第5話 ヘタレだけど有能な弟と無能な兄
「駄目だ歓太郎、動くな!」
慶次郎の声だった。
よく考えてみれば、この時間は日課になっている境内の掃除だ。だから、たまたま通りがかったのだろう――と思ったのだが、それにしてはやけにバリっとした正装である。手に持っているものも竹箒ではなく、
ははん、俺がいつも言ってる「掃除なんてインスタント神主の俺に任せろよ陰陽師様」ってのが効いたかな? 毎朝ご丁寧に竹箒を片手に家を出るその背中にそう声をかけ、それを奪い取るのだが、慶次郎は「だったら一緒にやろう」と言って譲らないのである。そんな時間があったら研鑽に当てろ、と口を酸っぱくして言い聞かせているのだが、全然響かないのだ。それがやっと届いたのだろうか。だけど、だとしたらなぜここに来たんだ。
「大丈夫だって、昔から木登りは得意で」
「そういうことじゃない!」
「何だよ、昔のことまだ引きずってんのか。あれはまぁ確かに悪かったけど」
「そうじゃないんだ!」
「だったら何だよ」
「あぁもう、ええと」
「何だよ。俺そろそろ腹も減ったし、小便してぇんだけど」
「ええぇ、どうしよ。が、我慢出来るかい、歓太郎!」
「出来るに決まってんだろ。お前、俺いくつだと思ってんだよ」
「来月の誕生日で十九! 大丈夫、忘れてないよ! ちゃんとケーキも焼くから楽しみにしてて! 今年もチョコでしょ?」
「おうよ。……ってそうじゃなくて!」
「しまった、そうだった」
自慢じゃないが、ウチの可愛い弟は、聞かれたことにはきちんと答えられるとても良い子なのである。それだけに、こちらが冗談のつもりで言ったことにも、きちんと馬鹿正直に答えてくれるのだ。平時でもまぁまぁ鬱陶しいスキルである。流せ流せ。
「鬼がうろついてるんだ」
「は? 何て?」
「鬼だよ、鬼! まぁ、僕も初めて見るから、本物の鬼なのかよくわからないんだけど、とりあえず、あやかしの類だと思う」
「はぁぁ? どこにいんだよ、そんなの!」
「いるんだ、敷地内に。とりあえず三体はどうにかしたんだけど、まだいるかもしれない」
いつの間に三体もどうにかしたのかよ。どうにかって、何をどうしたんだよ。
ていうか慶次郎お前、鬼と戦うなんて怖くて嫌だって泣いてたじゃないか。
そう突っ込みたかったが、一応耐えた。下手に突っ込んだらそれについても事細かに説明するんだこいつは。いまは恐らくそんな場合じゃない。畜生、神様の野郎。どこから鬼なんて連れてきやがった。ここ神社だぞ!? 文句を言いたくとも、
「とりあえず降ろせ、慶次郎。俺だって何か」
「駄目だ!」
「何でだよ」
「歓太郎は危ない目にあってほしくない。君はいずれここを出て行くんだ。広い世界を見るって言ってただろ」
「ンなの延期っつったろ! 俺はここの神主だぞ!」
「だけど」
「何だ、インスタントだからか! お前、俺が何も出来ねぇって思ってんだろ!?」
「そんなことは」
「言ってんだろ。言ってんだよ。言ってねぇけど、おんなじなんだよ。ふざけんな俺はお前の兄貴だぞ」
「だけど」
「うるせぇ。早く降ろせ。早く式神出せよ。じゃないとここから飛び降りっからな」
「だって式神は禁止って」
「んあ? あんな口うるせぇだけの爺共と俺と、どっちの言うこと聞くんだお前は。毎回お前のピーマン食ってやってんのは誰だ!」
「か、歓太郎だけど」
「お化け屋敷でお前の手を引いて出口まで連れて行ってやったのは誰だ!」
「それも、歓太郎だけどぉ」
「お前が! 一番頼りにしてんのは誰なんだよ!」
「歓太郎だよぉっ!」
「わかってんならさっさと降ろせ! お前はなぁ! 俺がいれば百人力なんだろ!」
アホ面でこちらを見上げている慶次郎に向かってそう叫ぶと、弟は、ぐぅ、と下唇を噛んで、ぎゅっ、と目を瞑った。
「ごめん、僕はどうかしてた! 君の力が必要だ、歓太郎!」
そして、固く閉じられていた目をくわっと見開き、頭上の俺に向かって懐から式札を取り出す。だけど、まだ何か引っかかっているのかもしれない、何だか手際が悪い。いつもよりもたつきながら何やらぶつぶつと唱えている途中で、慶次郎は、何かに弾き飛ばされた。空中でどうにか体勢を立て直し、ずさぁ、と手をついて着地する。
「慶次郎、どうした?!」
叫ぶと、鳥居が、ぐらり、と大きく揺れた。
「おわ、何だ、おい」
慌てて柵を掴む。神様コノヤロウ、の言葉は一応堪えた。あいつ、こっちには見えてないってだけで、普通にこの辺うろうろしてるからな。
「歓太郎、すまない。必ず降ろすからもう少しだけ堪えてくれ」
「おい、何が起こってんだ」
「もう一体来た。鳥居を掴んでる。いままでで一番大きいやつだ。申し訳ないけど、こっちに集中しないと」
「だぁぁクッソ! 何で俺には見えねぇんだよ!」
「ええと、それは君が――」
「ああもうイチイチ説明しなくて良いんだって、そんなことは!」
せめて御神木で作った札があれば。
普段は着物の懐に入れて肌身離さず持っているのに。
寝る時は枕元に置いてんだもんなぁ。ベッド持って来るならそれも一緒に持って来いっつぅの。あとスマホと、ゴムだな。長い髪が邪魔で仕方ねぇ。
「慶次郎、そいつはどれくらいの大きさだ」
「かなり大きい、手を伸ばせば歓太郎のところまで届くかもしれない。大丈夫、そんなことは絶対にさせないから」
俺の目には見えない鬼に対して、何をどうしているのかわからないが、札を口元にあて、大幣を振っている慶次郎に尋ねる。慶次郎がそう言うのだから、恐らく相当デカいやつなんだろう。そいつの手がここに届いたら、たぶんアウトなんだろうってくらいのやつなんだろう。だからきっと、必死なのだ。俺のために。
クソ、これじゃあ俺が足を引っ張ってるようなもんだ。三体をどうしてきたのかはわからないが、とにかく、どうにか出来る力はあるのだ。それがこのデカブツ(らしい)にも通用するかは別として。ただ、俺を庇いながらというのは難しいのかもしれない。
じゃあどうする。
考えろ、歓太郎。
俺には破邪の力なんてないし、式神も出せない。
頭を使うしかないんだ。
俺に何が出来る。
無能な長男に。
偉そうにふんぞり返るだけのこの俺に。
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