第5話 VS劇場霊 前編その3


  ※※※※


 12月30日(金)

 夕方。ラッカは再び外出許可を取り、バイクを走らせて北品川のライブハウス前に停まった。向かい側にあるブックカフェ横の駐車場に駐車し、コートのポケットに手を突っ込んで地下への階段を降りる。

 年末、アマチュアアーティストたちの忘年会を兼ねたライブがあった。そしてそこで、友人の尾木ケンサクがバンド仲間といっしょに演奏するらしい。

 ラッカはもともと買っていたチケットを受付に手渡し、ハコのなかに入る。

 ケンサクは振り返ると、

「おう! ラッカ!」

 と笑った。仲間たちが「大学ん友達?」と彼に訊いている。

「ちげーよ。ラッカはもう働いてるから」

「じゃ、バ先ん後輩?」

「そういうんでもなくてさ――」

 ケンサクが答えに窮しているみたいで、ラッカは前に出る。

「路上でギター聴いたんだ。良いと思ったから来たんだよ」

 そう答えた。

 仲間たちはポカンとして、それから、ゆっくりとケンサクのほうを見つめる。「え――じゃあお前のファンじゃん」

 次第に、すげえ、純粋に音楽で来てくれてんじゃん、やべえ、という声が大きくなった。ケンサクは顔を赤くして、

「今ラッカのことはいいだろ!」と手を振った。「それよか他ん人らの演奏見て勉強して、今回もちゃんとしたヤツやんぞ!」

 そんな風に慌てているケンサクのことが面白くて、ラッカは笑う。


  ※※


 ドリンクはオレンジジュースにした。ハコの後ろの壁に背中を預けながらストローを咥えて爆音に身を任せる。

 ――ときどきアヤノが車で流すのを聴いたけど、これは、それとも違う。

 アンプから流れる音が直接的に空間を揺らして、体に響く。まるで森のなかをつんざくケモノの鳴き声みたいだ。動物は、縄張りを主張し、ツガイと仲間を探すために鳴く。

 ニンゲンのギターも、もしかしたら同じなんだ。

 ――俺たちはここにいる。俺たちについてこい。

 そういう叫び声を、ニンゲンはもしかしたら音楽にしているのかもしれない、と、ラッカは思った。

 ハウスライトの下で、そんな風にケンは弦を弾き、歌っていた。


  ※※


 ケンサクはステージから舞台袖に戻り、少しするとラッカのもとに帰ってきた。

「どうだった!? オレら!」

「すごかった」とラッカは言った。「なんか――ケンサクが音楽でやりたいこと、分かった気がする」

「え、お、おう!」

 ケンサクは髪をぼさぼさとかく。

「あのさ――このあとの打ち上げ、参加するだろ?」

「いいの? でも、バイクで来たんだよね――」

「いいよいいよ、オーナーとは顔見知りだし、駐車場のほうも融通はきくだろ。忘年会だしな! ラッカも仕事してて色々あるんだったら、パッと忘れちまおうぜ?」

「んー」

 ラッカは少し考えたあと、

「――そうだな。うん。ケンと皆と飲もう!」

 と言った。


 飲み会はライブハウスで一次会、そのあとファミレスで二次会を開き、バンドメンバーはケンサクのアパートで三次会をすることになった。

 ラッカはミサキに電話を入れた。「今日は女子寮帰れない。外で泊まるよ」

「分かった」とミサキは言った。「緊急連絡はすぐ繋がるようにしておいて」

「うん」

「なんの用事かは聞かないけど、念のため。問題行動は起こしてないよね?」

「大丈夫だよ。大丈夫。単独行動パトロールです」

「ラッカには悪気がないのは理解してる。でもね、猟獣でここまで自由行動したがる子ってそういなかったから。次の会議で色々訊かれても、ちゃんと答えられるようにね」

「――うん」

 電話が切れた。

「なんだよもう」とラッカは小声で愚痴った。「ニンゲンだって友達と遊ぶだろ。ケモノは遊んじゃ駄目なのかよ――どうせ捜査から外したくせに」

 ぶーぶー。

 すると、前を歩いていたケンサクが振り返った。「どうした? ラッカ。なんかあったのか?」

「――んーん、なんもない」

 ラッカは、にっかりと笑顔をつくった。

「ケンの家ってどんな感じなのかなあ。やっぱギターいっぱいあんの?」


 そんなラッカの微笑みにケンサクが見とれていると、隣のベースが彼の肩を掴んできた。

「てかラッカちゃん、マジで可愛いじゃん。ラッカちゃんは音楽やんないの? やったら絶対ウケるだろ」

 おま、バカ――! とケンサクが焦っていると、

 ラッカは「やんないと思う」と答えた。

「なんで?」

「音楽の授業、まだ受けたことないから。リコーダーも吹けないんだよね」

「――だはははは! なにそれ! ラッカちゃんすげえ面白い冗談言うじゃん!」

 ベースは腹を抱えていた。

 ケンサクのほうといえば、ラッカの言葉が実はウソじゃないように聞こえて、少しだけ寂しかった。

 ――そういやオレ、ラッカのことなんにも知らねえな。


  ※※※※


 ケンサクのアパートに行く途中、コンビニでさらに酒を買い、玄関の鍵を開けてなかに入る。メンバーたち(ベースとドラムとサイドギター)がそれぞれの場所に座って、缶のプルタブを開けた。

 ケンサクはテーブルの前に座る。隣に座布団を出されたので、ラッカはなんとなくそこに腰を下ろした。

「おいおい」とベースが笑った。「ケン、お前ばっかズルいぜ、ラッカちゃんを隣に置きやがってよお~」

「べっ」とケンサクが慌てる。「別にそういうんじゃねえよ。だいたいラッカはオレが誘ったんだし!」

「私はどこでもいいよ」

 そうラッカは言った。「皆の演奏、すごかったよ。体に響いた。なんか、まるで森で聴いたタカの鳴き声だった。だから良かったと思う」

 それに対してドラムが口笛を吹いた。「ちょっとだけ詩人入ってる?」

「シジン? ――分かんないけど、私は思ったことしか言ってないよ?」

 そうやって全員で酒を飲み交わすなか、「あ、そうだ」とサイドギターが言った。「今日はさ、アレ、生配信あんのよ。壺山レンガの。見ねえ?」

「レンガ?」

 ラッカが訊くと、サイドギターが頷く。「ラッカちゃん知らねえの? スキャンダル系のユーチューバーなんだけど、最近、スウィーテまわりの事件を追っかけてて。ちょっと気になってんだよねえ」

「あ?」とケンサクが睨んだ。

「オレは見ねえ。スウィーテに対してあることないこと言って、活動休止に追い込んだようなもんだろうが。オレはああいう、作品と作者を繋げて非難する素人のバカがいちばん嫌いだよ。音楽がなんなのか分かってねえんだ」

「まあまあ」とサイドギターは笑った。「俺もレンガが正しいって言ってんじゃねえよ。でも、最近の事件は心配じゃね? 新情報があるかどうかだけ知りたいんだよ!

 ――なあ! ラッカちゃんも知りたいよな!」

「まあ、うん――」

 ラッカは頷いた。いまトーリたちが追いかけている事件がどこまで知られているのか、興味がある。

 ケンサクは頭をかいた。「ラッカが見たいなら――ちょっとだけだぞ。本当にちょっとだけな!」

 そして、配信時間を待って全員でPCを見た。

 普段は、壺山レンガの生配信は、匿名性の高いマンションの一室を背景にして流される。そこでレンガは――普段は仮面をかぶったスーツ姿の男性なのだが。

 今は、

 ホイールチェアに縛り付けられ、服装はそのまま仮面を剥がされ、頭から血を垂らして涙を流していた。

 口もとにはガムテームが貼られていて、そこに真っ赤な油性マジックペンで《わるぐち きんし》と書かれていた。

「え――!?」

 サイドギターが絶句していた。

 生配信なのか? これが?

 しばらくすると、横から、アイスホッケーのマスクを被った別の男が出てくる。着ているのは厚手のレインコート。

『ふーっ、ふーっ』

 荒い鼻息をカメラマイクに吹きつけながら、ホッケーマスクの男は画面に近寄り、にっこりと笑った。

『ふーっ、ふーっ――。どうも、みなさん、こんばんは。いとしい歌姫、スウィーテをまもる、ケダモノ。オペラざの、かいじんです』

 そう彼は、なんの加工もされていない声で言った。

 直後。

 彼は大声で――カメラをガタガタと揺らして怒鳴り始めた。

『なんでスウィーテをいじめるんだ!!

 なんでスウィーテを閉じ込めるんだ!!

 彼女の歌を邪魔するな!! 獣人捜査局のクズどもは、世間といっしょになって彼女から歌声を奪ってるんだ!!

 今すぐ彼女を解放しろ!! 解放しろ!!

 

 おい、狩人のクソども――!!

 家庭にも学校にも職場にも居場所のなかった男が、たったひとつ生きがいにしていた歌姫を奪う権利がお前らにあるのか!! ああ!?

 スウィーテのメディア復帰を宣言しない限り、今、ボクのうしろにいるクソ配信者は殺すぞ。それだけじゃないぞ、街で何十人も殺してやる』

 ――もう内臓爆弾はいっぱい仕込んだんだ。

 アイスホッケーマスクの穴の奥で、瞳が輝いていた。


『要求はもうひとつだ!

 獣人捜査局とグルになってる悪いオオカミ女は、今すぐ正体を明かすんだ! 

 ――お前が名乗り出ない限り、何匹でもニンゲンどもの内臓を爆発させてやる』


  ※※※※


 動画配信について、通報はすぐに寄せられた。スウィーテ関連の事件を担当していた獣人捜査局本部に連絡が届く。

 愛宕警察署の捜査本部で仮眠を取っていた第五班班長の笹山カズヒコは、すぐに起き上がると、

「なんやそれ」と言った。「今度の獣人、アホすぎてじっともしてられんのか!?」

 椅子のせもたれにかけていた上着とコートを羽織り、革の手袋をはめると、手鏡で髪を整える。――鏡面の向こうで薄い唇を斜めにした糸目の男、それが自分だと思い出すため。

 各地で捜査する班員を呼ぶために、骨伝導のインカムを右耳にはめた。

「おい磯部、菅沼、田中、鳴海。緊急事態。いったん戻れ」

 廊下に出ると、第六班班長の橋本ショーゴと、その猟獣イズナ=セトが既に立っていた。 ショーゴのほうはオールバックの黒髪を左手で撫でながら、右手で銀縁眼鏡の位置を直している。

「よお、カズヒコさん」とショーゴは言った。「おれたちのほうで刑事課の連中は動かしておいた。あとは突入だけだ」

「突入?」

「オペラ座の怪人が脅して配信させてる壺山レンガって男――本名は瀧澤ケイスケって言うそうだが――そいつ、いちど藪蛇つついてマル暴に事情聴取されてんだ。住所は大崎の高層マンション。だったら、生配信してる現在、怪人がその配信者の家にいるってことだろう」

 ショーゴはそう言った。

「はあん」とカズヒコは返した。「なんや、ミミズくんはそんなことも下調べせんとあそこに居座っとんのか。バカか?」

「だから言ったろ。考えなしのバカがいちばん怖いんだよ」

 それから、カズヒコに歩幅を合わせてショーゴも歩き出す。

「おれの部下も第五班に合流させる。イズナ、お前も行け」

「承知しました、ショーゴさん」

「あとは」とショーゴは言った。「第七班で手が空いてるオオカミの嬢ちゃんも念のため呼ぶ」

 イズナは眉間にしわを寄せた。「ミミズごとき、私ひとりでどうとでもなりますよ。ラッカ=ローゼキが作戦に必要とは思いませんが」

「念のためだよ」とショーゴは答える。

「キリキリするな。戦いぶりを見せてやると思えばいい」

「――はい、ショーゴさんがそう仰るなら」

 イズナがしおらしく黙るのを見て、彼は第七班班長の日岡トーリに電話を繋いだ。

「トーリくんか? 犯人が暴走した。居場所は分かる。オオカミの嬢ちゃんを借りるぞ」

『了解。ラッカには俺から伝える』

 電話を切った。次にショーゴは第六班の班員に骨伝導インカムで連携する。

「白石、西城、我孫子、河野。いるか? ――ああ、いや、白石はまだ帰省中だったか。あのマイペース女」

 それに対して、河野が応答する。『西城カズマさん、食中毒でダウンです。総務部の女の子からの手作り菓子が当たったようで』

「おう、そうか。もっと食ってさっさと死ねってあのボンクラには言っとけ。――河野と我孫子は早く来い!」

『了解』『了解』

 二人の返事を聴いてからショーゴはインカムを外す。

「いやだいやだ」

 彼はベンツの助手席に乗り、運転をイズナに任せながら背中を預けた。「せっかくの年末にこんな事件か」


  ※※※※


 同時刻。

 尾木ケンサクのアパートで動画を見ていたラッカは、その場に凍りついていた。

 ――獣人捜査局とグルになってるオオカミ女?

 私のことだよな、それは。

 動画の向こうで、壺山レンガとかいう男が苦しそうにうめいているのが分かる。それを見ていると、なんだかザワザワしてくる。

「なあ」とサイドギターが話しかけてきた。「もうこれ、見るのやめねえ? こええよ。あとは警察に任せようぜ」

「ダメだ」とラッカは言った。

「ダメって――なんでダメなんだよ、ラッカちゃん」

「とにかくダメだ!」

 ラッカは思わず怒鳴った。ベースの男がビクッとしているのが視界のスミに映る。

 それに対して、ケンサクは、ゆっくりラッカの肩に手を置く。

「どうした? ラッカ。なんかパニクってんのか?」

「大丈夫だよ。なんでもない――これ、見なくちゃ」

「いや顔色ひでえだろ! 少しは心配させろって!」

「ケン」

 とラッカは呟いた。

「ケンは良いヤツだな。――友達になれてよかった」

「は?」

 ケンサクが戸惑うなか、ラッカは自分のスマートフォンを手に取った。

 直後に、トーリから電話が来る。

『ラッカ、緊急の仕事が入った』

「分かってるよ」とラッカは答える。「いまネットの動画でバカ騒ぎしてる野郎を始末すりゃいいんだろ」

『――見てたんだな。まあ、そういうことだ』

「任せて。秒で終わらせてやる」

 ラッカは電話を切った。それから動画をもういちど眺める。

 アイスホッケーマスクの怪人は、ただ、自説を並べていた。

《スウィーテから歌声を奪った獣人捜査局員どもの本名も知りたいな。彼女を解放したあとは、つ、次はお前らだ――オオカミ女ともども、覚悟しておけ》


 ――ゴチャゴチャわけわかんねえこと言いやがって! トーリが護衛対象の歌姫を閉じ込めて、イジめてるだあ!? 寝言ほざいてんじゃねえぞ!!


 要するに、ラッカはトーリのためにキレていた。

 もう自分が拗ねていたことは完全に忘れていた。臨戦態勢だ。

「靴、寄越して」

 とラッカはドラムに言った。彼がミリタリーブーツを持ってくると、

「ありがと」

 と答え、窓を開けてベランダに出るとそれを履く。

「ちょ!」とベースが叫んだ。「ラッカちゃん、どうしたんだよマジで」

「こっちのほうが方角が近いからさ――」

 そうして、ラッカはベランダの柵の上に立った。「皆、楽しい飲み会に邪魔しちゃってごめん。また会えたらいいね」

 夜の風が吹く。雲が流れると、そこに月が現れた。ドッグタグが揺れながら輝き、彼女のための光になる。

「ラッカ! なんでラッカが行くんだよ!」

 そう叫ぶケンサクに、ラッカは振り返る。


「――私がそのオオカミなんだ」


 次の瞬間。

 ガン!

 という音を立てて、彼女は消えた。

 ベランダの柵は一気に歪み、もう元には戻らない。


  ※※※※


 ラッカが夜を駆ける、その音を聴きながらトーリはインカムに変えて話を続けた。第六班、第五班の集合場所を伝える。

『おっけー!』とラッカは言った。

「油断するな。なんだかイヤな予感がする」

『予感って?』

「論理的なものじゃない。余計なことを吹き込んで混乱させたくはないよ」

『ははは』とラッカは笑った。『トーリは心配性だな。私を守りたいと思ってる。だから護衛任務からも外したんだ』

「――そうかもな」

『思ってることなら全部言えよ。私もトーリを守りたいんだ。助けてもらえたことの恩返しをしたいんだよ』

「助けた?」

 トーリには全く身に覚えがない。

 だが、ラッカのコンディションを考えたら、ここは正直に話すのがベストだと思った。

「今回の動画配信、急に方針が変わったと思わないか?」

『ん?』

「事態が急変したわけでもないのに、犯人は、世間にメッセージを出す方法も、殺しのペースも変えている。なんでだ」

『さあね。難しいことだったらトーリが考えててよ! トーリはどう思ってんだ?』

「――裏で糸を引いている奴がいて、路線を転換した」

『え?』

「――前にラッカは、ミサキに報告してたな? 吸血鬼のチトセは戦ってるときに『クロネコ』という名前を出した、って」

『うん』

「今回もそれ絡みかもしれない。――ただの勘だがな」

『なるほどね』

 トーリの耳には、ラッカが平然と応答しながら全速力で道路を走っているのが聞こえる。

『で、トーリたちはどうすんの?』

「俺たちは引き続きスウィーテの護衛だ。スウィーテというか本名は岡部クリスだが」

『へえ、そういう名前だったんだ』

 その直後のことだった。

 ラッカは大声で笑った。

「どうした?」とトーリが訊くと、

『だってさあ』とラッカは言葉を繋いだ。『だから犯人はオペラ座の怪人って名乗ってんだなあ、って納得した!』

「納得?」


『だって、ガストン=ルルー原作の怪人が愛してる歌姫の名前はクリスティーヌだろ! 要するに、それのダジャレじゃん!』


 トーリは、そんな何気ないラッカとの会話のなかで、雷に打たれた気持ちになった。

 ――怪人は岡部クリスの名前を知っていた?

 いや、そうじゃない。そもそもスウィーテの本名はネットで検索すればすぐに分かるのだ。だから、そういうことではない。

 オペラ座の怪人というネーミングに、そもそも犯人を見つける手がかりがあるんじゃないか、ということだ。

 トーリは目を見開く。捜査の基礎に立ち帰る。


 ――無償の献身をしているように見える犯人は、一般論として、無意識でなにを望んでいる? 決まっている。自分自身の正体が明かされて見返りの愛情を受け取ることだ。


 ※※※※


 大崎の高層マンション前にイズナはベンツを停め、腰のコンバットナイフを確認、ドアを開けて外に出た。助手席のショーゴもそれに続く。

 ベンツのすぐうしろに停まったのは、笹山カズヒコのVWだった。後部座席から、第五班猟獣のメロウ=バスが出てくる。

 警視庁捜査一課の刑事たちと、大崎警察署の所轄刑事は既に現場に揃っていた。

「近隣住民の人払いは?」とショーゴが訊いた。

「済ませています」と捜査一課が答える。

「高層マンションの連中は?」

「それも、指示どおりに」

「おーし」とショーゴはオールバックを撫でる。「そのまま待機を頼む。本件は狩人のおれたちが仕切る」

「はい」

 捜査一課の返事のあと、ショーゴ、カズヒコ、そしてイズナ=セトとメロウ=バスは高層マンションの駐車場に入った。

 ――背後から聞こえてくる「あんな獣どもを連れて、マトモな警官ヅラしやがって」という小声を無視して。

 駐車場には第六班の河野と我孫子、そして第五班の磯部、菅沼、田中、鳴海、最後にラッカ=ローゼキが各々の武器(どうぐ)を持って立っていた。

 シルバーバレット入りの拳銃、小銃、散弾銃、短機関銃。ラッカは電流つきの警棒。

 ショーゴはラッカ=ローゼキを見た。

「オオカミの嬢ちゃん、注意しろよ。犯人はなぜかお前のことも敵視してる」

「分かってる。

 ま、イズナもいるならなんとかなるだろ?」

「――そうだな」

 ショーゴは会話を打ち切り、カズヒコとともに全員を連れてマンションに入った。

 瞬間。

 猟獣であるメロウ=バスの能力が発動。

 彼はクモの獣人、結界型。彼が建物に入っている間は、誰も何もそこから出られない。

「助かるわあ」とカズヒコは糸目のまま笑った。「メロウ、お前のおかげでミミズはもうクモの網ん中や」

「はいっす」とメロウは答えた。ぼさぼさの黒髪、目の下にくっきり浮くクマと、猫背で痩せこけて骨ばった体。コートを羽織り、さらにマフラーを巻いた格好で彼は歩いていた。

「逃がさねえっすよ」


 エレベータを上がり、目当ての1805室前に到着する。

「鍵は管理人から受け取ってる」とショーゴは言った。「ゆっくり開けて、なかに入るぞ」

「はい」

 イズナはそう答えると、マスターキーを鍵穴に入れて回し、ドアを静かに開けた。チェーンはかかっていない。

 ――不用心ですね。

 彼女はチェーンカッターを廊下の床に捨て置きながら、そう思う。

 カズヒコがメロウの肩にあごを乗せ、静かに囁いた。「最初はボクとメロウで行く。リビングまで一直線。廊下が分岐したらそのたび駒置きでな」

「了解っす」とメロウは頷く。他班員も首を縦にした。

「おし」と言ってから、カズヒコは廊下を歩き始めた。

 まず、途中にトイレのドアがある。鳴海と田中がその手前でグロック17を構えて待機。

 次に風呂場のドアがある。菅沼と磯部がその前で待機。

 そのままリビング&ダイニングに着く。

 誰もいない。

 間取りとしては、第一寝室と第二寝室、そしてカーテンの閉まったバルコニーへの窓があった。

 第一寝室の前でカズヒコとメロウが立ち、第二寝室の前でショーゴとイズナが待機する。窓の前に立つのは河野と我孫子、そしてラッカ=ローゼキだ。

 カズヒコとショーゴは目を合わせた。リビングの壁にはアナログ時計がある。

 ――秒針が0になったときに一斉に突入する。それは事前作戦がなくても通じる、狩人たちの合図。

 チッ、チッ、チッ――と秒針が近づいていくなかで、全員が武器を構えた。

 ゼロ。日付が変わった。


 12月31日(土) 0:00


 最悪の大晦日だった。

 カズヒコが、ショーゴが、その他班員が、一斉に扉を開けて銃を構える。

「おい! ミミズ!」とカズヒコは怒鳴った。「人質使って世間脅しやがってこん腐れ外道! 大人しく殺されるか研究所でバラバラにされるか、さっさと選ばんかい! クソボケ!!」


 だが。

 どの部屋にも、誰もいなかった。

「あ?」

 カズヒコは声を漏らしながら、明かりをつけ、メロウとともに第一寝室に入った。そこには大量のモニタと、ゲーミングPC。明らかに壺山レンガが日々配信をしているはずの場所だった。

 ――なんでおらんのや?

 そして、壁を見つめる。

 真っ赤な人血の文字で、こう書かれていた。


《ここは 生はいしんの 場所では ありません。

 忠こくをきかず しん入した おろかな狩人に てんばつ。

 ――オペラざの かいじん》


 そう書かれていた。

 そしてその足下に、どこから仕入れたかも分からない大量の爆弾。

 おそらくは住居侵入によるセンサー接触がトリガーだったのだろう、

 ピ――――

 という音を立てて、爆弾は作動した。タイマーのカウントダウンが始まり、五秒後には破裂しようとしていた。

「なっ、あ、ああっ!?」

 カズヒコがあとずさる、

 と、

 メロウ=バスは咄嗟に彼のスーツを掴み、獣人の怪力でリビングのほうにブン投げた。

「メロウ!

 なにやっとんねん、お前!!」

 カズヒコは投げられながら怒鳴る。その姿を、メロウは笑って見ていた。

 ――カズヒコさんは人間だから、すぐ死んじゃうでしょ。それはダメっすよ。

 それから、メロウは右手の指を鳴らす。

「結界変更」

 ――俺が第一寝室にいる間は、誰も何も第一寝室の外に出ない。

 そう、たとえば、爆風でさえも。


 1805号室の第一寝室のなか、そのなかだけで、殺傷性の爆弾が炸裂した。

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