第6話 VS劇場霊 後編その2


  ※※※※


 7年前。激務の果てに体を壊した五味ユキオが最初の会社を辞めたのは、彼が31歳のことである。

 履歴書に1年以上の空白期間が生まれる。それは彼にとって死以上の恐怖だった。この世のどこにも誰にも自分が必要とされなくなる。それが怖かった。

 実家に帰ることも考えたが、両親は既に離婚していた。DVと虐待で自分たちを痛めつけた母親はもちろん、それをずっと見逃してきた父親にも、頼る気にはなれなかった。

 だから、体も心も治りきらないうちに復職をして、最初よりも酷くなってまた会社を辞めた。このとき、33歳。

 ――音楽で繋がっていた友達や仲間たちは、ほぼ全員、ユキオとは縁遠い存在になっていた。彼らは音楽業界になんとか食らいついた少数の秀才を除けば、とっくに結婚を済ませて両親を安心させて、大切な子供たちのために働き続けている。

 連絡は来ない。こちらから送る勇気も、言葉もなかった。

 そうしてユキオが体を治して、社会に戻った頃は、もうIT系人材派遣会社の契約社員になって、自分よりも年下の正社員に顎で使われるしか生きる道がなくなっていた。

 死にたくならなかったかと言えば、嘘になる。

 それでも、ユキオにはひとつだけ救いになる記憶があった。

 ――岡部クリス。

 のちの歌姫の、スウィーテとの思い出である。

 

 彼女は15歳の頃、ひどい音質のままでネット上に歌声をアップし、誰の注目も集めていなかった。

 当時のユキオは「もったいないよ」とコメントした。「こんなに綺麗な歌声は、しかるべき環境で録音されて披露されるべきだ」

 それに対して、返信が来た。

『ごめんなさい。親に内緒でやってるから、ろくになんの設備も、知識もないんです――両親は、私が音楽をやることには反対ですし、喧嘩ばっかりなので』

 その言葉は、家庭にいい思い出のないユキオの心を揺さぶった。

「お金がないの? じゃあ買ってあげるよ。

 機械の操作だって分からないなら教える。

 ――いまのキミの状況って、宝くじの一等賞が当たってるのに換金所が分からないって言ってるようなもんだよ」

 それから、岡部クリス――スウィーテと、五味ユキオの交流は始まった。

 会話は楽しかった。年齢が遠く離れているはずの二人は、意外にも音楽の趣味は似通っていた。当然の話だが、ロックを知らない同世代よりも、知っている年の差のほうが魂の場所は近いのだ。

 そして同人CDの即売会で顔を合わせた。

 ネットと違ってオドオドとしているユキオの姿を見て、クリスは楽しそうに笑った。

「色んなこと知ってて、怖い人だと思ってました。ユキオさんのこと。けっこう可愛いんですね?」

「あ――はは」


 そんな記憶だ。ただそれだけだ。ユキオは音楽の道を諦めて社会で摩耗していくなか、そんな記憶だけを頼りに生きてきたのだ。

 連絡が途絶えたあとも、彼女が音楽番組に出演したら、必ず視聴した。ネットラジオも聴いた。いつの間にかCDやグッズでユキオの部屋は満たされていた。

 ――彼女は成功して、幸せになるんだ。きっと、素敵な男性とも巡り合えて幸福な家庭を築くだろう。それがいい。彼女が幸せなら、もうそれでいい。

 そんなユキオの、一本の藁を踏みにじったのがニンゲンどもだった。


 彼女がスキャンダルに晒されたとき、最初はなにかの冗談だと思い、必死で擁護コメントを書いた。

 罵倒された。

 今まで彼女を褒め称えていた世間が、手のひらを反して、彼女を――ユキオのただひとつの生きがいを笑いながら穢していった。グッズを割り、燃やし、踏みにじる配信者さえ現れた。

 涙が零れ落ちたと思った、が、実際には違った。

 机に、一匹のミミズが落ちていた。

「え――?」

 慌てて洗面台の前に立つ。鏡に映るのは、両眼からミミズをボタボタと垂れ流している自分の姿だった。

 ――五味ユキオがあらゆる人間を呪って、後天性の獣人になった瞬間である。

「な、なんだ、これ――」

 少し混乱したあと、ユキオは、

「ああああああああ!!!!」

 と鏡に額をぶつけた。鏡面が割れる。額から血が流れる。その血にもミミズが交じっている。

「あ、はは、あああ――ああああ――!!」

 ユキオは泣きじゃくりながら、もう、自分は人として終わったのだと悟った。

 ――だから、そうだ、仮面を被ろう。

 電動ドリルで、忌々しいニンゲンどもの目と耳と喉を、砕き尽くそう。

 ボクは人間じゃない。

 歌姫のためだけに生きる獣人、オペラ座の怪人なんだ。


  ※※※※


 そして、現在。

 オペラ座の怪人の――五味ユキオのアイスホッケーマスクはラッカによって完全に破壊された。

 その素顔は、ただのどこにでもいる、頬のこけた中年男性のそれだった。

「フーッ! フーッ!」

「てめえを、ブッ飛ばす! 人殺し配信は終わりだ!!」

 ラッカはさらに拳を振るう。

 左の拳がユキオのこめかみを打ちつける。右の拳がユキオの頬を抉る。

「ぐっ――うう」

 ユキオはうめく。だが、決定打には至っていない。そのことをラッカも悟った。

 彼が殺気を取り戻し、「うああああ!!」と叫びながら腕を振り回す、と、ラッカはそれをガードしながら後退。びりびりと両腕が痺れる。

 ――いってえ~~! 折れるかと思った!

 獣人同士、人間体ベースの格闘戦では個体差よりも男女差のほうが大きい。ラッカの正拳が二発正しく当たるよりも、ユキオの拳が一発かするほうがダメージが入る。

「オオカミ――すばしっこいが、技は軽い、な。これなら数発食らっても、急所でなければ問題はなさそうだ」

「ま、こんくらいの力量差は想定の範囲内だな」

「ほざけぇ!!」

 ユキオが突進してくる、それをラッカは躱し、すぐに体勢を立て直してストレートパンチを送る。ユキオは咄嗟にガード。

 が。

「ぐうっ!?」

 ユキオはうめいた。

 ――ラッカは拳を当てる前に、再び部分獣化。手の甲から刃を伸ばしていた。

「誰がただのパンチって言ったんだよ、ミミズ!!」

 その刃は、ぐっと、ユキオの腕に食い込んで肉を削ぎ切ろうとしていた。

「オラァ!!!!」

 ラッカはその場でジャンプし、回転する。

 彼女の手の甲から伸びた刃がユキオの腕と胴体を切り裂き、床に倒した瞬間であった。


  ※※


 ラッカは再び刃を仕舞いながら、ユキオの体を見つめる。左腕と右腕の両方が千切れて、胴体は切断されている。つまり、再生には相当時間がかかるはずだ。

「まずは、えーと、配信を止めとかないと」

 ラッカはパソコンの前に立った。そして、そこで初めて気づいた。

 コメント欄が湧いている。


『すげえ! 猟獣が戦ってるの初めて見たわ!』

『これ警視庁のヤラセじゃねえの?』

『要するに女の子のほうは味方――ってこと?』

『名前言ってー! 名前! マジでヒーローじゃん!』

『いや、地下SNSじゃ前から話題だったんだって!』

『オオカミだっけ? ね、オオカミなんだよねえ!?』


「え――なにこれ?」

 ラッカは思わずそう言った。

「私は」と彼女は宣言する。「警視庁獣人捜査局員、第七班専属猟獣、ラッカ=ローゼキだよ。なんか文句あっか」

 それに対して、さらにコメントが湧いた。


『Fooo~! ラッカちゃんだって!』

『顔よくね? 正直タイプだわ』

『ケモノのくせに人間に敬語を使わないって、そういう生意気キャラで売ってる感じなんすか?』

『人間の味方してくれるんなら、獣人だって全然偏見ないって私たち!』

『オオカミちゃん! 東京の治安を守ってくれる美少女オオカミちゃん最高~!!』

『さっさと後ろのキモいヤツ殺してってマジでえ!』


 なんだろう。なんだろう、この、すごく不思議で嫌な感じ――。

 ラッカがそう思ったときだった。


 ざくり、と。

 彼女の背中を包丁が刺していた。

「え、あ、があ――!?」

 ラッカは血を吐きながら、その場にうずくまり、咄嗟に振り返る。

 なんだ? なにが起きてんだ、これって――。

 目の前に、腕がある。

 さっき、自分が切り落とした五味ユキオの腕。それが包丁を握って、床をビタビタと跳ねていた。

「ああ――?」

 彼女は異状に気づく。

 腕の切断面から出血がない。代わりにびっしりと、無数のミミズが蠢いている。その腕がビタビタと跳ねながらユキオの本体に戻り――すぐにくっついた。

「フーッ!!」

 彼は――オペラ座の怪人は、とっくに上半身と下半身もくっついていた。

 再生速度が速い、というわけではない。もともと傷ついていなかったのだ。

 彼は立ち上がる。

「ボクはミミズ――群体型の獣人」とユキオは言った。「ボクの体は無数のミミズだ。全てがボク自身で、いつでもボクの元に戻れる」

 そして、彼は電動ドリルを手に取った。

「油断したな、オオカミ女――今から、く、腐ったお前の脳ミソを――穴を空けて手術してやる!」


  ※※※※


《私は警視庁獣人捜査局員、第七班専属猟獣、ラッカ=ローゼキだよ。なんか文句あっか》

 ラッカがそう言っているのを、北品川のアパート、PCのモニタ越し、尾木ケンサクはただ眺めることしかできなかった。

「え、あ、ああ――?」

 喉から漏れていく声は、意味をつくってくれない。

 ――なんで? なんでラッカが動画の向こうでクソ獣人と戦ってんだよ?

 ケンサクが戸惑い続けるなか、ラッカは油断した隙に背中を刺され、血を吐きながらうずくまった。一方で、オペラ座の怪人は意気揚々と立ち上がると、部屋の電動ドリルを手にしてスイッチをオンにする。

 

 ――ヴィィィィィィィィンン。


「やめろよ――!」とケンサクは叫んだ。「やめろ! おい、やめろ! 避けてくれ、ラッカ――!!」

 怪人がドリルを振り下ろす、その前に、ラッカは咄嗟に回避したらしい、のだが、

《がああああ!!》

 という悲鳴が聞こえた。血が飛び散る。

 回転するドリルが彼女のふくらはぎを抉ってしまったらしい。

 もう彼女に素早い回避は望めなかった。

 ベッドに退避したまま痛みをこらえて横たわるラッカに、怪人は馬乗りになる。右手には電動ドリル。スイッチはオン。


 ――ヴィィィィィィィィンン。


《ふーっ、ふーっ》

 怪人の荒い息がモニタ越しに聞こえた。

《もう逃げ回るな。終わりにしてやる――オオカミ!!》

 そして怪人は、ラッカの頭蓋骨、前頭葉に目がけて真っ直ぐにドリルを振り下ろした。

 ラッカはその直前に、両腕で彼の右腕を掴み、そのドリルを止めた。

《うう、う、くたばれオオカミ女ァ――!!》

《誰がテメエに殺られるか、ミミズ野郎!!》

 ラッカの額の3センチ手前でドリルが回転し続けている。

 だが、ラッカが彼を抑える両腕の力よりも、怪人がラッカを抑え込む片腕の力のほうがわずかに強かった。

 ドリルは、3センチ手前の位置から、次第に2.5センチ、2センチ、1.5センチ、1センチ、そして0.5センチメートルの距離まで彼女の額に近づいてきていた。

《うあああ、あああ!!》

 ラッカは吠えた。直後に、怪我がないほうの足で怪人の肉体を蹴り上げる。

《ぐっ!?》

 その隙を利用して、彼のドリルを横方向にずらした――押し返すよりも左右にどけるほうが筋力は少なくて済む。

 だから、ドリルはラッカの頭蓋骨ではなく、左肩にそのまま突き刺さった。


 ――ガリガリガリガリブチブチブチブチ。


《い――いっってぇ~~なぁもお!!!!》

 ラッカは怒鳴りながら、怪人の顎に右肘をくらわせ、脳震盪を狙った。そして彼がよろめくのを見て、さらに顔面を蹴り上げた。

 怪人の腕から電動ドリルが離れて、彼は壁に背を預ける。ラッカは歯を食いしばって床に立ち上がりながら、そのドリルを掴んで肩から引き抜いた。

 彼女の肩から、血と、微塵切りになった肉片が飛び散る。

 怪人も立った。

《はぁ、はぁ、はぁ、オオカミ――!!》

《どうした、ミミズ? 第二ラウンドはこっからだろ!!》

 そうしてラッカは電動ドリルを窓の外に放り捨てて、ファイティングポーズを取った。

 そして二人は、それぞれに深手を負いながら近寄り、命のままに殴り合う。

 再生能力が追いつかない間、ラッカは片足がまともに動かないし、ドリルで削られた左肩から先もバカになっている。

 ミミズのほうも、脳が揺れてマトモな判断ができない。強烈な吐き気とともに、彼女の攻撃に対応する必要があった。

 そんな状態で、二匹のケモノは血を吐きながら殺し合った。

《ミミズ、めっちゃ強え~!! クソッ死ねっ死ねっ死ねっ》

《お前が死ねっ、オオカミ!! 消えろ、消えろ消えろ!!》

 そんな二人のバリートゥードは、何分にも渡って、全世界のインターネットを伝って動画配信サイトから垂れ流されていた。

 そして、そんな動画の様子を、尾木ケンサクだけが震えながら眺めていた。彼だけじゃない。ベースも、他のメンバーたちも見ていた。

「なんだよ、これ」と彼は呟いた。「おかしいだろ。どうなってんだよ!」

 そうして、彼は思い出す。ラッカとストリートで出会ってから今まで見てきた、彼女の表情と声。


 ――こんなにキレイな歌声なのに、なんで誰も立ち止まらないんだ? ニンゲンって、みんな忙しいのかな?

 ――ケンサクの歌も同じくらい綺麗だった。だから同じステージに立てると思う。なんで無理って決めつけんだよ。

 ――待ってなかったらここいないじゃん。


 白い髪を後ろでまとめた男勝りな顔立ちの彼女を、俺は綺麗だと思った。人として好きだと思った。つまり、女の子として好きになっていた。

 ――ケンサクが音楽でやりたいこと、分かった気がする。

 そう言ってくれたのが涙が出るくらい嬉しかった。

 なのに。

「なんだよ」

 ケンサクは、拳を振るうラッカのことも、湧いているコメント欄も分からなかった。

「なんで! なんで、ラッカが戦って傷つかなくちゃいけないんだよ!!」


  ※※※※


 ラッカは、口のなかにたまった血を「ぺっ」と吐いた。少しずつ手足は再生してきているが、まだ体は思いどおりには動かない。

 一方のユキオは、獣人としての固有の特質のおかげだろう、今となっては息を荒げている以外にほとんどダメージがなかった。

 ――どうすれば勝てる? 牙や爪で切り裂いたって、こいつは群体型って言ってた。すぐに再生する。いや、再生するよりも最悪なのは、こいつが無数のミミズに分裂してここから逃げ出すことだろ。

 だから、言葉を繋いで時間を稼ぎながら作戦を考える。

「お前」とラッカは言った。「なんでこんなことしたんだよ」

「あ?」とユキオは言った。「動画で言ったとおりだ。ボクはスウィーテの――彼女のためだけに」

「お前の!」

 ラッカは怒鳴った。

「お前の大好きな歌姫は、こんな騒ぎを起こされて喜ぶ女なのか!? テメエがやったことのせいで、もっとテレビから遠ざかって歌えなくなるって、なんで分かんないんだ!!」

「だ、黙れ――」

「答えろ! スウィーテは人が死んで喜ぶ女なのか、答えろよ!!」

 ユキオは自分のこめかみを押さえた。

「う、うるさく吠えるオオカミだな――いちいち」

「答えろ! せめて答えろよお!」

「黙れ」

「お前、お前、人生で大事なのがスウィーテだけだって言ったよな! そんなに大事なら、ちゃんと頭使って考えて、本当にそいつのためになること、なんで思いつかねえんだ!!」


 ブチッ。


 と、ユキオのキレる音がした――ように聞こえた。

「もういい、とっとと死ね――クソガキ!! 減らず口を叩けないように、殺してやる」

「やれるもんならやってみろ!」

 とラッカは叫ぶ。

「私は、私はお前には負けない! たしかに私はガキだけど――まだガキだけど――お前みたいに大事なモンを見失ったり、絶対しねえぞ!!」


 直後。

 半径1メートルの太さ、そして、全長20メートルの長さになったミミズが、泉岳寺のアパート4階、その窓を突き抜けて宙を舞っていた。

《ギイイ――イイイイ!!!!》

 そしてそのミミズに首を絞められながら、同時にミミズの体に爪を立てているのは、身長2メートルの、白銀の狼であった。

《ウウウ――ウウウウ!!!!》

 オオカミは唸りながら前足を振り下ろし、その鋭い爪で、ミミズの胴体を一刀両断する。速い。群体に分かれての回避は間に合わない。

《ウオオ――オオオオ!!!!》

 血しぶきに毛皮を汚しながら、オオカミは月夜に遠吠えした。

 ミミズは《オオカミィ――!!》とうめく。

《それが、それがお前の本当の力か、あ!?》

《そうだ――!》

 と、オオカミは夜闇のなか睨んだ。

《ミミズ、お前がどれだけ切り裂いても狩れないってんなら、こっちにも考えがある!!》

 オオカミはそのまま、ミミズを押さえつけてアパートの空中から落ちていき、駐車場に彼を叩きつけた。ミミズの動きが、痛みのためにしばらく停止する。

 駐車場。つまり、車がたくさんある。

 着地したオオカミは、獣人らしい二足歩行のバックステップ。駐車場にあるプリウス車のリアバンパーを掴むと、そのままミミズに向けて投げつけた。

《こういうことだ!!》

 そうラッカが叫ぶ前に、ミミズの悲鳴が上がる。

 彼は車に押しつぶされる。

 そうして、投げつけられた車は完全にひっくり返ると、トクトクとガソリンを地面に垂れ流していた。

 ガソリンがミミズの体に流れ、染まっていった。


 ラッカは数秒かけて人間体に戻り、裸のまま、周囲を見渡した。自分をここまで運んできてくれた河野タイヨウが待機している。

「鉄砲くれ!!」

 そう彼女が怒鳴ると、タイヨウは迅速にMP5を投げて寄越してくれた。ラッカは空中で受け取り、マガジンをリロードする。

「てめえがミミズの内臓爆弾だってんなら――」

 ラッカは照準を合わせ、車のハラワタ、急所に向かって銃を乱射した。

「こっちはガソリン仕様のプリウスミサイルだ!! 核ごと燃えて消え失せろ!!!!」


 大爆発。


  ※※※※


 歌姫スウィーテ――岡部クリスは、田島アヤノの運転する車、その助手席に座っていた。後部座席には仲原ミサキと日岡トーリが腰を下ろしている。

 車が走り続ける間も、クリスはタブレット越しに動画を眺めていた。警視庁獣人捜査局側の獣人であるラッカ=ローゼキと、オペラ座の怪人が戦う様子。

 その顔を見て、やっと、クリスは諦めるように確信できた。

 ――ここ数日、東京を騒がせていたオペラ座の怪人の正体、それはユキオさんだった。アイスホッケーマスクが破壊され、素顔が見えた時点でやっと認められた。8年前、私と会ったときよりもずっと頬がこけて、痩せて、老け込んでいるものの、間違えようはない。

 だって、あなたに感謝しなかった日はないんだもの。

 ――有名人になると肩書ばかりが増える。だから、その肩書に群がってくる人と、そうではない、真心で接してくれる人との区別は難しかった。

 クリスはずっと、こう思ってきた。

「じゃあ、ユキオさんみたいな人のことは信頼しよう。

 あの、どうしようもないノイズまみれの音源を聴いて、それでも無償で手を差しのべてくれた人。ユキオさん。ユキオさんみたいな人が相手なら、芸能界でだって、信じていける」

 ずっとそんな風に彼女は彼の厚意を覚えていた。

 そして。

 いま動画に映っている五味ユキオは、同一人物だとは分かっているのに、全くの別人に見えた。平気で人を傷つけて、殺して、脅す、最悪の犯罪者。

「ユキオさん――なんで――?」

 クリスが涙を零すと、トーリが口を開いた。

「タツヒロから追加報告が来た。五味ユキオは君と出会ったあとだが、体と心を壊して社会からドロップアウトしている。酷薄な企業にずっといたんだろう」

 彼は淡々と言った。

「そのあとの社会復帰も、失敗してたらしい。SNSを検索したらパワーハラスメントを仄めかす新卒女性社員の投稿があった。実家も離婚で崩壊してる。彼をヒトの形に保っていたのは、君との記憶だけだったんだよ」

 トーリは下を向く。

「君の音楽が、彼の心をずっと守ってたんだ」

 だから、自分を責めないでほしい、君の歌は、ずっと誰かを助けていたんだ――トーリはそう言いたげな雰囲気だった。

 そのとき。


 ――ぼん。


 と間抜けな音を立てて、車の進行方向上に火の手が上がる。

 ただの火災とは違った。ガソリン引火に特有の、超高速かつ効果力な爆発。小規模なバズーカ砲を優に上回る。

「うおお!?」と声を上げ、アヤノがハンドルを切る。「なんかラッカちゃんヤバいことやってますかね!?」

「いや、理にかなってるよ」

 とトーリは言った。

「え?」

「相手のミミズは群体型だ。だから内臓爆弾をつくれるし、刃物で切られてもすぐに接合できる。その場合、獣人核は体内を移動し続け、どこにあるか分からない。シルバーバレットで撃っても傷んだ箇所だけ放棄できるならば、方法はひとつだ」

 トーリは窓の外、その爆炎を見上げる。

「高出力の炎で、再生が追いつかないように全て焼いてしまうことだ。原始的だが――現在でも旧ソ連圏は同じ方法を採用しているらしい。その程度は合理的だ」

 それに対して、クリスは、

「そんな――!」

 と声を震わせた。

「じゃあ、じゃあユキオさんは爆発のなかで、ロクに息もできずに肺を焼かれて死ぬっていうんですか!?」

 彼女の訴えに、ミサキが目を開けた。

「クリスさん。

 五味ユキオは既に三日間で十三人の人間を殺害してる。内臓爆弾を仕込まれた数十人の後遺症も予想できない。

 それがどういう意味か分かってる?」

 ミサキは腕を組んだ。

「もうミミズは――オペラ座の怪人は貴女の知ってる五味ユキオさんじゃない。人類が駆除すべき、外敵。有害な獣になったんだよ」


 車は泉岳寺の現場、駐車場前に停まった。爆炎はまだ続いている。クリスは急いで車を降りた。

そこには佐藤カオルと、河野タイヨウ、二人の獣人捜査局員が立っていた。二人は各々の銃器を手にして、ガソリン火災から逃れようとする小粒のミミズを一匹ずつシルバーバレットで駆除している。

 そして、その間に、白髪を後ろ手でひとつにまとめた女の子が立っていた。裸の上にコートを羽織って裸足だ。

 彼女が振り向いた。

 このとき、クリスは初めて獣人と――本物の獣と出会った。

 ラッカ=ローゼキは、返り血をべっとりと浴びた顔のまま、彼女と、そして、トーリたちを見ていた。

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