第5~8話 Meteora
第5話 VS劇場霊 前編その1
※※※※
深夜。新橋のマンション。
ジャーナリストの高山トクジロウは20階の自室で、ウィスキーを流し込みながらテレビを眺めていた。
最近の話題は、もっぱら現代の若い歌姫「スウィーテ」のスキャンダルである。トクジロウが炙り出し、ゴシップ誌『週刊絵秋』で発表した原稿が震源地になった騒動だ。
――いい気味だぜ、とトクジロウは思う。
ちょっと歌が上手いからって、世間にチヤホヤされていい気になりやがって。お前らなんか俺たちがその気になれば、いつだって後ろ暗いところを掘り出して沈めてやれるんだよ。
酒とツマミを口のなかに放り込みながら、彼は、自分が世論を動かせるフィクサーになった気でいた。上機嫌になり、さらにテレビの音量を上げる。
――そんな小物の男が住むマンションの、一室での出来事である。
玄関ドアの鍵穴から、一匹のミミズが這い出て床に落ちた。一匹、さらに一匹、と、鍵穴を使って部屋にミミズが少しずつ侵入していく。勢いはだんだんと増していき、最後は蛇口をひねったかのように、サーッと、大量のミミズが玄関の土間に注ぎ込まれていった。総計だいたい70kgのミミズの群れが静かに侵入していく。
そして、ミミズたちは互いに寄り添い、結合して、ひとつの大きな塊になっていく。
――ミミズの群れは、一人の成人男性の姿を形成していた。
「ふーっ! ふーっ!」
男は鼻息を荒げながら、玄関ドアを内側から開ける。廊下には彼自身の荷物があった。スポーツバッグ。それを部屋に招き入れて、ドアを静かに閉じる。
この間の行動は、標的、つまり高山トクジロウには気づかれていない。テレビで反復報道されている「スウィーテ」の話題に夢中になっているからだ。ついでに、悪徳報道を指示した敵対芸能事務所とも上機嫌に通話しているらしい。
――スウィーテ。
男はそう思いながら、スポーツバッグのファスナーを開けた。なかにあるのは自身の着替えと、大量の刃物、鈍器、電動ドリル、そしてアイスホッケーのマスクだ。
マスクを装着。
凶器のなかから、ゴルフクラブを採用する。
仮面だけ被った全裸の姿のまま、男は足音を殺し、高山トクジロウの部屋のリビングへと侵入。
トクジロウは上機嫌に電話をしている。スウィーテを陥れたことを誇りに思っているのだろう、こいつは。
「フーッ! フーッ!」
男はゴルフクラブを振り上げると、標的、高山トクジロウの頭に振り下ろした。
ごん。
「――あぁ?」
トクジロウの手からウィスキーグラスが落ち、カーペットが酒まみれになる。彼はなんとか振り返ろうとしてきたが、
「フーッ!!」
男はその顔面をフルスイングで打ち飛ばした。
ばす。
鼻の骨が折れ、片方の眼球が吹き飛び、歯がニ、三本ほど宙を舞う。
高山トクジロウが意識を失って倒れると、男はスポーツバッグからさらに凶器を持ち出した。
電動ドリルと出刃包丁である。
「こいつの――鼓膜は、いらない」と男は呟いた。「スウィーテちゃんの、歌声を聴く、資格が、ないからです」
スイッチをオンにする。彼はゆっくりトクジロウの頭部に近づくと、
ヴィィィィン――ブチブチブチブチガリガリガリ――ボゴボゴボゴボゴボゴ。
途中でドリルが鼓膜を破り、頭蓋骨を突き抜け、脳漿を溢れ出させたところで彼はスイッチをオフにした。
「もう片方の、腐った耳も、スウィーテちゃんの、ステキな歌声に捧げます」
ヴィィィィン――ブチブチブチブチガリガリガリ――
男は高山トクジロウを殺害しながら、高揚していた。アイスホッケーマスクと、顎の間から、一匹ずつミミズが零れ落ちてしまう。
「ああ――スウィーテちゃん。見てるかい。君の敵はボクが、ミミズの獣人がやっつけたよ。これからも、いっぱい歌えるねえ、ボクのスウィーテちゃん――!」
作業を終えたあと、彼はスポーツバッグから手紙を出し、テーブルの上に置いた。
『悪らつな ほう道きかんに 天ちゅう。ボクの スウィーテちゃんを いじめるな。ほんきだと 分かるまで これからトウキョウで1日1人 ニンゲンたちをころします。
――あなただけのケモノ。オペラざの かいじんより』
それから男は、返り血でベッタリと赤く染まった体を洗い流すために、シャワーを使った。鼻歌はいつでも、『The Phantom of the Opera』である。
タオルで体を丁寧に拭いてから、スポーツバッグのなかにあるスーツを着て、アイスホッケーマスクの代わりに、サングラスと布マスクをつけた。
そして、マンションを出る。
人間の歌姫に恋をした、歪んだ獣の物語はここから始まり、そして終わる。
※※※※
12月28日(水)。獣人捜査局員女子寮。
ラッカ=ローゼキは目を覚ますと、まず朝のトレーニングルーチンをこなした。冷蔵庫に買い置きしてあるペットボトルをガブ飲み。歯みがきをして、爪を切りそろえると髪を束ねて、胸からドッグタグを下げる。
ジャージを着込み、庭で準備運動、そして近くの土手を通る14kmのランニングコースを走る。庭に戻って縄跳び。
部屋に帰ると、左手だけの腕立て伏せと、右手だけの腕立て伏せ。スクワット、背筋、腹筋を終えてから、女子寮地下1Fの運動場に向かう。
猟獣用のサンドバッグ。
両拳にサラシを巻いて、実戦を意識した拳、蹴りの練習。ときどき敵に攻撃されることを想定した、回避の動作を入れたシャドーボクシングをみっちりとこなす。
だいたい以上の練習が終わったころ、誰かが呼びにくる。今日の場合は第七班の副班長、仲原ミサキだった。
「アヤノの言うとおり、真面目に訓練はしてるみたいだね」
彼女はルームウェアのまま歯ブラシを咥えてシャコシャコとしつつ、「朝ごはんできてるからおいで。今日の当番は白石ルミネ第六班捜査員」と言って消えていく。
「は~い、今いく~!」とラッカは答える。簡易シャワーを使って、体を拭いてから1F食堂に向かった。
朝食はキャベツと豚肉を適当に焼いたおかずに、インスタントの味噌汁と白米。
ラッカは箸を使って(最近やっと普通に使えるようになった)朝食を口に運びながら、ふと、チトセの言ったことを思い出していた。
――人間だって牛さんや豚さんを殺して食べてるよ? あたしたちとなにが違うの?
その疑問に、今のラッカは答えを出せなかった。
――でも、分かってることはある。
私はトーリのことが好きで、トーリの仲間たちのことも好きなんだ。そいつらが人間を殺してほしくないって言うなら、私は人間を狩る獣人の敵になる。
ラッカはとりあえず、結論そういうことにしながら白米をかきこんだ。
※※※※
コウモリの獣人、B級、分散型の熊谷チトセとその仲間を討伐したあとの会議。それをラッカは思い出していた。
渡久地ワカナ――55歳の痩せぎすな女性で、白のトレンチコートとパンツスーツに身を包んでいる。白髪を隠すグレイヘアのベリーショート――は、第一班から第七班の班長を見ながら、
「幸い、こちらに犠牲者はないまま厄介な分散型獣人は駆除されたな。感謝する」
と言った。
ラッカは「あのさ」と手を上げた。「チトセを――あいつを苦しめてた宗教団体っていつ潰れんの?」
「そこは獣人捜査局の管轄外だな。情報は組織犯罪対策部に渡してある。向こうのタイミングで検証は入るだろう。心配しなくていい」
「いや、でも――」
ラッカが食い下がると、
バン!
と、机を乱暴に殴る音がした。第三班班長、藤田ダイスケである。
「ワカナさんが心配すんなって言ってんだろうが! てめえら猟獣どもは命令どおりに動いてりゃいいんだ! ああ!? ちょっと強いからって調子乗ってんのか、このクソオオカミが!!」
「別に調子になんか乗ってないよ、藤田さん」
ラッカがそう言うと、さらにダイスケは強く机を殴る。
「それがナメてるってんだ!
トーリの若造がなんか甘やかしてるのか知らんがな、人間様に口答えしやがって! テメエいつでも研究所送りにできるって忘れんなよ、コラ!!
あと名前も呼ぶんじゃねえ!」
殺気が会議室に満ちていく。
が、ラッカは「分かった。じゃあおじさん」と言った。
「あ?」とダイスケは反応する。
「名前呼ぶなって言われたから」とラッカは無邪気に笑った。「ダイスケさんみたいな年齢の男の人って、おじさんって言うんでしょ。そんくらいの日本語は分かるよ。だからおじさんって呼ぶね」
そのとき、第五班班長――笹山カズヒコがブッと噴き出した。
空気が一瞬で緩む。
「なんや、オモロいのお」とカズヒコは言った。「うおおいワカナ姐さん、宗旨替えするわ! ラッカ=ローゼキの猟獣運用の賛成票、いっこ追加!」
「なに――?」と藤田ダイスケが戸惑う。
笹山カズヒコは手を広げた。
「いやいや、藤田班長、これは思いつきでもなんでもないよ。
ボクが重んじてるのは『信頼』や。未来も実力も関係ない。今ここで仲間と繋いでる絆が全部や。鉄砲持ちに背中を預けるんやから、道理でしょうよ。
――うちのクモ、メロウ=バスにちゃんと聞いたわ。この子はチームでも働ける。
なら、もうオオカミのお姫様が猟獣の扱いでなんの不満あんねん」
カズヒコは、にっこりと笑った。
渡久地ワカナはゆっくりと息を吐いた。「賛成票が反対票を上回ったな?」
そしてラッカを見つめる。「ラッカ=ローゼキに猟獣訓練の応用編を許可する。まずはスパーリングプログラムだ。
パトロールの単独行動も許可する」
※※※※
という経緯で、ラッカは朝のジョギングができるようになったわけだ。
「アヤノはいないの?」と訊くと、ミサキは豚肉と野菜を口に入れながら「地元に帰ってるよ」と言った。「年末年始は人が浮かれて事件が増えるからね。警察はその前に実家に挨拶するのが普通」
「へ~え」
ラッカは朝食を食べ終えたあと食器をキッチンに浸し、ぐっぐっと体を動かす。
「午後の実地訓練になるまで、タツヒロが出した宿題でも解いとくかあ」
「それでいいんじゃない?」
ミサキはそう答えた。
ラッカは返事をして自分の部屋に戻る。
イズナ=セトとは、まだ会話をしていない。なんとなく避けられている気がする。
そして練習問題の答えをノートに書き、読書日記のために本を読み始めた。最近ハマっているのは、シャーロック・ホームズ。
言葉を学び、イメージを膨らませ、登場人物の思考をトレースする。
そうして昼食時を待っていると、トーリからメールで連絡が届いた。
《すまん、事件が発生した。班長どうしで話し合いになる。ラッカの力を頼ればいい案件なのかどうかもまだ分からない。――今日の夕方は自由行動にする》
「え」
ラッカはビックリして、何度も自分のスマホを覗き込んで、角度を変えて見直したりして、その文字列を再確認しまくる。
――なんだよそれ、トーリ。
※※※※
トーリに実地訓練をキャンセルされたので、ラッカは女子寮の周りを適当にぶらついていた。昔はできなかったことだ。今は単独行動の自由が認められているから、パトロールの名目で行きたいところに行ける。
「トーリのバカ!」とラッカは思った。「私との大事な訓練すっぽかしやがって。だったらこっちも好き勝手にしてやるもんね!」
そうしてラッカが駅前に行くと、なにか、通行人にチラシを配っている連中がいた。
――なんだ?
気になって、近づく。集団の言っていることが聞こえた。
『獣人も人間です! 獣人差別をやめましょう! 猟獣制度撤廃とシルバーバレット反対に協力お願いします!』
――え?
ラッカが呆然として立ちすくんでいると、リーダーらしい女が駆け寄ってきた。
「もしかして、興味がおありですか!?」
「興味? ま、まあ――」
「政府は獣人を人間と認めず、非人道的な駆除や、研究所送りにしているんです。しかも猟獣と言って、自分たちの道具にしています。どう思います!?」
「いや、そんなこと言われても」
ラッカは冷や汗をかいた。私その猟獣なんだけど、ということは言わなかった。
女は言葉を続けた。
「人間は殺人を犯しても、弁護士をつけられて裁判で司法的な手続きを受けます。なのに獣人は獣人というだけでシルバーバレットで射殺されるか、問答無用で研究所送りにされるんです。与党の方針はおかしいと、そう思いませんか!
猟獣制度だって、思想教育で同族殺しを強要してるんですよ! しかも使い捨てで、命令で死んでも警察庁は責任を取りません! 絶対に変ですよね!?」
「えっえっ、えっ」
いっぺんにまくしたてられてラッカが戸惑っていると、
「ごめんなさい」と女は言った。
「急に色々と言いすぎましたね。でも、このチラシは受け取ってください。今度、集会があるんです。ひとりひとりの声が、力になるんです! お願いします!」
「はひ――!」
ラッカは、わけが分からなくなりながら、その場を去った。
夕方になっても、ラッカはなんとなく女子寮に戻れなかった。色んな街を見て回るのが楽しかったし、それに真昼に出会った市民活動家に驚いていて、困っていた。
「はぁあ――」
ため息をつきながらラッカは東京の街を歩いていた。
すると。
駅前のロータリーで、アコースティックギターを弾きながら懸命に歌っている一人の青年がいた。ダッフルコートの厚着で、吐く息は白い。
ラッカは知らないが、それはOasisの『D’You Know What I Mean?』のカバーだった。
――いい声だな、と思ってラッカはその場に立った。
通行人は誰も止まらない。電話をしながら、スマホをいじりながら、あるいは、隣の誰かと話しながらその場を去っていく。
懸命にアコースティックギターで弾き語る青年は、ただひとり立ちすくんでいるラッカに気づき、声をさらに張り上げた。
やがて、演奏が終わった。
青年はギターを片付けながら「サンキュー!」と言った。「オレの歌、最後まで聞いてくれてたじゃんよ?」
「私、分かんないよ」
ラッカはそう言った。
「なにが?」
「こんなにキレイな歌声なのに、なんで誰も立ち止まらないんだ? ニンゲンって、みんな忙しいのかな?」
「――あはは!」
青年は笑った。
「一年間、ずっとここに立ってギターやってたけど、姉ちゃんだけだよ。そんな褒めてくれたの」
「褒めたつもりないよ。不思議なんだ。だって、こんなに良いのに――」
「ああも、分かった分かった! そんなにオレのこと喜ばせないでよ!」
青年は顔全体を手で隠して、
それから頭を上げた。
「ありがと!」と彼は言った。「オレ、尾木ケンサク! 今度ライブやるからさ、見に来てくれよ!」
「ライブ?」とラッカは訊いた。「――ライブってなにすんの?」
「あはは! 姉ちゃんもしかして天然系かなあ?」
青年は――ケンサクは、チケットを手に握るとそれをラッカに渡した。
「ね! 約束してよ!」とケンサクは言った。「ステージだったら、もっとオレ、すげえ演奏できるから!」
「そうなの!?」
ラッカは、ぱあっと顔を輝かせた。
「うん! 行くよ! 今よりもすげえの聴かせてよ!」
「はは、姉ちゃんノリいいなあ!」とケンサクは笑う。「よかったら飲みにいかねえっ?」
「飲み?」
「おう!」とケンサクは親指を立てた。「だってオレら、もう友達だろ!」
※※※※
日岡トーリは新橋近辺の愛宕警察署に到着すると、そこで橋本ショーゴとイズナ=セトに合流した。
「状況は?」
「マンション内の現場は鑑識課がやってる」とショーゴは答えた。「酷いもんだ。被害者は生きたまま電動ドリルで脳をやられてるとよ。本来ならただの猟奇殺人だが、現場にミミズの死体があった。つまり獣人案件の可能性がある」
彼がそこまで言うと、イズナがトーリに近づき、電子ファイルを渡すために彼の端末とBluetooth接続した。
「今回の獣人は」とイズナは言った。「犯行声明を現場に残しています。歌姫のスウィーテがメディアでバッシングされていることの報復だそうです。犯行名は、オペラ座の怪人だとか」
――オペラ座の怪人。
それは美しい歌姫のために殺戮を繰り返し、最後は嫉妬に狂って破滅するゴシックホラーの古典的悪役だ。
「ナルシシズムの強い奴みたいだな」とトーリは言った。「そのスウィーテって子の精神状態が心配だが、どうする気なんだ?」
「そこでお前の出番だよ、トーリくん」
ショーゴは眼鏡をかけ直した。
「社会的な影響が強いからな。この件は第六班と第五班の合同捜査になる。だが、犯人に愛されているスウィーテの見張り番は必要だろ。彼女の護衛を第七班に担当させる、それが渡久地ワカナ局長の方針だよ」
彼女は警察署にいる。極度の恐慌状態だ。お前が緊張を和らげて、ボディガードとしての役割を果たせ。――ストーカーのクソ獣人を返り討ちにできたら万々歳だな。
そうショーゴは言った。
トーリは愛宕警察署の取調室に入った。スウィーテと呼ばれている歌姫が、項垂れて、震えながらパイプ椅子に座っているのが分かった。
「スウィーテさん」とトーリは言った。「いや――本名の岡部クリスさんで呼ぶほうがいいですか?」
「ど、どちらでも結構です」
俯いたままの彼女、その向かいにあるパイプ椅子を引きずり、トーリは彼女と斜向かいになるように座った。真正面にふさがって、相手を怖がらせないようにするためである。
「警察官として、三点だけお伺いします。既に刑事課から受けた質問もあるかもしれませんが、許してください。貴女を守る以上は、貴女の口から聞きたい」
とトーリは言った。
「その1.今回の犯行に及んだ人物に心当たりはありますか」
「そんなの、ありません」
「その2.貴女がマスメディアで受けたバッシングは、犯人が言うように、事実無根のものですか」
「――答えたくないです」
彼女は、ぎゅっと拳を握った。トーリはそれを見つめる。
――昔の俺と同じだ。脅威が現れ、自分の人生を脅かしても、なにもできることがなかった、あの頃の。
彼女の――スウィーテの、黒髪のロングヘアに隠れた横顔は、たしかに客観的には美人の部類に属する。だが、今はその輝きの全てを焦燥が消し去ってしまっていた。
《スウィーテは中学生時代、陰惨なイジメに加担していた。被害者の同級生が自殺した今もその事実を隠蔽している》
それがスウィーテに対するバッシングの内容だ。
おそらくは誇張だろう、とトーリは思う。小さな子供が報復を恐れて傍観するしかなかった、それを面白おかしく書いたヤツがいるだけだ。
「その3です」と彼は指を立てた。「俺たちは今から貴女の護衛に回ります。メディアへの出演は全てキャンセル。これから獣人捜査局の監視下に置かれます」
「はい」
「獣人に抵抗はありますか?」
トーリがそう訊くと、スウィーテは顔を上げた。
「え?」
「ご存知かと思いますが、獣人捜査局には猟獣がいます。俺の第七班にも、頼りになる子がいる。ケモノをボディガードにつけることに、抵抗はありませんか。――正直におっしゃってください。俺しか聞いていません」
「え――」
スウィーテはトーリの整った顔をゆっくりと見つめた。184センチの身長、口もとの艶ぼくろ、センターパートの黒い髪。
「じ、獣人は――警察のでも怖いです。ごめんなさい」
と彼女は言った。
「分かりました」とトーリは答えた。「今回の作戦からウチの猟獣は外します。安心してください」
そうしてゆっくりと立ち上がり、彼女を保護するホテルに連れていくために、左手を差し出してエスコートする。
「――貴女のことは、俺たち狩人が必ず守ります」
その手を取るスウィーテの指が熱くなっていることに、トーリは気づかない。
※※※※
ラッカはスマートフォンでミサキに連絡を入れてから、ケンサクが待つほうに戻った。
《ごめん、今日は女子寮で夕飯は食べない。隣町で調べものがあってさ》
《いいよ。でも、外泊は流石にナシだから》
《分かってるよ、ミサキ。ワガママ聞いてくれてありがと》
やべ~、ウソついちった。
いいのかなあ? とラッカは少し思ったが、トーリの顔を思い出すと、またムスムスしてきた。
「いや、いいよ! トーリだって私との訓練すっぽかしたんだから! こっちだってウソくらい吐いてやるもんね!」
そうして、ラッカとケンサクの二人は近くの磯丸水産に入り、適当にメニューを頼んで酒を飲む。
「ラッカはさ」とケンサクは言った。「大学でさ、なにやってんの?」
「え、ダイガク?」
「あれ、違った?」と彼は照れたように頬をかく。「なんか勝手に大学生だと思い込んでたわ」
「ダイガクは知らないけど、行ってないよ。もう働いてるし」
「うええ? マジ!? すげえ立派じゃんそれ!」
ケンサクはハイボールを流し込む。ごくごくと、痩せた首筋に喉仏が動いた。
「なんの仕事してんの? よかったらでいいけど」
「ん? テッポーのツーシンハンバイ」
「ぶははは! ラッカちゃん、マジで面白えな!」
それから、二人で玉子焼きを分け合い、サラダを口に運び、串焼きで胃を満たした。
ふと、有線で綺麗な女性の歌が流れてくる。
「うお、スウィーテだ」とケンサクが目を輝かせた。「やっぱいいなあ。神の声だわ」
「スウィーテっていうの?」
「そう!」とケンサクが串をひらひらさせる。「オレの憧れっていうか、目標っていうか、そんな感じだな。落ち込んで辛いことがあってもさ、スウィーテの曲を聴くと、いいんだよ。
いつか、バカみたいな夢だけどさ、同じステージに立ってみてえなあ。まあ無理なんだけどさあ」
「無理なの?」
ラッカはそう訊きながらイカを噛んだ。
「ケンサクの歌も同じくらい綺麗だった。だから同じステージに立てると思う。なんで無理って決めつけんだよ」
それを聞くと、ケンサクの顔は耳まで真っ赤になっていた。
「あ――あんがと。ラッカ」
「お礼はいいんだ。ほんとに思ってること言っただけだし」
ラッカはビールを流し込んでから、にっかりと笑った。
「それより、ライブやる日いつなんだよ! 絶対に行くから教えろよな!」
「おっ、おう、教える教える!」
ラッカは楽しいと思った。東京に来てから、警察以外で友達ができたのは初めてだなあ、と感じた。
――ケンサクのほうは、そんな風に無邪気に笑うラッカを見ながら、体の熱をなんとか冷ますために冷酒を流し込んでいた。
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