ!」

 それを聞いて、トーリは頭を下げたまま首を動かし、ラッカを見つめる。

「許してくれるのか?」

「ゆ、許すって! 許すからもうその変なおじぎやめろ!!」


 その様子をショーゴとイズナが眺めていた。

「あいつ――」

 とショーゴは言った。「猟獣に対して変な情が湧いてなきゃいいんだがな」

「そうですね」

 とイズナは頷く。「私たちはただの道具です。オオカミのほうはそれをまだ分かっていないようですし、その班長のかたも少々甘いように見えます」

「まあ、そこはおれが釘を刺しとくよ。イズナはおれの指示どおりよくやってる。あまり気にするな」

「はい」

「ミミズを先に狩られたことを後ろめたく思うな。現場到着は時の運だよ。自分だったらどう戦れるのかをシミュレーションして、課題にすりゃそれでいい」

「承知しました。ショーゴさん」


  ※※※※


 そのころ。

 ユキオは、ただ、暗闇のなかで藻掻いていた。

 熱い、熱い、熱くて痛い、息ができない――!

 クソ、あのオオカミ女――ボクが彼女のことをなにも考えていないだって!?

 ふざけるな!

 ボクが人生で――人生で考えるべきことなんて、彼女のことだけだったのに!!

 ほんのちょっと強いくらいで、調子に乗りやがって――!!

 ユキオが、朦朧とした意識のなかで、新しい憎悪の対象を見つけた、

 そのときだった。


《ユキオさあん!!》

 そんな叫び声が聞こえた。

《ユキオさん!! なんで――なんでこんなこと!!》


 なんで――? なんで、こんなことを?

 ユキオの焼かれた脳髄は、もうその声が誰なのか、どうして自分に向かって必死に呼びかけてくるのか、思い出すことができなかった。

「なんで?」

 ユキオは最期の一瞬、そう思った。

「そうだよ、なんでボクは――こんなことをしたんだ? ボクはただ――彼女が幸せなら――彼女? えっと、誰だっけ、ともかく彼女が幸せなら――幸せならそれだけで、――っ」


 五味ユキオ、ミミズの獣人、群体型。脅威度B級。

 彼の思念は、永遠の空白に落ちてそのまま消えた。


  ※※※※


 2023年1月18日、年が明けてしばらくすると、ワイドショーはオペラ座の事件でもちきりになっていた。

《皆さんこんにちは、お昼のニュースなワイドショー、『午後のパレード』の時間ですよ!

 年末年始、皆さんいかがお過ごしでしたでしょーか?

 おせちもいいけどカレーもね!

 さてさて、今回はそんなめでたい季節に似合わない、重大な事件の風呂敷畳みと記者会見がありました。

 あのオペラ座の怪人、その連続凶悪事件がやっと終結しました! 日本警察の尽力により今回の獣人は見事駆除!

 今回の獣はなんとミミズ! オゲ! 気色悪い! そして、あの歌姫スウィーテさんのストーカーであることも調査によって判明したとのことですが、

 いやあ、なんか勘違いしたオタクの犯行ってことだったんですかね?》

 司会者の美織鉄郎が話を振ると、コメンテーター、犯罪心理学評論家の茂呂梨草が頷く。

《警視庁会見によると、彼は彼女と一度だけ、接触があったようです。恐らくそこで過度に想い入れ、昨今のバッシングを許せなかったんでしょう。獣人事件にありがちな激情型の犯罪というところですね》

《なるほど~!》

 美織はにこやかな笑顔を見せたあと、不意に、きりっとシリアスな表情を演じてみせた。

《しかしですね、この事件の重要な点は、全く、一切! そこではありません!!

 事件を解決したのは、なんと! 正規の猟獣訓練をほとんど受けていない獣人! オオカミ! そう――オオカミの女の子だったとのことです!》

 背後のモニタに、ラッカ=ローゼキの顔が映し出された。

《見てください、視聴者の皆さん! これがオオカミの獣人であるラッカ=ローゼキだそうです! ネットでは既に素顔が拡散され尽くしてあるようでして――既に、彼女がオオカミに変身する映像もございます。

 ――猟獣訓練をまともに受けていない獣人を、獣を、ケモノですよ? 警察捜査に使用している獣人捜査局、いったいなにを考えているのでしょうか!? 市民の安全を、なんだと思ってるんですかねえ!?

 ご覧ください!》


 VTR再生。

 それは警視庁獣人捜査局局長、渡久地ワカナによる記者会見だった。

『オオカミの獣人を捕縛し、独自に保有していたというのは本当なんですか!?』

「そうだ。ただし、独自ではない。しかるべき国家装置には全て筋を通している」

『こちらに話が通っていないじゃないですか!』

「その必要はない。君たちマスコミや市民運動家は獣狩りに役立つわけではないからな?」

『なんだぁその言い草は! おい!』

 記者の怒鳴り声に対して、渡久地ワカナは息を吐いた。

「獣を最もよく知るのは、獣を狩り、獣を使う現場の我々だということだ。その我々が安全と判断した。それに文句があるなら今からでもライフルを渡す。諸君の目と手と血肉で確かめればいい」

 彼女はマイク越しに静かに言う。

「口先だけの評論家も、お客様気分の活動家も、獣人捜査局の知ったことではない。諸君ら外野は、黙って見ているだけでいい――以上だ」

 それだけ言うと、ワカナは記者会見の席をあとにした。後ろから『なんだ手前ナメてんのかババア!!』『調子乗ってんじゃねえぞ狩人ども!!』と怒号が飛んでいる。


 つまり、

 もうラッカ=ローゼキの顔は、正体は、全国に知られてしまったわけだ。


  ※※※※


 同時刻。

 尾木ケンサクは街頭のスクリーンに流れているワイドショーを眺めながら、ギターケースを背負い直した。そこには、連日のように報道されている「オオカミの女の子」が映し出されている。

 ――ラッカ。

 彼はスマートフォンを取り出す。年が変わるか変わらないか、というタイミングで、彼女から連絡が届いていた。

『大晦日はごめん、急に仕事が入っちって。

 あと、いろいろ黙っててごめん。あんまり言うなって言われてたし、警察って引かれるのかな~って。

 休みが入ったら、ケンのライブ、また行っていい?

 じゃ』

 そんな内容のラインだった。

「なんだよ、それ」

 彼は、ぼそりと呟いた。

 ――仕事って、ラッカがやってることって「仕事」って言うのかよ。警察って言われて引くわけないだろ。ビックリするとしても、そこじゃねーよ。

 ――ライブに来ていいか、って、いいに決まってんだろ。

 文面を見るたび言葉が頭のなかで渦巻いて、だから、ケンサクは今でも上手に返事を出せなかった。

 歩き出す。

 なにか、通行人にチラシを配っている連中がいた。

 ――なんだ?

 気になって、近づく。集団の言っていることが聞こえた。

『獣人も人間です! 獣人差別をやめましょう! 猟獣制度撤廃とシルバーバレット反対に協力お願いします!』

 ――え?

 ケンサクが呆然としていると、リーダー格らしい女が駆け寄ってきた。

「もしかして、興味がおありですか!?」

 彼女の熱っぽい声色に導かれるまま、彼はチラシを受け取ろうとして、

 ――直前、我に返った。

「ねえよ!! 興味なんか!!」

 ケンサクはその場を去る。

 今まで遠い世界の出来事だと思っていた話が、急に、身近なものになった、なってしまったと、彼はそう思った。


  ※※※※


 同時刻。

 ラッカ=ローゼキは、警視庁獣人捜査局の定例会議に出席していた。第七班の班長である日岡トーリも同席している。

 部屋のいちばん奥に、いつもどおり渡久地ワカナ局長が座っている。

「ワカナ」と、第二班班長の志賀レヰナが不意に言った。金髪ロングヘアの女で、顔面の左半分には肉の抉れた傷跡が残っている。年齢は、44歳。

「テレビのアレは、なかなか笑えたよ。計算づくのパフォーマンスか?」

「まあな」

 とワカナは答えた。「警察一般に言えることだが、特に獣狩りである我々は、我々が守るべき市民にすら恐れられている必要がある。それが抑止力になり、治安を維持するからな」

 彼女は煙草の煙を吐いた。そして壁から壁を見回す。


 第七班班長、日岡トーリ。専属猟獣、ラッカ=ローゼキ。

 第六班班長、橋本ショーゴ。専属猟獣、イズナ=セト。

 第五班班長、笹山カズヒコ。専属猟獣、メロウ=バス。

 第四班班長、中村タカユキ。専属猟獣、サビィ=ギタ。

 第三班班長、藤田ダイスケ。専属猟獣、なし。

 第二班班長、志賀レヰナ。専属猟獣、クダン=ソノダ。

 第一班班長、渡船コウタロウ。専属猟獣、ゾーロ=ゾーロ=ドララム。

 そしてワカナの背後に立つのは、局長専属猟獣、ギボ=ジンゼズ。


 ワカナは全員を見ながら言った。

「ラッカの存在は世間の知るところとなった。改めて、彼女の猟獣運用の賛否を問う。反対派の中村、藤田、渡船――意見を言え」

 渡船コウタロウが、まず手を上げた。定年に近い、白髭をたくわえた老人。

「ここまで来たら、賛成に転じざるを得ないな」

 そう彼はしわがれた声で言った。

「もう世間は、オレらがロクな猟獣訓練なしにオオカミを使っていたと知っている。仮処分でした、一時の決定なので許してください、は通らないだろう。

 ならば全ツで行くしかあるまい――そこで塵屑どもに舐められたら警察の面子に関わる」

「なるほど?」

 ワカナは頷いた。

「他の二人はどうだ?」

 それに対して第四班班長、中村タカユキは首を振った。丸眼鏡をかけた、髪の短い痩せた男。年齢は34歳。

「すみません、ワカナ姐さん。俺は今でも反対です。オオカミのお嬢さんに落ち度はありませんが、この瞬間でもシルバーバレットで撃ち殺すべきだと思います。その意見に変わりはありません」

「なぜ?」

「オオカミのお嬢さん――ラッカ=ローゼキは、猟獣訓練の思想教育を受けていない。なのに人間への敵意を持たない。それどころか人を助けてる」

 彼はそこまで言うとラッカを見つめた。「お嬢さんも、それで間違いないかな」

「え? うん」

 ラッカはそう答えたあと、ちょっと分からなくなった。

「それがダメってこと?」

「残念だけど」

 タカユキは椅子に背を預けた。「『獣人は例外なく人間に対して強い攻撃性がある』。その原則があるからこそ、俺たちは面倒くさい手続きを排除して、凶悪な獣に弾き金を引くことができたんだ。

 そこに例外ができたらどうなる? 『良い獣人だっているかもしれない』なんて可能性こそが脅威なんだ」

 中村タカユキはワカナを睨みつけた。

「いちど揺らいだ善悪の線を引き直すのに何年かかると思ってるんですか? ラッカさんが人間の味方をやれる獣人だというなら、むしろ、快楽殺人を繰り返す獣人よりも優先的に排除するべきです」

 沈黙。

 会議室はそこで静まり返った、いや、静まり返ろうとしたのだが、


 第三班班長、藤田ダイスケが両手を上げた。禿げ上がった頭の小柄で太った男。年齢は56歳。

「もういい! 俺は知らん!」

 全員がダイスケのほうを見た。彼は言葉を続ける。

「トーリの小僧が連れてきた小娘は気に食わん。そもそも獣人は大嫌いだ。その感情でここまで勤め上げてきた。でもこの小娘が人を助けてきたのも事実、そういうことだろ?

 だったらもう、靴底すり減らして獣を殺すしか能のなかった俺には、なんにも分からん!


 ――ワカナさんが決めてくれ。棄権だ。それに従う。あんたの判断だったら間違ってても従えるし、悔いもない」


 彼がそう言うと、隣のレヰナが、ニヤリと笑った。

「ダイスケ、イイな。そりゃ全くもってイイ意見だ」

 彼女は立ち上がる。

「ワカナ、ここまでこじれたらオオカミを生かすか殺すか、お前が決めろ。こっちの意見はぜんぶ言ったからな、あとは上司の役割だ」

 それから鞄を持って「会議は終わりだろ? 帰る」とレヰナは退散した。

「今日は結婚記念日なんだよ。旦那の手料理が待ってるぜ」

 彼女がクダン=ソノダを連れて部屋を出たあと、ワカナはしばらく黙りこくっていた。

 それから、

「分かった。ここで正式な運用方針を決定しよう」

 と宣言した。

「ラッカ=ローゼキは――」


  ※※※※


 その日の夕方。

 歌姫のスウィーテ――岡部クリスは、サングラスをかけて帽子を被り、街を歩いていた。

 テレビへの出演は、まだほとんどキャンセルされたままだ。レコーディングの予定も入っていない。これからどうすればいいか分からなかった。

 世間から謂れのない汚名でバッシングされた、それよりも、過去の知人が獣人になって暴走したということが彼女をメディアから遠ざけていた。

 だから駅前をぶらついていた。

 ――これからどうすればいいんだろう。

 彼女が歩いていると、ふと、ギターの音が聞こえた。

 そちらのほうを振り返る。

 ひとりの男の子が、ギターを弾きながら歌を歌っていた。

 たぶん、20代くらいだ。黒髪のインナーだけをピンク色に染めていて耳はピアスの穴をバチバチに開けている。そんな男の子が、寒空の下で、ダッフルコートを身に纏って、歌を歌っていた。

 通行人は立ち止まらない。

 彼女はよく知っているのだが、それは、Oasisの『D’You Know What I Mean?』のカバーだった。

 ――良い声をしてる。きっと、誰かのことを想って歌ってるんだろうな――。

 クリスは彼の歌声の前で立ち止まった。どうやらアマチュアバンドをしているらしい、ギターケースに架けられた段ボール紙には、

「KEN」

 という名前が、油性ペンで書き殴られていた。

 岡部クリスと尾木ケンサクは、互いの名前も、それぞれが引きずっている獣人の事情も知らないまま、ただ、駅の前で顔を合わせていた。

 クリスは彼の懸命な歌を聴く。聴くうちに、自分がノイズまみれの歌をネットにアップした、そうしてユキオさんに手を差しのべられた、8年前のことを思い出していた。

 ――私も、実は忘れていたのかもしれない。こういうひたむきさを。

 そして、メモ帳にメッセージを書いて、千円札といっしょにギターケースのなかに入れたあと、その場を去った。

 後ろから「お姉さん! ありがとうございます!」という青年の声が聞こえる。きっと彼女の正体には気づいていない。


 クリスの書いた言葉は、こんな内容だった。

『諦めないで、いちから頑張ってみます。

 あなたもきっと、これからも頑張ってください。

 ――スウィーテより』


  ※※※※


 そして2023年1月19日、新しい事件が起きた。


  ※※※※


 静岡県、東名高速道路。

 一台の大型トラックが、東京に向かって走っていた。運転手は一人だけ。

そしてその荷台には、三人の獣人が拘束されていた。手足を縛られて、頭にズタ袋を被せられ、全員、特殊な首輪をはめられている。

 その首輪は「シルバーリング」と呼ばれていた。無理やり外そうとしたり、飼い主がボタンを押したりすれば、即座にリングの内側に込められたシルバーバレットが射出し、獣人の命を奪う。

 ――もちろんシルバーバレットは獣人捜査局にしか所持を許可されていない。つまり、これは非合法の拘束具である。

 一人の男――矢作が悦に入りながら三人の獣人を見下ろし、リモコンのボタンを親指の腹で撫でていた。

「おい、くっせえケモノども」と矢作が言った。「これから売買会場に着くまで大人しくしてろよ。人権のねえ獣は高く売れんだから――未成年の、特にメスの獣人はなあ」

 ズタ袋を被せられた三人の獣人は、それぞれ「ひぃ」とか「いやぁ」といった間抜けな悲鳴を上げる。三人とも子供。しかもそのうちの一人は女だった。

「観賞用で買う上品な連中に売れたらいいな」と矢作は言った。「愛玩用はまだマシか? なかにはイカれた客もいるからよお。ほら、お前ら再生能力があってなかなか死なねえからなあ! サディストの金持ちにとっちゃ最高のオモチャだぜ!」

 矢作は歯を見せて笑う。

 普通なら人間よりも遥かに強力な獣人、それを首輪ひとつで脅して優位に立っているのが気持ちいい。

 ――こいつらガキの獣を売り捌いたら、そのカネで、ガタが来てる統和教会に恩を押しつけてやる。そうすりゃ、こんな俺でも宮本組の幹部候補よ! こちとら家には女も赤ん坊もいるんだ、せいぜい獣で稼がせてもらうぜ。

 と、彼が思ったときのことである。


 バン。

 と、トラックの屋根になにかが乗った。そういう音がした。

「あ――? なんだ――?」

 矢作が訝しんでいると、不意に、べりべりべりべりっ――と、トラックのステンレスの屋根がティッシュペーパーを丸めるかのように剝がされていった。

「はああ!?」

 矢作の叫びと同時に、そんな屋根から一人の男が降りてくる。

 着地。

 プロレスラーのように盛り上がった筋肉。巨体。緑色に染められた短い髪と、この季節に似合わない黒のタンクトップと、短パン姿。

「ふう」と、そいつは言った。「先に名乗りを上げたほうがいいかい? ニンゲンのオスザル」

「あ?」

「オレの名前はハバ=カイマン。ワニの獣人。このトラックに囚われている獣の同胞を助けに来た」

 ハバはそう言うと、にっかりと笑った。「とりあえずお前を殺したあとは運転手のほうも殺そう」

「っ――!」

 ハバの名乗りを聞いた直後、矢作は懐からピストル――マカロフPMを取り出した。

「てめえ!」と矢作は怒鳴る。「イイ度胸しやがっておい! ドタマ撃ち抜いたらしばらく動けねえだろ! その間に――テメエにも首輪つけっぞコラァ!!」

「ほう」とハバはさらに笑う。「イキの良いヒトザルは好きだぜ? ブチ殺し甲斐があるからな!」

 そして、

 男が発砲する直前にハバは首筋をそらし、弾丸を回避。男が次にトリガーを引く前に接近。その拳銃を握った。

「うっ――あ?」

 おかしい、と、矢作は思った。

 どれだけトリガーを引いても、銃が作動しない。いつの間にか安全装置を固定されてしまっている。

「オレはな」

 とハバは言った。「錠前型の獣人だ。オレは『閉じている』全てのものを『開ける』ことができる。そして、オレが『閉じた』ものはオレにしか『開けられない』」

 それからニヤリと笑った。

「どうしたぁ、ヒトザル? 安全装置が『開かない』のか――?」

 次の瞬間。

 ボン、と、音を立てながら、ハバは矢作の下顎に掌底を当てた。

「ぐ――あ」

 矢作は血を吐きながらその場に倒れる。それを見たハバは、

「これで口も『閉じた』。もうオレの許可なく開かねえぜ?」

 そう言うと、今度は矢作の鼻の穴を軽くつまんだ。つまり、呼吸口を全て『閉じた』。

「窒息で死ね、ヒトザル」

「む、むーー!? むーーーー!!!!」

 矢作はジタバタと暴れながら、その場でのたうち回った。両足を揺らしながら、両手で、その爪で、自分の喉元を何度も搔きむしる。

 もちろん、呼吸などできない。

 やがて矢作は、ゆるやかに死んでいった。

「ハッハッハッハッ――!」

 ハバは笑うと、ズタ袋を被せられている三人の獣人、その首輪に対し指を鳴らす。

 ピッ、という電子音とともに、シルバーリングは彼らの体から外れて床に落ちた。手足のロープも解ける。

「オレが『開けた』。お前らは自由だ。オレについてこい!!」

 そう言うと、ハバは矢作の死体からマカロフPMを奪い取り、荷台の窓から見える運転手の後頭部を撃ち抜く。

 窓に穴が開き、運転手の頭蓋骨を貫通する。

 ハンドル制御を失ったトラックは暴走状態になり、高速道路の壁を破って林に落ちていった。横転。

「ワァーハッハッハ!!!」


 五分後。

 ワニの獣人、ハバ=カイマンは三人の獣人を連れてトラックの外に出た。無人の林だ。

「これから始まるぞ。獣が下等種族のヒトザルを蹂躙できる理想の社会だ!

 オレたち上等種は、好きなときにニンゲンを殺し、食い、気ままに犯す! そういう獣の国で、この腐ったニンゲンの社会を塗り潰す! クロネコ様のもとでなァ!」

 彼は大声でそう宣言した。

 その右手の甲には、黒獅子模様の刺青が彫られている。

「クク、ク――。

 そういやあ、クロネコ様の言うとおり、あのミミズは良い仕事をしてくれたなあ。

 最高だ! 強かったなあ、アイツはよ!」

 ハバ=カイマンは子供の獣人とともにその場を去りながら、大声で笑った。


「オオカミ! テメエはもう丸裸だ!! さあ――次はどうする!?」

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