第4話 VS吸血鬼 後編その2


  ※※※※


 そして、11月27日、夜。作戦決行のときが来た。

 長野県の山奥にある第8聖堂は、西洋式の宿泊施設を装いながら地図のなかに紛れ込んでいた。

 獣人捜査局第七班の副班長、仲原ミサキはスナイパーライフル用の暗視スコープを右目に当て、気づかれないギリギリの距離でその様子を伺う。

 ミディアムボブの茶髪に、憂い気な垂れ目。おそらくは胸の大きさを隠すために、ぶかぶかのウインドブレーカを着たパンツルック。

 その後ろには、班員の佐藤カオル。

「電気が消えたね。全員あのなかにいるのも確認」とミサキは立ち上がると、すぐにカオルに合図して二人で退散した。

 その近くには、二台の大型車。

 運転手の一人は第七班の田島アヤノ――黒髪をおさげにして、服は『踊る大捜査線』の青島ジャケットにオフィスカジュアルを着込んでいる小柄の女だ。もう一人の運転手は第六班の河野タイヨウ。

 ミサキは戻るや否や「状況順調」と言った。「第8聖堂にはいつでも突入できます」

「おーし」

 第六班の班長、橋本ショーゴは頷いた。

「全員来てくれ」

 休憩をとっていた班員たちは、即座に大型車から降りる。襲撃部隊は以下の十名。

 第七班の日岡トーリ、仲原ミサキ、山崎タツヒロ、佐藤カオル、田島アヤノ。

 第六班の橋本ショーゴ、西城カズマ、白石ルミネ、我孫子リンタロウ、河野タイヨウ。

「それから」とショーゴは言った。「第六班猟獣のイズナ=セトと、第七班仮猟獣のラッカ=ローゼキだ」

「はい」とイズナは答え、

「ほーい」とラッカは返事をする。

 ショーゴは頷く。

「第8聖堂の見取り図は渡したな? 正面玄関を吹き飛ばして突入したあとは指示したとおりのバディに分かれて突撃。既に連中の名前はデータベースと照合して顔写真も叩き込んでもらってるはずだ。見つけ次第、煮るなり焼くなりしちまっていいぞ」

「なあ」とトーリが口を挟んだ。「あの子たちが投降したらどうする。その場合、研究所送りも可能になるが――」

「投降?」とショーゴが笑った。

「そいつは結構なこった。白旗を上げてる獣は撃ち殺しやすくて助かる。まあ、徹底抗戦されると思っとこうぜ、美男子くん」

 そんなショーゴの言葉に、トーリは黙って首を振った。

「じゃあ出発だ」


 少し歩き出してから、山崎タツヒロが小声で言った。

「それにしても、よく眷属たちの顔データが全員分集まったもんですねえ」

「ああ」

 トーリは頷いた。「この子たちは全員、友人か恋人か家族の誰かが行方不明になってる。不審な失踪は獣人案件の可能性があるから、そのとき情報を採取されてたんだ」

「ふむ」

 タツヒロは口もとに手を当てる。

「それって要するに、この子たちこそがその獣人案件の犯人だったってことですね――つまるところ入団試験か」

 とタツヒロは言った。

「身近な人間をチトセ様の目の前で殺して食う、それが仲間入りする条件ってところですか。なんでわざわざそんなリスキーな真似をしたんだか」

「俺が思うに」とトーリが言葉を受け継いだ。「チトセ本人が獣人になるときそうしたからだ。つまり、彼女は仲間を増やしているが、対等な他者として認めているわけじゃない。自分のトラウマの強迫反復、それこそが眷属化の本質なんだ」

 彼の言葉を訊いたあと、ミサキが、

「分からないことと言えばもうひとつ」

 と言った。「今回の第8聖堂への撤退、妙だとは思わなかった? てっきり敵の獣は罠を張って、こちらを待ち構えているものだと思ってた。でも、違う。彼女たちは絶対の安全地帯に逃げ込んだと考えて、油断してるようにしか見えない」

 ――どうして?

 彼女の疑問に対して全員が答えに窮していると、不意にラッカが口を挟んだ。

「きっと、警察のことを全然信用してないからだと思う」

「ラッカ?」

 トーリは少し驚いた。ラッカは「え、えっと――」と慌てた様子でそれ以上は喋らなかったが、

「実は」とショーゴは言葉を受け継いだ。「おれもオオカミの嬢ちゃんと同意見だ。こいつは敬虔な信者とあるが、最初に入信したのは母親らしいと調べがついてる。つまり宗教2世だな。だったら、行政にも司法にも助けてもらえなかった恨みがあるだろ。警察が教会のことを調べてくれるなんて想像もつかない。

 だからこそ、警察が娘婿派と裏取引して情報を手に入れているなんて考えなかった――そんなところだろうなあ」

「あ、うん」

 とラッカは言った。「それ、それ私が言いたかったやつだよ」

「いいじゃないか」

 とショーゴは笑った。「トーリ、お前んところの猟獣、ちょっとは刑事らしくなったな?」

「まあ――頼りになってる」

 トーリは生返事をしたまま、それ以上なにも言わなかった。


 そして、第七班と第六班は第8聖堂の前にやってきた。

「これから正面突破するが」とショーゴは眼鏡の位置を直す。「その前に――イズナ、もうひとりの作戦要員を紹介しろ」

「はい、ショーゴさん」

 イズナは頷き、

 今まで握っていた右拳を解いた。正確には、イズナの能力によって見えなくなっていた第三者、そいつとの握手を解消した。

「えっ?」

 アヤノが小さく声を上げる。

 イズナの隣に、今まで見えなかった、若い男が立っていた。ぼさぼさの黒髪、目の下にくっきり浮いたクマ、猫背で、痩せこけて骨ばった体。

「あ、どもっす」と男は言った。「第五班の猟獣、メロウ=バスっす。今回の作戦にぼくが必要ってことで駆り出されちゃいました」

 男は――メロウは、そう言うと軽くおじぎした。

「先に確認しとくが」とショーゴは言った。「俺の獣、イズナは隠密型で、周囲に認識される自分の位置を実際の位置と別々にすることができる。その効果は自分の身に着けている衣服や武器に及ぶ。つまり、手を繋いだ相手を隠すことも可能だ。それでメロウをここまで隠した」

 そう説明したあと、ショーゴはメロウ=バスの肩に手を置く。

「こいつはクモの獣人で、結界型だ。こいつが立ち入った建物からは、こいつが出ない限りは誰も出られない」

 つまり、もう吸血鬼どもに逃げ場はないのさ――とショーゴは笑った。


  ※※※※


 河野タイヨウの持つショットガン――ベネリM3――が正面扉のドアノブを破壊。即座に第六班と第七班が扉を叩き壊して第8聖堂の玄関ホールに突入した。

 同時に第五班猟獣メロウ=バスも同様に館に入る。瞬間、クモの結界が発動。あらゆる窓とドアからの脱出は不可能になった。


 そうして突撃部隊は獣人と出会う。

 玄関ホールの2Fに、寝つけなかったらしい、取り巻きのひとりであるウミが立っていたからだ。

「――!」

 彼女はすぐに背中から羽根を生やし、牙を伸ばし、部分的に獣人体に変化する。戦うためではなかった。コウモリ特有の超音波で、

《敵! 敵が来てる! 逃げてぇ!!》

 洋館全体にそう警告するためである。

 襲撃者の人間たちには知るよしもないが、このとき、コウモリたち全員が目を覚ました。

 まず、西城カズマがウミに対して短機関銃を構える。

「やりぃ!」と彼は怒鳴った。「さっそくブチ殺していい獣人一匹ゲットだぜ!!」

 乱射。薬莢が飛び散り、ウミの体を追う。弾丸は、彼女の羽根に一発だけ命中。

《ぐ――あああ!!》

 ウミは痛みをこらえた様子で、2F東側に逃げ込んだ。

 カズマはバディである河野タイヨウとともに、玄関ホールの正面階段を駆け上がる。

「よし」とショーゴは言った。「見たな? あいつみたいに館のあちこちにコウモリどもがいるぞ。これから事前の割り振りで攻略する。

 ――吸血鬼どもを根絶やしにするんだ! 行けっ!!」

 それに対して、全員が「はい!」「おう!」「押忍!」と、それぞれの仕方でイエスと答えた。

 割り振りは以下のとおり。

 西城カズマ&河野タイヨウ。2F東。鏡張りの図書室。

 白石ルミネ&我孫子リンタロウ。1F東。ピアノつきの大食堂。

 山崎タツヒロ&田島アヤノ、1F西。絵画に満ちた応接間。

 仲原ミサキ&佐藤カオル、2F西。甲冑まみれの拷問室。

 そして、

 橋本ショーゴとイズナ=セトは1Fの腐乱臭のむせつく中庭墓地へ。

 日岡トーリとラッカ=ローゼキは地下1Fの血なまぐさい座敷牢へ。

 それぞれ手に取った武器で突入していった。

 全てはここで分散型の獣人を一網打尽にするためである。


 ――GOォッ!!!!


  ※※※※


 西城カズマと河野タイヨウは2F東の図書室に突入した。そこに逃げ込んでいるのは、先ほどカズマの短機関銃――MP5に羽根を射抜かれたウミである。

《くそっ》とウミは図書室で怒鳴った。《なんで窓がぜんぶ開かなくなってるの!? 殴ってもガラスが割れない!!》

 まさか、敵の獣人の力?

 ウミが焦っていると、背後で、

「もお逃げらんねえぞお!」と声がした。カズマの声である。

「見通しが悪いなあ?」と彼は愚痴ると、

「おらあああ!」と叫びながら手前の本棚を蹴り飛ばした。図書室にある棚が、ドミノ倒しのように全て崩れ落ちていく。

《く、くそ――!!》

 ウミはすぐに退避して、

 巻き添えにならないよう体を転がすと、すぐに起き上がった。

 そうして、西城カズマと河野タイヨウの二名に、彼女は直面する。

《不意打ちしやがって、ニンゲンどもが――!》

 ウミは唸りながら、しかし、彼らの対象がチトセ様ではないことに安心していた。私がこいつらを引きつけている限り、チトセ様を脅かすニンゲンは、少なくとも二匹は減ってくれる。

「なんだよ」とカズマは言った。「なかなかツラの良い女じゃねえか。羽根と牙が生えてなけりゃよかったのによ」

 そう呟いてから、彼はカートリッジを外し、別の――鈍い銀色の弾丸でパンパンになった弾倉を再装填する。

「シルバーバレット、使用許可申請ェ!」


  ※※※※


 白石ルミネと我孫子リンタロウは1F東の大食堂に突入した。

 誰もいないように見えるが、実際には、天井に取り巻きの一人――マキがシャンデリアに掴まっていた。

《窓が割れない。逃げ場がない。猟獣の能力か? ならば無闇な交戦は避けて、まずその獣を探して始末するのが最善!》

 そう彼女は考えたのだが

 ルミネは自動小銃――H&KのHK53を構えながら、

「あはぁん」と声を出した。

「ルミネちゃん勘で分かっちゃったあ! ――天井でしょ?」

 そして即座に乱射する。

 薬莢が弾け飛び、火薬の匂いに世界が満ちていった。

《な――! こいつ》

 マキはすぐに回避して大理石の床に降り立った。直後、左肩に痛みを覚える。

 銃弾がかすったのか? とマキは思ったが、不可解なことに傷口が治らない。

 おかしい。獣人には、核を潰されない限りは無際限の再生能力があるはずだ。なのに痛みが引かない、血も止まらない。

 マキはルミネを睨みながら、まさか、と思った。――こいつ、もうシルバーバレットとやらを使ってるのか!?

 ルミネのほうは、

「あれっ?」と左手でこめかみを小突いてから、

「あ、ごめーんコウモリさん! ルミネちゃんってば、ちょっとだけ職務違反しちゃってたかも! トーリさんに嫌われたくないから内緒にしててね?」

 と笑った。そして、大声でこう言った。

「えーっと、シルバーバレット、もう使ってまーす!!」


  ※※※※


 仲原ミサキと佐藤カオルは2F西の拷問室に突入。部屋の奥にはリンが立っていた。

「獣人捜査局のかたがたですか?」とリンは言った。「おそらく私たちを全員駆除する予定でしょうね。逃げ場もなんらかの方法で封じているとお見受けします」

「そうだね」とミサキは答えながら、拳銃――グロック17を構える。

「ひとつだけ」とリンは言った。「教えてください。どうしてこの場所、第8聖堂が分かったんですか。ここは警察組織も知らない秘密の施設だったはずですが」

「こんな反社組織のアジトを、警察が調べてないわけがないでしょ?」

 ミサキは正規のスタンスで拳銃を構えたまま歩み出した。「法を犯して秩序を乱す者を警察は許さない。ましてや野良に放たれた獣人は獣人捜査局が許さない。あなたのボスとあなたたちは、その、単純な理屈を見逃したってだけ」

「へ~え」とリンは言いながら、羽根と牙を生やした。

「そんなに有能な警察とやらが――なんで、チトセ様が獣になる前に、彼女の苦しみを救わなかったんですか!」

 ほとんど悲鳴のように、リンは怒鳴った。

「人殺しの獣を狩る前に、獣を生み出すようなクソ宗教を潰せばよかったのに! なんでチトセ様のことを助けなかったんだ――!!」

 それに対して、ミサキは冷静に発砲する。

 が、着弾の直前に、リンは部屋のなかに満ち溢れている甲冑のなかへ逃げ込んだ。まるで林のなかに潜んで爪を研ぐように。

「事情があるのは知ってる」とミサキは言った。「でもそれは貴女たちが人を殺し回っていい理由じゃない」

 だからここで止めるよ、あなたたちを。

「シルバーバレット、使用許可申請――」


  ※※※※


 田島アヤノと山崎タツヒロは1F西の応接間に辿り着いた。そこには、ひとりの少女がうずくまっていた。取り巻きのハナヨである。

「久保ハナヨさんですね」とアヤノは呼びかけた。「もうこの建物は完全に包囲されています。いま大人しく投降すれば命だけは助けてあげられます」

「ほんと?」

 ハナヨはゆっくりと顔を上げた。

「あ、あた、あたし――死にたくない!」

「分かりますよ、ハナヨさん」とタツヒロは言った。「研究所はそんなに悪いところではありません。小説や音楽や映画は手に入ります。体に負荷のかかる実験も、今はほとんどないんですよ」

「――ほんと?」と、ハナヨは涙ぐむ。

 そんな彼女を見て、アヤノとタツヒロは目を見合わせた。

 ――この子はまだ、調べた限りではコウモリに巻き込まれて日が浅い。わざわざ駆除する必要などないだろう。

 タツヒロは微笑む。

「全ての作戦が終わったら僕たちについてきてください。他にも投降してくれる子はいるはずです。獣人捜査局は、ちゃんと君の味方ですからね」

「ありがと――ありがとうございます」

 ハナヨは鼻をすすりながら、ゆっくりと立ち上がった。それを見て、タツヒロとアヤノは静かに頷く。

 そうして一瞬だけ、タツヒロがハナヨから背を向けた。

 刹那の間。

 彼女は羽根と牙を生やした。

《――そんなもん信じるわけないだろが! クソが!》

 直後。

 急襲。


  ※※※※


 そうして、橋本ショーゴとイズナ=セトは1F中庭の腐乱臭漂う墓地を歩いていた。東西南北、四方はこの洋館に囲われていて逃げ場はない。

 その中央に、チトセの取り巻きの一人、エリが立っていた。黒のひっつめ髪に涼しげなひとえまぶた、そして顔中に散らばっているそばかす。喪服の姿。

「なんだよ」とショーゴは言った。「ここに本命のチトセ様とやらがいると思ったんだけどな」

「ひとつ訊くが」とエリは言った。「ホノカとコトリを殺したのはお前らか?」

 それを耳にして、ショーゴは眼鏡の位置を直した。

「そうだ。おれが拷問して殺した。だからお前らの居場所も簡単に分かったよ」

 その答えに、エリは歯を食いしばった。

「ホノカとコトリは、死ぬ前、なんて言ってた?」

「よ~く覚えてるよ」

 ショーゴはエリを見つめながら辞世の句を暗唱した。夜、風は静かだった。月もくっきりと空に浮かんでいる。

「『薄汚いニンゲンどもめ。お前らマトモな死にかたをできると思うなよ。

 よくもコトリの体にこんなマネをしやがったな。たとえ私が死んだって、私の仲間が仇を討ちにくるぞ。何人殺したってチトセ様が仇を討ってくれる。せいぜい楽しみにしてろ、悪党の狩人ども』」

 ショーゴは言い終わった。

 エリは歯ぎしりをしすぎたのか、口から血が出ている。

「なんていうかな」とショーゴは言った。「お前ら、ずいぶん仲間想いの獣なんだな?」

 そう言うとショーゴは眼鏡を顔から取り外し、丁寧に布で拭いてからかけ直した。

「おれはうっかり感動しちまったよ。あんなに顔面や内臓を痛めつけられたって、なかなか自白しねえんだからな。本当に強い絆なんだなあって、身に染みる思いだったよ」

 エリが「貴様――!」と声を発すると同時に、ショーゴは大きな片手の平で自分の顔面を覆った。

「仲がいいんだなあ」

 そう呟いてから、ショーゴは少しずつ手の力を強め、青筋の立ったこめかみを隠す様子もなく、ゆっくり頭を上げた。


「ヒトを平気で殺すケダモノ風情が、キラキラ友情ごっこのつもりか。

 反吐が出るぜ。

 せいぜい苦しんで転げ回って死ね、社会のゴミクズどもが――!!」


 そうショーゴは、憎悪と復讐心に満ちた表情で言った。

 躊躇いなくエリは彼に襲いかかる。羽根と牙を瞬時に生やし、

「うああああ!! テメエもう喋んなあ!!」と彼女は叫んだ。

「あの世でコトリとホノカに詫びてこい!! きたねえニンゲンの鬼畜野郎が――!!」

 が。

 次の瞬間。

 エリの首筋は誰かに切られていた。血が噴き出す。結果、すぐに脳に栄養が回らなくなり、目まいを起こす。

 ――え?

 エリは倒れながら、自分のうしろ側にイズナ=セトが立っていることに気づいた。彼女が手に持っているサバイバルナイフが真っ赤に染まっている。自分の血だと分かった。

「なんで――」とエリは呟く。「さっきまで、お前、あの男の隣にいたのに」


「私は隠密型の獣人です」とイズナは答えた。「私の本当の居場所は、ショーゴさんさえ知っていればいい」


  ※※※※


 そして日岡トーリとラッカ=ローゼキは地下を歩いていた。天井にはぽつぽつとした豆電球。長い廊下の左右には、鉄格子で人間を閉じ込めるための座敷牢が並んでいる。壁のコンクリートは綺麗だ――が、ラッカはずっと血の匂いを感じていた。

「ここで何人も死んでると思う――獣がやったのか?」

「いや」とトーリは答えた。「おそらく獣じゃない、教会によるものだろう。こいつらは獣人を匿って内輪揉めの殺し合いをさせる前から、人を何人も殺めてる――証拠はまだないけどな」

「警察は動かないの?」

「動くさ。右腕派の幹部どもを獣人案件で連行したら組織の地盤はガタ落ちするからな。そこを叩く」

 彼はそこまで説明してから、左手でラッカの動きを制した。

 ――敵の本命が、廊下の奥にいる。

 立っていたのは熊谷チトセだった。コウモリの羽毛を思わせる漆黒のロングストレートヘアと、真っ赤な瞳。そして、おそらくは人間時代の病弱を引きずったものだろう、透き通るような白い肌。大きな胸と長い手足は、深紅のドレスと、ケープに覆われている。

「へえ、かっこいい刑事さんだね」とチトセは言った。「警察なんかじゃなくて、俳優とか歌手になればお金もいっぱい稼げたのに」

「俺がほしいのは金じゃない。俺にはほしいものはひとつもないよ」

 トーリはそう答えてから、拳銃――グロック17を構えた。

「君が投降したら、仲間も大人しく捕まってくれるかもしれない。交渉に応じる気はあるのか?」

「全然なし」とチトセは答える。「でも、オオカミのお嬢ちゃんとは会話させて。もともとこの子を探ってたの。そのせいでこんなことになっちゃったけど」

「ああ、分かった」

 トーリが合図すると、ラッカは二歩、三歩と歩を進める。

 ――吸血鬼と狼人間。コウモリとオオカミ。熊谷チトセとラッカ=ローゼキが初めて対面した。

「ねえオオカミちゃん」とチトセは言った。「改めて誘ってあげるね? 猟獣なんてつまらないことはやめて、あたしたちの仲間にならない? あなたは自由になれるし、あたしたちは逆転できるんだよ?」

「やなこった」

 とラッカは言った。「お前ら、めちゃくちゃ人を殺してるんだろ。私はイヤだね。そんなの」

「なんで?」とチトセは首を傾げる。「人間だって牛や豚を殺してるよ? なにも違わないでしょ? あなたはオオカミだけど、オオカミだってお肉を食べるよね?」

「――そうかもしれないけど、やっぱりイヤだ」

「ふふ」

 チトセは笑った。「オオカミちゃん面白いね。人間としての情緒が芽生えて、なのにそれを言語化できない。――ね、もう少し話そうよ? あなたの答えが面白かったら大人しく投降してあげるから」

「私、と――?」

「うん、もうちょっと近くに来て? ボーイッシュで可愛いオオカミちゃん?」

 ラッカはふらふらと、五歩ほど前に進んだ。

 そのとき。

 チトセは手のなかに隠し持っているボタンを押した。

 トーリとラッカの間に、天井から分厚い鉄の壁が落ちてきて、二人を完全に分断する。


「くそっ」とトーリが銃を構え直していると、横から、チトセの取り巻きであるノゾミが襲いかかってきた。

《うああああああああ!!!!》

 ノゾミは既に羽根も牙も生やした姿で、トーリの体を押し倒すと床を転げ回った。

《薄汚いニンゲンがあ、チトセ様の邪魔をするなあ!!》

「伏兵か!」

 トーリは激しい攻撃を受け止めながら、腰に下げたサバイバルナイフをノゾミの柔い脇腹に刺し込み、必死に退避して立ち上がる。

「悪いが――こうなったら、俺も自分の命は守るしかない。

 楠田ノゾミさんだったか。

 ――もう君は人類の敵だ」

《ああ!?》

「シルバーバレット、使用許可を申請する!」


 他方、ラッカは急に現れた鉄の壁を拳で叩いていた。

「トーリ!? トーリ!? おい大丈夫か!? 向こうはどうなってんだ、おい!!」

 返事がない。

 ――私のせいだ。私が油断してトーリと離れたから壁で分けられたんだ。これでトーリが他のコウモリに倒されたら、どうすればいい?

 混乱しているラッカは、しかし、背後から自分を襲う殺気に気づいて緊急回避。間一髪のところで熊谷チトセの攻撃を避けると立ち上がった。

 チトセがそこにいる。

 彼女も既に、吸血鬼さながら、コウモリの羽根と牙を体から生やしていた。

 ――その筋力は、彼女に力を分け与えられた眷属たちのおよそ三倍あった。

「あなたの相手はあたしでしょ!? オオカミ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る