第20話 拉致

 その夜、勝蔵の小屋に力蔵がやって来た。2人は頭を寄せ、ヒソヒソと情報を出し合って安積庄周辺の地図を描いた。


「こんなところか……」


 すでに小六の死を忘れたかのように、力蔵が満足そうに言って筆をおく。


「実は……」勝蔵は、越後で義経と遭遇したと話した。彼が雉女を抱いたことも包み隠さずに……。


「この広い世で再び出会うとは……。彼らは宿縁で結ばれているのかもしれないな」


 力蔵が顔をしかめて唇を結んだ。「ん……」何かに気づいて首を傾げた。


「……義経殿に出逢いながら、どうして雉女がここにいる?」


「雉女は、九郎殿を見限った様子。九郎殿も傀儡女となった雉女には未練なさげでした。2人は完全に切れたのだと思います。それに、雉女はすでに5人の男と……」3人の猟師や歳比呂、伊之介を相手にしたことなどを話した。


「傀儡女として生きる覚悟ができたということか……」


 驚く力蔵に、勝蔵はうなずいて見せた。


 翌朝、小六の死をいたむかのように深い霧が出た。


「キャー」


 鎮守の森に若い女の悲鳴が木霊する。まだ朝食の用意も始まらない時刻だ。勝蔵は浅い眠りの中でそれを聞いた。跳ね起きると、刀を取って小屋を飛び出した。


「なんだ!」「どうした?」小屋という小屋から傀儡子たちが顔を見せた。皆、寝起きの小袖姿だ。


 視界に雉女と龍蔵の姿がない。悲鳴の主は雉女なのか?……勝蔵は殴られたような恐怖を覚えた。


「タスケテー」再び声がする。


 雉女の声ではないな。……勝蔵は心のどこかでホッとしていた。


「あっちだ」


 爽太の声がしたかと思うと、その姿が目の前を走り抜けた。その後に蔵之介が続いていた。勝蔵は彼らの後を追った。


 走り出したのはそれほど違わないのに、爽太の背中はどんどん離れていく。あいつは、やはり早い。……そんなことを考えながら、勝蔵は走った。


「待ちやがれー」


 先頭で爽太が叫んだ。


「ソウター」女の声が返る。


「フジだ。誰かがフジをさらったぞ」


 爽太の声が届いた。走る爽太のその先、霧の中に灰色の小さな影がある。それがフジと彼女をさらった奴に違いない。女を担いで逃げるなど無理なことだ。すぐに追いつくだろう。……勝蔵には、間抜けな人さらいを笑うゆとりさえあった。


「待てー」再び爽太が叫んだ。


 逃げる影の輪郭が徐々にはっきりしてくる。影の色も赤味を帯びた。うちぎの色に違いなかった。


 突然、赤い影がふわりと飛んだ。


「まさか……」


 影は巨大なムササビのように舞い、ゆらゆら左へ流れてぷつっと姿を消す。


「あぶねぇー」


 声を上げて爽太が止まった。目標を見失ったのは蔵之介と勝蔵も同じだ。2人は爽太の隣で足を止めた。大きな溜池の縁だった。その中ほどにフジの赤い袿が浮いていた。


「くそ! 着物を捨てていきやがった」


「まかれたか……」


「フジを担いでいるんだ。そう遠くには行けないだろう。爽太と蔵之介は溜池の縁を右へ行け、俺は左へ行く」


 勝蔵は爽太と蔵之介に指示して左に走った。


 溜池の縁をしばらく走ると、先の霧の中でドブンと大きな音がした。同時に水鳥が騒いで飛び立った。


 溜池に落ちたのか?……冷たい水に落ちたのではフジの命に係わる。音のした方角に向かって全力で走った。


 霧の中に別の溜池が現れる。そこに落ちたのだろうと検討を付けた。


 近づくと岸からずぶ濡れの武士が這い上がってくるところだった。右手から「フジー!」と叫ぶ声がする。


「爽太、こっちだ!」


 勝蔵は仲間を呼び、武士の胸ぐらをつかだ。


「女はどうした?」


 武士が震えながら池を指した。


「フジは池の中だ。爽太、行け。蔵之介もだ」


 駆け付けた2人に命じた。


「ワシがか?」


 冷たい水を前に、蔵之介が躊躇った。


「俺は泳げない」


 笛も武術も得意な勝蔵だったが、泳ぎだけは苦手だった。


「そうだった……」


 納得した爽太と蔵之介が裸になって溜池に飛び込んだ。


 すぐに力蔵たちがどかどかとやって来た。若い傀儡子は次々と水に飛び込んでフジを捜す。勝蔵は武士を力蔵に預け、水に潜る男たちのために、近くの農家から薪を借りて火をたいた。


 力蔵がずぶ濡れの武士に詰め寄った。


「どうしてフジをさらった」


「フジ?……静御前だろう」


「静だと……。ならば静をどうするつもりだった?」


 力蔵の詰問に、武士が黙った。


「この卑怯者がっ。女をさらうなどと……」


 力蔵が武士の腰から刀を抜いて、その喉元に突き付ける。


「やめろ。長者」


 熊蔵が彼の腕を押さえた。


「フジが死んだら、お前も殺すからな」


 渋々といった様子で刀をおろし、拳で武士の頰を打った。


「見つかったぞ!」


 力太郎が意識のないフジを引き上げた。その顔は蒼白で唇も色を失っている。


 勝蔵は立て膝の上にフジの腹を乗せ、口に指を突っ込んだ。彼女はゲーっと音を立てて水を吐いた。そうして一度は薄らと目を開けたが、声を発することなく再び目を閉じた。


「フジ、気を確かにもて!」


 彼女の耳元で励まし、濡れた小袖を脱がせた。薪を借りた農家の者たちが真っ白な裸体に目を細め「美しい女子おなごだな……」「弁天様みてえだな」と嘆息した。


 勝蔵は自分の小袖を焚火の側に敷いてフジを寝かせた。それから彼女を直に抱いて自分の体温も使って温めた。触れた肌に、ドクドクいうフジの脈を感じた。


「どうだ?」


 力蔵が訊いた。


「大丈夫だ。生きている」


 勝蔵が応えると、見守っている傀儡子の中から安堵の声が上がった。


「どうやら命拾いしたな……」武士を見張っていた熊蔵が彼の肩をたたいた。「……女をさらった理由は聞かない。名前を教えろ。武士なら名前ぐらいあるだろう」


 彼は親しげに肩を組んだ。


黒須永俊くろすながとし、浪人だ」


 重い口を開いた永俊は、歯をガチガチいわせながら炎の影が映るフジの姿に眼をやった。


「火の側に行くか?」


 熊蔵が促しても、「否」と彼は動かなかった。


「あんたは昨日の男だね。どうしてフジを?」


 遅れてきた桔梗が拳を作り、永俊の頭を叩いた。


「やめろ、桔梗。話したくないそうだ」


「長者。こいつ、フジを殺そうとしたんだよ。叩くくらい当然だろう」


「それはそうだ。桔梗の代わりにワシが殴っておいた」


 力蔵が桔梗を引き離して尋ねた。


「お前の客だったのだろう。何か聞いていないか?」


「何かって?」


「雉女と誤ってフジをさらったようだ。ならば、関東の男だろう」


「あぁ。しつこく静のことを訊くから、白女さんと越後に行ったと教えてやったんだけど……。そういえば常陸の訛があった。小山の森で襲ってきた野盗と同じだよ」


 桔梗が武士をにらんだ。

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