第6話 この世界には必要ないとか

 けれどそうナイスなアイディアなどそうそう思いつくわけもなく。

 

 俺はただ、地上で我が弟が鬼と戦っているのを黙って見ているしかない。しかも、俺にはその鬼は見えないと来たもんだ。さすがは口だけ立派な無能長男様である。


 けれどもし、この『鬼』とかいうやつが、だ。

 他にもまだいるとしたらどうする。

 いまでさえ、俺を庇いながら戦っているのだ。そんなところへもう一体、いや、一体とは限らないか。二体三体と現れたら。


 やっぱり駄目だ。

 文字通り高みの見物を決め込んでるわけにはいかないのである。いくら俺に何の力もなくとも。


 あいつはやれば出来る男だ。

 たぶん、追い詰められた時が一番強い。


 だからもし、俺がここから飛び降りるなんてことになったら、少年漫画の主人公よろしく、秘められた力が覚醒したりするんじゃないのか。だよな、どう考えたってあいつのジャンル、少女漫画じゃねぇもんな。見た目は王子みたいだけど。


「おい慶次郎!」

「な」

「もたもたしてねぇで、さっさと式神出せや」

「え? ちょ、何言って」

「さっさとしねぇとここから飛び降りるつったろ」

「言ったけど、それは」

「降りっからな」

「ま、待って」

「さぁーん、にぃーい……」

「か、歓太郎ぉお!?」


 柵に足をかけ、身を乗り出す。追い詰められれば、さすがのあいつもぱぱっと式神の一体や二体出すだろう。ガキの頃に出来たんだから。

 まぁ間に合わなかったとしても、ギリ死なない高さなんじゃないかな、と信じて。痛いのは……まぁ嫌だけど。それにもし、これがマジであの神様クソ野郎の仕業だとしたら、ギリギリのところでどうにかしてくれるかもしれねぇし。いや、しなかったらマジでクソだわアイツ。


「ま、最悪俺が死んだところでな」


 いぃーち、と言う前に本音がぽろりと零れた。ほんの微かな声のつもりだった。

 何だかんだ言って、間に合わなかった時のことが過ぎったんだろう。最悪、俺が死んでも、この神社的には支障はない、と。跡継ぎはいる。千年ぶりに現れた、安倍晴明レベルの陰陽師様だ。経営面は心配しかないが、その辺はまぁ見合いでもさせて賢い嫁さんでも来れば何とかなるだろう、なんて。


 そんなことを考えていたら、慶次郎がキレた。


 高く上げられた右足が、何もない空間に勢いよく振り下ろされた。だが、何もないように見えたのは俺だけで、つまりはそこに鬼がいたのだろう、鳥居にしがみついていたらしく、そいつを伝わってか、ごわん、という振動が伝わってくる。そして、慶次郎はその、見えない鬼を足場にして跳躍した。ふよんふよん、と、何かを踏みつけながらあっという間に鳥居の上まで登り切ると、木靴をカンカンと鳴らしながら、驚異的なバランス感覚でこちらに向かって走ってきた。平均台じゃねぇんだから。いや、あれも走るもんじゃないけど。ていうか、木靴だぞ? 絶対滑るだろ、何で走れるんだよ。怖ぇよお前。


 いままでに見たこともない、まさに鬼のような形相で、俺の肩を引っ掴み、無理やりベッドの上に座らせられる。


「ぅえぇっ? っとぉ、あっぶねぇな。何だよ!」

「聞こえたぞ、何てことを言うんだ、君は!」

「はぁ!? 何で聞こえてんだよ、この地獄耳!」

「何でかわからないけど聞こえたんだ! そんなこと言うなんて、君らしくないぞ、歓太郎!」


 らしくねぇとか、お前に俺の何がわかるんだ。


 そう思った。


 俺だって。

 俺だってな。

 俺にだってな。

 悩みもあるし、劣等感もある。

 お前にだ。

 お前になんだよ、慶次郎。

 

「何がわかるんだ、お前に」


 ぎり、と歯軋りをして、睨みつける。


「陰陽師のお前に! ……何の力もねぇ俺の、何がわかるっつぅんだよ」


 本当は、声量マックスで怒鳴りつけてやりたかった。現に、「陰陽師のお前に」まではかなり腹から声を出してた。


 だけど、その勢いはすぐに萎んだ。早朝だから、ご近所のことを考えて――ということでもない。


 慶次郎が、傷ついた顔をしたからだ。たぶん、その言葉を吐いた俺よりも。


「僕、僕は……わからないけど、知ってる」

「何がだよ」


「歓太郎が陰でものすごく努力してることを知ってる」


 おい、やめろ。


「君は、いつも何でもそつなくこなして、『楽勝だ』って笑うけど、実はものすごく努力していることを、僕は知ってる」


 やめろって。


「僕が不甲斐ないせいで、たくさんのことを諦めてきたことも知ってる」


 言うな。


「僕が、歓太郎みたいだったら良かったのに。歓太郎みたいだったら、君はいまごろ、自由だったんだ。式神が出せるから何だ。僕は、君がいなけりゃ何も出来ないのに」


 駄目だ。

 

「何の力もないのは僕の方なんだ。いまはもう鬼もあやかしもいないんだから、僕みたいなのはいなくても良かったんだ。こうして君が苛まれるくらいなら、僕なんか、いない方が良かった」


 それ以上は。


「陰陽師なんて、いらないんだよ。僕なんか。僕なんか、この世界には必要ない」


 ふざけるな。

 お前が必要ないわけないだろ。

 鬼がいないから何だ。

 あやかしがいないから何だ。

 お前はどうしてそう馬鹿みてぇに頭が固ぇんだ。


「おいふざけんなよ馬鹿弟。お前にここまで腹が立ったのは初めてだわ。お前がそこまで言うならな、本当にいらねぇやつか証明してやるからな」

「は? 何を言っ――?!」


 言い終わるや、柵を飛び越えた。

 つまりは、まぁ、鳥居から飛んだわけだ。

 地球には重力があるからな。そりゃあもう真っ逆さまよ。

 あん時みたいに助けてみろ、このクソ弟が。

 いま俺、頭から落ちてっからな。どう考えても即死コースだからな。


 さすがの俺でも地面直撃は怖い。

 ごめんな神様。俺に何かあったら、母さんが戻って来るとは思うから、しばらくは年増の巫女で我慢してくれ。年増つっても見た目若いし。まぁ実際若いんだけど。そんでまぁ、父さんのモンだから、下手に手を出すなよ。あの人、普段ぽやぽやしてるけど、母さんが絡むとおっかないからな。


 なんてことを考えていたわけだが。


「歓太郎!」


 あの時と同じだ。

 やっぱり俺の身体は地面にたたきつけられることなんてなかった。

 あの時よりもきっと格段にもっちりふかふかであろう、腰痛改善に効果のあるクソたけぇマットレス以上に寝心地も最高っぽい何かの上に、俺はぼふりと落ちた。よく見たら、四方に手足がある。どうやら馬鹿デカい人型の式神のようである。


 むく、と起き上がれば、目の前にいるのは、やはり、真っ赤な顔をした慶次郎である。ぎゅっと拳を握り締めて震えている。


「やれば出来んじゃん」


 そう軽口を叩くと、慶次郎は、その拳を振り上げて来た。


 あぁ、殴られんのかな、俺。さすがに無茶したもんな。ていうか、こいつにもそんな感情とかあるんだな。まぁでも顔はなぁ。俺の顔が腫れたらさすがに神様怒りそうだな。神様アイツ、俺の顔好きだもんな。


 やっぱり俺はそんなのんきなことを考えてた。生来、あまり真面目に物事を考えられない質なのかもしれない。いや、これはこれで結構真面目なんだけど。


 が。

 

 予想に反して、その拳が俺の顔面にヒットすることはなかった。

 その代わりに、慶次郎は倒れ込むように覆いかぶさって来て、俺の身体をぎゅうと抱き締めて来たのだ。


 いや、俺、そっちの趣味はないんですけど。


 なんて茶化すことはさすがに出来ない。

 息が詰まりそうになるほどの力で強く抱きしめて来る慶次郎の身体が、こっちが逆に心配になるほど震えていたからだ。


「もう絶対しないでって約束したじゃないか」

「お前が、いらないとかおかしなこと言うからだろ」

「おかしなことなんかじゃ」

「おかしなことなんだわ。お前が式神を出してくれなきゃ俺は死んでた。俺は死んで良い人間じゃないんだろ」

「当たり前だ」

「じゃあ、それを助けたんだから、お前だって必要だ。少なくとも俺には」

「何だよそれ」

「そういうことなんだよ。そういうことだって、わかれ」


 無理やり結論づけてそう言うと、慶次郎は「わかった」と小さく頷いた。身体はまだ震えている。


「そんでさ、まぁまぁ良い感じに兄弟愛に浸るシーンではあるんだけどな」

「何」

「鬼はどうなったんだよ。こんなことしてたらまずいんじゃねぇの?」

「あぁそれは」


 ゆっくりと俺から離れ、鳥居の方を指差す。そこには、焼け焦げて、縦にぱきりと割れた棒切れが転がっていた。太さからして、あれはさっきまで慶次郎が持ってた大幣おおぬさだろう。


「無我夢中で。あの、ごめん、大幣一つ駄目にしちゃった。その、予備はまだあるんだけど、ええと、新しいのって、どこに頼めば良いんだっけ。歓太郎、いつもどこに注文してるの……?」


 無我夢中になって何をどうしたら大幣があんなことになるんだ。だけどその感じからして、その大幣で鬼をどうにかしたんだろうことはわかった。そういうわけでとりあえず、いまはこうしてのんびりしてても大丈夫だってことも理解した。


 あの一瞬で特大サイズの鬼をどうにかして、そんでこんなふかふかの式神まで出して、そんで、鼻血も出さずにケロッとしてんだから、やっぱりこいつは規格外だ。そんで、追い詰められれば出来る男なのである。

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