恋文「春の庭」
麻生 凪
陽光
・・・邂逅・・・
穏やかな潮風に、後ろ髪が緩やかになびいていた。
ヒール高いサンダルの、紐を結んだ足首はキュッと引き締まり、サワサワとワンピースの裾が風に踊ると、
ノースリーブの肩に、軽く羽織った若竹色のカーディガン、そこからのびるしなやかな腕。
白く艶やかな顔肌は、遠目からでもきらきらと輝いていた。
暫く僕は、仕事の手を止め君を見詰めた。
と言うよりは、見惚れていた。
・・・慕情・・・
そんな問いを投げたのは、君との絆を増やしたかった僕の心細さのせいなのでしょうね。
もうこうやって、部屋の窓から外を眺めるのは何回目になるだろうか。
眼下には断崖を打つ白の波紋が、紺碧のカンバスに無双の線を描いては、また消える。
どうかしてるな
三杯目の紅茶に手を伸ばしながら、自身の不甲斐なさに頭を掻いた。
机の上には書きかけの
今日も、書けず終いか
知らずとまた
あの日君に投げた問いの答えは、今頃ボトルメッセージのように、波の上を揺蕩っているのでしょうか。
それとも……
蒼穹に目をやると、いつのまにやら番いの鴎が、睦まじくランデブーを楽しんでいた。
あぁ、分かっているさ……
叶わぬ賭けでもあるまい。
来たっ
鼓膜には、潮騒の代わりに鐘の音が響いた。
脳裏に浮かぶのは、波にあずけたボトルメッセージを拾う君の細い指先。
そして……
寄せる波に濡れた
ねぇ君。君は何がほしい?
そう尋ねたのはさ
視える景色は違っても、そこには確かに繋がる言葉がある。
瞼をとじた僕は、それに応えるように文字を並べた。
君と過ごした時間。
これから過ごすであろう時間を。
・・・玉響・・・
降ってきたか……
風に煽られた水滴で窓を打つ音が、ぼくを揺り起こした。そのおかげで、寝坊しなくてすんだのだけどね。
さて、手荷物は少ない方がいいだろう。
財布に携帯電話。充電器。
ハンカチ、ポケットティッシュ。
ポーチの中に……
日焼け止めは今日はいいか。
傘と鞄を手に車の運転席に乗り込む。
それにしても、君と逢う前にはいつも胸が軋む。恋しさのせいなのだろうか。
……いや、不安も半分なんだろうな。
自分の臆病さを隠すようにRay-Banをかける。
こいつは昔からの常套手段なのだが、君には内緒にしておこう。
フロントガラスを打つしずく
アスファルトを擦る輪の軋み
逸るエンジン音に拍動の
君の笑顔に逢えるまであと少し
君と時間を重ねるまであと少し
・・・紫陽花・・・
彩とりどりの紫陽花が、突然の夕立に、小さな花弁を寄せ合わせじっと佇む姿に、どこか儚げな健気さを感じたものだから、思わず僕は、隣に座る君の肩に腕をまわした。
「あじさいが君のようでね」
すんなり君は身をまかせ、肩にちょこんと頬を乗せた。
「あんなに、お
あっけらかんと君は笑う。
その無垢な笑顔に、
僕もただ、笑うことしか出来なかった。
「信じなくてもいいの」
「えっ……?」
「勝手に……時間が証明するから」
はにかみながら、君がまた笑う。
苦手な梅雨を好きになることはないだろうけれど、その中にも君の影を感じることが出来たらいいと想った。
あの、あじさいのように。
・・・胡蝶・・・
些細なことに拘って口論となり、君を怒らせてしまった。
あれから一週間、君は口もきいてくれないね。もう、駄目なのかな?
窓際からひらひらと舞い込んだ一頭の胡蝶が、あの日からずっと、夢と現の境を揺蕩っているようです。
どちらが……なんてことは、さほど重要ではないことに、きっと君も気づいているのでしょうね。
肝要なのはそこに、片割れが居るかどうか。
そして……
紡いだ言の葉が、僕と君を繋いでくれたことのよろこび。
どんな花が咲いたとしても、眺めるのは君とがいい。
たとえ散ったとしても、君とまた重ねていけばいい。
・・・願い・・・
『七夕に、お願いごとはあるの?』
「いたってシンプルなものだがね」
どんより間延びした、あの厚い雲の彼方に、広くて深い川がある。その見えぬ川がたった今、鮮やかに瞬いた気がした。
『お願いごとはしましたか? 叶いますように✨』
今夜をともに過ごせぬ憂いが、特異点に呑み込まれゆく刹那、僕の言葉は
「ずっと君の笑顔が見られますように」
・・・決意・・・
母の一周忌、君に尋ねた。
あの日母の言葉に、なぜ泣いたのかを。
「初めて君を家族に紹介した日、母と二人きりで、何を話していたんだい」
「あの時のお義母さまの言葉でね、わたしの気持ちが固まったかな。あなたと結婚しますって」
「母は、なんて言ったの」
「ふふっお義母さまね、こう言ったのよ。自慢のお庭を案内しながらね」
言いながらまた、君は泣いた。
「……花だけ観ていては駄目よ。植物はね、枯れてゆく姿が一番美しいの……って」
母、自慢の庭……
そこには、自然に対する
花が咲いている時だけでなく、植物のライフサイクルや特性、枯れた姿をも慈しむ母の世界が広がっていた。
それはまるで、自然がすべてを受け止めるかのように。
・・・風のガーデン・・・
新種の花を見つけたら
君はなんて名前を付けるのだろう
「都心にも こんな物件があるのね。ねぇ、ここに決めましょうよ」
「そんなこと言ったって、こんな小さな庭では無理だよ。まぁ……イングリッシュガーデン風には出来そうだが」
「えっ、なんのこと?」
「ナチュラリスティックガーデニングを一言で表現すると『自然を再現したような庭を造ること』だと、君は言っていたではないか」
「あぁそうか……水元公園に行った時の。そんな昔の話を、覚えていてくれたのね」
「都内で唯一、水郷の景観を持つ公園だよ」
「
「……もう少し足を伸ばして、郊外を探そうか? もっと広い土地が買えるよ」
「でも……、通勤に不便だわ」
「人生に一度っきりの買い物だ。通勤に苦労しても、君の願いを叶えたい」
「ありがとう。でもね、そうしたら…………あっそうだ、この塀を取り壊してしまえばいいのよ」
「塀をとる……」
「ほら、ここにベンチを置けば、川を眺められる」
「まぁ、そうだが」
「それに、風も入るから気持ち良さそう。あっ見て見てっ! こんなところに可愛らしい花が咲いてるわ。鮮やかな紫色」
「それは、弱草藤だよ」
「なよくさふじ……」
「野原や河原などに
「……ここに決めたわ……」
「えっ?」
「郊外だと、あなたと過ごす時間が減ってしまう」
「いや、でもさ……」
「いいのぉ~。だってあなたが……わたしの庭だから」
・・・鐘の音・・・
「わぁー、かわいい。ジングルベルみたい! お父さん、春にもサンタさんがくるのかなぁ?」
庭で咲き始めたカンパニュラの手入れをしていると、後ろから幼い娘が声を掛けてきた。
「……えーと、それは……」
僕の答えを、無邪気に首を傾げながら待つ娘に、君は優しく言った。
「サンタさんは、クリスマスにならないと来ないの。でもね、お父さんはその日の為に、今から準備をしているのよ」
「そうなんだ……」
娘は君の話を一生懸命聞いている。
(でも、どうして……)
僕は心の中で、娘の代わりに問うた。
目を丸くしながら、次の言葉を待つ娘と僕に、君は微笑みながらこう言った。
「ふふっサンタさんはね、この、鐘に似た小さな花を目印に、プレゼントを持ってきてくれるからよ」
「そうなのっ、お父さんありがとう!」
大喜びの娘は、僕の胸をめがけ一直線に飛び込んできた。
どこからか微かに、鐘の音が聞こえた。
・・・幸福・・・
珈琲の薫りで遅い朝を迎えた。
机にそっと置かれたマイセンは、君が誕生日にくれた僕のお気に入り。
オーディオから流れるグリーンスリーブスは、君の好きなロン・カーター。
窓越しの君は、小さな庭に佇んでいた。
昨年嫁いだ娘の、出産予定は10月だと聞いている。もうおばあちゃんになるっていうのに、君は何時までも変わらないね。
まるで、そよ風になびく白ポリアンサの花弁のように……
清らかな人。
「おはよう、新しい花は咲いたかい?」
・・・黄昏・・・
うす桃色の花に差す、ソバカスに似た斑点を恥ずかしがるように、朝陽を浴びた
天使の髪の周りでは、南からの陽光を待ち望むカンパニュラ・アルペンブルーの蒼い絨毯が、朝露に濡れたまま、少しばかり震えている様子です。
リクライニングに身をまかせ、葉先の白い芝生に目をやると、今年二度目のつくしが芽を出していたよ。
どうだろう……
秋に見頃の、ふわふわ長めの花穂が美しいカラマグロスティスの隣に、アスチルベでも植えようか。赤かな、黄色がいいかな?
目蓋を照らす、春の陽が暖かい。
ひらひら舞い踊る一頭の胡蝶は、あの日見たものと同じだろうか?
『肝要なのはそこに、片割れが居るかどうか』
……あぁ、そうだね。
天国の君と話しているうちに
何時の間にやらまた
眠ってしまったようだ。
……了
恋文「春の庭」 麻生 凪 @2951
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