それは愉快な家族(刹那視点)

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「えぇ。ただいま」


 その日、私は寮に向かわず実家に戻ることにした。

 特に用がないと言ったら父と母が悲しんでしまうけれど、まあ確かめたいことがなかったら帰って来ることもなかった。


「お父さまとお母さまはどこに?」

「お二人とも書斎に居るはずです。ちなみに、私たちも驚いたようにお嬢様が帰って来たのは突然でしたので、お二人とも知りませんよ?」

「構わないわ。偶にはこれくらいのサプライズも必要でしょう」

「ふふっ、ですね」


 長年うちに仕えてくれている千堂せんどうさんがクスッと笑った。

 小さい頃から彼女にはお世話になっているけれど、本当に人柄も良くて愛想も良くて、作ってくれる料理も美味しくて……同じ女としてとても憧れる。

 彼女なら引く手数多だろうに、それでも若い頃に父と母に助けられたことがあるからとずっと尽くしてくれているのだ。


(まだ三十代だし、その気になれば良い人を見つけて結婚も良いと思うけれど)


 まあそれも決めるのは全て千堂さんなので、私がどうこう言うことじゃない。

 それから途中まで千堂さんと歩き、両親が居ると教えられた書斎の前で私は彼女と別れた。


「……ふぅ」


 こうして帰って来たのも一月振りだ。

 寂しいからもう少し帰って来る間隔を狭くしてほしいと言われているけれど、ダンジョンに向かう時間の方が多いから仕方がない。


「お父さま、お母さまも入るわよ」


 中からドンガラガッシャンと音が聞こえたが、私は気にせずに中に入った。

 部屋の中では父と母が思いっきりカップの中に入っていたと思われる飲み物を零しており、私のことをまるでお化けを見たかのように驚いて見つめている。


「ちょっと、何よその顔は――」

「刹那ああああああああ!!」


 向かってくる父を私は軽やかに避けると、そのまま後ろの壁に激突して動かなくなった。

 倒れ込んでピクピクとしている父にため息を吐き、私はソファに腰を下ろして改めて母に目を向けた。


「ただいまお母さま、突然でごめんね」

「いいえ、良いのよそれは……ふふっ、おかえりなさい刹那」

「うん。ただいま」

「……僕のことは無視かい?」


 勝手に抱き着こうとして勝手に壁に激突して、勝手に気絶しそうになったんだから私の知ったことじゃないっての。

 ……まあでも、父の気持ちも分かるので私は手を広げて彼を待つ。

 父は嬉しそうに笑みを浮かべ、すぐさま私をその胸に抱いた。


「お帰り、僕たちの可愛い娘」

「……ただいま」


 なんだかんだ、私も少しは寂しかったのかもしれない。

 ただ、こうして父というか……男性に抱きしめられると時岡君に肩を抱かれたことを思い出す。

 父のようにガタイが良いというわけではないけれど、それでも時岡君からは本当に安心感のようなものを感じた……あれが同級生だというのだから侮れない。


(っていけないわね。最近時岡君のことばかり考えている気がするわ)


 一旦時岡君のことを考えないようにしながらも、やっぱり脳裏に浮かんでくる彼のことを思い浮かべつつ、私は千条院家の人間のことを伝えた。

 父も母も久しぶりに会えたことに対する笑みも引っ込め、真剣な表情となって頷いた。


「千条院の人間がね……去年ならいざ知らず、今になってか」

「えぇ。まさか刹那がボコボコにしたことを恨んでいるとか?」

「……………」


 実はこのことは学院の誰にも、そして時岡君も知らないことがある。

 去年、私は千条院家の子息から直接婚約を申し込まれたことがあったのだが、今の私を見てもらえば分かるように婚約はされていない――私がボコボコにしたからだ。

 千条院家の子息は私より三つ上の大学生でAランクの探索者でもある。

 実力としては申し分ないのは周りの人も認めていたけれど、そもそも私としては婚約に興味がなかっただけだ。


(シンプルに魅力がないというか、そもそも全く話したこともないのに一目惚れしたとか言われても困るわよ……)


 婚約に興味はない、だから私はずっと断り続けている……それでも相手方がしつこいので決闘という手段を取ってきた結果、私は自分より弱い人と付き合うつもりがないという話が尾ひれを付けて広がったのだ。


(……でも、時岡君には負けたのよね)


 そう、彼には完膚なきまでに敗れた。

 私の抱える天使の力を以てしても勝てなくて……それに、何となくだけど彼はまだ本気ではなかったと思うから、それだけ私が今まで会えなかった同年代の強者ということで……っ……あの負けた日から本当におかしい……彼のことを考えると胸がドキドキする。


「千条院家については探りを……刹那?」

「どうしたの? いきなり顔が赤くなっているけれど」

「へっ? ううん、何でもない何でも!」


 私の様子に父は首を傾げているが、母はニヤリと笑った。

 もうすぐ四十代だというのに、娘の私から見てもあまりに若々しい母はそんな表情が良く似合う。


「もしかして刹那――恋をしたの?」

「っ!?」

「なにぃ!?」


 母の言葉に心臓が大きく跳ねた。

 恋……正直それは分からないけれど、時岡君と話をすると楽しい気分になるのは本当だ。

 強く、優しく、家族思いの彼を私は気に入っている。

 ふとした時にくれる言葉は嬉しくて、女心を刺激するようなことも言って私をドキドキさせて……。


「一体どこの誰だい? 僕の目が黒い内は見過ごすわけには――」

「はい黙りなさいねぇ」

「ぐふっ!?」


 元Sランク探索者の父は母の裏拳を食らって倒れ込んだ。


「ねえ刹那、詳しく聞かせてほしいわ。どんな子なの?」

「だから恋じゃないってば! ただの友達……親しい友達よ!」

「言い直すなんて可愛いわねぇ刹那は」


 ……ダメだ、こうなった母がしつこいのは娘の私が良く分かっている。

 今日は千条院家のことで相談に来たんだけど、しっかりとそちらのことも考えつつのこの様子なので私は何も言えない。


「だからそんなんじゃないから! 取り敢えず、相談したかっただけ! 何か分かったら教えてね!」

「分かったわ~♪」


 完全に遊ばれている……おのれお母さまめ!

 その後、私は絶対にしばらく帰ってこないと心に誓った。


『観察するような視線だったからな。ああいうのは何を考えているのか分からない部分も多いし、気を付けるに越したことはないはずだ。俺も何かあったら伝える、だから皇も遠慮なく伝えてくれ』


 今日の別れ際、そう言ってくれた時岡君の表情は凛々しかった。


「……っ、また私は……!」


 また彼のことを考えてしまったと頬が熱くなった。

 ……まあでも、どんなに彼が優しくて……私のことを心配してくれたとしても、私の秘密を知ったら彼は同じように考えてくれるのかな。


「……ふふっ、考える間もなく何も変わらないって彼なら言いそうね」


 何となく、私は時岡君のことを思い浮かべてそう笑うのだった。

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