第4話 あの野郎、やりやがったな

 まぁたぶん、俺のせいなんだろうな。


 心当たりがないとは言い切れない。

 何せ、神様に相談してしまったのだ。

 何だかんだと俺のことを大層気に入っているらしいあの方である(『どストライク』とか言ってたしな)、気を利かせて動いてくれた可能性は大いにある。


 ただ、さすがは神様なのである。

 日本には八百万の神様がいるので、ウチの神社の神様が神様界においてどれだけのランクの神様なのかはわからないが(そろそろ神様って言葉がゲシュタルト崩壊しそう)、少なくとも、俺達には到底出来ないようなことも難なくやってのけてしまうだけの力は持っているのだ。


 だから例えば、朝、目が覚めて、やけに風が爽やかだなぁと思ったら、神社ウチの一番でっかい鳥居の上で、しかも、うっかり落ちないよう、ご丁寧にいつの間に設置したのか、柵付きの簡易ベッドまで用意されているとか、そんなことも出来たりするのである。寝ぼけてトイレに行こうとしたら真っ逆さまだわ。あっぶねぇ。


 どう考えても神様ヤツの仕業である。式神を使えば慶次郎にも出来なくはないが、あいつがこんなことをするわけがないし。されるようなことをした覚えもない。兄弟仲はいつだって良好だ。


「クッソ、おい! 何てことしやがるあの男色神!」


 降ろせぇぇ、と声の限り叫んでみるが、時刻は恐らく早朝。ウチの神社は住宅街のど真ん中にあるわけではないし、さらにここは長い長い石段を上りきったところにある。俺の叫びは朝靄の中に消えていく。


 どうにか降りられないかとは考えた。小さい頃は木登りが得意だったし。


 昔、庭の大木によじ登って枝の上で遊んでいた時のことだ。小三くらいだったかな。「歓太郎、危ないから降りてきなよ」と涙目で枝の上の俺を見上げる慶次郎をせせら笑って「弱虫はそこで見てろ」と返したら、涙を拭って登って来たっけな。そんで案外登れるものだからびっくりしたものだ。その時は既に式神も出せてたわけだから、そいつらを出して無理矢理にでも引っ剥がすことだって出来たはずだ。けれども、慶次郎は登って来た。あいつ、あれで運動神経は悪くないから。


 そんで、何とか俺の足の辺りまで到着して言うわけだ。


「そこの枝の先に、鳥の巣があるんだ。親が戻ってきたら大変だよ。危ないよ」と。


 そういうことなら口で言えよ!


 そう思った瞬間に、抜群のタイミングで親鳥が戻ってきた。愛しい我が子のすぐ近くにいる人間を早速敵だと認定したそいつは、俺に向かって飛んできたのである。そう大して大きな鳥ではないものの、こちらはまだ小学生のガキだ。いまでもそうだが、身軽さが売りの俺は、どちらかといえばヒョロガキだったし、咄嗟のことにうまく対処しきれず、バランスを崩して。


 落ちた。


 頭から。


 あ、これ普通に死んだくね?


 そんな風に考えられるほど、全てがスローだった。


 まぁ、俺がいなくても、神社ウチ的には慶次郎がいれば。


 そんな卑屈なことを考えていると。


 ばふ、とめちゃくちゃ柔らかいものの上に落ちた。どう考えても土の柔らかさではなかった。ぬかるんでた記憶もないし、ぬかるみレベルの柔らかさでもない。焼き立てのパンとか、マシュマロとかそんなようなやつだ。


 途中からぎゅっと瞑っていたまぶたをゆっくり開けてみると、何やら真っ白いふかふかの布団のようなものの上に俺はいた。眼の前には、真っ赤な顔で、大きな瞳をバチバチに血走らせ、鼻血まで垂らしている我が弟がいる。たぶん鼻水だと思ってるんだろう、涙と一緒に鼻血を袖で乱暴に拭いながら、わぁわぁと泣いている。


「歓太郎の馬鹿ぁっ……! だっ、だから僕、危ないって言っ、言ったのにぃ……っ!」

「ごめんって、慶次郎」

「ごめんじゃないよぉ! 歓太郎、死んじゃうかと思ったぁぁぁ!」

「ごめんって。ほんとに。あとさ、言いにくいんだけど、顔、すんごいことになってるぞ。袖も、見てみ」

「ふぇ……? ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁ!」


 それでぷつんと糸が切れたんだろう。貧血かもしれないけど。慶次郎はそのままぱたりと倒れ、俺達が座っていた布団っぽいものも消えた。消えたことで気がついた。これが慶次郎の出した式神だったということを。まぁ、あの瞬間に布団を引っ張ってくることの方が不可能だから、そりゃそうなんだけど。


 だけど、その時の慶次郎が出せるやつなんて、頑張ってもせいぜい自分と同じ大きさのくらいのものだったのだ。それなのにそいつはダブルベッドほどの大きさはあったし、厚みだってそれくらいだった。それが消えた代わりに残ったのは、小さなハンカチだった。


 慶次郎が目を覚ましたら、たぶん全部バラされて、めちゃくちゃ怒られるだろう。晩飯抜きくらいにはなるかな、と構えていたが、


「大きな式神を出そうとして、ちょっと無理しちゃっただけ」


 心配する両親に、慶次郎はそうとしか言わなかった。


 俺が木から落ちたことも、それを助けようとしたことも言わなかった。ショックで忘れてしまったのかとも思ったが、二人きりになった時に、俺の手をぎゅっと握って「もう絶対あんなことしないでね」と震えながら訴えてきたから、やっぱりはっきり覚えているのだ。だけど、親には言わなかった。確かにその時の能力以上に大きな式神を出したことで身体の限界が来たんだろうし、そこは間違いではないんだろうけど。


 普段は弱虫泣き虫のヘタレ野郎の癖に、いざという時はとんでもない力を発揮する。勝てねぇ、と悟ったのはその時だった。


 ここで待ってりゃ、慶次郎は絶対に助けに来るだろう。だけど、それで良いのか。そんなのであいつの自信は取り戻せんのか。式神を出さずとも、物置には、はしごがあるのだ。それを持ってくるかもしれない。はしごを持ってきて、お兄ちゃんを無事助けられました、めでたしめでたしで取り戻せる自信ってなんだよ。初めてのお遣いに失敗したガキじゃねぇんだぞ。


 駄目だ駄目だ。

 所詮は人間のことなんてわからない神様の策だ。俺に言わせりゃザルすぎる。どうせ神様ったって、この辺りを任されてるとかその程度のしょぼいやつなんだろ。悪いがウチの弟はそんなレベルの神様にどうこう出来るようなヘタレじゃねぇんだわ。


 そうと決まれば、ちゃっちゃと降りよう。腹が減って力がうまく入らないのが不安材料ではあるが、最悪、足から落ちれば死にはしないだろう。


 そう思って柵に手を掛けた。


 すると。

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