第62話 2年1ヶ月と3日


 馬車の中では当然のようにルイスがイザベルの手を握る。


「イザベル、今日も綺麗だ」


 その言葉にイザベルは恥ずかしそうにうつむいた。


 (俺の色をまとったイザベルを再び見られるとは、ミルミッド侯爵家でも役に立つことがあるんだな。

 あぁ、イザベルは今日も女神をも越える美しさだ。未だに手に触れるだけで染まる頬も、毎回照れる姿も愛らしい。

 可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛──)


 ルイスの頭のなかは安定のイザベルフィーバーが起きている。そして、イザベルはというと──。


 (手っ!! てててててて、手がぁぁぁ!! 剣ダコじゃろうか、ゴツゴツしておる。のわぁぁぁぁ!! 撫でっ、手の甲を撫でおったぁぁぁ!!)


 相も変わらずパニック状態だ。だが、先程まで感じていた胃のあたりの重さは、知らず知らずのうちに改善している。



 しばらく親指で手の甲を撫でていたルイスだが、イザベルが無抵抗なことを良いことに指を絡めた。世に言う恋人繋ぎである。

 そして、そっと繋いだ手に優しく力を込める。


 普段ならばガチガチに固まって動けなくなるか、真っ赤になって手を離して欲しいと懇願こんがんするイザベルだが、珍しく反応が違った。


 ほんの僅かではあるが、握り返したのである。



 驚きのあまり、ルイスがイザベルを見れば、相も変わらず真っ赤ではあるものの様子に変化はない。


「……イザベル?」

「はっ、はい。何ですの!!」


 探るように名を読んだルイスに、イザベルは声が裏返る。だが、それにも気が付けないほどにイザベルはいっぱいいっぱいだ。


 ドクドクと激しい鼓動がイザベルの頭のなかで鳴り響く。逃げ出したいような、このままでいたいような、よく分からない感情と、手を繋ぐという行為に、翡翠ひすい色の瞳には涙の膜が張っている。


 だが、ルイスも今までにないイザベルの行動に珍しく動揺していた。もちろん、表情には出さないものの、ほんの少し耳が赤い。



「……もしかして、握り返してくれたか?」

「ふへぇ!?」



 驚きに見開かれたイザベルの瞳に、ルイスは選択ミスをしたことを悟った。


 イザベルは、勢いよく揺れる馬車の中で立ち上がると、危なげもなく向い側の席へと腰掛ける。そして、目をカッと見開いた。



「そのような、ふしだらなことはしてませんわ!!」

「……そうか。俺の勘違いだ。悪かったな」



 まさか、無意識に握り返したと思わなかったルイスは、即座にイザベルへ謝った。


 イザベルが前世の記憶を思い出してからというもの、イザベルから触れてくれたことはなく、エスコートの時もそっと手を乗せるだけ。

 そのイザベルが手を握り返した。それも無意識に。



 (ああぁ……。イザベルが俺の手を握り返してくれるなんて。しかも、誰かに言われたわけでもなく、無意識に! 無意識だぞ!? それだけ俺に心を寄せてくれている証拠じゃないか?

 それに、手を握り返すだけなのに、ふしだらだと? 清らか過ぎて、尊い!! これはもう、信仰していいレベルじゃないか!?)



 心の中で狂喜乱舞し、ニヤニヤしそうな顔をどうにか引き締めて、ルイスは微笑みを浮かべる。

 嬉しいなんて表現では足りない程の喜びをルイスは噛み締めた。


 だが、ここでルイスにとっては人生の岐路きろではないかと思うほどの難題が。


 (ここは一気に距離を詰めるべきか、否か──。あまり詰めようとすれば、逃げられる可能性もある。

 だが、イザベルが小夜の記憶を取り戻してから2年1ヶ月と3日だ。そろそろ手ぐらい普段から繋ぎたい)



 ルイスがそんなよこしまな考えをしている間、イザベルはというと──。


 (やってしもうた。いくら羞恥にかられようと、天上人てんじょうびとの手を振りほどくなど、首と胴がお去らばしてもやってはならぬ。重罪じゃ。

 それに、こんなことばかりをしては、二度と触れてもらえなくなってしま……。へっわれはルイス様に触れられたいのか!?

 いやいや、そのようなことなど……)



 ちらりとルイスを盗み見たイザベルだが、視線が交わったことで、慌てて視線を足元へと落とす。




 


 

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