第3話 VS吸血鬼 前編その2
※※※※
熊谷チトセとその取り巻きは、SNSの捨て垢が投稿していた画像から、ふたつの情報を得ていた。
まず、キツネ獣人と乱闘していたオオカミ獣人の、人間体の容姿。次に、そんなオオカミの人間体に自分の上着を着せて車に連れていく美形の男。
つまり、ラッカ=ローゼキと日岡トーリの特徴だ。
※※※※
最初の週末では、日岡トーリとラッカ=ローゼキは東京の街をぶらついていた。女子寮から所定の駅まではBMWの助手席に座ったが、そのあとは電車も使った。
「週末だが」とトーリは言った。「外の街を歩いて実地訓練をしたいと思う。たしかラッカは切符の買いかたも知らないと聞いた。そういう人間の世界の常識とか、警察官として必要な人間観察の方法とか、諸々教えていくつもりだ」
「サンキュー、トーリ」とラッカは笑った。「私、めっちゃ頑張るからさ、マジで」
そうして二人は新宿駅を降り、昼から騒がしい繁華街に足を運んだ。
「人を避けて歩きながら、気配を張り巡らせるんだ」
とトーリは言った。
半径20メートルくらいまでは、首も体も動かさないまま、通り過ぎていく人間の特徴を捉える。老人と若者の比率は? 男女の割合は? そのなかに、犯罪を犯しそうなヤツはいるか?
「なるほど」とラッカは言った。「あっ、いま口喧嘩してるヤツがいるよ。40メートル先の角を曲がったところだな」
「ラッカは鼻も耳もいいんだな」とトーリは言った。
「一般人を装って、ゆっくり近づいていくぞ。犯罪性があったらすぐ介入するつもりで」
「その『一般人』って、なに?」
ラッカの疑問に、ほんの少しトーリは黙ったあとで、
「国家の秩序に責任を持たない、その他大勢のことだ」
とだけ応答した。
角を曲がり、人気のない路地裏に出ると喧嘩の場面に出くわした。女同士だ。が、片方だけ一方的に痛めつけられている。
「金も払えねえってのはどういうわけだコノヤロー!」と、殴っているほうの女が恫喝していた。「てめえ半グレなめてんのか!? 湾に埋めっぞコラ!!」
「ずっ、ずびばぜん! ずびばぜん!!」
「金ねえんなら体売るなりモツ売るなりしてさっさと100万くらい用意しろボケカス! テメエもテメエの家族も全員沈めっぞオラ!」
「ゆるじでぐだざい――! がんべんじでぐだざい!」
殴られたほうの女は、洋服を自分の鼻血でベトベトに汚しながら謝り倒していた。
トーリはそれを少し眺めたあと、
「ラッカ」と囁いた。「今から俺があいつらを詰める。相手の女が逃げたら立ちふさがってくれ」
「え、ぶっとばす?」
「違うよ」とトーリは微笑んだ。「ただ、ちょっと体が触れたらわざと大げさに転んでくれればいい」
「おっけ」
それからトーリは二人の女に割って入った。「警察だ。なにやってる?」
「はぁ!?」と女が怒鳴った。「知らねえよ! 見ないフリだけしてろ、クソポリ公! とっくにマル暴の前田とは話つけてんだこっちは!」
「知らないな。俺は獣狩りだ」
トーリはため息をついた。「ヤクの売買の回収でカネが逃げたから下っ端の女いたぶってるってところか? 持ってるもの出して、さっさと家まで案内しろ」
「――ちっ!」
女はすっと体をかわすと、その場を駆けて逃げ出そうとした。
すぐにラッカが間に入り、肩がほんの少しだけ触れる、と、ラッカは大げさにその場に転ぶ。
「――ラッカ、大丈夫か?」とトーリが訊いた。
「大丈夫じゃないで~す!」とラッカは笑った。「めちゃ痛いで~す! 骨いった~!」
嘘である。
女は「はあ!?」と叫んだ。「いや、嘘でしょ、そんな強くぶつかってないじゃん!」
それに対して、トーリは女の両肩を強く掴んだ。
もう逃げられない。
「はい、公務執行妨害だな。家宅も捜索する。ヤクが家にあるなら全部バラしてから担当の麻取に引き継ぐぞ」
そこまで言ってから、トーリは殴られていたほうの女を向いた。
「君はもういい。ここから逃げろ」
※※※※
車を停める。その間、女のバッグと靴のなかから白い粉の入ったパケが出てきた。
ラッカが女を拘束するなかで、トーリは街のアパートに辿り着いた。インターフォンのチャイムを鳴らす前に女に振り返る。
「室内にいるのは誰だ? 答えろ」
「お、お――男――ずっといっしょに暮らしてる――」
「分かった、ありがとう」
それからトーリは静かにチャイムを鳴らした。
「ラッカ」とトーリは言った。「車のトランクにあったチェーンカッターをくれ」
ラッカは道具を渡した。
彼がそんな風に喋る間、室内の男は「なんだよ、うっせーなもお!」と悪態をつきながら近づいてくる。そしてドアを開けた。
目の前にいる警官――トーリに気づいて「うおっ」と叫ぶやいなやドアを閉めようとするものの、トーリはすかさず足を隙間に挟み、
パン!
と、男の顔面を殴りつける。
「あ、うう、ああ――」と男が部屋の奥へ逃げていこうとするので、トーリは大ハサミでドアチェーンを切断した。そしてアパートに入る。
ラッカに拘束されているヤク中の女は泣き続けるだけだった。
男は鼻血を垂らしながら逃げ惑うが、すぐに追いついたトーリから、さらに左ジャブと右ストレート、最後に突き蹴りで肩をやられてうずくまった。
その間、反撃の隙はなかった。
「おい、警察ナメてんのか」とトーリは言った。「麻取が来るまでの間に部屋に隠してたパケも全部出せ」
それに対して、男は痛みで涙を流しながら頷いた。鼻血がボタボタと垂れて部屋の床中に飛び散っている。
トーリは立ち上がると、アパートの部屋を出て、「予想どおり下っ端の売人だな」とラッカに言った。「このところ近辺で動きが活発だ。麻取に差し出す前にショーゴ先輩に連絡する」
「ショーゴ?」とラッカは首を傾げた。
「ああ」とトーリは頷いた。
「ショーゴが班長をやってる第六班は、今はヤクザを相手にしてる。正確には、ヤクザと癒着してる新興宗教団体。そこが飼い慣らしてる獣人だけどな」
そう言うと、トーリは橋本ショーゴに電話をかけた。
『よう、我が後輩の美男子トーリくん』
「ヤクを売ってるチンピラを捕まえた。麻取に差し出すが、お前の捜査に必要か?」
『必要だなあ。あと麻取には出すな。サツに渡されたら拷問(しつもん)もできねえよ』
「――お前も警察だろ」
『カハハ!!』
ショーゴは笑った。『マル暴の前田ってヤツがつまらねえことしてんのは知ってる。そいつはどうでもいい。客と顧客主のリストだけ探すか吐かせるかしてくれ、できればな』
「分かった」とトーリは答えた。「俺に手伝えることは他にあるか」
『今はない』とショーゴは言う。『このところ統和教会の動きが妙なんだよ。反乱分子の行方不明状況が雑になってきてる。そのくせ幹部は堂々としたもんだ。屍を獣に喰わせて知らんぷりする、それに慣れてきたと見るのが正しい。こっちは下っ端を詰めて、適度に牽制しながらゆっくりやるさ――どうせ狩りなら遊ばなくちゃな』
「好きにしてくれ。とりあえず現場は引き継ぐ」
トーリはそこまで言うと通信を切った。ラッカは女を拘束したままだった。
やがて近場にいたショーゴの部下が到着する。
「あとはショーゴに任せる」とトーリは言った。「俺の訓練生時代の先輩だ、頼りになる」
こんな風にときどき仕事をしながら、トーリとラッカは街をぶらついて人間社会の実地訓練を積んでいた。
最初の週は街の美術館に足を運んだあと、和食の料亭で箸の正しい使いかたと正座の作法を学んだ。
「なんでニンゲンって、絵なんて描くんだ?」
「そうだなあ」
トーリは刺身を呑んだ。
「狩りと同じだな。獣を捕まえて肉を食べるみたいに、風景を捕まえたり、人物を捕まえたり、抽象的ななにかを捕まえたりして、自分自身の絵筆に取り込むんだよ」
「――へえ」
「表現っていうのは、自分の内側にあるものを吐き出すんじゃなくて、世界を自分の内に取り込む過程のことなんだと俺は思う」
それから、次の週は映画館に行って流行りのデートムービー(東日本大震災で母親を失った少女が不思議な力とともに次の震災を阻止するファンタジー映画だ)を見たあと、中華料理を食べた。
「あ、トーリ」とラッカは言った。「私、今日はお酒飲むよ、お酒!」
「そうなのか」
「うん、だってハタチだから! ハタチ!」
ラッカは紹興酒をぐいぐい飲むと、帰りの助手席ではほとんどずっと眠っていた。
そして、11月19日の土曜日はプラネタリウムで時間を潰したあと、有楽町のイタリアンでテーブルマナーを学ぶ約束になっていた。
ラッカは椅子に背を預けながら、人工の星の光に目をこらしていた。
――ニンゲンの世界には昼間の流れ星もあるんだ、そう思って、隣に座るトーリの綺麗な横顔を眺めた。
『オオカミ座という星座がありますが、その由来を伝えるギリシャ神話は存在しません』
と、プラネタリウムのナレーターは言った。
※※※※
イタリアンの1階席に着き、トーリとラッカはメニューのなかからいくつかの料理を選んだ。
「あと、お酒!」とラッカは言った。トーリは適当なワインをボトルで注文する。ウェイトレスはミネラルウォーターを入れて下がった。
「ラッカ」とトーリは言った。「酒を飲むなとは言わないよ。実際に任務で口に入れる場面もあるからな。ただし、前回の中華料理店のときみたいに、眠くなるまで飲むのは外では避けようか。敵に襲われたときに自衛できない」
そう言うと、トーリは微笑んだ。「今日は、ちゃんと酒の量を調整する訓練も兼ねよう」
「ん、わかった」
ラッカは頷いた。「お酒の量と、洋食のテーブルマナーと――あと、今日はなんの訓練をすんの?」
「人の話に聞き耳を立てることと、逆に、周囲に怪しまれずに物騒な話をすること」
トーリはそう言うと、届いたパンをかじった。「目を動かさないまま、フロア全体を観察する。たとえば対角線上に中年のカップルがいるだろ」
「うん」
「男のほうはヴィーガンだ」
「ヴィーガン?」
「ああ。俺が店に入ったときから、テーブルの上にいちども肉の料理が来てない。さっきウェイターに、植物性食品の代用も依頼してた」
「ヴィーガンってなに?」
「動物を食べない人たちのことだな。動物由来の商品を使うこともしない」
「え――なんで?」
ラッカは少しだけ混乱した。ケモノを食べないニンゲンがいる?
「ん~」とトーリは目線を上にやった。「動物も神経があって、傷つくと痛い思いをするだろ? ヴィーガンは人間の痛みだけじゃなくて、動物の痛みも減らしたい。だから動物を殺して食うことを避けるんだよ。それがグッドな選択と信じてる」
「へえ~!」
ラッカは驚きと呆れと、両方交じった感情で頭がくらくらした。
「自分の群れじゃないヤツの痛みなんか、気にしたことなかったな。そんなのもニンゲンにはいるんだ?」
「こういう話、面白いか?」
「分かんないけど、面白い」とラッカは答えた。
「人間社会で上手くやっていきたいなら、人間のルールに従えってミサキが言ってた。だから人間のことは知りたい、かな。ルールは人間がつくったもんだし、人間が分かればルールが分かるから」
ラッカはそう言ったあと、「あ、これタツヒロの受け売りなんだけど――」と補足した。
「なるほどな」とトーリは言った。
「興味があるなら本も買おうか。それに、タツヒロに言ったら貸してくれる」
「うん。あ、最初は漢字が少ないやつね?」
二人はそんな話をしながら、ピザをつまみ、ステーキへ静かにナイフを入れた。ラッカは酒を飲む。少し顔が火照ってきて、
「おっ、ここだ。これ以上飲むと少しだけ眠くなりそう」
そう言ってワイングラスをテーブルに置く。
トーリはそれから、冗談みたいな口調で今後の捜査について話し始めた。あまりにも堂々としていたので、ラッカは最初、それが重要機密事項だと分からない。
「いいの? こんなとこで」
「どうせネットに流れてる情報なら俺たちが喋っても構わない。それに素人が聞いてどうこうできるものじゃないしな」
それからトーリは紙ナプキンになにかを書いて、ラッカに見せた。
《俺たちの会話に対して必要以上に反応するヤツがいたらクロだ。こうやって色んな場所で餌を撒いていく》
それからトーリは静かに話し始めた。「いま俺たちが気にしなくちゃいけない事件はふたつ。東京の吸血鬼と、統和教会の相次ぐ行方不明」
東京の吸血鬼。
それは、四年前から断片的に発生している連続殺人事件だった。被害者は薬で眠らされたあと、血を全て抜かれて死亡。屍はみな人目につかない路地裏やゴミ処理場に捨てられていた。
被害者には共通点があった。全員20代前半の男性。健康的でスポーツ関係の業績があるが、性的経験はない。
「グルメなやつだ」とトーリは言った。「自分が気に入った対象の血しか吸う気がないらしい。こういう獣人はプライドが高くて、自己顕示欲に溺れて犯行を誇示するパターンも多いが、今回はそういう形跡もない。つまりアタマも相当良い」
「なるほど」と、ラッカはパスタをくるくる巻きながら頷く。
もうひとつは、統和教会で多発する行方不明事件。
「アジア大陸発祥の、キリスト教を基礎にした胡散臭い新興宗教があって、日本で勢力を伸ばしてる。信者をマインドコントロールして多額の金を貢がせて破産させてるとか、気に入った女を儀式と称して幹部の妻にしているとか、まあ、そこは宗教のパターンだな」
頑なな信者候補に対しては、聖薬の授与と称してヤク漬けにしているらしい。そこでヤクザと癒着してる。
「問題は」とトーリは呟く。「二年前に教祖が死亡。右腕だった幹部の男と、教祖の娘婿の間では覇権争いが起きてる。そして、娘婿派の信者たちが幹部から下っ端まで連続で行方不明になっている」
警察は探りを入れているが、証拠がない。明らかに事件性はあるのに、手を出せない状況なんだ。
「ふーん」とラッカは言う。「あ、そうか、前に捕まえたヤクの売人もそれ絡みか!」
「そういうことだな」
トーリは紙ナプキンで手を拭いた。「この件はショーゴが調べてる。連中が証拠隠滅に獣人を使ってる可能性、つまり、死体を丸ごと飲み干せるか、骨だけ残して処理を楽にしてくれる獣を統和教会が既に保持してる、という可能性をまず疑ってるわけだな」
「なるほどな」
ラッカはデザートのプリンを頬張りながら、「そのふたつの事件って、なんか関係あるわけ?」と訊いた。
「俺もショーゴもそれを疑ってる。
――このふたつの事件、発生のペース配分が同じなんだ。どちらも最短で一か月に一回の頻度。要は、同じ胃袋と食生活で処理されてるってことだ」
トーリとラッカは、そこまで話し終えたあと、自分たちの皿が空になっているのを見た。
「そろそろ出ようか。手洗い大丈夫か? 俺は先に払って車の前で待つよ」
「おカネってやつ払うの?」
「ああ」
もやもやする。
「それって、私も払うのはダメなの? 二人で食べたのにトーリだけ払うって変じゃない? トーリはなんでおカネ持ってんの?」
「――警察の仕事をして人の役に立つと、巡りめぐってお金が手に入るんだ。だから料理も食べられる。そういう助け合いって感じだな」
「私は? 私だってヒトの役に立ってると思うよ。私のおカネは?」
「ラッカ、やっぱりちょっと酔ってるのか?」
「酔ってないよ別に!」
ラッカはカッとなった直後、自分の声が少し大きいのが恥ずかしかった。
「――ごめん、トーリ」
「ああ、いや、そうだな――」
トーリは少し目をそらしてから財布を開けた。
「ラッカは猟獣って立場だから給料はないんだ。獣人捜査局員から、仕事に必要なとき受け取るだけだよ。でも――」
彼はそう言うと、何枚か一万円札を取り出す。
「――分かった。ラッカの給料は俺から出すよ。ラッカは人間の味方だし、人間たちの役に立ってるもんな。ほしい本とか、そういうのはここから使うといい」
「トーリ――」
ぽかんとしながら、ラッカは素手で一万円札の束を受け取った。
「え、いいの?」
それに対して、トーリは上着を着ながら笑った。「二人で食べたんだから、ラッカの言うとおり二人で払おう。いま渡したそこから、半分だけ出してくれ」
「――うん!」
ラッカは、ぱあっと目の前が明るくなった気がした。
※※
――トーリ、こういうのって言葉でなんて言うの?
――割り勘。
――割り勘かあ。へへ、私、トーリと割り勘だぜ!
――それって嬉しいか?
――嬉しい! 割り勘の逆はなんて言うの?
――奢り。
――奢られて嬉しいってほうが分かんないなあ~!
――人間の女の子にはそういう子もいるよ。
――え、嘘だあ~~!!
※※
トーリとラッカが会計を済ませてレストランから出ていくのを、熊谷チトセの取り巻きのうち二人、ホノカとコトリが、店内から観察していた。懸賞金つきで目撃情報を募っていたら、簡単に見つかった。
「ターゲットのオオカミちゃんが動き出したね。こっちも出よっか?」
「うん」
ホノカの言葉に対して、コトリは静かに頷いた。「あれがオオカミの獣人か」
なんか、そんなに強そうな感じもしないんだけど。仲間を増やせるチトセ様のほうが絶対に偉いと思うよ。
会計を済ませるホノカの後ろを横切って、コトリは野球帽を目深にかぶると、夜の往来を歩く日岡トーリとラッカ=ローゼキの後ろ姿をロックオンした。
「隙を見せた瞬間に男は始末。
オオカミだけは、チトセ様のもとに連れていく。
――統和教会の裏教祖、チトセ様のもとに――」
コトリはそこまで思考を巡らせたあと、殺気を消した。
ゲームスタート。
コトリは長い銀髪を野球帽のなかに収めたあと、スポーツ用品店のジャージのジッパーを閉めた。遠くの日岡トーリとラッカ=ローゼキを眺める。
相手が尾行に気づいている様子はない。それでいい。
――こちとら小さい頃、ずっと忍び足で生きてきたんだ。腐った床板がきしむたびに親に殴られた。
だから、私の足音はその気になれば獣にさえ聞こえない。チトセ様から受けた命令は必ず遂行する。そうやって、今まで生きてきたんだ。
コトリはそう思いながら気配を消し、人ごみをかきわけていった。
※※
トーリはラッカと並んで夜の街を歩きながら、彼女の猟獣訓練の状況について、これまでの班員の報告を思い出していた。
まず、山崎タツヒロの報告。
「最初はどうなることかと思いましたけど、びっくりするほど覚えが良いし優秀ですよ。今年中には義務教育課程を終えると思います。国語や社会の成績よりも数学や理科の伸びがかなり良いですね。典型的な理系タイプの生徒だと思います。実技四教科についてはこれからですが」
次に、佐藤カオルの報告。
「ラッカくんは獣人ということもあって、最初からフィジカル面に関しては文句がありません。フォームの整えかたについても即日対応でしたし、正直に言うと教えることは今はもうほとんどないですよ。他の獣人とのスパーリングをして力の差を測っていくのが最善と考えますね」
次に、田島アヤノの報告。
「んー。正直、ラッカちゃんは車の運転にはメチャクチャ向いていないですね。獣人って人間と違って変身前後で体の大きさが変わるでしょ? だから、ハンドルで制御できる車体のサイズを把握するのが難しいんでしょうね。あ、でも、バイクはもう乗りこなせるみたいですよ!」
最後に副班長、仲原ミサキの報告だった。
「最初にこんな下手だったのはトーリくん以来かな。自分自身の指でトリガーを引いて、その力が遠く離れた場所に当たるっていう概念を呑み込むには相当に時間かかると思うよ。アヤノの報告も聞いたけど、身体感覚を拡張することはかなり下手なんじゃない――?」
「なるほどな」とトーリは言った。「引き続き訓練を続けてくれ。最低限の基準――丙級1組のレベルに達した時点で定期訓練に戻して大丈夫だ」
「ねえ」
ミサキはトーリの顔をじっと覗き込んだ。「トーリくんは週末にどんな訓練をしてるの」
「街に出て実地訓練だよ。捜査に必要な技術や人間社会の作法を学んでもらってる」
トーリがそう答えても、ミサキは納得していない様子だった。
「班長のトーリくんが総合学習担当になるのは正しいと思うよ。でも、大丈夫? ちゃんと適切な距離感を測れてるか心配なんだけど」
だって。
だって、獣人は人間じゃないとはいえ、女としての気持ちはあるんだし。
「適切な距離感って」とトーリは言った。
「書類上は20歳だが、ラッカはまだ子供だろ? それに俺は、あと三年も経ったら30代だよ。なにかあると思うほうがおかしいんじゃないか?」
「ん~、だといいけど――」
ミサキは少し目を伏せてから「ま、いっか」と言って立ち上がり報告を終えた。
「大変だろうけど、いろいろ頑張ってね、トーリくん」
――ミサキさんって昔から俺に対して心配性だよな。
そのときのミサキの表情を思い出しながら、トーリは夜の東京を歩いていた。秋が深まり、肌寒い。隣にいるラッカが「なんか手が冷てえ~!」と言った。
「冬にそなえて手袋も買うか?」とトーリが訊くと、
「握ってくれたらいいよ」とラッカが上目遣いで見てきた。
はははっ、とトーリは笑ってラッカの手を握った。「これなら冷たくないか?」
「えっ、うん」
「ただ、これだと敵襲が来たときに対応が難しい。手袋は俺のほうから贈る。冬にも使えるやつがいいな。ちゃんと考えて選ぼうか」
「えっ、えっ、うん――」
トーリはラッカのうろたえ気味な言葉を聞きつつ、
ふと、
自分たちの歩くペースに合わせてついてくる存在に気づいた。
二人、いや四人だ。
――さっきのレストランを出てから急に足音を消したヤツが一人だけいる。そんなことをしたら、今から尾行を始めますなんて言ってるようなもんだろ。だったら最初から音を殺さなくちゃ意味がない。
本命の獣人はともかく、その部下はあまり賢くないらしいな。
トーリはラッカに目配せして、BMWを停めている駐車場とは別の場所に歩いていく。
――おびき出してやる、獣人。
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