第21話 噂

 力蔵は、熊蔵らに永俊を拘束させて鎮守の森に戻った。


「お主は佐竹秀義殿の縁者だな?」


 カマをかけると、永俊は一瞬眼を大きく見開き、そして閉じた。


「鎌倉殿に追われた佐竹殿が何処にいるのか知らないが、家を再興するために義経殿の首が必要なのだろう? その餌として静御前を手に入れようとした。違うか?」


 永俊の喉がグッと鳴った。が、黙秘する姿勢は変わらなかった。


「黒須殿。名がわかった以上、調べればお主が佐竹秀義殿の縁者だとすぐにわかる。国を失ったとはいえ、佐竹殿はいっぱしの坂東武者。配下のお主が人さらいなどをしては、その名を汚すことになるぞ」


 永俊がうなだれた。力蔵はここぞとばかりに情に訴える。


「ワシらは義経殿に縁も恩もない。もちろん、佐竹殿にも鎌倉殿にもなぁ。だから、誰に味方するつもりもない。……ワシは、ただ家族が大事だ。その家族を傷つけられるのは困るし、家を取り潰された佐竹殿の苦悩も分かるつもりだ。……ひとつ教えてやろう。静御前の身柄を押さえたところで、何の褒美ほうびにもありつけないぞ。義経殿も食いつかない」


「……どういうことだ?」


 永俊が頭を上げて口を利いた。


「やっと話す気になったか。……義経殿と静御前は完全に切れたということだ」


「まさか……。あの御仁は女好き。切れることなど……」


「その、まさかだ。この正月、2人は越後で別れた。義経殿は、すでに平泉に入ったことだろう。もはや、静御前を使って彼の人を呼び出すことも、欺くこともできまい」


「誰からの話だ?」


「それはワシらの秘密で教えるわけにはいかない。……もし、今の静御前に価値があるとするなら、その美貌と舞の腕だが、……欲しいか?」


「いらん。それがしは、主の名誉を回復したい。その足がかりが欲しいだけだ」


 計画が誤っていたと理解したのだろう。永俊が顔を歪めた。


「宮仕えも偉いものだな。潰れた家にまで忠勤をはげむのだからなぁ」


 熊蔵が嘆息する。力蔵は共感してうなずいた。


「……ワシに伝手つてがない訳ではない。佐竹殿のこと、公文所の中原殿にとりなしてみよう」


「本当か?」


 藁をもつかむ思いなのだろう。永俊の顔に希望の色が浮かんだ。


「噓ではない。代わりといってはなんだが、静御前は入水してこの世を去ったと言いふらしてくれ」


「ワシに乱破らっぱのようなことをしろというのか?」


 乱破は、敵の情報を集めたりデマを流して敵を攪乱かくらんしたりする者のことだ。後に忍者という専門集団に成長するが、それまでは金のためにならず者がやるような仕事だった。


「実際、乱破のように女のことを探り、拉致したではないか」


 熊蔵が指摘する。力蔵は、静の死を吹聴し、地形を調べて歩く自分も乱破だな、と心の内で苦笑した。


「それもそうだ」


 永俊が短く言って黙った。


 力蔵は筆をとり、中原広本宛ての手紙を書いた。隠れ住んでいる佐竹秀義が力蔵の手助けをするので家の再興を許してほしい、というものだ。


「これでどうだ?」


 永俊が手紙を一読する。


「ありがたい!」


 喜色を浮かべると勇んで立ちあがった。その後、佐竹秀義は頼朝に許されて奥州合戦に参加しているが、力蔵の手紙が役に立ったのかどうかはわからない。


 翌日、力蔵は薪を借りた礼をするために溜池近くの農家を訪ねた。


「大変なことだったのう。どうして池にはまったのだ? あの女子は元気かぁ?」


 その家の主は人が良く、心底同情していた。


 力蔵はひとつ思いつき、わざと顔を曇らせた。「実は、昨夜……」小屋に戻ってから突然熱を出し、夜中に死んだと教えた。


「そうなのかぁ……。たいそう美しかったが……」


「美しいのは当然です。源義経殿の女御で静御前というのです」


「なるほど……、もったいないことをしたもんだなぁ」


 百姓も顔を曇らせ、それから声を潜めて訊いた。


「村の五助ごすけが溜池で女の着物を拾ったそうだ。返させたほうがいいのか?」


「ああ、袿ですな。静御前はあの世に行ったのです。袿など、もう使う必要のないもの。拾った者にやってくだされ」


 力蔵は、静が死んだことを印象付けるためにそう頼んで帰り、仲間に口裏を合わせるように命じた。


 百姓たちは噂話が好きで、演芸を見に来るたびに静御前の話を聞きたがった。


「実はな……」旅を共にしていた小六が静御前を守るために熊と戦って死ぬと、彼を父親のように慕っていた彼女が生きる気力を失って入水したのだ……、と小六の死と静御前の入水とを人情話に仕立てて教えた。女たちも寝物語に同じ話をした。雉女自身も話した。


 静御前と小六の物語は広まり、客を集める宣伝になった。とはいえ、人の噂も七十五日……。山桜が咲いて農作業が忙しくなると、客を集める効果はなくなった。


 咲いた花は、ほどなく花びらを散らす。


 力蔵は小六を埋めた場所に座ってぼんやりしていた。へこんだ土饅頭には山桜の太い枝が一本挿してある。そこに熊蔵が姿を見せた。


「兄者、やはりここだったか」


「熊蔵か……。小六は、ワシにとって叔父のようなものだからな」


 力蔵は山桜の枝に眼を移した。


「いつまでこうしているつもりだ。興行が長引いて客も減っているぞ。西行法師も探さなければならないのではないのか?」


「西行のことは中原殿の方便だろう。法師が奥州藤原氏を動かそうが、あるいは何もしないとしても、鎌倉殿が奥州を攻めることは決定事項に違いない。あの方は、ただ大義と必勝のために情報を集めているのだ。我々が道や川の様子を調べさせられているのも、そのひとつに過ぎない」


「それは兄者の言う通りだろう。とはいえ西行法師のこと、無視も出来まい」


「あぁ。白河関を越えたのは昨年の秋。しかし、その足は驚くほど遅い。東へ西へ、道を外れて時間をつぶしている」


「彼も鎌倉の密偵だと思うのか?」


「まさか……。彼の僧は70歳ほどのはず。わき道を捜し、川の深さを計ったりなどできまい。湯治場を見つけては道を外れて逗留している様子。ただ旅を楽しんでいるようにみえる。そこで人情を量る程度の事ならしているかもしれないが……。それならば、それは鎌倉のためか、奥州藤原のためか……」


「考えるのも面倒な話だな。……小六の土饅頭もへこんだ。静御前が入水したという話も広まった。関東から戻ってきた商人も、そんな噂話をしていた。もう、ここにいる理由はないと思うが……。それとも、まだ何か調べ足りないのか?」


「いや、十分だ。ただワシの気分が乗らなかっただけのこと。すまないな。明後日に発つことにしよう。天気もよさそうだ」


 力蔵が立って、薄い雲が流れる青空を見上げた。

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