第17話 旅の色々
翌日、村人が天沼神社の拝殿前に集まった。勝蔵が笛を吹き、伊之介がそこにあった太鼓を打つ。白女は、シャンシャンと鈴を鳴らした。
――
雉女は、緋色の袴の腰に勝蔵の刀を佩き、伊勢物語から取った詩の一節を変えて謡った。声は甘く優しく、続く舞は
村人は、一様に酔ったような眼をしていた。その中に立つお芳の大きな身体は、舞う雉女からも目立って見えた。
歳比呂が拝殿の端に座っている。その顔は、自分の愛人でも見るように、にやけていた。彼が今夜も自分の身体を味わおうとしている、と雉女は察した。傀儡女として拒絶する理由はないが、そうすることはお芳に悪いと感じてならない。何分、同じ屋根の下のことだ。
さて、どうしたものか。……舞いながら、あれやこれやと考えていると、舞に集中しないか! と、磯禅師の叱る声が心の内からした。私は、もう白拍子ではないのです。……声にせず母に逆らった。その証拠に、月神社のときのように、勝蔵の笛で魂が震えることもありません。……そう告げた相手は、自分自身だった。
――君を始めて見るをりは 千代も経ぬべし姫小松 御前の池なる亀岡に 鶴こそ群れ居て遊ぶめれ――
口ずさむ今様は、平清盛が愛した白拍子、
雉女がくるりと回ると、長い袖が風を巻き起こす。彼女は歳比呂に近づいた。都の権力に憧れるのならば、今様の持つ意味を知っていて然るべきだと思う。ところが歳比呂は、相変わらずにやけていた。――わかるまい……。無言で断じた。
くるりと回り、今度は笛を吹く勝蔵に向いた。彼の顔は半眼で心の内が読めなかった。――トントン……、と軽く床を踏む。自分に注目しろという催促だ。それでも彼の姿勢は変わらなかった。あえて無視しているのだ。そう思うと少し腹が立つ。
踊りの最中にもかかわらず、自分の感情を素直に感じたのは初めてだった。
奉納舞を終えると、歳比呂が真っ先に拍手を送った。「
雉女は
「お粗末様でした」
雉女は歓喜にわく観客に向かって感謝を述べた。すると、不思議と清々しい気分になった。神も仏も、貴族も武士も、大和人も東夷もない。この世にいる人は、一陣の風のような存在にすぎないと悟った。
その夜も歳比呂は、あれやこれやと勝蔵を質問攻めにしてから床に就いた。
雉女は、彼が深夜になってからやってくるだろうと予想し、準備を整えて待った。
実際、彼は忍んできた。足元の方から、もぞもぞと夜具に潜りこんでくる。ところが、「チッ……」小さな声を上げ、大きく夜具をめくった。
冷たい空気に静は震えた。その腹の上で鈍く光るものがある。むき身の刀だった。それが囲炉裏の火を赤く映している。まるで血を求めているように……。
「ゲッ。剣ではないか……」
歳比呂が、ドスンと腰を抜かした。
「……えっ、いかがいたしました?」
雉女は、たった今、目覚めたふりをした。
「な、何故、そのような剣を抱いている?」
歳比呂が刀を指した。見れば、その指先から血が滲みだしている。静が抱いていた刀で傷ついたのだ。
「いえ。これは戦いの神、日本武尊のお姿でございます。傀儡女の身体が欲しいとおっしゃるので、こうしてお慰め申し上げておりました」
抱いた当初は氷のように冷たかった
歳比呂があんぐりと口を開けている。日本武尊の化身の剣を捨て、自分に抱かれろと言うわけにはいかず、言葉を探しているのだ。
「藤原さま、いかがいたしました?」
「な、ならば、よろしく頼む」
彼は顔を歪め、すごすごと自分の寝室に帰った。
暗がりの中でひとつの影が起き上がる。
「剣を貸せと言うから、どういうことかと思ったが、日本武尊とは恐れ入ったな」
伊之介が雉女の夜具に這い寄ってくる。
「お蔭で助かりました。刀は返します」
「ああ。そのまま抱いていたら、朝には指の2,3本もなくなっているかもしれない」
伊之介は刀を鞘に戻し、雉女の布団にもぐりこんだ。
「何をするのです」
雉女は慌てた。伊之介の行動は予想外だった。
「決まっている。雉女は、傀儡女だ」
彼は慣れた手つきで雉女の帯を解くと、白い胸に顔をうずめた。
「龍蔵の乳を吸うなど、行儀が悪い」
冷たく言って追いやろうとしたが、伊之介はその程度の軽蔑で怒ることも
「所詮、傀儡子だからなぁ」
彼は批判を素直に受けとめた。そうされると、雉女にはどうしようもなかった。所詮、自分も傀儡女だと思い知らされるばかり…‥。素直に彼を受け入れた。
「昨夜、あの宮司とも寝ただろう」
全てが済んだ後で伊之介が言った。
「知っていたのですか?」
「おうよ。雉女が声を出したからな。皆、気づいたぞ」
「そうでしたか……」
今も勝蔵は2人の会話を聞いているのかもしれない。想像するとなぜか腹が立った。
「ワシの女房になれ」
髪をなでる声は、以前と異なり男らしい自信に満ちていた。雉女の心が動く。が、言葉にしたのは全く別のことだった。
「私は誰の女房でもありません。龍蔵の母なのです」
雉女が背を向けると、伊之介はため息をひとつ残して自分の寝床に帰った。
翌早朝、雉女たちは天沼神社を辞去した。山を下って街道に戻り、点在する足跡を追って東へ歩いた。
二日ほど行くと大河と出会う。幸いなことに渡し守の老人がいて対岸に集落もあった。彼が板をたたいて対岸の渡し舟を呼ぶ。――カンカン……と、澄んだ音が白い谷間に木霊した。
「この辺りは、山と川が複雑に入り組んでいるのだな。まるでワシらのようだ」
伊之介が雉女に向かって言う。まるで亭主気取りだ。
「どこが、ワシら、なんだよ?」
白女が笑った。
「人生は旅のようだというだろう。あるいは、川の流れのようだともいう。山あり谷あり。旅をしていると別れた川に再び会うように、別れた人間と再会することもある。雉女とワシは前世で一緒だったのに違いないんだ」
伊之介が雉女を口説くと、渡し守の老人が口を利く。
「この川は
そう教えて笑った。
「ほらみろ。伊之介の人生など勘違いの連続なんだよ」
渡し守に合わせて白女も笑った。
「愉快な人たちだ。飲みなされ。温まるぞ」
渡し守が酒の椀を差し出す。それを白女が受け取り、口に含んだ。
「美味いねぇ」
「そうじゃろ」
白女が椀を雉女に回す。
「おおきに、ありがとう」
雉女は渡し守に礼を言い、ひと口飲んで勝蔵に差し出した。
「いただく……。ご老人、ついでに教えてほしい。この辺りは何という土地だ?」
「
旅人は同じことを訊くのだろう。老人は
「礼だよ。願いを込めて社に納めなされ」
白女は懐から紙人形を出して渡し守にやった。それを手にした彼が顔の皺を増やした。
空の渡し舟が岸に着く。船頭は渡し守から椀を受け取ると一息で飲み干し、じろりと雉女たちをにらんだ。その口調はまるで怒っているようだ。
「すぐに出すぞ」
「はい、では、世話になろうかね」
白女が先頭になって舟に乗った。
「流れはきつい。揺れて落ちても助けられんから、しっかりつかまっとけよ」
船頭は、警告すると同時に川底に竿をさした。舟がゆっくりと流れに乗り出し、大きく左右に揺れた。
「気をつけて、行きなされよぅ」
岸で渡し守が手を振っている。
「おじいさんも、お達者でー」
雉女は船縁を握りしめ、声だけで応じた。
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