第18話 安住の地は
蜷河庄は摂関家が権利を有していただけあって百姓家が多かった。そこで創建されたばかりの寺をみつけて宿を求めた。
「我々は殺生をすることも多く……」
勝蔵が低姿勢で挨拶をすると、住職の
「当方こそ満足なもてなしをすることは出来ないが……」
そこには歳の頃5歳から15歳の小坊主が5人ほどいて、行徳に命じられると夕食の準備をはじめた。彼らは、龍蔵に乳をやる雉女の姿をちらちらと横目に見ながら働いた。別れた母親を思い出したのだろう。
「私は京を知っていますが、こちらの寺も立派なものですね」
感心して見せると、行徳の目尻が下がった。
「三百年以上も昔、
行徳は、そこで後ろに並ぶ小坊主たちを振り返る。
「お前たち。美しい
小坊主たちは「ハイ」と応じ、両手を合わせて「
「まぁ、恥ずかしい」
雉女が頰を染めると、小坊主たちも顔を赤らめて「南無観世音菩薩」と繰り返す。
「南無観世音菩薩……。一番迷っているのは、
行徳が手を合わせると、小坊主たちも安心したように平素の顔に戻った。
「和尚、ひとつ教えていただきたい」
伊之介が膝を乗り出す。
「なんでしょう? 拙僧が応えられることであれば、なんなりと」
「はい、どうして僧侶は妻を持たないのか、と?」
「なるほど……」
行徳は、伊之介の心を読むようにじっと見つめた。
「わ、ワシは妻を
「なるほど……」と行徳がうなずく。「……我々僧は、全ての欲を断っているのです」
「妻を持つのは欲ですか?」
「はい。金品を求める欲はもちろん、武力も権力も、女と交わる欲も遠ざける。それが僧というものです」
「それでは、子を成せないではありませんか?」
「子供を持つ、己の血を後世につなぐというのも欲なのです」
「それでは、この世の中から僧侶はいなくなってしまうではありませんか?」
行徳はアハハと笑う。
「僧になるのは、僧侶の子供たちではありません。彼らのほとんどは、この近在の百姓の子供です」
そう話して小僧たちを指した。
「あぁ、なるほどそうですなぁ。では、何故、皆は僧になる? 僧になるのは面白いのですか?」
「それは人それぞれでしょうな。苦しみから逃れるために、あるいは貧しさと戦うために仏の道に入る者も多い。あるいは、己の意志ではなく、幼いうちから寺に預けられる者もいる。源義経殿などは、そうだったと聞いております」
「住職は、……住職はどうして僧侶になられたのですか?」
義経の名を耳にし、雉女は思わず尋ねた。運命に流されるように傀儡女になったけれど、心底納得しているわけではない。行徳の答えに、自分を納得させる何かがあるかもしれないと思った。
「僧になって、この世で苦しむ人々を救いたい。……昔は、そんなことを考えておりました」
「昔は……、ですか?」
「修行してみれば、人々を救いたいというのも己の欲だと気づいた。……今では、なるべくしてなったと考えています。そうとしか言いようにない。……わかりますか?」
「……はい」
雉女は少し考えてから返事をした。なるべくしてなったというのは、自分のことを言われたような気もする。
「ワシなんか、生まれた時から傀儡子だからなぁ」
考えもせずに伊之介が軽口をたたく。
「ならば、この寺で出家なさるか? 拙僧が髪をおろしてやろう」
行徳が真面目な顔で両手を合わせた。
「いやぁ、ワシには無理です。肉も女も好きだからなぁ」
「しかし、今はその好きなものが手に入らない。だから胸が苦しい。……違いますか?」
「さすが住職だ。よく分かるなぁ」
「それが欲なのです。欲があるから、生きるのが苦しい。しかし、人間、欲を捨て去るのも難しい」
「住職でもそうですか?」
雉女に眼を向けた行徳が微笑む。
「南無観世音菩薩、拙僧もまだまだ修行が足りない。どれ、大日如来に経をあげましょう」
行徳が立ち、小坊主たちが従った。
雉女たちは食料の豊富なその寺で3泊し、疲労の溜まった身体を癒すと
「昔、会津の豪族はこの道を通じて朝廷の文化を求めたのだろうな」
伊之介は雉女の関心をひこうと物知り顔で話す。
「それで伊佐須美神社が造られたのですね」
「だろうな。会津の人は都が好きなのさ。古くから朝廷に従い神社も寺も作った。摂関家に荘園もやった」
「なのに、陸奥国の一部なのですね。どうして国として認めてもらえないのでしょう?」
「東夷だからさ」
「奥州の者たちを東夷と呼びますが、ここも日本ではないのですか?」
雉女は、白拍子として京の屋敷で会った公家たちを思い出す。世の中は平氏の時代で、彼らが正当な権利を平氏に奪われた被害者だと思っていた。しかし旅をしてみると、公家たちも平氏同様、富の上に胡坐をかいていた者たちだとわかった。彼ら権力者の都合で、庶民ばかりが右往左往しているようだ。
「日本さ。だから陸奥国だ。……うーん、でも、ここの人間は東夷なんだ」
「伊之介さんの話は、意味が分かりません」
「そうかぁ……、ワシも分からん」
伊之介は拳を作って自分の額をゴンと叩いた。
「アハハ……」と白女が笑う。「……国と人とは別ということさ。だから傀儡子は国を持たない」
「国がないと困りませんか?」
雉女は、改めて傀儡子がどういう者かと考えた。が、自由を貴ぶ流浪の民だとしかわからない。
「どうして困るんだい?」
「何かあった時、帰る場所がないではありませんか」
「帰る必要などないのさ。日本中がワシらの家だよ。見てごらん。あそこも家さ。陸奥国二宮だよ。立派なものじゃないか」
白女が指したのは、伊佐須美神社だ。
「でも、本当に家なのでしょうか?」
「どういうことだい?」
「日本中が傀儡子の家だとしても、傀儡女は違います。長者が話していました。傀儡女には入れない聖域があります」
雉女は鳥居に眼をやった。それが長い影を作っている。
「それは仕方がないのさ。ワシら女は不浄の者でもあるからね。日本中、女というだけで入れない場所はごまんとあるんだ。けれど、赤子を産めるのは女だけだ。それは神様だってわかっている」
白女は真顔で言った。それまで黙っていた勝蔵が、「宿を頼んでこよう」と言い残してその場を離れた。
「久しぶりの黄昏……。京の空のようです」
雉女は夕焼け空に眼をやった。白女がその視線を追う。
「ずっと厚い雪雲の下だったからね。京に帰りたいかい?」
「さぁ……、分かりません」
噓ではなかった。京に磯禅師の家が残っている可能性は少ない。まして義経と過ごした屋敷に帰ることなどできない。そこには別の誰かが住んでいるだろう。考えるまでもなく、京には居所がないとわかる。白女の言うように日本中が自分の家だと思った方が、心穏やかに、そして自由に暮らせるのかもしれないと思った。
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