ある剣は語る

ハズミネメグル

ある剣は語る

 神様というのは、どうも意地が悪い。

 何時だって、俺が望むものは与えちゃくれなかった。

 

 最初に望んだのは何時だったか。ああ、そうだ。俺がまだ衛兵だった頃だ。

 辺境の地を守る貴族の衛兵として仕えていた俺はその家のご令嬢に恋をした。彼女の名はカルラ様。旦那様と奥様が頭を抱えるほどのお転婆娘であった。

 やれ、こっそりと部屋を抜け出して従者たちと一緒に剣術の練習に励んだり、馬に乗って狩りに出かけたり、挙句の果てには鬱陶しいと叫んだ次の瞬間、美しい金髪の髪を側にいた衛兵の剣を借りてバッサリ切り捨てた時は全員が唖然とその様子を見ていた。

 とんだじゃじゃ馬だなと呆れて見ていた同僚たちの前で、俺だけが唯一、その様子から眼が離せずにいた。

 いつもその長い前髪に隠されていたカルラ様の顔が顕になる。

 程よく焼けた健康的な肌の色。陽の光に反射して輝いた目は夕焼けを閉じ込めたような橙色の瞳で、思わず胸が早鐘を打つ。顔や首に纏わりつく邪魔な金糸と別れを告げ、どこか満足したのか、にっと歯を見せいたずらっ子の様に笑う彼女に、思わず落ちた。

 

 それからの稽古には気合が入った。

 太刀筋が変わったと剣術の師範に言われた。眼が変わったと同僚に言われた。頭でも打ったのかと、先輩に物凄く心配された。

 共になりたいと思う女性が出来たのです。彼女に相応しい男になりたいのですと答えると先輩は安堵の息を吐いた。どこの誰だと訊かれたので、カルラ様の名を答えたら、良い眼医者を紹介してやるから今すぐ行って来いと顔を真っ青にして言われた。どういう意味だったのか未だに俺はわからない。

 

 ただ、一日でも早く彼女に相応しい男になりたかった。そして、この胸に秘めた想いを彼女に打ち明けたかった。

 

 だが、その決意は、一年もたたずに砕けることになる。

 その日のことは今となってもよく覚えている。衛兵が食事を取るための食堂に向かったら妙にその日はざわついていた。

 何事かといつも隣に座っている同僚に尋ねたところ、同僚はこっそりと耳打ちをした。

 

 カルラ様に縁談の話が来た。相手はあの王太子殿下だと。

 

 目の前が軽く暗転した。椅子を倒れる音を聞きつけ辺りに食事を辞めて皆が集まってくる。はるか遠くで、ベニヤミンが倒れたぞぉっ、と叫び声が聞こえた気がする。

 こうして、俺の淡い初恋は、玉砕する権利すら与えられぬまま燻って消えていったのだ。


◆◆◆

 

 神様というのは、どうも意地が悪い。

 何時だって、俺が望むものは与えちゃくれなかった。


 あの縁談の発表の日からどの様に過ごしたのか、俺は全く覚えていない。まるでその時間だけ切り取ったかのように、カルラ様が王城へ向かわれる日までの間の記憶は空白になっている。

 

 その日、俺に与えられた任務とは、カルラ様を無事に王城まで届けることであった。

 カルラ様と共に遠出する、最初で最後の旅になった。

 王城へ向かう馬車に乗る前に、旦那様がカルラ様を呼び止める。カルラ様は旦那様にドレスの裾を軽く上げ、挨拶をする。そのカルラ様の最後の挨拶が終わった後、旦那様は一振りの懐剣をカルラ様へ渡した。

 この国の風習だ。と、初めて婚礼の儀を見た際に父が言っていた。

 花嫁に父親は懐剣を渡す。その懐剣が何を意味するのか定かなことは分かっていない。

 唯一つ、いつしか広く伝わる言い伝えがあった。

 花嫁がその懐剣に名をつければ懐剣には騎士が宿り、花嫁とその一族を守ると。単なる御伽噺とは思うが、何故かそれを信じる人は多かった。

 それだけ、花嫁の幸せを願う人は多いってことさ。と笑いながら、懐剣の謂れを教えてくれた父は言った。

 花嫁の幸せか。と俺は自嘲し、祈った。

 どうか、カルラ様のこれからが幸せであるように。と。

 王城が見えてきた。間もなく、旅は終わりを告げる。この橋を渡れば、俺はカルラ様と二度と見えることはないだろう。

 そう思い、橋を渡ろうとした、その時だった。

 

 橋が、崩れた。

 いや、待て。確かに俺らが敵なら全然罠としてはアリだろう。だが、俺らは味方なのだ。味方を殺す罠なんて考えなしにも程があるだろう。

 崩れる地面を前にし、俺が咄嗟に取れる行動なんてたかが知れている。


 腕に、カルラ様を抱きしめる。王太子とあろう方だ。きっと理解してくれるだろう。彼女が他の男の手に触れたとしても、命を守るためなら仕方のないことだと。決してカルラ様が誰と知れぬ男に身を許す尻軽ではないと。

 次に地に背を向け、カルラ様が俺の上に来るようにする。これで、カルラ様は守れる。俺の命? そんなの考えている余裕などない。

 次は、と考えている内に、背に衝撃が走り、俺の視界は暗転する。

 最後にカルラ様がどんな顔をしたかなど覚えていない。享年二十。呆気ないにも程がある俺の最期だった。神様も、どうせ俺を殺すのであれば、華々しくカルラ様を守って散りたかったのに。


◆◆◆


 神様というのは、どうも意地が悪い。

 何時だって、俺が望むものは与えちゃくれなかった。


 俺が次に眼を覚ましたときには、王城の中にいた。

 生きている体はもうどこにもない。寝台の傍らにあるナイトテーブルに触れてみたが、俺の手がナイトテーブルに貫通するという不思議な光景が目の前に浮かんだだけだった。

 ガチャリと、ドアが音を立てる。そのドアの外に見えたのは、カルラ様だった。

 あの日短く切り揃えた髪はすっかりと長く伸びていたが、前髪はしっかりと両脇に分けられて顔がはっきりと見えた。

 その傍らにいるのは気弱そうな男性。胸元に付けている紋章より、カルラ様の伴侶、王太子殿下ということが分かった。時折、言葉がつっかかりうまくしゃべれないようだった。

 そしてその後に付き従うのは、カルラ様に良く似た面立ちの少女。夕日を閉じ込めたような橙の眼だったが、その髪は王太子殿下に似てふわふわの栗色。恐らく、カルラ様のご息女様。

 カルラ様の笑顔に偽りはなかった。きっと、幸せなのだろう。だが、その顔は酷くやつれていた。今にも死にそうな顔をしていた。王太子殿下はカルラ様を休ませんと、ご息女と部屋を後にした。

 カルラ様は一人、懐剣を胸に抱きしめ、呟く様に言う。

「無理だと言われたのです。あの子を産むのは。体が若すぎると」

「でも、私は命を賭してもあの子に会いたかった」

 懐剣を通じて伝わるのは、あの橋が崩れたときと同じ、彼女の体温。この懐剣が、今の俺の体なのだと、初めて気づいた。

 カルラ様は話しかける。まるで懐剣に祈るように。

「私は幸せです。十分です。だから、どうか」

「娘と、その子供たちの未来を守ってくれませんか? ベニヤミン」

 そこで、初めて、分かった。

 ああ、そうか。神様は意地が悪くて、望んだものは与えられなかった。

 だけど、それは、彼女の望みを叶える騎士を作るためだった。

 彼女は自分の幸せではなくって、自分と王太子の子供たちの幸せを望んだ。

 それも未来永劫に渡る幸せを。

 それには王太子と結ばれなければならなかった。そして、彼女の願いを叶える騎士に人の器は耐えられなかった。だから、俺は死んで懐剣に宿る必要があったのだと。

 俺は、答えた。彼女には決して聞こえないけれども。

 それでも彼女と、眼があって安心したようにその夕日は瞼の奥へ沈んでいった。

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