第8話 アミでやるのが〈サビキ釣り〉

「ヒトミ、それじゃ、そろそろ、うちの店のメイン・ディッシュの説明に入るよ」

「『メイン・ディッシュ』うううぅぅぅ~~~?」

「そう、今から説明する事に比べたら、白い大きな冷凍庫の中、〈潮氷(しおごおり)〉や〈コマセ〉の説明は序の口、いわば、〈前菜〉だから」

 こんな風に、叔父に言われて、緊張からか、仁海は背筋がピンと伸びるような感覚を覚えた。

 そして、叔父が、店の最奥部に足を踏み入れようとした、まさにその時、店の入り口の方から「ピンポオオオォォォ~~~ン」という音が、二人の耳に届いてきたのである。


 それは、来客を告げる音であった。

 祖母の店では、店の中に入ってきた客をキャッチすると、音が鳴るような赤外線センサーを設置しているのである。


「客だっ! メインの説明は、お客さんの対応が終わってからな」

「うん」

「あいよおおおぉぉぉ~~~。へい、いらっしゃい」

 そう言いながら、叔父は店の入り口の方に向かっていった。

 この「あいよおおおぉぉぉ~~~」というのは、五年前に亡くなった祖父が、店に出る時の口癖であった。


「な、何をお探しでしょうか?」

 お客さんの対応をしている叔父の声が、白い箱の前に独り取り残されている仁海の耳にも届いてきた。

 来店した客は、父子の二人連れであった。

「子供と一緒に、オキアミとかで、簡単な釣りをしてみたいんですけれど……」

「エサは〈アミ〉ですか。アミは、冷凍とチューブ式の二種類があるんですけれど……」

「あみ? あの掬うやつですか?」

「あっ、〈アミ〉というのは、魚を掬う〈網〉のことではなくて、〈アミエビ〉や〈オキアミ〉のことです」

 その親子連れの客が求めているのは、まさに、ほんの少し前に、叔父が仁海に説明したばかりの、〈アミエビ〉や〈オキアミ〉のことで、それらを、総じて叔父は「アミ」と呼んでいるようだ。

「それじゃ、直にお見せしますね」

 そう言って、叔父は、その親子連れのお客を、仁海がいる冷凍庫の前まで連れて来たのであった。


「仁海、お客さんに、〈アミ〉について説明してあげて」

「はいっ! この凍っている赤いレンガみたいなのはですね……」

 仁海は、冷凍ブロックやスパウトパックの違いや、サイズの小さいアミエビや、少し大きめのオキアミについて、叔父から受けたばかりの説明を、自分の言葉で言い直したのであった。

 これは、仁海が通っている塾の講師が常々言っている事なのだが、参考書の説明や、講師の説明は、その時点では分かったつもりになってはいても、その実、理解しきれていない場合が多く、理解度を高めるためには、説明された内容を自分の言葉で言い直してみるのが、効果的な学習法の一つであるらしい。

 商品説明は、たしかに、学校の勉強ではないけれど、釣具店という、これまでの学習空間とは全く異なる思わぬ場所で、塾でやらされてきた、学習内容を自分の言葉で即座に言い直す、〈アウトプット学習法〉を実行する事になったのである。


 もちろん、初めての商品説明なので、円滑に説明する事はできず、お客さんの質問に答えながら話を進めてゆく、質疑応答形式になったのは致し方なく、だがそれでも、なんとか、〈アミ〉の説明を、仁海はやり切る事ができた。


「うっ、うぅぅぅ~~~ん。そうだな……。冷凍コマセを解かすには、時間もバケツもないので、今日は、チューブ式のをもらっていきます」

「チューブ式の方は、出来合いの商品なので、色々と種類があるのですが、どれにしましょうか?」

「じゃ、お前、選んでみな」

 冷凍庫の脇の棚には、何種類かのスパウトパックが置かれていたのだが、父親は息子に、どれにするか選ばせた。

 息子さんが、ほぼ直勘で選んだのは、『マルキュー』から出ている、青いパッケージの商品であった。

「〈アミ姫〉ですね」

「実は、これ、売れ筋の商品なんですよ」

 と叔父が、仁海の言葉を引き継いだ。


                   *


 この日の夜に、仁海がネットで見つけたページに書かれていた情報によると、二〇一七年に、釣りエサの会社『マルキュー』から販売された「アミ姫」は、〈姫〉という名称にも表れているように、子供や女性、そして釣りの入門者にも、手軽に釣りを楽しんでもらえるようにするために、開発チームは女性で構成されているらしい。

 女性が釣りを敬遠しがちな理由は、手や服の汚れと、アミエビ独特のキツい臭いなので、手が汚れないようにするために、スパウトパックタイプの容器を使って、キャップを開けて、ちょっと力を加えただけで、チューと絞り出すことができるようにし、臭いに関しては、フルーツの匂いがするようにしたのだそうだ。


 この記事を読んで、釣りのことを全く知らない〈無知〉な状況で、釣具店に立つことになった仁海は、ぜひとも、「アミ姫」の出し心地と、そのフルーティーな匂いをを、触覚と嗅覚で確かめてみたい気持ちになって、キャップを開けてみたい衝動に駆られたのだが、しかし、仁海は、その思い付きをグッと飲み込んだ。


 これは、商売人の息子である父にもよく言われていたのだが、一つの商品をダメにした場合、その損失の埋め合わせには数倍の努力が必要になる、と。

 つまり、計算し易い値で例えてみると、一個千円で売っている商品があって、それを九百円で仕入れた場合、儲けは百円となる。

 しかし、その千円の商品をダメにした場合、儲け百円の同じ品物を九個売り上げないと、千円の商品の仕入れの損失が補填できない計算になる。

 小売店にとって、それは、単に商品が一個ダメになったという話ではなく、だからこそ、何倍も負担を強いる〈万引き〉は小売店にとっては絶対的な悪である、と、商売人にならなかった父からでさえ、耳にタコができるほど繰り返し聞かされてきた仁海であった。

 試供品ならまだしも、どんな匂いか知りたい、という理由で、売り物を一個ダメにするのは、破損や万引きと同じ行為に思えたのが、仁海の好奇心を引き留めた理由である。


                   *


「〈アミ姫〉は、お子さんや女性にも使い易いってコンセプトで作られている商品なので、実に良いみたいですよ」

 と、叔父は親子連れのお客さんに、「アミ姫」を推していた。

「じゃ、お嬢さん。これをもらおうかな」

 と、父親の方が仁海に言ってきた。 

「ところで、このアミエビのチューブって、どんな仕掛けで使ったらよいのかな?」

「えっ! 『しかけ』……」

 仁海は、どう応じたらよいか分からず、思わず、叔父に顔を向けてしまった。アミエビの事までは覚えたが、このエサを使えば、どんな魚が釣れるのか、そして、アミエビをどんな風に使うのかに関しては、未だ仁海は未学習なのだ。


 仁海には、何も分からない。


「そうですね……、〈アミ〉を使うなら、〈サビキ釣り〉ですね。

 〈サビキ〉は、お子さんや女性など、あまり釣りをした事がない方が手軽に始めてみたり、または、釣り暦ん十年という玄人の釣り人にまで、幅広い層に楽しまれている釣り方ですよ」

「その『さびき』って、どんな風にやったらよいんでしょうかね?」

「〈サビキ〉関連の品は、ここに揃えています」

 そう言って、叔父は、白い箱のすぐ脇の商品陳列コーナーを、親子連れの客に指し示したのであった。

 そこには、色々な針や仕掛けが並べ置かれていたのだが、あまりにも種類が多すぎて、すぐには、、仁海には把握できそうにない。


「色々、あるんですね? こんなに多くちゃ、何を選んだらよいのか、分からないや」

 釣り初心者らしい親子連れのお客さんも、仁海と同じような印象を抱いたようである。


「サビキ釣りに慣れているお客さんだと、この針だけを買って、錘やサビキカゴの仕掛けは自分で作るって方もいて、その仕掛けの作成が面白いって釣り人もいるのですが……。気軽に手軽にサビキ釣りをしたい場合には、針・おもり・カゴがセットになっている仕掛けもあります。これですね」

 そう言って、叔父は、幾つかのサビキ釣りのセットを、客に見せたのであった。


「仕掛けを作るスキルはないので、このセットにします。ところで、サビキ釣りってどうやるのですか?」

「簡単ですよ。サビキ針って、人口の偽物のエサ、〈疑似餌〉になっているのですが、この仕掛けだと、六本サビキ針が付いていて、仕掛けについているカゴに、さっきオススメしたアミ姫を、チュ~といれるのです、そして、水面下に、例えば、アジやサバ、あるいはイワシのような、比較的小さな魚の群れが見える所に、仕掛けを落として、竿を上下に振ると、カゴからアミエビが放出してゆくのです。それが、サビキ針の周辺で拡がると、アミエビに食いつく魚は、疑似餌にも食いついてくるので、それを釣り上げるって仕組みなのですよ」


「「「へえええぇぇぇ~~~」」」

 叔父のサビキ釣りの説明を聞いて、親子連れのお客さんと一緒になって、感心の声を上げてしまった仁海であった。


〈参考資料〉

 〈WEB〉

 「アミ姫」、『マルキユー』、二〇二二年十二月十三日閲覧。

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