第51話 善処する

 そんなリリアンヌの背中に、おずおずと遠慮がちにローゼンは手を回した。


「俺で、いいのか?」

「ローゼン様がいいんです。ローゼン様じゃなきゃ嫌なんです」


「俺は、貴女よりも殿下を優先しなくてはならない」

「はい」

「有事の際は、貴女の傍にいることもできない」

「はい」


「それでも、俺を選んでくれるのか?」


 (そんなこと言わなければいいのに。バカ真面目で、何て誠実なんだろう)


「ローゼン様。困ったことに、あなたでなければ、あなた以外の人ではダメなんですよ」

「そうか、俺でなければ……」


 ローゼンはリリアンヌの頬を優しく撫で、微笑んだ。


「俺も、貴女を愛している。どうか、俺と婚約してくれ」

「…………えっ!?」


 今度はリリアンヌが固まる番だった。『婚約』、その言葉はリリアンヌにとって衝撃だった。


 今世では婚約者がいる者が、特に貴族では多い。家同士の絆を深めるために恋も知らない幼い頃から婚約する子だっている。


 けれど、貧乏子爵家のリリアンヌからすれば、他人事だった。

 せめて、一人っ子であれば婿を取るために需要があったかもしれない。


 フォーカス子爵家は弟が継ぐし、彼女の家は持参金も用意できないに等しい。

 そんな婚約しても旨味など何もないからリリアンヌと態々婚約したい家など現れなかったのである。



 (今、婚約って言った? まさかねぇ。

 ってことは、こんにゃく……はないとして、……翻訳、暗躍、倹約けんやく……混浴。うん、混浴だけはないわね。

 この中で倹約なら、あり得るかな。というか、得意分野だわ)


 完璧に迷走したリリアンヌは、答えを倹約と決めた。


 どこの世界に愛を伝えた後に倹約を頼む男がいるのだか。いたとしたら、ろくでもない男だろう。

 普段のリリアンヌであれば、そんな答えを出すことなどないだろうに、この時は過去一番に混乱していた。



「お任せください! 倹約は得意です!」

「……倹約?」

「はい。倹約をしたいんですよね?」


 (分かってますよ。婚約なんて、私のただの願望ですから)


 自信満々のリリアンヌをローゼンは穴が開くのではないかと思うほど見詰め、苦笑した。



「フォーカス嬢、俺が申し込んだのは倹約じゃない。

 婚約だ。貴女と人生を歩める権利を俺にくれないか?」


「……婚約? って、男性と女性が結婚する約束をした状態を表す、あの婚約?」

「そうだな」


「誰と誰が?」

「俺とフォーカス嬢がだ」


「これは、夢?」

「現実だ。夢だと俺が困る」

「私も困ります」

「そうか、良かった」



 リリアンヌの手を引いてローゼンは歩き始める。



「用事は良かったのか?」

「あれは、嘘です」

「あぁ、知ってたよ」


 見上げれば、優しい大好きなグレーの瞳がリリアンヌを写している。



「ローゼン様、大好きです。ローゼン様を幸せにできるかは分からないけど、私が幸せになれる自信があります」


 リリアンヌの言葉にローゼンは目を見張った後、くつくつと笑う。


「俺は、フォーカス嬢となら幸せになれる自信しかないな」



 想いが通じあった二人はゆっくりとフォーカス子爵家へと向かう。



「明日には婚約の打診をフォーカス家と送る。早々に、婚約が済むといいのだが……」

「何か急ぐ理由でも?」

「貴女を好きな男は多い。殿下との婚約を望

む声もある。だから……」


 一端、ローゼンは言葉を区切ると顔を片手で覆った。そして、絞り出すように言った言葉は少しかすれている。


「……どうやら俺は嫉妬深いようだ」


 (ぅああぁぁ……。甘い、あまいよぉぉぉ……)



 真っ赤に染まった二人は、互いに強く手を握る。だが、リリアンヌは忘れてはいなかった。


「ローゼン様、ベルリン達の作戦をあとで教えてくれますよね?」

「うっ……、それは……」

「有事の際は殿下の側にいることも、ローゼン様が殿下を優先する立場なのも分かっています。でも、今は有事の際ではありませんよね?」


 上目遣いで瞳を潤ませてローゼンを見れば、明らかに視線を逸らされる。その様子に手応えを感じたリリアンヌは言葉を重ねた。


「ローゼン様、今は恋人である私を優先してもらえませんか?」

「……善処する」


 そう答えたローゼンは、きっとこれから先もリリアンヌには敵わないことを悟ったのだった。




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