蒼に、消える
ハズミネメグル
第1話
「庭にきれぇか花の咲いとったけん。美琴に似合うかと思って」
そう言って、鷲一さんは本殿を掃除する私の髪に花を挿す。
小振りの薄紫色の花に、小さな白いレースフラワー。
私はポツリと呟いた。
「これジャガイモと人参の花でしょ」
「バレた?」
「家庭菜園をやっているの知りませんでした? ジャガイモも人参も育ててます」
全くと溜息を吐く私に苦笑する鷲一さん。
「やっぱ情緒のなかったかぁ。ばってん、きれいか花には変わりのなかろ?」
そう言ってポンポンと鷲一さんは私の頭を撫でる。
確かにきれいな花には変わりがない。ジャガイモに至っては、かの断頭台に消えた王妃も愛でたという逸話もあるほどだ。
こういう時、気づかず、あるいは気づかないふりをして、ありがとうと言える女じゃないから私には浮いた話一つないのだろう。
「まぁ、たしかにきれいですけど、カレーを食べたいっていうアピールなのかと思いましたよ」
「あ、確かにカレーば喰いたかなぁ。美琴のカレー美味しかもん。レシピば教えてもらったけれども、どげん気ぃば使っても、あげん美味しくならんとさ」
「はぁ? アレンジもいじりようも無いレシピのはずですけれども……まぁ良いですよ。美味しいって言ってバクバク食べる鷲一さんがいるなら、作りがいもありますし」
「本当ね!? じゃあ新じゃがと人参が出来たら山ほど持って来っばい!」
日焼けした肌に口角を上げて真っ白い歯を見せるどこか子供っぽい鷲一さんの笑顔。
この状況で、なんでそんなものを思い出したのか、私は泣きそうになる。
地震直後で燃え広がる町の中を私は走っていた。先程目の前に浮かんだ情景を振り払うように頭を振りながら。
カレーを作りたいな、とかそんなことを考えている暇はない。早くうちの神社が無事かどうかを確認しなきゃいけない。親たちは無事か。本堂は無事か。
石段を駆け上がる時も、やはり脳裏に、チラチラと鷲一さんの笑顔が浮かんだ。
ああ、カレー。カレーを作りたい。
もうすぐ、夏が来る。新じゃがや人参だけじゃなくって茄子やピーマンもたんまりと入れて、トマトが溶けるまでくったくたに煮込んで、ついでに一日寝かせた美味しいカレーを作ったら、彼はどう笑うんだろう。
やっと石段を登りきり、本殿へと一気に駆け上がる。肺が酸素を求めて生暖かい空気一気に吸い込む。目に見えて燃えているようではないが、本殿から何かが焦げる匂いがする。扉を開けて、御神体だけでも保護しないと。
そう思い、扉を開けた瞬間、私の視界は炎に覆われ、暗転した。
***
八月十一日 晴
今日も、カレーを作ってみる。
レシピ通りに正確に。使っているスパイスのメーカーもレシピ通りに揃えたし、ルーも同じもの。材料の産地まで揃えた。
作り方は同じ。美琴が使っていたのと同じコンロをや鍋まで同じものを揃えたはずだった。
だが、いざ食べてみると、やはり違った。どこにでもある普通のカレーだ。
美琴のカレーと一体何が違うというのだろうか。
美琴の実家付近が火事になったと聞いて、急いで帰ろうとした。
だが、何分、あれだけの地震だ。交通網も復旧するまで、時間がかかった。
やっと美琴の実家へ行けた時、火は既に消し止められ、あの辺一体が焼け野原になっていた。
美琴は、死んでいた。
実家の神jaの扉を開けて、baっくどらfutoのほnoおにのmaretaのだという
ゆいituのこった彼女の腕の指紋とDNAからikinokoっているhaずが██ ███●●●● ・・・・・・・・・
・
・・・・・・・・・
███tteいない。
mi琴の遺たiha、未だに見つかっていnai。
髪の先から、足の指の一本まで、あれから五年経つ今でも見つかっていない。彼女はまだ死んでいるか生きているかわからないんだ。
だったら、待ち続ける。
ずっとずっと待ち続ける。
俺が作ったカレーがなんで美琴のカレーに比べて、美味しくないかなんて答えはずっと前から分かっていた。
初めて恋した女の子に作ってもらったカレー以上に美味しいものなんて、あるはずなかったんだ。
[00:08]
***
白鳥さんから渡された手帳を見て私は目を見開いた。
手書きの文字がどんどん崩れていき、その下から新たな文字が現れてくる。
パソコンなどで打った文字なら何かプログラムで仕込みを入れたのだろうか、と思うが、手書きの文字がこの様に動くなど、どんなトリックを使ったか私はわからない。
「これは一体何なんです?」
「過去が変わってしまったから、その結果が書き換わっているだけの話だ」
白鳥さんは最後の一口をスプーン掬って、咀嚼し、飲み込んでから言う。
「天川美琴という人物は、本来ならあの地震の日に死んでしまうはずだった。バックドラフトによって急炎上した炎に包まれてね。吹き飛ばされた腕がそれを証明した。それが本来の過去だったけど……」
「けど?」
「未来から俺が美琴を誘拐したことによって、それが書き換わってしまった。君は死んでいないし、君の死を証明するものはなくなってしまった。だからその手帳の筆者、鷲一は待ち続けることを選んだ。意中の人が違う時代に飛んでいるとは気づかずにね」
「本来の鷲一さんは、どうなる予定だったんですか」
その問いかけに、黙る白鳥さん。しばらく沈黙が続き、観念したように言う。
「喪われて戻らないと確定した愛しい人なら、諦められたんだよ。いつしか多くの時間が彼を癒やして、また別の人生を歩み始められた。
いつしか、別の人と家族になって、子供も産まれてそれなりに幸せだったんだよ」
その言葉に私は、目を見開く。
私の死体を見つけたからこそ、それが産まれた未来だとしたら、私の死体が見つからない今、その未来は――。
白鳥さんは、困ったように笑って言った。
「君は、気に病む必要がないんだよ」
「どうして」
「だってね」
白鳥さんは笑う。その笑顔は、あの日の鷲一さんの笑顔にそっくりだった。
「父さんが大好きだったカレーライスが食べたかったんだ」
こころなしか、彼の姿が一瞬かすみ、ノイズの様に揺らめいた
「父さんだって、きっと、戻って助けられるのなら、あんな姿になった君を見たくなかったはずなんだ。でも、俺の存在がそれを止めてしまった」
手帳の文字はどんどん書き換わる。元の文字はほとんど判別できない。
「だから、これで良いんだ」
「最後の晩餐が、私のカレーライスで良いんですか」
「うん」
窓から見える五月の青の中、最後に見えた快活な白鳥さんの笑顔があの日の鷲一さんの笑顔に重なる。
「ごちそうさまでした。美琴さん」
そして一人が、誰にもしれず青の中へ消えた。
蒼に、消える ハズミネメグル @HazumineMeguru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます