第3話 仁海の決意
水戸行きの最終の特急列車の車両内で、約一時間半の移動中ずっと、仁海(ひとみ)は、窓の外を眺め続けていた。
だが、列車の外は宵闇にすっぽりと覆われてしまっているため、車窓からは何も景色は見えない。
しかし、仁海の瞳には、そこに実在しないはずの祖母の姿が映っていた。
半年ほど前に、祖母が、スマフォ・デビューをして以来、祖母と仁海は、毎朝、ラインで〈会話〉を交わしていた。
例えば、祖母から、この土曜日には、祖父の月命日でお墓参りに行ってきたよ、というラインが届いて、それに対して、仁海は、日曜日には、さいたま市にライヴに行くから、その後の月曜には大洗に行くよ、と祖母にレスを返すと、祖母からは、ヒトちゃんに会えるのを楽しみにしているよ、という返事が来ていた。
このようなラインでの遣り取りをしたのが、日曜日に、仁海が〈USA〉に向かう前の午前中の出来事だったのだ。
だから、である。
父から、祖母の訃報の連絡が届いたにもかかわらず、祖母の死が、あまりにも突然過ぎて、仁海は、未だにそれが現実として受け止める事ができないでいる。
*
父には、水戸駅の到着時刻を知らせていたのだが、常磐線の特急の最終列車が水戸駅に到着すると、駅の改札の前には父と叔父が迎えに来ていて、仁海は、叔父の車に乗って、大洗に在る祖母の家に向かう事になった。
そして、水戸から大洗までの道中の車の中で、仁海は、父から、祖母が息を引き取るまでの、この日の詳しい経緯を説明された。
日曜日の午前中、祖母は、いつも通りにお店を開けて、商売をしていたのだが、身体に不調を覚えたので、午後に店を閉めて、近所のかかりつけの医者の休日診察に赴いたそうなのだ。
その近所の医者での検査結果において、数値に明らかな異常が認められたので、祖母は、そのまま近所の病院から、水戸にある大きな病院に移される事になったらしい。
その大きな病院での精密検査の結果、祖母は〈重篤〉と診断され、そのまま、しばらく入院する事になった。
大きな病院の医者から、詳しい説明を受けた後で、父と叔父は、そのまま水戸の病院を後にしたそうだ。
しかし、である。
大洗の家に戻る前に、車の助手席にいた父のスマフォに水戸の病院から連絡があって、祖母の容体が急変し、危篤状態になったとの知らせが入ったので、父と叔父は水戸の病院へとUターンした。
そして――
二十三時過ぎに、父と叔父に看取られて、祖母は息を引き取った、との事であった。
そんな説明を受けたものの、この日の午前中に祖母とは普通にラインをしていたし、日曜の午前中まで元気に店を開けており、また、未だ実際に亡くなった祖母と対面もしていないので、仁海には、祖母の死が、やはり信じられないでいた。
父の実家である、大洗の祖母の家には午前一時近くに到着したのだが、到着するやいなや、仁海はすぐに眠りに陥ってしまった。
もしかしたら、実は全てが夢で、目が覚めたら、また元気なオバアに会えるに違いない、と願いながら……。
*
だが、翌朝になっても、やはり、大洗の家の何処にも祖母の姿はなかった。
やがて、午前中のうちに、祖母の亡骸は、病院から家に移された。
祖母は、長く患っていた分けでも、病院に長く入院していた分けでもなかったので、顔が全くヤツれてはおらず、その死顔は、本当に眠っているかのようで、今にも起き出しそうであった。
だがしかし、仁海が祖母の頬に触れてみると、その皮膚は固く冷たく、そこには生者が持つ柔らかさや暖かさはまるで感じられない。
これが〈死〉というものなのか……。
触覚では、祖母の死を認めざるを得なかった。
だが、それでも、祖母の身体が棺に入れられて、火葬され骨になるまでは、もしかしたら、祖母が蘇るかもしれない、そんな気がしてならない仁海であった。
*
やがて、告別式も終わって、親戚たちが帰って行き、喪服を脱いで、親族だけになった時、今後の河倉家の事が話し合われる事になった。
父と叔父が、目下、話題にしているのは、祖母がやってきた、大洗の店をどうするべきか、という事であった。
祖母の夫、つまり、オジイは、今からおよそ五年前に亡くなった。
オジイは、太平洋戦争が終結した数年後の昭和二十二年、一九四七年に、海にも川にも近い大洗の地で釣具屋を営み始めたのだった。
以来、二〇一七年に亡くなる直前に入院するまで、オジイは、商売一筋で、九十歳過ぎまで生涯現役であり続けた、そんな商売人だったのだ。
オジイの拘りは、原則、オバアを店には立たせはせず、商売をやるのは、あくまでも自分で、嫁は家の事と経理を、という役割分担を敷いていた事であった。
だがしかし、オジイが入院してからは、それまで、何十年もほとんど店に立った事がなかったオバアが、オジイの店を〈守る〉ために、独り店に立つようになったのだ。
そして、オジイ亡き後は、独りでオジイの釣具店を、そう、つい数日前、亡くなるその日まで守り続けてきたのである。
オバアには、二人の息子がいて、それが父と叔父である。
叔父は、祖父の店の暖簾分けのような形で、大洗から少し離れた鹿島で別の釣具店を経営している。
そして、父は、というと、商売とはまったく異なる職業、具体的に言うと、大学教員を生業にし、今は北海道の大学で教えていて、東京の女子高に通う仁海を置いて、北海道に単身赴任中なのだ。
つまり、叔父は同じ県内とはいえ、大洗とは別の所で店をやっていて、父は北海道を拠点に活動をしているので、叔父も父も、オバアが残した大洗の釣具屋を引き継げない、そんな状況にある。
オジイが亡くなった後、八十歳を超えたオバアがたった独りで店をやる事になったので、オジイの時代に比べて、大洗の店は、その規模を大幅に縮小し、お客さんは、基本、卸の釣り船屋さんと、祖父の時代からの常連さんが中心で、店を続けられる程度の売り上げで、細々と店をやってきたらしい。
「俺は、一年の三分の二は北海道だし、お前には鹿島の自分の店があるじゃん。どう考えても、いくら話し合っても、オフクロが亡くなった今、もう店を続けるのは物理的に無理だろ。やるとしたら、俺かお前が仕事を辞めるか、誰か雇うしかないぞ」
「アニキ、ヒトは雇えんよ。大震災の後、お客が大分減って、売り上げを自転車操業させて、オフクロは、なんとかオヤジの店を続けてきたんだから」
「やっぱ、廃業、一択しかないか……」
ちょ、ちょっと待ってよ。
オジイが戦後すぐに始めて、震災を乗り越えて続けてきた店を、オジイの意思を引き継いで、オバアが独りで守ってきた、創業七十五年の釣具屋さんを閉めるっていうのっ!?
「せめて、週末だけでも、なんとか店を開けられたらな……」
釣具屋は、レジャー産業なので、忙しいのは、基本、客の仕事や学校が休みの、週末や祝日なのだ。
そう、学校が休みの……。
!
「ねえ、チチ」
「なんだ、仁海、今、オヤジとオフクロの店をどうするか、大事な話をしているんだから、大人しくしていな」
「なら、わたしも無関係じゃないよ。
チチもオイちゃんも、別に仕事があって、物理的に大洗のお店ができなくって、それで、土日、祝日だけでも、なんとかお店を開けられないかって事が問題ならば、もう、答えは一つしかないじゃん」
「ひ、仁海、おまえ……」
「わたしが、土日祝日に、東京から大洗に通って、釣具屋さんをやるよ。
他人を雇えないのならば、大洗のお店は、わたしがヤルっきゃないじゃん。
わたしが、オバアのお店を守るからっ!」
これが、釣りを一度もした事もない、東京の女子高生の河倉仁海が、創業七十五年の大洗の釣具店をワンオペで運営する事になった、彼女の事情である。
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