第2話 VS化け狐 その3


  ※※※※


 柏ヒトミは仲原ミサキの命令に対して「えっ、えっ、どうしたんですか」と小声で震えながら、ゆっくりと両手を上げた。

 いや、もう柏ヒトミではないかもしれない。変化型のキツネ獣人が柏ヒトミという獣人捜査局員候補生を食い殺し、その姿になっている可能性があるのだ。

「早くしろ!」

 ミサキはグロック17を突きつけながら怒鳴った。

 そのとき。

 ふと。

 柏ヒトミの目が、獣の目になった。

「なんだよォ――もうバレちまったのかァ?」

「ッ!」

 次の瞬間、ヒトミは食堂のテーブルを裏から蹴り上げていた。ミサキのほうに食卓が傾いていき、倒れかかって、ヒトミの体を守る盾になる。

 ――クソ、やっぱり獣人だったか!

 そう思いながら、ミサキは拳銃を二発ほど撃つ。が、盾になったテーブルに穴は空くものの、その向こう側で獣に命中した気配はない。

 倒れてくるテーブルを、ミサキは、拳銃を構えていないほうの左手で押さえる、が同時に、それが体の左側に対する死角になってしまった。

 まさにその死角を突くように、ヒトミはテーブルの盾から踊り出て、ミサキの左側から攻めてくる。

 ――!

 ミサキは即座に右手の拳銃を腰の位置に落とし、そちらの方角へ向けて三発ほど射撃。

 が、当たらない。

 テーブルを支える己自身の左腕がブラインドになって、正確な狙いが定まらなかった。

 獣人ならば、その程度の杜撰な発砲は、銃口の向きを目視したあとでさえ避けることができる。

 ――基本的に、獣人は人間体の時点で常人の倍の力があると言われている。100m走の人間平均は12~13秒だが、獣人はこれを約6秒で走り切ることができる。

「クソ!」

 ミサキは左手でテーブルを押し返してから、改めてヒトミに――獣人に狙いを定めた。

 だが、そのときにはヒトミは、既にミサキの懐に入っていた。

「おせーよ、ノロマ」

 ヒトミは嘲笑しながら、ミサキの右腕を掴むと、もう片方の手で彼女のパーカーを握ってそのまま突進。ミサキの体を勢い任せに壁に打ちつけていた。

 ゴッ、という、背骨に響く音。

「がはっ!」

 ミサキの口から声が漏れた。痛み。同時に、彼女の手から拳銃が零れ落ちる。

 ヒトミはミサキを壁に磔にしたまま、ずりずりと持ち上げていった。

「なんでオレが獣人だって分かった? ああ? ちゃんと本体の肉は削いで食ったのによ」

 女の声だが、男の口調だ――と、ミサキは思った。

「なに?」とミサキは言った。「獣の男が女になりすまして新卒の社会人ごっこ? ㇵッ、女子寮の風呂でも覗き見したかったの、ドスケベ野郎」

「ああ?」と、ヒトミの目に殺気が宿る。「狩人の女なんか誰が抱くかよ。もう死ね――」

 ヒトミの手がミサキの首を掴み、ギリギリと絞め上げていった。

 やばい、このままだと息ができない以前に、首の骨を折られて死ぬ――。

 ミサキがそう思ったとき、

 ベランダの窓が勢いよく開いて、仮猟獣のラッカ=ローゼキが飛び膝蹴りでヒトミの側頭部を吹き飛ばした。バスンッ、という衝撃音とともに、ヒトミは食堂のドアにぶつかって廊下の壁に打ちつけられる。

 絞め首から解放されたミサキは、そのまま床に崩れ落ちた。

「あいつ敵か? アヤノ」とラッカは呟いた。

「うん、たぶん、きっと」とアヤノが答える。

「そうか――」

 ラッカは食堂を見渡したあと、床に落ちているミサキのグロック17を拾った。そして廊下に出ると、起き上がった柏ヒトミに対して、

「敵はァ!!」と威勢よく怒鳴った。「私の巣から、出てけェ!!」

 からの、回し蹴り。柏ヒトミの細い体は玄関ドアのほうに向かって吹き飛んだ。それに向かってラッカは拳銃を構える。


 ミサキは朦朧とした意識のなか、「ダメ!」と叫んだ。

 ラッカはまだ銃刀訓練を受けていない。つまり、獣人捜査局員が所持・発砲を許可されている銃火器を、ラッカは扱うことを許されていない。もしそんなルール違反を犯したら、ただでさえ危うい立場であるラッカのことだ、今度こそ殺処分か、あるいは研究材料として実験の対象になる。

 ――それはダメだ。この子はトーリくんが連れてきたんだ。トーリくんが連れてきた子を、私の不手際のせいで死なせるわけにいかない。

 ミサキはそう思いながら叫んだのだが、ラッカのほうはなんの躊躇いもなく、グロック17の引き金を引いた。

 銃弾が射出されて、薬莢が排出される。9ミリパラ弾が柏ヒトミの脇腹を貫いた。

《ギ――ギイ――ギイイ!?》

 ヒトミが獣の声を上げながら後ずさる。ラッカはさらに発砲した。今度は肩に命中して、ヒトミの体はさらに後ずさった。

 発砲。命中。発砲。命中。発砲。命中――。

 ヒトミの体が玄関ドアに背中を預けたところで銃弾が切れた。拳銃はホールドオープンの状態になる。ラッカはそれを見てから、拳銃そのものを柏ヒトミに勢いよく投げつけた。パン、という音を立てて、彼女の額が割れて、血が噴き出していった。

《グ――アアア――アア!!》

 うずくまっているヒトミに対して、ラッカはダッシュで駆け寄ると、今度は体の中心を狙って飛びながら突き蹴りをかます。

 玄関ドアが、蝶番の金具ごと壊れてブチ破られたあと、柏ヒトミは――いや、柏ヒトミを装った獣人は女子寮の中庭に放り出された。


 ミサキは呆然としていた。自分が今まで苦戦していた獣人を、このラッカ=ローゼキという獣人は、いとも容易く圧倒していた。

 ラッカは、それまで拳銃を握っていた右手をぱくぱくと閉じたり開いたりしながら、ふっと笑みをこぼしていた。

「なんだ、銃って割り箸より簡単だな」


  ※※


 ラッカはゆっくり、中庭の柏ヒトミに近づいていった。

 いや、もうヒトミではない。その姿は少しずつ、くすんだ金髪の、チンピラめいた男の姿に戻っていく。同時に、ラッカが撃ち込んだはずの銃創が癒えていくのを彼女は認めた。

「――なるほど、変化と再生は同時にできないんだ」

 獣人には、核を潰されない限り無際限の再生能力が備わっている。だが変化型の獣人は――少なくともこのキツネは、その再生能力と変化の力を同時に行なえない。

「だったら」とラッカは言った。「傷が治る前に銃弾を撃ち続ければお前はもう誰かに成りすませないんだ」

「――ケッ」

 と、男は嘲笑った。

「その前に逃げてやるよ。また行方をくらまして、姿を変えりゃいいだけだ。死ぬまで怯えてりゃいいぜ、お前ら狩人の家族や、恋人や、友人が、いつオレになってるか分からねえんだからな。疑心暗鬼に一生を過ごせばいいさ」

 オレみたいにな、と男は言った。

「逃げられると思ってんの? この状況で」

「当たり前だろ、オオカミ女。――テメエは強いが、頭はよくないみたいだ」

 男は、キキキッと笑ってから、ふっと庭の入り口ドアのほうへ目を向けた。

 ――女子寮は大通りに面してる。

 次の瞬間。トラックが通り過ぎたその刹那に、男は飛び上がった。荷台に乗る。車の速度――およそ時速60kmで、男はまず逃走を図ったわけだ。


「ラッキー」と、男は――戸塚トシキは呟いた。痛みは続いているが、肉体の再生はもうすぐ終わる。「こりゃついてるぜ。風に紛れてニオイも散らせる。まずは態勢を立て直さなくちゃなあ」

 トシキは再生に伴って自分の体からポロポロと落ちていく9ミリパラ弾を眺めていた。その間にも、トラックは豪速で右折し、左折して、女子寮から遠ざかってくれている。

「あのクソオオカミ女、必ず殺すぞ」

 オレはオレを拾わねえニンゲンはみんな食ってやるんだ――オレを捨ててクソ男に走ったクソ母親みてえになあ。

 やがてトラックがビル街に入ると、トシキはふっと息を漏らした。「ここまで来りゃいい。もう並の獣人は追いきれねえ」

 が。

 そのとき、ガン! という音を立ててトラックの荷台に誰かが降り立つ。

「あ、ああ――!?」

 トシキが振り返ると、そこにはラッカ=ローゼキが立っていた。

 後ろ手でひとつに結んだ白い髪。太い眉。そしてオオカミ特有の鋭い蒼灰色の双眸。身長170、漆黒のライダースジャケットを着た少女がそこにいた。

 そういえば、今日の夜は曇り空だった。が、月はいつもそこにある。

「私、並の獣人じゃないんだよ。悪いけど」

 とラッカは言った。

「クソ!」とトシキは怒鳴った。


 そして数秒と経たないうちに、完全なキツネの獣人体になった戸塚トシキと、オオカミの獣人体になったラッカ=ローゼキが、光のないビル群を背景にしながら、己の爪と牙を使った狩り合いを始めていた。

 二匹の間にあった感情はただひとつ。《お前を狩ってやる!》であった。

 それが最も純粋で最も自然な、生命が他者に抱く感情である。


  ※※※※


 飛び上がった黄褐色のキツネと白銀のオオカミは、夜の空中で互いに殴り合っていた。互いが下の位置にならないように揉み合い、爪と牙で深手を負わないようにしながら、ジャブとスイング、フックを使い分けた最近接領域のボクシングを続けていく。

 オオカミの顔に二発拳が当たり、キツネのほうには五発ダメージが届く。

《嘘だろ――!?》とキツネは思った。《こいつ、なんで――なんでこんな強えんだ!?》

《ガァッ!》

 とオオカミが唸ると、鋭い回し蹴りがキツネの脇腹にめり込んだ。その勢いのまま蹴飛ばされて、キツネは――戸塚トシキは高層ビルの壁に打ちつけられる。ガラスの窓は全て割れるか、ヒビ割れた。

《ギ――キイイイ――!!》

 キツネは背中をガラスの破片で血まみれにしながら正面を睨む。

 道路を挟んだ向こうでは、オオカミが別の高層ビルの壁を足場にして、こちら側に飛び移ろうとしていた。

 ――ナメてたな。このクソ女、A級クラスの獣人だ。

 キツネが舌打ちするかしないかの間に、オオカミは、ひゅん、と風を切りながらキツネの側に辿り着き、その頭を押さえつけながらビルの壁に着地。

 窓ガラスがさらに割れると、建物のなかから、人間の逃げ惑う悲鳴が聞こえてきた。

 そのとき、オオカミの動きが少しだけ鈍った。

 ――?

 キツネには彼女の感情が一瞬分からなかった、が、すぐに結論に辿り着く。

《そうか!》と思った。《こいつは警視庁獣人捜査局の猟獣! つまりニンゲンどもは犠牲にできねえってことだ! だから――だからニンゲンの安否を気にしてる!》

 キツネはニタリと笑う。そして、自分の頭を掴んでいたオオカミの手を払うと、すぐに最高速で跳躍し、別方向に逃げ出した。

《待てコラ!》と、オオカミがすぐに迫ってくる。

 ――クク、単細胞バカが。御しやすくて困るぜ。

 キツネはオオカミに追いつかれた瞬間、自分の右脇腹にあえて隙をつくる。当然、オオカミはそこを蹴り飛ばした。キツネは血を吐きながら夜空を舞っていく。

《大丈夫》と彼は思った。《地図は頭のなかにちゃんと入ってる。オレはこいつに計算どおり蹴飛ばされりゃいい》

 キツネは――戸塚トシキは笑った。

《逃げ惑うオレをテメエが追い詰めるのは近場の住宅街だ! ボケが!!》


 数分後、やっとキツネは力尽きたフリをして、安価なマンションやアパート、一戸建てが並ぶ街並みの交差点に振り落とされていた。こんな夜でも起きている人間はいる。彼らは悲鳴を上げたり、どさくさに紛れてスマホ撮影をしたりしながら、キツネから逃れていった。

 そこにオオカミも――ラッカも着地する。

《諦めろ。お前、私より弱いよ》

《そうみてえだな?》

 キツネはニヤッと笑い、近くにいたサラリーマン風の男に狙いをつけた。《なら、これはどうなんだ!?》

 サラリーマン風の男は腰が抜けているらしく、その場から動かない。キツネは近くのコンクリートブロックを拾うと、彼の体にまっすぐ投げつけた。

 直後。

 オオカミが豪速で間に入る。キツネの弾を受け止めるのは、彼女の背中になった。

 ざくり、と、肉の抉れる音。

《がはっ――!》

 オオカミの口から、初めて血が零れ落ちる。

《ギャハハハハハハハハ!》

 キツネは大声で笑った。《ニンゲンに飼い慣らされた獣は哀れだなあ! オイ! 自分の食い物なんかの言いなりなんだからよお!?》

《てめえ――!》

 オオカミはゆっくり起き上がる。が、傷の深さゆえに回復には時間がかかるのか、よろよろと、その足取りはおぼつかない。

 キツネは周囲を見渡した。

 そこには、夜遅く、小さな女の子を連れて歩く若い母親がいる。キツネと目が合うと、彼女は「ひっ」と震えて、その場から動けなくなった。そして、小さな女の子を――自分の娘だろう――ぎゅっと抱き寄せて、その場で腰を抜かしている。

《アアン?》とキツネは思った。

《なんでニンゲンのメスが、自分の子どものこと庇ってんだ? おかしいだろ?》

 キツネはゆっくりと近づく。

 脳裏には、自分の母親との記憶がべったり塗りたくられていた。

 母親が連れてきた男。男に殴られるオレ。助けてくれない母親。守ってくれない母親。息子であるオレを捨てようとした母親――!

《ニンゲンのメスが!!》とキツネは怒鳴った。怒りが沸点に達していた。《母親ヅラすんじゃねえ! オレを捨てたくせによ!!》

 そうしてキツネは石を投げつける。

 が。

 やはり直前に、オオカミが間に入って、彼の暴力をその背中で受け止めていた。さらに血が噴き出る。

 母娘は無傷だった。


  ※※


 いって~、とラッカは思った。だが、今は周りのニンゲンを守るほうが先だ。

 彼女はそのとき、獣人捜査局局長、渡久地ワカナとの会話を思い出していた。


 ――日岡トーリ班長は、君を人間の味方として活躍させたいようだよ。

 ――要は、トーリの言うこと聞いて、人助けをすりゃいいんでしょ?


 人助けをしながら敵も狩るって面倒くさいんだな。

 ラッカは血を吐きながら、自分の体を盾にして母娘を守っていた。任務だ。が、もちろんそこにはただの義務じゃない気持ちもちゃんとある。

 母ちゃんが教えてくれた、とラッカは思った。ガキは、群れのいちばんの宝だ。ガキを育てる親を守らないような群れは滅びる、それが自然の掟だ。

《ウウウ――ウウ――!》と、痛みに耐えながらオオカミは立ち上がる。

 人間の母親に抱かれていた小さな女の子は、ラッカを見て、

「こわい――」と泣き始めた。

「いやだ、こわい、おおかみ――おばけ――!!」

 そんな彼女を見てラッカは、

 ――よし、元気に泣けるなら怪我はないな、と安心した。


 母娘が逃げ去ったあとで、

《こら、キツネ!》とラッカは怒鳴った。《セコい作戦考えやがって。てめえ、楽に死ねると思うなよ》

《おいおい》とキツネは笑った。《オレのターンがまだ終わってないと思ってんのかあ?》

 そして彼は進入禁止のポールを引き抜き、

《今度は人間ダーツだぜ!》と叫びながら、それを向かいの交差点――まだ人がいる――に投げつけた。

《バカ!》と叫ぶが早いか、ラッカはポールと交差点の間に割って入り、


 今度こそ、腹部を貫かれて膝を突いた。


《ずるいぞ、クソ!》とラッカは思った。痛い。ポールの穴から血が際限なく流れ出て、力が出ない。

 血が、口から大量に流れ出る。早くポールを引き抜いて再生する必要があった、が、

《おせえんだよ》

 とキツネが飛びかかり、オオカミの首根っこを掴んだ。

《オレがクソ野郎に見えるか? あ? オオカミ女!》

《てめえ――!》

《でも、しょうがねえんだよ。オレを生んだ母親がクソだったんだぜ?》

 オレを生んだ母親がクソだった。母親が連れてくる新しい彼氏もクソだった。オレはそんなクソ彼氏になびくクソ女から生まれたクソ男なんだ。

《だからオレの人生はクソだったんだ!》とキツネは怒鳴った。《だからよ、オレは――これからもニンゲンを食って、他人の顔になって、他人の名前になってよ、他人の人生になるんだよ! 何度でもな!!》

 キツネが怒鳴り終えると、オオカミはふっと笑った。

 ――ラッカが笑ったのだ。

《じゃあ、なんであんなミエミエの死体残したんだよ》

《あ!?》

《あんなに分かりやすい死体じゃあ、他人に成りすませる獣が東京にいるんですよって、教えてるようなもんだろうが》

《黙れ!》

《姿を消したいケモノが足跡なんか残すな。だからお前は見つかったんだ。

 ――もしかして、見つかりたかったのか。母ちゃん以外の、誰かに、自分はここにいるんだってな》

《テメエになにが分かんだよ!》

 キツネは腕の力を強め、手負いのオオカミをさらに絞め上げた。

《がっ》と、オオカミの意識が遠のく、

 と同時に、

 遠くでこんな男の声がしたように聞こえた。


「シルバーバレット、使用許可を要請する」


 え?

 オオカミもキツネも、そちらのほうを見た。

 車だ。

 助手席の男に――山崎タツヒロである――ハンドルを任せながら、運転席の窓から体を乗り出す日岡トーリがそこにいた。狙撃銃を構えている。車は全速力だった。

 日岡トーリは表情を変えないまま、

「――俺の部下に、なにやってんだ?」

 と言うと、ライフルの引き金を引いた。シルバーバレット――獣人の再生能力を腐らせてダメージを与える、人類最後の武器。

 キツネの右肩に命中。肉が削がれ、血が噴き出し、筋肉が削られたのであろう、オオカミは解放された。


《ギャアアアアアアアア!!!!》

 キツネは喚きながら後ずさる、その10メートル以上手前で車は止まり、日岡トーリはドアから出ると、今度は散弾銃――ベネリM3だ――を構えながら獣に近づいていく。

「シルバーバレット、使用許可を再度要請する」

『許可します』

 その言葉を聞いた瞬間、トーリは引き金を引いた。

 トーリの散弾が、キツネの胸部を破壊した。


  ※※※※


 ラッカは歩道で目を覚ました。先ほどまで気絶していたらしい。

 人間の姿に戻っている。その体には、トーリのスーツが上からかけられていた。彼はすぐそばで彼女のことを見守っていた。

「怪我は治ったみたいだな」とトーリは言った。「遅れてすまん。結局、ほとんどラッカがやってくれたか」

「私こそごめん」とラッカは起き上がり、彼のスーツを羽織る。「あいつを倒せなかった。これじゃ、皆は信じてくれないな――カラスのときとは違ったよ」

 それに対して、トーリは首を振る。「これだけの乱闘で重傷者はいなかった。ラッカが守ったんだろ。人間を庇いながら戦ったから不利になっただけだ」

 そうして、彼はラッカを改めて見つめた。「ラッカは人間の味方だよ。信じてよかったと、そう思ってる」

 トーリは手を差しのべた。「帰ろう。アヤノもミサキも待ってるから」

「――うん!」

 ラッカは笑い、その手を握りながら立ち上がった。

 ――やっぱり、トーリだ。トーリがあのときの男の子なんだ。

 だって、また、私のことを助けてくれたじゃんか。

 ラッカは嬉しくなりながら、トーリといっしょに車まで戻った。山崎タツヒロはウィンストンを吸いながら待っている。

「おお、トーリさんお疲れ様です」と彼は言った。「あとオオカミのラッカちゃんも。大手柄だね」

「え誰」

 ラッカはその場に立ち止まった。

 トーリは「そうか、タツヒロと会うのは初めてか」と言い、タツヒロの肩を叩いてラッカに向き直った。

「こいつは獣人捜査局の捜査員、山崎タツヒロ。獣人科学のエキスパートだ。要はアヤノやミサキと同じで、俺たち第七班の一員だよ」

「へえ~」

「あとひとり、佐藤の紹介はまた今度な?」

「うん」

 ラッカは車に乗り込んだ。タツヒロは眼鏡の位置を直しながら、

「正直、今でも驚いてますよ」

 と言った。

「人間に害意がないどころか、まさか、自分の意志で人間を守る獣人なんてね」


 一方、アヤノはミサキの手当てをしながら、女子寮の学生と警官に各々の銃を持たせて警戒態勢を敷いていた。

 スマートフォンが鳴る。日岡トーリだった。

「トーリさん?」

『俺だ。キツネの駆除は終わった。現場の人払いと指揮は佐藤に任せて、俺たちはラッカを連れて女子寮に行こうと思う』

「承知しました」とアヤノは答えた。「こっちも怪我人はいません。ミサキ先輩がちょっと背中を痛めてますけどね」

『拳銃は撃ったか?』

「え?」

 アヤノが戸惑っていると、息を荒げながら横たわっていたミサキが「電話、貸して?」と言った。

 スマートフォンを渡した。

「トーリくん?」とミサキが呼びかける。「女子寮では私が全弾発砲した。他は誰もグロック17を使用してない。分かった?」

『本当か?』

「ラッカって子に代わって」

 ミサキはそう言ってから、受話器に集中した。

『ラッカっす。電話って、こう使うんですね?』

「手短に言う。女子寮で銃を使ったのは私だけ。分かった? ラッカは拳銃に触ってない、いい?」

『え、いや、私も撃っ――』

「銃刀訓練受けてない獣が鉄砲撃ったらどうなるか考えろ!」

 ミサキは大声で怒鳴った。

「これからもここにいたいなら、口裏を合わせて。人間の社会に馴染みたいなら、人間のルールを守って」

『――うん、分かったよ。ミサキ』

「よし」

 そこでミサキはスマートフォンを手放した。

 そのあとで激しく咳き込むと、引き続きアヤノの手当てを受けることになった。


  ※※


 ちなみに。

 キツネ型獣人こと戸塚トシキの素性は、そのあと、刑事部の捜査によってあっさりと判明した。

 若い刑事が報告書を出した。「いやあ、タツヒロさんの言うとおりトンカチによる犯行を調べたんですが、ありましたよ。三年前の一家惨殺事件で、母親の内縁の夫がトンカチで殺されています。

 そして、女もその夫も、死体は獣人に喰い散らされていました。そのとき行方不明になっていた女の一人息子が戸塚トシキです。最初は被害者として扱われてたんですが、まさかそいつが獣人で犯人だったなんてね」

 刑事は左耳をぽりぽりと搔きながら報告した。「児相に連絡したらビンゴ。その女ですけど、自分の夫が息子を虐待するのを隠蔽していたみたいです。だから、まあ、キツネになっちゃった少年がそいつらを殺したのは正当防衛みたいな感じでしょうかね?」

 若手刑事の報告を聞いていたアヤノが「ひどい」と顔をしかめた。ミサキとタツヒロは肩をすくめる。トーリは、ただ黙っていた。そして、それを聞いていたラッカは天井を見上げた。


《戸塚トシキ。お前、見つけてもらえたよ? でも――これでよかったのか?》

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