第20話
「シロウ領の領主が降伏を申し出ております」
「申し出を受け入れる。無駄に殺すな」
「承知致しました」
書類を抱えて狒々のケモノが王務室を出ていく。彼が緊急の案件を持ち込んだのは、午前中だけですでに六件を超えていた。
「お疲れのようですな」
「……爺」
音もなく背後をとる老執事に苦言を告げる余裕すらケモノの王にはなかった。言ったところで、意味がなさないからでもある。
「いつから気付いていた」
「はて? 何に、かを教えていただきませんとお応えようがありませんな」
「姫が姫でないことに」
「なるほど。なるほど……。なんとぉ……、姫は姫でなかったのでございますかぁ」
「最初からか……」
ヒトの王子が死んだあと、人間の剣がケモノの手に渡ったあと、ヒトの国は崩壊をはじめた。
もとより、ヒトとケモノでは身体能力に差があった。ヒトをヒトたらしめた火の知恵でさえ、それは過去の栄光であり、ケモノも手にしていたのである。
結局、ヒトがケモノに抵抗できていたのは人間の知恵があってのこと。その人間も、その知恵すらも失って、ヒトは簡単に瓦解した。
「爺といたしましては、姫様にはずっとぼっちゃまの傍に居ていただきとう思うておりました」
「なぜ」
「ぼっちゃまの初めての御友人でしたので」
「友人なものか」
「風呂場ではあれほど楽し気にされていたというのに」
「……はぁ」
あの日、王と姫以外に誰もいなかった。
などという些細なことが意味をなさない男であることを、王は痛いほど理解していた。いたので、せめて溜息を零すしかできない。
「あれは、思いを遂げた」
「ともに、自由になられても良かったのですよ」
「本心か」
「さすればお暇を頂いて日がな一日ごろごろできましたので」
「はぁ……」
「ため息はいけませんなぁ、ため息をつけば幸せが逃げてしまうのですよ」
「もういい。もういいから紅茶を淹れてくれ」
「それがですな」
「爺?」
急に腰を曲げて、痛い痛いと呟きだした老執事に、王は、もしや本当にボケたのかと心配になり、それはそれで口やかましい執事といったん距離を取れるのではないかと真剣に悩んでしまう。
「爺もすっかり歳を取ってしまいましてな」
「そうだな」
「言葉に感情がありませんぞ? それでですな、新しいメイドを雇うてみたのです」
「爺の見立てに文句はないが、そういうのはせめて我に許可を得てからだな」
「ほれ、こちらへ」
「聞いてくれんか?」
老執事が手を叩く。
静かに扉を開いてやってきた小柄なメイドが。
「紅茶をお持ち致しました、我が王」
上品に、そして、淑やかに。
さりとて、大胆に。
「お砂糖はひとつ? それともふたつ?」
「……ふたつだ」
今日もまた、ふたつのカップが音を鳴らす。
美女が野獣 @chauchau
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