第2話 イザベル、記憶を思い出す


 イザベルの振り上げた手は、ルイスによってリリアンヌへと届くことはなかった。


「何をしているかと聞いたんだ、イザベル」


 叱責しっせきを含んだ声にイザベルは下唇をめた。


(私が悪いんじゃないわ。この女が私とルイス様の思い出に踏み込んだのが悪いのよ)


 全く持って言いがかりではあるものの、イザベルは自身が悪いなどと微塵みじんも思わなかった。

 それなのに声を出せないのは、いつも穏やかなルイスが初めて自身に向かって声をあらげたからだ。



「あのっ!」


 イザベルが声を発する前に、リリアンヌがルイスの前へと躍り出る。

 頭からぶどうジュースをかけられて、髪や顎先からもポタポタと滴が落ちている彼女は誰がみても被害者だろう。


「私がいけないんです! きっと何か彼女を怒らせることをしてしまったんだわ」


 目に涙を溜めて懸命に訴えるリリアンヌにルイスは視線を移す。そして、彼女の髪から零れる滴をハンカチでひと撫でし、それを手渡した。


「その格好では風邪を引いてしまう。着替えてくるといい」

「えっと…、大丈夫です。私のことは気にしないでください。こう見えて、風邪なんて引いたことないんですよ! ……クシュンッ」

「着替えなら案ずることはない。ゼン、ブティックはやってるな? 彼女を案内してくれ。好きなものを選んでもらうといい」


 学友でもあり、未来の側近になるであろう騎士団長の息子のローゼンに、リリアンヌを学園内で営業しているブティックへ案内するようルイスは指示を出すと、イザベルへ視線を戻した。


「イザベル……」


 イザベルの手からは血が止まらずに溢れ落ちており、ルイスは痛ましげにそれを見詰めた。

 そして、その手に触れようとした時、イザベルはきびすを返して駆け出した。


 イザベルは、ホールの入り口へと向かっていく。

 すぐにルイスは追いかけたため、ホールを出てすぐのところでイザベルに追い付いた。


 けれど、イザベルへと伸ばされた手は、ローゼンと共にブティックへと向かったはずのリリアンヌが間に入ってきたことによって遮られてしまう。


「私なら怒ってないわ。何か事情があったのでしょう?」


 そう言いながら、リリアンヌはイザベルの手を取る。だが──。


「離してっ!!」


 イザベルはリリアンヌの手を振りほどいた。その反動でリリアンヌはルイスへと抱きついてしまう。


 そして、イザベルはというと、振りほどいた時に階段を踏み外し、体が宙へと投げ出されてしまった。



「──イザベルっっ!!」



 リリアンヌを押し退けながら伸ばされたルイスの手は、イザベルに届かない。


 イザベルは体を打ち付けながら落ちていく。その痛みはあるものの、ルイスとリリアンヌが抱き合う姿の方がイザベルを苦しめた。


(ルイス様、どうして……)


 痛みよりも悲しみがつのっていく。


(あぁ……、こんなことなら恋なんてしなければよかった。のように淡々と許嫁としての責務を果たしておくべきだったのよ)


 イザベル自身、が何のことか分からぬまま、意識を手放した。





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