第9話 サビキで釣った〈アイサ〉を使うんだってさ
「どうも、ありがとうございましたっ!」
叔父と共に仁海は、彼女にとって人生初めての客となった、釣り初心者の父子連れを元気な挨拶で送り出した。
「あの親子、いっぱい釣れるといいね」
仁海がそう語り掛けると、叔父はこう返してきた。
「サビキだし、そこそこの数、釣れると思うよ。まあ、〈ボウズ〉はないんじゃないかな」
「えっ! いったい何が『坊主じゃない』っての? たしかに、あのお父さん、お坊さんには見えなかったけれど」
「えっとな……、〈ボウズ〉っていうのは、魚が一匹も釣れなかったっていう意味なんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「まあ、場合によっては、釣果ゼロ匹ではなく、狙った魚が釣れなかった事を〈ボウズ〉って言う場合もあるんだけどね」
「オイちゃん、でも、なんで、一匹も釣れなかった事を〈坊主〉って言うのかな?」
「単純な話、坊さんの頭に毛が一本もない事に由来しているらしいよ」
「……。なんか、直接的過ぎて逆に思い付かなかったよ。もっと意味深なのかと思った」
そう言いながら仁海は、頭髪が薄くなっている叔父の頭には目を向けないように注意した。
「と、ところでさ、お、オイちゃん、も、もう一回確認したいんだけど、サビキ釣りで釣れる、小さなお魚の種類って何だったっけ?」
こうして仁海は、〈ボウズ〉から違う事柄に話を移そうとしたのだった。
「そうだな……。サビキで掛かる代表的な魚って言うと、アジ、イワシ、サバあたりだな」
「………………………………………………………………………………」
仁海はしばし考え込んでから、ノートに「ア・イ・サ:サビキ」とメモし、両手の人差し指をこめかみに当てながら、叔父が言ったばかりの魚の名を記憶に留めようと、何やらブツブツと呟き出した。
「え、えっと……、えっと……、アジの〈ア〉、イワシの〈イ〉、これらは、あいうえお順で覚えて、あとは、〈サ〉っていう同じ頭文字だから、〈サ〉ビキで釣れるのは〈サ〉バ……。よっしっ! 脳に刻み込まれてきた」
「なんじゃそりゃ。〈外〉の人間の考える事は分らんわ。でも、あいうえお順とか、頭文字が同じとか、そんな覚え方、思ったこともなかったわ」
叔父は釣り関係者以外を〈外〉って呼んでいるのだが、その一方で、仁海の記憶法に関心を抱いたようであった。
「ところで、アジやイワシ、サバって、それぞれ、どんな特徴があるの?」
「例えば、サビキで釣れるのは、銀色の小さいアジなんだけれど、アジは、食いついた時の引きがあんまり強くないんだよ。で、ヒットに気付いて、竿を引き上げた時には、一度に数匹が針に掛かっていたりするんで、釣り上げた時には、めっちゃテンションがあがるよ」
「それはアガりそうだね。で、小さいアジって、大きさは、どのくらいなの?」
「アジの中でも小さいアジを〈小アジ〉って呼ぶんだけど、小アジの大きさは、十センチから十五センチくらいかな。で、サビキで釣れるのは、大体〈小アジ〉か、もうちょっと小さい、十センチ以内の〈豆アジ〉なんだよ。時々、もう少し大きなサイズ、十五センチから二十五センチ級の〈中アジ〉がサビキで釣れる事もあるけどね」
「そうなんだ」
「で、サイズ、五センチから十五センチ級の豆アジとか小アジには〈ジンタン〉って別の呼び名もあるんだけれど、特に小さいサイズのジンタンは、〈スーパージンタン〉って言うんだよね」
「えっ! 〈スーパージンタン〉っ! 小さい方が逆に〈超(スーパー)〉なんだ。それ、ちょっと面白いね」
「だろっ?」
「じゃあ、〈ア〉の次、〈イ〉のイワシは?」
「イワシはさ、背が暗い青色、お腹は光沢のある銀白色、体に黒くて小さい斑点が、列になっている魚なんだけど、このイワシ、水深二十センチから七十センチくらいの浅い所、海上層や中層に大群で流れ込んで来るんだよ」
「じゃ、水の中にいるのが見えるんだね」
「そっ、魚群が視認できるんで、めっさ狙いやすいんだよ。で、生後一年から二年のイワシは十センチから二十センチで、最大で三十センチ級になるのもいるんだよね」
「イワシも、アジみたいに、豆アジ、小アジ、中アジ、大アジみたいに、大きさによる呼び分けってあるの?」
「あるよ」
「それって、どんなの?」
「イワシって出世魚なんだよ。十センチ前後が〈小羽(こば)〉、十五センチ前後が〈中羽(ちゅうば)〉、二十センチ以上が〈大羽(おおば)〉って感じに呼び名が変わってゆくんだよ。だから、一口にイワシって言っても、小羽なのか、中羽なのか、つまり、狙うサイズに応じて針を変えなきゃいけないわけ」
「えっ! 針に大きさなんてあるの?」
「そりゃ、あるよ」
「でも、同じ大きさの針を使ってちゃダメなの?」
「ダメだよ」
「じゃあ、針を変えないとどうなるの?」
「〈バレて〉しまうんだよ」
「えっ! 釣り人が狙っているのが、イワシに『ばれ』ちゃうの? 浅い所にいるんで、魚にも釣り人が見えているんだ」
「??? あっ、なる。そうゆう意味じゃなくって、〈バレる〉って言うのは、掛かったのに、魚が針から外れて、逃げられてしまう事だよ」
「なるほど。『バレる』とは、釣り用語で、針から外れる事か……よっしっ! 覚えたよ」
仁海は、メモ書きしたノートを閉じると、再び、両手の人差し指をコメカミに当てたのだった。
「それじゃ、オイちゃん、サビキ釣りの〈サ〉のサバは? サバも、アジやイワシみたいに、やっぱ、サイズによる呼び分けがあるの?」
「そりゃ、あるよ。大きさは、小さい順から、二十センチくらいまでが〈小鯖〉、三十センチくらいまでが〈中鯖〉、三十センチ以上、五十センチくらいまでが〈大鯖〉って呼ばれているよ」
「小・中・大ってなんか学校みたいだね。〈高〉がないけれど、まあ覚え易いや。ここまでの話の流れでゆくと、サビキで釣れるのは二十センチまでの小鯖かな?」
「その通おおおぉぉぉ~~~り」
「小鯖は、エサを求めて沿岸部に現れるから、岸からのサビキでかなり釣れるんだよ」
「なるほ」
「で、小鯖狙いのサビキ釣りの面白い所は、仕掛けを水面下に落とせば、無限に釣りまくれるって事なんだよ」
「無限って……。それって初心者にでも可能なの?」
「そう誰にでも、数十匹から百匹前後は普通に釣れるよ」
「ただし」
「『ただし』? 何?」
「小鯖は、いっぱい釣れて、面白いんだけど」
「『だけど』?」
「小鯖は、脂があんまなくって、淡白なんで、そんなに美味しくないんだよね」
「えっ、えええぇぇぇ~~~」
「だから、調理する時には濃いめの味にする分けなのさ」
「なんだ、一応、対処法があるにはあるんだね」
「そりゃ、あるよ。でもまあ、小鯖は、グルメ志向の釣り人には好まれない傾向があるのは確かなんだけどね」
「でもさ、でもさ、オイちゃん、釣れても、食べたら、あんまり美味しくないんじゃ、小鯖狙いのサビキ釣りって、釣った魚を食べるってゆう釣りの目的からズレてて、なんか、本末転倒な気がするんだけど……」
「ヒトミが言っている事も、釣り初心者の意見としては、もっともなんだけど、小さな魚をサビキ釣りで大量に釣る目的って、必ずしも食用だけじゃないんだよ」
「えっ! 食べる以外に、いったい何の目的で釣りをするの?」
「えっとだな、小鯖って、サイズ、四センチから八センチくらいの、自分よりも小さな大きさの稚鮎〈を〉エサにしていて、鯖が少なくなると稚鮎が増えて、鯖が多くなると稚鮎が減るって関係になっているんだよ」
「??? オイちゃん、何が言いたいの?」
「まあ、最後まで話を聞けって。つまりさ、サバが、自分よりも小さな魚を餌にするって事は、同じ理屈で、小さいサイズのサバをエサにしている、サバよりも大きな魚もまたいるって話なんだよね」
「それって、小学生の時に読んだ『スイミー』みたいだ」
「まさに、それっ!」
「で、オイちゃん、小鯖釣りの別の目的って、いったい何?」
「つまり、さ。体長、十センチから二十センチまでのアジ、イワシ、サバみたいな小魚が集まっていると、その小魚を狙って、大きな魚が集まってくる傾向がある分けなんだよ」
「で?」
「つまりさ、その小魚狙いの大きな魚が集まってくるって状況を利用して、サビキで釣ったばっかの小さな魚を生きたエサにして、大物を狙うっていう釣り方があるんだ」
「へえ、サビキでの小魚釣りに、そんな目的があるなんて驚きだよ。ところで、釣ったばかりの小魚って、なんか、すっごく新鮮そうだよね」
「まさに、その通りで、特に、サビキで釣ったばっかのアジって、きっと味も良いに違いないよ。〈あじ〉だけに……」
「??? あっ! ……」
理解までに数瞬かかったものの、仁海はその後何の反応も示さなかった。
「とまれ、釣ったばっかの生きた小魚をエサにして、大物を狙う釣りこそを……」
「『こそを』?」
「〈泳がせ釣り〉って呼ぶのさ」
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