第2話 ヲタク仲間たちの助け
「ど、どうしよう……。わ、わたし、ど、どうしよう……」
仁海(ひとみ)は、スマフォを左手で固く握り締めたまま、しばし立ち尽くしていたのだが、突如、低い声で呟きながら、右に左に移動し始めた。
右に数歩歩いたかと思うと、左に数歩歩く、といった具合の往復運動をした後、急に立ち止まり、頭を上下させながら、仁海は、いきなり髪の毛を掻き毟り始めた。
さいたま新都心駅の改札近くで、このような奇怪な行動をとり続けている若い女の子のすぐ脇を、何人ものライヴ帰りのヲタクたちが通り過ぎるも、関わっちゃいけない、あるいは、見てはいけない、とばかりに、仁海から距離を取っていた。
駅の改札前で、文字通りに右往左往し続けている、そんな若いオンナ・ヲタクの姿は、駅を挟んで、ライヴ会場の〈USA〉とは反対側に位置している、打ち上げ会場の居酒屋に急ぎ向かっている中年ヲタク三人組の視界にも入ってきた。
「なあ、フージンさん、さっきから、なんか変な動きしとる〈奇行種〉、見えるやろ?」
「うちゅうのさん、あの改札前の子?」
「それやっ! あれって、もしかしたら、〈ジンカイ〉ちゃん、ちゃう?」
初回開催から、夏アニ・メロメロ・ライヴの全ての公演に参加している、〈夏兄のレジェンド〉こと、〈うちゅうのスギヤマ〉が、隣で〈グッさん〉と談笑していた〈フージン〉に、そう語り掛けると、視力が弱いフージンは、目を細めながら、スギヤマが指さす方に視線を向けたのであった。
「ホントだ。あれ、〈カイ〉ちゃんだよ」
「ホンマや。〈ジン子〉ちゃんやん。ところで、一体どないしたんやろ?」
うちゅうのスギヤマとフージンの会話に、グッさんも加わってきた。
規制退場のために、仁海よりも遅れて退場した、オールド・ヲタクのうちゅうのスギヤマ、フージン、そしてグッさんの三人は、改札に近づいてゆくにつれ、それが、彼ら中年ヲタクの〈身内〉の若いオンナ・ヲタクである〈ジンカイ〉である事に気付いたのだ。
ちなみに、仁海(ひとみ)は、本名を音読みした〈ジンカイ〉をヲタク・ネームにしているのだが、仲間内では、〈ジンカイ〉、〈ジン〉、〈カイ〉、〈ジン子〉など様々な呼ばれ方をしている。
改札の方に向かったスギヤマが、頭を上下させながら、髪の毛を掻き毟っている仁海に、まずは最初に声を掛けた。
「なあ、ジンカイちゃん、さっきからオカシな動きしてはるけど、一体どないしたん?」
すると、仁海は動きを止め、声がした方に顔を向けた。
「す、スギヤマさん……。
え、えっと…………。す、スマフォが終わって、ち、チチの電源を入れたら、ら、ライヴから、で、電話が…………」
「「「???」」」
「ちょ、ちょっと待った。カイちゃん、かなり混乱してるよ。一回、おちつこ。深呼吸しようか?」
仁海がパニックに陥っているのを察したフージンは、仁海を落ち着かせようとした。
「はい、フージンさん。ふっ、ふっ、ふぅぅぅ〜~~。少し落ち着きました」
「で、カイちゃん、ライヴの後に何があったの?」
「はいっ、スマフォをオンにしたら、ライヴ中に父からの着信があった事に気が付いたのです」
三人の中年ヲタクは、ようやく、仁海の言いたい事を理解した。
「で、お父さんは、何て?」
フージンが仁海に問うた。
「い、田舎の、そ、祖母が……、き、危篤って……」
「「「!!!」」」
「そ、それは、大変やっ! すぐに帰らにゃ、あかんで。ところで、ジン子ちゃん、お父さんの実家は何処なんや?」
グッさんが仁海に訊いた。
「い、茨城の、お、大洗です」
「規制退場のせいで、ライヴ後、なかなか出れへんかったけど、今、何時や?」
「九時半を過ぎてますね」
グッさんの疑問に、フージンが応じた。
「わいら、関西の人間なんで、よう分からんけど、茨城って今日中に帰れるん?」
「自分、調べてみますね」
そう言うや、フージンは端末の移動アプリで、さいたま新都心から大洗までの移動経路を調べ始めた。
「まず、大洗鹿島線の最終から逆算してみるか。
えっと、大洗鹿島線の終電の水戸駅の出発時刻は、二十三時二十三分か……。これ、覚えやすいな。
とまれ、最終に間に合うための上野発の常磐線は……。
普通列車だと、上野発二十時五十四分か。これは、もう特急に乗るしかないね。
それで、特急だと二十二時か……」
「あかんやろ、それは無理だわ。今、さいたま新都心で九時半過ぎやし、大洗鹿島線の最終には間に合わへんやろっ!」
そう、スギヤマが大声で反応した。
「でも、鹿島線には間に合わなくても、水戸まで行ければ、そこからタクシーって方法もありますよ。たしか、水戸から大洗って、二十キロもないから、車でも三十分かかんないはずですよ。
だから、問題は、上野発の特急列車の最終に間に合うかどうかですよね。
よしっ、検索結果が出た。
水戸着の最終の特急は、二十三時上野発で、水戸着が〇時二十三分か。
さいたま新都心駅から上野までは三十分かからないから、これなら、常磐線の特急の最終に間に合うよ」
フージンが調べた検索結果を聞きながら、仁海は泣きそうになってしまった。
「で、でも、わ、わたし、ら、ライヴの前に……、グッズやCDをいっぱい買いこんでしまって……。今、現金が全然ないんです……。スイカの残高も、家に戻れるくらいしかなくって、これじゃ、特急にもタクシーにも、の、の、乗れません……」
そう言うや、両の掌で目頭を覆って、仁海はついに泣き出してしまった。
「何いっとるんやっ! ジン子ちゃん」
「えっ!?」
「金なら、おっさんらが幾らでも出したるわ」
そう言うや、グっさんは、数枚の万札を財布から取り出すと、仁海の手に握らせた。
「カイちゃん、これ、使ってよ」
そしてフージンは、というと、いつの間に購入したのか、さいたま新都心から水戸までの乗車券と、上野から水戸までの特急券を、仁海に差し出したのであった。
「それじゃ、自分らが、上野まで送ってゆきますよ」
そう言って、三人の中年ヲタクと仁海の話に入ってきたのは、四人の様子を見止めた、シュージンとイヴェールというヲタク・ネームの若いヲタク・コンビであった。
「なんか、カイさん、ちょっとパニックになっているみたいだし、乗り間違いや乗り遅れをしたら大変ですからね」
そう申し出たのは、弟のイヴェールであった。
「まかせてください。フージン師匠」
「まかせたぞ。シュー」
フージンは、兄の方のシュージンに、そう言った。
「よし、それじゃ、ジン子ちゃんのエスコートは、シュガー・ブラザーズに任そか」
かくして、リアル兄弟でもある佐藤兄弟が、さいたま新都心から上野駅まで、仁海を送ってゆくことになったのであった。
そして、さいたま新都心駅を二十二時少し前に出発した、JR高崎線は半時間かからずして上野駅の七番線ホームに到着した。
通常、上野発・水戸行きの特急は、上野駅の端っこの十六番・十七番線から出発するのだが、最終の〈ときわ〉は八番線から出るので、間違わないように、仁海を上野駅の八番線ホームまで送り、彼女が、その特急列車に乗り込むところまで確認してから、佐藤兄弟は仁海と別れた。
「カイちゃんのおばあさん、持ち直せばいいけれど」
「……。そうだな、フユ。カイちゃん、間に合えばいいけど」
「「……」」
やがて——
常磐線の特急の最終列車は、上野駅を発った。
そして、列車が出発してすぐに、仁海のスマフォに着信が入った。
父からであった。
デッキに向かった仁海は、父からの電話に出た。
「もしもし……」
受話器の向こうからの、すすり泣く声が仁海の耳に届いた。
「…………。お、オフクロが亡くなった」
それは、もっともあって欲しくなかった悲しい知らせであった。
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