第3話 VS吸血鬼 前編その1

 11月16日。夜。

 御茶ノ水のマンションの一室で、熊谷チトセは四人の取り巻きといっしょに夕飯を食べていた。

 部屋は薄暗く、全ての壁は防音材で覆われている。ダイニングテーブルの上に載っているのは、オニオンスープとフォアグラのステーキ、カモのコンフィにウサギのパテ。特にコースは考えず、取り巻きが思い思いの食材を持ち合わせて料理した。ただし、ワイングラスに注がれている真っ赤な液体だけはチトセが用意したものである。

 それは酒ではなく、人間の血液だった。20代前半の健康な男性で、非喫煙者、性経験もなし。それがチトセの趣味である。

「おいしい」と、チトセは飲み干した。

「はい、とても」と、取り巻きのひとり――ホノカが頷いた。「チトセ様の一部になることができて、そのニンゲンのオスもさぞ光栄でしょう」

「ふふ」

 チトセはカモ肉を口に放り込みながら、愉快な気持ちで笑う。「このカモさんと同じみたいに、ね?」

 そうそう――と、さらにナイフで肉を切り分けながら、チトセは話題を変えた。

「今日は片づけなくちゃいけない議題があるんだった。エリからのお話と、あと、コトリちゃんからだっけ?」

「はい」とエリが先に答える。「『クロネコ』様からの連絡がありました。『オオカミの女を探れ』とのことです」

「へえ、なにそれ」

「さあ――私にはなにがなにやら」

 エリは肩をすくめた。

 チトセは、自分以外の存在が「様」づけで呼ばれると不愉快になる。だから、あまり『クロネコ』様とやらの話題は好きになれない。

「ねえ」と、別の取り巻き――ノゾミという名前である――が声を上げた。「そのオオカミってさ、これのことじゃない?」

 そうしてタブレットを起動。

 ブラウザをスクロールすると、目当ての画像をチトセと他の取り巻き全員に見せた。

 ――そこには、キツネの獣人と乱闘するオオカミの獣人が映っていた。

「獣人同士の狩り合い?」

 チトセが眉をひそめると、ノゾミが首を振った。「このオオカミさん、人間を守りながら戦ってたって話だよ?

 ツイッターで検索すると、捨て垢でメチャ出てくる。ポリ公は獣人案件には箝口令を敷いてるっていうのに、人の口に戸は立てられないねえ?」

 とノゾミは笑う。

「ふうん」と、チトセはあごに指を添える。「獣人捜査局に所属する猟獣ちゃんが、野放しの獣を狩りに行った――って感じ?」

「たぶんね?」

「かわいそう」とチトセは言い、また人間の血をワイングラスで飲み干した。

「ニンゲンに飼われる獣人なんて奴隷でしょ? ウサギの言いなりになるようなライオンがいる? 牛や豚に飼い慣らされるニンゲンがいる? 警察に鎖で繋がれてる獣人って、そのくらい、自然の摂理に反してると思うけどなあ~!」

 チトセは頬を膨らませた。それから、

「あっ、そうだ!」と手を合わせた。「そのオオカミちゃんを探して、ヒトから解放してあたしたちの仲間にしない?」

「素敵です!」とホノカは目を輝かせた。「きっと、『クロネコ』様もそういうことをチトセ様にしてほしいのだと思います!」

「なるほどねえ」

 チトセは機嫌を直して、フォアグラを頬ばる。「じゃあ皆でオオカミちゃんを見つけて、ニンゲンたちの下らない洗脳から自由にしてあげなくちゃね?」

 上下関係は絶対だもん、ニンゲンは獣人の食べもののくせに生意気だよね。

 それに対して、取り巻きの四人は同時に「はい!」と答えた。


「それじゃあ、次の議題。コトリちゃんのほうは?」

 チトセがそう訊くと、

「はい、あの」と、また別の取り巻き――コトリはおずおずと話し始めた。「わたしたちの仲間になれる子を見つけました」

「ああ、そういえば」とチトセは微笑んだ。「もう隣の部屋にいるの? その子は」

「はい、いま、ちょっと呼んできますね?」

 コトリは席を立ち、隣の第二寝室のドアを開けた。

 しばらくすると、コトリに手を引かれながら、ひとりの下着姿の少女が返り血にまみれた姿で出てきた。

「あ、あ――」

 少女の瞳の焦点は合っていない。

「大丈夫だよ」とチトセは優しく笑った。「落ち着いてね? あなたは、これから獣人になるの」

 だから、さっきあなたが部屋でバラバラにした男はもう、あなたにとってただの下等生物なんだし、気にしなくていいよ。屠殺業の人たちが罪悪感を覚える必要ある?

 チトセは落ち着いた口調で言って聞かせた。

「ちなみに、その男は誰だったの?」

「彼氏です」と少女は答えた。「も、もう、ぶたれるのイヤで――」

「ニンゲンのくせに、将来獣人になる女の子を殴ってたんだ? それは自業自得だね」

 チトセはそう言うと、ゆっくりその少女を抱きしめた。

「名前は?」

「は――ハナヨ――」

「ハナヨちゃん。あなたにあたしの力を貸してあげる。今日からあなたも獣。立派な吸血鬼。コウモリだよ?」

 そうしてチトセは、少女――ハナヨの肩に牙を突き立て、噛み、少しずつその血を吸った。

「あ、ああ、ああああ――!!」と、ハナヨが喘ぎ声を上げる。


 儀式が済んだあと、チトセはハナヨの手をとって「ようこそ、あたしたちの会に」と微笑んだ。「今から部屋の男の肉は自分だけで全部食べてね。できるでしょ?」

「は、はい、はい――」

 ハナヨは恍惚とした表情で――全身をコウモリのそれに変えながら、第二寝室に舞い戻った。全ては、獣人になるための通過儀礼である。

「さてさて」とチトセは他の取り巻きに言った。「仲間も増えたことだし、これから、皆で頑張って可哀想なオオカミちゃんを捜索開始ね」

「はい!!」

 ハナヨが元彼氏の屍肉を食い漁る音を心地よく聞きながら、取り巻きたちは――全員、チトセに力を与えられたコウモリである――元気よく返事した。


  ※※※※


 その三週間前。

 ラッカはキツネと戦ったあと、まず警視庁獣人捜査局の定例会議に呼び出された。

 局長の渡久地ワカナは頬杖をついていた。55歳の痩せぎすな女性で、白のトレンチコートとパンツスーツに身を包んでいる。

「女子寮に潜入していたキツネを駆除したようだな、ラッカくん?」

「あ、はい」とラッカは答えたあと、「いや、本当に倒したのはトーリです」と言った。

 ラッカの隣に立っていた日岡トーリが肩をすくめる。

 そのとき、第六班班長、橋本ショーゴが手を挙げた。黒髪オールバックに銀縁眼鏡をキメている長身の男だ。

「ちょっといいかあ?」

 それから振り返った。

 目線の先にいるのは、ショーゴ自身の猟獣であるイズナ=セトだった。うなじを刈り上げた、おかっぱの茶髪。三白眼。

「イズナ、お前は当日は別件で女子寮にいなかった。そうだな?」

「はい」

「しかしキツネが化けていた柏ヒトミとは何回か顔を合わせている。それで合ってるか?」

「はい、そうです」

「はあん」

 とショーゴは言った。「つまり、おれのイズナの嗅覚じゃ気づかないキツネに、このオオカミちゃんは気づいたわけだな?」

 その瞬間、イズナの顔が耳まで真っ赤になった。かと思うと、彼女は直角に頭を下げ、

「も、申し訳ございません! ショーゴさん!」

 と、廊下に響くような大声で叫んだ。

「や、いいよ」とショーゴは手をひらひらさせた。「責めてるわけじゃない。お前が猟獣として優秀なのはおれがよく知ってる。

 つまり、そんな優秀なイズナでさえ察知できない外敵にオオカミちゃんは対応できる。そういうことをおれは言いたいわけだ」

 と言って、ショーゴは椅子の背もたれに体を預けた。

 そのとき、獣人捜査局第二班班長――志賀レヰナが手を挙げた。

 44歳。顔の左半分を獣に抉られて以来、肉を削がれた傷跡がずっと残っている。本来なら美人に属する女だ。

「ワカナ、いいか?」とレヰナが微笑んだ。ワカナを呼び捨てにできるのはレヰナだけだ。

「ラッカ=ローゼキの猟獣運用だけど、アタシは賛成票に転じることにした」

 レヰナがそう言うと、場がざわつく。

 第三班班長の藤田ダイスケが「なんで」と言った。「トーリやショーゴみたいな若造はいいさ。――なんで第二のあんたが?」

「そりゃね」とレヰナはタバコを咥えた。「C級のカラスを殺した程度で猟獣にしてくれって話はアホかと思った。でも、今回は実績を残した。強いなら、なんでも使えばいい。銃も獣も、お巡りの仕事に役立つならな」

 彼女は笑ってトーリを眺めた。

「やらせてやりゃあいいじゃないか、この坊ちゃんにさ」

「ふむ」とワカナが頷く。「これで警視庁獣人捜査局班長のうち、賛成票は日岡トーリ、橋本ショーゴ、志賀レヰナの三人になったのか。ほぼ半々だな?」

 ワカナはトーリとラッカを交互に見つめながらため息をついた。

「猟獣訓練を許可する。座学に格闘術、逮捕術に銃刀術と車両運転技術。第七班のメンバーでこの獣を調教しろ」


 ラッカはそれを聞きながら、壁際に立っているイズナ=セトを眺めていた。彼女は既に頭を上げていたが、俯いたままで、顔を紅潮させながら下唇を噛んで震えている。

 皆の前で差を見せつけられた、と思っている?

 ――これ、いま目を合わせないほうがいいな。

 ラッカはそう思って、顔を別の方向に向けた。


 が、イズナが思っているのはもっと根深いことだった。

 ――ショーゴさんが、私じゃない獣を褒めた。ショーゴさんが――!


  ※※※※


 こうして、ラッカ=ローゼキの猟獣訓練が開始した。

 まずは警視庁獣人捜査局の第七B会議室を借り、個別指導の座学。担当者は、第七班のなかでも獣人科学のエキスパートである山崎タツヒロだ。艶のある黒髪を山分けにして、ノンフレームの眼鏡をかけた塩顔の男だ。

「まずは基礎から」

 そう言うとタツヒロはホワイトボードに板書を始める。

「国際的にはもっと前になるんだけど、獣人が我が国に出現したのは1979年。その時期から集めたデータで、僕たちは科学的見地を積んできた。たとえば、いまラッカさんが身を置いている猟獣制度は1987年に成立した。シルバーバレットは、2000年に開発と実装を開始。2009年には、僕たちの獣人捜査局が現在の形になる」

 タツヒロは淀みなく喋っていく。

「そんな歴史のなかで分かったことは、再生能力もそうだけど、獣人には色んなタイプがいて既存の物理生物学では説明がつかないんだ。

 たとえばラッカちゃんが最初に倒したカラスは異常な速さと高さで空を飛ぶ飛行型。次に倒したキツネは、人間体に戻ったときの姿を変えられる変化型。他にも、自分の力を他に分け与える分散型ってのもいて――」

 そこまで喋ってから、タツヒロはラッカを見た。

 ラッカは席について、うんうんと頷いている。ノートやペンには全く触れていなかった。

「ラッカちゃん」とタツヒロは言った。「この話けっこう長くなるんだけど、テストのためにノートは取らなくていい?」

「えっ? ああ」

 ラッカは笑う。「私、文字は書けないんだよね。ニンゲンの言葉は映画館で習ったから。喋るのと、あと字幕ならちょっと読めるんだけど」

「は?」

 タツヒロは呆気に取られたあと、「もしかして、ペンも持てない?」と訊いた。

 ラッカは机の上にあるボールペンをグーで握る。「持てた、けど?」

 それをしばらく眺めてから、タツヒロは眼鏡の位置を直し、ホワイトボードの板書を全て消した。

「ごめんね、確認不足だった。カリキュラムを変更しようか」

 そうして彼は、ちょっと待ってて! と言ったあと会議室を出ていき、数十分後にダッシュで戻ってきた。タツヒロの腕には、小学生のための『こくご』『さんすう』『りか』『しゃかい』の教本と練習ドリル数冊が抱えられていた。そして数本のエンピツと消しゴム。

「読み書き算盤から、じっくりやろう」


 ラッカにとって、勉強は楽しかった。

「ああ、この漢字ってこう読むのかあ」とか「かけ算って便利なんだなあ」とか声に出しながら問題を解いた。

 そのあとで教本の物語文を音読した。

「これ意味あるの?」とラッカが訊くと、

「文章から必要な情報を拾って頭に叩き込む訓練になるし、物語の登場人物の心情をトレースする練習になる」とタツヒロは答えた。

「へえ――」

「獣人を捕まえるのに必要なのは、手がかりを見失わないこと。そして犯人の気持ちを追いかけること。後天性の獣人は、特に、人間の感情が強く残っているからね。それは国語の勉強と読書で身に着くものだよ」

「なるほどな」

 そうしてラッカは、目次のタイトルが気に入った物語文を適当に選んで音読を始めた。


「『かげおくり』って遊びをちいちゃんに教えてくれたのは、お父さんでした。出征する前の日、お父さんは、ちいちゃん、お兄ちゃん、お母さんをつれて、先祖のはかまいりに行きました――」

 タツヒロは近くのパイプ椅子に腰かけて、ラークを咥えると火をつけて吸った。ラッカはずっと国語の教本を音読していた。


「『ああ、あたし、おなかがすいて軽くなったから、ういたのね』

 そのとき、向こうから、お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、わらいながら歩いてくるのが見えました。

 『なあんだ、みんな、こんな所にいたから、来なかったのね』

 ちいちゃんは、きらきらわらいだしました。わらいながら、花畑の中を走りだしました。

 夏のはじめのある朝、こうして、小さな女の子の命が、空にきえました――」


 ラッカはそこまで教本を音読したあと、ふう――と軽く息を吐いた。

 タツヒロは顔を上げた。ラッカは無表情だった。

「物語を声に出して読んでみて、どう思った?」

「そうだな――」

 とラッカは椅子に座り直すと、窓を見た。「私も小さい頃、生んでくれた母さんと父さんが死んで、食べるものもなくて山を迷ったことがあるんだよ。あれは辛かった」

「そうか」

「私はそのあと、オオカミの母ちゃんに会えたけど」

 それからラッカはタツヒロをじっと見た。

「ちいちゃんは、そういうんじゃなくって、空に消えちゃったんだな」


  ※※


 座学の次にスケジュールを組まれていたのは、格闘術と逮捕術の訓練だった。担当は第七班でいちばんガタイのいい男、佐藤カオル。

 空手の道着を着た彼は脇を引き締めた。

「よろしくお願いします! 獣人捜査局第七班、佐藤カオルです。好きなものはお弁当作りと、編み物! これから同じ班で働く者どうし仲良くしましょう! 押忍!!」

「お、押忍――!」

 同じく空手の道着を着たラッカはカオルの真似をして、脇を引き締めてみた。

 声も体もデカいしゴツい。身長は2メートル近くあり、筋骨隆々のカラダが空手道着の下で盛り上がっている。髪は角刈り。ひとえまぶたの瞳は林のように静かだった。

 そんな男と二人きりで獣人捜査局のジムにいた。

「ラッカくん、まずは、これを見てください!!」

「え、なに?」

 カオルは紙を出す。そこには獣人捜査局女子寮一階の間取り図と、あの日のキツネ獣人の逃走経路が赤線で描かれていた。

「ラッカくん。敵に気づいてすぐに攻撃に転じたのは素晴らしい! しかし現実、貴女の攻撃のせいで敵は都合よく外に出て、結果として住宅街をパニックにしてしまったのです――ここは改善点ですね」

「たっ、たしかに!」

「敵を自分の領域内で捕らえたと判断したら、むしろ内へ内へ敵を蹴り飛ばすべきだったのです!」

「そのとおりだ!」

「ふふ、こうした叡智の結晶が日本警察の誇る逮捕術です!」

「すげえ――!!」

「さあ、ボクとトレーニングして素晴らしい猟獣になりましょう!」

「なる! なる!」

 ラッカの返事にカオルはゆっくりと頷いてから、すっと腰を低くした。

「まずは体力の適切な使いかたから。ラッカくん、右の拳を打ってください。ただし、打ったあと腕を戻さないように」

「? こう――?」

 ヒュン、と、空気を鋭く切る音とともに、ラッカは右拳を空中に繰り出した。

「はい」

 カオルはゆっくり近づき、ラッカの腕の角度と体の姿勢を眺めた。

「――正拳がやや上にずれていますね」

「えっ?」

「女性にはよくあることです。技を振るう相手が自分より高身長であることが多いため、拳が癖として上ブレします。しかし、そのぶん力も逃れてしまって、ダメージに至らない」

 カオルはラッカの手首を優しく掴むと、それを右正拳の定位置に修正した。

「ここです。殴るときはここが100%の力になる」

「なるほど」

「戦術として上や下に振れるときはいいんです。が、そのとき全力ではなくなっていることを承知してから技を放ったほうがいいでしょう」

「うん、うん――」

「どうしても相手の顔面を狙いたいときは蹴りを。しかし、蹴りは拳よりも当たりにくいですから、状況次第では懐に入って投げての寝技が確実です」

「オッケー!」

 ラッカはそう返事してから、「あれ?」と言った。

「私、そういえばケンカで相手を投げたり寝技かけたりしたことないや。どうしよ?」

 それを聞くと、カオルはハッハッハッ、と笑った。

「そのためにボクが練習台としてここにいるんじゃないですか!」

 と、自分の顔をグッと指し示した。

「おそらくラッカくんの人間体ベースの身体能力は、ただの人間であるボクの1.5倍程度です。手加減してくれれば、ギリギリ耐えられるでしょう」

「おお――なるほど」

「さあ! ボクを敵だと思って、まず背負い投げの練習です!!」

「押忍!」

 ラッカは笑いながら気合いを入れて、その後、人間体ベースではあるものの、獣人としての力で佐藤カオルをボコボコにしながら格闘訓練を積んだ。


 ※※


 そして次の日、ラッカは屋外の射撃訓練場に来ていた。

 担当は副班長の仲原ミサキ。ミディアムボブの茶髪に、憂い気な垂れ目。おそらくは胸の大きさを隠すために、ぶかぶかのウインドブレーカを着たパンツルック。

「これから拳銃、小銃、狙撃銃、散弾銃、短機関銃の訓練をする。いい?」

「うん」

 遠くに人型の的が置かれた砂場のなかで、ミサキはテーブルの上に銃器を置いていく。拳銃はグロック17、短機関銃はMP5、狙撃銃は豊和M1500、散弾銃はベネリM3。小銃は89式の5.56mm小銃。

 そして別のテーブルに、銃弾のパックを置いていく。

「まずは弾を装填するところから」

「うん」

 ラッカはマガジンに銃弾を入れ、それをホールドオープンのグロック17に格納する。銃身のスライドを戻すと、ゆっくり遠くの的を狙って動きを止めた。

「はい、そこから動かないでね」とミサキは言った。「正規のスタンスに矯正するから」

「うん、お願い」

 ミサキはラッカの体に触れ、腕の伸びや、肩の向きや、足の開きを両腕で微調整していった。最後に背中を押さえて「もう少し前かがみに。反動で体が上を向かないようにね」と囁く。

「分かった」

「銃のリアサイトとフロントサイトに注目。その延長線を的の中心に。あとは銃に任せて引き金を引く。引くときに力を入れすぎてブレないで」

「うん」

 ラッカは引き金を引いた。ガン! という火薬の破裂音がすると、銃身がスライドして薬莢が吹き飛び、弾丸は的のほうに命中する。

「おお、当たった!」

 ラッカは声を上げた、が、ミサキは、

「正しいフォームで正しく狙って正しく当たるのは銃の性能のおかげ。自慢になんないよ」

 と言った。

「実際にベストな体勢で敵と向き合える状況なんてないからね。正しい射撃の30~40%みたいな状態で的に当てて、初めて銃を使いこなせたと言えるから」

「――なるほど」

 ラッカは拳銃をテーブルに置いた。「ミサキはそれができるってこと?」

「見てて?」

 直後、ミサキはテーブルに背を向けると、すぐに振り向いてテーブル上のグロック17を右手だけで掴み、なんの姿勢も整えないまま、ただ拳銃を持ち上げただけの動作でトリガーを引いた。

 火薬の爆発。薬莢の排出。

 ――弾丸は的の中心を射抜いていた。

「これが拳銃の使いかた」とミサキは言った。「ハンドガンは片手で、1秒以内に撃てるようにね?」

 正しいフォームを学ぶのは、現状の自分がどれだけその型から外れているかを認識するため。現場では、理想的な格闘も銃刀もないよ。合気道とかの護身術ってあるでしょ? 台本どおりに襲ってくる暴漢なんかいないんだし、付け焼刃で知るくらいなら学ばないほうがマシ。

 それでも結果を出すの。それが狩人。OK?

 ミサキは厳しい顔で言った。ラッカはこくこくと頷く。

「形を学ぶのは、今の自分がどれだけ外れているかを知るため、か――」

 そして顔を上げた。

「分かったよ、ミサキ。拳銃と、小銃と、短機関銃と、散弾銃と、狙撃銃の撃ちかたを私に教えてほしい。正しい撃ちかたと、正しくない状況の撃ちかたと、両方」


  ※※


 また別の日。ラッカは車両訓練場に来ていた。

 田島アヤノ――黒髪をおさげにして、服は『踊る大捜査線』の青島ジャケットにオフィスカジュアルを着込んでいる小柄の女だ――は、まず普通自動車の運転からラッカに教えてくれた。

「最初のほうは全然ゆっくりでいいからね、ラッカちゃん!」

「うん」

 ラッカはハンドルを握りながら、足を動かしてアクセルを踏む。トヨタのクラウンを移動させるたびに冷や汗が流れた。

「え、車、こわっ!」

「あはは! どんなところ?」

 助手席のアヤノの質問に、ラッカは少し考える。「なんかいつもと違う。自分の体で、自分の体より大きい、そういうのを動かすって初めてって言うか」

「銃は平気だったのに?」

「銃は、拾った石を遠くに投げる感覚に近いから大丈夫だけど。車は、自分もいっしょに動くしさ」

「あーね?」

 アヤノはアメリカンスピリットを助手席で吸った。「車体の全部が自分のカラダの延長って考えるんだよ。なんか」

「延長?」

「そうそう。車のフロントも自分の体、リアも自分の体って考える。そうすると、周りにぶつけないように、上手いハンドルの回しかたが分かるから」

 アヤノはそう言うと笑う。「これができると、次に、バスもトラックも、特殊車両もなんとかなるようになるからね。応用の根幹はイメージにあり、だよ」

「アヤノ、すご」

「ふふふ。今度ね、ヘリと船の資格も取ってみようかなって思ってるんだ」

「そうなんだ?」

「人間は獣人に敵わないけど、それを埋めるのが機械と技術だし。じゃあ、それは乗りこなしてみせたいなとか、思っちゃう感じかなあ?」

「え、へえ――」

 ラッカは少し呆気に取られた。

 ――機械と技術が、獣人と人間の差を埋める?

 アヤノはラッカの顔を見て、すっと微笑んだ。「ラッカちゃんは充分強いけどさ、標的に近づくまではなるべく人間体のほうがいいとき、きっとあるし。そういうときに車とかバイクとか運転できると色々便利だって思うからさ、ちゃんと教えるね?」

「バイクか」とラッカは呟いた。「そうだ――先にバイクに挑戦してみよっかな?」

「どして?」

「体の延長って、さっきアヤノが言ったけど。外の空気に触れながら機械にまたがってるほうが私はイメージしやすいかな、って」

「オッケー!」とアヤノは笑う。「車庫にいいのがあるよ」

 こうしてアヤノがラッカに紹介したのが、SUZUKIの『WOLF』250だった。


  ※※


 そんな訓練期間の週末、ラッカは、人間界のルールを知るために日岡トーリと外出することになった。

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