悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりを受けて我が家が没落したので、わたしは森でサバイバルをすることにしました。

さくたろう

⭐︎

「あの子が学園で婚約破棄されたので、我が家はお家取り潰しになった」


 珍しく父の書斎に呼び出されたわたしは短くそう告げられた。理解が追いつかずに言葉につまる。

 

 思えば妹は小さい頃から頭がヘンだった。ある日高熱を出して、治ったら「わたくしは悪役令嬢なんですわ!」と言い出した。

 いわく、自分はヒロインに悪さをする恋敵でいつか国外追放されるという。おまけに我が家は没落するんだそうだ。「お姉様も来たるべき日に備えて手に職をつけておくべきですわ!」が口癖だった。まさか本当に没落するなんて。


「あの子はどうするんですか?」


「これ以上悪事を働かぬよう、友好国の修道院へ送れというのが王家からの命令だ。特に殿下はあの子の顔も見たくないそうだ」


 我が国の第一殿下はあの子の婚約者だった。学園に入る前は仲睦まじく見えたけど、婚約破棄されるなんて一体何があったんだろう。

 お父様は難しい顔をして言った。


「詳しいことは分からんが、誤解があるようだ。しかし王家の我が家への恨みは凄まじい。私が娘を使って国家転覆をもくろんでいると思ったようだ。近く逮捕される。おまえも」


 なんですって? 


「あの子は修道院にいるから表だっての危険はないだろう。しかしお前はそうではない。なんとか生き伸びねば」


 そうお父様が言ったとき、ガシャンと我が家のガラスが割れる音がした。


「まずい! もう追っ手が来た! どうか逃げてくれ!」


 そう言われたのでお言葉に甘えてわたしは逃げることにした。ひとまず、猟銃セットだけ手に取って、森の中へと逃げ出した。



 *



 「手に職を」というあの子の言葉を真に受けたわけじゃないけど、わたしの趣味は狩猟だ。女の子らしくないので周りには隠している。


 さて、森の中に逃げたのはいいけど、これからどうしましょう? 


 お父様は捕まってしまっただろうか。だとしたら家には帰れない。王家に睨まれたら生きていけない。誤解があったと言っていたが、解ける日はくるだろうか。

 と、目の前に一匹のイノシシがいるのが見えた。まだ若く、独り立ちしたばかりだろう。わたしはそっと猟銃を構えて狙いを定めた。


 銃声の後、イノシシは倒れた。猟師直伝のわたしの腕は確かだ。イノシシの側によると、まだ生きていて、手足をばたつかせてわたしを見つめいている。わたしは黙ってナイフを取り出すと頸動脈をかっきった。血が地面に飛ぶ。獣は両足をピンとはった後、力尽きた。


 頸動脈を切るのは、とどめをさす意味と血抜きの意味がある。ここでたくさん血を出しておかないと肉が臭くなる。

 妹のあの子は残酷だと言ってわたしの狩猟を嫌悪していた。純粋なあの子は、普段口にしているステーキが果物のように木になっているとでも思っているのだろう。


 イノシシの内臓を手早く取り出す。心臓だけは十字の切り込みを入れて、木のなるべく高いところにお供えしておく。こうしておけば命は天に返り、またこの世に生まれ変わることができる。命を奪い、いただく行為は避けられない。だからこうして、感謝の気持ちを忘れないようにするのだ。


 マッチで小さな火をおこし、肉を軽く炙る。食べながら考えた結論は、妹の修道院に行こうということだ。何があったのか詳しく聞けるし、修道院なら安全だ。わたしもそこで人生を立て直そうか。


 友好国への修道院は尾根伝いに行けば辿り着ける。森で生活しながら目指すことにした。



 *



 家の領地は庭のようなものでよく知った森だったが、一歩その外に出ると途端に不安になる。でもこれから先ずっと未知の領域だ。へこたれていてはいけない。


 小さな川があったので、次に水源に巡り会える保証もないからなるべくたくさん水を飲む。水筒もそれで満たした。燻製にしたイノシシの肉を食べながらコンパスを取り出した。


 方角は正しい。地図はないから自分の勘だけが頼りだった。太陽を見失わないようにしなきゃ。


 そして家族のことを思った。

 わたしたちは仲のいい家族ではなかった。お母様は小さいときにご病気で亡くなられていたし、お父様はいつも厳しかった。褒めて貰った記憶は一度もない。わたしの婚約も、妹の婚約もすべて政治的なもので、娘の意思は関係なかった。


 妹とは小さいときはよく遊んだ。でもわたしの婚約が決まった頃からか、少しずつ話さなくなってしまった。婚約者に気に入られるために、彼と過ごす時間が多くなったからだ。妹はよくわたしの後を着いてきたがったが、それも煩わしかった。それにある日から「自分は悪役令嬢だ」という妄想に囚われてしまったのでますます距離ができた。


 でも今思うことは、家族が辛い思いをしていないかということだった。お父様は無事だろうか。妹も慣れない修道院暮らしで悲しい思いをしていないだろうか。空気の読めない発言をして、いじめられていないだろうか。


 どうしてこんなことになってしまったんだろう。もっと、悩みや相談事をたくさん話せば良かった。わたしはもうすぐ二十歳だ。いい加減大人になって歩み寄るべきだった。今になってとても後悔した。


 川は小さくて魚はいない。しかし、石をひっくり返すと沢ガニがいたので何匹か捕まえた。足下に蛇もいたので、木の枝を使って捕まえた。

 同じ年の女の子は蛇が嫌いだけど、わたしは好きだ。美味しいから。骨が多いのが少し難点だけどね。



 *



 何日も歩いて、獲って、食べて、寝て、の生活が続いた。沢の近くにタープを張って眠っていると、早朝小さな鳴き声が聞こえてきた。

 放っておこうかとも思ったがどうしても気になるので側に寄る。向かうと、驚く光景が目に飛び込んできた。

 小さな白いキツネの子が、既に冷たくなった母親の死体に寄り添っていたからだ。母親の体には獣に襲われた跡がある。半分食べて埋めてある。わたしは恐ろしくなった。


 ――ヒグマだ。


 ヒグマは食べきれない獲物を土をかぶせて埋める習性がある。そして獲物への執着心は人一倍だ。遠からずこの場に巡回しにくるだろう。であれば、即刻この場から立ち去らなければ。

 キツネの子はわたしに気づくとさっと藪の中に逃げてしまった。でも近くから様子を伺っているのは気配で分かる。

 ヒグマが戻ってきたらこの子も危ないので連れて行きたいが、こう警戒されていては触らせてもくれないだろう。でも放っておけば、この子は母親の死体の側にいつまでもいるはずだ。自分の孤独とこの子の孤独が重なる。


 わたしは荷物からさっき獲ったばかりの野うさぎの肉を取り出すとキツネの子に投げる。そして、目線を合わせないように、なるべく体を小さくした。野良猫相手によくやっていた警戒心がないと示す行為だが、キツネにも効果的なのかは知らない。それでもその子は肉を食べているようだった。

 もう一度、今度は藪の外に投げる。ゆっくりと小さな鼻先が出てくる。そして肉をくわえるとまた藪の中に入った。

 今度は私の近くに肉を置く。キツネの子は長い時間をかけて、考えているようだった。しかし空腹に負けたのか、やがて出てくるとわたしの隣で肉を食べた。わたしはそちらを見ないようにしてじっとしていた。あなたの味方よ、と心で呼びかけながら。


 キツネの子が食べ終わったのを見届けた後、驚かせないように細心の注意を払いながらものすごくゆっくりとした動きで立ち上がる。キツネの子は逃げずに見ている。わたしはこの場を離れようと歩き出す。時間をかけてしまったのでヒグマが戻ってくると怖い。


 少し歩いた所で、わたしはキツネの子を振り返った。座ったまま、わたしを見ている。ついてこないなら、仕方ない。かわいそうだけど、放っておくしかない。


 前を向いてまた歩き出すと、やがて小さな足音が一定の距離を持ってついてくる音が聞こえた。



 *



 孤独な旅にあって、キツネの子は心強い味方だった。せっかくだから「エドワード」と名前をつけた。小さい頃、妹と読んでた本の主人公にちなんだ。それは白い陶器のうさぎが長い旅の末、愛を見つける話だ。なんとなくわたしの状況にぴったりな気がした。


 エドワードははじめ、遠くからついてくるだけだった。わたしの猟銃から発せられる銃声におどろいて逃げることもあったが、ずっとついてきた。獲った獲物は二人で分け合った。放ってやると素直に食べた。


 そんな生活を続けるうちにエドワードはわたしを味方だと信頼したようで、ずっと近くにいるようになった。触らせてくれるようになると女の子だと気づいたが、もうエドワードで定着してしまったので後の祭りだった。わたしたちは夜一緒に眠った。彼女の毛はやわらかく、体は人間よりも温かく触れていると安心した。


 一緒に暮らすようになって、キツネはかなり犬っぽいことが分かった。撫でるとシッポを振る。そして芸を覚える。わたしが口笛を吹くとどこにいても走り寄ってくるようになった。彼女はこれを楽しい遊びだと認識しているようでいつも機嫌良く嬉しそうにしていた。


 時折、エドワードが狩りに成功して野うさぎやモグラ、ねずみなどの小動物をくわえてくることがあった。やはりそれも分け合って食べた。分け合うのが当然だとでも言うような彼女の態度がとても嬉しくて幸せだった。

 旅をしながら、わたしはよく家族に話しかけるようになっていた。人間の言葉を忘れてしまいそうだったし、心が慰められるような気がしたからだ。


「ねえ、今日は魚を釣ったわ。子持ちで得した気分」妹に話しかける。


 ――よかったですわ、お姉様。美味しそうですわね。


「お父様。エドワードが怪我をしてました。小さな傷だけど、心配です。だから手当をしました」お父様に話しかける。 


 ――それは心配だね、手当をしてあげるなんて、お前は優しい子だ。


 空想の家族はわたしの聞きたい言葉しかかけてくれない。優しい言葉、同調する言葉。実際、近頃はろくに会話したことなんてない。本当の妹と父はどんな言葉を言っただろう。お叱りでも軽蔑でも呆れでもいい。話したかった。

 わたしはちっとも二人を分かろうとしなかった。もし、皆無事だったら、思いっきり話そう。わたしは家族を渇望していた。


 旅はかなり進んでいた。始めてから一月ほど過ぎただろうか。体は痩せ細ったが、病気もせずに生きていた。


 ある朝、夜のうちに仕掛けた罠を見に行くと、獲物が消えているのに気がついた。たしかに捕まった形跡があり、血の跡も付いている。別の獣に横取りされたのか。周りを見回してぞっとした。無数の足跡が付いていたからだ。


 くっきりとした五本の指。十三センチはありそうだ。大人のヒグマだ。

 エドワードの母親を襲ったあのヒグマだろうか。


 わたしはエドワードを口笛で呼び寄せると、急いで立ち去った。でも、わたしは逃げるのに焦る余り、近くで食べかけていた肉をそのままにしてしまった。うかつだった。周囲にはわたしの匂いがたっぷりとついていたことだろう。



 *



 ――今、ヒグマがいる。


 わたしの全身の毛穴から汗が噴き出す。エドワードは逃げた。それでいい。彼女を危険にさらしたくない。ヒグマはわたしの匂いを追ってきたらしい。簡単に餌をえる手段を知ったヒグマは匂いを辿ってきたのだ。幸い、まだこちらに気づいていない。荷物に入っている肉を狙っているのか、あるいはわたし自身か。


 距離は、ざっと五十メートルほどだろうか。わたしに様々教えてくれた猟師曰くヒグマは山中で六十キロで走れるらしい。ヒグマがわたしを殺すまでかかる時間は――三秒。

 わたしの後ろには崖がある。落ちたら死ぬ。前も後ろも死だ。


 わたしは猟銃を構えている。撃ち殺すチャンスは一瞬だ。


 ゆっくりと体勢を低くし、体を安定させる。向かってこなければいい、わたしに気づかずに立ち去ってくれれば。しかし、世界はいつも無情だ。

 

 ヒグマの嗅覚は犬の二十一倍だ。くんくんと匂いを嗅ぐ動作をしたそのすぐ後、ヒグマはわたしを見た。遠かったが、目が合ったと確かに感じた。


 猟をしていると、ごくまれに自分と獲物以外この世界にいないという感覚に襲われることがある。ある種の「領域」に入った瞬間だ。世界は遠のき、二つの命だけが存在する。

 今、まさにそうだった。


 ヒグマはこちらに走ってくる。それがいやにのろく感じた。


 ヒグマの脅威は恐るべきは強靱さにもある。弱点が非常に少ない。頭蓋は硬く弾が通らない。心臓に当たってもなお何十メートルも走ったという話も聞いたことがある。それにわたしの銃は鹿を撃つバックショットだ。でも、助かるためにはやるしかない。心臓か肺に一発お見舞いしなければ。


 立て続けに撃った。一発は肩に辺り、もう一発は胸に当たった。しかし致命傷には至らなかったようだ。ヒグマは瞬く間にわたしの目の前までくると立ち上がり腕を天高く掲げた。

 わたしは目を閉じなかった。命のやりとりに負けたんだ。いままで奪った命と同じことだ。わたしは自分の命を最後まで見届けようと思った。

 しかし、ヒグマの爪はわたしには届かなかった。目の前を白い毛が覆った。瞬く間にわたしのものではない赤い血が飛び散る。


「エドワード!!」


 わたしは叫んだ。エドワードがヒグマとわたしの間に入った。逃げたと思った彼女はわたしを助けようとみていたのだ。わたしは彼女の体を抱えた。彼女は力なくわたしを見た。「ごめんね、ごめんね」わたしは小さな命に謝った。わたしのまぬけのせいで、エドワードが死んでしまう。


 そしてまもなくヒグマの第二撃を体に感じて、わたしはエドワードを抱えたまま、崖を転がり落ちた。



 *


 

 体中が痛くて何度も悲鳴を上げた気がする。追ってくるヒグマの恐怖もあった。体はひとつも動かせない。エドワードを探すが、その柔らかくて温かな体温に触れることはなかった。


 夢を見て、痛みに目を覚まし、そして叫んでまた眠る。そんな日々がどのくらい続いたのかわからない。しだいにわたしは、あたりの様子を感じるようになっていた。


 わたしは誰かに世話をされている。

 

 目も顔にも体にも包帯が巻かれ、毎日清潔なものに取り替えられた。驚くことに、ここは病院らしかった。わたしは人間の世界に戻ってきた。声を出そうとしても、かすれたものしか出ない。なんとかしゃべらなくては、妹の、あの子のところに行きたかった。エドワードの無事も確かめたかった。お父様の生活も心配だった。皆に会いたかった。


 やっとなんとか言葉を出せたのは、わたしがはっきりと病院だと認識してからまた何日も経ったときだった。相変わらず目はぼんやりとしか見えていなくてその看護婦の輪郭に、ひどくかすれた声で初めに尋ねたのはエドワードの安否だった。


「エド、ワードは、あの、キツネの子は、どこ?」


 看護婦は驚いた顔をした後で言った。


「ええ無事ですわ。あなたよりもずっと軽傷で、今は病院の外で飼われていますよ。エドワードと言うんですね? 昔姉とよく読んだ本を思い出します。ぴったりですわ」


「よか、った」

 

 本当によかった。強くて優しい子。わたしといたから人間に慣れてて、皆に愛されているんだ。

 それからわたしは病院の看護婦たちに感謝した。エドワードを助けてくれたこと、お金のないわたしを看病してくれたこと。

 その看護婦は首を振って微笑んだ様子だ。その優しい雰囲気にわたしは安らぎを覚える。まるでずっと知っている古くからの友人のようだ。


「この病院は修道院の中にあるのです。神様のもとに、人は誰しも平等ですわ。お金なんていただけません」


 立派な言葉に胸が熱くなる。姿はよく見えないけど心の綺麗な人だ。


「あなたは崖の下に落ちていたんです。通りがかった猟師が見つけてここまで運んでくださったのですが、一時は生死の境をさまよっておられましたわ。そう、その猟師の方がエドワードをここで飼うべきだと進言してくださったのです。そうした方があなたにもいいだろうからと」


 その人に、感謝しなければと思った。そして看護師は不思議そうに尋ねた。


「でも、一体、どうしてあのような場所にいたのです?」


 わたしは話すべきか迷った後で、言った。ここは修道院で、安全だと思ったからだ。だから自分の名と屋敷を追い出されたことを話した。


「まさかそんな! あり得ないですわ!!」


 看護婦は心から驚いた声を出す。驚きは分かるがそこまでの反応だろうか。しかし、次の言葉に仰天したのはわたしの方だった。


「お姉様!! ずっと探してたんですわ!!」



 *


 

 そこからの日々はめまぐるしかった。


 ここは妹が預けられた修道院だった。妹は毎日わたしの病室に来ていろいろ話した。いままで話さなかった分を埋めるように。動けるようになると、エドワードに再会した。彼女はシッポをぶんぶん振ってわたしに飛びつこうとしたので、妹がそれを制した。わたしがけが人だからだ。


 お父様は今裁判をしているらしい。孤独で不安じゃないだろうか。どうにか助けられないだろうか。


 そしてやっと婚約破棄の顛末を聞いた。「悪役令嬢が」「ゲームのシナリオが」などという妄言は相変わらず言っていたが、要約するとこうだった。


 学園に入学しても王子との仲は良かったが、ある日、転入生がやってきた。なんの変哲もない子だったが、なぜか周りの男子学生たちは彼女にメロメロになってしまった。転入生は図に乗り、気に入らない学生を取り巻きを使って陰でいじめているようだったため、一度だけ注意したら、王子に泣きつかれ、そこからはあっという間に悪者にされ、彼女のすべての悪事を妹のせいにされてしまったのだという。


「それはひどい」


 わたしは怒りに燃えたが、妹は微笑んだ。


「でも、もういいんですの。こうやって人のために生きることは幸せに思いますわ。それに本当に大切なものは学園でも王子でもございません。あなたです、お姉様。いなくなったと聞いて、ずっと探してましたわ。でも、こうして会えた。もう二度と離しません」


 妹はそう言って泣いて、わたしを抱きしめた。わたしも思わず泣く。森の中、ひとりぼっちで孤独だったとき、どんなに家族に会いたかっただろう。その気持ちが彼女も一緒だったと知って、嬉しかった。そして、言った。


「わたし、逃げてた。お母様が亡くなられてすごく悲しかったけど、お姉ちゃんだからしっかりしなきゃって思って、でもそう思うほどあなたの純粋な目が怖かった。しっかり者のメッキが剥がれるんじゃないかと思って。だから婚約者と過ごすことで紛らわせていたんだわ。本当は、お父様と、あなたともっと話さなきゃいけなかったのに」


「いいえお姉様。謝るのはわたくしのほうですわ。わたくしはいつも自分のことばかり優先して、家族に向き合おうとしませんでした。自分が追放されることばかり心配して、家族も巻き込むなんて考えが及びませんでしたもの。弱さも情けなさも、わかり合うべきでした。本当にごめんなさい」


 わたしたちは泣いて謝り合って、そして最後に情けなくて笑った。久しぶりに心の底から笑った。



 *


 

 ショックを受けるのではないかと、最後まで隠されていたのはわたしの顔のことだった。


 傷つき、跡が残ると言われたのは体がかなり回復した頃だった。でもわたしはあまりショックではなかった。どのみち結婚や恋愛は無理だろうから、元気になったらこの修道院で妹と一緒に働こうと思っていたためだ。


 その頃、わたしを助けたという猟師が見舞いに来た。猟師らしく日に焼け、素朴な顔をした、逞しい青年だった。わたしの傷だらけの顔を見てもひるむことなく、温和な態度で言った。


「女の子なのに、猟が趣味なんだって? たいしたもんだなあ」


「一通りのことはできるわ。なにより、森の中にいると、一番自分らしくいられる気がするのよ」


 青年は何がおかしいのか大きな声で笑い、言った。


「ヒグマと戦い、キツネをペットにするなんて、そんなご令嬢あんた以外にはいねえだろうさ」


 それから、たくさん話をして彼は帰っていった。それからもたびたび青年は訪ねてきて、わたしたちはすぐに仲良くなった。彼と話していると生まれて初めて胸が高鳴った。そして森で遊ぶときと同じくらいに安心した。


「なんだか嫉妬しますわ」と妹が言った。「でも、お似合いだと思いますわよ」

 わたしは顔が赤くなった。


 ある日妹が言った。


「わたくし、裁判で証言しようと思いますの。お父様を助けたいんですわ」


「そんな、危険だわ! 信じてくれるとも思えない」


 悪意によって国を追われた妹。追い出した転入生のその子はいまだ王子の婚約者という立場にいる。証言して、信じてもらえるとも思えなかった。


「でも、やれるだけ戦いたいんですの。戦い抜いたお姉様を見て、そう思いました」


 妹の決意は固かった。



 *



「きっと大丈夫だよ。なにもかも上手くいくさ」


 彼がわたしの隣に座って手を握って言ってくれた。ごつごつとしたまめだらけの優しい手だった。膝の上にはエドワードがいる。わたしの不安を感じているのか、ずっと側にいてくれる。もう子狐とは言えない大きさだけど甘える姿は相変わらずだった。日中は修道院の外のベンチでそうして何日も待っていた。遠くから今に妹が戻ってくるんじゃないかと期待して。


 ある日、いつものようにそうしていると、遠くから二つの人影が意気揚々と歩いてくるのが見えた。わたしは思わず立ち上がる。彼が止めるのも聞かずに走り出した。


 二人だ! わたしの大好きな家族だ!


「お姉様-!!」


 妹も駆け寄って来た。意外なことに、お父様も走っている。その顔は今まで見たこともないほどの満面の笑みだ、しかし次の瞬間に大粒の涙を流した。


「ああ、良かった。こうしてまた会えるなんて! あの牢獄でなんどお前たち二人の夢を見ただろう」


 そして思い切り抱きしめられて何度も頭にキスをされた。そんな態度のお父様は初めてで驚いた。妹は笑いながらそれを見ている。


「なにもかも上手くいったんですわ! あの転入生にいじめられて退学になった生徒たちひとりひとりを訪ねて証言をお願いしたんですの! そしたら、勇気を出した何人かが一緒に裁判に出てくれましたわ! わたくしたちが勝ったんですの!」


「ああ、感謝してもしきれない」


 お父様が言った。


「しかし、あの時の王子は見物だったな。転入生が黒幕だと分かるとお前にすがりつき、泣きながら復縁を迫ったのだから。まだ未練があるのだろう」


「うふふ。無様でした。ざまあみやがれですわ! あ、お姉様心配しないで、もちろん蹴り飛ばしてやりましたわ」


 想像してわたしは思わず噴き出したあとで、疑問を口にした。


「王子と転入生はどうなったの?」


「転入生はこれからながーい裁判です! 証言者はたくさんいますもの。くくく、彼女、悔しそうな顔してましたわ。ギャフンと言うことになりますわー!

 王子は国外追放になるみたいです、国王がとてもお怒りで。ふふん、一生後悔してるがいいです。……でも昔のオトコにはもう興味ございません! おととい来やがれですわー! くっくっく」


 妹は珍しく悪い顔をしていた。きっと転入生と王子に陰で色々嫌なことをされていたのだろう。二人は犯した罪に対してこれからしかるべき罰を受ける。その前に妹にした嫌がらせの分をぶん殴ってやりたいわ。


「お父様は元の暮らしに戻るのですか?」


「いや、元の職に戻ってくれないかと国王から懇願されたが、断ったのだ」


「どうして!?」


 お父様は微笑んだ。


「牢獄でいつも後悔したのは、もっと娘たちと話すべきだったということだ。地位のある男と結婚させ不自由ない暮らしを送ることが娘の幸せだ思っていたが、本当にそうだったのだろうかと。お前たちの笑顔を思い出そうとしたが、思い出せなかった。もう随分長い間見ていなかったことに気がついたんだ。だから、これからはゆっくり時間をかけてたくさん話そう」


「もちろん……! もちろんよ!」


「愛しているよかわいい娘たち」


 わたしは何度も頷いた。


「よかった、本当によかったなぁ」


 横で聞いていた彼はもらい泣きをしてる。そして、わたしに向き直ると涙でぐちゃぐちゃの顔のまま言った。


「なあどうか、オレと結婚してくれないか。身分は全然違うし、身の程知らずだって分かってる。でもキミを愛してるんだ! もし同じ気持ちでいてくれたら!」


 わたしは驚いて彼を見た。彼の目は真剣だった。

 

 彼は人の幸せを心から願える人だ。悲しみに寄り添ってくれる人だ。何時間でもくだらない話をしていられる人だ。たまらなく、愛しさで胸がいっぱいになる。


「同じ気持ち? 全然違うわ」


 わたしが言うと、彼は絶望の表情になる。わたしは続ける。


「わたしね、家を出てからずっと思ってたの。本当に大切なものは何かって。それでね? 気づいたの、それは家族だって。同じ気持ちだって? 冗談じゃないわ! わたしの方がずっとずっとあなたを愛してる!! 決まっているじゃない! 答えはもちろん、イエスよ!! わたしたち、家族になりましょう!!」


 そう言って、彼に抱きつきキスをした。彼の顔は真っ赤だ。多分、わたしの顔もそうだ。


「な、うちの愛する娘はそう簡単に……!」


「お父様、水をささないでくださいまし! おめでとうございます、お姉様! 嬉しいことは続くものですわね! 今日はお祝いですわー! 赤飯を炊かねば! わたくしもどこかのイケメンを捕まえてみようかしら?」


 わたしは三人と一匹の大切な家族を抱きしめた。これからたくさんの話をしよう。

 赤飯とイケメンがなにかは知らないけれど、両方とも妹の前世の食べ物だろうか? それも聞いてみようと思った。だって、家族は一緒にいて、これから時間はたっぷりあるのだから。


 ずっと幸せが続くのだから。

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悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりを受けて我が家が没落したので、わたしは森でサバイバルをすることにしました。 さくたろう @2525saku

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