第18話 安住の地は

 蜷河庄は摂関家が権利を有していただけあって百姓家が多かった。そこで創建されたばかりの寺をみつけて宿を求めた。


「我々は殺生をすることも多く……」


 勝蔵が低姿勢で挨拶をすると、住職の行徳ぎょうとくは平べったい顔をほころばせて庫裏くりに招き入れた。庫裏は献納された穀物や乾物を保管する建物で、それを管理する者が住んでいた。後にその名称が住職の住居を意味するようになった。


「当方こそ満足なもてなしをすることは出来ないが……」


 そこには歳の頃5歳から15歳の小坊主が5人ほどいて、行徳に命じられると夕食の準備をはじめた。彼らは、龍蔵に乳をやる雉女の姿をちらちらと横目に見ながら働いた。別れた母親を思い出したのだろう。


「私は京を知っていますが、こちらの寺も立派なものですね」


 感心して見せると、行徳の目尻が下がった。


「三百年以上も昔、徳一とくいつという偉い僧侶が布教に参りましてな。会津の地に多くの寺を開いたのです。拙僧の名の徳の字も、徳一からいただきました。古い歴史が石のようにたたずんでいるという点では、この会津も京や奈良にも負けてはおりませんので……」


 行徳は、そこで後ろに並ぶ小坊主たちを振り返る。


「お前たち。美しい女性にょしょうが来られたが、欲に迷うなよ。間違っても風呂など覗くな。菩薩様と思い、一心不乱に拝むのだ」


 小坊主たちは「ハイ」と応じ、両手を合わせて「南無観世音菩薩なむかんぜおんぼさつ」と雉女を拝んだ。


「まぁ、恥ずかしい」


 雉女が頰を染めると、小坊主たちも顔を赤らめて「南無観世音菩薩」と繰り返す。


「南無観世音菩薩……。一番迷っているのは、拙僧せっそうかもしれませんな」


 行徳が手を合わせると、小坊主たちも安心したように平素の顔に戻った。


「和尚、ひとつ教えていただきたい」


 伊之介が膝を乗り出す。


「なんでしょう? 拙僧が応えられることであれば、なんなりと」


「はい、どうして僧侶は妻を持たないのか、と?」


「なるほど……」


 行徳は、伊之介の心を読むようにじっと見つめた。


「わ、ワシは妻をめとろうと思っています。とても生涯を独り身で通すなどできない」


「なるほど……」と行徳がうなずく。「……我々僧は、全ての欲を断っているのです」


「妻を持つのは欲ですか?」


「はい。金品を求める欲はもちろん、武力も権力も、女と交わる欲も遠ざける。それが僧というものです」


「それでは、子を成せないではありませんか?」


「子供を持つ、己の血を後世につなぐというのも欲なのです」


「それでは、この世の中から僧侶はいなくなってしまうではありませんか?」


 行徳はアハハと笑う。


「僧になるのは、僧侶の子供たちではありません。彼らのほとんどは、この近在の百姓の子供です」


 そう話して小僧たちを指した。


「あぁ、なるほどそうですなぁ。では、何故、皆は僧になる? 僧になるのは面白いのですか?」


「それは人それぞれでしょうな。苦しみから逃れるために、あるいは貧しさと戦うために仏の道に入る者も多い。あるいは、己の意志ではなく、幼いうちから寺に預けられる者もいる。源義経殿などは、そうだったと聞いております」


「住職は、……住職はどうして僧侶になられたのですか?」


 義経の名を耳にし、雉女は思わず尋ねた。運命に流されるように傀儡女になったけれど、心底納得しているわけではない。行徳の答えに、自分を納得させる何かがあるかもしれないと思った。


「僧になって、この世で苦しむ人々を救いたい。……昔は、そんなことを考えておりました」


「昔は……、ですか?」


「修行してみれば、人々を救いたいというのも己の欲だと気づいた。……今では、なるべくしてなったと考えています。そうとしか言いようにない。……わかりますか?」


「……はい」


 雉女は少し考えてから返事をした。なるべくしてなったというのは、自分のことを言われたような気もする。


「ワシなんか、生まれた時から傀儡子だからなぁ」


 考えもせずに伊之介が軽口をたたく。


「ならば、この寺で出家なさるか? 拙僧が髪をおろしてやろう」


 行徳が真面目な顔で両手を合わせた。


「いやぁ、ワシには無理です。肉も女も好きだからなぁ」


「しかし、今はその好きなものが手に入らない。だから胸が苦しい。……違いますか?」


「さすが住職だ。よく分かるなぁ」


「それが欲なのです。欲があるから、生きるのが苦しい。しかし、人間、欲を捨て去るのも難しい」


「住職でもそうですか?」


 雉女に眼を向けた行徳が微笑む。


「南無観世音菩薩、拙僧もまだまだ修行が足りない。どれ、大日如来に経をあげましょう」


 行徳が立ち、小坊主たちが従った。


 雉女たちは食料の豊富なその寺で3泊し、疲労の溜まった身体を癒すと伊佐須美神社いさすみじんじゃに向かった。道は日光を通って下野国に続く古道だ。


「昔、会津の豪族はこの道を通じて朝廷の文化を求めたのだろうな」


 伊之介は雉女の関心をひこうと物知り顔で話す。


「それで伊佐須美神社が造られたのですね」


「だろうな。会津の人は都が好きなのさ。古くから朝廷に従い神社も寺も作った。摂関家に荘園もやった」


「なのに、陸奥国の一部なのですね。どうして国として認めてもらえないのでしょう?」


「東夷だからさ」


「奥州の者たちを東夷と呼びますが、ここも日本ではないのですか?」


 雉女は、白拍子として京の屋敷で会った公家たちを思い出す。世の中は平氏の時代で、彼らが正当な権利を平氏に奪われた被害者だと思っていた。しかし旅をしてみると、公家たちも平氏同様、富の上に胡坐をかいていた者たちだとわかった。彼ら権力者の都合で、庶民ばかりが右往左往しているようだ。


「日本さ。だから陸奥国だ。……うーん、でも、ここの人間は東夷なんだ」


「伊之介さんの話は、意味が分かりません」


「そうかぁ……、ワシも分からん」


 伊之介は拳を作って自分の額をゴンと叩いた。


「アハハ……」と白女が笑う。「……国と人とは別ということさ。だから傀儡子は国を持たない」


「国がないと困りませんか?」


 雉女は、改めて傀儡子がどういう者かと考えた。が、自由を貴ぶ流浪の民だとしかわからない。


「どうして困るんだい?」


「何かあった時、帰る場所がないではありませんか」


「帰る必要などないのさ。日本中がワシらの家だよ。見てごらん。あそこも家さ。陸奥国二宮だよ。立派なものじゃないか」


 白女が指したのは、伊佐須美神社だ。


「でも、本当に家なのでしょうか?」


「どういうことだい?」


「日本中が傀儡子の家だとしても、傀儡女は違います。長者が話していました。傀儡女には入れない聖域があります」


 雉女は鳥居に眼をやった。それが長い影を作っている。


「それは仕方がないのさ。ワシら女は不浄の者でもあるからね。日本中、女というだけで入れない場所はごまんとあるんだ。けれど、赤子を産めるのは女だけだ。それは神様だってわかっている」


 白女は真顔で言った。それまで黙っていた勝蔵が、「宿を頼んでこよう」と言い残してその場を離れた。


「久しぶりの黄昏……。京の空のようです」


 雉女は夕焼け空に眼をやった。白女がその視線を追う。


「ずっと厚い雪雲の下だったからね。京に帰りたいかい?」


「さぁ……、分かりません」


 噓ではなかった。京に磯禅師の家が残っている可能性は少ない。まして義経と過ごした屋敷に帰ることなどできない。そこには別の誰かが住んでいるだろう。考えるまでもなく、京には居所がないとわかる。白女の言うように日本中が自分の家だと思った方が、心穏やかに、そして自由に暮らせるのかもしれないと思った。

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