第64話 般若心経で心を落ち着かせよう


 ミルミッド侯爵家へと到着し、イザベルはオカメを着けるとルイスのエスコートで馬車から降りた。その二人の様子はどう見ても親密だ。


 取り巻きをぞろぞろと引き連れて、一人で来たイザベルに先制攻撃を仕掛けようと思っていたアザレアは、二人の様子に一瞬だけ表情を変えた。


 (皇家の馬車ですって! ルイス様にエスコートしてもらうなんて、許せないわ。オカメの分際で!!

 ……ジュリア、一人でお茶会に来させるように言ったこともできないなんて、使えないわね)


 アザレアはジュリアを排除することを心の中で決めると笑顔を作り、出迎えた。



「ルイス様、ごきげんよう。お会いできて嬉しいですわぁ。

 イザベル様も、ようこそいらっしゃいましたわね。良かったですわ。久し振りのお茶会参加ですものね。お一人でこられるのは、心細いでしょう?」


 まるで、心配しているような言い回しでアザレアはイザベルを批判する。口は笑んでいるが、瞳に映る憎悪にイザベルは心の中で溜め息をついた。


「いえ。一人でしてよ。ルイス様、エスコート感謝しますわ。ですが、ここからは一人で参りますわ」

「分かった。帰りに迎えに来る」


 ルイスはイザベルの手に口付けを落とすと、他には脇目もふらずに立ち去った。



 (仏説摩訶般若波羅蜜多心経ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーし~んぎょう~ 観自在菩薩行深般若波羅蜜多かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたー……)


 いつもならば羞恥で赤くなるイザベルだが、今日は心の中で般若心経はんにゃしんきょうを唱えて心を落ち着かせ、アザレアへとオカメの下で笑みを作る。



「エスコートはいけないとおっしゃらなかったでしょう? エスコート後はすぐに帰ってもらったので、問題ありませんわよね?

 ご指示通りにお茶会に参加ですもの。

 さぁ、ご自慢の庭園に案内してくださるかしら」


 (憎悪になど負けてなるものか。必ずかたきをとってみせる)



 イザベルの心は怒りに燃えていた。


 小夜として生きてきた時は仕返しなど考えたこともなかった。今世で記憶がよみがえった後も、権力から遠ざかり、平穏無事に暮らせればそれで良かった。

 だが、それでは守れない。大事なものを守るためには戦わなければならない。

 そう気が付けば、悪役令嬢だった頃の気持ちを思い出したのだ。



 (大切な者を守るためならば、排除する。例え恨まれようが、守れないよりマシじゃ)




 庭園へとつけば、薔薇バラのアーチや豪華な噴水があり、お茶会をするテラスには白を基調としたロココ調の椅子やテーブルが配置されている。


 (これは、確かに自慢するだけあるのぅ。まぁ、我が家マッカート公爵家の方が美しゅうと思うがの)


 あちらこちらに、咲き誇っている薔薇を見ながらイザベルは、席へとついた。そこは末席であり、公爵家のご令嬢が座る席ではない。

 深紅のドレスといい、イザベルをおとしめる気なのであろう。



 (小賢こざかしいおなごよのう。何がそのような自信になっておるのじゃろうか)


 イザベルはローズティーを口にしながら、遠慮することなく溜め息をついた。


「薔薇が見事だと聞いてましたのに、ここにはレインボーローズはありませんの?

 ルイス様から送って頂いて、美しかったものですから……。とても楽しみにしておりましたのに、残念ですわ」


 レインボーローズ、虹色の薔薇は王家でしか栽培されていない特別な薔薇で、市場に出回ることはなく、目にすることができるのも極々一部だ。

 アザレアは当然ながら見たことなどなく、口元は笑みを作っているものの、目は全く笑っていない。




 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る